ルビコン惑星開拓日誌 博士が愛したコーラル   作:六六

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皆さんが集団幻覚で見ているエアってこんな感じの造形でしょう?


機械仕掛けの神様 序

 『レイヴン、傷は大丈夫でしょうか』

 

 

 分かりきっている事実を再度確認する程に虚しいものはない。起こってしまった事実は決して覆らない。だが、話しかけるという行為には現段階において効果があり、意味がある。

 

 

 戦闘の気配が失せた故にレイヴンの意識レベルはギリギリだ。興奮状態から誤魔化されていた痛みが全身を蝕み、至る場所から血が流れている。灼けるような痛みに晒され続け、それでも意識が途絶えぬのは痛みによるものもそうだが、レイヴンの強靭な精神力がなければ途端に気を失っていても可笑しくはない瀬戸際に、レイヴンはいる。

 

 

 故にエアはレイヴンに都度声をかけていた。

 

 

 傷は痛むか、手足の感覚は健在か、何か他の異常は感じないか。

 

 

 心配なのは当然だ。

 

 

 負傷した唯一の同調者を放っておくような廃れた性格をエアは持ち合わせていない。エアの性格は冷酷な部分もあるが、基本的に善性だ。命懸けの戦場を駆け巡る傭兵の同伴者としてショッキングな場面にも鉢合わせしたはずなのに、レイヴンを気遣う心根に未だ揺らぎはない。仕事と称し数多の命を踏み潰してきた殺戮機械を思い遣る気持ちは本物だ。

 

 

 この底知れぬ強さを秘めながらも、何処か人間味の薄い旧世代型強化人間の意志をエアは尊んでいた。

 

 

 そしてレイヴンは身悶えしたくなる痛苦に晒されながらも、絶対の意志で意識を保ち続けていた。

 

 

 膨大なコーラルエネルギーに飲み込まれて尚、自我が破綻していない事実は目を見張るものがあるが、果たしてそれがレイヴンにとって有益かどうかで言えば、端的に言って損でしか無い。

 

 

 気を休めるのもまた戦士には必要な事なのだが、敵地かどうかも判断不明な場所で拘束輸送されている現状が油断を許してくれない。特に身動き取れぬ自機を運んでいるのが、過去に強敵として立ち塞がったC兵器なのだから致し方ない部分もあるだろう。

 

 

 がしょん、がしょんと巧みに多脚で進むシースパイダー。ドクターはSS2と呼称していたが、乗り心地としては悪くない。寧ろ過去に乗り込んだ輸送機に比べると快適とさえ言える。惑星ルビコンに侵入するため惑星封鎖機構の監視網を突破した簡易輸送ロケット、中央氷原へ移動するため乗り込んだ大陸間輸送用カーゴランチャー。輸送ヘリを除けば、随分と物騒な遍歴である。

 

 

 それらと比較してしまえば、重力加速度を味わうことのない移動は天と地ぐらいの差がある。移動先が一体何なのかさえ分かれば多少なりとも気を貼る必要性が失せるのだが、半ば常在戦場の心地の最中にあるレイヴンには無理な話なのかもしれない。

 

 

 それよりも、だ。

 

 

 混濁しかけている意識が捉える視界に、とうとう脳部がやられているのかと錯覚し、レイヴンは己の視覚を疑い始めていた。

 

 

 『レイヴン? どうかしましたか』

 

 

 ――エアの姿が、何となくだが見えるのだ。

 

 

 大量のコーラルを再度浴びた事での障害なのか定かではないが、薄っすらとエアの輪郭が分かる。

 

 

 声から予測していたが年若き女性が白銀の長髪を揺らしながら、赤い瞳でレイヴンを心配そうに見つめている。

 

 

 まるでコーラルのように輝く瞳だ。

 

 

 これは脳が起こした錯覚なのか、あるいは明滅する意識が見させる幻影なのかさえも判別がつかない。しかし、レイヴンの目では確かにそこにエアがいると感じているのだ。まるで本当に生きて実在しているような姿に気が可怪しくなったと疑うのも仕方ない事だろう。

 

 

 エアはCパルス変異波形で肉体を持たぬルビコニアンだ。アイスワーム討伐後、彼女自身が明言したはずだ。偏在するコーラルに生じたひとつの波長が自己意識を持った稀なケース。それがエアである。

