お兄さま曇らせIF√ 作:栗鼠
テオ・マガトはしかし、まったく幼女パワーが利かない男だった。あのキース・シャーディスでさえ堕とした力が、である。
伊達に普段の訓練で、年端のいかない少年少女が吐瀉物で顔を汚し、時に失禁までして過酷な訓練に打ち込んでいる様子を見てはいない。
それでも訓練の見学など、会う機会を得るたびにアウラはアピールした。
その彼女の
突然のマガトの行動に祖父母は戸惑いを見せたが、彼は丁寧な態度で「この子供から意見を聞いてみたいのです」と返す。
「なぜそこまで貴さ……君は戦士にこだわる?」
「“せんち”になりたいからです!」
「………例えば、おじいさんやおばあさんの為になりたいからか?」
「はい! それにおにーたんもおくにのためにがんばってます! だからアウラもがんばりちゃい!」
まだ舌ったららずな部分の残る齢四歳の子供。そんな子供でも、一年後には戦士に志願することができる。
元々戦士に選ばれるのは大人だったが、マーレ政府がパラディ島の制圧を目論んだことで、その作戦に有用な“道具”を用意するに至った。
その白羽の矢が立ったのが、マーレにその命を尽くすよう教育されたエルディア人の子供である。
この作戦に否定的な意見を持つマガトは、戦士に志願した子供たちを厳しく指導する裏で、歯がゆい感情を持っていた。
彼はその幼き子供の命を「道具」ではなく、一人の人間として、そしてなり得る将来の部下として見ている。
「訓練は想像をはるかに超えるほど辛いものだ。君がこれまで見てきたものよりも、よっぽどな」
「つらくても、アウラはがんばります!」
「戦士候補生になれるのは志願した者のほんの一握りで、さらに戦士になれる者はさらに限られるぞ」
「わたちはぜったいにせんしになります!」
「戦士には「任期」というものがある。その任期が終われば、あるいはその前に戦果……戦争で強くなければ、得た巨人の力は別の者に渡される。……それでもか?」
「はい! アウラはせんしになります! おにーたんがせんしになれなくても、アウラがいればだいじょーぶなのでしゅ!」
幼女の、一見すれば白内障のような瞳の色が、マガトを映す。
「おにーたんにはしんでほしくないし、しんだらわたちもしにます」
「……ッ!? アウラ、何を言っ…」
「おじーたん、アウラにはもうおにーたんしかいないの。おかーたんもおとーたんもかえってこないの。だからアウラには、おにーたんしかいないの」
「私たちも家族だろう、アウラ…!」
「そうよ、アウラ…」
孫娘の発言に、祖父母二人は顔を青白くして小さな体を抱きしめたり、頭を撫でたりした。
それでも、幼子は首を振る。いつものように泣き喚くでもなく、静かに、否定を示す。
「あぁ…」と声を漏らしたのは祖父で、アウラの心が今どんな状況なのか、彼は理解した。
もう気づくのが遅かった。それはフェイに起こった悲劇の後、グリシャの心が復権派に進むような暗いものへと変わっていたことに、気づかなかったように。
すべてが遅い。気づいた時には失っている。フェイも、グリシャも、そして────孫娘の心も。
「お前の「家族」はもう……壊れてしまって、いるのか…」
私の、私のせいだ…。
うわ言のように、アウラを抱きしめたままそう祖父は呟く。
大切な息子とその嫁を失い、すでに心が限界に近かった男の心は、孫息子と孫娘を引き取って快方に向かうか──と思いきや、悪化し続けていた。
ふとした場面で、途方もない後悔が過ぎる。
そうして、その心は幼女の意図せぬうちに粉々に砕かれていった。
「今日はもう帰りましょう…あなた。アウラも一緒にね。………おばあちゃんたちが、アウラの家族になってあげるから」
「アウラおにーたんといっちょにかえりたいよ〜」
「…そうね。訓練も終わったし、ジークが来るまで外で待ちましょうか」
「やったー! バイバイ、マガトちゃん!」
