シー・ラヴズ・ユー   作:ずゆ

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第六章

 クリスマスにユウカとデートをした。多分デートというのが一番適切な言い方だと思う。翌日は休日だったけど、その日はただの金曜日だった。

シャーレの仕事を早めに切り上げて彼女との待ち合わせの駅に向かったのだが、それでも六時くらいになるだろう、という私の予想は的中することになった。

 改札を出たとき、彼女は暖かそうなオリーブグリーンのコートに身を包んで柱の横に立っていた。行きかう人々も皆同じように暖かそうな恰好をしていたが、彼女の姿はすぐに見つけることが出来た。

 その後予約していたお洒落なレストランでディナーを食べた。デザートが運ばれてくるまでの間に、彼女は私に包装された紙袋を手渡した。

「クリスマスプレゼントです」と彼女は言った。

 中にはマフラーが入っていた。

「ありがとう」と私は言った。

 その後で彼女に手袋を入れた紙袋を渡して、私も同じようにプレゼントだよ、と言った。彼女の反応を見る限り間違えではないプレゼントだったようで、ここ数日付き纏っていた心配事の一つが杞憂に終わったことに、私はほっと胸を撫で下ろした。

 彼女と色々な話をしたけれど、ノアのことを話すことは出来なくて、ノアについては全く進展がない、と嘘をついた。

 

 レストランを後にして、私達は冷え込んだ街を歩いていた。どこに向かっているのかは曖昧だったが、方面としては駅の方に進んでいた。

 空気がピンと張り詰めていて、ほとんどの店先には小さなクリスマスツリーが飾られていた。

 歩いている途中で、彼女は途中で指先が冷えると言った。彼女は私があげた手袋をせず、少し爪の長い両手を口の前にやって息を吹きかけていた。

「手、繋ぐ?」

 私は自分の手袋を取って、彼女に左手を差し出した。きっとそういうことなのだろう。恋愛においてはいくつかのメッセージが非言語の中に省略されることがあって、これもその内の一つだろうという予想だった。私の直感はどうやら正しかったようで、彼女は何も言わず私の手を取った。

 

「先生、好きです」

 駅に着くまでの途中に誰もいない広場があって、私達はそこから見える海の方を向いてベンチに座っていた。その中で彼女は何の脈略もなくそう言った。状況を鑑みれば何かしらの脈略はあったのだが、それまでにほとんど会話がなかったから、いくらか唐突に感じた。

「付き合って下さい」

 近くには街灯の頼りない灯りしかなかったが、彼女の瞳は暗闇の中でもはっきりと見ることが出来た。宝石みたいなその目を見ていると、私は自分のことも分からなくなってしまうような感覚に陥った。酷い酩酊のような、足場がぬかるんでいくような錯覚の中で、私は答えを間違えないように一言ずつ確かめるように彼女に言った。

「まだ、待って欲しいんだ。答えを出すのに時間が欲しい。でも、間違いなく私もユウカのことが好きだよ」

 彼女は優しい顔でありがとうございます、と言った。

 

 家に帰ってきたとき、時計は二十三時を回っていた。私はそのまま風呂のお湯を溜めて、あらゆることに考えを巡らせながら長い時間風呂に浸かった。指紋がしわしわにふやけるくらいになって、私はようやく考え事をやめて風呂場を出た。のぼせて立ち眩みして、壁に手をついたときの少しばかり大きな音に自分でも驚いた。

 

 キヴォトス中の学園が冬休みに入るのに合わせて、シャーレも正月休みを貰っていた。私は休みの一日目に、ノアに宛てた手紙を書いてあの病院宛てに送った。

内容はまた会いに行ってもいいのかということについてだった。まだ決心がつかない。もう一度話がしたいとその手紙には綴った。

 年が明けてから彼女からの返事が届いた。短い手紙だった。

 

「春になるまでなら、全てを忘れることはないだろうとお医者さんは言っていました。ですからこの冬の間でしたら、いつでもいらっしゃってください。それより後になってしまうと、同じ場所にいるとは言い切れません。

 貴方のことですから、きっと沢山悩んでくれているのだと思います。そしてまだ迷ってくれることも、もう一度会いたいと言ってくれることも全てが嬉しいと感じます。

 貴方が一番傷つかない方法で、綺麗なお別れが出来ることを祈っています」

 

 それからしばらくの間仕事でばたばたとしていて、ようやく休みが取れた一月の末にもう一度病院に訪れた。バスの発着が変則的なスケジュールになっていたのを知らなくて、野ざらしのバス停で一時間も待たされたが、以前よりは早く辿り着けた。

 

