フー君との再会を果たした日の放課後、二乃、三玖、五月は三人で帰路へとついていた。
そして三人の少し後ろに続く怪しい影も一つあった。フー君だ。
フー君の尾行に気が付いている二乃は、あえてそのままにしていた。
(そういえば、初めて会った日はこんな風にストーカーしてきたんだっけ)
顔の部分だけ穴が開いている観光看板の影に隠れたりと逆に目立つ行動をしながら後を追ってきている。
途中、三玖も気が付いたようで話かけに行ったりしていたが、案の定通報されかけていた。
自分がフォローに行ってもよかったのだが、見知らぬ男子に無暗に優しくする姉妹達用の理由を思いついていなかったため、見守るだけに留めた。
そんな状況が家の前まで続き、エントランスに入る自動ドアまで到着した時、三玖が呼び止めてきた。
「二乃、ちょっと待って」
「なに?」
「帰りに買い物しようと思ってたの忘れてた。すぐそこのコンビニだから付き合って」
「何やってんのよ。さっきコンビニ寄ったのだってあんたが買いたいものあるって言ったから付き合ったのに、これじゃあ五月が無駄に太っただけじゃない」
「肉まんを食べただけなのを太ったって言うのやめてもらえます!?」
「だから忘れたって言ってる」
「三玖も無視しないでください! ……まったく、でしたら私が付き合いましょうか?」
「五月は大丈夫、先に戻ってて」
三玖が二乃の傍へと寄ってくると、五月に聞こえないように耳打ちしてくる。
「二乃も気づいてるでしょ? お昼に会った男子がずっとついてきてる。きっと五月が狙い」
どうやら三玖は自分と二人でフー君を追い返そうと考えているらしい。
しかし、二乃としてはフー君を追い返す理由の方こそ無い。
そもそもフー君の目的を二乃は知っている。彼は今日ここに家庭教師をしに来たのだ。
記憶はあまり鮮明ではないが、確か今日が初日だったはずなのだ。
どちらかと言えば、二乃はフー君をどう家へ招き入れるかを考えていたくらいなのだが。さて、どうしたものか。
「分かりました。それでは先に戻っていますね」
「うん」
考えている間に五月がエントランスへと入っていく。
それを見送ったのとほぼ同時、曲がり角からフー君が姿を見せた。マンションの敷地の入り口に立っている二乃と三玖を見てギョッとしていた。
「げっ……お前……」
「五月には言ってない」
「あんた、五月に用があるのよね?」
「お前たちじゃ話にならない。どいてくれ」
素直に家庭教師をしに来たと言えば素直に通れるというのに、言葉足らずなこの男は二人の間を無理やりすり抜けようとしてきた。
「女子高生の帰り道を家までついてきて、訳も話さず通してもらえるわけないでしょ。このままじゃ追い返されるのがオチよ」
「……帰るも何も、ここ僕の家ですけど?」
「嘘つくんじゃないわよ! あんたの家は○○丁目じゃない!?」
「……何故知ってる?」
しまった、と瞬間的に口を押えた。
どうにかして自然にフー君の口から家庭教師をしに来たと言わせようと必死になっていたせいで、この世界だと自分はまだ知らないはずの情報を言わないように注意することがおろそかになってしまった。
フー君だけでなく、三玖までこちらを訝しむ目を向けてくる。
「君、二乃と知り合いなの?」
「今日初めて会ったはずなんだが……」
「どういうこと、二乃? なんでこの人の家なんて知ってるの?」
「そ、それは……」
失言一つで話が変な方向に向いてしまった。このままでは自分がフー君のストーカー扱いをされかねない。
この時、急激な負荷をかけられた二乃の脳は、限界を超えた速度で高速回転し、一つの答えを導き出した。
「パパから聞いたのよ! この人、私たちの家庭教師をしに来た人でしょ!? 念のためってことで家とかも聞いてたのよ!」
