あと2、3話で完結予定です。
視点が切り替わってややこしいかもしれませんが、一先ずこの回を挟んで焔硝とベリアルの決着を描きます。もう少しだけお付き合いください。
「……」
何処かで懐かしい気配を感じ取った彼女は、ゆっくりと瞼を開いた。己の意識空間に横たわっていた身体を起こし、外の世界で受けた痛みを感じる。
この五百年――将軍との戦いを含めたら千年近くなるかもしれない――肉体を捨て去ってから初めての経験。意識を失ってどれ程の時が流れたのだろうか。もう全て終わってしまった後なのだろうか。
彼女――影は彼を止める事ができなかった事実にボロボロと涙を流す。両膝を抱え、顔を埋めてボタボタと涙を落とす。
覚悟はしていた。『停滞した永遠』ではなく、『より良い未来を想う永遠』を選んだ時から、望む望まずしてやって来る別れ――。魔神とて死は訪れる。自分が先か彼が先かは分からずとも、いつかは別れがやって来る。
だが、それはもっと先だと思っていた。こんな――こんな唐突で、理不尽で、無力さを感じる別れだとは思わなかった。
――辛い……! 国を背負う責よりも……彼を失うことがこんなにも……辛い……!
それでも――立ち上がらなければならない。己は稲妻を統治する神。『永遠』を望んだことで民達に不条理な重荷を背負わせてしまった責任もある。一人の男を失った程度で挫けることは許されない。
しかし今は、この時だけは、一人の女として泣くことを止めることはできなかった。
――――――――――――――。
「……?」
ふと、外の世界から懐かしい気配を感じ取った。
目を覚ました時にも感じた、気のせいだと思い気に留めなかったが、確かに気配を感じる。それは同じ瞬間に生を受け、何千年も一緒に過ごしてきた半身の気配。その気配に混じって、彼の熱い気配を感じた。
「眞……焔硝……? っ、まだ生きて……!」
影は慌てて意識空間から外に飛び出る。将軍がどんな常態か考える間も無く、意識を将軍と入れ替えた。
目を開ければ、最初に飛び込んできた光景は見慣れた眷属の顔だった。彼女は手拭いを片手に、驚いた表情で影の顔を覗き込んでいた。
「将ぐ――いや、影なのか?」
「神子……? 彼は……焔硝は何処です?」
最初に目にした顔が仲の良い知り合いだったからか、すぐに取り乱すことはせず、冷静に焔硝の居場所を八重に訊ねる。八重はぎこちない動きで身体を動かそうとする影を支えながら、いつもの余裕を無くした様子で話しかける。
「影、身体は何ともないのか? 外傷は見当たらぬが、内部はどうじゃ?」
「……大丈夫です。どうやら身体ではなく、精神のみを狙ったようです」
「こうして話せておるということは、そっちも無事なようじゃな……心配したのじゃぞ?」
影は辺りを見渡す。どうやら陣幕に用意された寝台に寝かされていたようだ。身体を見下ろしてみると、胴体を横に焼き斬られたようにして着物が斬れて肌が露出している。身体中に焔硝の元素が駆け巡り動きが鈍っているようだが、それもすぐに消えるだろう。
外は騒然としていた。何人もの武士達が緊迫した様子で動き回っており、未だベリアルとの戦状態が続いているのだとすぐに理解した。
「神子、どうしてあなたが此処に?」
「……こうなったのは汝に黙っておった妾の責任でもある。社に籠もっておく訳にもいかぬじゃろう」
「影! 起きたのか!?」
その時、小さな白い影が飛んで来た。その後から金髪の少年も現れる。
パイモンと、旅人である空だった。
「心配したぞ! もう大丈夫なのか!? 何処も痛くないのか!?」
パイモンは影の周りを飛び回り、半泣きで喚き出す。それを見かねた空がパイモンの頭を両手で掴み、影から引き離す。
「影、もう起きても大丈夫なの?」
「……はい。心配をお掛けしました」
「……事情は神子から聞いたよ」
空は顔に暗い陰を落とした。
八重は空に全て打ち明けた。焔硝の寿命、ベリアルと心中しようとしていること、影を守る為に影と戦ったこと。