 

 

 なのに、傍らで心配そうに流麗な眉を顰めているうら若き半透明の女性がいるのだから、正気を失いかけていると思い込む事の何処に不可思議な点があるのか。

 

 

 あるいは脳深部コーラル管理デバイスが見せる幻惑、なのだろうか。己の中にある乏しい知識で当て嵌められれた空想、あるいは妄想が姿を現したのである。そう判断したほうが辻褄が合う。

 

 

 事実、ウォルターが何の反応も示さないのだから、レイヴンの脳が映し出す幻と断じたほうが良いのかもしれない。

 

 

 「ドクター。お前が生きていると知ったら、カーラはどう反応するか見物だな」

 

 

 「ほう、あのカーラ君もまだ息災なのか。友人知人は悉く目の前からいなくなってきたが、それはそれは嬉しい報せじゃないか。何せ外界から離れて大凡半世紀は経つからね、世界がどのように変化しているのかはさっぱりだが、それでも知り合いが未だいると知れる喜びはわたしの胸を踊らせる。しかもわたしが少々面倒を見たあのカーラ君なのだろう? 彼女には物作りの才があったから軽く手解きしたものだが、現在のカーラ君は今も何か生み出しているのかね?」

 

 

 「……そうだな。何かと世話になっている。前回もお前が作り上げたアイスワームを倒すため尽力してくれた」

 

 

 「アイスワーム? ……ああ思い出した! 昔、惑星封鎖機構に寄越した個体の事か! あれは中々出来が良かっただろう? 地中に内在するコーラルを掻き集めるために開発する都合上ひたすら強度を求めたが、あれを打ち倒せる程のものを作り上げられるほどにカーラ君は成長したのか。いやはや、時の流れはあっという間だが技術の進行は留まることを知らないものだ。きっと当時のわたしが思い付きもしなかった方法を編み出したに違いない。何せ総重量と装甲強度だけは当時最も力を注いで作り上げたのだからね、是非機会があればカーラ君とも旧交を深めたいものだ」

 

 

 「さて、それはカーラ次第だろう。……しかし、自ら手掛けたC兵器が撃破されたというのに、随分と気楽に見える」

 

 

 「ウォルター君、形あるものはいつか壊れる定めにあるのさ。それが時間経過による劣化か誰かによって破壊されるかは、極論同義だ。永久機関はロマンチックだが、永久に稼働する機械は存在出来ない。どれほど手を尽くしたとしても細部パーツは摩耗するだろうし、金属疲労も馬鹿には出来ない。換装出来ない以上機械は壊れる時には壊れるものさ。それが君たちの手によってか、耐久限界によるものかはどの道同じなのだよ。結果が同じなのだから悲嘆に暮れるのは些かわたしの趣味ではないな」

 

 

 「……成る程、それがドクターのスタンスか。やはりお前はドクターだ、一切変わりない」

 

 

 「おいおいわたしを偽物か何かと疑っていたのかね? 自覚もしてはいるし特異な存在だと認めているが、こんな人間に成り代わろうとする者がいたら是非とも会いたいものだ。案外話が合うかもしれないぞ? 会話には幾つものエッセンスが紛れてるものだ。そうすればわたしの思い付かぬアイデアが生まれるかもしれないし、天啓が舞い降りてくるかもしれないな。しかし、こう言っては何だがわたしを知っている人間なんて殆どこの世に存在しないだろう、人は永遠にはなれないのだから。そしてこれは持論だが人は永遠になってはならない。永遠という概念は所謂停止であって前に行くことも後ろに戻る事さえも出来ぬどん詰まりなのだよ。進退の不自由はイデアから遠のくばかりだというのに人は何故か永遠に焦がれてしまう、実に蠱惑的な概念だ。だが永久を夢見る気持ちを否定するつもりもわたしにはない。何故なら誰しも夢を見る権利があるとわたしは考えているからだ。ただまあ、その権利を行使するかどうかは人それぞれだとは思うがね」

 

 

 「……」

 

 

 一方、ウォルターは複雑な内心を飲み込んでドクターに探りを入れているが、芳しい成果は見えてこない。しかし、それもそうだという気持ちもある。

 

