稲妻の双雷   作:八魔刀

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第8話 天下人の章4

 

 

 それから何度か神櫻を襲うハウンドを討伐し続けた。

 

 今までより四人の間の空気感は良く、空とパイモンはいつも通りのパフォーマンスを発揮できた。

 焔硝と影は移動中に会話こそしなかったものの、戦闘中は息の合ったコンビネーションを決めていく。

 

 順調にハウンドの討伐を進めていると、影の様子が僅かにおかしいことに空とパイモンは気が付く。それは焔硝も同じで、影を庇うようにして早々に戦闘を終わらせた。

 

「影、大丈夫?」

 

 空が影に尋ねると、影は何でも無かったかのように振る舞い、余裕の表情を見せる。

 

「心配はいりません。私はただ力を温存しておきたいだけです。不測の事態に備えて、力を発揮できるように」

 

 影はそう言うが、焔硝は本当にそれだけか?と疑った。

 影を信じていない訳ではないが、一応用心しておこうと影を気に留めることにする。

 

 パイモンが目の前の神櫻の根に近寄り、根の傷が深いのを確認した。

 

 するとまた神櫻が光出し、四人に記憶の幻想を見せ始める。

 

 現れたのは、目を布で覆った盲目の老人だった。

 焔硝と影はその老人に見覚えがあり、影は驚いて老人に近づく。

 

「あなたは……古山?」

「ん? 将軍様!? 遠方の戦場へとお出向きになられたのでは? どうしてまたお帰りに? む? この足音は……焔硝様ですか? 焔硝様も戦場からお戻りに?」

「久しいな、古山」

 

 焔硝は優しい声色で古山に挨拶をした。

 影は空とパイモンに古山を紹介する。

 

「私から紹介しましょう。この者は古山、かねてより私に付き従っていた茶人です。古山は目が見えませんが、常人をはるかに超える審美を備えています。彼が淹れた御茶は、稲妻でも一、二を争うものなんですよ」

「そんな、恐れ多い、これはただ、将軍様にずっと付き従って会得した特技に過ぎませんよ」

「謙遜するでない、古山よ。お前の茶はこの稲妻において神をも魅了するものだ」

「……何か、焔硝の話し方変じゃないか?」

 

 パイモンは焔硝の雰囲気が変わったことを察し、空に耳打ちする。空もうんうんと頷くが、会話を邪魔せず黙っておく。

 

「ありがたきお言葉で……。ところで、お客人をお連れのようですが?」

 

 古山はとても丁寧な物腰で空とパイモンに対応する。古山の記憶は漆黒の厄災の最中であり、危機が去るまで一時休んでいかないかと提案する。

 

 空とパイモンは古山の記憶に会わせて対話を行う。

 

 古山は付近の住民達と逃げることをせず、将軍様がいるからとこの場に残ったそうだ。将軍様にもどうすることができなければ、いったいどこに逃げれば良いと言うのだろうかと、古山は穏やかに告げる。

 

 どうしてそんなに落ち着いているのかと訊けば、後悔や心残りがないので逃げる気は無いからと。

 

「将軍様がお茶を嗜む時、いつも『夢想』のことを私に話してくださいました。その話を聞いていると、例え長いこと光を失っていた私でも、稲妻の最も美しい山々や海を旅しているような気分になれたのです。時が経つにつれ、私は将軍様の浪漫と夢のある考えを理解するようになりました。いつも言っていましたよ――『美しきものは時の流れと共に変化し、消えてゆく。だからこそ人生において、悔いのないよう愉しまなければならない』と」

 

 それは――眞の言葉である。

 

 焔硝もよく眞から聞いていた言葉だ。

 

 眞は今その時、その一瞬を大切にする神だった。形が変わろうとも、そこにある想いはずっと続く。だからその想いが永遠に変わらないよう、今その時その時を大切に生きていきたい。

 

『だからね、焔。私のこの想いも永遠よ。ずっと変わらない愛を、あなたに誓うわ』

 

「……」

 

 眞のことを想い、彼女の心がこうして誰かに理解されて受け継がれているのを喜ぶ。

 

「私はすでに無数の美しき物事を見てきました。たとえ最悪の今であっても、何の不満もありません」

「それも、間違ってはおりません……」

「あと少しすれば、私も将軍様にお別れを告げる時が来るでしょう。この災難の後、将軍様の再建した稲妻を見れないのは、本当に残念で仕方ありません」

 

