お兄さま曇らせIF√ 作:栗鼠
地雷も勿論盛りだくさんです。
今は中東連合と戦争中……と言っても、戦地ではないマーレ国の住民は呑気なものでした。
これまでの歴史の中で巨人の力は圧倒的なものでしたから、高みの見物気分なのもわかります。
ですが連日、それも長い時は余裕で一ヶ月以上ジークお兄さまと会えなくなる私からしたら、死活問題でした。
いっそマーレ国に敵対する国家全てをぶっ潰したいくらいです。人種や文化の多様性?そんなもの、お兄さまの尊さを前にしたらボロ切れ当然ですね。
ユミルちゃんもユミルちゃんで全然出て来てくれません。*1
アウラちゃんに出来ることと言ったら、家主が不在のベッドで枕を
今日の私は休日で、午後に戦士候補生のちびっ子たちと交流してから部屋で本を読んでいました。
それも飽きたら一人チェスをしたり、最低限の筋肉が維持できるよう筋トレしたり、気の向くままに過ごします。一人で外出もしますが、基本図書館やその道中で興味のある屋台に立ち寄るくらいです。
言っては何ですが、私は穀潰し野郎。衛生兵枠を目指しお祖父さまのツテで看護師の真似事をするようにもなりましたが、まだまだ新米もいい所。
いただく賃金は「貧しい方のために寄付してください」と、聖人ムーブも徹底しています。だからこそ収入がないんですけれど。まぁお金には困っていません。お兄さまが戦士長ですから。
また体が不自由なので、ガビちゃんなんかは率先して私のお買い物に付き合ってくれます。すっかり懐いてしまって、本当に可愛いです(ニチャ)
いつか君の悲痛に歪む顔が楽しみで仕方ないよ。
彼女は偶に屋台でちょっとした物を求めてきますから、ちゃっかりしてます。マーレ人でも優しい人間はおり、ガビちゃんとセットで車椅子の美女が現れると、おまけに食料をもらうことも多いです。やっぱり美人ってのは得だね。
「はぁーあ…」
でも、やっぱりお兄さまが居ないと、私の人生が始まらない。
もしいらっしゃればほんのりとキッチンからコーヒーの香りが漂う中、お兄さまが起こしに来てくださるのに。
一人。自分だけの息遣いしか感じられないこの部屋が、まるで未知の生物のようです。
今ジークお兄さまは戦地に行っていて、いつ戻れるか分からない。
戦況を確認するため新聞のチェックは毎日欠かしませんが、今の所平行線を辿っている。敵との睨み合いが長期化しているのです。
「寂しい……」
普段よりセンシティブな気持ちに拍車がかかっているのは、自分の誕生日が近いからだ。
お兄さまと、エレンくんの間にある私の誕生日。
昨年は仕事の都合でお兄さまは家に居なかった。盛大に拗ねた私は家の中のアルコールを全部飲み干して、すっかり出来上がっていました。二日酔いがえげつなかったのは記憶に新しいです。ちゃんと物でプレゼントは貰えましたけど、私にとってはお兄さまそのものがプレゼントです。だからジークお兄さまがいないと私の生誕日はただの「バースデー」で、「ハッピーバースデー」にはなりません。
ちなみにユミルちゃんは時刻が変わった瞬間に毎年祝いに来ます。あるいは夢の中に現れて、ものすごく祝われます。
「今年も無理かな……」
もういいや、その時はユミルちゃんとイチャイチャしまくってやろう。
⚪︎⚪︎⚪︎
夢の中でした。
結局誕生日前日、お兄さまは帰って来れないようで、不貞腐れアウラちゃんは夜から先取りで知人からプレゼントされたウォッカを飲んで泥のように眠りました。くれた方は男性で「今晩コレでご一緒に一杯どうですか?」と誘われました。勿論酒だけもらってさよならだ。
夢では例年通りユミルちゃんとイチャイチャして、最後は土の上で二人寝転がりました。
『?』
ユミルちゃんは私の様子に気づいているようです。徐に彼女は立ち上がると土を捏ね出して、お兄さまの顔を作り「コイツか?」という感じで指差しました。その精巧な像、どうにかして現実に持って帰れないですか?