我ながら無理があるような気はしている。家庭教師の住所など普通は知る機会などないだろう。しかし、無理にでも知っている理由をひねり出さなければこの場はやり過ごせそうになかった。
お父さんの呼び方を当時はパパと呼んでいたこともぬかりなく思い出せた。
二人の反応を見れば、三玖の方は半信半疑ではあるが一応納得しているようだった。
「家庭教師なんて、私は聞いてないんだけど……なんで二乃だけ……」
「待て、そもそも俺は五月の家庭教師をしに来たんだ。お前らのじゃない」
「あーもー面倒くさいわね! この際だから今ここで伝えとくわ! 私たちはね──」
ちょうどその時、フー君が曲がってきた曲がり角から一花と四葉も曲がってきた。
「あれ? 優等生君! ここで何してるの?」
「上杉さん! こんなところで会うなんて奇遇ですね!」
「お前らまで……どうして……」
「話を遮られたわね。いい? ここにいる四人と、五月はね、五つ子の姉妹なのよ!」
結局、自分がバラす形にはなってしまったが、フー君を何とか家の中へ入れてあげることは出来た。
二階では四葉がフー君と一緒に他の姉妹達集めをしているが、おそらく失敗するだろう。
二乃はフー君の生徒集めに協力するべく、前日から仕込みだけしていたクッキーを焼いていた。お菓子で釣れば姉妹達は来るだろうという算段だ。
その後すぐにクッキーが焼けた時、二階へと目を向けるとちょうど廊下では四葉とフー君に加えて三玖もいた。
「クッキー焼けたけど、みんな食べるー?」
「二乃、今はそれどころじゃ」
「あ、あのジャージって……」
どうやら三人は自分が着ている三玖のジャージを探していたらしい。
いつの間にか一花も加わって、一階のリビングでお菓子パーティが始まった。
五月が部屋から出てこないのは意外だった。よほどフー君と顔を合わせたくないらしい。
「よし、これで四人だ。五月はいないが始めてしまおう。まずは実力を測るためにも小テストをしよう!」
「「いただきまーす!」」
家庭教師を始めようと、フー君はカバンから取り出したプリントを机の上に広げたが、一花と三玖は無視してクッキーを食べ始めた。
四葉だけがテストプリントを手に取ると、一応取り組もうという姿勢を見せていた。
「おいしー、これ何味?」
「ああ、それは──」
一花が美味しそうにクッキーが頬張りながら感想を言ってくれる。
そういえば、こんな風に家族が揃ってこのリビングでお菓子を食べるのも久しぶりだ。特に一花は四葉が結婚したころなどはずっと海外で活動していたため、顔を合わせる機会自体少なかった。
また、こんな光景を見れるとは思っておらず、思わず懐かしい気持ちになった。
「三玖! 体操服も見つかったんだからやってくれよ」
「勉強するなんて言ってない」
懐かしい気分に浸ってる中で、フー君だけが依然として授業を諦めずにやろうとしている。
協力してあげたい気持ちもあるが、それよりも今はこの幸せな時間をフー君とも共有したいという気持ちの方が勝った。
「あんたもクッキー食べたら?」
「いや……そういう気分じゃ……」
「警戒しなくてもクッキーにも水にも薬なんて盛ってないから。食べてくれたら勉強してあげてもいいわよ」
「!」
二乃が勧めると、フー君はわずかに逡巡した後、座ってくれた。
そのまま乱暴に皿に手を突っ込むと、複数枚まとめて掴んで口へと放り込んだ。
「うまいな」
そう感想を言いながらもクッキーを消費し続けるフー君。
そういえば、あの時はここでフー君に睡眠薬を盛って追い返したんだったな、と当時の記憶が蘇る。
当然、今はそんなことをするつもりは全くない。フー君の喉が渇いたであろうタイミングで、薬など入っていないただの水を渡してあげた。
「お、おう……サンキュー……」
コップを受け取ったフー君は一気に口元へ傾けると水をそのまま飲み干した。
「フータロー、凄い飲みっぷりだね」
(三玖?)