 影と焔硝は目を伏せ、悲しそうに黙り込む。

 

「災難が過ぎ去れば、新生が来たるもの。例え私がその時まで生き長らえたとしても、ただの風情の分からぬ盲目の老人……はははっ、やはりこれ以上は止めておきましょう」

 

「……古山よ。そう己を卑下するな。お前は俺が知る人の中でも至高の者よ。お前以上に情を知る者を、俺は知らん」

 

 焔硝が古山にそう告げる。それを聞いた古山は嬉しそうに微笑み、焔硝に頭を垂れる。

 

 空とパイモンは焔硝が神であったことを思い出す。きっと古山の前では神として振る舞っていたのだろう。だから古山を安心させるために、神として接しているのだ。

 

 古山は頭を上げると、思い出したように空とパイモンの方へと顔を向ける。

 

「おや、これはいけない。自分の話ばかりして、お茶を出してもいませんでした。将軍様と焔硝様がいらっしゃったというのに、お茶すら用意できていないとは……なんと失敬なことを。少々お待ちを、今すぐ……おや、茶道具はどこに……?」

 

 古山は腕を動かし、記憶の中にある茶道具を探し始める。

 

 記憶が再現したのは古山だけだ。茶道具など在るはずもなく、古山の手は宙を切るだけだった。

 

 古山はお茶を出せないと分かると困ったように顔を顰め、己を恥じた。

 

 その時、空が古山に茶道具がある場所を知っていると機転を利かせて話した。

 

 古山は客人に茶道具を取りに行かせるなんてことはと渋るが、影が優しく諭す。

 

「問題ありません、あなたはここで休んでいてください。私達がすぐに取ってきますので」

「将軍様直々に行かれるのですか? なりません、そんな恐れ多いこと……それに外の戦況も……」

「この場所は……複雑で、あなたの記憶にある茶屋とは大きく異なります。私達に任せてください」

 

 それは、古山がこの場から動けないことを知ってるが故に出た言葉だった。

 

 目の前にいる古山は、嘗てこの場所で眠りに着いた古山の記憶だ。その記憶がこの場から離れられることは決してあり得ない。

 

 影たちは古山に此処で待つよう言い付け、茶道具を取りにある場所へと向かった。

 

 そこは鳴神島の東にある社奉行、神里家が管理する居城である。

 

 影は出迎えた武士に茶道具を用意させ、その間は空と話をすることにした。

 焔硝はその傍らで静かに聞き耳を立てる。

 

「さて、私に訊きたいことが山ほどあるのではないですか?」

 

 空は見抜かれてたかと苦笑し、影に先程の古山の話で疑問に思っていたことを尋ねる。

 

「あの茶人は本当に『影』に仕えてたの?」

「そうそう、オイラもそれが聞きたかったんだ! あの人の言ってた『将軍様』って、何だか影と全然違う気がするぞ」

「私がお茶を飲む機会はあまりなく、空いた時間はいつも武道の鍛錬に費やしていました。ですので殆どの時間、彼は前任の雷神、つまり私の姉である雷電眞といつも側にいた焔硝のためにお茶を淹れていたのです」

 

 影は空とパイモンに眞の考えについて話すことになった。

 

 眞の考えは『夢想』――即ち、より良い未来への情景。

 影の考えは『無想』――即ち、絶対不変の現在への固執。

 

 眞は人間に新しい『願い』を生じさせる原動力に注目していた。その原動力は本能によるものであり、言い換えればそれも一種の永遠である。

 

 嘗ての影は、眞の考えを理解できず、眞が七神の席に着いたことで英知を手に入れたからと考えることを止めた。

 

 だが今は眞が考えた『永遠』を受け入れて理解できると、眞と分かり合えたと言えるだろうと話す。

 

 そう語る影を見て、焔硝は眞の姿が重なって見えた。影の考えが眞に寄り添ったからだろうか。今の影を眞が見ていれば、きっと眞は嬉しそうに影に頬ずりをしていることだろうと、その光景を思い浮かべ笑みを零す。

 

「ところで焔硝。どうしてさっき古山さんに尊大な態度を取ってたの?」

「ん?」

「そうだぞ! 何だかお前、偉そうだったぞ!」

 

 今度は焔硝に空とパイモンが尋ねた。

 

