二乃の人生二周目フー君略奪大作戦   作:真樹

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27_スクランブルエッグ② ~最後の作戦が五月の場合~

 話は再び、終業式で風太郎と一花、三玖、五月の三人が屋上に集まっていた時まで遡る。

 風太郎からホテルの出入りを二乃に見られたかもしれないという発言を皮切りに、どうすれば無実の証明ができるか対策をひとしきり考え終えた後のことであった。

 

「二乃を納得させるための材料は後ですぐに集めておく。これで信じてもらえればいいんだが……」

「一応私もできる限りフォローはしてみるよ。ホテルでも説得はしてみたけどダメだったから、どこまで話を聞いてくれるか分からないけど」

「それにまだ、他にも問題は山積みですよ」

「お前らの父親か……」

 

 こと二乃の説得の時だけは、何とか一花がマルオを誘導してくれることになっている。

 しかし、そもそも風太郎は依然として家庭教師を解任させられたままだし、二乃との接触禁止も解かれてはいない。仮に二乃の誤解が無事に解けたとしても、その後も関係が続かなければ意味はない。

 二乃との関係をこれから続けていくためにはマルオを説得しなければならない。

 マルオを説得する場合、風太郎にはまた別の問題もあった。

 

「あの人の言っていることも間違ってはいない。俺は二度のテストで結果を出せなかった。三度目の学年末テストですら、お前らは()()()()()()()()()()()()()()に全員赤点回避を成し遂げてしまった」

 

 風太郎が五つ子の家庭教師をしていたのは二学期の間のみである。

 クリスマスデートを目撃された冬休みの期間中にマルオは風太郎を解雇し、新たに下田を家庭教師として迎えた。

 そして、そんな新体制の元で行われた三学期のテストで、五つ子達は念願の赤点回避を成し遂げてしまっているのだった。

 姉妹達からの話で、影では二乃も勉強の面倒を見てくれていたらしいのだが、そんな事情を知らないマルオからすれば家庭教師を変えた途端に成果が出たと捉えられるだろう。

 風太郎からしてみても、赤点回避は最終目標でなかったとはいえ、最も分かりやすい自らの功績として挙げる機会を失ってしまっているのであった。

 

「それはつまり、挽回をするチャンスを失ったと言えるだろう」

「確かに下田さんから教わったことが私たちの赤点回避に繋がっていることは間違いありません。ですが、それだけではありません! あなたが私達を引っ張ってくれたから、結果を出すことができたのです!」

「だがそれを証明する手段がない……ホテルの件と似た話だが、今回は誤解も何もない事実な分、余計に厄介だ」

「でしたら、下田さんに口添えをしていただいたらどうでしょうか!? 私達や上杉君の言葉では届かないかもしれませんが、第三者の言葉でしたら──」

「可能性はあるかもしれない。だが忘れるな。全てのテストの結果はお前らの父親も知っていることだ。俺の授業でお前らのテストの点数は赤点範囲から脱することができなかったが上がってはいる。それを見た上で、俺は成果無しの烙印を押されたんだ。その上であの下田という新しい家庭教師が協力してくれたとしても与える影響は弱いだろう」

「ならどうしたらいいのですか……」

 

 それが分かれば風太郎は既に行動へ移している。

 分からないから、三学期を丸々無駄にしてしまっているのだった。

 それは風太郎以外の三人も同じようで、五月だけではなく一花と三玖からも別の案は出なかった。

 それでもなお、何か意見を思いつくものがいないかと沈黙が流れた時、風太郎の背後から扉が開く音がした。

 

「お話し中、失礼するよ」

 

 風太郎が振り返ると、扉の前にはやけにさわやかなオーラを漂わせた、ワイシャツの上にネクタイとベストを着用した青年が立っていた。

 服装で同じ学校の生徒ではあるのだろうが、知らない顔だった。

 四人の視線が集まる中、青年は優雅に扉を閉めると、こちらへ歩み寄ってくる。

 

「上杉君、まずは学年一位おめでとうと言っておこう。今回も一歩及ばなかったよ。流石は僕のライバルだね」

「……」

「けど来年こそは必ず君を超え、このライバル関係にも終止符を──」

「いや、お前誰だよ」

 