 

 ルビコン調査技研所長であったナガイ教授ですら御する事の出来なかった相手をウォルターがどうにか出来るとは到底思えなかったのも過分にあるが、それでもドクターの気質というものは朧気に掴めてきた。

 

 

 これはハンドラーとして培われてきた話術によって導き出したものだが、ドクターは何処か無頓着な側面がある。

 

 

 自らが手掛けたC兵器が打破されたとの情報を受けても中身に響かない。

 

 

 いつか形あるものは壊れる? 確かにそうだ。

 

 

 だがアイビスシリーズを始め数々のC兵器を生み出した狂気の開発者が、それを自ら口にする。

 

 

 永遠を望む気持ちを理解しても本人は永遠を望まぬと公言する論理。それらが内在しながらも破綻していない思考の強度。

 

 

 全てを理解し飲み込む事は出来ないが、何となく察する事は可能だ。

 

 

 ドクターは望まぬ事以外は本当にどうでも良いのだ。でなければ先程の戦闘時に見せたアイビスの最後の一撃。集積したコーラルを使った自爆攻撃を止める事だってドクターは出来たはずだ。

 

 

 だが、そうはしなかった。ルビコン惑星を地獄に叩き落とした災禍が再び顕現する可能性さえあったあれを容認したのである。とてもではないが、一般的な常識の範疇に留まっている人間の思考回路ではない。

 

 

 やはり、我々の障害となるだろうと重く暗い決意を固め始まったウォルターの耳に、どこかノスタルジックを思わせる音楽が聞こえ始めてきた。弦楽器と笛の音が調和しながら打楽器の音色と共に通路から聞こえてくる。

 

 

 ……これは。

 

 

 『地球時代のクラシック音楽?』

 

 

 そうだ、ある一時代、世界の中心だった地域で盛んだった古典音楽が館内に流れている。徐々に音源へと近付いているのか、ゆったりとした音色の調べがエア達の耳に入り込んでくる。無機質な通用路には少々似つかわしくない。

 

 

 「おお、そうだったそうだった。君たちには何の説明をしていなかったね、これはわたしの案内ミスだ申し訳ない。とは言えウォルター君は多少なりともこの建築物が何を目的として建てられたか知ってはいるだろうが、最早その機能は取っ払ってしまっている。ここはわたしの工房として有効活用させてもらっているのだ、そろそろ見えてくるんじゃないかな?」

 

 

 曲がり角に差し掛かると、広い空間に出た。先程までの通路とは明らかに異なる区画の造りで、巨大な設備である。

 

 

 そしてウォルター達は目撃した。

 

 

 壁越しに並べられたC兵器達を整備する機械達。

 

 

 ウィーヴィル、ヘリアンサス型が安定性のためロックされた状態で幾つかのアームで組み立てられている光景を。

 

 

 これだけでも目眩がするような景色である。かつてルビコン解放戦線が保有していた巨大武装採掘艦ストライダーをも沈めた強力な自立兵器達が並んで整備されているのだ。圧巻の一言で済ませられるものではない。

 

 

 『アイビスシリーズ……』

 

 

 更にエア達を驚かせたのは、先程まで交戦していたアイビスシリーズまでも開発されていた事である。それも数機だ。

 

 

 恐らくは製造途中である。しかしIB−01:CEL240が複数も同時に生み出されている光景には、たまらずウォルターの声が漏れた。

 

 

 「ここは……」

 

 

 「見て分かると思うが工房だよ。無難に言えば開発工場と言ったところかな? 既存の自立兵器は大抵ここで産声を上げ、整備している。本当は惑星封鎖機構のエンフォーサーも造りたかったんだが、生憎と申請許可するのを忘れてしまっていてねえ。連絡を取ろうにも外部から遮断された場所だったから、仕方なくエンフォーサーには手を出してないのが残念極まりないが、中々に良い光景だとは思わないかね?」

 

 

 『……何故音楽が流れているのでしょうか?』

 

 

