屋上では一花と三玖が待っていた。
五月に連れられた風太郎が顔を見せると、先に気が付いた一花が手を挙げた。
「やっほー、フータロー君」
「お前の学生姿を見るのは久しぶりだな」
「始業式以来だもんね」
未だ現在も休学中の一花が学校に訪れる機会は稀であった。
学校行事や、節目の時、何らかの手続きの必要がある時ぐらいだろう。
そして今日、この日について言えば終業式である。
一度も授業に参加していない一花がこういう時にだけ登校するのはどうかとも思うのだが、何より学校も許容しているし、一花の元クラスメイト達も特に思うところも無いようであった。一花の人徳故であろう。
終業式を終え放課後となったタイミングで風太郎は五月に声をかけられ、ここへ来ていた。
無論、二乃と四葉のことで相談したいことがあるとのことだった。
二乃が家出をして風太郎の家に来た日から一週間程が過ぎているのだが、今日に至るまで二乃と四葉共に風太郎は真面に会話ができていない状況であった。
二人とも避けているらしく、こちらから話しかけても逃げられてしまうばかりであった。
特に二乃に対しては風太郎から話したいこともあり、接触禁止が解かれていない今、今日が二年生のうちに会話できる最後の機会であるのだが、どうせ話しかけたところで逃げられてしまう可能性は高い。いっそのこと姉妹達へ先に伝えた方が良いかもしれないと考え、五月に大人しくついてきたのであった。
「それで、相談ってのはなんだ?」
「この前の日曜日、お父さんが四葉から事情を聞きに帰ってきました」
「あいつは話したのか?」
五月は首を横へ振る。
「何も……話せないの一点張りでした」
「お父さん、その前に私のホテルにも来たんだよね。二乃にも同じことを聞いたみたいだけど、結果は同じだったみたい」
「ここに来てもらったのは、フータローに確認したいことがあったからなの」
「俺に?」
「お父さんが四葉に質問を色々してた中で、二乃が風太郎を見て怯えたって言ってた。フータロー、本当に喧嘩の原因に心当たりない?」
「……そのことなんだが、俺からもお前たちに話したいことがあったんだ。いや……話せるなら本当は二乃に直接言いたかったんだが」
「なんですか?」
先日の話の続きであった。
勇也から二乃の異変に心当たりがないか、一晩かけてガン詰めされた風太郎が記憶を洗い直したところ、直近の出来事が候補として浮上した。
バイトを終えた風太郎と四葉はにわか雨に降られて雨宿りのために成人用ホテルへと入ったのであった。
当然、何かあるわけはない。ロビーで十分ちょっと時間を潰しただけなのだが、出入りの瞬間を二乃に見られた可能性があった。
そこからが風太郎にとっては地獄で、勇也と横で話を聞いていたらいはにまで激怒され、どやされながら必死に釈明をする羽目になった。
その成果もあってか、証拠不十分ではあるものの潔白を信用してもらえた。身内だから信じて貰えたところもあるだろう。
経緯を三人に話したところ、三人揃って呆れた顔をした。特に、五月に至ってはすぐさま眉を吊り上げると風太郎へ指を突き付けた。
「どうしてそれがすぐに出てこないのですか!? どう考えたって二人の喧嘩の原因はそれじゃないですか!」
「あの時は二乃がいるなんて思わなかったんだ! それに俺だって本当はすぐに出ようとしたんだぞ!?」
「フータロー、言い訳見苦しい」
「言い訳じゃない! 事実だ!」
「でも、それって結構マズいんじゃないかな……?」
風太郎へ詰め寄る三玖と五月とは対照的に、神妙な面持ちをする一花。
悩んでいる理由は風太郎も想像できる。身の潔白をどうやって二乃に証明するかであった。
それは勇也とらいはにも協力してもらったが、結局結論は出ていない。