 青年は、悠然と語り続けている最中で無表情のまま発された風太郎が言葉に固まった。

 風太郎の後ろに控える三人も、言葉にこそしないもののフォローもなく誰だと言う顔をしている。

 青年だけがただ一人、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で風太郎を凝視する。

 

「えっ……ほら……ずっと二位で君に迫っていた武田祐輔……」

「今まで満点しか取ってなかったから二位以下は気にしたことなかったわ」

「二位以下……!!! 二位以下……」

 

 ガーンッ、という擬音が頭の上に見えてきそうなほどにショックを受けた顔をした武田と名乗る青年は、しばらくそのまま硬直した。

 武田のフォローをするでもなく、何をするでもない風太郎と、段々憐れむ視線となっていく三人。

 しばらく奇妙な沈黙が流れた後、フフフフと更に奇妙な笑い声を垂れ流しながら武田の硬直が解けた。

 

「君のその暴言はいずれ僕自身の力で訂正させてみせるとして……今日は君に謝りに来たからね。甘んじて受け止めることにするよ」

「……?」

「実は君たちの話は少し前から聞かせてもらっていたんだよ。とてもじゃないが、部外者の僕が割って入っていけるような話題ではなかったからね。だけどおかげで再認識もできたよ。僕はとんでもないことを仕出かしてしまったということがね」

「なんだ、もったいぶらずに要件を言え」

 

 風太郎が催促すると、武田はああ、と短く返した後、直立した姿勢から勢いよく頭を下げた。

 

「すまなかった! 君が彼女たちの家庭教師を辞めることになってしまった原因は、僕のせいなんだ!」

「……は!?」

「僕は君と、次女の二乃さんが一緒に映っている写真を、父へと渡したんだ! 僕の父は学校の理事で、中野さんのお父さんとも交流があるから、きっと僕が渡した写真が渡って行ってしまったんだろう!」

「なんでそんなことをした!」

 

 顔色を変え、眉を吊り上げた風太郎が武田へと詰め寄る。

 武田の言う写真とはおそらく、二乃とのクリスマスデートの写真であろう。だとすれば武田のいう事は間違っていない。

 風太郎が家庭教師を辞めさせられた理由は二乃と親しい間柄だからというだけではないが、全てはあの写真がマルオの目に入らなければ燃え広がらなかった。いわば火種なのである。

 そんな火種を、何故顔も知らない武田が持っていて、そんなことをしたのか。

 武田もまた、頭こそ上げたものの目線は下向きに、風太郎へのうしろめたさは消えない様子のまま返事をする。

 

「君に勝つためだった」

「勝つため……テストのことか?」

「僕はずっと、君に勉強で勝とうとしていた。そしてそれは僕自身の実力によってでなければならないとも僕は考えている。しかし君は二学期に入ってからは中野さん達と常に一緒で、放課後は勉強をしている姿勢さえ見えない。それでも君は二学期の二回のテストどちらも学年一位であり続けたが、いつ彼女達が君の足を引っ張って一位から陥落するかわからなかった」

「それであの写真を使って、娘に手を出すやつと思わせて家庭教師を辞めさせようとしたわけか……余計なことしやがって……!」

「僕はただ君を縛る枷から、君を解き放そうとしただけしただけのつもりだったんだ!」

「そのせいで俺たちがどれだけ大変な目に合ったか──」

「待ってください上杉君!」

 

 感情的に怒鳴ろうとした風太郎を、いつの間にか風太郎と武田の間に立っていた五月が、風太郎を静止させた。

 

「彼を糾弾するのは後回しです。それよりも今は、お父さんからあなたの解雇を撤回させることが優先かと」

「それはさっき話したが、答えは出なかっただろ」

「武田君の話を聞いていましたか。私には、一つの可能性が見えました」

 

 そう言うと、静止した手を降ろし五月が一歩、武田の前へと立った。

 風太郎と二人だけの会話のつもりだったのか、予想外の人物との相対に困惑気な表情を武田は浮かべる。

 対して、武田を正面から見据える五月の目は真剣そのもので、怒りという感情よりは何もっと別の、情熱的なものを感じさせた。

 

