「今日を以て、我ら『栄光の剣団』も、他の傭兵団と同様に解散する!」
「皆今日までよく頑張ってくれた。褒美として細やかだが金と宴を用意した。さぁ、好きに飲んで食ってくれ!」
『栄光の剣団』団長…否、元団長のベラスケス・ナッサウが蝋燭で煌々と明るい酒場中に響き渡る声で叫び、直ぐ後から爆発的な歓声が上がった。
時に1331年某日の出来事である。
◇
大陸北西域の広大な領域を支配するヴァルヘイム帝国の帝都ベルンブルクにて、先の大戦…東に国境を接する大国フルランダ王国との戦争…を生き残った勇者たちが集い、互いの生還と勝利を噛みしめ合ってから早五年。戦後復興の後押しに始まり、警吏として、また労働力として国家に飼われてきた数多の傭兵団が、この日再び帝都に一堂に会した。そして今度は極一部の傭兵団を除き、ほとんどが帝国によって成された『平和宣言』の名の下に解散した。
団解散の対象は、帝都べルンブルクから西に丁度300シセロの距離にある、直轄領エルバニアで生まれた男たちだけで構成され、愛国的傭兵団として賞賛を受けてきた『栄光の剣団』にも例外なく適応された。
傭兵団長として約十年間、男所帯を率い、帝国に貢献した点を評価されて、今や団長だった"ただの"ベラスケスなどは、騎士の爵位とナッサウの姓、寒村ばかりではあるが人口千を超える領地を与えられて、ベラスケス・ナッサウとなり、立派に帝国貴族入りを果たした。
他にも、傭兵団で財務をやっていた団のナンバー2のアルモンテ百人隊長はどこの銀行からも引っ張りだこであったし、腕の立つ重装戦士として知られたミルバーグ百人隊長などは正規軍からの逆ナンパで、いきなり国軍百人隊長の待遇で入営するという選択肢が残されていた。
先の大戦は過酷であった。大戦の嚆矢となった、フルランダ王国による帝国との国境線侵犯から戦い続けた『栄光の剣団』には、あの戦争を語る権利があるだろう。
そして戦争を語り継ぐことを使命であると内に燃える者が生まれることは必然であっただろう。
だが帝国の『平和宣言』が一方で名を売り、豊かで輝かしい未来に迎えられる者達を生んだのに対して、現実には、数えきれないほどの『社会不適合者』を生み出したこともまた間違いのないことだった。
大陸北部全域を東西に割く、ダーヴ河を境に接する大国フルランダとの戦争は、虎狼の国ヴァルヘイムに賠償金に換えて肥沃なアルディッジ広原を齎し、また建国以来200年間不敗というその伝説的な国威を更に発揚した。
しかし、一方で戦争によって国庫は干上がり、多くの未来ある若者を失い、また国家の象徴とも言うべきレガリアの一つを、『ヴァルヘイムの帝笏』を保管していたラ・ベル城ごと奪われてしまった。
五年間もの長期に渡り続いた戦争の終結は、フルランダ王国国王の崩御と、ヴァルヘイム帝国皇帝の崩御が重なったことで実現された。係争地アルディッジの獲得か、或いはラ・ベル城及び帝国のレガリアの返還か、両トップが不在の間に両国の群臣たちが軍部を抑え、折衝を活発に重ねたことによって束の間の平穏が訪れたのだ。
係争地の名をとって『アルディッジ平和条約』と謂われた条約に、少なくない利権問題が絡んでいたことは、帝室レガリアよりも大陸でも稀なほど肥沃なアルディッジ広原を選択したことからも明らかであった。
ここで、今一度1331年某日のことに意識を向けて欲しい。
群臣たちによって、言い換えれば寡頭制で決められた『アルディッジ平和条約』には、戦後5年間の不可侵に加えて、過度な武装の解除を両国共に約束する条項が含められていた。
これは戦争も復興も終わり、ただの金食い虫となった傭兵団を解散させる上ではもってこいの一文だった。
条約遵守の名の下に、国家主導で量産された無数の傭兵団は、その財政悪化に背中を押される様に、部隊解散を半強制されたのだ。
◇
エルバニアの領都エルバの領主ティモシン・エルバ・ナサリエルの侍従ホスローの一人息子ジャックは今年で25歳になる。
ジャックは15歳の誕生日を迎え、成人として認められると同時に、幼馴染のハボック、ジョナサン、ウィリー、ケッテン、マクシマの五人と共に『栄光の剣団』の募集に応募、見事合格した。
そして、そこから五年間、ジャックはフルランダ王国との戦争を戦い抜き、戦場から生還した。
