17_美味しいご飯が食べたくて
この日、二乃は放課後の時間を利用してあるところへと一人で訪れていた。
豆腐のように四角形をしている二階建ての建物は、一階はかつてお店をやっていたと思われる風体だったが、今はシャッターが下ろされている。
シャッターの斜め上、二階に位置する場所には看板が付けられており『うえすぎ』という文字が書かれていた。
二乃が訪れているのは風太郎の家であった。
そして同時に、かつての自分の職場でもあった。
前世では義伯父である勇也より店舗を借りて『なかの』という喫茶店を三玖と一緒に営んでいた。看板に書かれている文字以外は、記憶の中の景色となんら変わりない。
二乃は店の外観を建物の前に立つと、懐かしむように眺めた。
「……ただいま」
この場所には林間学校の初日に、風太郎を迎えに一度訪れたがあの時は周りの姉妹の目もあったし、すぐに出発してしまったため今のようにゆっくりはできなかった。
だから今度こそは、かつての日々を思い出しながら十分に眺めた後、シャッター脇の階段を上った。
階段の先には木造の扉があり、横にはカメラも無い音符マークが書かれただけの古めかしい呼び鈴ボタンが備えられていた。
呼び鈴のボタンを押す二乃。
『はーい、今出まーす』
壁が薄いせいもあり、呼び鈴の音が直接外へ響くと共に、女の子の返事がする。
続けてトットットッ、っと軽い足音が扉の向こう側まで来ると、扉は二乃から見て手前側に開けられた。
建物の中から顔を見せてきたのはらいはであった。
「はい、上杉です……あ、お久しぶりです中野──」
チラリと、二乃の髪飾りを盗み見るらいは。
「二乃さん」
「久しぶり、らいはちゃん。花火大会の時以来かしら」
「はい、その節はお世話になりました」
扉から手を離しお辞儀をするらいは。
相変わらず良くできた子だと、内心で二乃は評価した。
実際はトラブルだらけの花火大会の日の中で、二乃の計画通り動いてくれた数少ない人物であり、はぐれた風太郎を見つけるための案だって出してくれた。
世話になったのはこちらの方だと言いたかったが、理性的なこの子の前で謙遜すればお互いに卑下し合う展開になりそうなので、お礼を素直に受け取ることにする。
「フー君はいるかしら?」
「フー……? はい、お兄ちゃんなら中で寝てます。今日は二乃さんお一人ですか? えっと、五月さんとかは……」
言いながら階段の下を覗き込むらいは。
「ごめんね、今日は私一人なの」
「あ、そうなんですね! ごめんなさい、失礼なことをしました」
「全然気にしてないわ。うちの妹と仲良くしてくれてありがとね。中入ってもいい?」
「もちろんです、どうぞ!」
扉を開けたまま中へと戻っていくらいはの後に続き、二乃も玄関へと入る。
扉を閉め、靴を脱ぐと迷いようのない短い廊下を歩いて居間へと顔を出す。
居間では壁際に布団が敷かれており、風太郎がパジャマ姿で寝ていた。
起きてはいるようで、二乃が来たことに気づくなり上半身を上げた。
「お邪魔するわよ」
「二乃か、わざわざ来てくれなくてもよかったのに」
「私が来たいから来たのよ。ほら、病人は寝てなさい」
今日、風太郎の家に来たのにはちゃんと理由がある。
別に両想いであることを確認できた今となっては理由が無くても来たいぐらいなのだが、それはまた今度だ。
土日も使っての林間学校の後、代休を挟んで最初の登校日である今日、学校で風太郎が風邪で休んだという話を二乃は耳にしたのだった。
おそらく、二乃や四葉の作戦によって発熱を遅らせていたものの、元々らいはから貰っていた風邪の菌が今になって暴れ出したのだろう。
当然、即座に姉妹達と一緒にお見舞いをしに行こうと話を持ち掛けたところ、姉妹達からの返事はと言えば、
『いやぁ、出来立てカップルのお邪魔はできませんからなー』
『……行かない』
『一花に同じく!』
『らいはちゃんには会いたいですが、私も遠慮しておきます』
という淡泊なものであった。
