事前の予告通り、閑話をお送りします。
巻末特典SSのつもりで書いていたので、4,000字程度でほとんど赤毛(男)のひとりごと(内心)
になりますので、読み飛ばしても本編読解に問題ありません。
中尉は矛先を、いったいどこに向けているのやら。
帝国歴四八四年二月一四日 イゼルローン要塞周辺宙域
「話はついたぞ。キルヒアイス。二人とも昇進だ」
一連の秘密任務の成果報告に上がったラインハルト様は、アーベントロート少将の部屋から出てきた後、そう言った。軽い興奮というか、ラインハルト様にとって良かったというべきことがあったということだろう。
「次は大佐ですか。ご昇進、おめでとうございます」
「ただし一七歳の誕生日まで待てとさ。今回の武勲は公表されないからな。昇進させる名分が必要らしい。それに次の任務が決まるまで、オーディンに戻って待命せねばならないがな」
その言葉に軽い皮肉の成分が含まれているのはよくわかる。一六歳で中佐というのは、門閥貴族の子弟であってもそうそうある話ではない。
おそらくアーベントロート少将は、極秘任務にラインハルト様が失敗するか戦死するかを望んでいる誰かに使嗾されていた可能性はある。敵地への単独行、秘密任務ゆえに表立っての支援はできない。これで死んでくれれば儲けものだと考えていたのに、任務に成功し、さらに知られてはならない秘密も暴かれた。少将も情報をネタにして恐喝されたと捉えるかもしれないし、そう思われるのもラインハルト様としては気分のいい話ではない。
それに公式記録にも軍歴にも残らないし、参戦章も発行されない以上、一七歳を理由にラインハルト様が昇進すれば、ラインハルト様を快く思わない者達からの怨嗟はより大きくなる。それは身分のいかんにかかわらない。
「ところで支援してくれたフェザーン駐在武官の事が分かりましたよ」
「ほぅ?」
話題の転換の必要性を感じて私は、ラインハルト様にそう言った。
「ナイトハルト=ミュラー中尉。二二歳」
「それはまた若いな」
ラインハルト様が驚くような顔をするのも無理はない。フェザーン駐在武官の職は利権とは切っても切り離せない。故にその席は大抵、年配の貴族士官が当てられる。二二歳で、しかも平民出身の士官が就けるような任務ではないが、相当優秀と見込まれての事だろう。
現にヘーシュリッヒエンチェンは、彼から送られてきた情報と手配によって何度も助けられた。もっとも現在一六歳で中佐のラインハルト様に、若いなと言われても何の説得力もない話ではあるけれど。
「キルヒアイス。世の中にはまだまだ異才が埋もれているようだな」
「はい」
「いずれはそうした才能を、麾下に収めたいものだ」
「えぇ……」
出世すれば宇宙軍士官である以上、艦隊を率いることになれば多くの幕僚も分艦隊司令官も必要になる。それは分かるのだが、ラインハルト様は特に秘密任務の終わりあたりから、その欲を口になさるようになった。原因は間違いなく彼らだろう。
「そのナイトハルト=ミュラー中尉から、『例の件』の情報も届いております」
「『Rote Scholten(赤い肩)』のことか?」
私が無言で頷くと、ラインハルト様は一度強く下唇をかんだ後、蒼氷色の瞳が左右に一度動き辺りを探る。通路には誰もいないが、誰かが聞き耳を立てていてもおかしくないくらいの陰はある。そしてささやかな野心の発露より、『赤い肩』の噂は、現時点のイゼルローン要塞において危険なものとみなされている。
特に前任のイゼルローン要塞駐留艦隊司令官代理より発せられた訓示が、新任の司令官の逆鱗に触れたらしい。曰く『敵からの逃亡を公式に認めるような訓示など、臆病者の振る舞いである』と。言っていることは正しいが、現実を見て話すべきだろう。
『赤い肩』が敵の前線哨戒に出てくる前から、叛乱軍の辺境方面における哨戒活動はここ一年で著しく活発化していた。そして誰でも識別できる特徴的な塗装を施した『赤い肩』が出現してからは、帝国軍の被害は急上昇する。
少なくとも彼らの手によって戦艦二二隻、巡航艦五四隻、駆逐艦四四隻が失われ、三〇隻ほどが大小の損傷を負った。支援艦ものちに帰還したものを含めて九隻拿捕されている。なのに『赤い肩』は一隻も失っていない。たった三〇隻とはいえ尋常ならざる部隊であることは、秘密任務で遭遇してラインハルト様も私も、嫌というほどに理解した。
それに一度捕虜になってから帰ってきた将兵達、特に『赤い肩』の指揮官と出会った士官は異口同音に、敵の指揮官の有能さと高潔さを影ながらに褒め称える。卓越した砲撃能力と指揮、行動を見透かした機雷戦術、巧みなデコイ運用、大胆不敵でかつ素早い戦隊機動、そして窮敵を救う人道的配慮。
要塞に着任してその噂を聞き、流石にそれは戦地の与太話、話半分だと思っていた私達は、それが現実だと思い知らされた。辺境航路を航行中、幽霊のように襲い掛かってくる降伏勧告と爆発にみまわれた。破片を回収すればそこには『赤肩参上』と書かれていた。
