私が風太郎を取り戻すことを誓った時、一番の障害となったのは当然、二乃だった。
でも、私は風太郎を取り戻したいだけ。家族を傷つけたいわけじゃない。
だけど、二人が両想いになってしまった時点で、どう頑張っても二乃から彼を奪い取ってしまうことになる。
元の時代では文句を言いながらも私を応援してくれた二乃から、今の時代でも協力する私に何度も『本当にいいのね?』と確認してくれた二乃から、私は彼を奪うと決めてしまった。
昔……たしか高校の修学旅行くらいの時に、一花が似たようなことをしようとしていたけど、私の場合はもっと質が悪い。もうお互いがお互いを好きになってしまっている中で、その仲を引き裂こうとするのだから。
だから、私は覚悟を決めた。自分のしようとしていることは紛れもない悪だから。たとえこれで二乃からどんな罵倒をされたって、私は覚悟を揺るがさない。
だけどその代わり、私は二乃を傷つけない。完全には無理かもしれないけど、私ができる最大限で二乃を傷つかないようにしながら、私は二乃から風太郎を取り上げると誓い、三つの作戦を考えた。
作戦のコンセプトは、いつか三玖が私に言ってきたこと。
『私が選ばれないのなら、四葉になり代わってフータローと付き合う作戦』
◆作戦① なりすまし
既に両想いとなっていることを私を含めた姉妹は皆知っている。
それを知った上で風太郎へ手を出そうとすることは、二乃を傷つけるだけじゃなく、倫理的にも間違った行いで、非難を受けてしまう。いや、実際そういうことをしようとしているわけなんだけども。
ともかく、私が四葉としてそのまま風太郎へアピールをしたとしても、間違いなく風太郎自身から軽蔑されてしまう。
だから私は私自身のかつての思い出を利用することにした。
風太郎は小学校の修学旅行で会った女の子が私だと知らない。
元の時代では五つ子の誰かだってことぐらいには感づいているみたいだけど、それでもまだ私だということには辿り着いていないらしい。
今の時代では五つ子の誰かだってことすら知らないらしい。それがむしろ好都合だった。
五年前の姿をした私は、五つ子ではない別の人間として風太郎に近づき、好意を持ってもらう。
風太郎が零奈を好きになってくれた時に、正体が私であることを打ち明けるつもりだった。
結果は失敗。再会して次に顔を合わせた時には正体がバレてた。上手くいかないなぁ。
◆作戦② 協力
正体がバレたけど、作戦は変えなかった。
この先風太郎にはいくつも、私達姉妹を巻き込んでトラブルが起こるということを未来を知る私は知っている。
だから私は、未来の知識を自分のアイデアとして風太郎にアドバイスすることで彼が困難を突破するお助けキャラになることにした。
一花が想定以上に早い段階で学校をやめると言い出してきたのは驚いたけど、まさにおあつらえ向きのシチュエーションで、私のアドバイスのおかげで何とかなってくれたらしい。
純粋に、一花が学校を辞めなくてよくなったのもよかった。
前の時代での風太郎は挫けそうになった時、支えてくれる存在である私を好きになったと言ってくれた。
それが今も通じるなら、私はこの世界での風太郎を助けて、好きになってもらう。
風太郎が私を好きになってくれた理由さえもダシにして、今の風太郎の二乃への気持ちを捻じ曲げようとしている。私は最低だ。
◆作戦③ 分断
どんどん仲を深めていく二乃と風太郎の隣で、お助けキャラとして心の距離を縮めようとしている私とでは恋仲の進展の早さがまるで違う。
だから私が追い付けるように、二乃と風太郎の距離を無理にでも空けなければならなかった。
これを決行する時が一番躊躇した。傷つけたくないと言っておきながら、結局二乃の恋を直接的に妨害する手段しか思いつけなかった。
手段は、クリスマスデートの光景を撮影した後、お父さんの手元へ出所が私だと分からないように写真を渡すことにした。
そこで目を付けたのが武田君だった。
武田君は風太郎の学力にちょっとした執着があるらしいことは、三年生の全国模試の時から知っていた。
そこに付け入る隙があると考え、恋愛のせいで風太郎の成績が落ちるかもしれないと伝えてみたところ、お願いした通りに動いてくれた。
お父さんもまた、二乃と風太郎を会えなくしてくれた。