「武田君。あなたが本当に上杉君に対して、謝罪の気持ちを持っていると言うのなら。私たちに協力してください────」

 

 

 

 

 

 温泉旅行二日目。

 既に日は高く上っており、姉妹達も目を覚ましていた。

 朝食も済ませ客室へと戻ると、布団は既に片づけられており、今は思い思いの時間を過ごす自由な時間であった。

 二乃含め、五つ子全員が客室にいた。

 

「フータロー君と仲直りできたんだ?」

「あんたが彼と話す場を用意してくれたからよ。礼を言うわ」

「……」

 

 昨日の風太郎との出来事を姉妹達にも二乃は報告した。その場に四葉がいることも、無論承知の上である。

 風太郎の嫌疑が晴れた後、二人はしばらくの間中庭での時間を堪能した。

 未だなお解かれていない接触禁止令により、春休み中は風太郎とは会えないため、あの夜が終わってしまったら次は三学期が始まるまで会えないと思ってのことだった。

 風太郎もまた二乃に部屋へ戻るようには言わず、ただ中庭で寄り添い、ずっと喋り続けるわけでもなく一緒にいるだけの時間を許してくれた。

 

「二乃、ホテルにいる間もずっと辛そうにしてたもんね。心配ごとがなくなったみたいでお姉さん良かったよ」

「心配ごと……」

 

 横目で二乃は四葉を見た。

 四葉は部屋の隅で、まるで三玖のように暗い表情をしたまま体育座りをして、こちらを見ていた。

 いつものような元気はなく、明らかなローテンションはこの旅行中ずっとであり、四葉の様子がおかしいことは他の姉妹達も気づいているはずなのだが、三人とも気遣うような素振りは何故か見せなかった。

 だからというわけではないが、二乃は一花に一つ話を中断する素振りを見せると、四葉の方へと向いた。

 四葉とは先日、家で口論をしたっきりであった。ホテルの話に激情し、引っ叩かれ、家を飛び出してからというもの一言も話をしていなかった。

 自分と四葉の間には、まだ問題は残っている。風太郎を取り戻そうとする四葉と、それを死守せんとしようとする自分。

 それに決着がつかない限り、前のようには戻れないのだろうが、それでも二乃は言わなければならないと思った。

 

「四葉」

「……」

「あの日、あんたと風太郎の二人を見た時のことは、私が勝手に誤解しただけだったわ。それなのに私、あんたに酷いことを言おうとした……ごめ──」

「いいよ、そんなこと」

 

 少なくとも、自分の勘違いから巻き起こったホテルの一件だけは筋を通すべきと考えた二乃であったが、謝罪の言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 四葉の前に座り、頭を下げようとしたところで、二乃の言葉を遮ると四葉は無表情のまま立ち上がり、部屋の外へと向かっていった。

 直前、自分の言葉に被せてきた四葉の声は驚くほど平坦で、まるで感情が抜け落ちたかのような口調に粟立つものを感じた二乃が、急いで四葉へ振り返る。

 

「待って四葉!」

「二乃」

 

 四葉を追って立ち上がろうとした瞬間、五月に止められた。

 横に座っていた五月が、二乃の肩に手を置いたのだ。

 

「今は抑えてください」

「なんであんたが止めるのよ!」

「あなたには先に解決すべき問題があるからです。それと……三玖」

 

 二乃の肩に手を置いたまま、五月が更に脇を見る。

 今まで話に参加していなかった三玖だったが、一部始終は見ていたようで、そして五月の目くばせを受け取ると何も言わずに立ち上がり部屋の外へと出て行った。

 五月も何も言わなかったというのに、まるで何をすべきか既に分かっているという様子の三玖に、同じ五つ子なのに何故自分は今察せなかったのかと二乃は頭を捻った。もしかしたら、自分の知らぬところで五月と三玖は何か暗躍をしているのだろうか。

 

