活動報告で予告した通り、本編ではなく閑話をお送りさせていただきます。
本編は、8/16(土)のC106が終わってから書こうと思いますので、ご了承ください。
帝国歴四八二年から四八三年 フェザーン自治領 惑星フェザーン
前の自治領主が暗殺されたことについて、大変なことが起こったなとは思ったが、それ以上の感情は抱くことはなかった。
人の恋文をレポート用紙にしてくれた恨みはあるものの、それ以外で特に私の「仕事」に干渉することもなく、それなりの歌手兼女優と超然とした自治領主の、所謂顔見知り以上でも以下でもなかった。三年半前、あの人との間を引き裂いてくれた高等参事官に比べれば、まだまともに付き合いできる相手だった。
だから現在。フェザーン公立高度医療センターの特別病棟待合室で、次の自治領主に内定した男と並んで座っていることは私にとって実に耐え難い苦痛だ。出来る事なら早々に立ち去りたい。だがそれを口にも顔に出すことなく、膝の上で重ねた両手の裏で、隠れた右手の親指の爪を左手の小指の腹に強く押しつけて堪えている。
「正直言えばフェザーンで一・二を争う若手美人女優を、こんなところに呼び出すのは私の趣味ではないんだが」
拳二つ分離れたところに座る褐色の禿頭の持ち主は、私ではなく廊下の壁を見ながら、いかにも不本意でありながらも秋波を含ませた、底力のある声で言う。
「私が新しい仕事につく前に、君に頼まざるを得ないことがあるので来てもらった」
「文法が間違っていらっしゃらない? それとも私の聞き違いかしら?」
「付き合う女性を選ぶぐらいの良識はあるつもりだが?」
真正面から浴びせた皮肉を、全く別方向からのボディで返してくる。恐らく一生好きになることはないこの男は、初めて出会った時から歳を追うごとに権勢を強大化してきた。
前自治領主が爆弾テロに遭った後。幾人もの自治領主候補が居た中で、一番若いこの男が選ばれた。私は事前に色々な人から話は聞いていたし、実際にこの男の底知れぬ迫力を知っているだけに『意外』といった評判には同意できなかった。むしろこの男しかいないだろうと思わざるを得なかった。
だからこそ今までこの男の誘惑には乗らなかったし、一対一で会うことは絶対的に避けていた。三顧どころか二〇以上は数えていないくらいの誘いを断っていたことで、この男もここ最近は諦めていたはずだった。
だが今回は断ることが出来なかった。呼び出した先がこの医療センターという事で、『そういうこと』を求められているわけではないとは想像がついていたが、呼び出される前に貨客船ランカスター号から、船舶定期点検の検査官から『整備不良により出港不可』の指摘があって、ドックから船を出せないという連絡があった故に……
「黒いフードは強力な盾にもなるが、同時に呪いも持ち主にかける」
「は?」
「呪いを避けるには強力な護符が必要だ」
どこからどう見ても無神論者で、呪いなど実力で粉砕する……そもそも護符など不要としか思えない男は、そう言うと安い造りのソファから立ち上がり、そのまま病室のある廊下へと歩みを進めていく。
その後ろを付いていくつもりはない……付いていきたくもないが、一度止まって太い首を廻してこちらを見る男の冷たい視線に私は逆らうことは出来ない。
殺風景とまではいわないが、画一的な塗装と特有の薬液臭が微妙に漂う廊下を進むこと二分。高度集中自動治療室の掲示のある部屋の扉を開けた男は、大きな瞳だけで中に入るよう指図する。その部屋の中はガラスで仕切られており、私達のいる手前は先程の待合室を小さくしたような造り。ガラスの向こうは青白い光の下で、幾つもの医療機械が作動している手術室のよう。
私はあの男ではない何者かに背を押されたようにガラスへと近づく。明らかに治療行為を行っている機械に四方を囲まれた中央部には白いベッドがあり、全裸の女性が身を横たえていた。
髪は全て剃られて頭部は固定。右目はない。右頬から右上半身にかけて重度の火傷を治療した跡が見える。右の乳房は無残に切り落とされ、幾つかの切り傷が残りながらも健在な左の乳房との対比が顕著。腹から腰にかけても左より右の方が重傷。そして右腕と右足の膝上から下の部分がなく、右上腕付根と右太腿部半ばには武骨な金属板と幾つかの端子や信号線が飛び出している。