きっとこれで、二乃は風太郎との会えない時間の多さから、真綿で首を絞めるように少しずつ風太郎への熱を失っていくことを期待した。
そうして、これらの作戦で風太郎の気持ちが二乃より私に傾いた時、私は彼から告白の返事をもらう。
私の気持ちは零奈としての姿を風太郎の前に晒した時にもう伝えているから、意識だってしてくれてるはずだと思う。
────けれど、ここまで完璧に作戦をこなしているように見えた四葉であったが、致命的なミスをいくつかしていた。
時は最後のテスト、学年末試験のテスト期間まで遡る。
風太郎がマルオによって家庭教師をクビになってから早三ヶ月が経過していた。
その間、状況は好転せず。むしろ悪化しているとさえ言えた。
「二乃、大丈夫? 目の下の隈すごいよ?」
「大丈夫……今週、今週頑張れば終わりだから……」
この日二乃は一花に
本来、この役目は風太郎のものであるはずだが家庭教師をクビになったことによる負債が想像以上であったのだった。
というのも風太郎の家庭教師の給料は時給五千円。普通の高校生の時給平均がおおよそ千円程度とすれば相場の五倍にもなる。
ただし、教える生徒の数も五倍。つまりノルマも五倍だ。今の世界に来てからこの雇用条件を改めて知った時は、とんだオーバーワークをさせるブラック企業だと実の父を相手に思ったものだった。
話は逸れたが、そんな高給の職を失えば補填をするにはバイト一つでは足りず、複数の仕事を掛け持ちしなければならなかった。
それでもバイト生活に慣れた風太郎は何とかバイトと自分の勉強、そして一花の家庭教師と三つのタスクをマルチにこなしていたのだが、テスト期間に入ってガタが来た。
体力の限界を感じた風太郎は、下田が家庭教師をするようになり逆にやや手すきになった二乃に、テスト勉強期間の間だけ一花の家庭教師を代わるよう申し出てきたのであった。
今は二乃が一花に渡した問題集の採点をしていた。
その二乃の様子は鬼気迫るものを感じさせ、目の下にできている隈は一花ですら気づくほどになっていた。
「私は学校のテストとか関係ないんだし、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないかな……」
「ダメ。ここで手を抜いたら、あんたと風太郎の約束を台無しにしちゃう。風太郎が大変な分、私が支えてあげないと……!」
「二乃……」
一花の勉強を風太郎が見れなくなっている時点で、二人の約束は破綻していると言えなくはなかった。
けれど、マルオを説得する案も思いつかない現状で二乃はジッとしていられなかった。
そのため二乃は、風太郎がいなくなった穴を埋めようとするかの如く、姉妹達の勉強のサポートに精を出しているのであった。
実際問題、下田は風太郎のような赤点以下ならクビなどというとんでもなノルマを課せられているわけでもないので、テストが間近に迫った今の時期であっても形式的なテスト対策をするばかり。焦っている様子はなかった。たとえ赤点を取ったとしても一つの結果だと受け止めるつもりだろう。
姉妹達を赤点から回避させたいというのは、あくまで二乃個人のものだ。風太郎が戻ってきた時に負い目を感じさせたくないからだった。
だから二乃は、風太郎並みに姉妹へ教えられるように自分も勉強し、姉妹達を説得して授業をして回っているのだった。
「フータロー君、戻ってこれるかな」
「当たり前よ。戻ってくるわ……絶対に……!」
「……そうだね」
唯一、幸いと言えるのは姉妹達の学力はそれほど悪くないということだった。
前回の二学期末テストだって赤点は四葉と五月だけ。より点数が悪い四葉も、憔悴する二乃の姿を見て奮起してくれているのか、最近は二乃が出した模擬試験の結果も良くなってきていた。
だから二乃は学力が落ちないようにすればいいだけなのだが、改めて四人全員の勉強を見る大変さというものを痛感していた。
中間テストの魔物の再来である。
「フータロー君も今大変なんだよね? 二乃が傍にいてあげられたらいいのに」
「風太郎なら大丈夫よ。一番よくシフト入ってるの四葉と同じ清掃のとこだから、あの子に代わりに面倒見てもらってるわ」
「凄い信用してるね。この前デートに付いてった時なんて、四葉どうやって邪魔しようかってボヤいてたのに」
