三日後――約束の日である。
焔硝は今日まで酒を飲まず、少しだけ憑き物が取れたような顔をしていた。
八重神子との対話で影と稲妻を暗黒の『永遠』から救い出すことを決心したのだが、未だに影との再会だけは恐れていた。会うと決まった訳ではないが、変革が訪れた後、今よりは会う可能性が高くなるのは確かだ。
その時、影からどんな言葉が投げ掛けられるのか、焔硝はずっと怖がっている。
もしかしたら、無想の一太刀で斬られるかもしれない。そうなれば、焔硝は黙って斬られるつもりであった。
それはそれとして、今日が約束の日。焔硝は社の階段に腰掛け、八重神子は社の前に立って来たる者達を待っていた。
最初に来たのは九条裟羅だった。配下は連れておらず、一人で堂々と現れる。
「八重宮司様、約束通り来ました」
「約束通り来ると分かってたぞ」
「それで、証拠は何処に?」
「ここだよ」
遅れて空とパイモンが到着した。証拠であろう書簡を九条裟羅に渡した。
その書簡に目を通した九条裟羅は、最初こそ表情に変化は無かったが、読み進めていく内にみるみると顔を歪めていき、憤りを表に出した。
九条裟羅は自分のお家が真実を隠し雷電将軍に都合の良い報告を上げていたこと、更にはファデュイと交わした手紙も見せつけられ、今までの自身の行動は何だったのかと、九条家の裏切り行為を許す訳にはいかないと義憤した。
誰が止める間も無く、九条裟羅は当主に直接会い話してくると告げて鳴神大社を飛び出す。
ともあれ、九条裟羅を此方側に引き込むことができたと、空たちは安堵する。
空はこれで雷電将軍に会えるかもしれないと、九条裟羅を追いかけようとした。
「待て、童。まだ話したいことがある」
八重神子が走り出そうとした空とパイモンを呼び止める。
雷電将軍と戦う際、初めて一心浄土に渡った時の情景を再現するようにと伝え、鳴神大社の御守りを空に授けた。
空とパイモンは八重神子に礼を言い、九条裟羅を追いかけていった。
二人を見送った八重神子と焔硝は、いよいよかとほぅっと息を吐く。
「あの九条裟羅とかいう娘……」
「ん? 何じゃ?」
「いや……まだまだ若いが、いずれ笹百合のような将になるやもしれん」
「ふぅむ……汝がそう言うのなら、そうなのじゃろうな。ところで、汝は行かぬのか? 妾なら汝を影の一心浄土へと送ることぐらいできると言うのに」
「その為の御守りか……。いや、俺はよい。まだ会うには心が決まっていない。それに、おそらく俺には別の役目がある」
焔硝は羽織を正し、刀を腰に差して立ち上がる。ボサボサの髪を項で一纏めにし、以前よりも光が灯った瞳を八重神子に見せる。
「八重、影のことは任せる。俺は少ししたら出る」
「……汝の時も、ようやっと進み始めたのかの?」
「――そうであれと、願うばかりだ」
時は流れていき、焔硝は稲妻城へと赴いていた。
空とパイモンは九条家の屋敷から雷電将軍が居る天守閣へと入っていった。
その様子を焔硝は屋根の上から見物していた。
焔硝は肌で感じ取っていた。此処に戦の気配が近付いていると。
此処へ来る途中、焔硝は抵抗軍が集まっているのを見かけた。おそらくだが、空が雷電将軍と対峙することを聞き付けた者達がこれを機に攻め入ってきたのだろう。
だが彼らが出てきたところで雷電将軍には敵わない。一方的にやられるのがオチである。
だからこそ、焔硝はこの場に来ているのだ。
やがて、空とパイモンが天守閣から出てきた。それと同時に、天守閣内部から強烈な殺気を感じ取る。空もその殺気に押されているのか、足取りが重そうだった。
空とパイモンが城下町へと降りる大階段に辿り着いた時、抵抗軍と顔を合わせた。空と抵抗軍の者達が安堵の表情を見せる。
その時――空の背後の空間が斬り裂かれ、無想の一太刀を放つ雷電将軍が顕現した。