林間学校のキャンプファイヤーの後、姉妹達の部屋へ戻った二乃は結果をありのままに報告した。
風太郎も好きだと言ってくれたこと。だけどまだ付き合えないとも言われたこと。その理由も含めてだ。
姉妹達は皆祝福してくれたのだが、一つだけ気になることがあるとすれば三玖だった。
三玖も他の姉妹と同じことを言ってくれたが、表情を見ればまだ結果を受け止めきれていないようだった。
(あの子にはフォローしておいてあげないと……今後の課題ね)
ともかく、そんな経緯によって今日は二乃一人なのであった。
居間へと入り、カバンと来る途中に寄ったドラッグストアで買ってきた物が入っているビニール袋を下した。
らいはがいるのは分かっていたが、小学生一人で看病するのは大変だろうと気遣ってのことだった。
「風邪の調子はどう?」
「大したことない。少し熱と咳が出るくらいだ」
「良かった。買ってきた物、布団の脇に置いとくわね。スポドリとか冷えピタとか、必要そうなの色々買っておいたから」
「本当に大したことない。大げさだ」
「熱が出てるのは本当でしょ。これくらいさせなさいよ……一応私達、お互いの気持ちを確認し合った仲なんだから……」
「──!」
直後、風太郎は顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。いつもの癖か、壁に向きながら前髪も弄っている。
対して言ったこっちも顔が熱くなっている気がする。
考えて見れば風太郎から告白してもらった日の後で初めて会うのだ。こっちだってこんなやり取り、前世でだってしたことがない。
そう、ここから先は何もかも初めてなのだ。
(でも、両想いになったからって終わりじゃない。むしろこれからなのよ……しっかりしないと)
そう喝を入れると、キッチンに立っているらいはへと向く二乃。
「らいはちゃん、私も何か手伝えないかしら」
「えっ!?」
二乃の呼びかけにビクッ、っと肩を跳ねあがらせるらいは。
カレーを作っているのか、コンロに置かれた鍋をかき回していたオタマを持った手もピタリと止まる。
(驚かせちゃったかしら?)
今の会話だって聞こえてただろうし、声にびっくりしたわけでもあるま──
(あれ、今の会話を聞かれてた?)
自分は今、風太郎とどんな会話をしてた?
同時に、脳裏に再生されるついさっきの自分と風太郎の会話。
「──!」
風太郎に続いて、今度は二乃が顔を真っ赤にする番であった。
(やらかしたーっ!!)
らいははキャンプファイヤーでのやり取りなど知るわけがない。
つまり今、この子は突如一人で現れた五月以外の五つ子が、更に突如として自分の兄を相手に惚気だしたのだ。
そんな当然なことを、自分も風太郎を前にした瞬間気が付かなくなるほど舞い上がってしまっていたらしい。
(で、でも別に隠してることじゃないんだし、ちゃんと説明すればいいだけよ!)
「ららららいはちゃん! これは説明するととね!?」
「だ、大丈夫ですよ、二乃さん! 大人にはいろいろと事情が──」
「待ってらいはちゃん! お互い冷静になって一度話しましょう!? まずはカレーの火を止めて風太郎を投げ捨てた後にできるだけ沢山の肉まんを買いにコンビニへ──」
「この上なく二乃さんの方が錯乱してるよ!?」
結局、頭を冷やすために風太郎を残して二人で外へ出ることとなり、ついでに晩御飯の準備で足りないものもあるとのことだったため、近所のスーパーにも寄ることになった。
行きの道では若干気まずい雰囲気が流れる二乃とらいはであったが、食品売り場で買う物を選ぶ頃になると、らいはが話しかけてくれた。
「あの、二乃さんとお兄ちゃんってもしかして……お付き合いされてるんですか?」
「それは……その……」
一瞬、どう答えようかと迷った。
両想いなど、小学生から見れば付き合っていると同義と受け取られるかもしれない。
それに小学六年生の頃となると、こと身近な人間の恋愛事情など絶好の話のネタだろう。
