二乃の人生二周目フー君略奪大作戦   作:真樹

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28_スクランブルエッグ③ ~最後の作戦が三玖の場合~

「あの写真って君が撮ったの?」

 

 引き続き終業式の日の屋上でのこと。

 五月の提案による武田の贖罪も兼ねた協力の約束がされた後、おもむろに三玖がそう言った。

 

「三玖、何故そのように思うのですか?」

「五月もお父さんからあの写真を見せてもらったでしょ? 気づかなかった?」

「……すみません、何のことか」

「あの写真に映ってた景色、見覚えがあった。私達がこっそり覗いてた時と同じ」

 

 風太郎と二乃がクリスマスデートに興じていた時、二乃以外の姉妹四人は二人の後を尾行していた。

 途中、尾行がバレたかもしれないと怪しまれた瞬間はあったものの、結局四人は二乃と風太郎が駅前で分かれるまで一部始終を見ていた。

 当然、写真に写っていた二乃から風太郎へのクリスマスプレゼントの瞬間だって目撃している。

 

「君が撮ったなら、私達と会ってないのはおかしい」

「単純に気が付かなかっただけではないのですか? 私たちはこの方とはあまり面識がありませんし」

「その可能性もある。だから確認してる……どうなの?」

 

 三玖に問われ、対する武田は一瞬、逡巡する素振りを見せ閉口した。

 時間にしては数秒だろうか。しかし、次に武田が口を開いた時には何か気迫めいたものを漂わせていた。

 

「いや、それは僕が撮ったものではないよ……あれは、君たちのご姉妹の四葉さんから受け取ったものだ」

「四葉が……!?」

 

 武田を除いた一同が驚愕に目を開いた。

 特に、姉妹以上に風太郎が一番動揺の色を隠せないでいる。

 三玖とて例外ではない。武田に質問をしたのは、せいぜい他の協力者の可能性を疑った程度のことだった。

 よもや姉妹の名が挙がるなどとは夢にも思っていなかった。

 一同の様相を前に、武田が話を続ける。

 

「彼女は僕に写真を渡す時、恋愛が上杉君の勉学の妨げになるから活用するよう言ってきた。僕からも質問だが、彼女は君たちの前でも上杉君の家庭教師に反対していたのかい?」

「ううん。その逆、誰よりも協力してた」

 

 三玖の回答に、他の面々も同意するように頷く。

 

「では、上杉君と仲の良いもう一人のご姉妹、二乃さんだったっけ? 彼女と四葉さんの仲が悪かったということは?」

「それも、ない」

 

 終業式のこの日の時点で言えば、二乃と四葉の仲は最悪の状況と言っても過言ではなかった。

 しかし、三玖が知る限りその原因は雨宿りに入ったホテルの出入りを目撃した二乃の誤解ということでハッキリしている。

 クリスマスデートは、その誤解が起きる前の出来事だ。それ故に三玖には四葉が二乃のデートの妨害をする理由が思いつかなかった。ある一点の可能性を除いて。

 その一点は、部外者である武田でも想像に難くなかったようで、三度目の問いが投げられる。

 

「なら、四葉さんが実は上杉君のことを──」

「待て、"仮に"そうだとしても、家庭教師を辞めさせたのは何故だ?」

 

 話の当事者の一人である風太郎が武田の直球の疑問を、言語化される前に遮って新たな疑問を投げかけた。

 ただし風太郎からの疑問に対しては、この場の誰もが『四葉が風太郎に恋愛感情を抱いている可能性は高く、そして二乃と風太郎の仲を引き裂こうとした』という結論を想像できているのが見て取れた。風太郎本人でさえ例外ではないようだが、まるで別の可能性を誰かが出してくれることで、その可能性を否定されることを期待しているようであった。

 三玖としても風太郎の気持ちは理解できる。あの四葉が自分の気持ちを優先するために姉妹の恋を邪魔しようとしているとは考えづらかった。

 それほどまでに、四葉の中で姉妹と風太郎を天秤の両サイドに置いた時、風太郎に傾いてしまうほどの入れ込んでしまっているのか。

 何より辻褄も合わない。かつて林間学校前、まだ風太郎が二乃からの告白に返事をしていなかった頃、四葉は二乃の恋を応援するような素振りさえ見せていた。三玖もまたそんな四葉に諫められたからこそ当時のことは鮮明に覚えている。

