ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~   作:平 八郎

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遅くなりました。

次の戦い迄のつなぎ回となります。
中々うまく書ききれませんでした。冊子にするときはこの辺りはもっと圧縮したい
ところです。


第120話 獣と人間

 

 宇宙暦七九一年 一二月二八日 シャンダルーア星域アルエリス星系 第五四補給基地

 

 つぎは三面に行くと思っていたら、いきなり最終面のラスボスが出てきたような違和感。

 

 とりあえずお祭り騒ぎを収め、襲撃犯を医務室に移動させ、後始末をビューフォートに任せると、サトミ大佐を小会議室に案内する。本来は艦長室に案内すべきだろうが、機械工学に知見のある敵性人間を自室に呼び込むつもりは毛頭ない。

 

 マシンで入れたコーヒーを二つ。一応相手が先任であるが、この艦の艦長は俺で相手は来訪者。立場は同等ということであえて対面ではなく横に並ぶように置くと、サトミ大佐はお辞儀をする私服姿のドールトンに笑顔で「美人の入れたコーヒーをいつも飲める隊司令は幸せ者だね」とお世辞を言ってから、席に着いた。

 

「任務後の半舷休暇時に押しかけて申し訳ない。ボロディン中佐」

 

 視線だけで小会議室から出ていったドールトンを手振りで見送った後、コーヒーを一口すすった後、サトミ大佐は軽く俺に向かって頭を下げて言った。

 

「しかも年末の忙しい時期に……あぁ、ボロディン家は新年について特段、祝うことはないのかな?」

「新年パーティーは開きますが、家族内だけです。サトミ大佐は違うのですか?」

「私の故郷では新年の前後は長い休みをとる風習があって。民間人は長い休みを取るため年末に仕事を詰めるし、公組織は何故かそのタイミングで普段以上に仕事を押しつけてくる」

 

 それは大佐にとっての遠い祖先が、前世の俺と同一である証拠。ムライに限らず地球時代よりかなりの年月が過ぎているにもかかわらず、生き残っていることは若干であるが郷愁を覚える。

 

「だから私など新年が近いというと休みが取れる喜びより、仕事や宿題・テストを詰める苦しさのイメージが強い。期日をずらして取った休みなどあっという間に過ぎていくものだから、ありがたみも感じない」

「サトミ大佐はもしかして軍外のご出身ですか?」

「さよう。エリューセラ星域アシナガタ星系自治政府保安庁艦船技術部の出身だ」

 

 徴兵にしろ、専科学校出身にしろ、年始休暇というのは一日かあって二日。一七・八歳で軍のスケジュールに組まれることを考えると、年末年始を仕事で休んでいたということは軍とは別の組織に所属していた経験があるということ。軍以外の世界を知っているということ。

 

「アシナガタ保安庁はお下がりの旧式駆逐艦と工作艦の小規模混成集団だ。星域管区警備艦隊と任務が重なる上、連邦警察組織である航路保安局とも重なる。法的には地域警察組織として逮捕権の優位であっても実力では全く歯が立たず。手柄は奪われ、平然と見下され、街中で役立たずと罵られたことは一度や二度ではない。若い頃はそれが本当に嫌だった。それで幹部候補生養成所の整備指導経験者推薦枠に二四で入隊した」

 

 それは相当に狭き門だ。徴兵でも専科学校出身でもない軍外の一技術者が、いきなり幹部候補生養成所に入るのは奇跡に近い。保安庁も一応は準軍事組織とはいえ、秩序も規則も何もかも違う。

 幹部養成所を卒業すれば少尉に任官される。士官学校も専科学校も出ていない二五歳の技術少尉が、辺境の補給基地とはいえ船渠(ドック)長・大佐となるまでに重ねてきた労苦は、容易に想像できる。

 

 しかし今、俺の前で大佐が自分の経歴を話す理由はなにか。来訪が襲撃犯の解放が目的なのは疑いようがない。一応エリートと目される俺に対して、自身の経歴を辺境勤務の労苦とを重ねて、襲撃犯に温情を示してもらいたいということか。