「何よ……あんた達、何か企んでるんじゃないでしょうね?」

「ええ、その通りです。ですがそれは全て、あなたと上杉君に一緒にいてもらうための作戦です。ですから二乃、今は私を信じてください」

 

 

 

 

 

 五月によって()()()()()へ連れていかれた後、客室に戻ると一花が残っており、三玖と四葉は不在のままだった。その代わりにマルオが待っていた。

 旅館での宿泊も二日目だというのに、浴衣ではなくワイシャツにベストというオフィスカジュアルなスタイルのマルオは、部屋の中央に置かれたコタツに窓際を背にして座っていた。

 お膳の上には緑茶が入った湯呑みが置かれており、うっすらと湯気が上がっているところからまだ入れてそれほど時間は経っていないようだった。

 二乃が入室するなり、マルオはわずかに顎を挙げると二乃を見た。

 

「帰ってきたようだね。まさか上杉君のところではないだろうね?」

「……違うわ」

「そうかい。約束を破った君のことだ、すまないが信用できないね」

「──!」

 

 その一言だけで、マルオは昨晩の風太郎との逢引きのことを示唆していることを理解した。

 現状、昨日の出来事を知っているのは当事者二人と姉妹の四人のみである。マルオは一花が誘導していたため知るわけがなく、この早さで気づかれるとなれば一花が実はしくじっていたか、誰かがマルオに吹き込んだとしか思えない。

 前者であれば、先ほど結果報告をした時点で一花が白状しているはずだ。一応、一花の方を見ると目が合い、自分の失敗ではないというように一花は首を横に振った。

 なれば後者か。現状において、マルオに言いつける可能性がある人物など一人しかいない。

 

(四葉……あんた本当に……)

 

 すでに風太郎の家庭教師を辞めさせるという、実害のある妨害を仕掛けてきた四葉であるものの、あれは写真の出所をわからなくさせるなどの緻密な策略が伺えた。

 けれど今は、ただマルオに接触禁止を破ったと言いつけに行くという、一目で誰の仕業だと分かるような手段へ打って出ている。

 自分に正体がバレた以上、四葉も焦っているのかもしれない。

 だが、だからといってこんな下手をしたら他の姉妹達にもバレ、四葉自身以外全てを敵に回すような真似をしてまで自分を止めようとするのかと、二乃は悲しくなった。

 そんな二乃の葛藤を知らずに、マルオは淡々と告げる。

 

「座りなさい二乃君。僕は親として君を叱らないといけない」

 

 言われ、その言葉に従ってコタツの対面の席に座る二乃。

 そして、同時に二乃の隣に五月もまた座った。

 

「五月君? すまないが、今は二乃君と大事な話をするんだ。部屋を出て行くほどではないが、君は少し外してくれないかね」

「いえ、まずは私たちの話を聞いてください。お父さん」

「話……?」

「パパ」

 

 訝し気な目を五月に向けていたマルオに対して、五月に変わって続けて口を開く二乃。

 これから言う事は、ついさっき五月から聞かされた、二乃にしかできない作戦。

 

「私と上杉君……いいえ、風太郎とのことを認めてほしいの」

「……」

 

 これからそのことについて咎めようとした矢先の申し出に、虚を突かれたかのような素振りを見せるマルオ。

 

「君は自分の言っていることと、置かれている状況を理解できているのかい? 君は、僕との約束を破って上杉君と会ったというのに、それを有耶無耶にした上で自分勝手なことを言っているのだよ?」

「昨日のことは、そのごめんなさい。確かに約束を破っただけだわ」

「なら、今のお願いも聞かなかったことに──」

「いいえ、取り下げないわ。私と彼のことを認めてほしいの」

「……」

 

 一つ、深く息を吐いてからお膳の上で手を組むマルオ。

 

「理解できないね。君はその願いが聞き届けられると本気で思っているのかい?」

「思っているし、これからその理由も説明するわ……五月、お願い」

「はい」

 

 二乃の一言に呼応し、五月はいつの間にか取り出していたスマホを一度タップした。

 既にそれだけで事が済むようにあらかじめ用意され、最後の一押しで表示されたのは一通のメールの送信完了画面。

 そしてそれから時間にして、三十秒ほどだろうか。送ったメールがただ届くだけにしては妙に長い時間が経過した後、マルオのスマホが振動した。

 