思わず目を背けたくなるような凄惨。あまりにもいたたまれない姿に胸が張り裂けそうになる。それでも鼓動を伝える一定の機械音が、私に目を逸らすなと伝えてくる。
「例の爆殺事件に巻き込まれた被害者だ。これでも大分『マシ』になった方だ」
いつの間にか男は私の右前に立って、女性を見下ろしている。その瞳は日頃のパーティーで見かける力強さに欠け、より冷たく、そして悲しみのかけらを浮かべている。
「医者が言うには一命はとりとめた、ということだ」
「……私にこの人を見せてどうして欲しいのかしら?」
爆殺事件の被害者。しかもかなりの重篤。この男の言いたいことは容易に想像できる。だからこそ……
「自分が選ばれた理由を知りたい。そう言いたげだな」
「そうね。その通りよ」
心を読まれたというよりも、顔色から推測されたのだろう。どうにも気に食わないが、この男はそういう男だ。常に人を試し続けている。敵か味方か、ではない。自分の役に立つか、立たないか。役に立つとしてどの程度のモノか。いつ切ってもいい葦か、それとも取り込んでいざという時の切り札とするか。いずれにしても他人を自分の道具としてしか見ていない。
私はこの男の役に立とうとは思わない。道具になるつもりなどサラサラない。この体の、髪の毛一本に至るまで全てヴィックのモノ。ヴィックが望むのならば、どんなに笑われようと恥ずかしいことになろうと私は平気。勿論祖国でも友達でも、喜んで裏切って見せる。だからこそ今、ここでの『回答』を間違えるわけにはいかない。
この女性の面倒を見ろとこの男は言っている。経済偏重のこの国において、将来的な利益を生むような分野に対してはともかく、生活保護制度に対して民意はそれほど好意的ではない。金持ちによる私的な慈善事業は存在するが、あくまで慈善事業であって公的支援制度として確立されておらず、支援の度合いも千差万別。
死に物狂い、とは言わないまでもヴィックと別れてから歌手のタイトルを取り、女優業に勤しみ、稼いだお金を運用し、顔見知りになった人々との繋がりで、それなりの財産を築き上げることが出来た。医者ではないからわからないが、彼女が社会復帰するまでにかかる費用は、おそらくかなりの額になる。私ならなんとか支払えるだろう。だがこの男が言いたいのは、その程度の理由ではないはずだ。
「この方のご家族は?」
「いない。正確にはいるだろうが、いくら探しても誰だかは分からないだろう」
いたとしても彼女の治療費に尻込みして姿をくらますか、義絶する。それだけの治療費という事だろう。家族でもない私に、この女性を押し付けることは腹立たしいが、私が拒絶すればこの女性は恐らく……
「確認だけど、貴方ではないのね?」
「なり損ねた、というべきだな」
自嘲と共に零れる苦みを含んだ男の言葉に、私は必要以上にゆっくりと時間をかけて首を廻して男を見つめる。その顔には、今までに見たこともない無念さが溢れている。もしやこの男の心の中に愛というものが存在するのかと、そう思わせるほどに。であるならば、
「あなたが面倒を見ればよろしいのではなくて?」
「新しい自治領主が爆殺事件の被害者の面倒を見るのは確かにいい話ではある」
「……」
「だが『心中し損ねたご夫人を譲り受ける』のはごめん被りたいものだ」
男の言葉に私は、改めて横たわる女性に目を向ける。皺のない左の顔だけ見ればまだ若く、私と同い年か少し年上。残る左の乳房の張りと贅肉のかけらもない鍛え上げられた左脇腹は若々しさと力強さに溢れ、この女性が只者ではないことを示している。
だがそれでも隠しようのない下腹部に残る複数の妊娠線。前自治領主と心中し損ねたというのであれば、この女性は『ただならぬ関係』にあったと推測される。
そして公式には前自治領主に子供はいない。仮にいたとしても暗殺を恐れてしばらくは出てこない。伝えてきたのがヴィックでなければ、教えられても到底信じることのできない前自治領主を殺したという荒唐無稽な陰謀組織……『黒いフード』のおぞましい奴らの手の長さを恐れて……
「……私に『情人』となって呪い避けの護符を保管しろ、という事ね? あなたの為に」
「君の為でもあるし、彼の為でもある」
「どうかしら?」
この男がヴィックの心配をするなど、天地がひっくりかえってもあり得ない。私を通じてどうにかしてヴィックを利用しようとすることを考えている。辺境に戦地に手柄をたて、中央のそれも政治的中枢に深く入り込んだヴィックの地位と能力を。
