621が初陣から戻り、ウォルターはコックピットが開くのをキャットウォークで見守っていた。彼女は一人で動くことが出来ない。介添えが必要だった。開いたハッチから内部を伺うと、621が身じろぎもせずに座っているのが見える。首筋のコネクターに手を掛けた瞬間、「うぉるたー」と弱々しい声がした。今なら彼女は機体のセンサーを介して彼を感じる事が出来る。機械の中に繋がれている今だけが、人としての時間を彼女は許される。
「やく、そく」
「・・・・・・ああ」
ともすれば躊躇いがちに見える手つきで、ウォルターは621の頭を撫でた。年端も行かぬうちから負荷に晒され続け、すっかり色素を失った白い髪は、しかし歳相応な柔らかさと滑らかさを彼の手に伝えた。それが逆に痛々しくすらもある。621はしばらく撫でられていたが、やがてこくりと頷いた。
「やくそく、はたした」
恐らく、621の肌はウォルターの手を感じられはしなかっただろう。それでも、彼女は確かにウォルターが自分を撫でてくれたであろうことを『信じた』のだ。
「そうだな。ではコネクターを抜くぞ」
「うん。おやすみ、うぉるたー」
ぷつっと小さな音がして、端子が621の首筋から離れる。彼女が少し強ばったかと思うと、すぐにだらりと脱力して動かなくなった。コーラル管理デバイスがオフになったのだ。通常の強化人間なら戦闘情報処理が行われなくなるだけで、なんら常人と変わることは無いのだが彼女は別だ。この瞬間、彼女は生ける屍となる。
ウォルターは621を抱え、用意していた車椅子に乗せた。小さく、軽く、パイロットスーツ越しでも伝わるほどに火照った身体。戦いの余韻を残しているのか、幼さ故なのか、少し早い心拍。こんな子供にまで猟犬の首輪を付け、あまつさえ己の偽善を受け止めさせようとしている。
(俺は、地獄に行く理由を持ちすぎた)
ウォルターはしばらく立ち止まっていたが、やがてゆっくりと621を用意していた部屋へと送って行った。
※
『密航』からしばらく経った。あれから621とウォルターは後ろ盾を得る為、実績作りに励んでいた。首尾は上々だった。登録番号Rb23、コードネーム『レイヴン』となった621は、独立傭兵としての名を徐々に浸透させていた。
今回ウォルター達が受けることになった依頼は、星外企業アーキバスからの物で、ベイラム所属部隊レッドガンへ輸送されるテスターACを撃破せよという物だった。アーキバスグループはこのルビコンにやって来た火種の一つであり、同じくコーラルを求めてやって来た競合他社であるベイラムと小競り合いを続けている。
しかし、ウォルターからすればそんな事情はどうでもいい。独立傭兵としての地位を確立することと、621の戦闘力を上げることが目的だった。特に今回の戦いでは、試作機とは言えACと戦うことになる。
初の対称戦だった。危険度は今までと比べるまでもない。
「気を引き締めていけ、621」
「しんじて、うぉるたー」
621は悠々と出撃して行った。着実に自信と経験を積みつつある。あと彼女に必要な物は、他者とのコミュニケーションだ。
(旧世代型は感情の起伏に乏しいことがある。あいつには外部の刺激が必要だ)
今後の予定は山ほどあるが、とにかく今は彼女を生きて帰らせることだ。そうウォルターも気を引き締めた。数分後、621が作戦領域に到達した。まだ目標はこちらに気付いていない。
「奇襲の好機だ、621」
「わかった」
621はテスターACが格納されているコンテナまで、ブースターを使わず出来るだけ接近した。そしてアサルトブーストを起動し、一気に斬り掛かる。ダメージは与えたが、さすがにACと言うべきか、深手には至らなかった。搭乗しているパイロットが慌てふためく。
「て、敵襲!? 独立傭兵かっ」
迎撃してくるテスターACを見て、621が怪訝そうな顔をする。
「うごき、わるい。だめーじのせい?」
「敵は輸送にアサインされただけの訓練生だ。だが油断はするな」
「そっか。わかった」
テスターACのブレード攻撃を621がブレードで受け止め、ライフルを至近距離で撃ち込む。怯んだ所にミサイルを重ね、蹴りを叩き込んだ。
「俺だって訓練は受けてるんだ・・・・・・やってやる!」
「・・・・・・」
懸命な反撃を躱し、621はブレードで連続攻撃を行った。
「くそっ、こんな所で。死にたくない」
「・・・・・・」
621は攻撃を続ける。最後の力を振り絞るような反撃も、彼女には届かない。遂にテスターACが力尽き、炎上する。
「ああ、俺もコールサインが欲しかった、な・・・・・・」
今際の際の声が聞こえ、621はただ燃え上がる敵機を見つめていた。いつもなら感じる安堵や達成感が、今は無かった。今まで考えもしなかった事に初めて気付いた。自分が生き延びた時、誰かを踏みにじっているのだと。
「うぉるたー。わたし、これでよかった?」
ウォルターは621の葛藤を感じ取っていたが、あえて「ああ」とだけ答えた。
「よくやった、621。戻って休め」
「・・・・・・うん」
帰投した621をいつものようにウォルターは迎えに行った。ハッチが開くと、621が声を掛けてくる。
「うぉるたー」
「どうした」
「だきしめて、ほしい」
「なに?」
ウォルターが珍しく困惑する。621は「おねがい」と続ける。
「わたし、いきてる。あのこ、しんだ。なんだか、こわくなった」
「621・・・・・・」
避けては通れない問題だった。621にとってACでの戦いは『そういうもの』でしか無かった。それ以外に知らないのだから。だが徐々に人間としての意識が育つに従って、葛藤も増える。
それでいいのだ。彼女が人生を取り戻した後のことを考えれば。しかしその為に彼女を死地に追いやってもいる。
今までのハウンズとは、彼女は違う。621はウォルターの希望であり、贖罪であり、エゴへの生贄だった。ウォルターは「分かった」と答え、そして、ついに抱きしめなかった。621には、それが分からない。
「だきしめて、くれた?」
「ああ」
「わたし、いきてる?」
「生きている」
「やくに、たってる?」
「立っている」
621は震えていた。死の恐怖に。自分が他者を摘み取ることに。だからこそ、それをしてもいいと思えるくらい、誰かに己を必要とされたいのだろう。
代償行為だ。小さな彼女には意味が必要だった。ウォルターはそれを理解しながら、受け止めることが出来ない。与えることは出来ても──。
「ありがと、うぉるたー。もう、だいじょぶ」
「そうか。とにかく、今日はゆっくり休め」
「うん」
621の首筋からケーブルを抜くと、いつものように彼女は動かなくなった。小さな身体がだらりとコックピットでうなだれている。これが巷で話題になりつつある独立傭兵の真の姿だ。戦うことにすら確かな意志を持たぬ少女。囚われの小鳥。
「許せ、621」
ウォルターは彼女を抱え、いつものように車椅子に、乗せなかった。そして621をしっかりと抱いたまま、部屋へと向かう。
(これが手向けだ)
その二人の姿はまるで、幼子を連れた父親のようだった。