祖父から祖母の手に引き渡されたアウラは、去り際に強面の男にブンブンと手を振った。
途中からかける言葉を失っていたマガトはその
大人にはないピュアさで、天使のような爛漫さであるが、同時に倫理や道徳を知らぬ残酷な一面があの子供からは見え隠れした。
「閉鎖的な環境で育った点を鑑みれば、あの精神も仕方ないものなのか…」
テオ・マガトはその時漠然とではあるが、アウラ・イェーガーの非人間性を垣間見たのだった。
それが兄の曇らせを欲してやまないド鬼畜生であることまでは、見抜けなかったものの。
⚪︎⚪︎⚪︎
周囲の意見を押し切り戦士に志願した7歳の少女が今、倒れている。
重い荷物に押しつぶされながら、地面と一体化しているのはそう────この私、アウラ・イェーガーちゃんです。
筋肉のつきにくいこの体は、体力に乏しい。幼女ちゃんの時に暴れていた時と、実際の訓練はまったく異なる。
何だこの重い荷物。こんなかわゆい女の子に持たせるもんじゃないですよ、マジで。銃も地味に走るのに邪魔です。
「遅れているぞ、イェーガー!!」
「っ……はい!!」
テオ・マガトは鬼教官でした。幼女ちゃんだった頃の私にはアレでも随分と柔らかく接してくれていたのだと、今になって実感します。
ジークお兄さまが“戦士候補生”に選ばれてしまった以上、こうなっては私も候補生になるしかない。
どうか選ばれるな…と祈っていましたが、ダメでした。数年かけてお兄さまは実力もつけてしまわれた。喧嘩しても取っ組み合いではもう勝てません。
「ビリはまた貴様か」
しょうがないでしょ、筋トレしても全く筋肉がつかないんだもの! 気力で体質がどうにかなるなら、戦士の13年の寿命だって根気でどうにかなってますよ。
「午前中の訓練はここまでだ。各自午後の訓練に向けて休憩を取るように」
「「「はいっ!」」」
みんなヘロヘロだった。訓練の中でも走り込みが一番キツい。
紙の筋肉なアウラちゃんはこれが特に苦手です。他はある程度、好成績を残せているんですが…。
それぞれグループに分かれて昼食を取りに行く中で、私も仲良くしている人物と祖母お手製のお弁当を食べた。
今更ですが、ここ数年の候補生の選出者はジーク・イェーガーだけです。前回や、前々回の志願者は全員脱落した。
私の同期も果たして何人残れるか。マーレにある巨人の力は六つで、
その五つのうち、まだ一つ分しか候補生がいないんだから、軍部も頭を抱えていることでしょう。だからって適当に子供を選ぶわけにもいかない。
「アウラちゃんも一緒に候補生になれるといいね!」
「うん、そうだね!」
社会で生きるのに、最低限のお友達は必要不可欠です。ガワは私、男女平等に接する、優しくて真面目な優等生ちゃんなので。演じるのもメンドクセーと思いますが、仕方ありません。
それから午後の訓練を終え、お友だち数名と話しながら収容区に帰った。
「あっ…」
「ん? どうしたの?」
お友達のAちゃんが……いや、この子はBちゃんにしたんだっけ? …そのBちゃんが顔を青くして、一点を指差す。
通りに面した場所で歩いていた私たちの目に入ったのは、同じ戦士志願者の少年がマーレの軍人に銃で殴られている姿である。軍帽の下の男の顔は痩けていて、目がぎょろついている。
「どこ見て歩いてんだ、このガキッ! 俺の靴を踏みやがって!!」
「もっ、申し訳ございません、申し訳ございません…!!」
「これだから悪魔の末裔は…軍の道具のクセに、一丁前に人間様の道を歩いてんじゃねぇよ!」
「申し訳ござっ……うっ!」
男のブーツが倒れた少年の頭に乗って、ジリジリと踏みにじった。
周囲は見て見ぬふりをするか、面白いものを見物するかの二択で、少年を助けようとする人間は誰もいない。まぁここ、マーレ人しかいないし。
「いっ、行こうアウラちゃん。私たちまで巻き込まれたら嫌だし、道を変えて…」
「そうだよ。……ぶつかったあの子が悪いんだから」