「戦争だから仕方ないって分かってるけど、やっぱり「どうして?」って思っちゃうの。本当は私のことどうでもいいんじゃないか…ってまで、考えちゃう」
『………』
ヨシヨシ、とユミルちゃんは私の頭を撫でた。
夢の中だけどアルコールの余韻が尾を引いている気がして、無性に泣きたくなる。縋るようにユミルちゃんを抱きしめて、薄い腹に頬を擦り寄せた。流石エルディア人の始祖、包容力というママ味が天元突破してやがる。
「ふぇぇん、ユミルママァ……ママァん…………ばぶばぶ」
幼い少女に泣きつく私は、紛うことなく酔っ払いでした。
髪を撫でるように、ふふ、と小さな吐息が溢れたのに気づいて見上げると、案の定ユミルちゃんが笑っている。優しい、本当に母親みたいな微笑みだった。途端に自分の顔に熱が上がっていって、恥ずかしくなる。それでも
『────?』
唐突にユミルちゃんは誕生日プレゼントが何がいいか、尋ねて来た。さっき濃厚過ぎるほど一緒に遊んだり食べたりしたのがプレゼントじゃなかったんですか……?
「では何卒この胸像を頂戴したく……あっ!!」
彼女は私が言い終わる前にお兄さまの像を蹴っ飛ばした。土でできた胸像は簡単に砕けて、無常に地面に落ちる。そんな、なんて酷い事をするのこの子ッ!!いくらジークお兄さまが気に食わないからって!!!
「え?もっといいのをあげるって?…………じゃあ、んとね」
お兄さまが欲しい。
今私が心から望むのは、これだ。でも無理なのはわかっているから、冗談よ、と返してユミルちゃんの手を握った。
「もっといっぱい、私と遊ぼ!」
そのまま二人で走って行く。真っ直ぐ前を向いて走る私は、振り返ってユミルちゃんの顔を見ることができなかった。
正確には、自分の今の顔を見せたくないから、振り返ることができなかった。
だからその時彼女がどんな表情を浮かべていたか、私は知らない。
でも握られた手にギュウ、と力が籠ったのは伝わった。
⚪︎⚪︎⚪︎
「ん゛んー………」
朝だ。体が妙に重くて、二日酔いのせいかと欠伸を一つこぼした。でも思ったより気持ち悪さはない。もしかしたらユミルちゃんが考慮して、二日酔いを和らげてくれたのかもしれない。
酔っていたから寝る前の記憶が曖昧で、私は今お兄さまのベッドにいた。寝起きで頭がぼんやりする中、部屋のカーテンを開けてスリッパを履きフラフラ歩く。やっぱり体が重い。
治すなら完全に二日酔いを消して欲しかったです。
…いや、これは「飲み過ぎんなよ」っていうユミルちゃんの思し召しなのだろう。仮に酔っ払って例えばユミルちゃんのことを口走り、それが政府の人間に知られたら大変ですからね。幸い酔っ払っている最中の記憶は残っている方で、余計なことは話していない。ただひたすらに「お兄しゃまぁ…」と連呼していただけだ。通常運転です。
「……?」
何か違和感を感じ立ち止まったその時、不意に扉の向こうから人の気配がした。
もしやお兄さまが私のために早く帰って来て、リビングで寝ているのだろうか?
──いや、違う。このアウラちゃんセンサーに、扉の外にいる人間が引っかからない。つまり部屋の向こう側にいる人物はお兄さまではない。ということは…誰だ?不審者?
一応扉に耳を付けて奥の状況を窺ってみますが、驚くほど静かです。唯一、微かに規則正しい寝息が聞こえてきます。
わざわざ戦士長の部屋に入って来て、それもリビングで寝る人物と言ったら一人しかいない。
(ピーク・フィンガー、また貴様か……!!)
コレまでも何度か無断でピーク・フィンガーが侵入して来た。流石に慣れましたが、それでも許せません。ここは私とお兄さまの愛の巣(?)ですから。
さっきまでの期待は一転して失望に変わり、ドッと疲れてさらに体が重くなった気がした。
いやでも、待って。ピーク・フィンガーがいるということは、お兄さまも帰って来たんじゃないか?