私の瞼に焼き付いている読んだら必ず焼き捨てろという今までになかったヴィックの強い文字。そして勇猛精進なこの男ですら恐怖に怯え『護符』を必要と感じている背景。つまりこの女性を通じて、黒いフードに対する共同戦線を築きたいとこの男は言っている。逃げ道か、それとも犠牲の羊か。どちらにしろ、今の私に断れるだけの力はない。
それに第一、私に出来るだろうか。前自治領主ですら爆殺しうるような陰謀組織に対抗することが。たかだか歌と演技が人より少しばかり上手くて、少しばかり人脈があるだけの小娘に。
「私も少しばかり見誤っていた。心優しい軍事貴族の『王子殿下(プリンス)』など、虚実の戦場では何の役にも立たないと。いささか帝国での事例を見過ぎてきた故に、目が曇っていたと反省するばかりだ」
「……ここは『ざまぁみろ』と言っていいところかしら?」
「勿論だとも。彼は前自治領主を殺す直接的要因を作った男だ。半分以上は前自治領主の勇み足にしろ、床に油を撒いたのは彼なのだからな」
「意図的に、ではないのでしょう」
「意図的なら今度はマーロヴィアではなく、苦労とは無縁の場所に左遷されるだろう」
馬鹿馬鹿馬鹿と、二〇〇〇光年先で戦っているヴィックの、しなやかな厚みを持つ両胸を拳で叩きのめしてやりたくなる。出来る事なら今からでもシャンダルーアへと飛んでいきたい。しかしそうなれば、目の前のこの男は容赦しない。別れて以来、見知らぬ力に流されて、なぜかこの身体はヴィックからはぐれていく。
「情人になっても、心も身体も貴方に許すつもりはないわ。あなた、それでもいいわけ?」
ここで暴力による返答をされればお終い。周囲から人は遠ざけられている。助けを呼んでも誰も来ない。三〇センチに満たない距離にある太い腕が、今すぐにでも伸びてくるように思えたが、挑発に対して帰ってきたのは冷笑と諦観の相反する成分が含まれた声だった。
「見くびってもらっては困る。私には顔も体も君より数段優れた相手が、ダース単位でしか数えられん程いる」
「あら、そう」
「だいたい私に死姦の趣味はない。死体と一緒に寝たなどと、私にとってこれほどの屈辱もない」
精力自慢・愛人自慢など叔父さんの店でイヤという程見て来た。この男も実力では隔絶したものがあるが、所詮は男というところなのか。軽蔑の成分を存分に加えて吐き捨てたが、男は怒りを示すことなく、横たわる女性を指差して淡々と応じる。
「四肢が健全であれば、彼女は私の知る人間の女性の中で最強の陸戦技術の持ち主だ」
「……『寝所の楯(ラストシールド)』だったのね、彼女」
「この約定は君が彼女の『ご主人様』となれるかにかかっている」
男の声が一段と低く、そして重くなる。
「どのような方法でもかまわない。情に訴えるもよし、金で縛るもよし。ただし鎖は必ず握っておくことだ。この雌虎を野に放つことだけは許さない」
「放ったら?」
「古典オペラに詳しくないのだが、『トスカ』というものがあるらしい」
「十分詳しくてよ」
ただの自棄だろうがこの男にはそれが出来るし、自分の手を汚さずとも黒いフードが代わりにこなしてくれる。十分すぎる脅迫だが、逆に言えばこの女性は、たった一人で相対する規模の被害をこの男に与えることが出来るかもしれないジョーカーだという事。
この男としては是非とも手に入れたい最強の駒の一つなのだろう。だが彼女は前自治領主との特殊な、いや夫婦同然の深い間柄だった。そして命を助けた程度では、この男に感謝もしなければ靡きもしないくらい嫌っているし、もしかしたら命すら狙っているのかもしれない。
故に私を通じて間接的に無害化、あるいは支配下に収めたいと目論んでいる。実に愉快痛快。この男が家の事情で自宅で飼えない猫(雌虎)を、友達の家で飼ってほしいと頼むガキ大将と同じだという事に。
「いいでしょう。なにぶん虎を飼うというのは初めてですから、『不注意』は幾つもあるでしょう。けれど、人生、モノは試しですわ」
恐怖がないと言えば嘘になる。失敗すれば私は塔から身を投げることになるのだろう。だがそれでもかまわない。もし私が死んでもヴィックが私を愛しているのなら、私にとっては些細な事。天国に国境はない。私が笑みを浮かべて応えると、男は一度だけ太い眉を上下させた後で、含み笑いを浮かべる。