 

 大佐が襲撃を主導したにしてはあまりに稚拙に過ぎる。ただ主導した人間が大佐を動かせる立場にある人間であるというのは間違いない。俺の知らない人間であれば別だが、知っている人間であれば三人。うち一人は関係が薄すぎてわからないが、一人は任務に出ていてアリバイがある。

 

 残りの一人。補給基地にあって俺が三人にぶちのめされ、二人が凌辱されることを望んでいたであろう男が、現時点で俺とは利害対立のない大佐に泣きついた。その浅ましさと情けなさに反吐がでるが、ここで大佐に内心を悟られるのは不利になるので、表情筋を駆使してあくまでも大佐の昔話に付き合う体をなす。

 

「軍内でも中央と辺境において同じ格差がある。いつでも太陽光を浴びることができ、休暇となれば溢れんばかりの娯楽にアクセスできるハイネセンに対し、岩塊をくりぬいた空間天井に映し出される疑似太陽と、限られた余暇しかない辺境。軍人としてというより人として与えられてしかるべき権利が、辺境では著しく制限されている」

「そのために赴任期間が一期二年とされているのではありませんか?」

「基地要員の赴任期間は一期二年半だ。この基地ではオブラックと私が六年目で最長になるかな」

 

 昇進もせず六年間、同じ基地で同じ任務をこなす。懲役刑と何ら変わらない。帝国軍の襲来がない場所であるといってもここは最前線基地。通常休暇以外に一年目に一ケ月、二年目に三ケ月の長期休暇が与えられるとはいえ、ハイネセンから一八日以上かかるこの基地では、あまり意味がない。

 

 中佐から大佐への平均昇進経年は五年。大佐から准将へは六年と言われている。階級が高くなるほどポストの問題もあって昇進年数が長くなるが、大佐・准将でも実働部隊の場合戦死の可能性も高いので、意外とポストはある。つまり後方勤務職は武勲を上げにくいゆえに昇進が遅いということか。

 しかし能力不足を疑われるオブラックはともかく、経歴は異端であっても優秀な技術士官と評されるサトミ大佐は、一体何をすればそれだけ中央から忌避されることになるのか。

 

「五〇も過ぎた私には、今さら出世など考えてもいない。だが基地要員の下士官や兵達は違う。通常より高く功績値を認められることを望んで赴任した辺境勤務は、精神的にも肉体的にも若い彼らにとって想像以上に過酷だ。規定通りでも二年半。場合によれば二期・五年。青春の大半をこの灰色の辺境で食いつぶすことになる」

「……」

「君達船乗りのように戦死することはないが、ただひたすら単調な毎日が続き、精神的に追い詰められていく。そういうところに君のような顔もよくスマートな若い上級幹部が、これまた上玉の女性士官を連れているのを見て、いいか悪いかは別として快く思わないのも無理はない」

 

 そういう辺境の事情も慮って、三匹のデカ豚を解放しろと言いたいのだろう。事態の全てを監視カメラで確認しているからこそ、俺に対して理ではなく、情に訴えてきたわけだ。もし俺がブタ共にボコボコにされ二人が凌辱されていたら、サトミ大佐はどう対処しただろうか。容易に想像できるだけに、これ以上大佐の長話を聞いても意味がない。

 

「サトミ大佐」

 半ばまで飲んだコーヒーカップをテーブルに戻してから、大佐に正対する。

「私は一応船乗りですので、あまり上品な言い回しが得意ではありません」

「そうかね?」

「故にはっきりと申し上げますが、どのような事情があろうとあの三人を許すつもりは毛頭ありません。艦内にて捜査班を編成し、彼らの行動と罪科を調べ、軍法に則り処理いたします」