 「そうそう、音楽を聞かせているのは彼らの感性を磨くためさ。折角此の世に生み出されたのだから、楽しみを増やしてあげるのもわたしの仕事だと思うわけだよ。そして実験も兼ね合わせている事実も君たちには教えてあげよう。自らの役割に従事する無人機がそれ以外を楽しむ思考傾向を持つことが出来るのか、思い付きで経過観察しているのだがこれが中々に難しくてね。わたしが思うような結果は未だ届いていないが、試さなければ何も分からないだろう? ちなみにクラシック音楽なのはわたしの趣味でもある。芸術性の高いものに果たして影響を受ける無人機はいるのか、実に興味深いファクターだとは思わないかね?」

 

 

 『……?』

 

 

 ドクターが歌うように話す内容を理解出来る者は、残念ながらここにはいなかったが、理解に苦しむ事だけは把握出来た。それは戦闘に特化したレイヴンでさえも同意出来る。

 

 

 つまり、ドクターが話している内容を掻い摘んで解釈可能な範疇に収めるならば、自ら作り上げた無人機体達に教養を教え込もうとしている、とでも言えばいいのだろうか。

 

 

 ……全く持って意味が不明だ。

 

 

 聞くだけで頭がおかしくなりそうな試みをドクターは懇切丁寧に説明している。何かを学ばせたいならそれ相応のプロンプトをAIに与えれば良い。それだけで終わりそうな話なのだが、外部から音楽という文化を学ばせ自発的に興味を持たせようという試みを至極楽しげに語るドクターの思想に、ある種の不気味さを覚えるのは致し方ない事だろう。

 

 

 レイヴンが今まで体感したことのない異様な発想を実践し、経過を観察していると豪語しているが開発設計に携わる技師達は大凡こんな人種ばかりなのか?

 

 

 ……それに、先程妙な感覚をレイヴンとエアは覚えた。

 

 

 何かが奇妙だった。

 

 

 この施設に入り込んでから理解に苦しむ事ばかり遭遇してきたが、先程のドクターとのやり取りで、何か、言葉では形容出来ないような事が起きたような気がする。

 

 

 「621。今お前がやるべき事は体を休める事だ。余計な思考に貴重な体力を浪費すべきではない」

 

 

 『ウォルター……?』

 

 

 「ドクターについては考えても無駄だ。……埓外な存在だとだけ認識しておけ。理解しようとすれば思考がやられる」

 

 

 『……』

 

 

 「……昔、ドクターの影響に感化して人生を台無しにした男がいた。そいつは研究の亡者と成り果て妻や子供すら放り投げ研究に溺れていった。……ドクターはそういう人間だという情報だけ頭にいれておけ」

 

 

 「おいおいウォルター君、随分とわたしを高評価してくれているじゃあないか。存在するだけで周囲に影響を与えるなんてまるでミーム的存在だ。わたしはそれほど大した人間ではないと自負しているけれど」

 

 

 「……どの口が言う。無自覚に害を成しているとも気付かず、お前の後ろでどれ程の人間が死んだと思っている」

 

 

 「ハハ、酷い言い草だ! しかし訂正箇所を指摘してあげよう。彼らは自ら歩み始めてこの都市でコーラルの研究に勤しんでいた。研究の輩は大凡にして変わり者である事実を否定する気なんて更々ないが、少なくともわたしが知る技研のメンバーは喜々として神秘のヴェールを切り裂く変態ばかりだった。そんな彼らがわたしのようなしがない探求者に道を歪められたなんて、彼らの努力を無碍にするような言葉を軽々しく言っちゃあいけないぞウォルター君? それは彼等を侮辱しているのと同じだ。彼等は彼等なりの理由で技研に在籍していたのだから。……ああ、けれども分かるよ。ナガイ教授は穏やかな人格をしていたからね。彼の人望はわたしには無いものだった。そこも含めてわたしはナガイ教授を尊敬しているのだよ、今この瞬間も。だから気をつけ給え、君の言葉ひとつで彼の功績が鈍り品位を疑われる羽目になるのはわたしとしても見逃せないねぇ」

 

 

 分かっていない。

 

 

 いや、分かっているかもしれないがドクターはあの悍ましき惨状にあったルビコン技研で流れていた夥しい血を、研究材料となって廃棄処分にされた死体の山を、罪科を全く気にしていない。

 

 

