言峰璃正。
聖堂教会より派遣された聖杯戦争の監督役。
敬虔な信徒であり、拳法を修めた達人。
冬木の地を治める遠坂時臣とも親交が厚く、彼に師事しているアサシンのマスター、言峰綺礼の実の父。
――それが片腕をもぎ取られ、血溜りに伏している男の名だ。
聖杯戦争の監督役とは、その実、中立ではない。
彼らもまた利益のためにこの地へ赴いた勢力のひとつ。
聖堂教会にしてみれば、極東の島国で行われる魔術儀式など、本来は取るに足らぬもの。
だが、あろうことか、その名は聖杯戦争。
紛い物とはいえ聖杯を謳う遺物を巡る闘争だ。
宗教的起源を持つ聖堂教会としてはそれを無視することが出来ようはずもなく。
第三次より冬木の地には監督役が派遣されることとなる。
サーヴァントを失ったマスターを保護する役割も担っており、表向きは確かに中立として振舞うのだろう。
だが、聖堂教会所属の者が聖杯戦争の参加者となった場合でさえも、中立は保たれるのか。
――否だ。
第四次聖杯戦争において、既にアサシンは脱落したものとして扱われている。
故に、そのマスターである言峰綺礼も、冬木教会へと保護を求めていた。
だが、それは欺瞞だ。
昨夜のアサシンの死亡は、宝具により分かたれた僅かな欠片でそう見せかけたのみ。
損害は完全にゼロというわけではないが、それでも大凡無視できる程度。
だからこそ、アサシンのマスターを教会で保護――その実、他陣営から隠蔽してその諜報能力を無尽に発揮させるなど、不正以外の何物でもないだろう。
だがそれで問題はない。
この地を治める
彼が聖杯により根源へと旅立った暁には、残った器は聖堂教会の下へと渡る。
それでこの聖杯戦争という儀式は幕を下ろす。
本来ならば、彼らの想定通りであれば、そうなるはずだったのだろう。
「――――これは」
「どうした、アサシン?」
冬木教会の奥にある個室。
脱落済みのマスターが身を休めるその場所は、今やアサシン陣営の諜報拠点と化していた。
「――想定外の事態により監視が途切れた。今、代わりの者を向かわせている」
「報告を」
「円……いや、球形範囲の広域攻撃。おそらくは音だ。全方位の無差別攻撃に対しては気配遮断も十全に効果を発揮しない」
何らかの事態に驚愕を見せたアサシンであったが、そこは暗殺者のサーヴァント。
数瞬の後には我を取り戻し、淡々と報告、分析を挙げ連ねていく。
神秘は秘されていればいるほど高い効果を発揮する。
魔術師が一子相伝の継承を行っているのはそれが理由であり、聖杯戦争そのものも人目に付かない夜間戦闘が常態。
故に昼間は本来、交渉の時間だ。
「あのアーチャーと、戦闘が成立しているのか?」
「いや、現地の者は撃破されたわけではない。これは、まさか聞き惚れているのか……?」
「………………本当に、芸を奉じに来たと?」
「何らかの仕込はあるだろうが、英霊の我侭加減など直に見ただろう。語りたがりの芸術家が召喚されたとしても、別段驚くことではないだろうに」
綺礼がアサシンの視界を共有しても、何事もなく佇んでいるようにしか見えない遠坂邸が遠巻きに映し出されるのみ。
これ以上近づけば音に呑まれるというのが暗殺者の見解だ。
事後には間違いなく影響の如何を確認し、場合によっては対処、対策が必要となるだろう。
だが招き入れたのは確かに彼らであり、招かれたサーヴァントも約定を何一つ破ってはいない。
「おそらく我らの姿も捕捉された筈だ。サーヴァントも出払っている。アインツベルンに襲撃を掛けるなら今だろう」
「……いや、相手の思惑はどうあれ本当に芸を奉じているのであれば、それを妨害すればアーチャーは間違いなく機嫌を損ねる。そも、キャスターの構える陣地に無策で攻め込むなど自殺行為だ。分析を続け、師の助けに入れるよう警戒を怠るな」
そうして、焦れるように時間が過ぎていく。