戦場から帰って来た彼は、そこから更に五年間、国内の復興事業に労働者として従事した。
数えて十年間、ジャックは国家に奉仕し、戦士として或いは復興支援の労務者として勤めあげた。
『平和宣言』が成された日は、偶然にもジャックの誕生日だった。15歳から戦場に身を置いて、ジャックは気がつけば25歳になっていた。
25歳になると同時に、ジャックは無職となり、晴れて故郷へ凱旋することが許されたのだった。
だが、ジャックは暗然としていた。なぜなら、戦場に共に向かった六人の内で生き残ったのはジャック唯一人だったからだ。
◇
戦場から戻っても、ジャックにその実感はなかった。寧ろ、以前にも増して気持ちが荒れるようになった。今やジャックは何でも出来るはずだったが、こみ上げる感情には憤怒と落胆、失望だけが残った。
空虚な感覚の源泉は、つい先日の出来事に起因した。『平和宣言』によって解散を言い渡された『栄光の剣団』で、生き残った全員が集まる宴会としては最後になるだろう催しでそれは起こったのだ。
つい先日まで戦場でも、工事現場でも変わらず命を預けてきた、団長ベラスケスは、この日の恰好からしておかしかった。
十年間、寝食を共にした見慣れた格好ではなくて、これまで戦場で散々にバカにしてきた、或いは差別を受け、捨て駒の扱いを受けてきた貴族の恰好で現れたからだ。
外見だけ変わっていたのならどれだけよかったことか。やんぬるかなベラスケス、ジャック達が敬愛した団長殿は、中身まですっかり変わっていた。
「私は秘蔵の葡萄酒を頼もう。それと肉はホロホロ鳥をワインと一緒に柔らかく煮たものを頼むよ」
「エール?そんなものは御免だよ、あんなのは小便と一緒さ。呑むだけで人としての格が落ちるね」
ベラスケスはベルベットと金銀糸の線の入った貴族服を身に纏い、大きく膨らんだ死体みたいな帽子を被って現れた。帽子と同じ金糸と紫の刺繡の入った白のマントに、握りの頭に鷲の頭が納まったステッキなんかも持っていた。腰に下げる剣も、今まで使ってきた肉厚で頑丈な実用性第一のものから、見た目だけは『栄光の剣』に違いない、サファイヤやルビーの埋め込まれたハンドガードの、いかにも繊細で脆そうなレイピアに取って代わられていた。
ベラスケスの登場に、違和感こそ覚えたものの、多くのものは団長の栄達に歓声を上げていた。だが、それだって最初だけだ。
ベラスケスはこれまで誰よりも多くエールの杯を空にしてきた男であり、誰よりも宴会芸に熱心な男だった。だが、この日はエールは一滴も飲まないのどころか、酷い汚い言葉で言い捨てる始末で、宴会芸に至っては、誰にもその下品で粗野なノリで振舞うことを許さなかった。
これまで散々に強いられてきた宴会芸が不要となり、また明らかに人の変わった団長に誰もが気づく頃には、宴会場の酒場は何時になく静かになっていた。誰もが壁に掛けてある蝋燭の溶ける儘に時間を溶かし、酷い評価を叩きつけられた店自慢のエールをちびちびと舐めていた。
こそこそ話が始まり、誰かが団長を「おかしい」と言ったのが、やけに澄んで聞こえてきた。
全くその通りだと、一人を除いてみんなの意見が一致した時、ガタリと音がして、団長専用の卓の上から食べ物や飲み物が払い落とされた。
ドン!とテーブルを叩く音がして、恐る恐る振り向けば団長が真っ赤になっていた。
「誰だ!今、俺をおかしいと言ったヤツは!出てこい!」
団長はカンカンだった。見たこともないほど腹を立てて、そうして静まり返った酒場の中で剣の柄に手をやった。
「俺は貴族になったんだ!お前たちとは違う!」
「いいか?よぅく覚えておけ、帝国法にはな、貴族がある条件下でなら平民を手討ちにすることを許すという一文があるんだ!」
「その中に、酷い侮辱を貴族に向かって言った場合、というのがある。さぁ、出てこい!手討ちにしてやる!」
当然だが誰も出て行かなかった。だが、団長がレイピアを仕舞う頃に、おバカの一人が…彼は団長の昔馴染みの…大槌を振るうことから兜割のビリーと呼んばれていた…ヴィルヘルムがズイっと出て言った。
「今日は一段とぶっ飛んでるなぁ!兄弟、そら、機嫌直して飲み直そうぜ?」
「今何と言った?」
「ぶっ飛んでるなぁ!って言ったんだ」
「その次だ」
「兄弟」の一言が出るより早く、団長は仕舞いかけのレイピアを振りぬくと、迷いなくヴィルヘルムの首に突き刺した。