それらを聞いた空は焔硝に激しい怒りを抱いた。友達だと言っておきながら、何一つ教えてくれなかった彼に怒り、同時に何もしてやれなかったことに悔しさを抱いた。何ができたかは今となっては分からないが、何かできたかもしれない。二人を戦わせないようにできたかもしれない。
空は知らずの内にパイモンをその胸に抱き締めた。
「……戦況を教えてください」
影は寝台から足を降ろした状態のまま、八重から戦況を聞く。
焔硝はあの後すぐに焔ノ島へと渡り、少しした後に敵の軍勢と戦闘を開始した。それから暫く経過した後、ベリアルと戦闘に入り、静かになったかと思えば巨大な焔柱が天を貫いたそうだ。それからは再び激しい戦いの音が鳴り響いており、影が目を覚ましたのはそれからすぐだった。
八重の肩を借りながら陣幕を出て、焔ノ島を視界に収める。島から炎の輝きが何度も炸裂しては轟音を鳴らしている。島から感じられる元素力も、確かに焔硝の物と姉である眞の物である。常時身体の内に内包してある筈の夢想の一心が無いことに今更ながら気が付き、彼が持って行ったのだと悟る。
今感じているこの感覚は、夢想の一心が齎している物なのだろうか? 影は彼の側に寄り添っている力の正体に、グッと唇を噛み締める。
――まだ……まだ間に合います。最後の最後まで、私は彼の側に居たい……!
八重の肩から離れ、薙刀を杖代わりにして歩み出す。八重は影が何を考えているのか察し、そんな状態で戦場に向かわせるなど見過ごせないと止めようとしたが、脳裏に彼の顔が過って伸ばしかけた手が止まる。
八重もまた、彼を諦めていない。彼を止められなかったことや、彼の意思を尊重してしまい口を閉じてしまっていたことによる無念と後悔が彼との最後の思い出など、到底受け入れられる訳がない。
――じゃが、どうすれば良いのじゃ……。影ですら止めることができなかった。まだ諦めておらぬとはいえ、今の妾達に何ができるというのじゃ……!
仙狐として数百年を生きてきた。漆黒の厄災だって彼と共に戦場を巡った。だがそれでも彼を止めるには力が圧倒的に足りない。想いだけあっても、力が無ければその想いは挫けてしまう。
ならばどうすれば良い? このままおめおめと引き下がり、小説に登場する悲劇のヒロインを気取れば良いのか? 毎夜毎夜、彼を想い枕を濡らせば満足か?
「――――そんなものは御免被る」
八重は足を前に進めた。
彼を諦めたくないのは――影だけではない。
影に追いかけ、彼女に肩を貸して二人揃って歩み出す。
どれだけ望みが薄くても、ほんの少しでも可能性があるのなら、最後まで意地を貫き通すまでだ。
「空ぁ……」
「……」
空もまた、決意を固めた。
自分には、行方不明の妹を探し出す目的がある。アビス教団なんて訳のわからないものに巻き込まれている妹に再会し、また二人の時間を取り戻すという目的が。
その目的を達成するのに、この戦いは必要無い。こんな場所で命懸けの戦いを繰り広げる必要性は、正直言って無い。
だがしかし、その戦いの中心にいるのは『友達』だ。友達を見捨てて妹に再会しても、それはもう妹が望む兄などではない。胸を張って妹の前に立つことはできない。
「俺は――友達を最後まで見捨てない」
空も歩き出し、パイモンも強く頷いて空の隣を飛ぶ。
四人は陣の中を歩き進み、行き交う武士達の間を潜っていく。武士達は目覚めた将軍を見て驚きながら脚を止め、道を開けていく。先程まで別の神と激闘を繰り広げ敗れたというのに、未だ武神としての在り方を失っていないその瞳に言葉を忘れてしまう。
彼女達は武士達の間を抜け、列を成している武士達の前に出る。焔ノ島が眼前に広がり、ベリアルの軍勢が行進してくるのが見えた。焔硝とベリアルは未だ戦いを続けている。あの軍勢は彼らの勝敗が決する前に稲妻に攻撃を開始するつもりなのだ。
「将軍様!? お目覚めになられたのですか!?」