戦士も常に全員が戦線にいるわけじゃなくて、戦況に応じて必要な数名が参加したり、全員が戦闘に臨む。国に戦士が残るのは敵国が隙をついて攻め入って来た場合、巨人の力に頼っているマーレにはコレといった戦力が無くなってしまうからですね。まぁいざという時はマーレが隠し持っている戦鎚の巨人がいます。
今回はアニちゃんが残っていた。戦時下で殺気立っている彼女は一睨みでライナーくんのライナーくんを萎縮させる力を持っており、最近はあまり会えていません。
(お兄さまは戦士長だし、報告やら何やらで、まだ戻ってないだけかもしれない。だとしてもお疲れだろうから、無理を強いるのはやめよう)
いくらジーク・イェーガーを苦しめたいからって、時と場合があります。曇らせる時の常識なのでぜひ覚えておきましょう。
わざわざピーク・フィンガーを起こすのも面倒なので、私は極力音を立てないよう部屋を出て、風呂場に向かった。
そう。酔っ払って寝たせいで、お風呂に入っていないのである!
自室にある服は音を立てないようにという理由で、上がってから取りに行く。
どうせ裸で出歩いても部屋にいるのはピークちゃんだし。何より私がお風呂に入っている間お兄さまが戻って来たら、ラッキーすけべができますからね。もし他の奴が、それも男が入って来た場合は玉を潰します。当然だよなぁ?美女の裸を勝手に見たんですから。
それに安心してください。潰すのは一つだけで、もう片方は残してあげます。
部屋を出て、後ろ手でソォーッと扉を閉めた私は、抜き足差し足で右手側の廊下を歩く。細長いその場所のさらに右手に扉が二つ。今私から見て手前にあるのが洗面とお風呂がある扉で、その奥がトイレです。
お風呂の方は入ってすぐに狭い脱衣所があります。
そこでシャツを脱いだところで、「アレ?」と思った。
アレ………?
「私の
そこ、お前の胸は無くなる前からねぇだろ、と思った殿方、座ってください。私がうなじを斬り落として差し上げます。安らかにイかせてやる。
いや、待って待って。本当に私の胸がないんですが?というかいつも着ているロングスカートじゃなくて、スラックスなんですが?
全身からぶわわっと、汗が噴き出た。これはでも、もしかして私は今まで女と思い込んでいただけで男だったんじゃないかとトリッキーな妄想にまで至って、首を振った。アウラちゃんは確かに女で、自他ともに認める美女だった。
「いやいやいや、いやいやいや……」
頭はすでにパンク状態で、恐々と浴室の鏡の前に立つ。洗面器がある上部に設置されたその横には小物を置ける棚があって、お兄さまが使うひげ剃りやらシャンプーやらが雑多に並んでいる。兄妹で使うものは違うので、シャンプーも当然二種類ある。
まだ夢の中にいるに違いない。
閉じていた瞳を開けると、最初に青い色が視界に入って、ついで電灯を反射する髪がパチパチと黄金に煌めいた。
私はそこで、ぶっ倒れた。
⚪︎⚪︎⚪︎
本日二度目の目覚め。視界に入ったのはピークちゃんではなく、美女でした。いえ、ピークちゃんも眠たげ美女ですが。
心配した様子で私の頬を叩いていた人物の肩を押し、手で顔を覆った。辺りはまるで殺人現場さながらの流血具合です。顔に触れると手が赤く汚れて、未だ自分の鼻から血が出ているようでした。人って本気を出したらここまで鼻血を出せるんですねっ!