かつて自分も、小学校の修学旅行の時に四葉が嬉々として風太郎のことを話しているのを、四葉は『良い人がいた』という話だったのに自分は結構マセた思考をしながら聞いてた気がする。
けれど実際のところ、今の自分と風太郎はまだ交際しておらず、姉妹達の卒業が確実となるまでおあずけを食らっている状態だ。
そんな状況をらいはが理解できるかと危惧しての躊躇であったが、これまでの会話で十分聡い子であるとは分かっているため、迷った末に話すことにした。
「付き合っては、ないわ」
「あ、そうなんですか……」
「でも両想い」
「……! りょ、両想いだっていうのはどうして分かったんですか……?」
「それはその……お互いに好きだって言ったから……」
「あのお兄ちゃんが、告白を……!?」
すると、らいははくるりと背を向けるなり携帯を取り出し何か操作をした。
時間にしてほんの十数秒のことだったが、携帯を操作し終えたらいはがこちらへと向き直る。
「すみません急に」
「別にいいけど……」
「あの、二乃さん」
「なに?」
「よければ今夜、夜ご飯ご一緒しませんか?」
「えっ……!?」
今の会話の流れからどうしてそういう話になるのかと思ったが、らいはと一緒に夜ご飯を食べるという事は風太郎とも一緒に食べるということになる。
風太郎は病人だから同じご飯は食べられないかもしれないが、お粥をあーんしてあげるくらいのことはできるかもしれない。
なにより、食事の準備をするとなれば自分の腕の見せ所だ。
「いいけど、そしたら私も一品作らせてもらってもいいかしら?」
すでにカレーが大分できあがっているのは家で見ている、だから作るのはあくまで小鉢に載せる程度の軽いものだが、逆にそれくらいなら今の時間からでも何だって作れるだろう。
「あ、はい。それは大丈夫ですけど」
「なら他にも買いたいものがあるわ。ちょっと付き合ってちょうだい」
「はい」
らいはを連れて追加の食材を別のカゴへ入れるとレジへと向かった。
二乃とらいははレジ前の列で分かれると、二乃も自分が作る料理の食材の分の会計をしようとカゴを店員に渡した。
「お会計、786円です」
「カードで」
「ご一括でお受けしますね」
「はい」
慣れた手つきで財布から黒いクレジットカードを渡す二乃。
カードはマルオ名義で姉妹達に渡されているものだった。使用した分の請求はマルオへと行くようになっている。
マルオの意向もあり使用できるショッピング枠の金額はカード会社の規定に準拠しているが、極端の金額を使用した場合は事前のマルオへの報告か、事後に聞き取りが行われることになっている。
受け取った店員も慣れた手つきでカードをスキャンし、POS端末を操作する。
すると、機械的なやや不快感のある音がなった。おそらくエラー音と思われるが、二乃は初めて聞く音だった。
「お客様申し訳ございません、こちらのカードは理由はわかりませんがお取引ができないようになっているみたいです」
「うそ、さっき寄った薬屋じゃ使えたのに」
「すみません」
申し訳なさそうにしながらも、対応できないとカードを返してくる店員。
二乃はやむを得ず現金で会計を済ましてかららいはと合流した。
風太郎の家へと戻り、らいははカレーを煮込む作業を再開し、二乃も作業場を借りておかずの準備をしている時、スマホが鳴った。
シンクで軽く手を流してから取り出して確認すると、一花からの連絡であった。
スーパーからの帰りの途中、夕飯は風太郎の家で済ませることと、自分達の夕飯は自力で何とかするようにチャットで伝えておいたのだが、その返信だった。
二乃が送ったメッセージから、
『夜ご飯はフー君の家で食べてくる。悪いけどそっちはそっちで何とかして。冷蔵庫の余り物も使っていいから』
『おっけー、皆には何を頼みたいか私から聞いておくね』
『出前を頼む以外の選択肢がない返信ね。たまには料理してみたら?』
『そんなことをしなくても、我が家には優秀な家内がいるものですから』
『誰が家内よ。そんな頼りっきりだと、私が家出ることになったらおしまいよ?』