バルシャミン星系ではヘーシュリッヒレンチェンを待ち受けていたのは僅か三隻だけだったが、待ち伏せ攻撃に対するタイムラグ砲撃も、ワルキューレによる挟撃も、核融合ミサイルによる疑似フレア攻撃も、悉く躱された。その上でワルキューレを三機とヘーシュリッヒエンチェンの右第二主機を私達は失った。
戦死三名、重傷一名、軽傷七名。犠牲は少なくない。特に戦死したワルキューレのパイロット達は別の戦いで戦死したと公示されることになる。それが私達の心に重く深く、圧し掛かってくる。
もし通常編制の三〇隻で『赤い肩』が行動していたら、私達など苦も無く消滅させられていただろう。三隻で行動していたのは、私達を沈めるのであれば戦力としてはそれで十分であり、それよりも哨戒範囲を広げて私達と確実に遭遇したいという考えからだ。
特に一隻でもこの力量であれば、僚艦二隻が加わればヘーシュリッヒエンチェンに勝機はない。『赤い肩』が人道的配慮をする相手だということで、任務途中で捕獲した同盟軍に偽装した海賊を捕虜と偽装して、恒星に向けて流し逃走の時間を稼いではどうか。ワーレン副長の提案に私達は異議を出せるほどの勇気はなかった。
結果として敵巡航艦が躊躇ってから放ったレールガンの破砕断片によって、ヘーシュリッヒエンチェンの主機の一つが失われただけで済んだので策は功を奏したわけだが、その行動と判断について、ラインハルト様は今でも苦悩している。
「それで、どういう情報だ?」
慎重に、歩きながらも声量を一段落としてラインハルト様は問う。
「『赤い肩』の指揮官の名前は、ヴィクトール=ボロディン中佐。第一〇二四哨戒隊司令。士官学校首席卒業者で二八歳。第一二艦隊司令官グレゴリー=ボロディン中将の甥、だそうです」
「軍上層部の血縁者で、首席卒業者か。まさに天運と才覚の融合体のようなものだな」
ラインハルト様の声には自嘲と皮肉の成分が混じっているのは明らかだ。自分もきっと他者からそう思われている。今回の昇進も同行したヘーシュリッヒエンチェンの乗組員を除けば、一七歳の誕生日祝いとしての昇進としか理解されない。皇帝の寵姫の弟に対する贔屓も程々にしろと思われているだろう。
ではこの異能の敵はどうだろうか。勿論ヘーシュリッヒエンチェンが対峙したのは巡航艦で、敵の指揮官が座乗していたとは考えにくい。貴族の指揮官達のように全てを優秀な部下に任せるお飾りの指揮官である可能性もある。そうであっても巨大な武勲は、今後彼に付きまとう。その重圧に押しつぶされ、いずれ転落するかもしれない。
「悔しいと、お思いですか?」
そう問うと、振り向きざまに氷の剣のような視線を私に向けるが、一瞬でそれは解けさってしまう。同じ中佐であっても相手は三〇隻を指揮し、百戦錬磨の部下を従えている先達者。自分より優れた者の存在を、既にラインハルト様は心で昇華することができている。
「そう思わないでもないが、できれば互角の条件で正面から戦いたかったな。今回はさすがに条件が悪すぎた」
「敵地三〇〇〇光年を単独行して任務を達成しただけでなく、少なくとも五〇隻近い敵艦を沈め、ついでに宇宙海賊を捕えて両軍に付きまとう闇を暴いたのです。これ以上お望みになるのは、些か欲が深いというものでしょう?」
「半分以上ゼッフル粒子のおかげではあるが、分かっているとも。それに後日の楽しみというのもあるからな」
若獅子の笑みとは、確かヴェストパーレ男爵夫人の評だったか。見る者によっては底知れぬ恐怖を、あるいは熱く輝く眩しさを感じさせる笑みを浮かべて、ラインハルト様は私の肩を軽く叩く。だがその笑みも数秒と持たず、何かを思いついてようにラインハルト様は首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
「いや……少し疑問に思ったのだが、そのミュラー中尉は、何故そこまで我々に情報を提供してくれるのだ? 他に任務もあるだろうに、幾らフェザーンといっても辺境に駐留する『赤い肩』の調査など、そう易々とできる話ではないだろう?」
そう。それは私もおかしいと思った。お名前を伺いたいという問い合わせに付け加えて、『赤い肩』の調査を『可能であれば』といった体で依頼をしただけなのだが、自己紹介のついでと言わんばかりに人物考査並みのレポートを寄こしてくれた。
ラインハルト様に対する好意もないわけではないようだが、それ以上に『アーモンドアレルギーを有している』とか『フェザーン駐在武官時に女性トラブルを起こして、辺境勤務に飛ばされた』とか『強烈なセンチメンタリストでありながら、辺境任地で女漁りをしている』とか、だいぶ私的な情報まで集めて送ってくれている。
「さぁ……ボロディン中佐に対して、なにかミュラー中尉の心に刺さるようなことがあったのかもしれません」
「なるほど。確かに我々も、それは同じだからな」
いいえ。これは決して用兵術や戦術論というレベルではありません……このレポートは今、ラインハルト様にはお見せしないほうがいい。絶対、そうだと、私は心に深く刻み込んで、肩を竦めるのだった。
2026.09.20 更新