「おかわりいる?」
「お前までどういう心境の変化だ……だが悪いな。ありがたく貰おう」
そう言って三玖から差し出された二杯目の水もフー君は受け取ると、それもそのまま飲み干した。
空になったコップを音がなるほど勢いよく机の上へと置いた。
その直後であった。
「あえ……」
「……バイバイ」
フー君が机の上に突っ伏した。
「フー君!?」
二乃が慌ててフー君を揺するが、反応はない。しかし呼吸は正常にしているし、顔色も悪くはない。おそらくはただ寝ているだけだろう。
こんな風になるのを見るのは初めてではないため、何が理由かは原因にすぐに思い当たった。
しかし今回の自分は薬など本当に盛っていない。考えられるとしたら、自分よりも後に水を差しだした──
「三玖! あんた何やってんのよ!?」
「私はてっきり二乃がやるかと思ってたけど、やらないみたいだから代わりにやっておいた」
「代わりにって……」
さも当たり前のように言う三玖。実際、三玖の見立ては正しい。かつてのフー君の家庭教師に反対していたころの自分はこの場でフー君に薬を盛った。流石姉妹、よく分かっているというべきだろう。
問題なのは、逆側の話だ。自分から三玖への印象だ。
三玖はこんなことをする子ではない。
確かに三玖もフー君の授業に今は協力的ではないが、かつての自分のように反抗的でもない。三玖の性格から考えても、フー君と三玖の関係値から考えても、自分のように薬を盛るなどおかしいのだ。
(一体、何が起きてるの……?)
あの後、姉妹達と話をした結果、以前のように五月がフー君を家まで送ってあげることとなった。
自分が送ってもよかったのだが、それよりも気になることがあったのだ。
三玖の行動だ。
自分がフー君に薬を盛らなかった時点で、前世とは別の流れになるのは必然。しかしだからといって、三玖が自分の代わりにらしくもない行動をする理由がどうしてもわからなかった。
五月にフー君を任せたのは、その理由を調べるためであった。
自室に籠りベッドの上でスマホで検索をかけてみる。それっぽい検索ワードで調べてみるが出てくる情報は精神病とか、メンタルの情報ばかりでまったく参考にならない。
(きっと考え方が違うんだわ……そりゃ、普通の人が普段しない行動を突然するようになったら、こういう検索結果にもなるわ……)
自分の状況に当てはめて考えてみる。
既に再三にわたって確認してきたことだが、自分は一度死んで、現在から過去へと戻ってきている。そんな状況から連想できるキーワードは『転生』『タイムスリップ』だ。
そういえば、と思い出すことがあった。
四葉が家を出る前はよく漫画を借りに部屋へ行っていた。四葉の本棚には、読んだことはないが今自分が知りたがっているようなキーワードが出てきそうな漫画なども置いてあった気がする。
ここで自力で調べるよりも、いっそのこと知ってそうな人間に聞いてみた方が早いのではないかと思った。
思い立ったなり二乃はすぐさま部屋へ出ると、そのまま廊下を渡り四葉の部屋の前まで来た。
扉をノック、「どうぞー」という四葉の返事を待ってから部屋の中へと入る。
部屋の中では四葉も自分と同じようにスマホを片手にベッドでゴロゴロしていた。
「お邪魔するわ」
「どうしたの?」
「またちょっと漫画を借りようと思って」
「いいよー、好きなの持っていってー」
二乃は四葉の本棚の前に立つ。
いつもの自分なら、自分の目線ぐらいの高さの棚に置かれている恋愛漫画を手に取っている。四葉は日ごろから、二乃や姉妹達が借りに来るタイプの本を本棚の中でも取りやすい位置に置いてくれている。
しかし今回は目的が違う。
本を探すフリをしながら、四葉へと探りを入れる。
「ねえ、四葉」
「んー?」
「えっと、あんたって転生とかタイムスリップとかする漫画に詳しかったりする?」
「なになにどうしたの!? 二乃も異世界転生物とかに興味があるの!?」
「い、異世界転生……?」
がばりと身を起こした四葉が目を光らせてこちらを見てくる。今まで興味を示してこなかったジャンルの話題を振ってもらえたのが嬉しいのだろう。
しかし、転生というキーワードには、確かに今は興味があるが、異世界には興味はない。
だが変に切り捨てて目当ての情報を取りこぼすのもナンセンスだと考え、ここは否定しないことにしておく。
「ま、まあたまには読んでみるのもいいかなって思ってね。良かったら分かりやすい話のどれか教えてよ」