「今、私が送ったメールによるものです。確認してください、お父さん」

「どういうつもりかね、五月君……これは」

 

 五月へ問いかけながら、言われた通りスマホを開くマルオ。

 画面を表示させ、予想通り新着のメールが今届いたようで、開封したところで表情が強張った。

 差出人は五月ではなかった。

 表示の差出人は『旭高校理事 武田氏』となっていた。

 マルオは本文を表示させる。

 

 中野様

 

 旭高校理事 武田です。

 いつもお世話になっております。

 

 先日、私よりお送りしましたご息女の二乃さんの写真につきまして、

 お詫びとお伝えしたいことがございます。

 

 まず、例の写真は愚息の祐輔より受け取ったものでして先日、祐輔からあの写真は

 二乃さんと、一緒に映っているのは我が校の上杉という生徒の二人の

 仲を割ることが目的だったと告白を受けました。

 

 あの時、もっと別の理由からあの写真を中野様へお送りすべきだという

 祐輔の言葉を鵜呑みにしてしまい、お送りしてしまいました。

 同じ親として、子を心配する気持ちは理解できますが、娘を持たぬ身としては

 中野様にどれほどの心労をおかけしたかと、強くお詫び申し上げいたします。

 

 祐輔には強く言い聞かせますが、本人からの希望と私からのお詫びのために、

 本校での二人の風紀や素行といった面に関する評価をまとめた資料を

 添付いたしましたので、お確かめいただけますようお願い申し上げます。

 

 結論を先に申し上げますと、お二人とも模範的な生徒であり、

 部外者が申し上げることではないと重々承知しておりますが、

 小職の観点からは健全な関係であるかと存じます。

 

 後のことはご息女から直接お話があるかと存じますので、ご家庭で

 何か取り交わしがされているようでしたら、何卒ご再考いただけますよう

 恐縮でありますものの、小職からも申し上げさせていただきます。

 

 以上

 』

 

「これは……」

 

 呟き、マルオは続けてメールの添付ファイルを開いた。

 圧縮ファイルだったそれを展開すると、恐らく独自に書き起こしたフォーマットと思われる書面を映したPDFファイルであった。

 内容は、学校観点での二乃、風太郎両名の内申点を始めとした二人の評価。更には教師や、評価の高い一部の生徒からの口コミまで記載されている。

 また、念のためではあるが風太郎側の情報を提示することに関しては、上杉父の承認も得ていることまで書かれている。

 全て読み終え、顔を上げるとまっすぐ二乃がマルオを見据えていた。

 

「そこに書かれているのは、理事長の息子さんが私への贖罪のために学校中を走り回って作ってくれたものらしいわ。パパ、私に確かこんなこと言ったわよね。『彼は娘を堕落させる』って。そこには風太郎のせいで、何か悪いことが起きたって書いているかしら?」

「……」

 

 マルオからの返事はない。それは指摘する箇所がないという意味の裏付けだろう。

 ふと、二乃は昨日の出来事を思い出した。

 風太郎が自分を納得させるために出してきた紙の資料。今、マルオが見ているであろうデータは二乃が用意したものではないものの、自分も父を説得するために風太郎と同じようなことをしていると思うと、少しだけ笑いが零れそうになった。

 でも、

 

(ダサくてもいいわ。これで彼と一緒にいられるなら)

 

 反論のないマルオに、少し心の余裕ができた気がした。

 しかし、そのすぐ後。

 

「僕を納得させるために随分と手の込んだことをしてくれたね。確か僕は、二乃君とこのことを話した時『合理的な理由』の説明を求めた記憶はあるが、ここまでとはね。これは二乃君が考えたことかい?」

「いいえ、私です」

 

 二乃に変わって返事をする五月。

 マルオの視線もまた、五月へと移った。

 

「それは妙だね。何故、上杉君と関係のない君が、ここまでのことをするんだね?」

「関係なくなどありません。彼は私たちの家庭教師です」

「彼はもう違うよ」

「それはお父さんが辞めさせたからです! 私達は彼から、まだまだ教わりたいことが沢山あるんです!」

 