「ホテルの出入りの現場を抑えられるなんて、浮気の証拠として一番決定的なやつだよ」
「浮気……俺は本当に何も──」
「そんな場所に男女が入った時点で、疑われる方が普通なんだよ。本当に何もなかったって証明するなら、証拠を見つけないと」
「無実の証明ってやつか……」
「詳しいですね。流石はそういう話がよく出るドラマを見ているだけはあります」
「二乃と一緒によく見てるからね。だからこそ、二乃だって同じ風に考えているはずだよ。フータロー君、とにかくその時のことを思い出せる限り思い出して、私達にも教えて。何か気が付けることがあるかも」
「……わかった────」
春休みに突入し、数日が経過した頃、二乃は家族たちと共に祖父が経営する温泉旅館へと向かっていた。
現在はマルオのお付きの秘書である江端が運転する車から降り、徒歩の山道を歩いていた。
山道は石階段で整備されており、左手側は林に覆われ、右手は鉄製の手すりでガードされた先は崖となっている。
「……」
チラリと横目で姉妹達を見る。一行の中にはやはり、四葉もいた。
この時期に旅行をすることは二乃も前世の記憶で知っていた。しかし、参加しようとは思っていなかった。
だが、一花の説得で行かざるを得なかったのだった。
二乃はそれまで一花のホテルに滞在を続けていたのだが、その時にはとっくの昔に勇也から貰ったお金など使い切っており、一花が宿泊費から食費まで出してくれていた。
その一花から、当たり前だが外泊をするならホテルは一度引き払うと言われてしまったため、二乃は再び泊まる場所を失ったのであった。
姉妹達が旅行に行くのなら、その間は帰宅しようかとも考えたのだが、旅行の提案にはマルオも一枚嚙んでおり旅行期間中の帰宅を禁止されてしまったのだった。要するに旅行に来いということである。
続けて二乃は他の姉妹達も見る。
(四葉も結局何も話してないみたいね……)
姉妹達はしきりに二乃と四葉を気に掛けるような素振りは見せるものの、その姿勢はあくまで喧嘩をした姉妹を仲直りさせようとするものだった。転生のことや、風太郎を取り合っているという事に関する話は少なくとも今のところは出なかった。
おそらくこの旅行自体が、事態を収束させるための画策なのだろう。
(そんな簡単に解決する話じゃないわよ……)
「皆さん、見えてきましたよ!」
階段の切れ目が見え始めた頃、先頭を歩いていた五月が指を指しながら歩調を速くした。
この先にあるものと言えば、一つしかない。
宿泊先がある離島随一の観光スポット、恋人と一緒に鳴らすと永遠に結ばれるという伝説もある『誓いの鐘』だ。
家の屋根を連想させるような角ばった形状をした鉄製のアーチの中央に、成人男性より頭一つ高い位置からスイカほどのサイズの結婚式場にあるような鐘が鎖で吊り下げられている。鐘からは紐が下がっており、それを引くと鐘を鳴らせるようになっている。
鐘の周囲には何もなく、ただそれだけがある質素な場所である。
一足先に到着した五月が鐘の前まで来ると、胸の前で手を組みうっとりとした顔で眺めていた。
少し遅れて二番目に到着した三玖。
「毎年来るたびに見てるのに、五月好きだね」
「だってロマンがあるではないですか……永遠に結ばれる愛……なんと素晴らしいことか」
夢見がちな乙女の発言とも取れるだろうが、自分達の母親の事情をすれば笑えない憧れである。
三玖の後に続いて一花も到着した。そして二乃も到着する。一花は二乃へと目を向けて言う。
「そういえば二乃もいつも五月と一緒にはしゃいでたよね? 今年はいいの?」
「別に、そんな気分じゃないだけよ」
「……そっか」
そして最後に四葉が到着した。なお、マルオと江端は更にその後ろ、少し離れた位置でまだ階段を上っている。
