通信でウォルターからドクターが生きていると告げられた時、胸中に去来した感情を一言で現すのは、カーラとしても難しかった。
まさか、という気持ちもある。
やはりという諦念もあった。
だが、あのドクターが人間の予想の範疇に収まるはずはないという妙な確信だけはあった。そこに喜びの感情はなく、ひたすらに苦い思いしかない自分を自覚した時、カーラは意味もなく苦笑することしか出来なかったが。
「それで? ビジターは無事なのかい?」
「ああ。再びコーラルに被爆するとは想定していなかったが、ドクターは治療可能だと言っている」
「ふーん、まあドクターならそれぐらいは出来るだろうね」
「……その根拠は」
「あんたも薄々勘付いてるかもしれないが、ドクターは外道ではないが外法の人間だ。ドクターに出来ないことは……そうだね、自ら戦地で戦う事くらいだよ」
「お前にしては、随分と評価しているように見える」
「……まあ、ね。伊達にドクターの手解きを教わった訳じゃないのさ」
通信越しで無言になるウォルターへ、暗にお前よりはドクターについてそれなりに理解がある、と告げる。
しかしそれは自慢話にもならない、ドクターからすれば与太話にもならない昔話だ。
『君は良き技士になるだろう、実に未来が楽しみだ』
瞳を閉じなくても思い出す、ドクターの薄ら笑い。
技研でプロトタイプC兵器の図案に頭を悩ませていた時、背後から現れたドクターが放った一言目がそれだ。
突然現れた白衣の男はお互いに初対面だと言うのに、モニターに映る図面を一目しただけでカーラの才能を見出した。無作法にも工廟へ無許可に現れた男をカーラは驚きながらも警戒したが、仄かに香るコーラルの匂いで目の前の男がドクターと呼ばれる要注意人物だと脳で合致した。
しかし、カーラの警戒心とは裏腹にドクターは図面にのめり込み「ほう」とか「いいな、実にフレッシュな匂いがする」とか「これが動けば楽しそうな事になりそうだ、実に楽しみだ」と感嘆の声をぶつぶつと呟く男に対し、カーラの第一印象はシンプルなものに変わった。
――なんだ、こいつ。
狂人奇人の類はそれなりに見てきたつもりだったが、ドクターはそういう範疇に収まる人物ですらなかったのである。
……ドクターは覚えていないかもしれないが、二人の出会いは多少のインパクトはあれども、大まかに見てみればたいそれた事のない些細なものだった。
今、思い返せばあの時は本当に偶然の出会いだったのだろう。ドクターはナガイ教授に呼び出されている途中で、その道すがらに図面を睨みつけていたカーラの姿に関心を抱いたに過ぎなかった。いや、正確にはカーラが睨みつけていた図面をだが。
勿論、カーラもドクターの噂は聞いていた。
コーラルの匂いを漂わせながら、技術開発局局長の座にいながらも、突発的に奇行へ突っ走る変人。麻薬成分を過分に含んだコーラルを濾過もせずに常飲している癖に、酔いもせず未知の発想で誰も追い付けぬ高性能の無人機体を開発する天才。少なくとも研究開発という分野においては、並び立つ者のいない機械工学の権化。
……そして、ナガイ教授が着任する以前、技研で惨憺な狂気の実験が幾度となく行われていた暗黒期の中心人物だった男。
そんな男がアポイントもなく眼前に現れたのだから、カーラが緊張と警戒心を抱くのに不可思議な点は何も無い、のだがドクターはカーラの心情を全く気にせず「堪能させてもらった」と言い、そのまま出て行ったのだった。
若かりし頃の、何とも言えぬ記憶である。
――まるで竜巻に遭遇したかのような体験だった。
あれからカーラもそれなりに人生経験を積んできたが、あそこまで好き勝手に周りを気にせず行動出来る人間は中々いなかった。それこそ無法者か性格が破綻したものぐらいだ。
しかし、その中でもドクターとの遭遇は随一だ。