「ぐわぁあぁぁぁ!?な、なにしやがるッ!?」
「お前の様なバカな平民と兄弟な訳ないだろう?」
血がジャックの卓まで飛び散り、そこからは目も当てられない。
「場が冷えた。もう用もないから俺は帰るぞ。俺には貴族の屋敷もあるんだ」
そう言って、倒れたヴィルヘルムに振り向きもせず、団長だった男は夜の闇に消えた。ヴィルヘルムはレイピアなんてオモチャで死ぬような玉ではなかったが、それでも一週間は血が足りなくて青い顔をしていた。そして時折、恨めし気に「ベラスケス、あの野郎、絶対に許さねぇぞ」とか「きっとあの服や帽子には魔法か呪いが掛かっているに違いない、剥いでやるのが奴の為だ」とか言って、ヴィルヘルムの面倒を見ていた軍医のショーン百人隊長を困らせていた。
最後の宴会から二週間後、いよいよ最後の給金の支給日がやって来て、本当に今度こそ十年間入れ替わりこそあれど、同じ釜の飯を食った顔ぶれともお別れの日がやってきた。
ジャックは十年間勤めあげたことを評価されて、国軍から最終階級として名誉百人隊長の位と、年間1500ラゲル…大体庶民の三カ月分の給金…を受け取る権利を与えられた。
最後は、同郷の仲間たちと共にエルバニアまで馬車や鳥車で辿り、そこからそれぞれの地元へと別れた。
改めて考えれば、尊敬していた団長はまだいい方だったのかもしれないと、ジャックは思った。あの日、軍医のショーンと平の百人隊長だった自分を除けば、幹部らしい幹部は出席していなかったことを、知ったのだから。財務担当のアルモンテとミルバーグに至っては別れの挨拶も無しだった。
たとえ団長のせめてもの恩情だったと思っても、ジャックの気持ちは晴れる訳ではなかった。
ジャックは憂鬱と、それから今後への不安を抱えながら故郷であるエルバニア領都エルバにある実家に凱旋した。
◇
ジャックの実家は封建制にあって、最も都合の好い家系だった。帝室や領主を崇敬し、尊重し、大真面目に滅私奉公に勤しんできた歴史があった。
だから、ではないが現領主であるティモシン・エルバ・ナサリエルからも、信頼のお陰か、割とフランクに接して貰えていた。
ジャックにとって、貴族という存在はそこまで悪いものではなかった。
しかし、団長の振る舞いにより植え付けられた、トラウマにも近い経験によって、ジャックは今一度自身の家系が信奉してきた思想へ、貴族という存在に対する理解へ、懐疑の念を抱かずにはいられなかった。
果たして、ジャックは団長の振る舞いが正しいものだとは納得できなかったが、自身とティモシンやベラスケスの様な貴族との間に、絶対的な溝、階級間の谷が存在していることに気づかされたのだ。
ジャックは平民だ。ティモシンは貴族だ。領主に仕える侍従を父親にもったお陰で、ジャックとティモシンは一緒に育った。文字通り何もかも一緒に、ティモシンが貴族であるという点を除けば二人の間に溝なんて存在しなかった。
停留場に着くなり、凱旋した生還者たちへと複雑な視線が投げかけられた。群衆に囲まれているのか、それが味方なのか敵なのかジャックには分からなかったが、足元のおぼつかない感じを覚えた。
エルバの都の大停留場で、一人佇んで黄昏る時間があった。空は快晴であり、ジャックは健康そのものだった。
佇むままに、飽きるまでこうしていよう、そんな風にジャックは思った。これから彼には、共に戦場へ赴き、そして自分とは異なり無惨にもその死体を荒野に、泥土に、雪原に晒した五人の友人の遺族へと、彼らが如何に勇敢で立派に死んだかと語らねばならなかった。
また死に様と共に、彼らの金属で作ったにしては安っぽい輝きを放つ、勲章を届けてやらねばならなかった。勲章が、遺族に報奨金を齎すことは死んだ彼らにとって一番の救いになる話だからだ。
だが、もしも「お前が生きているのはなんでなんだ?」とか聞かれでもしたらと、ジャックの内面は悶々としていて、殊更に悲痛だった。
晴天に晒し者にされたような心地でいると、人の波が割れて、数人を吐き出した。それは従者の騎馬を伴う、馬にまたがった麗人であり、よくよく見なくても、十年ぶりに目にする幼馴染その人だった。旧知を運んできた人の波は騒めきたち、すぐさま注目が集まった。