 なら四葉が風太郎に恋をしたのはその後か? とも考えるが、だとすればその時には二乃と風太郎は互いに気持ちを確認し合っているし、その仲は姉妹達の間でも周知の事実となっている。それを知った上でこんな大それたことを本当にするだろうか。

 考えれば考えるほどに、三玖の中の四葉像とかけ離れていってしまい、思考は混とんを極めた。

 他の面々も同様の思考のプロセスを経たようで、同じく結論を出せないまま誰も風太郎の問いに答えなかった。

 このままでは議論が煮詰まると感じた三玖がとにかく発言をしようと口を開く。

 

「考えてもわからないことを考えても仕方ない。とにかく今は、これ以上四葉には何もさせないようにしないと」

「何もって、どうするのですか?」

「私は一花や五月と違って、まだ何の役割分担もされてない。だから私が四葉にバレないように見張る。何かあれば、私が四葉を止める」

 

 ◆三玖達の作戦⑤ 知り難きこと陰の如く(by三玖)

 

 

 

 

 

 温泉旅館で二乃と五月がマルオを説得しているころ、四葉は早足で旅館内の廊下を歩いていた。

 

(風太郎と二乃が仲直りしちゃった……!)

 

 今朝の話である。単なる誤解が発端であり四葉としても本意ではない出来事ではあるが、昨日の夜までは風太郎と二乃は険悪な雰囲気であった。

 二乃が自分の正体に気づいていることと、ホテルから出るところを目撃したと聞かされた時は取り乱してしまったが、二乃が家出をしてからの数日間の間で考え込んでいるうちにその状況さえ棚から牡丹餅だと考えてしまっている自分に四葉は気が付いた。

 自分が意図的に引き起こしたことではないとしても、二乃の、姉妹の不幸を喜んでしまった。

 ずっと困っている人を助けたい。そう願って沢山の人助けをしていた自分が、いつの間にこんな真反対の嫌悪する人間になってしまったのかと、それに気が付いた時にはひどく自己嫌悪に陥った。

 だけど、同時に肩の荷が軽くなってしまったのも、また事実であった。

 心の醜い人間になってしまったのなら、醜い人間なりのやり方がある。

 これまで四葉がこれ以上ないほど回りくどく時間をかけて、ゆっくりとことを進めてきたのは二乃を傷つけないためである。

 そんなことを心配する必要がないなら、選択肢はぐっと広がる。

 

「見つけた……"上杉君"!」

 

 廊下を進んだ先、大広間の食堂前で風太郎を見つけた。

 今、祖父のために五つ子全員が五月の恰好をしている現状は、四葉も例外ではない。

 故に四葉は、五月になりきって彼の名を呼んだ。

 

(もう、迷っている時間はない)

 

 新たな選択肢からどうやって風太郎を篭絡しようかと考えている最中であったが二乃との関係が修復されてしまったのなら、その繋がりの強さは更に強いものへとなっている可能性があった。それこそ、自分の存在など付け入る隙がないほどに。

 だから速攻で勝負を終わらせる必要がある。それこそ"二乃に教えて貰った最悪な手段を使って"でも。

 

「ん……五月か? 何の用だ」

「ちょっとこちらへ来てください」

 

 風太郎の手を引くと、障子を開けて食堂の中へと連れ込んだ。

 朝食の時間が終わった現在、テーブルは片づけられ人の気配もない。

 四十畳近くある空間には今入ってきた五月の姿をした四葉と、風太郎の二人しかいなかった。

 

 風太郎の反応もまた、今の一瞬で上手く変装できていることを確認できた。

 かつてのように姉妹の変装がド下手だったころとは違う。タイムリープしてから、度重なる嘘を吐き続けてきたせいでずいぶんと変装が上手くなったらしい。

 それでもなお、結婚式の時のように自分を見分けてくれないことに胸の痛みを感じながら、風太郎へと向き直った。

 

「上杉君……実は私、ずっと言いたいことがあったんです」

「五月が俺に? 何だよ、もしかして例の作戦が上手くいかなさそうなのか?」

 

(作戦?)