狂ってる訳でも無ければ矛盾してる訳でも無い。
ただ、その他大勢の者とは一線を画す価値観で動いてるに過ぎない。その価値観の根本が見えぬから狂ってると評価されているのだ。
これを理解と呼ぶには烏滸がましいのかも知れないが、奇しくも才女たるカーラには何となくドクターの行動原理が辛うじて分かったのである。
嗚呼、この人を真に理解出来うる存在はいないだろう、と。
「それにしたって、因果な話だと思わないかいウォルター。技研の連中が軒並みくたばっちまったのに、狂った奴らの代表みたいな人間が未だに生きていて、私らの前にまた現れるなんてね」
「……」
「それで、ドクターは私達の敵なのか、味方なのか」
「分からん、と言いたいが。……恐らくは障害にはなる、とは思う、が」
「障害、ねえ」
珍しく歯切れの悪いウォルターの物言いに、溜め息が漏れる。
「……正直、ドクターがそういう範疇に未だいるのか、私としても想像がつかないね。誰かがあいつをコントロールなんて出来やしないのは確かだけど、さ」
「その通りだ……。今は621の治療をやっているが、その後が問題だ」
ドクターの見立てでは621が完治乃至機体を動かせられる程度に回復するには一週間の時間がかかると言われている。
あのコーラルの大量被曝に晒された肉体を、たった一週間程度で蘇生させると豪語しているのだ。
他の者が言えば不信感が勝るだろうが、ドクターの言葉には不思議と信じられる力がある。コーラルの波濤に飲まれた肉体を治癒可能な根拠と呼べるものは無いはずなのにだ。
――彼は昔から嘘だけは言わなかった。
有言実行、というか思いついたなら即実行する考え無し。
そこに悪意が無いのが寧ろ不思議でならない。あれ程の頭脳があれば、誘惑に流されても可笑しくはないというのに。
「……まったく、なんでこんな事で悩まなきゃならないのか。大人しく死んどけばこっちも楽が出来たんだけどねえ」
「やるのか……?」
「無理だね」
言外に謀殺の意図を感じ、呆れながらカーラは言う。
「さっきも言ったけど、そもそもドクターは戦場には出ない。事故死に偽装して暗殺なんて以ての外だよ。恐らくドクターの周りは訳の分からない無人機達が彷徨いているだろうし。……それにウォルター、今目の前で手当てしてくれている相手を殺せとビジターに頼めるかい?」
「……必要だと判断すれば、だが」
「そいつも無駄だよ」
カーラは背凭れに体を預け、断じた。
「どういう絡繰りなのかまでは分からないけれど、相手はドクターだ。殺しても死なない。殺したとしても死んでくれない。もう、そういう奴だと認識しておいたほうが気が楽だよ」
「下らないな、ドクターは不死身だとでも言うのか」
一度生まれたものは、そう簡単に死なない。
そう621に伝えたウォルターからすれば、たまったものではない。事象には核となる火種が存在する。それを滅却しなければしぶとく再生する厄介事。
ウォルター達はそれを成すために、このルビコンで暗躍している。誰にも知られてはならない、友人達の遺志。
だが、621には未だ詳細を伝えていない。
……頭では理解出来ているのだ。
いつか話さなければならない時が来ると。
だが、誰が好き好んで大量虐殺を諭せるのだろうか。少なくとも、ウォルターには現状でその使命を621に話せる程の覚悟が出来ていない。この罪悪の重荷を、ドクターに傷付いた体を癒して貰っている最中に話せるなんて。
いっそ託せるまでに自分が追い込まれていたならば、と都合の良い事を考えてしまうほどに。
そして現在、621は治療中だ。策謀ならばウォルターでも何とかなる、という確信もドクター相手にはどうにも持てない。
何処か行き詰まっている感覚がある。
後少しで悲願成就に手が届きそうだと言うのに、霧に包まれたような、妙な不気味さを覚えてしまうのはウォルターだけなのだろうか?