 俺の回答に、サトミ大佐は目を見開き、顔に一瞬怒りを浮かべたが、直ぐにそれを隠すように、落ち着いた口調で応じてくる。

「それには及ばない。彼らと貴官らに何らかのトラブルがあったとしても、それは補給基地の敷地内で発生したことであって、基地警備隊が対処することではないか?」

「上官反抗罪、脅迫、暴行未遂、不許可武器携帯、部隊所属章不携帯、身分証不携帯。同盟軍人では考えられぬ行動をとる『帝国軍諜報員』を発見、拘束したのです。本来即座に銃殺しても軍法上問題ありません」

「帝国軍諜報員などと……そんな強弁が通じるとでも……」

「基地内で行動する哨戒隊指揮官を尾行し、こちらの身分を確認した上で襲撃したのです。前線基地において上級幹部を狙った帝国軍のテロ以外に何が考えられるというのですか?」

「しかし彼らは基地要員にすぎない」

「ではサトミ大佐は彼らの所属部隊を『ご存じ』なのですか?」

「……」

 

 もし知っていたとしても答えられない。知っていれば俺がその所属部隊の背後関係を洗い出しにかかると理解しているから。彼らを帝国軍諜報員だと露にも思っていないのをわかった上で、俺が脅していることも理解している。

 

「緊急信号を発しても、乗艦乗組員が救援に駆け付けてもなお、基地警備隊は現場に到着することもない。開閉自在のはずの展望室扉が、襲撃のタイミングだけ都合よく電子ロックされていた。まともに基地管理も警備も出来ず、帝国軍諜報員の跳梁跋扈を許す。そのような基地警備隊を信用しろというのは、さすがに無理です」

「信用するしないの問題ではない。軍内部将兵間のトラブルに関する捜査権は基地警備隊にある。初動が遅れたのは確かに問題ではあるが、辺境ではトラブルに比して基地警備隊の人数は少ない。正式な指揮官である基地副司令は病気療養中だ。漏れは当然出てくる」

「では基地警備隊指揮官代行であるオブラック中佐が、なぜ私のところにその理を説きに来ないで、サトミ大佐がわざわざいらっしゃったのです? この件に関して言えば、サトミ大佐。あなたは部外者であるはずだ」

 

 俺やドールトン達が医療ケースに運ばれるような事態になっていたら、奴は嬉々としてディスターバンスに来ただろう。ドールトン達には手出しはするなと、三人に言い含めていたかもしれない。それに乗じてドールトン(とレーヌを)口説きにかかってもおかしくない。ただ俺が一応それなりの陸戦技能を有していることを、奴が知らなかったことで計算外が生じた。

 

 そしてサトミ大佐としても、部外者で『ある』とも『ない』とも答えられない。あの三人が船渠要員であれば管理者はサトミ大佐であり、管理責任を問われる。部外者だとしたら地位を使って犯行をごまかそうとする『意図なき共犯者』になる。

 俺が『今後の事(補給・修理事情)』を考慮して、大佐に三人を引き渡すと思って、オブラックがお出ましを願ったと、なにより大佐自身が自白してくれたようなものだ。

 

「もし私が抵抗に失敗すれば、部下二人は凌辱される状況だったわけです。私がこの事態に対し、どれだけ怒り狂っているか。ご理解いただけないようでしたら大佐と話すことはもうありません」

 

 俺は席から立ちあがると可能な限り無表情を繕い、視線を大佐から逸らすことなく、右腕を伸ばして小会議室の出口を指し示す。しかし大佐は席を立たずに、真正面から睨み返してくる。

 

「それは貴官の言い分に過ぎない。彼らにも言い分はあるだろう。状況を見る者によれば、貴官と哨戒隊が暴行の事実を隠匿するために、三人を不当に拘禁したと訴えられる話だぞ?」

「大変結構です。そのように基地警備隊が考えるのであれば、是非とも捜査令状を用意しご来艦いただきたい。こちらも中央より法務官を招聘し、この件に関する特設軍法会議を開催することになるでしょう」

「しかし『貴官らが襲われた』という証拠はどこにもあるまい。翻って貴官らは不当に将兵を拘束している事実は存在する」

「不当かどうかは軍法会議で明らかになることです。ご心配に及びません。それに……」

 