「結構。君がちゃんとした飼い主になるのであれば、『自家用車』の燃料は今後一切エネルギー公団の支払いで構わないとも」
「随分とお気前のよろしいですこと。なれば『情人』の契約書もご用意した方がよろしいかしら?」
「是非ともそうしたまえ。繰り返すようだが、私は死体を抱く趣味はないし、それに……」
「それに?」
「もしこの雌虎の忠誠心を君が獲得したとして、私が君を襲うような真似をすれば、売り物にならない血液入りの板チョコレートになるだけのことだからな」
それの何がおかしいのか、男は声を上げて笑いながら私に大きな背中を向け右手を小さく振りつつ、治療室の扉から出て行った。音もなく閉じられたスライドドアから視線を再び横たわる女性に向ける。
任務の失敗以前に愛する人と心中できなかったことに対して、彼女は絶望を覚えるかもしれない。私が同じ立場であれば、自死を選ぶだろう。目を覚まさない方が彼女にとって幸せに違いない。
「そう言えば、この人の名前、なんというのかしら」
肝心なことを聞き忘れたと私は自嘲しつつ、目の前の手術の様子を眺めるのだった。
◆
あの女性が意識を回復した、と連絡を受けたのは手術室での出会いから一ケ月経った後の事。私は帝国貴族風のドラマ撮影が終わった直後だった。
「サン・ピエール様、どうかご注意ください」
病院に着いて早々、出迎えた担当医はゼリーパームを張り付けた顔を歪ませて、私にそう警告した。
「意識が回復した途端にベッドから立ち上がり、点滴を抜いて病室を出ようとしました。私や看護師がベッドに戻るよう言っても聞かず、ついには暴れました。今は鎮静剤と麻酔薬で無理やり眠らせて、拘束衣も着せております」
どんな人間でも一カ月も寝たきりであれば筋力は衰える。その上右腕右足を失っている状態にもかかわらず、ベッドから立ち上がって大立ち回りなど、もはや人間とは思えない生命力。感情は物理を超えるのかもしれないが、女性の背景の一端を知る私としては、これから飼い主になる以上、冗談では済まされない。
そして医師に諭された女性看護師に案内された先は特別病棟。出入口にはさりげなくセンサースキャナが設置され、武装した警備員が無関心な目を光らせている。
「こちらです」
お辞儀と共に開いた第三三五号特別室は、病室というよりは高級ホテルのスイートルーム。本物との違いは壁紙が数か所剥げていて、ドレッサーの鏡がなくなっていて、絨毯の幾つかに奇妙な凹みがあり、医療器具の一部が露出していることぐらい。
扉が音もなく閉められ、私は否応なしに枕元に近寄った。赤い夕陽が深く差し込む中、鋭い何かで切り裂かれた革張りの座面に腰を下ろして、穏やかな笑みを浮かべて眠る彼女の横顔を見つめる。残っている左の横顔を線対象で張り付ければ、幼さの中に艶気を隠した『男殺し』そのものだ。
「私の名前はドミニク=サン=ピエール。不本意だけど今日からあなたの支援者になることになったわ」
静かな寝息は私の言葉に応えることはない。ようやく耳に届くくらいに音量が落とされた心拍計だけが、一定のリズムを奏でている。小さなスナックにあった懐かしいメトロノームのように。
「あなたのことについては譲渡先から引継ぎを受けているわ。背景の全てを知っているわけではないけれど、あなたを死なせないように逃がさないよう言いつけられているのよ」
麻酔が効いているうちは、返事はないだろう。外せない仕事というほど重要でもないが、一応は仕事をキャンセルして呼ばれて来たのに寝落ちというのは、ささやかに不愉快ではある。病院側もパニックだったのは分かるが、一報入れて欲しかった。
これも一応はプライベート。芸能事務所から付けられているマネージャーを使うことは出来ない。裏家業というか、そちら方面は私自身が掌握しているものの、これ以上規模を大きくするには、人を雇うしかない。
そうなれば彼女を個人秘書として雇うことになるのだろうか。前自治領主の最後の楯として雇われていたとすれば、暴力の面では頼りにしてもいいだろうけど、スケジュール管理のようなことは出来るだろうか。それ以上に彼女の意志を無視して決まったことを、彼女は受け入れることが出来るだろうか。