「いや、ドクターは不死身なんて物に夢は見ないだろうね」
「ドクターもそう言っていた」
「……私が知っている頃のドクターはロマンチストだけど、完璧主義じゃあなかった。あくまで奴の基準で可能な範囲での現実主義だ。だけど、その基準と範囲が私達からすれば途方も無い事実があるけれどね。そんな奴の今がどうなってるかなんて考えたくもない」
では、何故ドクターは生きているのか。
そこが分からない。
「正直、ある程度予測はあるんだ。……考えうる限り、一番最悪の予測がね」
「それは?」
「口にしたら真実になりそうで正直、言いたくない」
最早、オカルトの領域に片足を突っ込んでいる話だが、あのドクターならばあり得ると考えられてしまう何かがあるのだ。
何せ、疾うの昔に死んでいなければ可笑しい人間がピンピンしてるだなんて話、到底信じられるはずがない。
少なくとも50年以上前には生存が絶望的な災禍に巻き込まれている状況証拠がある。
――ウォルターとカーラは確かに見たのだ。
何もかもを灼き尽くす、炎と嵐を。
周辺惑星までも汚染したアイビスの火を。
それを、恐らく人類で最初に飲み込まれたドクターが生存している理由が、見つからない。
ただ、カーラは何となくだが予感がある。
ドクターの人格と思想に触れたカーラからすれば、最悪の予感だ。普通の人間ならば思い付きもしないし、実行するはずもないそれを、ドクターならば躊躇なく行動する確信があった。想像するだけでも悍ましいそれを、あのドクターが忌避するはずがない。
……あの奇妙な遭遇の後、何故か気に掛けられていたという胸を張って言えるかどうかも怪しい交流が続いた経験は、伊達ではない。
『君の着想は実に豊かだ、芳醇で新しい風をわたしは感じてやまない。羨ましい程に君は自由なのだから、それを大切にし給え』
ドクターは暇を作ってアドバイスらしきもの述べながら、カーラの設計思想を否定せずひたすらに褒め称えた。相手が相手なので素直に喜ぶ事は出来なかったが、悪い気はしなかったのもまた事実。
総じて見れば短い交流だったかもしれないが、ドクターの手腕をその目で見たカーラは遮二無二に技術を少しでも盗もうとしていた過去を思えば、認めたくはないが師の一人と呼んでもいいだろう。
濃厚で、飛躍的過ぎて頭がおかしくなりそうな思い出だ。扱いを間違えれば劇薬にもなる。そんな思い出。
ただ、ドクターは下らない事でも都度褒めてくれた。
『いいなあ、これ! 面白い、実に素晴らしい!』
実験的に作り上げ、最終的に失敗作が出来上がってもドクターはカーラの作品を貶したりなんてしなかった。
その精神性は一先ず置いておいて、機械工学の分野では技研でも異次元の知見を持つドクターに認められたのである。
絆されたつもりはないが、素直に気分が良かった記憶がちらつく。
「話を戻そうか。ビジターが動けない現状、企業はどうする?」
だが、過去に思いを馳せる時間は無い。
今この瞬間にも、企業の手がルビコン技研都市、正確にはコーラルに届いても不思議ではない。
元々ウォルター達は独断専行で技研都市に潜り込んだ。アーキバス先行部隊を排し、先んじてコーラルに辿り着く為に。これは企業からすれば到底見逃す事が出来ない事実であり、耳に入れば徹底排除される重要事態である。
要は時間との勝負だったのだ。
どちらが先にコーラルを手にするか。そして621が治療中の今、そういった意味ではウォルター達は勝負に負けている。
だが。
「企業達に動きが見えない」
「何だって? 私もあのコーラル反応は観測してる。地底から極大のコーラルが大地を穿ってあの周辺は地上から丸見えだよ。まさか、あんな過去の都市が日の目に当たるなんて思いもしなかったけれど、どっかの勢力が何かしら動いてるだろう?」
「憶測になるが、ケイト・マークソンがV.Ⅱスネイルを仕留めた可能性がある」
「……前に話してた独立傭兵か。俄には信じ難い話しだけど」
あの場には、もう一人役者がいた。
ケイト・マークソンと名乗る独立傭兵。
アリーナにも登録が無い、謎のヴェールに包まれた存在が。