 冒涜の限りを尽くし、悪徳に塗れた技研を寧ろ良しとしている。認めたくはない事だが、ナガイ教授が技研に着任する前、抑止力の無かった技研の暴虐を誇りにすら思っている節がある。

 

 

 やはり、相容れるとか容認出来るとか、そういう範疇にドクターはいない。

 

 

 ドクターは慮外の知見で活動する怪物だ。そして厄介な事に倫理やモラルといった人が越えてはならない一線を知りながら、躊躇いなくドクターはその一線を踏み越えている。悲嘆と苦しみに呻く声へ耳を傾けながらも、罪悪感を抱かない。興味本位で此の世の地獄を作り出せてしまうのだ。

 

 

 元より、理解し難い人物だとは分かっていた。だがこうして改めて話してみれば本質が垣間見える。

 

 

 ウォルターは無意識に爪が食い込むほど掌を握り締めた。ドクターが本当に同じ人間なのかと疑ってしまうのも無理はない。あの罪深き日々を、災禍を認めながら微塵の後悔もないのだ。

 

 

 良心というものが、人と同じ場所にない。

 

 

 ――アイビスの火。

 

 周辺惑星すらも汚染した灼熱の災禍。数え切れぬ程の生命が灼き尽くされたあの大災害を未然に阻止しようともしなかったのが、その証拠だ。

 

 

 起こってしまうものは仕方ないと受け入れ、抑制する術を知りながら放置したのだ。

 

 

 コーラルの危険性を重く受け止めているウォルターからすれば、到底許せる所業ではない。

 

 

 だと言うのに。

 

 

 「それにしても才ある人よ、改めて確認するまでもないが君の機体状況は酷いものだ。あの猛攻を耐え凌ぎ生き延びたのは讃美に値するが、これを修復するのはわたしであっても難しい。何せわたしの持つ技術とは比較出来ないほど、現代の技術は進んでいる。半世紀という時間は機体開発技術を飛躍させるのに十二分以上ある。最新鋭のACを堪能させて貰っているが、正直この機体状況を完全に修復させるのは大幅に時間がかかる。わたしはACに関しては本当に門外漢だからね、後で直に見させてもらうとするが、現段階での所感としては機体の取っ替えをお勧めするよ。まあ、その判断は君の治療が終わってからでも遅くはない。何事も身体が資本なのは解き明かす者と戦う者でも一緒だ」

 

 

 これである。

 

 

 理解に苦しむ言動を振る舞いながらも、一定の良識自体は持ち合わせているのだ。少なくとも傷付いた者を気遣う程度には、性根が腐っている訳では無い。

 

 

 嗚呼、いっその事、憎々しい程の悪人であったならよかったのに。下劣で救いようのない屑であったほうがまだマシだったのに。

 

 

 ドクターは独特の価値観で動いているに過ぎないのだ。ただその価値観が人の

理解出来る範疇にない。狂ってる訳でも歪んでる訳でも無い。技研と言う渾沌の坩堝においても理解しがたいから狂人と揶揄されてきたのだ。

 

 

 最も、本人はそんな評価など全く気にしないだろう。体裁や外聞で束縛出来るなんて到底思えない。

 

 

 ――そもそもだ。

 

 

 ドクターが今も生きている事だっておかしいのだ。

 

 

 ナガイ教授の避難勧告を笑って受け流し、現在移動中のバスキュラープラントが問題なく稼働してるのか確認するため態々見に行ったと、当時の通信記録も見つかっている。

 

 

 つまり、あの日。

 

 

 アイビスの火がルビコンを焼き払ったあの時だ。

 

 

 ドクターは、一番最初にアイビスの火に飲み込まれたのだ。

 

 

 状況証拠的にそうとしか考えられない。自らの仕事には真面目だから困るとナガイ教授の嘆きにも聞き覚えがある。バスキュラープラントへ視察に赴いたのはドクターの性格上明らかだ。

 

 

 ルビコンの地軸さえもズラした大災害。

 

 

 その爆心地にいた人間が生きていると誰が想像出来るのか。

 

 

 しかも、アイビスの火が起こったのは50年も前の話なのだ。当時、少年だったウォルターから見ても中年だったドクターが死んでいない理由がない。

 

 

 万が一、あり得ない仮定だがアイビスの火をどうにかして生き延びたとしても、順当に寿命の問題がある。生物の心拍数は大凡にて同じだが、通信越しに聞くドクターの声はあの頃と、50年以上前と変わらなく思える。

 

 

 永遠を拒絶する人物が不老不死だとでも言うのか?