「お前……」
女性が冷めた目で私を見ます。ご褒美です、ありがとうございました。
「もう、生きていけない…」
私の目の前には、杖片手に座り込む見覚えのある顔の女性がいました。
というか私です。アウラ・イェーガーちゃんが存在しています。
いやちょっと待たれぇい!という状況ですね。何せ私が「アウラ」のはずなのに、鏡の虚像ではない実体を持ったアウラちゃんが眼前にいるのですから。
もう心臓がずっとバクバクしてダメです。そしてガチで鼻血が止まりません、たすけて。
「生きていけないって、失礼な奴だな」
「だって、だって、ふぇぇ……」
「その体でナヨナヨするのやめてくれる?」
生きていけない、っていうのは言葉のあやで、「死にそう」ってことです。ご覧の通り異常心拍と出血。私はすでに地獄に片足を突っ込んでいます。顔は血もそうですが多分真っ赤でしょうし、視界が歪んでいるので泣いてます。呼吸するだけでトリップ起こしちゃう。
「ひとまず鼻血を止めろ、アウラ」
今の私は体感すると、お兄さまにサンドイッチされてる感じです。
皆の皆様、もうおかわりですね。
失礼、間違えました。もうお分かりですね。
「どうしよう、ジークお兄さまぁ……」
私とお兄さまは、入れ替わってしまったみたいです。
⚪︎⚪︎⚪︎
一人で立つこともできなくて、結局お兄さまが呼びに行ったライナーくんに救助され、リビングにたどり着いた。
「いったい何があったんですか、ジーク戦士長?」
鼻血が止まらず進行形でタオルを汚す私に、眉を寄せてライナーくんは尋ねる。
お兄さまの体に興奮してるなんて言える訳ないだろ!というか言ったら話が拗れに拗れる。今兄妹の体が入れ替わっていることを知っているのは私とお兄さまだけなんだから。
バレないよう、そしてお兄さまのキャラを崩さないよう努めるのです。鼻血出してるのに、って?お兄さまだって顔を殴れば鼻血くらい出す。
「ちょっと風呂場でフラついたら、浴槽に鼻を打ってね」
「あぁ、なるほど鼻はもう治っ────いや、それにしても凄い量の血でしたけど?」
「助かった、ライナー……くん。もう帰っていいよ」
「えっ?」
お兄さまは深いため息を吐いて、私の正面にあるソファーに座った。厄介な状況を口頭で話し合う訳にもいかないので、会話は筆談である。コレだったら盗聴の恐れはない。
一応ですが、色々と不可解な言葉を発してしまった浴室には何も仕掛けられていないので、安心してください。あそこはプライベートもイイところな場所ですから。そういった機器の類はリビングにしかありません。それに年中盗聴されているわけでもない。ここで戦士を揃えて会議をするとか、そういった場合が基本です。それでも隙を突くため、日常の一部始終を聞かれていることはあるでしょうが。
でもそれもお兄さまがいる時が前提ですし、やけに私の情報を知っている兵士の方にストーカーもどきを受け、危うく道端に連れ込まれて──という一件以来、事を知ったテオ・マガト直々に謝罪を受けてから、より盗聴を行う人間の人選も、その機会も厳重になった。
ちなみに私に不貞を働こうとした男は、勝手に盗聴の機器を使って剰え女性に暴行を加えようとした容疑で捕まりました。お兄さまにメチャクチャ心配されましたが、男が杖で両の玉を潰されたと聞いた瞬間、恐怖一色に染まった。この事件の詳細を知った殿方全員に似た表情をされました。
ガビちゃんだけですよ?「アウラさんカッコイイ!」って瞳を輝かせていたの。
閑話休題。
【何で俺たちの体が入れ替わってるか、知ってるか?】
【わかりません。それよりお兄さまはいつ帰ったんですか?】
【深夜だ。今回の作戦が思いの外好調に進んで、戻れることになった】
【お体の方は…】
【見事に二日酔いだ。お前が度数の高い酒なんて飲むからだぞ】
【その線で言うと、お兄さまの体は重いですね】
【現役の軍人とじゃ、そりゃあ体重が違うだろ】
いえね………まぁ、犯人の心当たりはあります。絶対コイツだろ、って人が。
でも「ユミル様の仕業ですよぉ〜」なんて、言えないでしょう。
確かにお兄さまが欲しいと思ったけど、「お兄さまにしてくれ!」ってことじゃなかったんだけどな。どうして彼女はいつも肝心の所がアバウトなんだ。
そのせいで今私は自分の体の感覚を意識するだけでダメなんです。呼吸の一つでも薬をキメてる気分なのに、下半身に意識が向いた日にはもうダメですね、エェ。少し動くと死にます。その結果が浴室でのぶっ倒れだよ。本当にどうしてそれまで気づかなかったのか。
取り敢えずはお互いその人に成り切るつもりで過ごすことにして、解決策を探すことになった。
協力者にアニちゃんが思い浮かびましたが、お兄さまになるべく他人に広めないよう頼まれたので、彼女にも秘密にします。
しかし今の私は声を出すだけでも「地雷」の前に「ド」が無限に付く状態。筆談だけが頼りです。
【戻れなかったらどうしましょう、お兄さま】
【とにかく現状、直向きに考えたらお終いだよ】
【お兄さまの体のまま死んじゃったらどうしよう】
【だったら鼻血を止めろ!今すぐ!!】
見兼ねた兄に鼻を強く摘まれた。いつも以上に容赦ない。体が自分だからでしょうか?