彼女が本当にスネイルを撃破したならば、有り得なくはない話だ。スネイルはV.Ⅱだがヴェスパーの実質的指揮官。指揮官無き勢力が一時的に機能麻痺を起こす可能性は、確かにある。
あの場所にスネイルが本当に潜んでいたならば、という注釈はつくが。
「ああそうだ、ウォルター。信じられない話しのついでに面白い情報がある」
「……これ以上、他に何があるんだ。ドクターが生きているだけでも厄介事が増えてるというのに」
「まあ耳に入れて損はない話だよ。……ルビコン解放戦線ミドル・フラットウェルが行方不明だ」
「奴とはウォッチポイント・アルファで戦いになった。その時は脱出したと記憶してるが……」
「その後の消息が不明なんだ。お陰で解放戦線の連中も混乱状態なのさ」
「……帰還途中に企業の手に落ちた可能性は?」
「それすらないから奴さんらは、てんやわんやしてるのさ。ま、指揮官が行方知らずなんだから仕方ない話しだけどね」
「きな臭いな……」
何かが、おかしい。
ミドル・フラットウェルはルビコン解放戦線の重鎮。星外企業から惑星ルビコンを守るため、軍事指揮権を振るう辣腕家だ。
ルビコン解放戦線も一枚岩ではない。思想的トップのサム・ドルマヤンに対し軍事的トップのフラットウェルが大まかな派閥のようになっている。目に見えた対立は無いが、今日までルビコニアンが巨大勢力である企業勢力と辛うじて戦えていたのは、この二人の力があってこそだ。そうでなければ、とうにルビコンは堕ちていた。
しかしドルマヤンが忽然と姿を消し、フラットウェルも行方不明である現状、ルビコン解放戦線は士気の低迷と混乱に藻掻いている。
……奇しくも、コーラルを巡る勢力が同時に機能不全へ追い込まれている。
負傷し動けぬ621、行方知れずのV.Ⅱとルビコニアンの指揮官。これを偶然と済ますには、あまりに話が出来過ぎている。
何か、自分たちでさえも知らぬ何かが蠢いている。それは誰にも感知されず、表舞台へ干渉し盤面を思うがままに整えようとしている。
……ヒントは恐らく。
「ケイト・マークソン」
「やはりそこに帰結するか」
「まあ妥当だろうね。表舞台に出てきたタイミングといい、怪しすぎる」
「奴の後ろに何かがあるんだろう」
「そこなんだけどねえ……」
指先で髪の毛を弄りながら、如何にも面倒臭そうにカーラは言う。
「こっちでも調べたよ。だけど、全く情報が見えない」
「お前でもか」
「五月蝿い」
カーラはハッキング能力においても随一の腕を持つ。そのカーラが情報を一切掴めていない異常が、尚更ケイトへの疑念が深めていく。
何者なのか、何が目的なのか。
せめて足跡だけでも追えれば、何か掴めるかもしれない。
「ケイト、ケイト。昔、何処かで聞いたような気がするんだけど……」
記憶の何処かに引っかかる名前であるが、ケイトなんて名前は幾らでもある。しかし、傭兵でケイトという名前は幾ら調べても出てこない。
ウォルター達の目的を思えばなるべく不安要素は取り除きたい。だが、それだけにかかずらうにはあまりにも時間が足りないのだ。
今もコーラルは増加の一途を辿っているのだから。
「それで、これからどうするんだい?」
「……一先ず、621の治療が最優先だ。ドクターが一週間で治療は済むと言っている。今はそれを信じるしかない」
「ウォルター、あんたにしては中々に楽観視してるね。けど、私も賛成だ。ビジターも随分とやられたようだし、ここは時間との勝負に賭けておいても良いかもしれない」
「だが、座して待つつもりもない。……全てあいつ頼みにするには負担が強すぎる。賭けに出るなら保険は必要だ」
「へえ、聞こうじゃないか」
「――ザイレムを動かす準備を頼みたい」
……ウォルターとの通信を終えた後、カーラは無性に煙草が吸いたくなって散らかっている工房のあちらこちらを探した。普段喫煙を趣味にしてないので、デスクの引き出しや作業着のポケット等を探し回ったが、いくら探しても見つからず以前吸ったのは何時だったと記憶を遡り、そう言えばと窓辺の付近を探したら灰皿の隣で申し訳無さそうに転がっていた。
久し振りに吸う葉巻き煙草はどうにも美味いと思えず、それでも吸ってないとやってられない気分があって、仕方なく煙を蒸かす。