アサシンは何かを読み取り逐一報告を上げてくるが、綺礼の視界には遠坂邸の変わらぬ様子しか映し出されない。
彼らの関係はあまりにも歪だ。
言峰綺礼は遠坂時臣の同盟者であり、彼を勝利させるためにサーヴァントを召喚した。
それ故に、そのままでは使い潰されることが確定している暗殺者は、常に出し抜く術を模索している。
遠坂が有利になるように進言はするだろう。
だが同時に、彼らが不利になるような状況を隠蔽することも厭わない。
そして、
アサシンの基本スキルには気配遮断というものがある。
文字通り、存在感、気配を薄め、ランク次第では目の前にいることにすら気付かれなくなるという、暗殺者の技術。
だがそれには欠点として、攻撃の瞬間だけは
聖堂教会の戦闘部隊、代行者。
言峰綺礼の前職であり、その戦闘能力は未だ衰えておらず。
――だからこそ、致死の刃を皮一枚で避ける事に成功した。
「っ!――令呪を以て命ず!」
思考より先に、肉体が最適解を導き出す。
聖杯よりその身に刻まれた聖痕。
契約したサーヴァントに対するたった三度の絶対命令権は――サーヴァントの側から
状況の変遷に思考が追いつかない。
だがその身に刻まれた戦闘経験が彼を動かし続ける。
「報いを」
暗殺に特化したアサシンは元より正面戦闘に劣り、彼女はその身を分ける宝具の性質上、更に能力が低下している。
加えて、パスの切断による魔力の供給不足。
人の身である綺礼が未だ抗えているのはそれらの要素が積み重なった故だろう。
「「「「報いを」」」」
だが、膨大な魔力の奔流と共に、魔力不足による希薄化が回復したことで、天秤は傾いた。
「「「「「「「我が信仰を踏み躙った者に、報いを」」」」」」」
そして話は冒頭に繋がる。
令呪とは聖杯よりその身に刻まれた聖痕。
それは言い換えるなら、肉体に宿っている神秘であるということ。
故に、その腕を切り落としてしまえば、他者であっても容易に使用が可能なのだ。
聖杯戦争の監督役とは、過去に使用されなかった令呪を管理する者でもある。
その無数の聖痕を宿した右腕が、アサシンの手に握られていた。
「――――――」
まだ、生きている。
右腕を落とされ、地に伏しながら、それでも言峰璃正は生きていた。
アレは生餌、疑うべくもない罠だ。
言峰綺礼の戦闘者としての部分は冷静にそう告げている。
そして、それに釣られようと、無視して抵抗を続けようと、己はここで朽ちるだろうとも。
意識が揺れる。呼吸が乱れる。
最初に受けた掠り傷は、既に毒々しい負傷となって肉体を蝕んでいる。
圧縮された一瞬。
彼の脳裏にはその人生が、彩を得ることがなかった生が、それでも鮮明に映し出されていた。
思い出すのは、妻の最期。
彼が唯一愛そうと願い、愛を知れぬまま失ってしまった伴侶。
それが何よりの決め手となった。
カソックを翻し、彼は駆けた。
激痛に苛まれながらも息子が身を案じ、逃げよと乞う父の下へ。
もはや肉体は限界に達し、だがそれを超え、避けきれずとも致命傷を掻い潜り、そして、
――辿り着いた父の顔を、全力で踏み砕いた。
攻撃が止まる。
あまりの事態にアサシンも動揺しているのか、僅かばかりの時間が許されたようだ。
くつくつと喉の奥から嗤笑が零れる。
あっけに取られた父の最期。
それはあまりにも滑稽で、甘美で、
「くっ、くくっ……くはっ…………ははははははははははははっっっ!!」
生まれて初めて、心の底から笑えるような愉悦だった。
ようやく、理解した。
自分はずっと……ずっとずっとずっと、こうしたかった。
妻の末期に思い至ってしまったのは気の迷いなどではなく、紛れもない本心だったのだと。
額に手をやり笑いこける身体に、刃が突き刺さる。
だが、もうそれで良かった。
言峰綺礼は、世界で最も美しいものに抱かれているのだから。