空が気付いた時には既に手遅れ。避けることも防ぐこともできない。
だが、抵抗軍の若者一人が突如雷元素を纏い、雷電将軍へと迫って刀を抜いた。
雷電将軍の一太刀はその若者によって止められ、終いには弾き返した。
「――ほう」
焔硝はその離れ業に、目を見張った。
人形と言えど神の化身、最強と謳われる一太刀をただの人間が受け止めきったのだ。
それに神の目を二つ、若者は有していた。すぐにその効力は失われたが、事実として若者は神の目を一瞬でも二つ所有していたのだ。
焔硝はその若者の顔を記憶した。武神としての魂がそうさせたのだ。
若者は雷電将軍に突き飛ばされ、若者の行動に鼓舞されて抵抗軍が将軍へと一気に攻め入る。
その時、千手百目神像にはめ込められている神の目が次々と輝き始める。
まるで何かの意志に反応するかのように、強く、また強く輝き出す。
「さて……」
焔硝は刀に手をやる。
このままでは抵抗軍は雷電将軍に一網打尽にされるだろう。
同じことを考えていたのか、空が抵抗軍よりも先に雷電将軍へと斬りかかった。
今までで一番強い雷元素の力を発揮し、強烈な一刀を以て飛び掛かる。
そして、空は再び一心浄土へと飲み込まれて姿を消した。
空が消えたことに驚きながらも、抵抗軍は人形である雷電将軍へと立ち向かう。
将軍が無想の一心ではなく薙刀を取り出し、紫雷を解き放った刹那――。
焔硝が将軍と抵抗軍の間に割り込んだ。
将軍が振るった薙刀は焔硝の赤刃の刀に受け止められ、赤雷と紫雷が激しく衝突し合う。
「え、焔硝!」
空が一心浄土へと飲み込まれ一人になっていたパイモンが焔硝の背後から叫ぶ。
「パイモン、其奴らと一緒に下がっていろ」
「で、でも空が!」
「あの子なら大丈夫だ。お前が信じないでどうする?」
「っ、お、おう!」
「そこのアンタ! 助太刀する!」
獣耳を持った若者が前に出ようとしたが、それは赤雷によって止められる。
焔硝は薙刀を弾き返し、改めて将軍と対峙する。
「お前達では相手にならん。あの子が全てを終わらせるまで、俺が相手をする」
「アンタ、いったい……」
焔硝は刀の切っ先を将軍へと向ける。
将軍は冷酷な眼差しのまま焔硝を見つめる。
「赤雷の将……『彼女』に刃を向けるつもりですか?」
「そんなつもりはない。だが、あいつの影であるお前がこれ以上稲妻の民を傷付けると言うのならば……刃を交えるつもりだ」
「……『彼女』は今、『例外』と刃を交えています。『私』を止める者はいません」
「上等――腐っても赤雷の魔神、灼熱の雷は伊達ではない」
赤雷と紫雷が再びぶつかる。
将軍は薙刀と紫雷で焔硝の首を落とそうと冷徹に得物を振るう。焔硝は将軍の一手一手を刀で防いでいく。赤雷と紫雷が激しく轟き、衝撃が大気を震わせる。
赤雷と紫雷が遠巻きに見ていた抵抗軍を脅かすのを見た焔硝は、戦場を変えるため将軍を刀で押し込んで上空へと飛び上がる。
「っ――」
「赤雷よッ!」
焔硝の一刀が将軍に振り下ろされる。赤雷を纏った一撃を将軍は薙刀で防ぎ、稲妻城の屋根へと吹き飛んでいく。焔硝は宙を蹴って追撃し、屋根の上で攻防を繰り広げる。次第に屋根を駆け上がっていき、天守閣の屋根まで登る。
天守閣の屋根で、焔硝と将軍は睨み合う。雷雲が天守閣の上空を覆い、紫雷と赤雷がまるで雷神の怒りを表しているかのように轟く。
地上でその戦いを見守っている抵抗軍の者達は、戦々恐々とした。自分達がいったい何と戦おうとしていたのか、改めて見せつけられたのだ。
今まで目にしたことが無い激しい雷元素を発し、目に捉えられない速度で繰り出される技に恐怖した。
そしてその紫雷と対等に渡り合っている赤雷を目の当たりにし、大昔の逸話を思い出す。
嘗て稲妻に二つの魔神が攻め入った時、一つは雷神が、もう一つには赤雷の将が立ち向かった。赤雷の将はその命と大地を犠牲にして魔神ベリアルを打ち倒した。