四葉に対しては誰も何も言わなかった。
四葉自身もいつものようなテンションの高さはなく、鐘の前に立ち止まるなりジッと見つめるだけだった。
(……)
その視線に込められた想いが今なら分かるからこそ、二乃の心中はより一層重たくなる。
その時であった。自分達の元へ近づく足音が聞こえてきた。
一つは後ろから、石の階段とビジネスシューズのヒールがぶつかる固い音。
そしてもう一つ、前から土を踏みつける砂利の音。
「よ、よおお前ら。こんなところで会うなんて奇遇だな!」
直後、姉妹達に向かって聞きなれた声で発せられたカタコトがした。
風太郎だった。後ろには勇也とらいはも付いてきている。
目を向けると、風太郎は不自然な笑顔を顔に張り付かせながら手をこちらに挙げていた。
(やっぱり来たわね……)
今日この日に限っては何もしていない二乃であったが、何となくこうなる気はしていた。
四葉が何かしたのかと見たが、自分同様大した反応はしておらず、心情は読めなかった。
確か前世では福引きの懸賞で当てたということらしいが、今回は風太郎の様子がおかしい。
すると──
「わあ、フータロー君達も来てたんだ! 本当に奇遇だねー!」
「ビ、ビックリ……」
「も、もしかして上杉君、例の懸賞に当たったのデスカー!?」
様子のおかしい風太郎をフォローするように一花、三玖、五月が返事をした。
本職の一花の演技は自然であったが、続く二人までカタコトのせいで逆にこの四人がグルであることにすぐさま気が付いた。
◆一花達の作戦① 二乃とフータロー君の話す時間を作る!(by一花)
────話は終業式の屋上での会話まで遡る。
「二乃を説得する案はなんとか出来上がったな……だが問題は、これをどうやってアイツに伝えるかだ」
「フータロー君、それなんだけど私達、今度温泉旅行に行くんだ」
「なんだよ唐突に」
「フータロー君も来てよ。家族の人たちも一緒でいいから。旅館の中だったら二乃も簡単には逃げられないと思うんだ」
「……だが、金が無い」
「それならこの一花お姉さんが出します。最近手のかかる妹達のせいで出費多めだけど、お姉さん結構稼いでるんだよ?」
それに、と言って一花は懐から封筒を取り出した。
風太郎も見覚えのあるそれは、かつて自分が一花へと渡したものだった。
家庭教師をするための名目として、自主製作映画の役者に一花を雇うために支払った金だ。
「これもあるしね」
「お前! それはお前の事務所に払ったはずじゃ──」
「社長が返してくれたんだよ。ほら、今私ってホテル暮らしだけど二乃も泊まってるじゃん? そこのホテルって一応、私の分の費用は会社が出してくれてるわけだから、二乃のこととかも話さないといけなくってさ。それで問題解決のためにフータロー君を呼びたいって言ったら、ね? 社長もフータロー君のことは知ってるし、私と一緒に撮ってる映画は、本当に映画が目的で撮ってるわけじゃないって知ってるからさ」
すると一花はコホン、と一つ咳ばらいをしてから声を低くして、
「『僕からフータロー君への激励だよ。君の事務所入り、待ってるからね』だって」
「あのオッサンが……悪いことしたな。だが事務所には入らん」
「あはは、手厳しいなぁ。でも、来てくれるんだよね?」
「……そこまでしてもらえるなら、もちろんだ」
「なら任せて。向こうで二乃と話す時間は私が作ってみせるから」
◆
────話は現在へ戻る。
五つ子の後に到着したマルオと江端も、すぐさま上杉家の存在には気が付いたようだった。
途端に不機嫌そうにマルオの眉が下がる。
「どういうことだ上杉。確かにお前には旅行のことを話したが、僕は来いとは言ってない」
「たまたまだよ。息子が宝くじを当ててくれてな」