「それならね! ……えっと、これと、あとこっちと、これもいいかな!」
はい、どうぞ。と言って数種類かの漫画をそれぞれ一巻から何冊ずつ渡される。
「ずいぶんあるわね……」
「読んだら二乃もきっとハマるよ! 良かったら感想聞かせてね!」
「ええ、わかったわ。じゃあちょっと借りるわね。ありがと」
本を抱えたまま四葉の部屋を出ると、再び自分の部屋へと戻る。
両手で持たなければいけない量を渡されたせいで、自室の扉を開ける時には少し苦労した。
借りた漫画をベッドの枕元に積み上げるように置くと、うつ伏せにねっころがり早速一巻から手に取ってみる。
借りた漫画は四葉の言った通り、主人公が突然の不幸で死んでしまい、しかし死んだ時の姿のまま異世界へと行くというものだった。
それからとりあえずは何ページか読み終えた後、二乃は本から目を離した。
「なにこれ……全然頭に入ってこない……なんで横文字がこんなに多いのよ……」
エルフとかはファンタジーものの映画とかでも聞いたことのある単語だから、いきなり出てきてもすんなり入ってきた。
しかしゴブリンだのスライムだの、やったこともないゲームでそんなのが出てくるのを何となく知っているような単語が漫画の中では大した解説もなしに当たり前のように会話で出てくる。
挙句の果てにはオーガだのドリアードだの、聞いたこともない言葉まで知ってて当然という風に出てきたところで二乃は完全にギブアップだった。
次、と思いながら読んでいた本を閉じて脇へ置くと、次の漫画の一巻を手に取る。
次の漫画はタイムスリップものだった。
主人公は漫画特有の不思議な力で過去へ戻ることが出来る。戻った先でも主人公は戻った当時の自分と置き換わるように、当時の姿のままで記憶も保持した状態で行動できるというものだった。
(まさに今の私みたいな話じゃない! こういうのを探してたのよ!)
二乃は嬉々として漫画を読み進めた。
漫画の中の主人公は任意のタイミングで戻れるという設定だけは自分とは異なっていた。
そして主人公は、戻る前の世界、つまり未来を変えるために行動を起こし物語を前進させるのだが、しかし主人公の行動は何度も失敗に終わっていた。
理由は、主人公がどれだけ違う行動を行ったとしても、変えたいと思っている未来だけは変わらず同じ出来事を繰り返してしまうのだった。
まさしく、自分と三玖の出来事のようだと思った二乃は更に読み進める。
漫画の中では、そういった必ず決まったアクシデントが発生してしまう事柄にも触れていた。
ひとしきり、その説明が終わったところで二乃の脳内も慣れない情報の詰め込みすぎで煙を上げ始めていたため、本から目を離した。
ベッドの上で仰向けに寝がえりをうつと、ぼんやりとした頭で天井を眺める。そしてその体勢のまま、今読んだ漫画の話を整理する。
「運命の収束……特定の出来事は過去を変えたとしても必ず発生するように、運命の方がねじ曲がっちゃう、ね」
作中の話を要約すればそんな話だった。
漫画はあくまでフィクションであることを理解している二乃であるが、それでも三玖がフー君に眠剤を盛った事実を、この事象に当てはめてみると確かに辻褄が合う。
つまり今後自分が、前の自分とは違う行動をしたとしても、どこかで同じ出来事は起こるかもしれないということだった。
「まずいわね……」
二乃は思わず呟いた。
作中でも、必ず起こるとなっている出来事は非常に重要な出来事だった。それこそ、人間の一生を左右させるようなイベントだ。
それだけ重要なイベントだからこそ、かならず発生するように運命づけられているのかもしれないが、もしもそれを自分の場合に置き換えた時、最悪な部分で当てはまってしまったらと考える。
学園祭の後夜祭で、フー君が四葉を選んだこと。
新婚旅行の帰り、事故で姉妹とフー君もろとも死んでしまうこと。
他の何が起きたとしても、この二つだけは絶対に避けなければと思った。
「やること、どんどん増えていくわね……」
まだフー君と初対面を済ませた初日を終えただけだというのに、ずいぶん自分の中で問題を抱え込んでしまっている気がする。
フー君に自分を好きにさせる。
同じ未来を繰り返さない。
数で数えれば二つしかないが、どちらも一筋縄ではいかないだろう問題に軽い頭痛さえ覚えながら、この日の二乃は一旦それらの問題から逃げるように目を閉じた。