BちゃんとCちゃん、それに無言のまま震えているDちゃんは私の服の裾をぐいぐい引っ張る。オイオイ待たれい、私を誰と心得る? ガワは天使のアウラ・イェーガーちゃんでありますわよ? 止めるに決まってます。
優しいアウラちゃんは汚れた靴を舐めさせようとしている男と少年の間に入って、深々と頭を下げました。
「マーレに命を捧げる軍人の御方に、同胞が大変失礼なことを致しました。どうか……どうか今回だけは、寛大なお心でご容赦いただけないでしょうか…!」
私は周囲の目がある中で、土下座します。どうです? この美しいフォーム。
兵士の中にも国のためにと頑張る子どもたちに、優しく接してくれる人はいるんですけどね。けれどこういう、まだ戦士候補生ですらない志願者の子どもを見下す連中は多いです。
というか、上層部は戦士ですら見下してますからね。クサヴァーさんが苦笑いして言っていました。
「おい、何の騒ぎだ?」
「あぁ、エルディア人の子どもがぶつかって……」
「あの制服って確か、戦士を目指してるガキが着てる服だろ?」
「ッ……!」
イイ感じに人も集まってきて、流石に男もたじろいだようです。そもそも道具とはいえ、政府が金と手間を尽くして育てている戦士の“芽”ですからね? あまり自分勝手に暴力を振るわない方が得策ですよ。よほどのバカじゃない限りは、たいてい罵詈雑言で終わらせるというのに。
「いやねぇ…いくら悪魔の末裔とはいえ、頭を下げさせてそれを楽しむような軍人なんて」
とうとう男を責める発言が出た。流れは完全にアウラちゃんのものです。
後はこの場にいられなくなり、退散してくれれば終わりです。
「こっ……このガキ!!」
「……がっ!」
靴のつま先部分が私の鳩尾にめり込んだ。腹からものすごい嫌な音がした。
ま、まさか……こんな目撃者が多くいる中で、こんな目立つことをするなんて……モノホンの脳みそが足りない人でしたわよ。
羽のように軽いアウラちゃんの体は簡単に吹き飛んで、露店にぶつかった。
品物がその衝撃でバラバラになる中、口から血が噴き出た。
「だっ、大丈夫か!?」
ふくよかな店主さんがお腹を抱えてうずくまっている私に声をかける。
この人間は優しいタイプですね。よくこの通りを子どもたちが歩く様子を見ているから、思うところがあるのでしょう。
「おっ、おいアンタ、それくらいにしときな!」
「黙れ! 俺はマーレの軍人だぞ!! 民間人が逆らう気か?」
襟首をつかまれた私は、人目のない裏路地へ引っ張られていく。少女B、C、Dちゃんたちに話の通じそうな軍人を呼んで来るように頼んだけど、上手く見つけただろうか。
男が銃の先を、ポンポン、と叩く。
「あぁーあ…グロス曹長がいた時は、もう少しエルディア人で楽しめてたのによ。あの人さえいれば、俺はもっと出世してたのに………」
銃身で何度も顔を打たれて、蹴られた鳩尾にめり込ませるように靴が押し付けられる。
「あ゛あっ……!!」
「悪いエルディア人のガキには
そうさ、逆に教育してやる俺はえらい────! と、男は興奮気味に語る。
顔の異様なやつれ具合からもしや、とは思ったけど、おそらく薬物をやっているのだろう。
マーレの腐った部分はとことん腐っている。叔母のフェイ・イェーガーが死亡した件が最たるものでしょう。
その最底辺の一部が、この男。不思議ですね、どうしてそんなに楽しそうなのか。
「どうして、ですか?」
「ハ?」
「どうして、私を殴って楽しそうなんですか?」
「そりゃあエルディア人の苦しむ姿が
「私のこと好きなんですか?」
「………ハァ?」
「だって…ゲホッ、人は好きな子ほど、虐めたくなるものなのでしょう?」
男はポカンとした表情でしたが、すぐに大笑いした。私の真剣な話を冗談だと思ったらしい。
「いいか、嬢ちゃん。これは
しかし、男の言葉が最後まで続くことはありませんでした。