「はあ?」
「『テストの復習が山盛りで鬼だー』とかなんとか」
「それはあの子の自業自得よ」
「三玖も同じこと言ってた」
「っていうかあんた達も勝手についてくるんじゃないわよ。恥ずかしいじゃない」
「でもおかげで良いもの見れました」
「なによ」
「クリスマスプレゼント」
「──! 怒るわよ!?」
「きゃーこわーい。もう怒ってるじゃーん」
「まったく」
二乃が採点をしている間、手持無沙汰らしい一花はコロコロと笑いながら窓の外を眺めた。黒い雲が立ち込め、冬の室内を差し込んで来るはずの太陽の光は覆い隠されている。予報では雨ではなかったはずなのだが。
二乃が一心不乱にプリントへと向かう姿を見て、一花は懐かしむように言った。
「なんだかこうしてると、あの頃を思い出すね」
「……前の学校の時のこと?」
目の前の答案に集中している二乃だったが、一花がいつの頃のことを言っているのかすぐに分かった。
「うん。一学期の期末テスト落ちちゃって、私達にしては珍しく必死で勉強したよね」
「そりゃ勉強したくないだけで、退学になりたいわけじゃなかったわけだし」
既に触れた話であるため簡潔に済ますものの、前に通っていた黒薔薇女子ではテストで落ちれば落第ということは珍しくなかった。
当然自分達は落ちたわけだが、流石に一発アウトというわけでもなく追試のチャンスが与えられた。
確かあの時は結局、四葉だけが二度の追試も落ちたはずだ。
そして四葉の落第が原因で風太郎のいる学校へ転校してきたのだから、二乃にとっては悪い記憶ではない。
まあ、再起を図っての勉強をした時は得意科目の把握や、風太郎から教わったノウハウもないまま馬鹿が五人集まって互いに教え合っただけなので、効率もなにもなく蟲毒のような空間になったのだが。
「あの時は大変だったよね」
「そう言いながら今の学校でもあんたが一番勉強しなかったじゃない」
「ほら、私はお仕事があったし」
「言い訳ね」
「手厳しいなぁ……でも、あの時一番大変だったのは四葉だよね」
「四葉は部活ばかりやってたものね。それでも本当に落第した時はびっくりしたけど」
「そうそう、あの時の四葉、何だか憑りつかれたみたいに取り乱してたし」
一花のいう事に心当たりがなく、ペンが少し震えた。
訝し気な顔をして一瞬だけ顔を上げる。
「……そうだっけ?」
「そうだよ、変なことも言ってたよ」
「なによ」
たしか、と思い出すように口元に手を当てる一花。
「『あの飛行機事故の後』とかなんとか」
「…………は?」
二乃の赤ペンを走らせる手が止まった。
ゆっくりと顔を上げる二乃。
対する一花は、二乃の硬直に気づかずに話を進める。
「何の話か分からないって私が言ったら、今度は急に走り出してさ。女子トイレに飛び込んで自分の髪を自分で切り始めたの。二乃も一緒に四葉を抑えてくれたじゃん」
そんな話、知らない。
少なくとも自分の経験した記憶では、四葉は二乃達が『転校するなら自分達も付いて行く』と言うまで、ずっと自分が落第なんて信じられないって顔をしているだけだった。
それと同時に、二年生が終わった今なおも長いままの二乃自身の髪に触れる。
自分がこの世界に戻ってきて、最も最初に異変に気が付いたアイテムだ。
「その時も確か、『私の髪はこんなに長くない』とか言ってて、それでやめさせた時にはもう滅茶苦茶になっちゃってたし、今の長さにしたんだよね」
確かにあの時期に四葉は髪を切っている。だけどそんなエピソードではない。
だいたい、『こんなに長くない』という発言は
(もしかして、四葉、
この可能性は一度だけ考えたことがあった。だけど、もし本当にそうだったら四葉は自分の風太郎へのアタックに協力するはずなんかないし、林間学校の時に対話するまでにだって何度も念押しで確認した。だから二乃は、そんなわけはないと自分の考えを否定していた。
だけど今一花から聞いた話はこの世界での、自分が戻ってくる前の出来事だ。
もしも自分の意識が戻ってくる前まで、この体の宿主をしていた"別の二乃"が違う出来事を経験していたとしたら。
当たり前のようにこの世界に戻ってきた転校初日より前は、まったく同じ人生を送っていると思い込んでいた。しかしそんなことはなく、ただ前世から一緒に持ってきた自分の記憶で上塗りしてしまっているだけだとしたら、今の一花の話を知らないことも理解できる。