 実につまらない。できの悪い冗談ではなく、できの悪い現実だ。展望デッキのカメラなど端からなかったと今頃慌てて工作しているだろうが……

 

「証拠がないなどと、私はここまで一度も言った覚えはありませんが? サトミ大佐殿」

 

 

 

 

 サトミ大佐がそれ以上何も言わず戦艦ディスターバンスを下艦した後、俺は改めて哨戒隊各分隊指揮官を招集し、状況を説明した。基地の状況に憤る者、今後の事を考え込む者、色々な表情を見せてくれたが、とりあえず全員理解を示し、俺の行動に賛同してくれた。同時に補給基地側に言質を与える行動は抑制すること、補給基地要員が艦に乗艦するときは必ず立ち会うこと等々を指示し、半舷休暇と次の出撃の準備を指示する。

 

 翌日以降、俺も休暇に入ったが船を降りるのはシツカワ中佐の付き添い以外は最低限とし、時折医務室にて拘束中の三人を『お見舞い』しつつ、ドールトンの宿題を手伝い、筋トレに励んだ。

 

 あれからサトミ大佐もオブラックも何も言ってこない。年明け寸前に第一〇九八哨戒隊も帰還したが、ギシンジ大佐がこちらを強襲してくることもない。静かに息を潜めつつ対策を練っているということだろう。補給部はいつも通りのシブチンなので、こちらも変化はない。

 

 そうしているうちに年を越し、各艦から強者共がディスターバンスに集まる日が来てしまった。所属艦艇三〇隻からそれぞれ代表選手が一名。旗艦からは特別に三名。代表選手であるマーフォバー大尉と、隊司令の俺とレーヌ中尉が出るので、合計三二名。八名毎、四つのブロックを作り、ダブルエリミネーション方式トーナメントで代表者を決定。その四人で準決勝・決勝を行う。全五九試合。完全生中継。

 

「隊司令がAブロック、マーフォバーがBブロック、レーヌがDブロックとは、綺麗に別れましたな」

「くじ運は悪くない。少なくともマーフォバーやレーヌとは決勝まで当たらない」

「逆を言えば八百長も疑われることはない、ですな」

 

 二人とも俺に遠慮するような性格ではないが、他艦からすれば部下が上官に遠慮するかもしれないと考えることもあるだろう。ビューフォートと共に、会場に掲げられたトーナメント表を見上げながら、溜息交じりに呟く。

 

「『医務室』の方はどうだ?」

「健康的な食事と治療、日夜繰り返されるマーフォバー以下警備隊の尋問で、だいぶ内臓脂肪が落ちたようですな。今日まで助けが来ない事に三人とも相当参っているようで、症状の出てる上等兵の方はもう落ちるでしょう」

「上手くいくと思うか?」

「機関科のオリバ曹長はああ見えて頭の回る男ですし、隊司令を『いたく』敬慕しております」

「ほんとかよ」

 

 褐色肌の筋肉モリモリマッチョマンでありながら、指先が器用で戦艦ディスターバンスの航行用推進機関の次席管理と小機械工作部を司っていて……上級士官に対する反骨精神が旺盛な男だ。いつも不敵な笑みを浮かべていて、少なくとも俺に対する敬意など欠片も見せたことがないし、俺がぶっ倒される動画を艦内にバラまいてくれた前科もある。

 

「少なくとも薬物に染まることは絶対にない男です。それは小官が保証します」

「わかった」

 それだけ分かれば、今はいい。アダムス艦長に頼んだ装置が各艦に組み込まれれば、安全は二重に担保される。それに信じた部下が信じる部下を、信じなければ組織は成り立たない。

「後は頼んだ」

「安んじてお任せあれ。ただ隊司令が簡単に負けられますと、艦内の士気に関わることもお忘れなきよう」

「了解」

 

