もしも禪院直哉が割と良いやつだったら 作:まつだ
その男、禪院直哉
男尊女卑、禪院家にあらずは術師にあらず、術師にあらずは人にあらず、そんな風潮のある禪院家内の治安は当然悪かった。
術式を持たない者、特に女の扱いは言うまでもなく悪く、柄のような上の人間の女でなければ、禪院家の男は女を好きなようにできた。
当時の25代当主や、次期当主と名高い禪院直毘人も、下の人間の動向に興味を持つ性格ではなかったので、そんな悪しき禪院家の風潮を正す気もなく、禪院家は術式のない女にとっては地獄のような環境であった。
しかしある時、そんな禪院家に特異点が現れる。
禪院直哉、爆誕。
六歳になり、術式の有無を確認したところ、父直毘人と同様の術式を持っていた。つまり、早くも27代目当主になることが期待され、周囲からの扱いも非常に良かった。
だが、禪院直哉が特異たる所以は、術式ではなかった。
「なんで、こんな美しい世界に、呪いなんてもんがあるんやろな……」
物心付き、禪院家の術師としての教育を受けていた際に、直哉が呪霊や呪詛師による被害に心を痛め涙を流しながら放った一言は、当時の教育係に衝撃を走らせた。
禪院直哉は、呪術師どころか、人類全体から見ても稀な優しい心の持ち主であり、禪院家の特異点ともいえる存在だった。
親から引き継がれた類い稀なる呪力量や戦闘センスを持つ直哉が十歳になる頃には、禪院家の中で彼よりも強い人間は片手で数えるほどしか存在しなかった。
そして、前述したが、彼が優れているのは実力ではない。
「何しとん君? いじめたらあかんで」
子供のように無邪気に禪院家の屋敷を駆け回りながら、その最中に見かけた格下の男や女に対する暴力や虐めを止めて回っていた、その善性である。
自分より一回りも年齢が下である直哉相手だが、戦っても勝つことはできず、暴力以外で排除を試みようが、次期当主の息子に何かできるわけがない。
「なぁなぁ姉ちゃん別嬪さんやな。俺の世話してくれへん?」
また、立場の低い女を自分の世話係にすることで虐めの被害から守ってもいた。次期当主の息子の世話係に手を出せる者などいないからだ。
そうしたことを繰り返していく内に、直哉は幼いながらも禪院家の術式を持たない男や女から多く慕われていた。そして、表立った女への暴力や虐めはかなり減っていた。禪院家の男尊女卑の風潮を正すことまではできなかったが、それでも家の治安は大幅に良化していた。しかし、実力の高い直哉の存在こそが、禪院家の実力主義の風潮を更に高めてしまっていたことも否めなかった。
「決めたわ。俺いつか当主になって、誰も泣かん家にしたるわ」
自分の存在が禪院家の雰囲気を変えたことを察した直哉は、いつか当主になりこの家を変えることを目標にするようになった。
だが、そんな直哉は一つの挫折を味わうことになる。
それは『禪院甚爾』の存在だった。
「そういや、こっちの方来たことなかったな」
ある日、いつものように禪院家の屋敷を動き回る直哉は、気まぐれに離れの小屋まで向かった。すると、中から現れた体格の良い男に遭遇し、衝撃を受けた。
「────ッ」
その男は、術式どころか呪力を一切持っていなかった。それなのに、自分が知る限り禪院家の誰よりも強いことを感覚で理解した。
しかし、その男─禪院甚爾の強さに衝撃を受けつつも、その目の奥の秘めた哀しさのようなものを、直哉は見逃すことができなかった。
「君、名前なんて言うん?」
この人は孤独だ、と悟った直哉は、臆することなく甚爾に話しかけた。
「あ……?」
それを聞いた甚爾もまた、表情や態度に出すことは一切ないが、衝撃を受けていた。自分が術式や呪力を持たないことを蔑むわけでもなく、自分の力を恐れるわけでもなく、まるで一人の友になろうという態度で接してきた人間は、禪院家の中で誰もいなかったからだ。
「……甚爾だ」
そして、そんな直哉相手に、会ったばかりでありながらも少し心を許していた。
「俺は直哉や!」
「知ってる。直毘人の息子だろ?」
「せやで! よろしくな甚爾君!」
その後、直哉は何かと理由を付けて甚爾の元を訪れた。格闘戦の稽古をつけてもらったり、たわいのない会話をしたり、二人の仲は良好に見えた。
直哉は、今の禪院家では甚爾が冷遇されていても、いつか自分が当主になった時、甚爾の立場を上げたいと思っていた。
しかし、ある日甚爾は家を出た。その際、まるで今までの鬱憤を晴らすように暴れたらしい。直哉が任務により家を開けていた時のことだった。そして、その数年後に、甚爾が死んだことを告げられた。
結局甚爾の強さに届かなかったこと、そして自分の存在が甚爾にとっては大きいものではなかったと思い知ったこと、甚爾の死そのもの、それらが直哉のとって人生初めての『挫折』だった。
