Advanced New World(仮)   作:ばいどるげん

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3話

 擬似太陽が人工の地平線を跨ぎ始める。どうやら間もなく夜を迎えるようだ。セムはANW内の時間経過が現実世界に忠実である事を思い出した。

 

(あっちは今でもFVTの起こした事故で大騒ぎだろうな。父さんは大丈夫かな……)

 

 父親はFVTでも上に立つ者であるが故にこの度の事故では責任を取らなければならない。最近はまともに自宅へ戻る事すら許されなかった。人の命が掛かっている以上ややもすれば刑事責任に発展しかねない。

 『恒平』の肉体もそのままにしておけば死に絶えてしまう。当然体は父が保護してくれる事になっている。おそらく今は無事に病院へと搬送されているだろう。となれば肉体は既に筐体から降ろされているわけであり、セムはログアウトする事が出来ないわけだ。

 

(……危険なのは分かってた。けれど後の事は母さんや茉莉(まつり)たちが何とかしてくれるはずだ。オンラインから切り離されない限りはいつでも連絡は取れる)

 

 自分に言い聞かせるように胸に手を置く。自分も被験者たちのように二度と帰る事が出来ないかもしれない。自ら死地へと赴く恐怖と向き合う事はどれほど勇気が必要だろうか。それも父と家族を心から信じているからこそなのだろう。

 

「そろそろ暗くなるし君も帰りな。ご両親が心配するよ」

「えー、もっとお話聞きたいなぁ。……あっ! それならお兄ちゃん、私の家に来なよ!!」

「君の家に……? お誘いは嬉しいけど一般の家庭にお邪魔するわけには……」

「大丈夫だよ! 私の家は『やどや』って言うの。いっつも色んな人が泊まりに来てるんだよ!」

 

 なんと言う僥倖だろうか。ANWのプレイヤーには自宅と言うものはなく、専らどこかの宿屋で夜を明かす必要がある。少女の申し出を一度は断ろうとしたが、宿の手配をしていなかった事を思い出したセムは厄介になる事にした。

 

 ANWではゲーム内時間が現実とリンクしている事もあり、一般認識の就寝時間になるとログアウトをするよう警告が表示される。データの存在となれど疲労は溜まる。それは肉体を動かさずに脳だけを働かせている事と同義であり、精神的な疲労が現実の肉体に及ぼす影響が大きいからだ。

 とは言えその警告を無視しプレイを続ける輩も当然いるであろう。さらに言えば多忙な現代人の生活リズムは人によって大きく異なる。その他にも様々な要因でログアウトできない場合などを加味し、救済措置として各街には休息できる場所が設けている。

 またプレイ中に睡眠を取る、もしくは夜時間にログアウトをすると目覚めた後に様々なプラス効果が付与される仕組みになっている。そのため無理に行動を続けるよりはしっかりと休み万全の状態で臨む方がメリットが大きいのだ。より長く健康的に遊んで欲しいという開発者たちの心遣いなのだろう。

 

 

 少女に手を引かれ連れて来られた場所は直ぐ近くだった。吊り看板に書かれた『INN』の文字が昔懐かしきRPGの世界を思い出させる。周りの住宅よりもやや大きめな事を除けばいたって普通の建物だ。

 

「ここが私の家だよ! 中に入って待ってて。今お父さんとお母さんを呼んでくるね!」

 

 少女は下履きのまま屋内に入り宿屋の主人である両親を呼びに言ってしまった。玄関口は日本の建物の様に靴を脱ぐ場所が見当たらず、泥落としのマットが敷かれているだけで靴箱らしき物は見当たらない。一人残されてしまったセムは靴を脱ぐべきかも分からず途方にくれていた。

 

「お待たせお兄ちゃん! ほらお母さん、早く早く!」

「あらあら、お待たせしてごめんなさいね」

「い、いえ」

「ファルセンからいらっしゃったそうね。若いのに遠いところから大変ねぇ。お疲れでしょうし、早速お部屋にご案内しますね」

 

 宿屋の女主人はそう言うなり少女と一緒に階段を上がっていく。靴を脱ぐべきなのかを聞き逃してしまったセムだが、二人が靴のままのため脱がなくても良いと判断した。

 セムの訪れたこの宿は俗に言う民宿のような物なのだが、ホテルや旅館と言った物しか知らない彼には些か抵抗があった。どこを見渡しても――この世界からすれば――いたって普通の民家であり、屋内に漂う空気が生活感を感じさせる。

 二階は部屋が三つほど用意されており、セムが案内されたのは真ん中の部屋だった。両隣の部屋は閉められていることからどうやら既に先客が居るようだ。

 