滑り止めに何本も傷が入っているベッドサイドレールに頬杖をつき、枕元に貼り付けられているパーソナルデータを見眺める。性別は女性。血液型はAB型Rh+。患者番号は1978J1219F-FZSS。それ以外の情報は書かれていない。子供を産んだことのある、名無しの女性。
「私は相当の覚悟を持ってあなたを迎えたわ。次はあなたの本当のお名前、教えていただけないかしら」
「晴……妍(チン・イェン)……程晴妍(チェン・チン・イェン)」
錆びた鉄の板を擦り合わせたような、かすれて乾いた生気の乏しい声に思わず視線を向けると、残された濃いブラウンの瞳が見開いて私をじっと見つめていた。心拍計のテンポは全く変わらず、少しばかり生えてきた眉も動かず、表情が一切感じられない人形のような左半分の顔が、私を強烈に非難しているようにも見える。
「……起きていたのなら教えてくださいな。ミセス・チェン」
「黒狐に言われて殺しに来てくれたと、僅かに期待していたのですが残念ながら違うようで」
小さな溜息が縫合された唇から洩れている。喉の痛みを感じていると思って枕もとの吸口に手を伸ばそうと腰を上げようとしたら、彼女の拘束の緩い頭部が僅かに左右に揺れるのが分かり、再び座椅子に腰を戻して問いかける。
「全く逆のことを頼まれたわ。失礼だけどあの男とあなたは一体どういうご関係なのかしら?」
「今度会ったら市場で売れない血液入りの板チョコにしてやるくらいの『ご関係』ですよ」
「……っくっっっ」
思わず息が喉奥をつく。似た者同士というのか、それとも板チョコに何か二人の因縁があるのか。聞いてみたい気もするが、多分教えてくれないだろうことは容易に想像がつく。だが私の様子を見て、彼女の瞳は呆れたような、諦めたような色を浮かべている。おそらくこの雰囲気だけで、私とあの男の関係をだいたい想像できたのだろう。言わなければならないことを言ってもいいと、彼女が許してくれたような気がした。
「もうわかっていると思うけど……前自治領主ワレンコフ氏は……」
「わかってますよ。なにしろ『一番近くで』見てましたから」
あの男に依頼されてから何度も見返したニュース映像と、放送局関係者に頼んで秘密で譲ってもらった公共交通局の監視カメラ映像。
爆弾を胸ポケットに入れたと言われる中年の男が、最初は通りすがりの一般人のようにゆっくりと。そして二〇メートルを切ってから駈足に。その後はまるで一流の短距離走選手の如きダッシュで。気づいたSPが銃を抜く脇をすり抜け、若い女性SPの開けた扉から地上車に乗り込むワレンコフ氏へ向かう。
事態に気付いた女性SPの叫声に、ワレンコフ氏は犯人に視線を向け……自分の右脇から飛び出し、車へと押し込もうとする女性SPを、逆に庇うように扉の向こうへと押し返した。その直後に爆弾は起爆し、映像は途切れる。
「馬鹿な人です。せっかく戻ってきた『最後の楯』を使わないなんて」
その掠れた声には同情も憐憫も含まれていない。むしろ諦観と言った方がいい冷たい声だった。愛した男が死んだ悲しみなど一切ないようにも思える。心拍も少しだけ早くはなっているが、一定のテンポを刻み続けている。
「……その、貴女はワレンコフ氏の『いい人』ではなかったのかしら?」
「わたしが勝手にそう思っていただけですわ」
「……そう」
涙を流すどころか想像していたよりもはるかにドライな回答に、私は言葉に詰まった。人を愛するという基準は人それぞれで違うとは知っていたが、相手が亡くなったらこんなにも簡単に割り切れるのだろうか。傷つくだけの生き方をしてきたのかもしれないが、断れない話でこの女性の面倒を見ることになる未来に、早くも暗雲が漂ってきたように思える。
「それで断れない筋からあなたの面倒を私は見ることになったのだけれど……」
「えぇ、ありがとうございます。『ご主人さま(マスター)』」
今度ははっきりとわかる嫌味が込められている。本当にこの人に右眼と右腕と右脚を用意していいものか、判断に苦しむ。この女性に鎖を付けるのはとうてい叶いそうにないし、行動の自由を得られれば逃げ出すのは明らかだ。返答に窮する私に、治療中の右頬を引き攣らせるようにして冷笑を浴びせてくる。
「『ご主人さま(マスター)』は止してもらいたいわ」
「ではなんとお呼びすればよろしいです? 『女主人様(ミストレス)』ですか? 『飼主様(ペットオーナー)』ですか? もしお好きなら『女王様(マジェスティ)』でも?」