「お父さん、宝くじじゃなくて懸賞だよ」
「ああそうだそうだ懸賞だった。しょうがねえよな、懸賞なんだから。行先だって選べねえ」
そう言って豪快に笑う勇也。話し方は自然だが隠す気があるのか分からないものの言い様だ。
脇目では風太郎と娘の一三五が滝のような汗を流しており、マルオはそれを見るなり呆れるように溜息をついた。
「来てしまったものは仕方ない。だがこの旅行は家族にとって非常に大事なんだ。くれぐれも邪魔をするなよ」
「分かってるって。こっちも家族水入らずの時間を楽しむさ」
「ああ、そうだね。本当に、家族水入らずの時間は大切だからね……君たち、ここで昼食の予定だったが宿へ向かおう。江端、すまないがもう少しだけ重い荷物を持たせてしまうが、よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
マルオは言いたいことを言うと、娘たちの返事も待たずに来た道を戻って階段を降り始めた。江端も言いつけに対して行った一礼の後、後を続いた。
そのすぐ後を二乃と四葉が続いた。風太郎を避けるためだろうが、こういう時だけ同じ行動を取ってしまうことに少し心がざわついた。
後ろでは風太郎がこちらへ話しかけようとしたが、無視をした。
旅館の外観は昔ながらの和風づくりをしており、玄関は雨よけの屋根が設けられ、扉は両開きの引き戸となっている。雨よけの屋根の上には『虎岩温泉』と書かれた木造の看板がかけられている。雨よけの広さは山道と同じ広さとなっており、玄関の脇は林で見えなくなっていたが、近づくとスクーターが置かれているのが見えた。
旅館の前では祖父と数名の仲居が待っていた。祖父は旅館の亭主もしているが、普段は出入り口での客の出迎えまではしない。せいぜい客室に案内してからの挨拶か、人手が足りない時の受付くらいだ。
その祖父が出迎えてくれているのは、単純に孫である自分達が来るからということと、あらかじめ到着予定の時間を伝えていた時だった。
「お義父さん、お久しぶりです」
「お久しぶりです、おじいちゃん」
マルオと、姉妹全員が揃って挨拶をした。
なお、この時にはすでに五つ子は祖父の前に姿を見せる時にはお決まりの恰好をしていた。
詳細な経緯は省くものの、全員が五月の恰好をしているのだった。とはいえ、あくまでも格好だけであり五月のフリまではしていない。見た目だけ五月になり、振る舞いは自分のまま。それが祖父に会う時の恒例だった。
祖父もそんな自分達を見分けてくれている。
五人揃って挨拶のため頭を下げると、笑みを浮かべた祖父が頷いた。
「久しぶりだな。お主ら」
そう言った祖父が久しぶりに再会した一人ひとりを眺めた。
その時であった。祖父は長い前髪の奥から、瞳をきらめかせた。
一歩、五人へと近づく。
「二乃、四葉。お前さんら、本当に二乃と四葉か?」
「──!」
弾かれたように二乃は顔を上げた。四葉も同様である。
祖父もまた、五人ではなく二乃と四葉にだけ注目しているようであった。
もしかして一目で自分達のことを見抜かれたのでは、という考えが過った。
元々この祖父の孫たちを見分けることに関する眼力は強い。姉妹やマルオの目を持ってさえ見抜けなかった自分達の立ち振る舞いの変化を看破してきたのかと思ったが──
「も、もちろんだよおじいちゃん! 本物の二乃と私だよ!」
「……そうか」
慌てて否定した四葉の言葉をあっさりと受け入れたようだった。
(そんなわけ、ないわよね……)
その様子に二乃もまた、安心をしたような、少し残念のような気持ちを持ったまま胸を撫で下ろした。
けれど祖父、もう一度だけ二人を見て口を開く。
「久しぶりだからかの。しばらく見んうちに、成長したな。二人とも」
「……! ……はい」
