1_二度目の人生
飛行機の座席に体重を任せながら、二乃は楽しかったけど疲れたな、と考えていた。
今自分は姉妹達とフー君と一緒にハワイから日本へ向かう便に乗っている。四葉とフー君の新婚旅行が無事終わったのだ。
いつもの如く、一筋縄ではいかない旅行であったが終わってみれば楽しい記憶ばかりが脳裏に再生される。
「二乃、起きてる?」
「起きてるわよ」
横から四葉の声がした。二乃は閉じた目を薄く開け、小声で返事をした。
飛行機の中は照明が落とされ薄暗くなっている。三列に分けられているシートの真ん中の列に座っている二乃達からははっきり見えないが、窓際で降ろされているブラインドの向こうから光が差し込んでいないのを見ると、まだ夜のようだ。
実際、窓際の一花と五月も寝息を立てていた。
自分だって寝ていたのに、こんな時間に何の用だろうか。
「今回の旅行、付いてきてくれてありがとうね」
「……礼を言わなきゃいけないのはこっちの方よ。あんた達の新婚旅行に勝手についてきたんだから」
交際を始めてから五年目ともなると、四葉とフー君の間でも遠慮というものはかなりなくなっているのだが、新婚旅行ともなれば話は別で四葉はかなり緊張していた。
なによりハネムーンであるわけなのだから、夫婦特有のイベントというのも期待していたようで、しかしどうやって流れに持ち込むのかといった下世話な相談を四葉の方からしてきたのであった。
どうやらその件もあっての礼なのだろうが、二乃……というより姉妹からすれば今更そんなことで礼を言われるのもむず痒い気がするほどであった。
だからだろうか、そんなことで起こさないでほしいとすら考えていると、ガクンと飛行機が揺れた。
「なに!?」
それまでずっと小声で話していたが、初めて大きな声が出た。
周りでも寝ていた乗客たちが目を覚ましだしている。
一度揺れた飛行機はその後、初めは微振動だったのが徐々に地震が震度を上げるかのように揺れが大きくなっていく。
しばらくすると、機内にCAのアナウンスが流れ始める。
『お客様にお知らせいたします。当機は現在、エンジンのトラブルにより大変激しく揺れております。お客様におかれましては、シートベルトを着用いただき身をかがめていただきますようお願いいたします』
直後、一段と大きく飛行機が揺れる。
続けて天井からは管に繋がったプラスチック製のマスクが目線の高さに落ちてくる。
「これって、酸素マスク……!」
二乃のつぶやきと同時に、再びCAからのアナウンスでマスクを着用するよう指示が飛ぶ。
「お前ら! 急いでマスクを付けろ!」
急に聞こえた声はフー君のものだった。自分とは反対側の四葉の隣に座っていたフー君が今の騒動で目を覚ました後、即座に状況を理解したのだろう。
気が付けば他の姉妹達も目を覚ましていた。各々が慣れない手つきでマスクを付けようとしている。
自分も見よう見まねでマスクを装着した直後、座席の角度が大きく前のめりへと傾き始めた。
(墜落してる……!)
高度が急降下しているのだろう。ジェットコースターの時のような、胃が裏返る感覚が全身を襲う。
アトラクションで感じるのであれば楽しい感覚であるが、今の状況では恐怖の感情以外の何も感じなかった。
それから先は阿鼻叫喚であった。
マスクをしているとは思えない乗客たちの悲鳴が続く中、前のめりな姿勢と胃の裏返る感覚はずっと続いた。
悲鳴の中には姉妹や、フー君のものさえ混じっている。
自分も頭を抱えてただ縮こまるしか出来ない中で、その時は来たのであった。
視界が、真っ暗になった。
「はっ……!?」
目が覚めた時、目に飛び込んで来たのは見慣れた天井であった。
自分の部屋だった。
全身が嫌な感覚に包まれている。パジャマは寝汗でぐっしょり湿っている。
嫌な感覚を振り払うように身を起こした。
「……夢……?」
思わずつぶやいたが、自分の声が返ってくることにすら、どうやら自分は本当に生きてこの場に存在しているのかという実感を持たせてくれた。
しかしもし夢だとしたら、ずいぶんと最悪な夢だったと思う。
姉妹全員でフー君と四葉の新婚旅行について行って、楽しく過ごしたかと思えば最後は飛行機が墜落して全員亡くなるだなんて。
夢にしては旅行の間の記憶もずいぶんはっきり残っているものだとも思った。何せ旅行中の数日間のことが目覚めた今であっても鮮明に思い出せるのだから。
「……まあ、いいわ」
とにかく、今は寝汗をどうにかしようと思った。
ベッドから降りようと、体を上げるために無造作にベッドの上に手を付く。
「いたっ……!」
そこで急に、頭に痛みが走った。
何事かと思ったが、この痛みには覚えがある。そのため真っ先に確認したのは頭ではなく、たった今手を付いたベッドの上であった。
案の定、自分の手が自分の髪を下敷きにしていた。
やはり髪を抑えつけたまま立ち上がろうとしたから髪が引っ張られての痛みだった。
「え……」
しかし、痛みによって急激に覚醒させられ始めた脳が状況を伝えてくる。
自分の髪はこんなに長かっただろうかと。
自分の髪は確かに姉妹の中では長い方だが、それでもせいぜい肩の下まで垂らすくらいだ。
こんな、ベッドの際に腰を落とした状態で手を付いた時に、下敷きにするほど長くなどない。
こんなに髪が長かったのなんて、確か高校生の時の──
「それにこの部屋……」
続いて気が付いた。自分の部屋だと思った室内の様相も、よく見れば自分の"最新"の記憶とは異なる。
貼ってある俳優のポスターや、家具などは全て、高校生の時の物だ。
「どうなってるの……!」
二乃は部屋を飛び出した。
二階の足場から手すり越しに吹き抜けになっている一階のリビングへと目を向けると、そこには見知った顔がいた。
「おや、やっと起きたのですね二乃。ちょうど今起こそうと思っていたんですよ」
「二乃が起きてこないから今日の朝ごはんなしじゃんー、転校初日から腹ペコで登校なんてお姉さんガッカリだなぁ」
「おはよう、二乃」
「今日から新しい学校だよ! 早く顔洗って登校の準備しよう!」
姉妹達だった。全員知っている。しかし全員、少し違う。
一花は私服が流行りのものではない。
三玖は髪型が違う。ヘッドホンも肩にかけている。
四葉も頭にリボンをつけている。
五月もメガネをかけていない。
そして全員、少しずつ若い。
その自分が知っている姉妹と少しずつ違う姉妹達は、しかし初めてみる姿というわけでもない。
全員、高校生の時の姿なのだ。
(やっぱり……!)
二乃はもう一度自室に飛び込むと、真っ先にすべきであったはずなのに動揺しすぎて出来なかったことをした。
姿見の鏡で自分を見たのだった。
そこには、腰の下まで髪が伸びている、高校生の時の自分が立っていた。