「ん、まぁ……さっきも影が言っていただろ。古山は俺と眞に茶を淹れていたと。俺は遠慮していたんだが、眞がどうしてもって言ってな。いつも一緒に古山の茶を飲んでいた。そうなると必然、眞が古山に俺のことを話してしまう。神という身分を隠していたが、古山に露見してしまってな。それで古山が俺を神として接してくるから、古山の前だけでは神で在っただけだ」

 

「どうして神の身分を隠してたの?」

「それは……」

 

 焔硝は言葉を濁し、社奉行の敷地から見える広大な海を眺めた。

 

 その海に黒い島が一つ、異様な雰囲気を醸し出しながら浮かんでいる。

 

 島からは黒い煙が延々と立ち籠めており、まるで島全体が燃えカスによって構成されているようだった。

 

 焔硝はその島を何とも言えぬ顔で見つめ、影もまた目を伏せる。

 

「……あの島で、俺は神としての資格を失った。だから神として名乗るのを恥と感じ、表では眞の眷属の一人としてそこに在り続けた。ま、それでも古山は俺を神と崇めるから、彼に免じて彼の前だけでは神として振る舞った、それだけだ」

「神としての資格……?」

「……ま、それはいつかな――。他の事なら答えよう」

「あ、では私から」

 

 まさかの影が小さく挙手し、焔硝と空とパイモンは目を丸くする。

 

「あ、あの……いけませんでしたか?」

「……いや。何だ?」

「どうして眞とのお茶を遠慮していたのですか? あなたと眞の関係なら、遠慮することはないはずですが……?」

 

 影の問いに、焔硝は少し呆れ顔を浮かべた。

 そして軽く溜息を吐き、影の問いに答える。

 

「正確には、お前に遠慮してたんだ。あまりずっとお前から眞を取ってると、お前すぐに斬りかかってくるじゃないか。忘れたとは言わせんぞ?」

「なっ、そ、そんなことありません! あれはあなたが現を抜かして腑抜けになっていないか確かめるために! そんな、そんな子供染みた考えなど持っていません!」

「どうだか。その後ずっと眞にベッタリだったじゃないか。眞も眞でそれを面白がってちょっかいを出すから、余計にお前が嫉妬するのなんの……」

「ありえません! あなたは思い違いをしています! 私は決して、ええ決して! そんなことはありません!」

「はいはい、そうだな」

 

 焔硝は突っかかってくる影を面倒臭そうにあしらうが、その顔はどこか嬉しそうだった。

 

 五百年ぶりに影とこうして対話できるのが嬉しいのだろう。

 

 空はまだ言い争いを続けている二人を見て、パイモンと一緒に愉快そうに笑う。

 

 その後、茶道具が用意され、四人は古山が待っている場所へと戻る。

 

 だがそこに古山の姿は無かった。

 記憶体である古山も、他の記憶体と同じように長く存在を保つことができず、消失してしまったのだろう。

 

 古山の記憶が安らかに眠ったことを願い、四人は黙祷を捧げた。

 

 茶道具を用意したこともあり、茶を淹れて飲むことになったのだが……。

 

「せっかく茶道具もありますし、私がお茶を淹れてみましょう」

「――っ!?」

 

 影が茶を淹れると提案した直後、焔硝はこの世の終わりを見たとでも言わんばかりの、何かに恐怖した表情を顔に貼り付けた。

 

 それに気が付かず空とパイモンは喜び、影は嬉々として茶道具を広げて湯を沸かしていく。

 

 焔硝は一歩、また一歩とゆっくり影たちから離れようとしており、それに気が付いた空が声を掛けてしまう。

 

「どうしたの、焔硝?」

「……」

 

 焔硝は冷や汗を流しており、カタカタと肩を震わせている。

 空とパイモンが首を傾げていると、影がコホンッと咳払いをした。

 

「お茶なら私も淹れられます。古山がお茶を淹れる姿を見てきましたから。何も問題はないはずです」

「いや見てきたって……実際に淹れてた訳じゃ……」

「淹れられますとも。さ、あなたもそこに座って待っててください」

 

 影に強く言われた焔硝は、覚悟を決めた表情で空の隣に座る。

 

 しかし些か体勢が変だ。まるで何かから空とパイモンを守ろうとしているのか、強張った身体で身構えている。

 

 ――え? お茶を淹れるんだよね? 爆発物を処理する訳じゃないよね?