アイビスの火以降、赤みがかった空が妙に眩しかった。
『常識に囚われない発想も着眼点を変えれば、新たな知見を導く鍵へと繋がる。しかし理念無き開発は鉄くずを無闇矢鱈と量産させ、次のステージが遠のくばかりだ。無論、遠回りも大切な工程ではあるがね。迂遠な散歩は錆びた思考回路に潤いを与えるのでわたしは好きだが、大概の人間はそうではない事もわたしは知っている。暗雲を進めども見えぬ光明に人は歩調を緩めてしまう。まあ、簡単に言えばスランプに陥るだろう。そこから抜け出すのは中々に困難だが、その暗闇をも楽しめる人間こそが、もしかしたら君に求める概念なのかもしれないな』
煙の向こうで、過去のドクターが開発の妙をカーラに教えてくる。相も変わらず緩い薄ら笑いと何処を見つめているか分からない瞳で。
多分だが、ウォルターが言うならドクターの生存は間違いない。そして、その姿は記憶の頃ときっと変わらない。
あの頃と変わらぬ、何かを期待しているような眼差しで。
「チャティ」
何となく、待機していた提案型AIに話しかける。
「どうした、ボス」
「……私は今、笑えているかい」
疲れているのかもしれない。想定外の事態が起こりすぎて、聞くまでのない話を振っているという自覚がある。
「アンタが気付いていないなら指摘するが」
一泊置いて、チャティは平坦に言う。
「その顔は分類上、笑みと呼ぶしかないだろう」
分かりきっていた返答に、カーラは煙草のフィルターを噛み千切った。
窓に映るのは情念さえも燃やし尽くす、覚悟を決めた女の凄絶な笑みだった。
□□□□□□□□□□
こぽこぽと、水泡が浮かんでは弾けていく。
一面白色で整えられた一室のなか、生体治療用ポッドで死んだように眠っているレイヴンの姿に、エアはどうしようもない不安を覚えてしまう。
だが、それも致し方のない事だ。酸素マスクをつけて怪し気な液体に浸されている姿は、試験管で保管されている標本のようで、このままその瞳が二度と開くことはないのではないのかという思いが去来する。
SS2によって搬送された部屋の中はエアには良く分からない計測器や機器が乱雑に置かれていて、半端に作られた何かと共にレイヴンは眠りについている。
……あるいは、このまま誰にも知られず眠っていた方が、レイヴンにとって幸福なのかもしれない。
レイヴンの細い肉体と浅黒く弱った肌に走る幾つもの傷。アイビスの一撃はレイヴンの弱々しく思える体の至る所を削った。特に両腕は火傷のように爛れ、如何にコーラルの熱量が高かったのかも伺える。
こんな枯れ木のような体でレイヴンは今まで戦ってきたのだ。苛烈な戦場を駆け抜け、生き延びてきた。
エアも事情はそれとなく把握している。
旧世代型強化人間、現行最新の強化手術と比較すればアンティークと揶揄される第四世代型強化人間。レイヴンが何故そのような手術を受けるようになったのかまでは察する事は出来ないが、脳深部コーラル管理デバイスによって生かされている現状を、ついつい憐れんでしまう。
それが、レイヴンが持ち合わせているかも分からぬ矜持に罅を入れたとしても、だ。こんな細い体で尚も過酷な戦いに赴かなければならない事実が、どうしてもエアには苦しくてたまらない。
『レイヴン、何故あなたは戦うのでしょうか』
何度も戦場を共に駆け抜けた。
“レイヴン”の名が借り物だと知っても、彼の意志を尊重すると決めた。
だけど、これ以上レイヴンが戦い続け、今回のように傷付いてしまうならば、どうしようもなく胸の奥が疼くのだ。
レイヴンは人間だ。現状、エアが知る傭兵としての力量は疑うべくもないが、どう足掻いても殺し合いの世界にいるのだ。いつか倒れ、死に絶える。それは近い将来かもしれないし、さっきだったかもしれない。
エアは人の肉体を持たぬルビコニアンだ。だが、レイヴンが極大のコーラルエネルギーに飲み込まれた時に、血の気が引く思いをした。
あの時はレイヴンが咄嗟の判断によってアサルトアーマーを差し込んだ事で、どうにか一命は取り留めたが、あの刹那に対応を誤っていたら今頃レイヴンの肉体は融解し自己意識もコーラルに流されていただろう。