その一言に、もう一度頭を下げた。それは四葉も同じであった。
そう言ってくれることが、嬉しかった。
前世の世界。二乃が23歳ともなった頃になると、祖父は今ほど元気ではなかった。四葉の結婚式にも来れないほどだった大好きな祖父が、再びこうして元気に歩き、話せていることに感じるものはあった。
それでもこの世界ではそんな経緯などなく、ただ一年程度ぶりの再会であるはずなのだから感情を表に出さないように努めていた。
だというのに、まるで本当の自分を見てくれたかのような祖父の一言には、抑えられない嬉しさが湧き上がる二乃であった。
祖父への挨拶とチェックインを終えた二乃は早速温泉へと向かった。というより、正確には一花に捕まって連れていかれた。
露天となっている温泉には二人以外は誰もおらず、一花が率先して行動していた。
現在は一花が背中を洗ってくれている。
こういう時、というか前世では自分からこんなことをした事があるな、と思い出しながら先に話し始めたのは二乃の方だった。
「それで、こんなことまでして一体何の話よ。言っておくけど、四葉と仲直りしろって言うなら無理な相談よ」
「……それもお願いしたいところなんだけど、それは私の担当じゃないから」
「……?」
「私が話をしたいのはフータロー君の方だよ。二乃、フータロー君と四葉がラブホテルに入るところ、見ちゃったんだって?」
「なんであんたが知って──!」
「やっぱりかぁ……フータロー君が頑張って思い出してくれたんだよ」
「思い出すって何よ……! あいつにとっては日常の一コマだとでも言うの……!?」
「そういうわけじゃないけど……私が気になってるのはね、どうして二乃はフータロー君のことを避けるの?」
「当り前じゃない!」
ちょうど一花が背中を流して泡を流してくれたところであった。
一花の質問の意図がわからず、逆に問い返しながら二乃は振り返った。
「付き合ってないからって何してもいいわけないでしょ! 浮気されてんのよこっちは!?」
「でも二乃だったらこんな回りくどいことしないじゃん。きっと今頃、フータロー君のこと引っ叩いてるんじゃないかな」
「私たちに恋人ができたことなんてないでしょ! あんたが私の恋愛の仕方の何を知って──」
「本当は二乃だって信じてないんでしょ」
「──!」
語調を荒くして話す二乃に対し、徹底して諭す声色で話し続ける一花。
ようやく二乃は気が付いた、こういう時の一花は姉として接してくるときの態度であり、既に何か答えを持っている時の振る舞いだ。
一花は続ける。
「心の中では、フータロー君と四葉がそういうことをしたわけじゃないって、二乃だって思ってるんじゃないかな」
「それは……」
一花の言うことは合っていた。
今となっては腹立たしい話だが、風太郎の誠実さは四葉と彼が結ばれてからの五年間で十分に知っている。もちろん、姉妹とはいえ全てを知るわけではないから時には二人が喧嘩をしたこともあったかもしれない。
しかしどうしても、二乃には風太郎が自分と気持ちを確認し合った上で、四葉にも手を出すとは思えなかった。
だけど、ホテルから二人が出てきたという事実を否定出来る材料がどうしても見つからなかった。もしかしたら本当に、気の迷いでことに及んでいるのかもしれないという可能性を否定できなかった。
何より、史実では正妻となった四葉のアプローチに絶対に風太郎が靡かないと言い切れないほど、二乃自身が四葉高く評価していた。
だから怖かった。何度も話をしようとしてきた風太郎の口から、別れ話が出てくる可能性が。
だから逃げてしまっていた。
「フータロー君の話、聞いてあげようよ」
「話をして、どうするのよ。ホテルの中で何もなかったことを証明するのが難しいってことくらい、あんたなら知ってるでしょ」
