◆ ◆ ◆
最古の記憶――
然れども、存ぜぬ記憶――
私は孤児だった。
名もない孤児だった。
周りには私と同じ境遇の人間たち。
捨てられ、誰にも認識されることなく野垂れ死ぬしかなかった者たちだ。
運が良かった、と言えるのかもしれない。
そうして、物心ついた頃から年齢不相応な様々な教育を受けさせられた。
泣き言など許されない。
不出来な者は容赦なく捨てられた。
末路は知らないが、ろくなものではないだろう。
昨日隣に居たやつが、次の日には居ないなんて事が日常だった。
次は私かもしれない……
鉄格子と白い壁で区画された空間。それが私たちの生活空間。
監獄なんて表現が生易しい生活環境。
娯楽なんてものは存在しないし、そもそもそのような知識すらない。
そんなものは必要ないからだ。
最近になって、座学の他に戦闘訓練が課されるようになった。
しかし、その内容がまた凄まじい。
端的に言えば。
しかし、私は生きたい。
生きるために――まずはここを乗り越える。
そのためなら、容赦などしない。
――――
―――
――
―
私は選ばれた。
選ばれたのだ。
最古の記憶――
然れども、存ぜぬ記憶――
◆ ◆ ◆
「またこの夢か……」
目覚める。
……あぁ、最悪の目覚めだ。
止まらぬ動悸に視界が揺れる。
寝間着はじっとりとした汗で貼り付き、気持ち悪さを同時に掻き立てた。
カーテンの隙間から見える景色はまだ暗い。
午前4時を指し示す時計が視界に映り込んだ。
カチカチと時を刻む音が、私の耳朶を刺激する。
普段起きる時間まで一時間以上あるが、二度寝をする気分にもなれず、私はベッドから立ち上がった。
シャワーでも浴びよう……
いつからだろう。
こんな夢を見るようになったのは。
誰かの壮絶な人生を、主観で見続けるだけの夢。
身体は自由には動かせず、言葉も思い通りに発することができない。
その点から言えば、映画を見ているような――
いや、どちらかと言えば私が役者に成り代わったかのように感じられた。
しかし、どうしても他人事のようにも作り話のようにも思えなくて。
こんな記憶はないはずなのに。
私は何故かこれを識っていた。
夢の中の私は人間という種族を見下していた。
彼らは劣等種であり、我らこそが進化した優良種であると。
吐き気がした。
まるで自分が人間ではないような物言いだ。
姿見に映った夢の中の私は、どこから見ても人間だった。
腕が沢山生えてるとか、口から火を吹くとか、そんなものは一切ない。
どうしようもないくらい普通の人間だった。
でも、夢の中ではそうじゃなくて。
人間ではない事に誇りを持っていて。
でも、私は人間のはずで――――
「はぁ……」
短い溜め息と共に姿見を拳で叩いた。
鈍い音がシャワーから流れるお湯と重なる。
鏡に映った少女は、普段は眼帯で覆われている左目をこちらに向けていた。
その瞳に瞳孔はなく。
あるのは“六芒星を囲う赤竜の紋章”。
「私は……本当に人間なのか?」
人間であることに誇りを抱いたことなどない。
でも、人間であることをやめた覚えはないはずなのに。
この夢を見る度に、この瞳を搔きむしりたくなる。
私が私ではなくなる気がするから。
それがどうしようもなく気持ち悪かった。
-□-□-□-
「刀那も一緒に行こっ!」
そう叫びながらカウンター席へと駆けるリコリコの看板娘。
店長であるミカと共に食器を拭いていた刀那は、千束の声が自身に向けられたものであることを察し、その片眼を食器から千束へと移した。
事の成り行きはVRのアクションゲームであり、たきながアクロバティックな動きを披露したことから始まる。
黒色のトランクス。
流麗なバク宙を見せたたきなのソレ。
優れた目を持つリコリス筆頭の千束と刀那は、そんな些細なことでも見落とすことはなく。
しかし、年頃の女の子が身に着けるものではないと激昂したのが千束。
その気持ちはよく理解出来るが、そこまで怒ることだろうか。そう思ったのが刀那。
今回は価値観の相違が生んだ情景だ。
そんなこんなで、たきなの下着を買いに行くことになった千束とたきな。そしてそんな二人が(主に千束だが……)刀那を誘わないなどあるはずもなく。
しかし、刀那の返答は千束が求めていたものとは違った。
「すまない。明日はどうしても外せない用事があってね……」
「えぇ~、そんなぁ……」
「ぶ〜」と、そんな声が漏れそうな表情を見せる千束。
リコリスである彼女たちに休みは実に貴重なものだ。
安易に別日を設けることが出来ないことを、刀那は同じリコリスとしてよく知っている。
だからこそ、心苦しさを隠せなかった。
「折角仲良くなったんだ。こんな年寄りの事は気にしないで二人で楽しんできなさい」