 わざとらしく深くお辞儀するビューフォートの見送りを受けて、俺は『ステージ』へと向かう。そこには各艦の代表選手、それにマーフォバーとレーヌが二列横隊で待っていた。平置台の上に立つと、三一着の装甲戦闘服が手持ちの訓練用トマホークの石突で一斉に床を叩いて、俺に敬礼を捧げてくる。

 

「諸君。戦艦ディスターバンスにようこそ。小官の道楽にお付き合いいただき、感謝に堪えない」

 

 答礼後の一言に、ステージの周囲にいたディスターバンスの乗組員と代表選手の付き添い達に苦笑が漏れる。

「本来ならここにリビングチェアを持ってきて、美人の副官に注いでもらったワインを片手に、諸君の奮闘を拝見したいところだったが、愚にもつかない噂話がどこからともなく流されて、いい加減うんざりしている」

 シールドを上げた代表選手の視線の一部が、俺から俺の後ろに立つドールトンへと動く。

「諸君らも、もう噂は聞いていると思う。だからこそ、その目と腕で確かめてほしい。付き合わされた諸君には申し訳ないが、存分に腕を振るってくれ。辺境哨戒隊司令を合法的に殴れる機会はそうそうないはずだ。ハイネセンにいい土産話を持ち帰る機会を掴め」

「で、あれば、隊司令には是非ともブロックを勝ち抜いていただかねば困りますな」

 前列一番右、代表選手最上位者のチェ=シウ中佐が、不敵な笑みを浮かべて俺を見上げてくる。Dブロック優勝最有力候補で、オッズも相当低い。この競技会の裏を知っている参加者ゆえに調子のいいことを言って雰囲気をごまかしているが、細い瞼の奥にある眼差しはそれだけではない鋭さを秘めている。

「お手柔らかに頼むよ、中佐。ただ狙うなら顔は止してくれ。廉価品の顔とはいえ、副官を悲しませるのは本意ではないのでね」

 

 本当に『隊司令の女』かもしれないと考えて下手なジョークだと笑う各艦からの来訪者と、もはや彼女も『隊司令の被害者』と理解して溜息をつくディスターバンスの乗組員の反応の差が如実に表れる。そして振り返らなくてもわかる、背中に浴びせられる氷のような視線。

 

「誤解を招くような発言は、できればお慎みいただきたいのですが」

 

 敬礼が交わされ、設営された四つの『ステージ』に分かれていく参加者達をよそに、ドールトンが俺の右後背に歩み寄って囁いてくる。それを見て各艦の参加者達もこちらを窺いながらコソコソ囁きあう。これでいい。

 

「だから先に言っておいただろう。これから苦労をかけると」

「それは航法の仕事であって、プライベートまで苦労させられるとは考えておりませんでした」

「これでも私は相当怒っているつもりだが?」

「十分分かっております。私ももう、目は覚めてますので」

 

 基地の治安、薬物汚染の状況証拠、流される不可思議な噂、巻き添えとはいえ凌辱の危機にあった経験が、結婚を餌に近寄る男への洗脳に近い憧憬をほぼ消滅させた。そして今は積極的に動く時ではないことも理解している。チョロいところが全て消え去ったわけではないだろうが、軍需投機家と結託した不正行為に手を染めることはないだろう。

 

「今日一日、セコンドを頼むぞ、『イブリン』」

「お任せください。私は隊司令の副官です。解任されるまでどこまでもお供をいたします。ですが……」

 顔を動かすことなく、ダークグレーの瞳だけ動かして周囲を確認し、俺の右手の甲にそっと左手を重ねて……思いっきり抓りながら、右耳元に少し厚めの唇を寄せて囁いた。

「調子に乗るんじゃねぇ、四回戦ボーイ」

 久しぶりに聞くドスの効いた女性の声と右手の痛みに、俺は声を上げることなく引き攣り笑いを浮かべることしかできなかった。

 