「そうだね。でもフータロー君は話したがってるよ。もしかしたら証明する方法だって見つけたのかも」
「言い訳をするだけだったら?」
「その時はお姉ちゃんが一緒にフータロー君を引っ叩いてあげるよ」
そう言う一花からの様子は、言葉とは裏腹にまるで怒っているようではなかった。
むしろそんなことなどありえないとでも言わんばかりに、冗談めかすような笑みを浮かべていた。
時刻は0時、場所は中庭。
中庭は廊下と中庭の空間を一度仕切るように、背の低い植木がぐるりと空間を囲っている。中央には花壇が備えられており、花壇と植木の中間には中庭を一周できるよう砂利道が通されていた。また、砂利道には足を取られないようになのか、平面にカットされ、かつ高低差が出ないように配慮された岩の足場が人の歩幅ほどの感覚で敷かれている。
風太郎はその砂利道の一角に構えられているベンチに腰かけていた。脇には小さなポーチも置かれている。
ここにもうすぐ、一花の働きによって二乃が来ることになっている。
三月の終わり頃のこの時期、冬が終わりを迎えようとしているがまだ肌寒さを感じる。それでも待たせるよりはマシと、少し早くから待っていた風太郎の前に二乃が時間丁度に表れた。
浴衣姿の二乃は、岩の足場を踏んで風太郎の元まで歩み寄ってくる。その表情は覚悟を決めたように、唇を一文字に強く結んでいた。
二乃を迎えるよう、風太郎も立ち上がった。
「ずっとこうして話したかった、二乃」
「……一花達に話したのね。ホテルのこと」
「お前にキチンと説明するためだ。やむを得なかった」
「──!」
瞬間、身を翻すと旅館の中へと駆けだそうと二乃はした。
だが、
「待てっ!」
間一髪、二乃の手を風太郎が掴んだ。
「離して! やっぱり聞きたくない!」
「っくそ、やっぱりこうなるのか……二乃、いいから聞け!」
振りほどこうとする二乃の手を風太郎は強く引っ張った。すると意外にも二乃にとっては力強かったようで、バランスを崩すようにして風太郎の元へと倒れ込んできたので、風太郎は慌てて受け止めた。
正面から抱き留める様な形となり、二乃の顔が間近まで迫った。
自分自身、非力であると自認していた風太郎であったが、どうやらここにきて清掃のバイトという肉体労働の成果が出たらしい。
それに気づけなかったのは、いつも一緒にいるバイト仲間のデカリボンがフィジカルお化けだったせいもあるのだろう。
「やっとこっち見たな……落ち着け、先に言うが俺はお前に無実の証明をしに来たんだ」
「……!」
潤んだ瞳をした二乃が、大きく見開かれた状態で見返してきた。
暴れて出た汗のせいか、温泉の効能のおかげか、抱きしめた二乃の体はしっとりとしている。
こんな時だというのに、そんな二乃に胸が高鳴る自分がいたが、小さく深呼吸すると二乃を引き離して一人で立たせた。
「……っあ」
体を離した時、一瞬二乃がこちらに手を向けた気がしたが、すぐに下げた。
「俺と四葉はあの日、バイトのシフトを上がった直後に降り始めたにわか雨の雨宿りのためにあの建物へ入った」
言いながら風太郎はベンチに置いていたポーチに向かうと、二乃に見せるために用意していた一枚の紙を取り出してきた。
受け取った二乃は紙面を見るなり、眉をひそめて微妙な顔をした。
「なに、これ」
「あの日のバイト先のタイムカードと、降水時間の記録だ。この紙が信じられないならお前が実際に職場と気象庁へ確認してみろ。そして記録だと雨が降ったのは夕方の十分そこらの間の一回だけだ。更に俺と四葉の退勤時間は雨が降り始める前の十分程度前。これで俺の言ってること辻褄が合うはずだ」