「そうそう。先に料金のプランを説明しておきたいのだけど良いかしら」

「えぇ~、お兄ちゃんはオマケしてあげてよ」

「そうしてあげたいのは山々だけど……他のお客さんの手前特別扱いは出来ないのよ。旅人さんもごめんなさいね?」

「いえ、お構いなく。むしろ今日はどうしようかと思っていたものですから。娘さんには感謝しています。それで、プランと言うのは?」

「一泊で500Cr(カル)。朝食、夕食はそれぞれ別料金で100Cr。洗面用具は別途値段が異なるけれど全て込みなら200Crよ」

「……?」

「あら、どうかした?」

「い、いえ。それなら両方の食事付きと、洗面用具も全て込みでお願いします」

「わかったわ。それじゃあ夕食の前に体を洗うものを持ってくるわね」

 

 女主人は「ごゆっくり」と言うと微笑みながら下へと降りていく。少女も笑顔で手を振りながら「また後でね、お兄ちゃん!」と伝えると母親と共に下へと向かった。

 

「一泊500Cr……? 聞いていた話と全然違うぞ……」

 

 ANWの世界では『Cr(カル)』と言う通貨が用いられている。1Crは日本円で例えるなら1円、ドルで言うならば1セントだ。そう考えれば一泊500Crと言う単価はとても安い。朝夕の食事が200円で済ませることが出来るのも破格と言えるだろう。

 しかしセムは父親から聞いていた話と齟齬が生じている事に不信感を抱いていた。第三サーバに存在するこの街、ニューバは初心者たちの出発点となる地だ。初心者は慣れない内はゲーム内通貨を稼ぐ事が難しく入手できる金額も少ない。そのためアイテムやサービスの料金もそれに合わせて低く設定されている。

 女主人の提示した金額は初心者プレイヤーからするとかなり高めの料金設定だ。そもそも宿屋のサービスはレベル依存であり、ステイタス上Lv(レベル)1のセムが支払うべき金額はたったの100Crのはずである。

 

(どうもさっきから何かおかしい。この街のNPCのAI、宿屋の値段。それに食事等についても別料金だなんて聞かされて無い。まるで本物の宿泊施設みたいだ……)

 

 かといってまさかNPCが――あの少女の母親が嘘を付いてるとは思えない。考えれば考えるほど深まる謎は、しかし今は解決するはずも無く。セムが頭を悩ませていると女主人が洗面用具を持って扉を叩いた。

 

「はい、こちらが洗面用具一式よ。体を洗うための水とタオル、剃刀、やすり、それと歯磨き用の塩ね。洗面器は寝る前に下へ戻しに来てくれるかしら。また朝に代わりを用意するから」

「分かりました、ありがとうございます」

「また夕食の用意が出来たら娘に呼びに来させるわ。うふふ、楽しみにしててね!」

 

 再び女主人は下へと降りていった。セムは受け取った洗面用具をもう一度確認する。もっと現代的な物を想像していた彼にとって、これらの活用方法を理解するのは難儀であった。

 

「体を拭くって、シャワーすら無いのか…………」

 

 いくらリアリティを求めているとは言え、これは流石に不便過ぎやしないだろうか。仮想世界は現実世界以上に有意義に過ごせるはずと思っていた彼は、()()と現実のギャップに落胆した。

 美味しそうな匂いが階段を伝って二階へと昇り始める。夕食が出来るまでそれ程時間はかからないらしい。手持ち無沙汰を感じたセムは少女が呼びに来る前に体を洗う事にした。

 

「お兄ちゃん、夕食の用意が出来たよー!」

 

 体の洗い方に苦戦していると扉をノックする音と共に少女がセムを呼ぶ。料理ができるのは思っていたより早かった。半裸姿のセムは焦りながら「すぐに行くよ」と返事を返す。

 

「それじゃあ先に下で待ってるね。早くしないと冷めちゃうよ!」

 

 少女はお母さんのような注意をし続けて両隣の宿泊客を呼びに行った。あの様子だときっと彼女は日頃から母親に叱られているのだろう。セムは思わず苦笑いを零す。

 急いで体を拭き終わり廊下に出ると残り二つの部屋の明かりが落ちていた。人の気配もない事から隣客たちは既に先に降りているようだ。

 

(この世界に来て初めての食事か。一体どんな物なんだろう。……それにしても歯磨き用の塩って何だ?)

 

 こればかりは聞いてみるしかないだろう。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と言う諺もあるくらいだ。ましてや、誰にも頼れる者が居ない以上、全ては自分の手で切り開かねばならない。

 先々は不安に満ちているが、せめて今だけは与えられた幸福を享受しよう。そう思いながら下へと向かう彼の腹は既に美食を平らげる用意が出来ていた。鼻腔をくすぐるその匂いはとても仮想世界とは思えないほど現実味を帯びている。

 最新技術を五感で体験できる喜びも馴れれば凡。だからこそ今を楽しもうと、セムは初めての電子食に心を躍らせた。

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