「いや、年寄りって……」
少なからず湧き上がる罪悪感を、軽い冗談で流し込む。常人より遥かに少ない時間しかない妹分に、不満という感情は与えたくない。
でも、こればかりはどうしようもないことだから。
そういう決まりで私はここに居られるのだからと、刀那は自身の心に頑丈な蓋を被せた。
-□-□-□-
薄暗い建物の一室。
手入れの一切がされていないのか、壁や床の多くがヒビ割れ、その瓦礫が散乱している。
その建物を形成しているであろう鉄筋が剥き出しになっている箇所もあり、とても安全とは言い難い様相であった。
その中にただ一人佇む人影。
線の細い華奢な体躯に長い黒髪。
そして、紅色の学生服は膝丈くらいのスカート形状であり、その人影が少女であると判断できた。
しかし。
その情景は普通とはほど遠いもので。
彼女の足元に広がる夥しい量の鮮血と臓物。それの元であろう無数の亡骸。
硝煙と鉄、そして濃厚な死の臭いが充満する暗闇。
彼女がその手に持つ
惨状と言って差し支えない異常な光景を作り出した張本人たる少女は、細剣をその手に持ったままインカムの電源を入れた。
「敵対勢力を無力化した。本部、応答せよ」
鈴を鳴らしたような透き通った声が木霊する。緊張など感じさせない、日常会話の如く平坦な口調である。
呟くように紡がれたその言葉だが、少女以外誰も存在しない空間によく響いた。
『こちらでも確認した。速やかに帰還せよ』
通信機から聞こえる無機質な声に軽く溜め息をつきながら短く「了解」と伝える。
『労いの一つくらいあってもいいのでは』と思いつつも、『それはそれで気持ち悪いな』と擦れに擦れた思考がそのような反応を示す。
「はぁ…今から行って間に合うかな」
そう呟く少女の名は暁刀那。
刀身に付着した凝固しかけている血痕を振り払い、その
妹分である千束たちからの誘いを脳裏で反芻させる。
年長者である自分が彼女たちの間に入り込んでしまっては、折角の数少ない休日に要らぬ気苦労をかけてしまうのではと危惧していた。
結局任務もあって一緒に行くことは叶わなかったわけだが――
『後からでもいいから一緒に行こうよっ!』
『私も刀那さんと一緒に行きたいです』
そんな事を言われてしまえば断れるわけもなく。
でも、それと同時に嬉しいなんて思っていたり。
そんな内心を表には出さず、凄惨な現場から踵を返した。
彼女たちの出掛け先は既に知っているため、特に迷うようなことはない。
しかし、念のため確認しておいた方がいいだろうと、普段使っている携帯端末から千束の名前を探しているときだった。
『追加の任務だ』
そんな言葉が通信機から聴こえてきた。
確認するまでもなく楠木司令である。
『北押上駅に向かえ』
相も変わらず淡々とした指示。
思うところがないと言えば嘘になるが、自分に拒否権がないことも事実である。
漏れそうになった溜息を寸でのところで抑え、
「……詳細をお願いします」
自分でも分かるくらいに沈んだ声音で返答した。
これは長くなりそうだなと、千束たちに心の中で謝罪しながら、凡そ普段通りの歩調で目的地に足を進めた。
因みに結局溜息は漏れた。
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先日の銃取引は恙無く終了した。
銃千丁。平和ボケしたこの国のやつらには考えもしないことだろうよ。
事実、偽の取引時間にまんまと引っ掛かりやがった。
しかし、少しばかり勘のいい奴らも居るらしい。
雇われテロリスト共の失踪――実にきな臭ぇ。
「匂うなぁ。健康的で不健全な嘘の匂いだ」
閑散とした地下鉄の駅ホーム。
騒ぎを起こすんならどこでもいいが、今日は観客がいないみてぇだ。
まあ、手始めに起こすモンとしちゃあ地味だが、最初の祭りならこんなもんだろ。
「バランスを取らなくっちゃぁなあッッ!」
持ち寄ったアサルトライフルや機関銃をバックから取り出す。
凡そこの国の人間が一生に一度見るか見ないかの代物だが、戦争屋である俺にとっちゃ慣れ親しんだモンだ。
ありったけの弾を込め、いつでも撃てる体勢を整える。
「来る、来るぞぉ」
そうこうしている内に、電車の到来を知らせるアナウンスが響き渡る。
構内には
「始まりぃ、始まりぃ、始まりぃ――」
汽笛とも共に鳴り響く走行音。反響する到来の音は、地下鉄ゆえか如実に感じられるものだ。
そうして――
「ははぁッッッ!」
目一杯引き金を引く。
反動を全身を使って抑え込み、無造作ながら正確に電車へと命中させた。
激しく瞬くマズルフラッシュと大量に排出される空薬莢の音が瞳と耳朶を刺激する。
これがまた堪んねぇんだよなぁッッッ!