『おやおや、もうお嫁さん気分ですか? 気が早いですなぁ』
『そうよ、私はもう将来も考えてるの』
『……そういう恥ずかしげもなく言い切れちゃうところ、お姉さん好きだよ』
『じゃあそういうことだから』
『はーい、がんばってねー』
画面を落としてポケットにしまう。
一昨日のキャンプファイヤー以降、一花とはこういったやり取りが増えた気がする。
一花だって多少は風太郎のことを気にしていたはずだというのに、えらく軽口をたたくもんだと思っている。
まだ傷が浅いうちに風太郎との関係を決着できたからなのか、はたまたただの強がりか。
(まぁ、強がっていられるうちは大丈夫よね)
少なくとも三玖ほど心配すべきではないだろう。
三玖の元気がないのは今日の学校での反応でも見て知っている。
けれど、二乃はもっと早い段階で気づくべきだったと後悔していた。
キャンプファイヤーの直前、風太郎の元へ行く時に二乃は、三玖に引き留められた。それが土壇場で出た考えなしの行動だとは理解している。
しかし、何故そんな行動に出たのかという点を見誤っていた。
はっきり言って、今回の世界における三玖は二乃が知る限り、風太郎に対して何もアプローチをしなかった。
それは三玖自身の恋心が成熟しきっていなかったからだと予測し、自分と風太郎が結ばれたとしても無傷とはいわないが、それほど深く傷つけることはないだろうと楽観していた。
だが、そんな二乃の見立ては大間違いだった。
三玖は十分に風太郎のことを好きになっていたし、ただ行動を起こすだけの自信が持てなかっただけだった。
だからあの夜三玖は追い詰められてしまい、あんな行動をとったのだろう。
あの結果は風太郎攻略作戦における最後の失敗であり、今なお持ち越している課題だと考えていた。
「あの、二乃さん?」
「あ……どうしたのらいはちゃん?」
その時だ。考えに夢中になり過ぎていたらしい。らいはが隣でこちらを見ていた。
「カレー出来ました。二乃さんの方も準備よければお膳に並べちゃいましょう」
「そうね。すぐできるから、先に出しちゃってて」
二乃の指示に配膳をし始めるらいは。
自分も手を早めておかずを作り上げてしまうと、続けてカレーの隣に置いた。
そして、それと同時に風太郎の前にも一皿置く。
「悪いけどあんたはお粥よ」
「風邪ならもう治ってる。俺もカレーがいい」
「駄目よ。風邪は治りかけが一番大事な時なんだから……それに」
言いながら、二乃は風太郎の隣に座る。
お粥と一緒に置かれていたレンゲを取ると、救い上げて風太郎へと差し出した。
「これ、私の手作りよ。あーんしてあげるから我慢して食べなさい」
「……! らいはが見てるだろ!? 自分で食えるから大丈夫だ!」
「むぅ、恥ずかしがらなくてもいいのに」
「その代わり」
「?」
「……夕飯はお粥でいい」
「──! ええ、沢山食べてね! おかわりだってあるんだから!」
「お粥のおかわりってなんだよ。病人に腹いっぱい食わすな」
「治ったんじゃなかったのかしら?」
「言ってることがさっきと逆だぞ」
「フー君だって」
そう言って、どちらからと言わず笑い合う二人。
その二人の様子を横から見ていたらいはがぽかん、っと口を開けていた。
「らぶらぶだぁ……!」
その時であった。部屋の外から階段を駆け上がってくる音がした。
足音は扉の前まで来ると、勢いを緩めることなく扉が開かれ、更に廊下をばく進する。
そして廊下から居間へ飛び出してきたのは、金髪の男性、
「ただいま! 風太郎の彼女まだいるか!?」
勇也だった。
「お父さんおかえりー」
「親父? 今日は一晩中仕事だったんじゃなかったか?」
「お、お邪魔してます……」
勢いよく姿を現した勇也に、らいはだけが平然としてた。
勇也は肩にかけていた仕事機材が入っていると思われるスポーツバッグを部屋の隅に置くと、二乃の前に来て両膝を着いた。