「随分と口は達者なようね?」
「お気に召さなければ、殺処分で結構ですわ。使えない猟犬はそうなるべきですし、もう思い残すことはないので」
「産んだお子さんのことは思い残すことではないの?」
思わず出た私の言葉に、心拍計が瞬時に反応した。脈拍だけでなく血圧の異常を知らせる警告音が部屋中にけたたましく鳴り響く。三〇秒かからず扉の向こうから先程の医師と看護師が飛び込んでくるが、横たわったままの彼女の姿と離れて座っている私の姿を見て、ホッと溜息をつくと拘束衣に接続されているバイタル測定器の画面を確認し、『あまり患者を刺激させないでください』と言い放ってそそくさと戻っていく。
「……子供たちの事は信頼できる親切な人に託したので、思い残しはありません」
血圧と脈拍の警報が収まっても、荒い息が収まることはなかったが、彼女はそこから振り絞るように言葉を吐く。
「その人は本当に信頼できる人なのかしら? お子さんはまだまだかわいい盛りでしょう? もしかしたら売り飛ばされたりするかもしれない。ひどい目に遭っているかもしれない。でも私なら……」
「……」
「私なら何とかして見せるわ。必ず貴女と一緒に暮らせるように手配して見せる」
「……うふっ……ふふふふっ……」
だが彼女は私の『脅迫』に笑いで応える。怒りを通り越した笑いではなく、本当に可笑しいといった笑い。一〇秒、二〇秒、三〇秒……少なくとも一分以上。彼女は拘束衣に包まれ身動きできないまま笑い続けた。
「……可笑しかったかしら?」
「えぇ、十分堪能させていただきましたわ。うふっ……いえ、まだダメかもしれません」
「可笑しい理由、教えていただけるかしら?」
「そう、ですね……」
そう言うと視線を天井にむけ、しばらくしてから『いいでしょう』と自らを納得させるように呟くと、それまでになかった穏やかな眼差しを私に向けて言った。
「私の子供の事は、恐らく貴女がこの世界で一番愛しているであろう私の五番目の子供に託したので、問題ありません」
「……は?」
文章として成り立っていない回答に、私の思考回路は迷走する。確か全然別件の子供探しの件で友人のミリアムを通じて、ヴィックから依頼を受けていた。数本の髪の毛とDNAデータ。そして商業国家フェザーンの闇の一つである『人間牧場』事件の概要と、奪われた四人の子供を追い続けた一人の女性が残した記録。まさかというか、偶然なのか、それともこの話を込みにして、あの男はこの女性を私に預けたのか。いやそもそも……
「ヴィックのお母様はかなり前に亡くなっているし、レーナ伯母さんはハイネセンにいるわ……」
「えぇ。ですから私はヴィクトール=ボロディンの『三番目の母親』です」
「ちょっと、ちょっと、待って。ミセス・チェン」
子供の母親はヴィックの部下で、秘書を務めていたという。フェザーン人がスパイとして国防委員会事務局に入り込んでいることに軽く失望を禁じえなかったし、女性秘書という事で少しばかりヤキモキしたのも否定できなかったが、マイクロチップに残されているその女性秘書は確か……
「あなた、四六歳、なの?」
「次に同じことを喋ったら、その口を調理糸で縫いつけるからな、小娘」
「……」
同じ声なのに口調だけでこれだけ変わるという実例をまざまざと見せつけられて、私は力なく椅子に腰を落とし、鏡のなくなった鏡台に目をむける。拘束衣が無かったら、今頃はああいう風になっていたと容易に想像できる故に。
そんな私を見ていた彼女はゆっくりと殺気を消していくと、再び穏やかな視線を私に向ける。こちらにおいでと手招きしているような視線に、私は椅子から立ち上がって彼女に顔を近づける。
「レディ・ドミニク。貴女は貴女なりにいろいろと頑張っているみたいだけど、今のままでは『黒いフードの奴ら』どころか、黒狐の手先にも対抗できない」
耳を口元ギリギリに寄せてようやく聞き取れるくらい小さな囁きに、私の心は震える。
「それどころか息子の足を引っ張ることになりかねない。それは貴女の本意ではないでしょう?」
「えぇ……」
「私の息子は、貴女にとって誰よりも大事な人でしょう?」
「……えぇ、世間では言えないけれど、ここでなら胸を張って言えるわ」
「だから私が教育してあげましょう。情報戦の基本からじっくりと。なにしろ嫁の教育は姑の仕事ですからね」