一般的なホテルの利用時間がどの程度なのかは風太郎は知らない。一花に聞いたところ、しどろもどろになりながらその場でスマホを調べて教えてくれ、大体二、三時間程度と教えてくれた。
その後、三人から女子に何を調べさせているのかと激怒されたが、それはさておく。
だがそもそも、この時間というものがカギになる可能性があることを提示してくれたのもまた、風太郎の話を信じてくれた一花の提案だった。
風太郎がホテルに入った前後の経緯を説明した後、一花はいくつかの作戦の提案をしてくれたというわけだった。
◆一花達の作戦② 二乃が逃げようとしたらワイルドに引き寄せたらきっとイチコロ(by一花)
◆一花達の作戦③ 時給で仕事してるんだったらタイムカードぐらいあるでしょ?(by一花)
そのおかげもありようやく、風太郎は二乃へ自分が無実であるということを今、説明できたのであった。
説明を終えた風太郎は、二乃の様子を伺う。
手に持った紙を見下ろしている二乃の顔を覗き込むようにすると。
「うわぁ……」
引いていた。
(え、何その反応……)
風太郎にとっては予想外であった。
悪魔の証明とでも言わんばかりの、何もしていないことを証明するための証拠としてこれ以上ないほどのものを出したつもりだった。
紙を見ながら、二乃は呟く。
「こういう話してる時に、こんな資料みたいなの出してくるとか、ないわー」
「だが一花がこのぐらいやらないと無実の罪は晴らせないって──」
「そうよ。だから無理だと思ってたわ」
風太郎の言葉を遮る二乃。その二乃の言葉は、震えていた。
同時に紙の上には涙が一滴落ちた。
見れば、二乃は俯いたまま涙を流していた。
直後、顔を見られんとするかのように風太郎の胸へと二乃が飛び込んだ。
「あんたが
「二乃、あの時のお前に、俺は頼りすぎてたのかもしれん」
「そうよ……! あんたが家庭教師を辞めさせられて、初めて会う女の人の先生は赤点取ってもそれが実力なら仕方ないなんて言ってきて、私一人だけで馬鹿みたいにあの子達が赤点を取らないよう頑張って勉強して大変だったのに……あんたは四葉と、私の見えないところで……シ、シテたのかもとか考えたら凄い嫌な気持ちになって……!」
「お前が頑張ってくれてたのも姉妹達から聞いてた。俺がいつでも家庭教師に復帰できるようにしようとしてくれてたんだってな……ありがとうな」
「だから、だから……よかった、風太郎が私を裏切ってなくて、よかったぁ……!」
気が付けば、二乃が顔を当てている部分の浴衣は随分と湿ってしまっていた。
だけど風太郎は二乃を引き離すことはせず、むしろ頭を抱えるようにして抱きしめると二乃が泣き止むまでジッとしていた。
それから何分くらいが経過しただろうか。
自然と泣き止んできた二乃が、自ずと離れると、しかし顔は俯いたまま囁くような声量で言った。
「ずっと無視して、ごめん」
「気にすんな」
「嫌いにならないで」
「ならねえよ」
「好き?」
「お、おう……」
「言葉で言って」
「……! す、好きだぞ……!」
「私も」
「──!」
「でもやっぱりあの紙が証拠ってのはダサいわよ」
「うるせぇ」
「やっぱり嫌い」
「おい」
「嘘、やっぱり好き」
「……ああ」
「大好き」
もう一度二乃が抱き着いてきた。
今度は縋りつくようにではなく、幼い少女が大好きな人形を抱きしめるように。
ぎゅうっと、二乃にとっては力いっぱいなのだろうか、強く抱きしめた後で上を、風太郎の顔を見てくる。
その瞳はつい先ほどまで泣いていたせいか目尻は赤く、潤んでいる。
ただ、そこには別の気持ちもあるような気がして、風太郎には二乃の目がこう言っているように見えた。
『たまには受け身の恋だってしてみたいわ』
それが何を求めているのか、頭でっかちな風太郎にしては先に心で理解すると、二乃へ、口づけをした。