 

「いえ、そういうことではなくてですね……実は私、ずっとあなたに、その、好意を寄せていたのです……!」

「…………は?」

「突然すぎて驚かれましたよね? すみません、ですが本当なんです。私は──」

「……お前、四葉か?」

「────!」

 

 瞬間、頭がフリーズした。

 なぜ、このタイミングで変装に気づくのだ。

 以前、この時代でも零奈の姿で風太郎には告白をしたことがある。

 もしかしてあの時を思い出して、告白する自分の姿から自分を連想してくれたのかと胸を高鳴らせた。

 けれど、風太郎の表情は、絶句した四葉を前に想像とは逆に険しくなり、

 

「五月はもう、お前が俺を個人的な感情から家庭教師を辞めさせようとしたことを知っている。このタイミングで、こんな状況をややこしくさせるようなことをするとは思えない」

「…………!」

 

 打って変わって、胸に大きく穴が空いたかのような息苦しさと共に、自分の想像が単なる願望でしかなかったと理解した。

 そこまで、バレているのかと、唇が震えた。

 直後、風太郎が四葉の頭を掴むとウィッグを外した。

 当然現れるのは、四葉の短髪。

 

「やっぱりか……何故こんなことする! お前はこんなことする奴じゃ──」

「上杉さん!!」

「──!」

 

 責め立てるような口調の風太郎を一喝し黙らせた。

 大声を出せば誰かがここへ駆けつける可能性も考えたが、ここは押し切るしかないという判断し、未だなおリスクを加味した判断ができる自身の肝を太さに感謝をした。

 だから作戦を少しだけ修正する。別の姉妹に擦り付けて軽くしようとした罪を、例え自分が被ることになったとしても作戦を続行するために。

 風太郎をまっすぐと見据え、言う。

 

「キス、してください」

「なっ……!」

「いえ……キスしますね」

 

 言うと同時、四葉は風太郎を押し倒した。

 尻もちを付いた後も押し込み、風太郎の背中が完全に畳に着くまで仰向けに寝かせる。

 その上に四葉は跨ると、右手で風太郎の左手を抑えた、左足の膝で風太郎の左腕を抑えた。

 抵抗しようと風太郎も下でもがくが、女が押し倒している状況であるにも関わらず悲しいほどに純粋な膂力で風太郎は叶わなかった。

 両腕を塞ぎ、自由を奪ったところで四葉は余った左手で懐からスマホを取り出す。

 続けて起動するのは、カメラの動画モード。

 録画ボタンを押し、撮影を開始した。

 

「お前、自分が何しようとしてるのかわかってんのか!?」

「分かってないわけないじゃないですか……"分かった上でやるほど、私は風太郎のことが好きなんだよ"」

 

 これからやろうとしていること。"既成事実"の作成。

 二乃は喧嘩の時、ホテルの件についてが一番激怒した。そしてマルオから事情聴取を受けた時に、二乃が風太郎を見て怯えたという話も零れ聞いた。

 考えるに、二乃はおそらく風太郎の身綺麗さというものに執着があるのだと思った。無論そんなの誰だってそうであるのだろうが、二乃は人一倍気にする質らしい。信憑性を上げるために、"キス以上のこと"も多少映した方がいいかもしれない。

 ここで彼と"事"を進めてしまえば、自分は姉妹から絶縁されるかもしれないが、風太郎もまた二乃以外の人間と関係を持った人間として同じ状況にできるかもしれない。

 後は残った二人で姉妹から切り離され、二人だけとなれば後は時間をかけてゆっくりと。

 それを実現するために、インカメに確実に自分達の顔が映っていることを確認した上で、風太郎の唇へ自分の顔を寄せて──

 

「離れてっ!!」

 

 瞬間、四葉の視点が一回転した。

 廊下側から体に強い衝撃を受けたと思った後、畳へ転がり落ちたらしい。

 何が起きたのかと急いで顔を上げれば、風太郎の横に三玖が立っていた。

 

 

 

 

 

 間一髪。危なかった。そう三玖と四葉が対峙する光景を見ながら、風太郎は内心で安堵した。

 三玖は四葉の監視をするということになっていた。押し倒されるまでは、どこかで見ているのかもしれないとも思っていたが、訓練を積んだわけでもない一般人だ。見失っている可能性や、そもそも付いてきていない可能性もあった。

 四葉がよからぬことをする可能性は常に警戒していたが、それでもああも物理的に強引な手段を取ってくるとまでは思っていなかった。

 そして同時にこんな方法を選ぶわけがないとも考えていた。もし、本当に全て二乃から自分を奪うための作戦だったとするならば、このやり方は下策以外の何物でもない。

 カメラまで持ち出してきて決定的な瞬間でも収めようとしたのかもしれないが、それで二乃と自分を引き離したとしてそこから先はどうするつもりだったのか。

 風太郎が四葉を嫌った瞬間、全てが終わるということにまで頭が回らなかったのか。

 そこまで考えて至った結論、四葉は暴走している。

 おそらく、昨晩の二乃との和解の話を聞いたのかもしれない。他の姉妹達が作戦を練っていることをどこかで知ったのかもしれない。

 四葉側がどこまでこちらの事情を知っているか知らないが、それでも四葉の行動は明らかに異常だった。

 風太郎の眼前で、畳から転がった体勢を戻した四葉が言う。

 