最初は単なる社会復帰の手伝いだったはずの話が、何かとんでもないことになってしまったのは、それから続く嵐のような事態の推移でも明らかだった。
意識を完全に回復したミセス・チェンが拘束衣を解かれて自力で食事を取るようになり、義眼と義手と義足が届いてからはさらに治療が進み、リハビリも順調にこなして退院したのが出会ってから三か月後。医師も看護師もその驚異的な回復力に、ようやく厄介払いできると涙ながらに喜んでいた。
取りあえず住まいは私の住む防犯機能付きマンションにしてもらったが、彼女は強盗のように家捜しして私の銀行通帳を取り上げ、フェザーン行政区画にほど近い治安の良い区画の建売住宅を購入し、まだ働いている叔父さんと一緒に引っ越させた。
そこからはまさに虎に翼を与えた如くやりたい放題。私の私設秘書と名乗り、勝手に私のスケジュールを組むのはまだかわいいほうで。芸能事務所と丁々発止のギャラ闘争を起こす。複数相手に仕手戦を仕掛ける。得た資金で中小恒星間輸送企業と宝石取扱企業を買収する等々。損をほとんど出さないで、私の資産をたった数ヶ月で一〇倍近くまで膨れ上げさせた。
「レディには歌と演技と囁き話以外に、もう一つ絶対的な強みが必要ですわ」
薄いグレーのスーツに身を纏み、度の入っていないバレル型のメガネをかけた『どこにでもいる三〇代前半の女性公務員』という容姿に変身した彼女は、そう言うと私とミリアムに鉱物(宝石)学を叩き込んだ。どんな伝手があったのか分からないが、基礎地学・宇宙資源学・鉱物学の講師を私の自宅に呼び、一対二のプライベート講義を行わせた。
新婚なのに巻き添えになったミリアムは最初盛大に不満をぶちまけたが、講義が面白過ぎたのか次第に航海中も自学自習するようになり、すぐに宝石鑑定士の資格を取ってランカスター号で宝石取引を行うようになった。
私もミリアムに遅れて資格を取ると、今度は宝飾関連企業から声がかかるようになった。ただのCM出演だけでなく、企業間の仲介役まですることになり、その謝礼や何やらを使ってまたミセス・チェンが一稼ぎしてくるので、私の資産は泡のように膨れ上がっていく。
これだけ見れば今年のシンドバット賞も夢ではないくらいだが、ミセス・チェンは公表することを拒んだ。あくまでも知っている人だけが知っていればいい。運がいいのか悪いのか、『自治領主の情人の一人』という口が裂けても言いたくない立場が、有形無形の壁となって隠蔽効果を押し上げてくれる。
そうやって一年もするともう働かなくてもいいくらいの資産をミセス・チェンのお陰で作り上げたが、それでも私は自分が歌手だと自覚していたので歌の仕事はやめてもいないし、週に一度は必ず叔父さんの店で歌うようにしている。私目当ての迷惑客がいないわけではなかったが、その店に前触れもなく現れるあの男のお陰で、今のところ大事になったことはない。もっとも一番迷惑な客こそ、この男なのだが。
私はいつものように、使い込んだカウンター席の一つを大きな体で占領しているあの男の隣に座り、酌をして軽く話をする。話している内容は大したことではない。だいたいは男の愛人自慢で、それに少しだけ『伏線』が混じっている。何か金になるような話が聞こえないかと聞き耳を立てている気配を背後に感じつつ、いつものように深紅のリキュールを傾けていると、男は急に思い出したかのように口を開く。
「お前が帝国方の仕事をあまりしないのは、なにか理由があるのか?」
分かっていても惚けて聞くこの男の口ぶりに腹は立つが、この場で逆らうようなことは口にしない。ヴィックの事はよほど記憶力の良い常連以外もう覚えていないが、その常連も「自治領主とあの若造だったらどちらを取るかは当たり前」と『理解』している。だからこそ回答には気を付けなければならない。
「特に理由はないわ。普段から帝国の言葉を使っているので、同盟の言葉を使える機会があればなるべく逃したくないだけ」
ぞんざいな口調で話してもこの男は気にしない。そうすれば周囲に『立場』を暗に示すことが出来る。それ自体が重要な武器になるとミセス・チェンも言うし、私も理解している。たいていこの男は聞き流すのだが、今夜に限っては直截に言い返してくる。
「商売を大きくしたいのであれば、天秤の傾きは小さい方が良い。おそらくお前の目付役(シャペロン)も常々言っているだろう?」