数秒。しかし、撃ち出される弾丸の数が凄まじい。
部下共も含めた一斉射撃で一瞬のうちに蜂の巣の様相を刻み込んだ。
間違いなく乗客は皆殺しに出来ただろう。わざわざ伏せて身構えてた奴がいるとは思えねぇ。
甲高いブレーキ音と共に停止する鉄の箱。
ホームドアと合わせて乗降扉が開く。
あんだけの銃弾を喰らっておいて、停止位置がズレないのは素直に感心するな。流石は技術大国ってとこか?
そんな呑気なことを考えていたとき――
「はぁ?」
乗降扉が開く。人っ子一人いない空っぽの車内が真っ先に視界に映った。
人外染みた聴覚を持つ俺が、息遣いや布ずれ一つすら聞こえないってことはホントに居ねぇみたいだが……
いや、よく考えりゃ可笑しな事が多い。何でホームに誰も居ない?時間的に乗客が増え始める頃だろう。それに腐っても首都だ。終電もまだまだの時間帯で人間が居ないってのはどう考えても――
トンッ
背後から響いた、何かを蹴るような軽やかな足音。
部下共は気付いていない。
俺の耳でようやっと聴き取れるくらいの音なのだから当たり前だ。
懐の拳銃を取り出しながら咄嗟に振り向――
「ッぶねぇ!!」
猛烈な殺気を肌で感じた俺は即座に構えを中断。
条件反射で逸らした身体の一寸先を銀閃が瞬いた。
硬質な風切り音と共に駆け抜けたソレは、最早目視など不可能なレベル。それこそ二度の回避は無理だと断定出来るほどだ。
転がるように部下共の近くに移動。
不敵に、しかし油断なく、その人物を視界に映した。
体格や服装から見て間違いなく女。
黒の長髪に怪我でもしてるのか、白色の眼帯。
華奢な体躯に纏う全身紅色の制服。
背は160後半くらいか。
風貌を羅列する。
ここまでの特徴はどこにでも居る学生であり、至極普通だ。
しかし、この場でそれはあり得ないし、その手に持つ二振りの
「てめぇ、
「……ふむ、だいぶ身体が鈍っているみたいだ」
ドスの効かせた誰何を、涼し気な表情で流す眼前の女。
無視をされたというよりも、緊張感を微塵も感じさせない物言いに、内心で舌打ちをした。
「君、年はいくつだね?」
「はあ?」
唐突に年齢を訊かれ、困惑を口に出す。
「私はもうすぐ
「なに言ってやがる」
「こんな仕事さっさと終わらせて帰りたいのだよ」
そう言いながら、悠々と歩を進めてくる。
その異様な雰囲気に、長年の経験で培われてきた警戒心が警笛を鳴らす。
感覚に狂いはないだろう。
臨戦態勢をとり、懐の銃をいつでも抜けるようにする。
部下共も同じなのか、いつでも発砲できる姿勢を作り出した。
「はッ!なら、とっとと引退しろよ嬢ちゃん」
パンッ!!
言い終わるよりも先に発砲。
小気味いい破裂音がホームに反響し、耳朶を刺激する。
心臓を狙った一射。
最も面積の広い胴体は、脳天よりも確実性が高い。
少しでも動きが鈍れば御の字だ。
そう思っていたのだが。
「は?」
奴の姿が視界から消えた。
一瞬たりとも視線は外さなかった。
聴覚に比べれば目は普通。若しくはそれ以下だが、この距離で見逃すほど腐っちゃいない。
一体どこに――
ザシュッ
視界の端で弾ける鮮血。
音がしたのは、俺の立ち位置から左後方。
本能的に距離を取りながら振り返る。
そして見た。
部下の胸から生える薄い金属の板を。
それが何であるかなど確認するまでもない。
やつが手に持っていた
いや、それよりも。
今の今まで目の前にいたやつが、なぜ後ろにいる?
さっきまでの姿が投影機なんかで作り出されたものじゃないってことは解る。
つまり、こいつのこれは純然たる身体能力だ。
イカれてやがる。
どんな脚力してんだよ……。
「……やべぇな」
そんな悪態をつく傍ら。
やけにゆっくり倒れ込む部下の後ろから姿を見せる。
緊張も強張りも、嘲りもない。それが当たり前であるかのような表情。
普通ではないのは解っていたが、こいつは尋常じゃない。
「これで残りは3人だ。精々気張りたまえよ、テロリスト諸君」