少し髪が伸びたことを除けば、彼女はコールドスリープでもしていたかのように変わらない笑顔で私を出迎えた。

 マフラーをコートラックに掛けようとしたとき、ノアはそのマフラーに触れて言った。

「これ、贈り物ですか?」

「……凄いね、どうして分かったの?」

「いえ、貴方が選ぶものではない印象を受けたので」

「ユウカからの贈り物なんだ」

 私は彼女にそのことを言うべきか迷ったけれど、結局言うことにした。隠してた所で彼女には見破られてしまう気がしたし、そもそも隠す必要もそれほどないように感じた。

「女性から男性にマフラーを贈る意味、ご存知ですか?」

「後になって調べて知ったよ」

 女性から男性にマフラーを贈ることには「貴方に首ったけ」というメッセージがあるのだと、貰った次の日に調べて知った。その前日に告白された訳だから、追い打ちを食らったような気分だった。

「ユウカちゃんを、あまり待たせないであげて下さいね」

「何でもお見通しだね、ノアは」

 

 夕暮れになるまで話し込んで、日が落ちてから彼女の誘いで砂浜まで出ていった。スポットライトの光源みたいな月と夜の海の組み合わせを見ていると、二年前にユウカと話した海辺の道を思い出さない訳にはいかなかった。

「先生」

 半歩後ろを歩いていた彼女に呼ばれて振り返ると、彼女の顔は私の目の前にあった。そして彼女は躊躇うことなく私の唇に自身の唇を重ねた。私は何が起きたのかすぐには理解できず、触れ合った唇の温度や、彼女の髪の匂いは純粋な一次情報として脳に送られてきて処理されるのを待機していた。ようやく物事が分かるようになってきた辺りで、彼女は唇を離してつま先立ちをやめた。

 私は何かを言おうとしたが、私が何か言うよりも先に彼女が口を開いた。

「ごめんなさい、先生」

「……ノア」

 彼女は涙を流していた。目じりから涙が溢れ、そのまま頬を伝っていた。つられるように私もたまらなく悲しくなった。目の前の彼女はもう二ヶ月とない間に私の前から消えてしまう。そしてきっともう二度と会うことも出来なくなる。見ないようにしていた未来は彼女の瞳の中に映っていて、それを見ていると私も叫びたい程の痛みに襲われた。

「ノア、愛してる」

 私はようやく言葉に出来た。ずっと伝えたかったことを伝えてしまうと、体の中にあった鉛のような重みはどこかへと消えてしまって、涙がとめどなく溢れるようになった。

「私もですよ。だからどうか、同じくらい愛しているユウカちゃんを、幸せにしてあげて下さい」

 どちらからともなく、我々は抱きしめ合った。彼女の身体は綿毛みたいに軽く、こうして抱えていなければどこかへ飛んで行ってしまいそうだった。私はそうなってしまわないように、彼女を強く抱き留めた。彼女は私の胸の中で嗚咽を漏らしながら泣いていた。

しばらくして泣き止むと、突き放すように私の腕を解いた。

「ダメですよ。こうしていると、私の決心が揺らいでしまいますから」

 彼女は長い髪を揺らしながら振り返って、病院の方へ歩き始めた。私もその横を歩いて行った。

 

 その夜は空いている病室に泊まらせて貰うことになった。目が覚めて朝になったら彼女が消えているような気がして心配だったが、朝目覚めて花壇に向かうと、彼女は花に水をやっていた。

 

「ユウカちゃんには、遠くへ行くとだけ手紙を送ります。嘘をつくのはとても苦しいことですが、ユウカちゃんに迷惑や心配を掛けたくはないんです」

彼女はこの後のことについて、そう語っていた。

「貴方の下にも同じ手紙が届いたと言って下さい」

「ノアはこれからどうするの?」

「どうしましょう」

 私がそう聞くと、彼女は首を傾げながら言った。

「本当に、どこか遠くへ旅をしてみるのも悪くはないかもしれないですね」

「もう会えない?」

 ほとんど無意識に私は聞いた。彼女は何も言わなかった。

「最後に一つ聞きたいのですが」と彼女は私の質問に答える代わりに言った。「先生は私とユウカちゃん、どちらを愛しているんですか?」

「二人ともだよ」と私は答えた。

 それが正しい答えなのか、結局私はずっと分からないままだったが、彼女は満足したようで頬を緩めていた。

「それでは、さようなら」

 そう言われて、私は彼女に見送られてその病院を後にした。もう二度と彼女と会うことはないのだろう。バス停に向かう途中に何度も踵を返したくなったが、それでも私は前に進まなければいけなかった。戻ったとして彼女に一体何を言えばいいのだろう? 記憶をなくしても君と一緒に居たいとでも? それは彼女が一番望んでいないことなのだ。私は深い泥濘を這い出すような感覚を覚えながら、やっとの思いでバス停に辿り着いた。バスの車窓から、あの病院の小さな赤い屋根が見えた。

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