けれど、まだ理解が追い付かない。追い付きたくない。
本当に前世から同じ時間を過ごしてきた四葉が自分より先にこの世界に戻ってきていたらという事実を、受け入れられない。
なのにそんな二乃の気持ちからくる拒絶を無視して、二乃の理性は事実として受け入れようと頭を高速回転させてくる。
そして思い出されるのは、この世界に来た一日目の出来事。
転校初日、昼休みの食堂で四葉の代わりに風太郎にテストを返した日の帰り道。マンションの前で三玖と一緒にストーキングしてくる風太郎を待ち伏せて、遅れて四葉と一花が追い付いてきた。
あの時四葉はこう言った。
『上杉さん! こんなところで会うなんて奇遇ですね!』
この世界だと五年ぶりの再会のはずなのに、あの時四葉は何故風太郎のことを"風太郎君"ではなく"上杉さん"と呼んだのか。
それが答えだと言わんばかりに、二乃の心は受け入れてしまった。
四葉がとっくの昔に、帰ってきていることに。
「────!!」
「二乃!?」
ガタリ、と勢いよく立ち上がる二乃。
椅子を引くこともせず、むしろ飛びのくようにして立ち上がってしまったせいで続けて、ガタン、と椅子が倒れる大きな音もする。
けれど、そんな音さえ二乃の耳には届かない。
「ハァッ……ハッ……ハァ……」
過呼吸のように、息が浅くしか吸えない。
その間も脳内では、この世界で自分が何をしてきたのかが何度も反芻されていた。
四葉に全て見られていた。
自分が四葉の恋心を知った上で風太郎に迫ったことも。本当は四葉と風太郎が結ばれるはずで、結婚した姿だって二乃が見ているはずだということも。
自分が、四葉から
私がしてきた酷いことを、全て見られていた。
視界が暗くなってくる。眩暈がして、立っていられないかのような感覚が迫ってくる。
「ちょっと、二乃大丈夫!?」
慌てて立ち上がった一花が自分を支えてくる。
でもごめん、それどころじゃない。
元々違和感はあった。
マルオがどうしてあんなピンポイントなタイミングを切り抜いたクリスマスデートの写真を持っているのか。
学校の関係者から貰ったとは言っていたが、そもそもあの写真を撮ること自体難しいだろうと。それこそ自分達を尾行でもしない限りは、だ。
その答えをさっき聞いた。姉妹達が尾行していた。当然四葉も。
四葉が撮って、学校の誰かに渡してそれを父親の手に。辻褄は合う。
何のために? だって四葉は自分を応援してくれるって言ってくれたのに。
だけど、またも思い出す。四葉と漫画を買いに行った夜の出来事。
『四葉、あんたも後悔のない青春を送るのよ』
自分の言った言葉だ。あれのせいで四葉が心変わりをしたというのなら……
「待って」
「二乃?」
「今日、風太郎のシフトって……」
「えっと、確か四葉と同じところの──二乃!?」
気がついたら、一花を押しのけて駆け出していた。
ホテルの部屋を飛び出して、目指すは四葉達のバイト先の事務所だ。
場所は知っている。二人が初めてからもう四ヶ月近く経っているのだ。知る機会はいくらでもあった。
今日特別何か予定があるわけではない。だけど、二乃はいてもたってもいられず、ただ走ることしかできなかった。
「お疲れさまでしたー!」
「お先に失礼します」
本日の仕事を終えた四葉と風太郎は事務所を後にした。
玄関を出ると、一面の田んぼが広がっている。季節的に育てているわけではないので、ただ乾いた土の地面が広がっているだけなのだが。
「上杉さんもお疲れさまでした!」
「おう」
二人は並んで駅へと歩き出す。
右を見ても左を見ても田んぼは広がっている。遠くを見れば目的地である駅もある街が見え、その街と自分達がいる位置の中間くらいには妙な造りの大きな建物も見えた。
「しかし、毎度思うが何でこんな辺鄙なところに事務所があるんだよ」
「仕事の機材と最低限の事務員さんしかいないから、わざわざ家賃の高い都心である必要がないらしいですよ」
「仕事先に行くときは車で送ってくれるからいいけど、行きと帰りが面倒くさいんだよな……」
「まあまあ、その分高いお給料いただいているわけですし」
「ま、そうだな」
いつも通りの光景。