天領幕府を最前線で統率していた九条裟羅が影を見付けて大慌てで駆け寄る。影の記憶の中ではどんな状況下でも冷静に物事を見ている彼女のはずであったが、目の前にいる彼女からはそんな気を感じられない。彼女でも酷く狼狽えることはあるようだ。
「九条裟羅……。心配を掛けしました。……軍はすぐに戦えますか?」
今が平時であれば揶揄いの言葉を一つ二つぐらい投げられただろう。しかし今はその時間さえ惜しい。こうしている間に焔硝はその命を燃やし尽くそうとしている。一刻も早くもう一度彼の側に辿り着かなければならない。
影の確認に裟羅は一瞬だけ呆けるも、すぐにいつもの顔になり首を縦に振る。
「はっ! 将軍様の号令一つで戦えます!」
「……」
影は頷き、八重の肩から離れて一人で立つ。まだ身体は完全に言う事は聞かないが、それでも目覚めた直後よりは回復している。薙刀を携えながら影は幕府軍の前に立ち、彼らを見渡す。
「……皆に、言っておかなければならない事があります」
影は一度大きく息を吸う。
「この戦いは、私の為の戦いです」
武士達は静かに耳を傾ける。
「彼処にいるのは、私と稲妻を築きずっと共に在り続けた神です。彼は……私を守る為にその命を捧げて神殺しの神と戦っています。私が彼処へ向かえば、彼の覚悟を無駄にすることになります」
「ですが、私はそれを望みません。考えたくもありません。私は彼に――焔の魔神アウナス、焔硝に側に居てほしい。彼にはこれからも私と共に稲妻を守ってほしい。その為に、私は力を振るいます」
「神殺しの神ベリアルの狙いは焔硝と私の命だけです。私達が命を差し出せばこの戦いは終わります。あなた達は命を危険に晒すこと無く、家族の下へ帰ることができます。その後の稲妻は、モンドや璃月のようにきっと私が居なくとも存続させることができるでしょう」
「もう一度言います。この戦いは、私の為の戦いです。一人の女が一人の男を取り戻す戦いです。その様な戦いに、我が臣民が命を懸ける必要はありません。大義などありません。正義もありません。これは私の――ただの独善的な願望です」
「それでも私はあなた達に『お願い』をします。稲妻の雷電将軍としてではなく、ただの雷電影として、この頭を下げます」
「どうか――私と共に戦ってください」
雷電影は眼前に並ぶ臣民へと頭を下げる。
そこに居るのはただ一人の男を愛する女だった。
彼らはそんな将軍を前にして、ただの一言も発しない。
驚きはしただろう。あの武神と名高い雷電将軍がこうして頭を下げているのだから。
だが彼らはその場から動かなかった。目に宿る闘志が無くなることはなかった。
何故なら、彼らの答えは一つだけだからだ。
――我らが神が、我らを守り続けてくれた神が我らに頭を下げて頼み込んでいる。
――稲妻の臣民である我らが、どうして拒めようか。
――それに彼処で戦っているのは、我らが稲妻を、我らが神を守ろうとしている神。
――ならば、彼の神も我らが神である。
――神を守るのが我ら
雷電影はこの戦いに大義は無いと言った。成る程、確かに無いかもしれない。ただの独り善がりな願望――我が儘なのかもしれない。
だがその『願望』も集まればそれは『義』になり、義が集まればそれは『大義』になる。
彼ら武士の中には己が神を助けるという大義が宿っているのだ。
「我ら武士! この命尽きるまで、永遠なる鳴神の為に!」
『我ら武士! この命尽きるまで、永遠なる鳴神の為に!』
彼ら武士を代表して、九条裟羅が声高らかに宣言し、それに続いて彼らは叫ぶ。
影は彼らの言葉を聞き、頭を上げる。しかと彼らの決意を胸に抱き、迫り来る軍勢に振り返り薙刀の矛先を向ける。その隣で八重は御幣を掲げ、空は剣を構え、武士達は刀・槍・弓を握り締める。
――ありがとうございます、我が臣民達。
「我が最強の武士らよ――――雷鳴と共に!」
『常道を恢弘せしは、永遠なる鳴神なり!』
雷電影率いる稲妻軍が一斉に突撃を開始した。喊声を上げながら、敵の軍勢に立ち向かう。
ベリアルの軍勢も咆哮を上げながら突撃を開始し、両軍は正面から衝突するのであった。