「なんで……ここに三玖が……」

「……なに、してんの……」

「え?」

「なんでこんなことするの……! 四葉!」

「三玖……」

 

 初めて見る、三玖の怒声を飛ばす姿であった。

 それは四葉も同様であるようで、引きつった表情から目を大きく見開いた。

 

「フータローと武田君から聞いた。喧嘩の原因も、何でフータローが家庭教師を辞めなきゃならなくなったのかの原因も!」

「!」

「もしかしたら四葉がフータローを好きなんじゃないかって話も皆でした、でも一つだけ分からない! 四葉にとってフータローってそんなに大事なものなの!?」

「そんなの、あたりま──」

「私だってフータローが好きだよ!」

「……三玖……!」

「なっ……」

「私にだって好きなもの沢山ある! 戦国武将が好き! 美味しいパンケーキが好き! フータローが好き! それと、姉妹のみんなが好き! でも四葉がやろうとしたことが上手く行った後の未来に、私達姉妹が仲良くできてる姿が想像できない!」

「それは……」

「ずっと考えてた! 二乃を応援しようとしてた四葉が、何で二乃の邪魔するのか。何で私達を悲しませるようなことをするのか、四葉の気持ちになって考えようとしても理解できなかった!」

「それは当然だよ。だって私と三玖は五つ子だけど、別の人間だから……」

「そうだよ、私は四葉じゃないから、私なんかより姉妹のみんなの方がずっと凄いから、私なんかが考えたってきっと答えはわからないんだと思う……!」

「三玖それは違う。私たちは誰が優れてるなんか何て──」

「だけどそんな私にだってわかることが一つだけある! 四葉のやり方は、間違ってる……!」

「──!」

「自分の恋だもん、捨てる必要なんてない。だけど、他人の恋を捨てさせる権利なんてもっとない!」

「……やめて」

「私達は負けたんだよ! それでもフータローに手を出そうとするなら、私たちはただの卑怯者だよ!」

「やめて……!」

「自分の気持ちなんだから捨てなくてもいい! だけど、それなら私達は私達なりに自分の気持ちと向き合わないと──」

「何も知らない三玖が、これ以上何も言わないで!」

 

 最後、四葉の絶叫にも近い叫びが三玖の声をかき消した。

 感情が昂り過ぎているせいか、叫んだ後で四葉は肩で息をしている。

 一方的な三玖から四葉に対する糾弾に対して、初めての四葉からの反撃。女の子である三玖を威嚇するには十分であったようで黙ってしまった。

 けれど、四葉もまたそれ以上の言葉は考えておらず、思いつきもしなかったようで、嫌な空気だけが残った沈黙が流れてしまった。

 だからだろうか、風太郎はこの瞬間をチャンスだと捉え、立ち上がった。

 きっと、あの池の時に初めからハッキリ言っておけば、こんなことにならなかったのだろう。

 風太郎は四葉の近くまで歩み寄ると、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 

「四葉」

 

 そして、四葉へと言葉を紡ごうとした時、背後から駆け足が聞こえた。

 

「風太郎! 今の怒鳴り声なに!?」

 

 襖を勢いよく開ける音と共に、二乃が飛び込んできた。何故か五月の姿をしている。

 続けて、五月とおそらく一花が続いて来た。この時点で、怪訝な表情を浮かべた風太郎を前に、二乃含めて五月へ変装している姉妹がウィッグを取った。

 ここにいるということは、今日予定していたマルオとの対話は早くも終わっているようだった。

 大方、話が終わって風太郎達の部屋へ遊びに行こうとしていたところで、通り道のこの部屋から聞こえてきた四葉の怒声に駆けつけてきたのだろう。

 タイミングの悪いときに来たものだと、風太郎は信仰心があるわけではないが、かつて四葉と共に一花を救わんと祈ってみたりもした運命とやらに内心で舌打ちをした。

 そしてその後、二乃達がいることを気にせず、どういう感情か風太郎の言葉を待つ四葉へ、言わんとしていた言葉を再び紡ぐ。

 