今日も自分と風太郎は歩いて帰る。
今、二乃は自分のしたことのせいで大変な時期だし喜んではいけないのだけど、それでもこんな穏やかな時間が流れるのには、どうしても気が緩んでしまう。
だけど、
(あれ、まただ)
最近ちょっとした違和感を感じることが多い気がする。それが何かまでは分からないのだが。
その時、二人を覆うように強い風が吹いた。
冬場の風であるため、凍えるような冷たいものだがそれより気になったのは湿気の多さだった。
そういえば、シフト入りした時より空も曇っている気もする。
「雨降るかもしれないですね。予報じゃ降らないって言ってたんですけど」
「こんな平地で振られたら雨宿りする場所もないぞ」
「とにかく急いで帰りましょう!」
「ちょ、急に走んな!」
そう言って走り出す四葉。後を追うように続けて走る風太郎。
事務所から駅がある街までは徒歩にして十分ちょっと程度の時間がかかる。大体1kmくらいだ。
四葉が走ればすぐの距離なのだが、風太郎はそういうわけにもいかなかった。
600mも走ったところで息が上がり、膝を押さえて立ち止まってしまった。
バイトで体力が付いているはずと四葉は思っていたのだが、根っからのもやしっ子ではそうもいかないらしい。
「ちょっと、タンマ……!」
「もう上杉さん、虚弱すぎますよー」
「おま、お前は、覚えたての言葉を使いたがる……ちゅ、中学生か……」
「はいはい、ツッコミはいいですから息整えてくださいね」
ここから先はゆっくり歩いていくしかないだろう。そう思った矢先だった。
首筋にポツリ、と雨が降ってきた。
「ひゃっ!?」
「やべ、降ってきたな……」
冬場にしては珍しい、バケツをひっくり返したかのようなスコール。
一瞬にして巨大な雨粒が大量に体を叩きつけてきたため、四葉だけならず風太郎までも体に鞭打って走り出した。
目指すは街ではなく、今さっき通り過ぎたばかりの妙な見た目の建物。
自動ドアを潜り、中に入ると薄暗い照明と共に、壁面に埋め込まれたいくつものパネルとその下に備え付けられたボタンが自分達を出迎えてきた。
「わっ!?」
「……? どうした、急に驚いて」
驚く四葉と、その様子に首をかしげる風太郎。
今まで何度も通ってきた道だが、建物の外観ばかり風太郎とは話題にしていて店なのかは気にしたことがなかった。
表には看板だけがあり、店名だけは何となく知っていたのだが、特別調べるほどの興味もわかなかった。
だから今日入って、初めてどういう店なのかを四葉も理解した。
未だ察せていないらしい風太郎に、四葉は周りに誰かいるわけでもないのに耳元に口を寄せて小声で話す。
「あの、ここはですね……で、休憩っていうのも……が目的の、大人しか入っちゃいけない場所でして……」
「なっ……!」
説明を聞いてようやく理解したらしい風太郎。
元々、俗事にはやや解脱気味な風太郎であったが、いくら何でも高校生だし施設の存在自体は認識があるみたいだった。
ただ、店内の様相で判別できなかったことに四葉は少し胸を撫で下ろした。
ちなみに自分は、前の時代の風太郎となら来たことがあるとか、ないとか。
「おい、こんなところにいられるか! 俺は帰るぞ!」
「わー上杉さん死亡フラグー……じゃなくて、外土砂降りですよ!? せめてもう少し弱くなるまで待ちましょうよ!」
「だが入ること自体ダメなんだろ?」
「それは、そうですけど……」
「お客さん達ー、ロビーではお静かにしていただけませんかー?」
言い合いをする二人に割って入って、対面が見えないよう目隠しがされたガラスの受付から壮年の女性の声がしてくる。
こんな場所にいる現場を、第三者に見られたせいで慌てる風太郎を抑えて、今だけは23歳の頃の気持ちに切り替えて四葉が応対する。
「すみません! 私達雨に降られちゃって雨宿りに入った学生なんです! なのでごめんなさい、お客じゃないんです!」
「あらそう、正直だけどそう言われちゃったら部屋を貸してあげることもできないわよ。満室用のソファが奥にあるから、そこ使いなさい」
「いいんですか? ありがとうございます!」
「おい、本当に入るのか……」
「上杉さんまだちょっと息切らしてますし、このままじゃ駅に着く前にずぶ濡れですよ。お言葉に甘えましょう」