どうしてか赤雷の将に関しての文献は少なく、稲妻の殆どの民達は赤雷の将が雷神に付き従っていたことしか知らない。
その赤雷の将が、姿を変えて現世に降臨されたのかと、この光景を見ていた者達は感じた。
焔硝は将軍と天守閣の上で斬り結び、五百年ぶりの力の放出で身体に大きな負担を感じる。
力自体は衰えていないが、元素力の扱いに鈍りが出ている。制御も甘く、赤雷が飛び散った先で火が広がりそうになる。城が燃えないように元素を操作しているが、そちらに集中してしまうと将軍の攻め手に対応できなくなる。
「動きがぎこちないですね。それで私に勝つつもりですか?」
「くっ……」
「『彼女』からの情報に、あなたは『彼女』と同じく武神と称されたとあります。それがこの程度とは、正直言って失望です」
徐々に将軍の攻めに焔硝の対応が遅れ始める。薙刀を刀で防ぎ、紫雷を赤雷で防ぐ。
「終わりです」
「ぐがっ!?」
薙刀の一撃を防ぎきれず、焔硝は紫雷に飲まれて大きく吹き飛ばされる。城の一角に激突し、赤雷が止む。焔硝は壁にめり込んだまま動かず、ぐったりとしてしまう。
将軍は勝敗が決したと思い、薙刀を下ろす。だがすぐにそれは早計だと悟り、薙刀を構え直した。
ぐったりしていた焔硝の手が動き、赤雷がバチバチと全身から迸る。閉じていた目が開き、赫灼の眼が将軍を捉える。赤雷となり再び将軍に飛び掛かり、将軍に一刀を振り落とす。
「あまり見くびるなよ『人形』。お前も、俺もまだ本気を出せていない。なのに勝敗が決する訳がないだろう」
「どうしてそこまでして『永遠』に背くのですか? あなたは『彼女』の――」
「あいつの『永遠』が稲妻を苦しめるというのなら、あいつ自身が孤独で苦しむのなら、あいつが二度と笑えないのなら――『永遠』なんてもの、斬り捨ててやる!」
焔硝の刀が薙刀を叩く。
「理由なんてそれだけでいい! 俺はあいつの妹が孤独になる『永遠』が――嫌いだ!」
「っ――!?」
焔硝の斬り上げた刀が将軍の薙刀を大きく弾き上げた。将軍は驚きつつも薙刀を戻し、焔硝と再び斬り結んでいく。
互いに赤雷と紫雷の出力を上げ、強烈な一撃を打ち合った。
赤雷と紫雷が天空へ打ち上がり、その衝撃で雷雲は吹き飛ぶ。
耳を劈く雷鳴が轟き、雷光が大地を照らした。
まだか、まだか……焔硝は決着を待った。
そしてその時は訪れた。
将軍は殺気を鎮めると、薙刀も消して戦闘を止めた。
「ここまでです。『彼女』があなた達との戦闘を停止させました」
「っ……それは……」
「『彼女』は目狩り令を廃止するつもりです。『永遠』についても今一度考えると」
「――――そう、か」
焔硝は刀を鞘に収めた。張り詰めていた空気が四散し、ほぅっと息を吐く。
その間に将軍は天守閣の上から去り、焔硝は一人で雷雲が晴れた空を見上げる。
空は青く澄み渡り、まるでこれからの稲妻を祝福するかのように、陽の光が照らした。
空はやり遂げたのだ。影の心に変化を齎した。己にできなかった大業を、見事やってのけてくれた。
稲妻は――これから変わっていく。
その後、雷電将軍は目狩り令を廃止した。
一心浄土で空が一身に受けた人々の願いが、閉ざされた将軍の心の扉を開けたのだ。
将軍は一心浄土以外に、人々の目に『永遠』を見た。
願いが一際強く輝いた時、神はその者に眼差しを送る。
ある願いは痛みを拭い、正気を齎し、希望を呼び起こす。
ある願いは例えそれが持つ者の身が滅び魂が天に帰ろうと、生まれた時と変わらず真摯に熱く燃えゆく。
そう――『永遠』に。
されど赤雷の『永遠』は未だ赤雷を解放せず。
赤雷と紫雷の再会は来ず、赤雷は罪の意識に苛まれる。
赤雷を『永遠』から解放するには、やはり最愛の紫雷しか居らず――。
赤雷は今日も『永遠』に囚われる。