ソレが妹のご褒美にしかならないってことを、お兄さまは学ばれないのだろうか。
「そうだな、こういう時は……」
「?」
少し考え込むようにして、ジークお兄さまは私の両頬を掴む。自分の体に若干嫌悪感があるのか、眉間に皺が寄っていた。アウラちゃんはこんな顔もできるんですね。新鮮だなぁ。
「鼻血が止まったら、あとでご褒美やるよ」
体が戻ったらね、の部分は紙に書いたお兄さま。
私の鼻血は見事に止まった。
そして、またぶっ倒れました。
⚪︎⚪︎⚪︎
三度目……はもういいですね。
今日は私の誕生日なので、二人きりで出かけることになった。
車椅子を押す側に回るのは新鮮です。体の“重い”という意識を捨て去ると、鍛えられてる筋肉がしっかり息づいているのが分かって死にそう。死ぬな。
内心永遠に自分の体の感覚と格闘しつつ、図書館に向かいました。精神や魂に関する内容に絞って調べましたがやはり、現状を打破する鍵は得られません。
そのままお昼になりランチに。ここまで来たら流石に肉体の感覚に慣れて………いや、これは慣れではなく麻痺ですね。
頭が真っ白になって、途中から本の内容が全く入って来なかった。思考が停止したらしいです。気づいたら昼食を取っていて、お兄さまに顔を叩かれて我に返った。
「お前……いつにも増して大丈夫じゃないな」
「ワレ、死ヌ」
「手がかりが見つからなさそうだけど、本当にどうしようかね」
「お、お兄…あっ、えっと………妹よ」
「何?」
モジモジしてる私をお兄さまは不思議そうに見る。何でお兄さまはアウラちゃんになっても全然平気そうなの?胸がもっとあったら意識してくれたわけですか?畜生!!
「お手洗い、に………」
瞬間、
「いつからだ」
「……図書館の、途中…」
「ハァー……何で我慢してるんだよ。早く行けって。頼むから絶対漏らすなよ、本気で。嫌だよ?三十路手前で」
「……………」
「いや、待て………
「乙女にそう言うこと聞かないでくださいッッ!!!!!」
「バカ、声量!!」
胸ポケットからメモ帳を出して、全ての感情をぶつけるように『小』と書いて、破って丸めて投げつけた。
コレが違う方だったら私は喜んで腹を掻っ捌いて内臓を全部取り出して、治るのを待ちます。それくらい覚悟があるし、本気でやる。でも小の方なので、流石にそこまでやる気はない。でも追い込まれたらやる。内臓全部ぶち撒けます。ダイジョブ、シナナイ。タブン。
死んでもまぁお兄さまが死ぬわけではないのでいいんですけど。むしろ寿命問題は入れ替わったことで解決したも同然なので、このままお兄さまの代わりに死んでいいです。その分私はお兄さまのボディと一緒に逝きます。
「とにかく早く行け」
「ムリ……!!」
「何でだ………アッ」
宇宙の真理を悟ったような顔を浮かべたお兄さまは、私の手を引いてお手洗いに連行した。
トイレは無事行けました。でも暫く顔を覆ったままテーブルから動けませんでした。
「何で俺が自分の面倒を見てんだ……」
とか何とか言っていたお兄さまも催したのかトイレに行って、無言で帰って来た。そして静かに顔を覆った。
もう互いのキャラ云々どころではない私たちは、疲弊に疲弊し切っていた。
コレがユミルちゃんのプレゼントなら、彼女は今頃相当愉しんでいるだろう。*2
◻︎◻︎◻︎
日も暮れ始めた頃帰宅した二人は、精神的疲労でクタクタだった。ソファーに傾れ込んで仲良く「ハァー…」と嘆息している。
アウラの手には軍の人間から「アウラ・イェーガー殿へ預かり物です」と渡された、様々な人間の誕生日プレゼントが入った荷物が提げられている。今朝家に来たライナーも、ちゃっかりプレゼントを渡していた。その相手はガワがアウラのジークだったが。
「マジでどうしようか…」
「………」
ジークはまだ軽症だがアウラは重症で、トイレのいざこざから兄妹揃い撃沈して間もなく、完全に目が据わった。