「良く聞け四葉。俺は二乃のことを一番特別な相手だと思ってる」

「……!」

 

 瞬く間に、四葉の瞳が潤み始める。

 

「だがお前達姉妹だって、みんな良い奴で、すげー奴らで、大好きな奴らだ」

「!」

 

 更にもう一度、四葉は何かに気づいたかのような、何かの琴線に触れたかのような、そんな気付きを得た反応で涙を流した。

 

「あいつらの家庭教師をやれたことを、誇りに思う」

「やめて、風太郎」

「だが、お前と二乃がいなければとっくにつまずいていた」

「お願い……!」

「俺は弱い人間だから、この先何度もつまづき続けるだろう」

「やだ、聞きたくない……!」

「こんなだせぇ俺が、これからもあいつらと一緒にいるために、お前が邪魔をするなら……四葉、俺の隣にお前がいることは絶対にないだろう。お前の気持ちは受け取れない」

「────!」

「ハッキリ言う。今のお前は、嫌いだ」

 

 直後、四葉は言葉を失い、畳の上に手を着いてうな垂れた。

 対して、話し終えた風太郎は立ち上がり振り返った。

 その先では、今の会話を聞いていた四人が風太郎を見ており、特に二乃は筆舌に尽くしがたいほどの辛そうな面持ちをしていた。

 風太郎自身、誰かを嫌いだとこうもハッキリと言ってのけたのは、二乃へ好きだと伝えたのと同じくらい人生において初めてだ。

 乏しい風太郎の対人の経験においても、面と向かってこうもネガティブな感情を晒すことは稀だったと思う。

 だが、これ以上は四葉の勝手を容認できなかった。その行動原理の根底に、自分への好意があるなら、言うしかないと思った。

 

「風太郎……」

 

 未だ吐きそうな顔をしている二乃が、それでも何か言おうと口を開く。

 けれど、何も言葉が出なかったようでしばらくそのままでいた後、再び閉じた。

 

「二乃、終わったぞ」

「……本当に、これでよかったのかしら」

「どこかで俺がケジメを付けなきゃならなかった。むしろ、遅すぎたぐらいだ」

 

 ともかく、これで全てが終わった。

 本当なら二乃と五月が父親の説得が終わってから、もっとやんわりと四葉を問いただす算段であったが、前倒しで終わってしまった。

 三玖が監視を買って出てくれたことも功を奏したと思う。

 誰も何も言えないままでいる中で、ぼそりと、小さな声がした。

 

「……り……すんだ……」

「え?」

 

 四葉の声であった。

 

「……り直すんだ……やり直すんだ……!」

 

 直後、弾かれたように立ち上がった四葉は風太郎も姉妹もすり抜け、大広間を飛び出すと廊下の先へと走り去っていった。

 突然のことに、茫然とその光景を眺める一同。

 しかし、

 

「やり直す……?」

 

 二乃だけが、四葉の言っていた言葉を繰り返し、しばし考えを巡らせた後でその表情を真っ青に青ざめさせた。

 同時に、先ほどの四葉の如く、弾かれたように顔を上げ風太郎を睨む。

 

「風太郎!」

「な、なんだ……?」

「あんたバイクの免許持ってるわよね!?」

「あ、ああ……」

「ついてきて! あの子の命が危ないかもしれないわ!」

「なっ……!」

 

 風太郎の手を二乃が掴むと玄関へと走り出した。

 

 

 

 

 旅館の入り口に、林の影に隠れてスクーターが設置されていたのは来た時に偶然見かけていた。

 二乃は飛び込むように受付の前に立つと、事情を簡単に説明してスクーターの鍵を借りた。

 風太郎へと鍵を渡すと、この旅館へと来る途中にある崖沿いの観光スポット『誓いの鐘』へと走らせるように指示をした。

 現在、二乃は運転する風太郎の後ろにしがみつき、目的地へとスクーターで向かっているというわけだった。

 可能な限り全速力で飛ばすように伝えているが、それでも流れていく景色の遅さがもどかしく感じる。

 それほどまでに二乃は急いでいた。

 つい先ほど、すり抜けていった四葉の次の行動にもっと早く気が付くべきだった。

 駆けつけた二乃の目の前で、四葉は風太郎にハッキリとした拒絶の言葉をもらっていた。

 そしてその後に続いた、四葉の『やり直す』という発言。

 

 四葉は、死ぬ気だ。

 

 四葉は再び、最初の日からやりなおすつもりなのだろう。

 

(だけど、そんなこと……!)

