二日が経った。決戦の前日だ。
島民達の避難も終わり、来たる決戦に備え、皆がバタバタと忙しなく働いている。
そんな中、俺は海祇島外縁にて、一人釣りに耽っていた。
すぅ、と。静かに、そして深く息を吸う。
極限まで集中力を高め、我を大気へと溶かし、自然と一体化するのだ。
己と自然の境界を、輪郭を、より薄く、限りなく無に近づける。
そして────
「…………ブレストゲウオ……か」
竿を引き上げると、糸の先でビチビチと暴れていたのは稲妻特有の種、ブレストゲウオ。
槍のような厳つい頭を持つそれは、梅山家の食卓に並ぶ事も珍しくなかった、俺にとって馴染みの深い魚の一匹である。
しかし、捌いた事はあっても、実際に自分でこれを釣るのは初めてだ。
後で刺身にして、皆に振る舞ってみようか。
そう思いつつ、桶の中にブレストゲウオを突っ込む。
「…………ぬぅ」
そして、その際に見えた桶の中の様子に、俺は思わず唸ってしまう。
今日は朝方からずっとここに座り、釣りをして、今は太陽がちょうど真上に来る程度であるが、桶に入った魚は今のを含め未だ五匹。
普段であれば、この三倍は入っているはずのところを、未だ五匹である。
原因は分かっている。
俺は恐れているのだ。雷電将軍との決戦を。かの永劫なる鳴神への挑戦を。
俺の心は平静を装っているようであるが、やはり出る部分には動揺が出る。
このような具合で、かの雷神とまともにやり合えるわけも無し。さて、どうするか。
「……ふむ」
そんな事を考えていると、背後から誰かが歩いて来る気配を感じる。
覚えがある気配だ。腕も立つらしい。だが、モンド勢のものではない。
かと言って、珊瑚宮や、抵抗軍の人間のものというわけでも無さそうだ。
となると、考えられるのは…………
「……万葉少年か?」
「……流石でござるな。拙者なりに、気配を消していたつもりなのだが」
半ば当てずっぽうで聞いてみたが、どうやら正解だったらしい。
肩越しにちらりと後ろを振り向いてみれば、確かに苦笑を浮かべる万葉少年が居た。
「さて、要件は何だ。ディルックさんあたりから何か言伝でも頼まれたか」
「そう言うわけではござらん。ただ、少し話をしたいと思い、参った次第」
「そうか」
俺が手で隣を示せば、万葉少年は素直にそこへ腰を下ろす。
そして、二人して海祇島の海を眺めながら、万葉少年はゆっくりと口を開いた。
「……まずは、礼を」
「礼?」
ちら、と少年の方を見れば、一点の曇りも無い、清々しい横顔が目に映る。
「義徳殿は、覚悟を決めて下さった」
「…………ああ……」
思い出されるのは、船上での一場面。
雷電将軍を、目狩り令を止めて欲しいと言う、かつて俺が拒絶した万葉少年の頼み事。
「礼を言われるほどのことでは無い。決して。そう、決してな。結果として君の願いを叶える形になったが、俺にとってはただの清算だ。君の……ひいては、君のご友人のためでは無い」
そうだ。これは、ただの過去に俺が積み重ねたツケの清算でしかない。
確かに、この戦いの先で恩恵を受ける者も多く居るだろう。そして、彼らはきっと俺を、俺達に感謝するのだろう。
彼らが感謝を受け取る分には良い。だが、俺は感謝を受け取るべきではないだろう。
俺がやる事は、ただの自分の尻拭いなのだから。
「無論、承知の上でござる」
「……そうか」
だが、そう伝えてなお、万葉少年の表情に曇りは無い。
「故にこれは拙者の自己満足。言ってしまえば『えご』と言うものにござるな。義徳殿は受け取るでも、受け取らぬでもよろしい。拙者にとって大切なのは、今、ここで、義徳殿に感謝を伝えたと言う事実であるが故」
「…………」
思わず、呆気に取られる。
……成程、自己満足。自己満足か……そうかそうか、自己満足、ただの自己満足と来たか!
良い! 素晴らしい! 新しい発想だ、少なくとも俺にその発想は無かった!
「……クハッ」
自然と口角が上がり、笑いが込み上げる。
「ハハハハハハハハハッ! 良い! 良いぞ万葉少年! 面白い!」
「あ、ああ……満足頂けたのなら、拙者も願ったりでござるが……」
万葉少年が信じられないようなものを見る目でこちらを見ている。
ふむ、そんなに俺が笑うのが衝撃的だっただろうか。
いやまぁ、そう考えてみれば確かに心の底から笑うのは相当久しぶり……それこそ、甘雨さんと一緒に仕事をし始めた頃が最後だろうか?
何にせよ、相当に前の話だ。
「クハハハ、ハハ……はぁ、ああ、笑った笑った。本当に笑った」
笑ったおかげか、緊張が解れた気もする。
実に清々しい。心身の調子もすこぶる良くなった。正しく絶好調というやつだ。
「こちらも礼を言うぞ、万葉少年。明日には必ずや、貴殿に勝利の報を届けると誓おう」
「っ……」
目を大きく見開く万葉少年。
急な俺の言葉に少したじろいだ彼であったが、すぐに姿勢を正すと、頭を下げ、ただ一言。
「よろしく、お頼み申した」
その一言に、どれだけ強く思いが籠っているのか、俺に計り切る事は出来ない。
だが、それがどれほどのものにせよ、俺の返答は既に決まっていた。
「無論!」
己の言葉が、よりいっそう己を奮起させる。
決戦は明日。徹底的に勝ちに行く。負けなど、想定すらしてやるものか。
召使を引いたので初投稿です。
……と言うのは冗談で、えー、はい。お久しぶりです。
何をしていたのかと言うと、匿名設定で他の作品を書いてました。ブルアカのやつです。
そのおかげで文章力は上がったと思うので許してください。