 五月の言葉に、口は挟まずとも一花も頷いた。

 その様子を視界で捉えたマルオは、しかし意に返さないように言う。

 

「確かにこれを見る限り、彼は思ったほど悪い人間というわけではないようだ……それにここだけの話だが、下田からも連絡を貰っている。君たちの面倒を見るのは随分と骨が折れるとね。テストの点数の上り幅を見れば、前任の上杉君はむしろよくやっていた方だともね」

「下田さんが……」

 

 二乃の知らない話で合った。五月も驚いた表情をしているし、一花も同様だ。

 二乃と下田は現在は家庭教師と生徒という関係であるため、これまで会話する機会はそこそこあった。

 その中で風太郎とのことを話す機会だってあるにはあったのだが……純粋に、下田が気を利かせてくれたのだとすれば意外であることには変わりなかった。

 

「君たちや、これらのことをまとめてみれば、彼の家庭教師の資質というのはそれほど悪いものではないかもしれないね」

「では……!」

「だが、彼個人の人柄はどうだろうか」

「……!」

「学校での素行が良いことは結構なことだろう。家庭教師としても、成果は今後に期待できるかもしれない。だが、二乃君は忘れていないだろうね。君は彼に唆されて父親に嘘を吐いている」

「それは、唆されたんじゃなくて私が勝手に──」

「同じことだよ。彼の影響で君がグレてしまうなら、僕は彼を信じられない」

 

 最早感情論だ、と二乃は内心で舌打ちをした。

 マルオが本当に冷静に、合理性だけで判断を下そうとするなら今までの話で決着がついていたはずだ。

 だが、好き嫌いの話となれば、また別だ。

 娘に近づく悪い虫が、娘が父に反抗するように裏で手を引いているなどと思われているとしたらどう説得すべきなのか、()()()()見当がつかない。

 まるであの日、風太郎との接触禁止を言いつけられた日を再現しているかのようであった。

 

 だから二乃は、五月と共に切り札を用意していた。

 まだ準備中で、これから一花にも協力してもらって最後の仕上げにかかろうとした切り札が、二乃達のいる客室の襖を開いてきた。

 

「なら、代わりに儂が信じてやろう」

「……お義父さん……あなたがどうしてここに」

 

 客室に入ってきたのは祖父であった。

 ここへ入ってきたのは、タイミングこそ完全に偶然であるものの一花とも話してもらうために二乃達が先ほど話をしに行ったためであった。

 

「二乃と五月の願いだ。お前を説き伏せる味方となってほしいとな」

「あなたは、二乃君の相手がどういう男なのか知らないでしょう」

「今うちに宿泊している小僧であろう? 本人とは後で会ってみるわ」

「では話をしてからでも」

「話をするのは、ただ確認するためだ」

「確認?」

「先ほど、二乃から聞いた話の確認だ」

 

 

 

 時間は少しだけ、四葉が部屋を出て行き、マルオと話を始めるまでの間まで遡る。

 

『あやつを説得してほしい?』

『私、今お付き合いをしている人がいるの。いや、ほんとはまだだけど、でもこれから付き合うのは決まっていて』

『二乃、今はそこは重要ではありませんから、もう付き合っているということで進めましょう』

『……とにかく、そいつは絶対に悪い奴じゃないわ。だけどパパを納得させるにはどうしても、あと一押しが足りないの』

『その一押しを儂に、か。相手の男のことも知らぬのでは、どっちの味方にも付けん』

『でしたら、一度話をしてみてください。彼は今、この旅館に泊まっていますから』

『……あの小僧か。じゃが例え、話を少ししたからと言って、何がわかるというわけでも──』

『おじいちゃん。彼は、風太郎は、姉妹達の中から私を見分けることができるわ』

『……』

『それじゃあ、ダメかしら……?』

 

 

 

 再び現在へと戻る。

 

「孫の言う事だからと言って、鵜呑みにするほど儂も青くない。だが、娘を想う気持ちであれば分かってやれるつもりだ」

「その理屈なら、あなたは僕の側であるべきではないのですか」

「だからだ。お主は孫を、零奈と同じ目に合わせたくないのだろう」

「……」

 