 

 向かっている先だって完全に予測だった。

 自分だったらどうするか、四葉だったらどうするかというのを、凄く嫌な気持ちになりながらも行先を想像した。

 そして思い当たったのが、誓いの鐘だ。

 前世での記憶で風太郎と四葉の結婚式の日に、二人はあの場所で大切な思い出を作っていると聞いたことがある。

 ならば行先はそこしかないだろう。

 幸い四葉は浴衣を着ている。健脚な四葉であっても、その格好で全速力の走りをすることは難しいだろうし、こちらはスクーターで追っている。

 予測を外していなければ追い付けるはずだ。

 万が一、外していた場合は……そこまで考え、背筋に冷たいものが走った。

 

 ゴーン、ゴーン

 

 誓いの鐘まで後わずかという距離で、鐘の音が聞こえてきた。

 鳴らしているのはおそらく四葉だろう。

 彼のことを想ってか、一人で鳴らしているのだろう。

 たった今背筋を襲った悪寒が、再び襲う。

 

「風太郎! もっと飛ばして!」

「これ以上はあぶねえ!」

「いいから! ダッシュ!」

「……転んでも文句言うなよ!」

 

 風太郎が一段とアクセルを強める。

 踏み固められ、道となっているとはいえ土であるため尋常じゃない振動が座席から伝わってくる。

 それでも流れていく景色は早くなり、次第に視界一面が森だった中から前方に開けた空が見えた。

 そして遠巻きで、視力の悪い二乃からはハッキリ見えないが人影が一人。

 だが間違いないだろう、四葉だ。

 

「いた!」

「……やべぇ! 二乃!」

「えっ?」

 

 直後、二人は森を出る直前にしてタイヤが地面を空転させる嫌な音を耳にした。

 同時に、体勢を崩したスクーターが滑るようにしながら横転する。

 地面へ投げ飛ばされた二人であったが、道の外へ飛ばされた二乃の方は雑草がクッションになってくれたおかげか切り傷はあるものの、すぐに立ち上がることができた。

 

「風太郎!」

 

 名前を呼び、彼の方を見れば足首を抑えて倒れたままだった。

 

「俺は大丈夫だ。お前は早く……! っつ!」

「風太郎……ごめん!」

 

 二乃はその言葉を素直に受け入れると風太郎を置いて走り出した。

 わき道から戻る途中で風太郎の傍を通り過ぎた時、あるものが目に入ってきて思わずそれを掴んだ。

 

「これ、借りてくわよ!」

 

 "それ"を右手首に付けると、道の先へと走っていき森を飛び出た。

 お守りのつもりだった。

 森を抜けると石階段が崖沿いの設置されている。

 ここを上った先が誓いの鐘だ。

 二乃もまた浴衣のままであるが、はだけることを気にしないで駆け上がる。

 しばらく進んだ後、上り切った先にやはり四葉の姿が見えた。

 だが、立っている位置は階段の稜線で見えず、しかし崖際ギリギリの場所立っているように見え、

 

「四葉!」

 

 事実、最上段まで登りきったころには四葉の立っている位置が手すりの向こう側であるのが見えた。

 崖側を向いていた四葉が、驚きこちらを向く。

 

「来ないで!」

「馬鹿なことしないで! こっちに戻ってきて!」

「二乃には分からないよ! 私は、風太郎に捨てられたんだよ!」

「それが何よ! だから飛び降りて死ぬって言うの!?」

「私はまた、あの転校の日からやり直すの!」

「そんなことができる保証なんてどこにもないでしょ!」

 

 二乃だって一度、この世界に来てから考えたことがある。

 もしも自分がこの世界で死んだら、また同じ現象が起きるのかと。

 だがそんなことは、自分達が"今回は戻ってこれた"ということ意外、考えても分からなかった。

 それほどまでに転生そのものの情報については何もなかった。

 それに、それにだ。

 

 二乃だって一度、この世界に来てから死んでしまおうとしたことがあった。

 

 自分の誤解で四葉と喧嘩して、家出をして、一花のホテルに泊まっていた間のことだ。

 極上の気持ちから最下層の気持ちまで精神的に転落させられるというイベントは、時に成功した人間であっても危ない瞬間が訪れるものらしく、四葉に風太郎を取られてしまったと錯覚した二乃は浴室でカッターナイフを自身の手首に向けたことがあった。