……思い込みが醒めた。命を賭して戦っているのはレイヴンも同じ。未曾有の事態に襲われレイヴンが死ぬ時も、いつか訪れるかもしれないとエアは思い知った。
この唯一の同調者が堕ちる可能性が、今になって急に怖くなってきた。想いを託す覚悟が勝手な押し付けなのではないのかと。
『貴方はどうして戦い続けられるのでしょうか』
――死んでほしくない。戦ってほしくもない。
我儘だとは理解している。
この戦士はきっと死ぬと分かっていても、戦いに赴くだろう。是迄と同じように幾つもの死線を飛び越えて、より高く飛翔するだろう。そしていつか死ぬ。
そんな現実が、怖くてたまらないのだ。
今更ながらに気付いてしまった。
……私は、貴方がいなくなれば一人になるのだと。
「どうだい、わたしが開発した治療用ポッドの威力は! 中々に上出来だと思わないかい? 不眠解消、疲労回復、細胞活性、食欲増進に体臭除去と考えうる限りの機能を詰め込んでみたのだが……と、休眠しているのかね、いやはや面目ない! 睡眠は人間の三大欲求のひとつだ、それを邪魔するつもりは毛頭ない、そのまま休んでいたまえ!」
暗鬱とした空気を切り裂くように、闊達な声音が無機質な室内に入り込む。ともすれば無邪気にも聞こえる声だ。
扉から入り込んできたのは、総白髪の男である。僅かに蓄えた顎髭も白く、白衣を翻しながら喜々とした様子で歩んでくる。顔に老いの気配が見えるが、表情に陰りは見えない。
それよりも、気になるのはその瞳だ。
此処ではない何処かを眺めているような、眼差しは夢に微睡んでいるかのようで、はっきり言って不気味さを覚えてしまう。
エアは確信した。
――この人こそが、ドクターなのだと。
半世紀もの間、表舞台から姿を消していた謎深き研究者。ウォルターの言葉が正しければ、全てのC兵器を設計開発した技研で随一の重要人物。
そして、事実上消滅している技研に今も尚所属する最後の一人。
「しかし君に施術された外科手術を拝見させてもらったが、少々荒っぽい印象を受けたよ。技術は日進月歩だと言うのに、君が受けた強化手術はわたしが知るものとほぼ同じだ。外界は半世紀経っても変化がなかったのかね? それだとすれば、君の技量が純粋にアイビスを上回ったという真実のみが残る。それだったならばわたしはとても嬉しい、何せ人の可能性は潰えていないのだとわたしに告げてくれるのだから。あるいは君が特異点なのだろうが、実に気になる話だ」
眠っておいて構わないと言いながら、ポッドで休眠しているレイヴンに話しかけている。相手の意識があろうがなかろうが関係ないと言わんばかりの振る舞いである。気を使っているのか、無神経なのか良く分からないというのがエアの本音だ。
エアはウォルターと比べ、ドクターへの警戒心は少々薄い。無論ここまでレイヴンを追い詰めたアイビスの産みの親なのだから、信用するほうが無理な話だ。
しかし、道中のやり取りやレイヴンの治療を自ら申し出る様子から、エアにはドクターに悪意や敵意といった邪な気配を感じることが出来ないのだ。レイヴンを害するのであるならば、もっと対応に感情が含まれても可笑しくはないのだが、どうにもドクターの立ち位置が曖昧過ぎて、判断が難しいというのが正直な感想である。
「まあ安心し給えよ君。ここに君を傷付けるものは何も無い。ゆったりと体を癒し、目覚めた時にはこの装置の感想を聞かせて欲しい。何せこのポッドを使用したのは君が始めてなのだから」
と、少々安心し難い発言をしながらドクターは手に持っていたスキットルを傾けた。
……あれは、コーラル?
エアも知識として知ってはいる。ドクターはひどいドーザーでよくコーラルを嗜んでいたと。だが、エアが見た所ドクターが飲んだコーラルは全く濾過せず濃度もそのまま。人が接種すれば体を蝕むコーラルをそのまま流し込んでいる。
それでいて酩酊もしていないドクターに驚いていたエアは、次の瞬間さらなる驚愕に包まれる。
「さて、何事にも挨拶は欠かせないものだ。長く文明と離れていても文化的行動までわたしは忘れたつもりはない。――はじめまして、Cパルス変異波形」
『……なっ!?』
――言葉を、投げかけられた!?
――ドクターはこちらを認識している!?