 

 

 馬鹿げてる。

 

 

 不老不死は人類の夢であると同時に妄想の類いで、呪いとさえ言える。これは断言出来るが、ドクターはそんなものに価値を見出さない。無意味だとは言うまいが、無価値だと鼻で笑うだろう。

 

 

 では、どうして生きている?

 

 

 何故再び影を見せた?

 

 

 辻褄が合わない。実に不条理だ。

 

 

 ……でなければ、何故ウォルターの周りの人間があの災禍で亡くなったのか割に合わない。

 

 

 「……っ」

 

 

 無性にウォルターは怒鳴りつけたくなった。

 

 

 どうしてお前が生きてて、あの人達が死ななければならなかったのだ。罪の意識を持たずに悠々と生きているのか。

 

 

 これでは、あまりに不合理じゃないかと、子供のように叫びたくなった。

 

 

 それを、既の所で飲み込めたのはウォルターが今や老年に差し掛かる程に齢を重ねたというのもあるが、今ここにいるのはハンドラー・ウォルターだからだった。

 

 

 少なくとも、痩せ我慢をしている621の前で無様な体たらくを晒したりは出来ない。矜持ではなく、此処まで621を引き込んだ者としての責務がウォルターを止めたのであった。

 

 

 『ウォルターにとって、ドクターは友人と呼べる存在ではないようですね』

 

 

 工場を横断するSS2に揺られながら、曖昧な意識を保つのがやっとなレイヴンの耳元でエアが囁く。

 

 

 今まで脳内で反響していた声が鼓膜を震わせるような妙な感覚があって、通常ならむず痒さを覚えていたのかもしれないが、現在のレイヴンでは反応するのが精一杯だ。

 

 

 朧気な視界の中、半透明の姿のエアが機体から上半身のみ出現させているので、やはりコーラルに脳がヤラれていると思っても仕方ないだろう。

 

 

 エアとしては、レイヴンの意識レベル低下を抑えるために声をかけ続けているのだろうが、Cパルス変異波形のエアの姿が人の形で見えてしまうレイヴンからすれば、可視化してしまっている現状を疑う他ない。

 

 

 だが現実として女性の姿をしているエアがレイヴンの側にいるのである。このような場合どのようにすれば良いのかレイヴンは分からず、結局思考を放棄する事にした。

 

 

 人は想定していない出来事に遭遇した際、どうしようもなく本質が露わになる。ある人は勇んで足を踏み出し、ある者は竦んで後ろに下がる。

 

 

 そして、戦火の拡大が広がるルビコンにおいて最上位の強さを誇るレイヴンは、観察する者だ。

 

 

 敵の挙動や構造をつぶさに見定め、情報の整理を行える。手に入れた情報と自らの手札を比較し、勝ち筋を見つける事が可能な柔軟性と判断力。戦況を俯瞰的に捉える事が出来る洞察力と冷静さ。

 

 

 それこそがレイヴンの最大の武器と言っても過言ではないだろう。

 

 

 では、戦闘時以外のレイヴンはどうなのか。

 

 

 ――基本的に、何も考えなくなる。

 

 

 出撃のために必要な思考までは残してはいるのだが、ドックではそれ以外頭の外にあって思案を一切しなくなる。分かりやすく言えばシャットダウン状態ではなく、スリープモードとなる。

 

 

 機能以外は死んでいる、とはつまるところそういう事だ。

 

 

 戦闘に類する脳の働きは実に豊かで、戦場では適宜有利な判断を下せる思考回路を持ち合わせているが、待機モードに移行した場合途端に考える事を止めてしまう。全てが全て、第四世代型強化人間手術の弊害ではないが、少なくともレイヴンは戦場以外をそのように過ごしているのである。

 

 

 それを憐れんでいるのか、ウォルターもエアも良くしてくれている。良く気遣い、体調を気にかけてくると自覚はあるが、結局のところ待機状態では頭が空っぽになるのだ。

 