「初めまして、風太郎の父親の勇也です。二乃ちゃんだっけか、この前の林間学校の時は家の前まで風太郎を迎えに来てくれたんだってな。部屋まで迎えに来たのが五月ちゃんだけだったから気づかなかった、出迎えもせずに悪かったな!」
「い、いえ、お気になさらず」
捲し立てる勇也に気圧される二乃。
向こうも初対面の挨拶をしてきたというのに、開口一番にこちらの名前を呼んできた辺り今日ここに自分がいることを知ってたのだろう。
自分と勇也以外の二人の様子からすると、おそらくらいはが連絡したと思われる。
そういえば、買い物の途中で急に携帯を弄った時があったが、あの時かもしれない。
「ごめんね二乃さん、私がお父さんに連絡したの」
言いながら風太郎を見るらいは。
「お兄ちゃんに彼女ができるのなんて、これが最初で最後かもしれないし、おにいちゃんのことだからいつ愛想を尽かされちゃうかもわからないから教えてあげようと思って……」
「らいは、お前なぁ……」
酷い言われように若干引いてるご本人。
「別に大丈夫よらいはちゃん。どうせ早いか遅いかの違いだし」
「おい二乃! お前まで!」
続けて二乃へ抗議の声を上げる風太郎だが、あえて無視する。
二乃は勇也を前に座り方を正座へ直すと、深々とお辞儀をした。
この世界では初対面だ。少しでも心象を悪くしないよう、久しぶりに高校時代ではなく喫茶店を経営していた社会人時代の記憶を総動員して、丁寧な挨拶を心掛ける。
「こちらこそ、ご挨拶が後になってしまい。中野二乃です。父から上杉さんのことは……あまり聞いてはいませんが──」
「アイツはそういうやつだからな!」
「と、とにかく、上杉さんのおかげで風太郎君には家庭教師としてもお世話になってますし……こ、個人的にも仲良くさせていただいてます」
「仲良く? 彼女じゃないのか?」
「もうお父さん、ちゃんとメールに書いたでしょ! 家に来てるのはおにいちゃんと両想いの人だって!」
「それは付き合ってるっていうんじゃないのか?」
その物言いに、どうやら両想い=付き合っているという解釈をする可能性を警戒すべきは勇也の方だったと、内心で認識を改めた。
勇也とは前世では姉妹の中でもかなり交流のあった方なのだが、やはり仕事を通しての理解だったかと実感する。
と、いうのも二乃が勇也と話をするようになったのは『なかの』を営業するためにテナントを借りてからだったからだ。
勇也の立場としてはオーナーに位置する。
上杉家の実家と建物が共用であることから、光熱費や諸経費などは毎月勇也か、都合がつかない時にはらいはへ渡していた。
二年ほど働いていたため、流石に雑談だってするようにはなっていたのだが、その時の勇也は"そこそこ"しっかりした人だった。
親族の集まりの時には仕事抜きで話をすることもあったが、それでもやはり完全には素でなかったらしい。
当時をやや懐かしい気持ちで振り返った二乃だったが、ともあれ目の前の勇也を相手に気を取り直して会話を続ける。
「まぁ、色々ありまして。風太郎君とは家庭教師の仕事がひと段落するまでは、まだお友達のままということで──」
「二乃ちゃんすまん、ちょっと一瞬失礼するぞ」
「?」
話を中断して立ち上がると、今度は風太郎の前へと移動する勇也。
そのまま肩に手を置かれ、疑問気な顔を浮かべる風太郎に心の底から心配する顔を浮かべる勇也。
「お前、股の下にちゃんとモノ、付いてるか? こんな可愛い子に好きって言ってもらって付き合わないってマジか?」
「親父……恥ずかしいからマジで一回死んでくれ……!」
顔を覆う風太郎。
同時に不覚にも顔が少し赤らむ二乃。
顔の好みだけなら風太郎よりも勇也な二乃であった。いや、風太郎もキンタロー化すれば化けることは二乃も十分理解しているが。
「むっ」
そんな二乃の様子に、顔を上げた風太郎が少しだけ不機嫌そうにしてくれた。
風太郎には先日の林間学校の肝試しで、二乃の好みの男性のタイプはバレている。
そのタイプと完全に合致している勇也に対する二乃の反応を見てからの、その反応という事は──
(フー君、ヤキモチ焼いてる……!?)