 そして試合は始まる。ダブルエリミネーション方式のブロック戦は一試合四ラウンド、ブロック戦の決勝と再決勝(決勝で負けた方が勝者ブロックの勝ち上がりの場合は、再試合)が六ラウンド、全体の準決勝が八ラウンド、決勝が一〇ラウンドと決まっている。全て一本勝負。先に生死判定が下れば、そこで試合は終了だ。

 各艦の代表選手はレーヌを除いて、最低でも陸戦技能評価がA-Ⅴ級。実力者ばかり故に、負けない戦いに徹すればいつまでも戦い続けることになるので、規定ラウンド中に勝負がつかなければ籤で勝者を決めることになっている。

 籤で勝敗を決められるのは、腕に自信がある者とすれば屈辱だ。仮に力量差を意識して粘り勝ちを狙ったとしてもダブルエリミネーション方式だから、相手は敗者側のトーナメントを上がってきてもう一度戦うことになってしまう。二度も籤運にかけるのは流石に厳しい。

 

 俺はAブロックの三番。一回戦は第二分隊巡航艦ステーレン一四号の機関士補リュウ曹長。これを第三ラウンド七分二二秒で頸椎破壊。二回戦は第七分隊給兵艦シャスタ三三号の通信長ヴィネッティ少尉。第四ラウンド一〇分一四秒で頭蓋骨損傷に追い込み、辛うじて勝利した。

 二人とも陸戦技能はS-Ⅰ。俺とほぼ互角で、二回戦が終わった時にはもう肩で息をするのが精一杯。ステージの横に備えられたベンチに腰を落とし、メタボメーカーを二本一気飲みし、ドールトンに額の汗を拭いてもらっていると、隣の第四ブロックのステージが一気に騒がしくなる。

 

「勝者! 戦艦ディスターバンス、水雷長レーヌ中尉!」

 

 トマホークを落として呆然としている対戦相手をよそに、セコンドについていたヴァーヴラ中尉だけでなく、ステージの周りに集まっていたディスターバンスの乗組員達が、ステージの中にまで入って小柄なレーヌ中尉を胴上げしながら歓声を上げている。ちなみにその中に俺の試合を観戦していた乗組員は一人もいない。

 

「よい部下をお持ちだ、ボロディン隊司令」

 自嘲気味にその光景を横目で眺めていると、ヘルメットを脇に抱えたチェ=シウ中佐が声をかけてきた。長身細マッチョの体形が、実に装甲戦闘服に合っている。黒髪で細目のリューネブルクといった感じだ。

「艦長の試合を応援しないで、みなレーヌ中尉を応援するような部下だけどね」

「だからこそだ。隊司令が苦戦している姿を、敢えて見ないようにしてくれている」

「そうかな?」

「聞けば隊司令はこの艦の大半とトマホークを交えたとか。うらやましい限り」

「シェリダン九八号では違うのか?」

「みな小官を怖がって寄ってこない。強制するつもりもないから、乗組員の中で技能評価の高いメンバーを選び、結局小官が勝ち残って代表選手となった」

 

 第三分隊の勇敢さは初陣でも証明済みだ。チェ=シウ中佐の指揮官としての力量は十分信頼に値する。だが恐らくその身に纏う純粋な動物的強者の雰囲気が、もしかしたら周囲に影響しているのか。

 俺には幸い艦内を硬軟で掌握できるビューフォートがいる。シェリダン九八号の副長を詳しくは知らないが、任務以外での繋がりが薄く、同位である第二分隊への過剰な対抗意識も、そのあたりが影響しているのかもしれない。

 

「ボロディン隊司令。いや、ボロディン艦長。一つお願いがあるが、聞いていただけるだろうか?」

「聞ける願いであれば」

「二回戦にレーヌ中尉と当たるのだが、小官が勝ったらシェリダン九八号に譲ってくれないか?」

「無理だ。それは聞けない」

 

 即答で俺が応じるとチェ=シウ中佐は、笑顔で小さく何度も頷いた。最初から答えが分かっているといった表情。さりとて自分自身を傷つけるような笑いではない。

 