唐突なドクターの言葉に意識が揺さぶられた。
「ほうほう、やっぱり何となくだが分かる。しかしながら、どうやら脳波がそちらに適合している感覚はないな」
一人で勝手に納得しながら、ドクターは懐から短い棒状の何かを取り出した。先端に幾つかの突起物がついている所を見るに鍵、のようにも見える。
それをドクターは、躊躇いなく米神に突き立てた。
「ああ、アァぁあ。ァあアっ ……あ、アあァあ?」
よくよく観察すれば、米神の部分に小さな孔が作られている。そこに鍵を差し込んで、捻りを加えている。どうやら脳部にまで届いているようで、言葉にならない声がドクターの口から漏れてくる。時折、体の一部を痙攣させながら、ドクターは脳の一部を調整している。
あまりにも異様な光景に、エアは言葉を失った。
「うん? 何となく先程よりも明瞭に君の反応がわかる。驚いているようだね、怖がらせているのなら申し訳ない。しかし、これはわたし個人としては極めて重要なのだよ。君たちの言葉をわたしが聞くことが出来ないのは何故かと色々考えたときに思い付いたのだが、脳波が感知する周波数がそもそも合致してない可能性をね。故に脳の一部を電脳化し、適宜周波数を合わせられるよう所謂チューニングしているのさ。いやはや、自分の開頭手術を自分で行うのは中々刺激的な体験だったよ、と」
気軽に言っている内容が、意味不明だ。
理解し難く、そして無茶苦茶だ。
聞いてるだけで気が触れそうになる。
ああ成る程、と、この時になってエアは得心がいった。
思考や発想があまりに埓外だ。常人では思い付きもしない考え方と行動力で、狂人で溢れたルビコン技研でも尚異常と言わしめた変人。
いや、ウォルターが言っていたではないか。
――ドクターは。
『……怪物』
「お! 聞こえたぞ聞こえたぞ! しかし記念すべき第一声が懐かしき仇名なんて、因果というものはどうして切り離せないらしい。けれど、そんな事はこの際どうでも良い! やはりわたしの思い付きは間違っていなかった! ドルマヤンはこれを聞いてたのか! 成る程成る程、鼓膜や骨振動で聞こえているのではなく、脳に直接的に話しかけている感じだな! これは面白い! 実に素晴らしい!」
『……本当に私の声が届いているのですか?』
「答えはイエスだ! 聞こえているだけとも言えるがね! しかしそれは些細な事だ。Cパルス変異波形に自己意識があるという仮説は正しかったという興奮は君には届いていないようだが、それも些事! この経験を得るために50年費やした価値は十二分にあったな!」
最早、言葉も出てこない。
ドクターが言っている事は分かるのに、思考が理解を拒んでいる。認めたくはない、という感情からではない。信じられない、という思いがエアの胸中を満たしていく。
Cパルス変異波形には知性がある。そんな事実かどうかも分からぬ仮説にドクターは躊躇いなく突き進んだのだ。確信があったとか絶対があったとか、そういう理論的思考ではなく、飛躍的思考でドクターはCバルス変異波形へ接触を試みた。そのために時間も自らの肉体も使い捨て、とうとうエアの声を拾う境地に達するまでに到ったのだ。しかもドクターは熱意や執念といったものではなく、好奇心それのみで辿り着いたのである。
レイヴンとの同調にあった静かな興奮と感動はなく、ただ驚きだけがエアを包み込む。
まさか、レイヴン以外の人間と言葉を交わす日が来るとは思ってもいなかったというのもある。
しかし、それ以上にCパルス変異波形というコーラルに生じたひとつの波形に自己意識がある、と考えた人間がいた事実に衝撃を受けたのだった。
「さてはて、では改めて挨拶をしようじゃないか。君に名前があるのかは分からないが、わたしはドクター。かつてはドミナント博士とも呼ばれていたが、ドクターとだけ呼んでくれ給えよ」
『……私は、エアです』
――今、歴史上始めて自然的な会合ではなく、個人の人工的な促しによって、Cパルス変異波形は声を聞く者と言葉を交わしたのだった。
ドクターの容姿はギルティギアのスレイヤーを白くしたイメージです。または、めだかボックスに登場する鶴喰梟。
ダンディズムなお喋りさん。
ただしエアと会話するため脳を(物理的に)弄くるお茶目さん。
カーラはピンク色の髪が素敵だぁ←幻覚
煙草は作者の完全な趣味です。