未知はいつだって、私達に恐怖を運んでくる。
理解できないものは、自分にどのような影響をおよぼすかわからないから。
好奇心?
そんなものはとうの昔に捨ててきた。
未知領域がなくなるよう、私はその身をささげてきた。
わからないものに無邪気にはしゃげるのは、子供だけだ。
歳を取れば取るほど、世界に対する恐怖は増していった。
そして、その想いは確信へと変わっている。
今まさに、私の生命は未知なるものに相対し、究極の危機に晒されているのだから!!
●
「はあ……はあ……!!」
私は森の中にいた。
私は息を切らしていた。
私は小さな足をちぎれんばかりに動かしていた。
「何で……ここはどこ……!? どうして……こんなことに!?」
落ち葉の柔らかい感触が、気持ち悪かった。
薄暗い日の光も、不快な生ぬるさをもたらす。
私の体は、小さかった。
どうもか弱い少女であるらしかった。
身なりは決してよくはなく、どこにでもいそうなみずぼらしい恰好だ。
取るに足りない命だということはわかった。
「もうイヤ……何で……何で私がこんな目に……!!」
どこの国の言語かもわからないが、それは恨み節なのだとわかった。
無理からぬことだった。
私は今、黒くて大きな怪物――。
とびっきりの未知に追いかけまわされている。
ミシミシと、木が折れるような音が聞こえた。
思わず振り返ればヤツの姿が見える。
木々に負けないくらい大きくて、真っ黒な狼。
薄暗い中で、より一層の『黒』がそこにあった。
全てを飲み込んでしまいそうなそれは、この世のものではなかった。
しかし、確かに目の前の存在していた。
それを主張するように、狭い木々を鋭い爪でなぎ倒しこちらに駆けてくるではないか!!
「イヤだ……イヤだ……イヤだイヤだ!!」
私は叫んでいた。
本能がそれをさせている。
一方で、頭の理性的な部分は狼が通るのが難しそうな木々の間を通るように瞬時にルートを選んでいた。
これまで狼から逃げ通せていた理由だ。
どうやら、私は小賢しい性格らしい。
しかし、もう限界だ。
頭の中では、暴力による戦いはより体の大きな方が勝つと結論が出ていた。
体力がなくなり、このペースを維持できなくなれば立ちどころに私の命はなくなるだろう。
――右手側に進んで。
「え……!? 今の声は……!?」
――いいから、早く。
頭の中で鳴り響く声。
これが何なのか、私にも全くわからない。
進路は右へと変わっていた。
そんな表現がぴったりだ。
狼の乱暴な足音は、どんどん迫っている。
ただ前方だけに集中すれば、視界の変化に気づく。
森の端まできたのだとわかった。
光明。
地形をいかせなくなるかもしれないが、このまま森を逃げても時間の問題だ。
微かな違和を覚えつつも、私は光に向かって飛び込んでいった。
開けた視界の先にあったものは――。
「島が……浮いている!?」
森の先は切り立った崖だった。
しかしただの崖ではない。
果てがない、底なしの空。
そこでようやく気付く。
私が今までいたところは、浮いている島だ。
直感が告げている。
原理的におかしいと。
物理現象をつぶさに
しかし、洞察はむべもなく途切れる。
私を追ってきた狼――モンスターとしか言いようがそれが、森を抜け私の前へとその姿を現した。
もう駆ける必要がないと判断したのか、一歩ずつこちらに進んできている。
「つ、次はどこに進めばいいの……!? ねえ!! ねえってば!?」
何も返ってこない。
いくら心に願っても私に指示を飛ばした謎の声は、無しのつぶて。
最初からそんなものはなかった、とでも言わんばかりに。
ここにきて、いかに自分が物事を都合よく考えていたのか気づいた。
謎の声は私を助けてくれるもの、そんな風に無意識に思い込んでいた。
それは私の願望が見せた幻。
こんなちっぽけで、みずぼらしい自分を助ける必然性はどこにもないはずだった。
客観的事実として、そう言えた。
何で「わからないもの」を信じてしまったんだ?
未知が恐怖を運んでくると、私は知っていたはずなのに。
浮いている島がもたらす切り立った崖。
モンスターとしか言いようがない漆黒の怪物。
二つの未知に挟まれて、私の生命は最大の危機に立たされていた。
危機的状況でしかし、私の心には恐怖以外の感情も湧いているのを感じた。
「しょうがないことだ」と。
命とはこうして、無残にも散っていくものだ。
機械的に、冷たく。
そこに過度に感情を乗せることに、合理性はないと言えた。
だから、私の――これから始まるかもしれなかった冒険はここで終わり。
モンスターに背を向け、空を見た。
どこまで見渡しても、青い空だった。
無機質とさえ思えた。
……私をここに誘導した『声』は、これを私に見せたかったのかもしれなかった。
この世界には、何もない。
どこまでも、からっぽな空間が広がっているだけ。
どうせこの世界には何もないのだからと。
きっと。
狼の形のそれが少しずつこちらに近付く。
勢い余れば崖から落ちるとわかっているからだろうか?
こちらとしては、何の手段もないからとっくに諦めているのだけど。
嘆きも、後悔もない。
これから起ころうとすることを、自然な現象として受け止める自分がいた。
ただひとつ、何かあるとすれば――。
自分が何者か、それすらわからないまま消えるのが怖かった。
モンスターがまた一歩、こちらに「うおおおおりゃああああぁぁぁぁ!!」
甲高い叫び声に、私の体がびくんと震える。
黒い狼も、その身を
そして、気づく。
狼の背中に当たる部位には、黄色い剣が突き刺さっていた。
キラキラしていて綺麗だと思った。
そして、これが場違いな感想だと気づく。
状況を整理すれば解は自ずと出る。
いきなり叫び声を上げながらこの場に乱入した誰かが、剣をぶん投げて狼へと突き刺したのだ!!
しかし誰が?
少し横へ。
のぞきこむように狼の先にいる人物を確認する。
黄色い髪に黄色い瞳。
自分と同じくらいの背丈の少女だった。
「逃げて!!」
それは私の声だった。
なかば反射的に声を発していたのだ。
かないっこない。
少女のどこに剣をぶん投げる力があったのかは不明だ。
でも、大きさが違いすぎる。
自分の命がどうなろうと、大して興味はない。
でも、別の誰かが自分のために命を落とすのは――。
そんなこと、耐えられるはずがなかった。
「あなたがこの辺りのボスモンスターだね!! 逃げ惑う女の子を襲うなんて……許せないよ!!」
黄の少女が威勢よく
さながら物語の英雄。
しかし、それが上手く行くのは物語だからだ。
モンスターは脅威と見なしたその少女に敵対の姿勢を見せる。
もしも、その牙が、爪が少女を襲えば、次の瞬間には――。
狼が、跳ねた。
少女は、焦った様子ひとつ見せず、むしろ誇らしげに、高らかに宣言をする。
「変身!!」
少女の体から、黄色い光が
狼がのけ反り、怯むように地面に落ちた。
眼もくらむ眩しさの中で、私は確かに目撃した。
フリルがいっぱいのドレス。
胸には大きなリボン。
手袋とタイツ、それにブーツ。
全てが黄色で統一されたそれらが、一瞬で出来上がるのを。
「さあ……!! 観念する時だよ!! 悪いモンスター!!」
少女は、魔法少女だった。