ちなみに、直哉の善人ゆえの眩しさに耐えられなかったことが、甚爾の家を出る理由の一つでもあった。つまり、それほどまでに甚爾にとって直哉の存在は割と大きかったのだが、当の直哉にそれを知る由はない。
「甚爾君のあほ……」
それから更に数年後、子供から大人になった直哉は、ほぼ日課となった見回りをしていた時、数年ぶりに虐めの現場に遭遇した。
「君たち何しとん? 稽古にしちゃ、少しやりすぎなんとちゃう?」
言葉だけで主犯たちを追い払い、虐められていた少女に手を差し伸べる。
その少女は『禪院真希』、後に壮絶な戦いを繰り広げることになる相手だった。
「いつもあんなことされとるん?」
「……別に」
「なんかされたら俺に言えばええ」
「……いい」
真希は、その性格上直哉の庇護下に置かれることを嫌がった。しかし、双子の妹である『禪院真依』のことに関しては、素直に直哉に助けを求めた。
「わかった。俺がなんとかしたる」
そして、禪院家当主になると言った真希を否定することも嘲笑うこともなく、直哉はそれまで真依を守るという約束をした。
「人っちゅうのはな、生きてるだけで偉いんやで」
実の父に出来損ないと言われ蔑まれ続けた真依にとって、直哉の存在は救いだった。
直哉は真依に護身術程度は教えたが、術師として鍛えようとはしなかった。むしろ、いずれ家を出て呪いとは関係のない世界で生きてほしいとすら思っていた。
「真依ちゃんもう十五なんやから、こんなおっさんにベタベタしとったらあかんで」
「……直哉さんがいい」
「あかんあかん。もっと同じぐらいの歳のええ男見つけぇや」
「……ばか」
「なんか言うたか? 聞こえんかったわ」
しかし、当主になった直毘人の意向により、家を出て呪術高専へ行った真希だけでなく、真依も高専に行かせることが決まった。
「親父、なんで真依ちゃんまで行かすん? 本人やる気ないで」
「真希だけに試練を課しても意味がない。双子の術師とはそういうものだ」
「だから、やる気ない子まで死地に送るんか? 高専ってそういうとこやろ? 無理な任務送って何人子供死なせとると思てんねん」
「それが、術師の家に生まれた者の運命よ」
「ほな、俺がいつか変えたる」
「期待しておこう。お前はいずれ俺を超えるだろうからな」
柄の筆頭、禪院家きっての実力者たる直哉とはいえ、当主の意向に逆らうことはできなかった。
「まぁ、こんなとこいるより、同じぐらいの歳の子たちと青春過ごした方がええかもしれんな」
そして、反対はしつつも、これも真依のためだと受け入れ、渋々真依を高専に送り出すことにした。
「どうして私まであんなとこに行かなきゃいけないの?」
「当主の意向や。俺にも止められん」
「私のこと守ってくれるって言ったじゃん」
「……すまんな」
まるで喧嘩別れのように、真依は直哉の元を去った。
「なぁなぁ悟君、今高専の教師やっとるんやろ?」
「君確か禪院の……何か用?」
「高専って授業参観とかないん?」
「んなもんねーよ。なんだお前」
直哉は高専に行った真希と真依を気にかけつつも、中々会いに行く機会を作ることはできずにきた。
そして、来たる2017年12月24日。最悪の呪詛師『夏油傑』が引き起こした百鬼夜行において、直哉は京都にて真依との再会を果たす。
「真依ちゃん! 久しぶりやなぁ! 元気しとった? ちゃんとご飯食べとる?」
「ちょ、直哉さん! 高専の人たちいるからそんなテンションで来ないでよ……!」
「すまん……つい……」
「本気で悲しそうな顔もしないで!」
そんな直哉と真依の様子を、遠目で眺める呪術高専京都校の生徒たち。
「真依ちゃんってあんな表情できたんだ……」
「口ではああ言ってますけど、心なしか超嬉しそうですね」
「あの男、禪院直哉じゃないか?」
「知っテいるのカ、加茂?」
「知っているも何も、禪院家当主に次ぐ実力者だ。御三家に知らぬ者はいない」
それを気にすることなく、ズカズカと直哉の元に歩いていく男が一人、一級術師『東堂葵』。
「……Mr.禪院」
「君は……一級術師の葵君やな」
「一つ、聞きたいことがある。どんな女がタイプだ?」
「タイプなんて関係なく女性は皆愛すべき者やで」
「む……そうか」
東堂にとってはあまりにもつまらない回答。しかし、直哉が誤魔化したわけではなく本心から言っていることも理解したため、何も言わずにその場を去った。
(禪院直哉……強者であっても女の趣味はつまらん男だ……善人であっても仲良くはなれんな……)
「なんやったんやろ?」
「さぁ……?」
「なんで真依ちゃんも不満げなん?」
「別に……」
直哉の好みのタイプが知りたかった真依にとってもつまらない回答であった。
しかしそれが、真依との最後の会話となることは、当時の直哉には知る由もなかった。
そして、約十ヶ月の時が経ち、本作第一話に至る。
過去編ってこんな感じでええんかな?