 

 空は焔硝の尋常ではない様子を見て、思わず自分も身構えてしまう。

 

 そんな空の心配は空振りに終わり、確かに慣れない手付きではあったものの、影は見事にお茶を淹れることに成功したのだった。

 

「できました! 飲んでみてください!」

 

 自信たっぷりに差し出す湯飲みを受け取り、四人はお茶を啜った。

 程よい苦み、そして旨味が口の中で溢れ、飲み込むと身体の中で温かさがジーンと広がっていく。

 

「美味しい……」

「美味いぞ!」

「……ほぅ」

 

 空とパイモンと焔硝は顔を綻ばせ、美味い美味いとお茶を飲んでいく。あっという間に湯飲みは空になり、影はどうだと言わんばかりに胸を張る。

 

「どうです? 私にだってお茶は淹れられるんですよ?」

「……いや、お見事。まさか爆発もさせず、最後まで淹れられるとは……」

「爆発!?」

「そんなことあるわけないだろ!?」

 

 やはり爆発物の処理だったのかと空は驚き、パイモンは焔硝にうがっーと吠える。

 

 焔硝は「ハッハッハッ」と笑い、パイモンの顔を抑えて湯飲みを置く。

 

 影も影で爆発と言われたことで頬を膨らませ、ツンッとした表情を見せる。自分で淹れたお茶を飲むと、その表情も朗らかになる。

 

「ふぅ……今日は私の記憶を呼び覚ますものをたくさん見ることができました。そして、たくさんの人々のことを思い出しました。狐斎宮、眞、それから私の目の前で去って行った友人達……」

 

 影は湯飲みを静かに置き、重い雰囲気を纏い、その口を開く。

 

「五百年前のあの災厄は、私から狐斎宮と御輿千代という友を奪っただけでなく……眞とも永別させたのです」

「彼女もその災難で亡くなったのか……?」

「はい。彼女は私達に黙って、一人でカーンルイアに向かいました」

「……」

 

 思い出すのはあの日――影が眞の亡骸を持ち帰った日。焔硝が眞を失ったあの日。

 

 焔硝の心はあの日で完全に砕かれてしまった。

 

 愛する眞を守ると誓ったのに、眞は一人で勝手に逝ってしまった。

 

 カーンルイアで何があったのか、誰が眞を殺したのか、焔硝には分からなかった。

 

 誰を、何を恨めばいいのか分からず、焔硝はただその魂が枯れるまで、悲しみに打ち拉がれるしかなかった。

 

「私がカーンルイアに到着した時には既に……ただ次第に息が細くなっていく彼女をみることしかできませんでした。彼女は既に意識を失っており、私は彼女の意識空間に入る事以外、何もできなかったのです」

 

 焔硝は影から語られる眞の最期をこのまま聞くべきかどうか、息を震わせながら迷う。

 

 まだ眞の死を受け入れられておらず、死と向き合う覚悟ができていない状態だ。

 

 それなのに眞の最期を聞けば、己の精神に異常をきたす――更なる摩耗を進めるかもしれない。

 

 葛藤している時、ふと影の顔が目に入る。

 

 影は声色を震わせてはいるが、その瞳には――人形の瞳だというのに――ある種の覚悟を宿しているように見えた。

 

「……」

 

 焔硝はその場から離れるのを止めた。

 

「そこで、私達は最期の別れをしました。慟哭する私は、彼女の考えを理解することも叶いませんでした。『どうして、先にカーンルイアに辿り着いたのが私じゃなく、彼女だったのか。どうして私か焔硝に言わなかったのか。まさか『庇う』ためだったとでも言うのか』」

 

 影の思いが口から放たれる。

 

 あの時、眞の亡骸を抱きかかえながら影はそんなことを考えていた。

 

 影はそこで永遠を追求すると決心した。

 

 あの時、影と悲しみを分かち合っていれば、その後五百年の擦れ違いなんて起こさなかった。

 

 焔硝は改めて己の愚行を後悔する。

 

 もし眞が生きて目の前に現れたら、その事について激しく責め立てられるだろう。

 

「私は彼女の崩壊しそうな意識空間を留まらせ、稲妻へと持ち帰りました。驚くことに、稲妻へ戻ると影向山の頂上に巨大な櫻の樹が現れていました。そう、あなたたちも知る神櫻のことです」

「……」

 

 そう言えば、と――。焔硝は八重神子から、影が神櫻についておかしなことを言っていたと聞いたことがあると思い出す。あの時はまだ真面に話を聞くことができず、朧気にしか覚えていない。

 

 確か、稲妻に神櫻は無かったとか。戻ってきたら存在していたとか。

 