「そうかもしれないけれど、私はあくまで歌と演技と石弄りしかできない女よ」
「そう思っているのは、お前とお前を知らない奴らだけだ。残念ながらな」
男の大きな瞳が私を飛び越え、テーブル席の一つへと向けられる。視線の先には黒いキャバドレスを纏って、両手を合わせて客に笑顔を浮かべながら話を合わせている二〇代前半の女性がいる。正体は言うまでもない。
「近いうちに若い男がお前に依頼してくる。話ぐらいは聞いてやれ。別に取って喰ってもかまわんぞ」
ポンというよりドンといった力具合で男は私の背中を叩くと、カウンターの中にいる叔父さんを一瞥してから店を出ていく。私は男を見送ることなくリキュールを傾け続けると、空いた男の席に若い女が代わりに座り、男が傾けていたウィスキーグラスを二本指で摘まんで揺らしながら、身体を私に傾けてくる。
「オーナー、ダブル、お願いしま~す。あ、それとぉ、明日はお休みさせてもらっていいですかぁ?」
間延びする若くて張りのある声。まだ何も知らない入店したての若い娘が、オーナーバーテンダーと実質オーナーの有名歌手に、空気を読まず休みを強請っているようにしか見えない。だが中身はダブル(相反二重依頼)が来ている。明日(明晩)そのうちの一方がお休み(自宅来訪)ということ。受ける受けないは私に任せるという問い。あの男の実質的な命令である以上、断るという選択肢はない。
「いいわよ。せいぜいご自慢の家庭料理(背景調査)で彼氏(来訪者)をもてなしてあげればいいじゃない」
「ありがとうございま~す。あ、それとオーナー。これ汚れてるんで、捨てちゃって(選択は一方のみ)くださ~い」
「あ、あぁ……わかったよ……」
ウィスキーグラスを揺らして見せる若い女から、叔父さんはおっかなびっくり受け取ると、近くにあった紙に丁寧に包んでからダストシュートに落とした。この若い女の正体を知っている叔父さんの恐怖は、血のつながらない親戚でなくても十分理解できる。
以前、同じようにあの男が使ったウィスキーグラスを捨てずに洗って戻したら、翌々日なぜか店内全てのウィスキーグラスが新品になっていたことがあった。そんなことで今では週に一度、一個ずつ、新しいウィスキーグラスが増えている。
同盟でも彼女はヴィックの秘書をしていた。きっと今の叔父さんのようにヴィクも戸惑っていたことだと思う。その容貌から『もしかしたら』と思わないでもなかったが、その僅かな疑念を見透かすように彼女は私の耳元で「近親相姦の趣味はございませんことよ」と囁く。
そうかと思えば同盟軍でヴィクが私より年下の赤毛の女の子を大事に扱っていたとか、従妹さん達はたいそうな美人に育ったとか、戦地の部下は揃いも揃って癖の強い美女『達』だとか、私を煽って止まない。煽って試して楽しんでいる風情すらある。そういう風情があの男によく似ているわよ、と言ったら、一度本気で嫌そうな顔をした後で「姑は常に嫁を試す宿命がある悲しい生き物なのですわ」と噓泣きするから始末に負えない。
だからこそ急なアポイントという事で私の家を訪れた、砂色の髪と砂色の瞳を持つ穏やかな容貌をした背の高い若い男を見て、ミセス・チェンは好奇心と警戒心を含めた視線を、背後から私に向けて鋭く突き刺してくるのだ。
「はじめてお目にかかります、フロイライン・サン・ピエール。私はナータン=ベッカーと申します。突然の申し出を快くお受けいただき、光栄の至りです」
訛りのない、古風で、それでいて貴族風でもない、温和で誠実な人柄をうかがわせる優しい声に、私は瞼を閉じて昔に帰る。たった五年前の思い出。暖かな時間に想いを馳せ、改めて心の紐を引き締めてから瞼を開き、この眩しい帝国軍の好青年を見つめ返すのだった。
2025.8.12 更新
2025.8.13 冒頭年月ミス修正
2025.8.14 文脈修正
C106に参加いたします。
8/16(土) 東H-04b (東7ホール)『市蔵文庫』でお待ちしております。
新刊は本編第4巻『五菱星の対価』になります。既刊も若干持参予定です。
それと下手絵のクリアファイルも作りました。4巻の特典ですが余剰分(大体30部)
無料で頒布いたします。
3巻の残余ポストカードも同様に頒布いたしますので、ぜひお立ち寄りください。