「だろうな。これは小官の艦長としての力量の問題であって、隊司令にお願いする筋ではない。はっきり言ってくれてすっきりした。感謝する」

「別に感謝されることではないと思うが?」

「貴官の口から自然とそういう言葉が出てくるだけで、戦艦ディスターバンスの乗組員は幸せ者だと分かる。うらやましいぞ、副官殿」

 

 そう言って敬礼しながら去っていくチェ=シウ中佐の背中を見送りつつ、首を回してドールトンを見上げると、彼女も俺の方を見つめている。いかにも無関心ですと繕ってはいるが、不安の影がわずかに瞳の中にちらついていた。色は違えどもペニンシュラ氏のことを呟いた時のブライトウェル嬢、士官学校受験について問いただした時のアントニナと同じ瞳だ。

 

「君は私の副官だろう。ドールトン。君自身が望まない限り、第一〇二四哨戒隊の副官は変えるつもりはない」

 

 俺がわざと軽く肩を竦めて言うと、ドールトンはプイッと顔を背けて余所見をするどころか、第四ブロックのステージへと歩いて行ってしまった。照れ隠しのつもりだろうが、ベンチに一人たたずんでいても、俺が隊司令と一番『偉い』故に誰も声をかけてこないので、見捨てられた感が半端ない。

 

 そして次の三回戦。第五分隊ミサイル艦ノーズワーズ二一三号の警備主任ネフェルステプ中尉と第四ラウンド一一分五秒左上腕部を切断し勝利した。しかしブロック決勝で敗者復活戦決勝から勝ち上がったネフェルステプ中尉とまた戦う羽目になり、今度は第六ラウンド開始前に、一試合多く戦ったネフェルステプ中尉が自ら戦闘不能を宣言することで勝利した。

 

 辛うじてAブロックの優勝者となった俺だが、少し休んだぐらいでは戦えるだけの体力を回復することはできない。Bブロックはマーフォバーが、Dブロックはチェ=シウ中佐(レーヌは二回戦開始一五秒で吹き飛ばされた)が順当に勝ち上がった。

 そして準決勝で俺が戦うことになるCブロックの優勝者は戦艦アーケイディアの警備主任ナウカリネン大尉。リングアナウンサーが説明する陸戦技能評価はS-Ⅲ。士官学校陸戦技術科出身……つまりジャワフと同じレベル。

 

「お久しぶり、と申し上げます。同期首席殿」

 お互いの訓練用トマホークを交換確認しているタイミングで、ナウカリネン大尉はバイザーを上げてそう言うので、見覚えがないと正直に言うと気持ちの良い笑顔を浮かべて応えた。

「七八〇年生卒業式、士官学校講堂での胴上げは今でも目に焼き付いております。実は陸戦教習で一度対戦しているんですよ、覚えていらっしゃるとうれしいですが」

「……もしかして開始三〇秒で吹き飛ばしてくれた?」

「三年次でした。あれから首席殿もだいぶご上達されたようですね」

「降伏していい?」

 技術面もさることながら、体力も尽きて到底勝ち目がないと分かるだけに、思わず零れた俺の言葉に苦笑が浮かぶ。

「ダメですね。せっかく殴れる機会を作って下さったのに、ご自身でそれを否定されるのは」

 

 苦笑しながらもナウカリネン大尉の目は全く笑っていない。陸戦士官が時折見せるサディズムを主成分とした『猛獣の瞳』だ。ジャワフもブライトウェル嬢もゾーンに入った時、浮かべることがあった。こうなった陸戦士官には、まともに言葉が通じない。

 大きく溜息を吐き、諦めてバイザーを下ろしトマホークを構えると、大尉も教科書通りに相対で構える。どこをどう見ても隙がない。どこにトマホークを持っていこうとしても、全て返されて腕が吹き飛ばされる想像しかできない。開始の合図からずっと、腕には錘が下げられ、足もコンクリートで固められたように重い。