道中ボソボソと呟いた妹の言葉を聞いていたジークは生きた心地がしなかった。何せ「お兄さまを孕ませて私が死ねば万事解決じゃん…」と話していたものだから。
いくら変態でも興奮で失血死するレベルで鼻血を流して、さらに人としての尊厳を奪われると、悟ってはいけない方角にサトリを見出してしまうらしい。
些細な一場面がキッカケでアウラの導火線に火が付くかもしれない。殊更ジークは言葉を選んで慎重になった。普段妹が暴走しても片手で取り押さえることができるが、今は立場が逆。本当に妹が独り言として語っていた内容が実行に移される可能性もある。
アウラ・イェーガーはやると決めたらやる女だ。トイレで「大だったら腹をかっ捌きます!!!」と宣言していたように。その体はしかし、ジークのものである。やめていただきたい。
「夕食食べる気力もないや…風呂に入ろうか」
「………」
どうせ兄の性器を見れなくてトイレに行けなかった妹だ。この調子で風呂に一人で入れるわけがない。
ただ出かけて冷やっとしたものも含め汗をかけば、このまま寝るというのも憚れる。
どうする?と、紙に書いてジークが渡せば、ソファーに膝を丸めて俯いていたアウラは精気のない瞳で頷いた。ここまで疲れている妹はジークも久しぶりに見たかもしれない。
だがそこで一度男は我に返る。この状態で二人風呂に入ることこそ危険ではなかろうか。
家に帰り肩の力が下りた瞬間気を抜いてしまった。それゆえに、口走ってはいけない誘いを自ら行った。が、時すでに遅し。
【アウラ】
身振り手振りで「そういった行為は無しだぞ!」と強調してみせるジーク。
妹は小さく何度か頷き、目を閉じてまた丸まる。拗ねた子供みたいな有様だった。
「手を出す気力もないのか…」
「だしていいの?」
「ダメに決まってるだろ」
図体のデカい男が幸薄美女に手を引かれる形で、風呂場に向かう。
外界をシャットアウトしたいアウラは進んで目をタオルで隠した。いよいよそういう特殊なプレイ地味てきた。此方も色々吹っ切れているジークは、バスタオルも巻かず風呂に入る。正直妹の体は見慣れている。これを機にじっくり観察してやろう、という殊勝な気は微塵もないが。
金髪の頭を客観的に眺めながら洗って、体も洗ってやる。介護だ。
片足のない妹が不自由なく洗えるようにと風呂場に置いた小さな椅子に座って、ぐったりしてしている自分をジークは介護している。現実は小説よりも──という言葉に倣って、現実は夢よりも奇なりだ。
「何だかまだ少し鉄くさい匂いがするな…」
「………」
「いつもの元気はどこ行ったんだよ、本当に」
「……つかれた」
「俺だって疲れたよ」
細い体は思ったよりは筋肉があったものの、それでもジーク自身の体と比べれば細い。体感の温度がまず違う。寒いのだ。手足から寒気が上ってくる。
それでいて、再生しない欠けた肉体がこれまた不自由なのである。
妹の片足を奪ったのはしかしジークなので、この思考に至った瞬間口を押さえた。罪悪感が胃酸と共に溢れそうになる。
「…お兄さま?どうかしたんですか?」
「いや、何でもない。湯船に浸かろう」
不思議そうに振り向いた妹の手を引き、ジークは風呂に入った。当然一人用の風呂では狭い。アウラが足をV字に伸ばして入り、その隙間にジークは入り込む。すると対面する形になる。背を預ける構図は何をされるか不安が完全に払拭できていない今、この形がベストだった。
「にしても、自分の体を鏡越しで見るのとはまた違うな。変な感じだ」
「かわゆい妹のボディの感想はどうですか?」
「胸が無い」
「殺ッ……しませんわよ」
「冗談だ。母さんと同じで細いと思う」
ダイナの手首は幼いジークが両手で丸を作るように囲むと、広い隙間ができるくらい細かった。