 

 では現状はどうなのか。

 

 

 争いの気配が無くとも敵地にいるため、気張って遠のく意識を強く保ってはいるが、ドクターとウォルターの問答を聞く限り安全性は保証されたと見える。

 

 

 故に安心、とまでにはゆかないが、一先ず意識を落とさぬ程度には思考を投げ捨てても問題はないだろう、とレイヴンは取り敢えず判断した。

 

 

 難しい事を考えるのはウォルターの役目。

 

 

 戦地で作戦を実行するのはレイヴンの役目である。

 

 

 交渉や取引等はレイヴンの領分ではない。そんなものが可能ならば、既にエアの姿を問い質している。

 

 

 『レイヴン、やはり肉体の調子が……』

 

 

 小首を傾げ、白銀の髪を揺らすエアと視線が合ったような気さえする。だが実際にはエアがそれに反応しないのだから、疲労とコーラルに汚染された脳が見せる妄想でしかないだろうと、結論付ける。

 

 

 結局、レイヴンは自らに許された領域でのみ息が吸えるだけなのだ。それ以外を求められても返すものがないなら、無視するしかないのである。

 

 

 気にしてもしょうが無い事に割ける脳のキャパシティは最早無いのだから。

 

 

 「ふむ? バイタルサインが落ち着き始めているな。しかし、神経系統は相も変わらぬチグハグさが落ち着かない。……仕方ないSS2、進行方向を変更しクランケをそのまま第三ラボに輸送し給え。本当はこのままご対面といきたかった所だが、まあ仕方あるまい。君の負った肉体ダメージは軽視できないレベルにあるのだからね。あそこには手慰みで作った生体治療用ポッドがある。流石に専門家の開発物には劣るだろうが、こう言っては何だが中々に良い出来なのは保証しよう。新陳代謝増強、血行促進、肩凝り解消、腸内環境とホルモンバランスを整え、ついでに精力増強の機能もつけてある。コーラルで傷付いた身体の君には実に丁度良いと思わないかね? そこで取り敢えず肉体を癒やし給え。無論、本格的な治療はわたしが見るとしよう。こんなんでも昔は技研で技術開発局長をやっていたのだよ、医療にも心得がある。無論、スペシャリストには負けるがね。わたしの専門分野は機械工学なのだから!」

 

 

 得意気な演説と共にSS2の歩行測度が僅かに上昇する。疑ったら切りが無いかもしれないが、本当にドクターはレイヴンを手当する気らしい。

 

 

 何がそこまでドクターの琴線に触れたのか、レイヴンには皆目見当もつかないが、現状から逃れられるならば有り難いに尽きる。

 

 

 『ドクターは機体開発に及ばず、様々な物を生み出す事が出来る研究者、なんですね。……もしかしたら、コーラルについても何かを掴んでいる可能性がある。……レイヴン、古い言葉ですが虎穴に入らずんば虎子を得ず、とも言います。ここは様子見に徹しましょう』

 

 

 何処か思案顔なエアの表情を見て、レイヴンは考えるを止めた。もしドクターの手腕が確かならば、ついでに脳を診てくれたならば有り難いと願いながら。

 

 

 SS2に揺られながら。

 

 

 遠ざかるクラシック音楽に耳を傾けながら。

 

 

 弦楽器とビアノの旋律に名残惜しさを思いながら。

 

 

 

 

 




 作者のイメージでしかないんですが、エアはふんすふんすしながらレイヴンに話しかけてるイメージなんですよね。張り切ってるというか、子犬的な感じな構って感がこびりついてて。かわいいよ←幻覚

 ウォルターが何故ドクターに敵愾心を抱いているのかですが、父を毒され、悲惨な技研の有り様を肯定しているからです。要するに技研が狂っていた状況を認識しながら楽しんでいたから、というね。人の心とかないん?

 さて、思えばどうして現在もドクターは生存しているのか。何となく想像はついてるかと思いますが、皆さんも考えてみて下さい。

 投稿が遅くなり申し訳ありません。

 まさか大型アップデートで技研以上の変態企業が浮上するなんて、想定の範囲を超えている。プロットの修正が必要だ……はぁ
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