 そのようなことを話していたと、言っていたはず。

 

 焔硝の記憶では神櫻は昔から存在しており、影がカーンルイアに向かった時もしっかりと存在していた。事実、狐斎宮は神櫻の穢れを払う過程でその命を散らしている。

 

「あなたと同じく、当時すべての人が当たり前のように『神櫻は昔からあった』と言っていました。なぜ私が驚いているのか、全く理解できないような顔をしていたのを覚えています。誰も疑う者はいませんでした、神櫻の存在は私の記憶と明らかに食い違いがあるのに、私だけがそれに気付けていたようなのです」

 

 空が焔硝に目を向けた。そうなのか、と確認しているようで、焔硝は黙って頷いた。

 

「結局私は、それがあの意識空間によって引き起こされた不思議な事象だと思うことにしました。神櫻の力を借り、私は稲妻で起きていた魔物の災いを鎮めることができました」

 

 焔硝は思い出す。誰に怒りを向ければいいのか分からず、気が付けば魔物の返り血と、魔物の肉が焼けた異臭の真っ只中で立ち竦んでいた。

 

 あのまま我を失い続けなかったことだけが幸いだった。もしかすると、そのまま影に刃を向けていたかもしれない。

 

 それだけが焔硝にとって救いだったのと同時に、五百年に渡る生きた屍という空虚な日々の始まりだった。

 

「眞の力だったのかも」

 

 空がそう口にする。

 

「ええ。彼女のこの大地と人々に対する情愛に比べれば、私もまだまだです」

 

 影はそこで一度言葉を区切り、空を見上げる。

 

「元々、この過去はもう二度と口にはしないと決めていました。決別を直視するのは、とても苦しいことですから」

「ぁ……」

 

 決別――影は今、眞の死と向き合っている。

 

 焔硝は此処まで聞いても決別を受け入れられていないと言うのに、影は乗り越えようとしている。

 

 どこまで心が弱いのだ――どこまで影に先を歩かれるというのだ。

 

 焔硝は未だ覚悟を持てない己を恥じた。

 

「焔硝……眞は最期にあなたのことも言っていました。あの時はそれを話すことができませんでしたが……こうして再会した今、それを聞いてくれますか?」

「っ!?」

 

 眞からの、最期の言葉――。

 

 焔硝は言葉を詰まらせ、目を見開いて影を見つめる。

 

 ――聞きたい。

 

 焔硝は口を開くも、そこから言葉が出ることは無かった。

 

 クッと歯を食いしばり、焔硝は影に背中を向けて立ち上がってしまう。

 

「すまない……今はまだ――聞けない」

「そう――ですか……」

「まだ……俺は眞の死を受け入れられていない。決心が付かない……。すまない」

 

 焔硝はこの場に居続けるのが辛くなったのか、影たちの側から離れてしまった。

 

 遠くなっていく焔硝の背中を見て、影は顔を伏せる。

 

 空とパイモンはこの空気をどうしたらいいのか分からず、あたふたとしてしまう。

 

 すると影は顔を上げて二人に謝る。

 

「ごめんなさい、旅人さん。せっかくのお茶というのに……」

「ううん、いいんだ。全部焔硝が悪いから」

「……実は、神子から聞いていたのです。彼が眞の死を受け入れられていないのではないかと」

「あの神子、ほんと何でもお見通しだな」

 

 パイモンは頭の中でニタニタと不敵に笑う狐お姉さんを思い浮かべる。

 

「神子の言う通りでした。私はてっきり彼がもう眞の死を受け入れていると思っていました。ですが私が知っている以上に、彼にとって眞の死はそれほど受け入れ難い悲劇だった……」

「……」

 

 空はふと考える。

 

 もし自分の妹が死んでしまったら――その死を受け入れられるのかと問われれば、答えることができない。

 

 影だって、すぐに受け入れられた訳ではないだろう。きっと一心浄土の中でも、眞の死を悲しんで苦しんでいた時間があったはずだ。

 

 そう考えたら、焔硝の気持ちも理解できなくはない。愛する者を失う悲しみは、誰にも想像できない苦痛だ。

 

 ――だけどそれはそれとして、影と会おうとしなかった意気地無しなところは庇えない。

 

「いつか焔硝が前に進めるといいね」

 

 空はそう言うことしかできなかった。

 

 影は頷き、空になった湯飲みを見つめるのであった。

 

 

 

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