その結論に至った瞬間、風太郎へのキュン度が爆上がりすると共に、その不機嫌そうな顔が愛おしすぎて心のメモリーに永久保存することが二乃の脳内で閣議決定された。
一気に上機嫌となった二乃は、顔に手を当てて照れながらも勇也へお礼を言う。
「いやです上杉さん、そんなお世辞は……」
「お世辞なもんか。この前会った五月ちゃんもそうだが、お前さん達お嬢ちゃん方は先生の面影をよく残してる」
「……ありがとうございます。お母さんは学校だと教え子から人気だったという噂は、聞いたことがあります」
カチリと、二乃の中で感情のスイッチが切り替わった気がした。
朗らかな雰囲気であったが、母親の零奈の話になるとどうしてもしんみりしてしまう。
前世の頃からの治らない癖の一つだが、勇也は零奈のことを悪く言うことはないため、悪い気分ではなかった。
「ああ、マルオなんか特にゾッコンだったからな」
「想像もつきませんね」
「そういう丁寧な話し方をしてると特に面影を感じるな。だが、もっと肩の力抜いていいんだぜ?」
「え?」
二乃を正面に見据えながら、風太郎を裏手の親指で指さす勇也。
「こいつからお嬢ちゃん達の話はたまに聞く。二乃ちゃんがもっと元気な性格してるってのも知ってっから、ここを自分の家だと思って楽にしてくれていいんだぜ」
「風太郎君が私のことを……!?」
それは初耳だった。
どんな話をしているのか聞いてみたい気はある。
「二乃さん、お父さんの前以外の時はお兄ちゃんのこと『フー君』って呼んでましたよね!?」
「お、いいな。是非とも二乃ちゃんの『フー君』呼び聞いてみたいな!」
「えと、それはちょっとぉ……」
「頼むから親父がその呼び方するのもやめてくれ……!」
さっきからずっと恥ずかしさで悶絶している風太郎。そろそろ憤死するか、真面目な話風邪をぶり返さないか心配になる。
いい加減、風太郎をこれ以上弄るのもかわいそうかとも思い、話題を切り替えることにする。
「呼び方の話はまたいずれということで……そろそろご飯にしませんか? らいはちゃんの作ってくれたカレー冷めちゃいますし」
「おお、そうだな」
「でも上杉さんすみません。今日は私も一品ご用意させていただいたのですが、帰っていらっしゃるとは存じ上げなくて私とらいはちゃんと風太郎君の三人分しか用意してなく……よければ私の分を──」
「ああ、いいっていいって。うちはらいはのカレーだけの日だってよくあるからな。それに、何だったら風太郎から取るからよ」
「おい」
「お父さん! それはダメ! 私とはんぶんこね」
「お、おう……」
流石らいはというべきか、二乃がおかずを用意した意図を理解しているようで、これまでの悪ふざけは勇也の肩を持っていたのが手のひらを返したように二乃のフォローをしてくれた。
そうしてらいはが自分のおかずを勇也にも分け、ようやく夕飯へとありつこうとした時だった。
再びスマホが鳴った。
「ごめんなさい、ちょっと連絡が」
「先食べてるぞ、二乃」
「ええ、大丈夫よ」
断りを入れてからスマホの画面を開くと、四葉からの連絡だった。
(このタイミングで? 何の用かしら?)