ティモシンは肩丈に切り揃えられたくすみの無い美しいブロンドの髪を揺らして、颯爽と騎馬から危なげなく飛び降りた。身に纏う貴族の服装は、細くしなやかなティモシンの印象に極めて近いものだった。女性を嫉妬させずにはおかない厳寒と常夏を行き来する類稀なる美貌も相乗し、まるで怜悧無比な美女の様だった。
「おぉ」とか「美しい」とか感嘆する声が、歓声に混じった。ジャックも、確かにそうだと思った。だがジャックの場合は現実逃避であり、でもそれが、十年ぶりの再会を素直に喜べない自分を見て見ぬふりするために出来る、目一杯の努力だった。
ティモシンは真直ぐ、迷うことなくジャックの元までズンズン進んできた。穢れの無い純白と金糸で彩られた貴族の服と、襤褸切れじみた頑丈さだけが売りの軍服。まるで違う二つの服を着た者同士が、まるでそうするの当然だと言わんばかりに合わさった。
「君、君、もしかしてジャックじゃないか?」
「ジャック!ジャックだ!」
「おかえりジャック…あぁ、君が無事で本当によかった…」
ティモシンはそう言ってジャックを停留場で、衆目にも負けずに正面から抱きしめた。周囲の反応は歓声を上げるか、唖然として沈黙するかに分かれた。
ティモシンからの信頼や友情に対して、ジャックは今のまま、階級差に気づいてしまったままに付き合っていける自信がどうしても湧かなかった。帰還した自分のもとへと、いの一番に駆け付けて、その場で抱きしめてくれるティモシンは、しかし優雅な貴公子で、対して自分は戦争帰りの、しかも傭兵崩れだった。
正規の侍従としての素養を培う為にあった時間を、ジャックは全て戦場で擦り減らしていた。ジャックは自ずから、もはや侍従にはなれないことを悟っていた。
手に染みついた血と汗と泥と…汚ならしい全ての何かに触れたこの手で、終ぞジャックはティモシンを抱き返すことが出来なかった。
そして、そんなジャックの異変にティモシンだけが気づいていた。
「さぁ、ここに長居は無用だよ。一緒に帰ろう。ジャックのお父さんも帰りを首を長くして待ってるよ」
ティモシンはそう言ってジャックの手を取った。
「あぁ」と、情けない声がジャックの口から漏れるのと一緒に、自由なもう片方の手が、丁寧にティモシンの手を解いた。
「あれ、手を繋ぐの、いやだった?」
ティモシンはやけに蒼褪めた顔をしていた。だが、ティモシン以上にジャックは蒼褪めていて、今にも倒れそうだった。
ジャックの頭の中には二つのことが天秤に載せられて、あっちにこっちにと傾いていた。
一つはティモシンと過ごした時間。階級差何か気にならない自由な時代の記憶だ。大事な思い出である。
もう一つは戦争と、それから戦争が終わってからの時間のことだ。辛く苦々しい思い出ばかりだが、ジャックの半生を彩った記憶である。
天秤は完全に振り切ることが無かったが、姑息な一手をジャック自身に打たせる程度には、後者に傾いてしまった。
「お許しください、ナサリエル様!」
ジャックは勢いよく土下座した。平伏し、許しを乞うた。
ティモシンの反応は劇的だった。言葉に尽くせぬほどの葛藤を一瞬で済ませてしまうほどに、それは激しいものだった。
「やめてよ!!」
耳が痛くなるくらい。絹を裂いたような声だった。
ティモシンは地面にへばりついたジャックに縋りつくと、苛立ちを抑えることもなく言った。
「僕はね、やめてって言ったんだ。それに…僕のことはティモシンって、そう呼ぶ約束だろう?」
ジャックが答えられないでいると、ティモシンは目を細め、口角を忌々し気に上げた。
「…ずっと逢えなかった間のことを話してよ。」
「何があったっていうのさ、僕に言えないことなの?」
ティモシンには衆人が見えないのだろうか?領主としての自覚が無いのだろうか?
いいや、そう言う訳ではない。唯、優先順位が違っただけなのだ。
ティモシンはジャックを質問攻めにした。それから、ある問いに辿り着き、その相貌を恐ろしく張り詰めた深刻なものへと変えて言った。
「ねぇ、もしかして女でも出来たの?」
「…どっちにしろ、早く帰ろうよ。僕たちの家にさ…」
ティモシンは部下に命じてジャックを立たせると、彼の汚れた軍服を手で何度か撫でつけるように払い、それから自分の軍馬に態々相乗りさせた。
馬に鞭を入れる寸前、ティモシンの色っぽい吐息がジャックの耳に幻聴のように届いたことは、二人を除いて知る者の居ない事実である。