 その言葉に、五月の方が小さく跳ねた。けれど、割って入るようなことはしなかった。

 

「零奈を失った悲しみは儂の方が上などという、くだらない話をするつもりはない。ただ、娘をくだらない男に任せてしまった悲しみという意味でなら、お主よりは分かっているつもりだ……辛い話を聞かせてすまぬ」

「…………いえ」

「だが孫たちの話を聞いて、儂は少しあの小僧に興味が湧いた。最終的な判断はお主がすればよいが、それまでは儂の顔に免じて、二乃の言うことに耳を傾けてはどうだ?」

「……」

 

 祖父からの最後の一言に、マルオはしばらく押し黙った。

 時間にしてどれほど経っただろうか。下手をしたら一分は黙ったままだったのではないかと思うほど、たっぷり熟考した様子の後、目を伏せた。

 

「あなたからそこまで言われては、僕も妥協を少しはしないといけませんね」

「……! なら!」

 

 二乃がパァ、と顔を明るくした。いや、二乃だけではない。その場にいた姉妹四人全員がである。

 

「上杉君の家庭教師の再雇用を検討しよう。下田とも話をし、調整がついたら彼に復帰の意思を確認する……それと、二乃君と彼の接触禁止も解除としよう」

「パパ! ありが──」

「だが、彼との交際は君たちにはまだ早い」

「え?」

「元々、君と彼が二人で決めたことだろう。高校生のうちから親しくし過ぎないという点では、僕は君たちと同意見だ……だから次はキチンと彼の仕事がやり切れたと判断できる基準を決めたら、報告しに来なさい。それがなければ、卒業までは認めないよ」

「それってつまり……風太郎がちゃんと五月達も卒業できるって判断できるラインを決めて、それを超えられたら……」

「二度は言わないよ。僕は部屋に戻る」

 

 そう言って、コタツから席を立つと、足早に客室を出て行った。

 祖父もまた、後に続いて出て行った。風太郎のところへ行ったのかもしれない。

 部屋の中には再び姉妹だけが残される形となり、祖父が襖の奥、廊下に繋がる扉を閉めたと同時に、誰からともなくわっと歓声が沸いた。

 二乃と五月の元へ、一花が詰め寄った。

 

「やったじゃん二乃! あのお父さんを言いくるめたよ!」

「ええ! これで胸を張って風太郎のところに会いに行けるわ!」

「五月ちゃんもお疲れ様! こんなに上手くいくとは思ってなかったよ!」

「私だけではこの結果にはなりませんでした。全てはあの終業式の日、一花と三玖、そして上杉君が知恵を絞ってくれたおかげです」

 

 実際には、今日マルオを説得させるための作戦の立案は五月による功績がほとんどであるといっても過言ではない。

 二乃はただ、言われた作戦を実行していただけに過ぎなかった。

 そんな、五月によって実行した作戦こそが、

 

 ◆五月達の作戦④ 武田君。あなたのお父様、学校の理事長が関わっているなら協力してもらえるよう掛け合ってもらえないでしょうか(by五月)

 ◆五月達の作戦⑤ いざという時のため、おじいちゃんにも頼ってみるのはいかがでしょう(by五月)

 

 というわけであった。

 前世からこの世界に来て、風太郎を振り向かせるために決行してきたいくつもの作戦。それらの数多くが実を結んでこなかったというのに、一周目のはずの一花や五月がここまでの大成功を収めたのはどういうわけなのかと考えると、少しだけ複雑な気はした。

 けれど、自分だけが成長しているわけではないのだ。一花も、三玖も、五月も少しずつ今の世界で経験を積んで、二乃へと近づいてきているのだ。

 そう、近づかれてしまっている。

 未だ前世というものに囚われ、風太郎を巡って過去ばかりに目を向けている自分と四葉だけが、前を向けていない。

 二乃は、自分を縛るしがらみが解かれた今こそ、四葉と向き合うべきなのかもしれないと、そう思ったのであった。

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