一瞬、身構えてしまう自分が嫌だった。
キャンプファイヤーの直前、四葉が味方だという確認は済んだはずだというのに、やはり自分の経緯を知る人物ということもあって何か予想外のことが起きるのではないかと勘繰ってしまう。
そんな予想外など、もう起きないだろうと頭を振ると、連絡の画面を開いた。
そこには四葉から短く一文で、こう書かれていた。
『たすけて!』
四葉の連絡を受けた二乃は結局、食事を取らずに家へと直帰した。
連絡にはあの一文の後に写真も添付されていた。
そこには完全に"予想外"の光景が写されており、今なお家の中で写真と同じ光景が広がっていた。
「なに、やってんのよ……」
見たままの光景に対して、状況が理解できない二乃。
リビングに広がっている光景を一言でいうなら、戦場の跡だった。
机に突っ伏す一花と五月、四葉だけがかろうじて背もたれにもたれかかって戦う意思を見せている。
そしてテーブルの上には大量の"黒焦げのコロッケ"。
そして今なお、キッチンでは三玖が怪しい目をしながらコロッケを炭にする作業を続けていた。
三玖がこちらに気が付いた。
「あ、二乃おかえり」
「おかえりじゃないわよ! 何よこの状況は!?」
「なにって、夜ご飯作ってるところだけど」
「あんたがやってるのはただの食材の浪費よ!」
三玖へ駆け寄るなりコンロの火を止める。
今なお油の中に浸っているコロッケもこげ茶色をもう少し色素を濃くした色味をしている。救出は難しいだろう。
三玖をキッチンから追い出すと、リビングで事情を説明させる。
何とか反応してくれたのは一花だった。
「いやね、二乃からの連絡の後、話した通り出前を頼もうとしたんだけどできなくってさ。それで自分達で作らないといけなくなったって言ったら、三玖が作るって……」
「出前を頼めないって、何でよ?」
「クレジットの決済ができなかったんだよ」
その現象には二乃も心当たりがあった。
スーパーで上杉家の夕食の買い物をしようとした時、カードで会計ができなかったのだ。
あの時はてっきりシステムの不具合とか、カードが読み取れないのが原因だと思ったが一花、というより出前を結局頼めてないところを見ると姉妹全員同じ状況らしい。
「でも、全員一斉にカードが使えなくなるんて、一体何が原因で──」
「その説明は私が」
割って入ってきたのは五月であった。
いつの間にかダウンから回復していたらしいが、それよりも気になるのは五月の表情だった。
「こちらを見てください」
そう言って自分のスマホを見せてくる五月の表情は、さきほどまでお腹いっぱいで苦しんでいたとは思えないほどにこやかなものだった。
こういう時の五月の顔には覚えがある。めちゃくちゃ怒ってる時の顔だ。
「な、なによ……」
呟きながら、差し出されたスマホを確認する二乃。
表示されていたのはマルオからの連絡だった。
意図は分からないが、マルオは姉妹全体への連絡事項を五月に連絡する癖がある。
今回もそのパターンのようで、五月個人宛ではなく全体へ周知しておくようという内容だった。
『二乃と四葉に預けているカードの明細について、カード会社から以下のような不審決済の連絡があった。
君たちが何にカードを使おうとも個人を尊重するつもりだが、それは僕が君たちを信じているからだ。
何故こんなことをしたのかは二人に直接聞くとして、君たち姉妹も一度、お金の使い方を考え直してほしい。
君たちに預けたカードは、一時的に停止させてもらった。
以下明細
11/11(土) 旅館宿泊 25000円×6人分 150000円
同日 同コース ※当日キャンセル料100% 150000円
同日 同コース ※当日キャンセル料100% 150000円
計450000円』
「あ」
明細には見覚えがあった。
林間学校の一日目、自分達がトンボ返りにならないようにと予約した時の明細だ。
降雪のトラブルで泊まる旅館だから、事前に予約をしていることなどおかしいため、直前にキャンセルを入れたのだが、キャンセル料を考えていなかった。
そして同じ明細がもう一つあるのは、四葉が原因だ。
これはキャンプファイヤーの後、何もかも腹を割って話せるようになった時に四葉から聞いた話なのだが、実は二乃と同じ理由で旅館を予約していたらしい。
そしてキャンセルまでまったく同じ理由とのことだ。
だからあの日、本来は一部屋だけのはずが二部屋の空きがあったのはこれが真相だったというわけだ。
そして二乃はスマホから顔を上げると相変わらず五月は笑顔のままだった。
一花も気づけば五月と全く同じ顔をしているのは、五つ子だからなのかなと現実逃避をしたくなる。
三玖だけがいつも通り無表情、というより大量にコロッケを作る機会に恵まれてやや満足げな顔をしていた。
「二乃」
四葉が自分を呼んだ。
振り返れば四葉は窓際で正座をしていた。フローリングの上だから足が痛いだろうに。
四葉もまた、五月達とは別の毛色の笑顔を浮かべており、自分の隣に座るように床をポンポン、と叩いた。
それが意味するところを、二乃もすぐに理解した。
(ああ、今日はこういう日なのね……)
大人しく四葉の誘導に従い、自分も正座をする二乃。
一度、四葉と顔を見合わせた後、二人は息を合わせて──
「すみませんでしたーっ!!」
姉妹に向けて誠心誠意の土下座をしたのであった。