 そんな彫像のようになっている俺に対し、スッと腰を下げてナウカリネン大尉が前に出てくる寸前だった。

 

「「いけぇ、隊司令!!」」

 

 二つの異なる女性の声がステージに響き渡る。その声に突き動かされるように、俺も前に出てトマホークを振るう。もう頭で考える余裕はない。士官学校から今日に至るまで積み上げた陸戦技能を、本能の赴くままにナウカリネン大尉へと叩きつける。

 腕に力が入っているか、足の筋肉が痙攣していないか、トマホークがどう動いているかもわからない。目の前の人間の形をした黒い『何か』に対して暴力を揮うだけ。時折耳に響くのは炭素クリスタルの衝突する高い音と、言葉にならない俺の叫び声のみ。

 だがそれもそれほど長くは続かない。肩に痛みが走り、手が強烈に痺れ、膝が床を叩き、目の前がモノクロから暗黒に変わり、あぁ倒れたんだなと、ようやく頭で理解できたが、意識はそこで完全に途切れた。

 

 次に目に入ったのは、よく知っている天井だった。なんならそこにいる人間もよく知っている。

 

「あぁようやく目が覚めたかね、隊司令」

 

 予想通り死神のようなモイミール医務長が、小さく両手を広げて、俺の顔を覗き込んでいた。耳元では心拍計が一定のリズムを刻んでいる。俺が上半身をベッドから持ち上げると、そっと両肩を支えてくれる。

 

「落ち着きたまえ、もう何も焦ることはない」

「モイミール医務長」

「隊司令に話がある、いいかね?」

 無言で俺が頷くと、モイミール医務長は人を落ち着かせるような、今までに聞いたこともない優しい声で、言った。

「隊司令はこれまで昏睡状態だった。あぁ分かっているとも。現在時刻は二三三三時。都合六時間ほど寝ていたな。大丈夫、競技会の方は副長と砲雷長がしっかりと処理してくれたよ」

「……そうですか」

 

 またビューフォートに余計な手間をかけさせてしまったなと溜息交じりに頭を前に倒すと、ベッドの横から流れてくるいい匂いが鼻腔を刺激する。横を見れば床頭台には、ピュアモルトウィスキーに、安ビールに、高級テキーラに……バラ水まで並べられている。

 

「優勝はナウカリネン大尉。準優勝はチェ=シウ中佐。戦艦ディスターバンスの代表選手は二人も決勝トーナメントに進んだのに、二人とも敗退だ。おかげさまで医療班の賭け金五〇ディナールは全部パーになったよ」

「それはすみませんでした。ところで、これは?」

「医務室にそんな野蛮な飲み物を置いておくのはどうかと思ったんだが、持ってきた皆が皆、どうしても置いておけと脅す上に、ここは軽傷病室で前の預かり物は営倉に移してあるし、現在の利用者は隊司令一人だし、まぁいいかと思ってな」

 

 医療従事者が吐くとは思えない言葉に、俺は自業自得とはいえ頭を抱えざるを得ない。だが不思議と悪い気持ちはしない。だが高級テキーラに手を伸ばそうとすると、その腕をモイミール医務長が叩き落とす。

 

「置くのはいいといっただけで、口をつけて飲んでいいとは言っておらんよ。隊司令」

「ひどい話だ」

「まったくだ。部隊レクリエーションの一環なのに、本当に意識を失うまで獣のように戦うアホな隊司令が、この世界に存在するというのはな」

 

 そういうとモイミール医務長は、医療士官用制服のポケットの中からショットグラスを二つ取り出し、無造作にテキーラボトルの蓋を開いて注ぐ。一つは自分に、そしてもう一つは俺に。

 

「給糧室に塩やライムを取りに行ったら、さすがに服務規程違反を指摘される恐れがあるのでな」

 

 そう言って遵法精神に蓋をした死神先生は、琥珀色の液体の入ったショットグラスを高く掲げると、大きな口を開けて一気に飲み干すのだった。

 




2025.9.16 更新
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