折れそうな、という言葉に尽きる。あの細い体で二人の子供を産んだのは純粋に尊敬の念を抱く。グリシャが医者だったからこそ、出産に至るまで心強かっただろう。
「………」
「アウラ?」
金髪が揺れる度、電灯の当たり方が変化して波のように煌めきを変える。
舟を漕ぐ妹に、ジークは苦笑いした。もはや介護というか、赤ちゃんを相手している気分だ。
こういう所だ。アウラ・イェーガーのどうしようもなく子供っぽいところは。
「勘弁してくれ、今の俺じゃ持てないぞ」
「うぅん……胸像…」
「胸像?」
ペチペチと兄が頬を叩けば、夢と現実の狭間にいるアウラはずり落ちたタオルから寝ぼけ眼を晒す。何とも戦士長らしからぬ腑抜けた面だ。
「ほら立て、幼児じゃあるまいし」
「はぁーい…」
風呂から上がりリビングに至るまで、歩かせる以外は妹の世話を焼いたジークは増した疲れに限界を迎えた。
だがその前に、ソファーに崩れ落ちたアウラの手が辛うじてシャツの裾に引っかかる。会話したいのかと思いジークはペンを持たせたが、書かれた文字はミミズ文字で解読不能。授業中、ノートによく生まれるようなアレである。
仕方なく、口頭で話させることにした。時間帯も夜であるし、盗聴云々は本当に色々とあった経緯で、ジークが独り身だった頃よりかなり軽減された。一応リビングでの会話は躊躇われたため、自室に引っ張る。そこで話を聞いた。小さな声で話すようにも告げる。
「いっしょ」
「──に、寝たいって?俺の顔じゃなかったら百点の可愛さだったのにな。それにもうデカデカと俺のベッド占領してやがるし」
「お兄さまはせかいいちかわいい」
「はいはい、達者なお口はそろそろ閉じような」
親が子にするようにポンポンと腹を叩くと、数秒もしないうちにアウラは眠りに落ちた。
「このくらいいつも可愛げがあったらいいんだがな…」
ジークは頭を抱えて、長嘆息を溢す。
ベランダの開けっ放しのカーテンを閉じる気力も残っておらず、そのまま丸まっている男の体を隅に押し退けて、自分も床についた。
視界の先では無数の星空が見える。
「お前のプレゼント買いに行くつもりだったけど、また今度だ」
おめでとう、は大混乱の朝の中で言った。
果たして戻れるのかどうかジークには分からないが、これが一日限りの神のイタズラだと願うしかなかった。でないと本当に「孕ませて妹(自分の体)が自死」の未来が濃厚になってしまう。
「考えてもしょうがねぇか…」
微睡はすぐだった。瞼を閉じればシーツに吸い込まれるように眠りに落ちた。
そして、朝が来る。
先に起きたのはジークだ。
男は自分の体を確認してから、隣で女が眠っていることを確認して、胸を撫で下ろした。
神のイタズラは、本当に一日限定のイタズラだったらしい。
今日は午後からは予定があるが、午前は空いている。
戦争の合間の時間を縫うように、家族との時間を作る。それがアウラ・イェーガーの兄としてできることだ。少なくとも、ジークはそう思っているし、「そうであれ」とハートの部分で望んでいる。
「起きろ、アウラ」
「んん……?」
イかれている可愛い妹は、微かに目を開けた。覗いた白銅色の瞳は所在無げに宙を彷徨うことしばし、ジークを捉える。途端に破顔した。
「おはよ、お兄しゃま」
妹と二人で見た朝焼けは穏やかで、眩しい輝きをしていた。
◻︎◻︎◻︎
その日は国の記念日でもない、ごくありふれた日だ。
だが男にとっては一年の中でも大切な日で、決まってその日に休暇を取る。
そして朝から晩まで家で一人、チビチビと酒を飲むのが恒例になっていた。
人類の大半が死んだ日から時が経ち、社会は元の形を取り戻そうと目まぐるしく動いている。
男の時はしかしあの最後の日から全く動いていないような気がした。それでも一歩ずつ、前を向いて進めている。
男は窓に腰掛けて、空を見る。雲一つない晴天だ。