そう言って、半ば風太郎を引きずりながら奥へと入っていく四葉。
受付の言う通り、フロントとエレベーターの中間くらいに三人掛けの少しくたびれた皮張りのソファが置かれた半個室のスペースが三つほどあった。
他の待合の客と顔を合わせないようにするための配慮だろうが、入る時だけは他の席も見えてしまい、幸い誰もいなかった。
ソファに風太郎を座らせると、自分も隣に座りハンカチで肌を拭いた。
降り始めでここへ飛び込んだので、スカートのポケットの中までは濡れておらずハンカチは無事だった。
こういう場所にいるせいで、二人の会話は特段なかった。
待合席も薄暗いのは変わらず、店内BGMなんて洒落た音もない。しきりに建物の外から雨の音と、時々フロントの奥からはパソコンのキーボードのタイピング音、それと先ほどの女性が座り直したのか椅子が軋む音が聞こえただけだった。
横目で風太郎を見る。
膝に肘をついて顎の下で手を組んだまま、正面の壁を睨んでいる。すごく居心地が悪そうだ。
対して自分はといえば、いずれちゃんと客として来るようになるのだろうかと、これからのことを考えていた。
まだ風太郎は全然自分のことを意識してくれているようには見えない……見えないだけなのだが。
考えて見ればタイムリープ前の世界でも、自分は告白されるまで風太郎の気持ちを知らなかったなと思い出す。
もしかしたら自分のことも、何て淡い気持ちを持ってしまうが、焦ってはいけない。
自分にとってはもう、前の世界の小学6年生の時から勘定すると10年以上の恋だが、こっちの世界では出会って半年だ。しかも風太郎の心の中には二乃がいる。
零奈という擬態も使えない今、ここで四葉としてアプローチして失敗したらそこで終わり。
だから自分が風太郎へアタックするのは、もっとずっと後でいい。
そう思っていた。
時間に十数分くらいだろうか。過ぎた頃になると外の雨の音が聞こえなくなった。
「止んだか」
ずっと黙っていた風太郎が短く言って、返事も待たずに立ち上がった。
「あ、つっ……!」
例の腕組ポーズでずっといたせいで、足が痺れたらしく立ち上がった途端にふらついた。
「ちょっと上杉さん大丈夫ですか?」
「あ、ああ。問題ない。それより早く出るぞ」
結局、居心地の悪さがなくなることはなかったらしい。痺れた足で無理やり歩こうとするので、抱き着くようにして風太郎の腕を取った。
「私が支えてあげますから、無理しないでください」
「ああ……悪い」
生まれたての小鹿のような足取りも、出入り口までの数メートルで一応マシにはなり、けれどなお不安定な足取りの風太郎を支えたまま四葉達は外へと出た。
「風太郎達……いなかった……」
四葉達の事務所からの帰り道。二乃は田んぼ道を歩いていた。
洋服はぐっしょり濡れている。
流石に電車を利用するくらいの理性は残っていたようだが、傘を買うという寄り道をしようという気にはなれなかった。
雨の中、まっすぐに事務所に飛び込んだ時に風太郎と四葉の姿はなく、残っていた事務員が二乃の有り様に心配してくれるだけだった。
顔のおかげで四葉の関係者ということを理解してくれたこともあり、持って行っていいからと言われて渡されたタオルと傘を持って建物を出ると雨は止んでいた。
返しに行こうかとも思ったが、雨の中走ったおかげで頭も冷えた二乃は、また降るかもしれないと判断するとこのまま持っていくことにした。
それから距離にして、200mくらい歩いたところだろうか。
駅からここまでの通りがかりにあるラブホテルから出てくる人影が目に入った。
別にそれ自体は気にすることもなかったのだが、目の悪い二乃だからよく見えないがその二人は学生服を着ており、女性と思わしき方の頭には大きなリボンが──
「────」
その二人が風太郎と四葉だと気が付いた時、頭が真っ白になった。
手からは傘とタオルがぬかるんだ土の道の上に落ちる。
二人は、というより四葉は風太郎と腕を組んでいた。
ここに来るまで、何度も考えていた四葉が自分から風太郎を取り返そうとしている可能性が、裏付けられた。
信じていたのにという気持ちに、ヒビが入った気がした。
何より、風太郎。
何であなた、四葉とホテルになんて入ってるのよ。
そこで立っていることさえ限界となった二乃は、膝から崩れ落ちた。