 無論、やり直しが目的だ。

 だけど、刃を皮膚に押し当てるまでもなく、死の恐怖が勝り未遂未満で終わった。

 その時ですら偶然帰ってきた一花に現場を取り押さえられ、二度とこんなことをしないと誓った上で皆に内緒にしてもらっている。

 一花の口の堅さには、本当に感謝している。

 だからわかる。今、転生してきた自分達だって死を目前にすれば怖いと。

 あと一歩、前に進むだけで誓いの鐘の裏手にある、遥か下まで続く崖を落ちてしまう位置にいる四葉だって怖いはずなのだ。

 二乃は四葉を刺激しないように、ゆっくりとそこから足を前に進める。

 

「……落ち着いて、四葉。死んだ先なんて、誰にもわからないの。またやり直せるとも限らないのよ」

「でも、私たちは戻ってきたよ」

「それがもう一度起きるって保証がないって言ってるのよ!」

「二乃には分からないんだよ。大切な人が取られた苦しさを」

「分かるわよ! 私だって同じ気持ちに──」

「でもそれは、誤解だったよね?」

「────!」

「私は言われちゃった。風太郎から、"嫌い"って。それにもし、本当に同じ苦しみを二乃も知っているとしたら、どうしてここにいるの?」

「どういう……」

「私は、死ぬのなんて怖くないよ」

 

 嘘だ。二乃は四葉の言葉が嘘であると即座に看破した。

 もう四葉との距離は大分詰まってきている。

 だから二乃でも見える。ここまで走ってきて生肌が露になった四葉の足は、震えていた。

 もしかしてそれに自分が気付いていないだけなのか。

 

「もし本当に二乃が同じ苦しみを知った上で、ここにいるっていうなら」

「……四葉?」

「掛けに出れる私の方が、想いは上だね。やった、最後に二乃に勝てたよ」

 

 直後、四葉は飛び降りた。

 

「だめぇっ!」

 

 叫び、駆け出し手を伸ばした。

 四葉の足に力が入った瞬間に駆け出したおかげか、四葉が身を投げる時、少し跳ねてから飛び降りたせいか。

 けれどそのおかげで、二乃の手は四葉の手のひらをギリギリ掴み取った。

 同時に、片腕で四葉の全体重を支えた二乃の手には激痛が走った。

 

「あぁ!」

 

 手すりから身を乗り出すようにして四葉の手を掴んでいる二乃の体は、腹部にめり込んでいるんじゃないかというほど強く手すりが押し当てられ、それを支えるように四葉を掴んでいる手とは逆の左手が、手すりを抑えてブルブルと震えていた。

 対して、掴まれている四葉は二乃の手を握り返すこともせずに、中空にぶら下がるようにしながら未だ高度を保っていた。

 自身が未だ落ちずにいることに気が付いた四葉が叫ぶ。

 

「離して! 二乃まで落ちちゃう!」

「いや! 絶対にいや!!」

「どうして……せっかく風太郎と結ばれたんでしょ!? 全部台無しにするつもり!?」

「あんたが死ぬんだったら、私も落ちて死んでやるわよ!」

 

 叫ぶと、二乃は引き上げることに必死で見えていないが、四葉の目の色が変わった。

 

「なんでそこまで……それに二乃が死んじゃったら、私が飛び降りた意味が──」

「あんたの事情なんて知らないわ! 私は、私が助けたいからこうしてるのよ!」

「なんで! 私は風太郎を奪おうとしたんだよ!? それにさっきだって私は風太郎に酷いことを……姉妹の皆からだって見放されるようなことをしたんだよ! 私は皆から嫌われるような人間なんだよ! だから二乃も見捨てて! じゃないと二乃まで死んじゃう!」

「だから嫌だって、言ってるでしょ!」

 

 お願い、力を貸してフー君。

 

「あんたみたいな妹でも、例え風太郎や他の姉妹も含めて世界中からあんたが嫌われても、一人だけ最後まで見捨てない人間がいるわ! それが私よ! 残念だったわね!」

「二乃……!」

 

 四葉の瞳に、光が灯る。

 しかし同時に、二乃の四葉を掴む手が滑り始めた。

 

「でも、流石に、げ、んかい、かも……よつ──」

 

 言いながら握る手に力を入れるが滑りは止まらない。どれほどの時間こうしたのか、既に手汗だってひどい。

 だからだろうか、二乃の手から四葉の手が完全に抜け落ちた。

 その直前、四葉が握られていた方の手とは反対側の手を上へと伸ばした。

 