少し前、国のトップであるテオ・マガトの付き添いでパラディ島に赴いたあの日も、同じように吸い込まれるような青空だった。船から見た景色が昨日の事のように脳裏に過ぎる。
そこで男は一人の少年と面会した。
ヒストリア女王の息子。歳は男が戦士候補生に志願した頃と同じくらいで、その面影は謁見した女王と酷似していた。髪の色こそ色素が濃かったが、クリクリした目と凛々しさを漂わせる太めの眉が瓜二つだ。
その顔立ちにしかしもう一人、男は重ねるものがあった。
男が重ねた人間と少年には、並々ならぬ関係がある。その大きな秘密を知る者はごく少数で、ヒストリア含めその仲間内などだ。男はその情報を知る中の一人だった。本当に少年と出会うまでは半信半疑だったが、会ってみれば確かに面影を感じた。そして少年の本来のものではない名前で話せば、疑いは霧のように霧散した。
「本当に「エレン」だったとはな…」
少年は「エレン」の記憶と、少年自身の人格でさながら一つの体に二つの魂があるかのようだった。
まさか二度とエレンと会話できるとは思ってもみなかった男は、大層驚いたものである。
そこでいくばくか、二人のみで語り合った。そして男は少年から「自分が再び生を受けた理由」らしきものを知らされる。本当かどうかは分からない。それは少年が「エレン」として亡くなる手前、夢のような空間で見たものであったから。
エレンは異様なその場所で、真っ白な“姉”を見た。その腹の中に吸い込まれるようにして、少年は眠りについたのだという。
この内容を知る者はさらに限られ、ヒストリアに、ミカサやアルミンしか知らない。
それをエレンが男に伝えたのだ。知らせなければならないという、使命にも似た気持ちがあったらしい。
エレンはしかし、姉の事を今でも恨んでいる。いや、「恨んでいる」では一概に言い表せない複雑で、歪んだ感情を持っている。そこに愛情があることも、出会って話した男は感じた。
「まぁアイツもアイツなりに頑張って生きてるし、それ以上に望むことはないさ。幸せに生きろ……と言うには、余りにも軽率で、難しいが」
少年にはこれからきっと、多くの艱難辛苦が待ち受けるであろう。
それは少年が水と油のような精神を持っている為でもあるし、単純に彼が住む場所がパラディ島という特異な場所の所為でもある。
完全にエルディア人への憎悪を消すことはまだできていない。それでも少しずつ、社会が「悪魔の民」と謳われた民を受け入れ始めているのもまた、事実である。
だが、そこまでの心配は要らないだろう。
何故なら少年には────エレンには、すぐ側で見守る将来の伴侶や、忙しく世界を回る親友に、他にも多くの仲間がいるのだから。
「ハァ…」
空になった酒瓶は順調に増えている。開いた窓に身を乗り上げているゆえ、間違えれば酔っ払いの男はそのまま落ちるかもしれない。
「だからこそ、だよなぁ……」
最初はもしかしたら、他所に迷惑をかけまくった妹が、ヒョッコリ現れるのではないかとも思った。エレンの一件を知れば殊更というもの。
でも一年が経ち二年が経ち、女が現れることはなかった。女の記憶を持つ子供はおろか、幽霊でだって姿を見せない。
次第に男の中で諦念の色が強まり、そしてある時、引きずっていたその「もしかして」に幕を下ろした。
妹は死んだ。男ではなく、死んでもなお何度も繰り返し続けた先で辿り着いた一人の少女を選んで、眠りについた。
それが、現実だった。
「拗らせながら最期は俺の「妹」を選んだあたり、本ッ当に性格悪いよ、お前…」
でも、女の「兄」であれたことが、男は心の底から嬉しかった。同時に途方もない虚しさを残し、今も生きている。
「呪い」と書いて「アイ」と呼ばせるようなデカい感情を背負わされた男は、苦笑いする。
「お望み通り、俺は毎日のように妹のことを考えてるよ」
男の視界の先では、白い二匹の鳥が、踊るように遥か頭上で旋回していた。