「四葉!」

 

 滑り落ちたと思った直後、指の根元にビンッ、という手ごたえを感じた。

 反射でもう一度、拳を握る。

 

「これっ……!」

 

 一瞬過ぎて二乃には目で追えていなかったが、四葉がいつの間にかもう片方の手で二乃の手首にあるミサンガを握っていた。

 手首に巻いていたはずのミサンガは四葉に掴まれたことでずり落ち、今は二乃の手のひらまで降りてきている。

 そのミサンガを互いに握って、四葉を繋ぎとめていた。

 かつて、前世の世界でも自分を助けてくれた彼のミサンガ。

 再び静止した四葉が、涙を飲んだ声で言う。

 

「……そんなに言うから、私、死ぬの怖くなっちゃったじゃん……」

「なら、死んでも生きなさい! 今度同じことをしたら、私が地獄の果てまで追いかけるわ……! だから、早く上って! さっきの衝撃で体力ももう……!」

 

 既に指先の感覚がなくなり始めている。

 もう二乃に持ち上げる力は残っていなかった。

 だからどうにか四葉に自力で上ってもらうしかない。そう思った矢先、

 

「悪い! 遅くなった!」

 

 二乃の真横に人影が立った。

 汗だくになった風太郎であった。

 すぐさま、手すりに手を伸ばすと二乃よりも丈が長い風太郎の腕は二乃の手首を掴む。

 

「四葉! 帰ったらお前にはこれでもかというくらい課題を出してやる! 覚悟しろよ!」

「風太……上杉さんまでなんで、嫌いって……」

「はぁ!? だからって死ねなんて言ってないだろうが! いいから早く上がれ、馬鹿野郎が!」

「お願い本当に早く……私達もう限界……死んだらもう、そんな簡単に生き返れないんだからぁ!」

 

 その後、風太郎の指示に従い、二乃と風太郎の手を支えに四葉は崖をよじ登った。

 四葉の足が、崖の縁を踏んだ瞬間、上へと持ち上げようとしていた力は二乃達から見て手前へと引っ張る形となり、四葉は手すりさえ超えて三人で吹き飛ぶように地面へ転がる。

 地面の上に寝転んだ二乃と風太郎が満身創痍であった。

 二乃本人は大きな外傷はないが、手の感覚が未だ戻らない。無理な負荷に筋を痛めたかもしれない。

 風太郎はスクーターで転んだ時の足首の怪我をそのままに、無理して追ってきたのだろう。四葉を支えるため負荷もかかったせいで青くなっていた。

 ただ一人、騒ぎの張本人である四葉だけが無傷のままへたり込んでいた。

 ようやく解放された重みに、二乃と風太郎は二人揃って荒い息をする中で、ボソリと風太郎が呟いた。

 

「ハァ……ハァ……おい二乃」

「何よ……まだ苦しいんだけど……ハァ……」

「どういう意図で言ったか知らねえけど、一個だけ訂正だ……人間は死んだら"簡単"にじゃない、"絶対"に生き返れなんかしない……常識だぞ……」

「……あんたは何も知らないから言えるのよ」

「あ?」

「でも、それでいいのよ。あんたは最後まで知らなくていいわ」

「なんだよ、そ──」

 

 直後であった。

 風太郎の声を遮って、四葉の声がした。

 重い体を持ち上げて声の方を見れば、四葉が座り込んだまま、空に顔を向けて慟哭していた。

 二乃と風太郎などいないかのように、ここではないどこか遠くへ向かって。

 流れ落ちる涙の一滴一滴に思い出が詰まっていて、四葉に思い出させては諦めて捨てさせるように。

 最早声とも表現しづらい四葉の有様に、しばし二人はただ、茫然と見守るしかなかった。

 けれど二乃だけはその光景を目に焼き付け、これで全てが終わったわけではないと自身へ言い聞かせた。

 四葉が助かったのは、単に四葉が死のうという気持ちを変えただけだから。彼への想いを諦めさせたわけじゃないから。

 このままでは四葉は一生、彼への想いに囚われて生きていくことになりかねない。

 だから、四葉を開放しなければならない

 四葉をよそに、風太郎へと静かに耳打ちする。

 

「風太郎、怪我が治ったころになったら協力して。四葉にはまだ、やってあげないといけないことがあるわ……」

「やるって何を……」

「もちろん教えるわ。だけどそのために話さないといけないわ。四葉がこんなことになった、本当の理由を」

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