フー君が家庭教師として初出勤してきた日の翌日、五月から外出しないようにというお達しがあった。
理由を聞いても何故か教えてもらえなかった。
(自力で思い出そうにも、細かいことは憶えてないのよね……)
時間になったら呼ぶとのことで、自室で昨日四葉から借りた漫画を読み進めているうちに、部屋の外からインターホンの音がした。
それと同時に、姉妹全員に五月から招集がかかる。
部屋から出てきた二乃含む姉妹達がリビングのソファへ集まる。
タイミングを見計らったかのように、五月が玄関の方からリビングにへと入ってきた。そして五月の後ろから、フー君も入ってくる。
(なるほどね……フー君が来るって事前に行ったら、逃げ出す姉妹もいるかもと五月は思ってたから理由を言わなかったのね)
「昨日の悪行は心優しい俺がギリギリ許すとしよう。今日はよく集まってくれた!」
「まあ私たちの家ですし」
「ZZZ」
「まだ諦めてなかったんだ」
「……」
フー君はプリントをテーブルの上へ広げた。
「昨日できなかったテストだ。合格ラインを超えた奴には金輪際近づかないと約束しよう。勝手に卒業していってくれ」
(思い出した!フー君からの初めてのテスト!)
ようやく記憶が蘇ったと同時、これは好都合だと考えた。
何しろ自分は一度、高校を卒業している身だ。
進学はしなかったが、受験シーズンの中頃までは普通に大学を目指して受験勉強もしていたし、入試判定だって"B"と悪くない結果を出していた。
調理師学校に進学してから座学は最低限になってしまったが、それでも勉強の内容はそこそこ覚えている。
社会などの暗記系は記憶が錆びついていて少し怪しいが、少なくとも当時と同じ点数になるような醜態を晒すことはないだろう。
(というか、もしかして今姉妹の中で一番頭良いのって私なんじゃないの?)
だとしたら今までずっと考えていたフー君をどうやって好きにさせるかという問題にも光明が見えてくる。
作戦はこうだ。
『凄いぞ二乃!まさか姉妹の中にこんな天才がいるなんて!』
『そんな……この程度、大したことないわ……』
『約束通り、お前には無理に勉強を教えようとしたりなんてしな──』
『待って!私、もっと勉強出来るようになりたいの!だから、あなたにはちゃんと勉強を教えてもらいたいわ、上杉!……いいえ、フー君!』
『お前ってやつは……!お前こそ、俺の希望だ!分かった、馬鹿な姉妹達とは別にお前だけ特別に個人授業をしてやろう!』
(これよこれ!)
フー君の性格も加味した、我ながら完璧な作戦だと思った。
正直、勉強は相変わらず嫌いだがフー君のためならば苦ではない。
(それに今からフー君と一緒に二年最後の期末試験に備えることが出来れば、あの地獄の勉強漬けの日々も回避出来るかもしれないわ)
二年の学年末試験。それは思い出すのも辛い日々だった。
結局半年しか住まなかった一花が借りてくれたアパートで、休日を全て返上しての勉強漬けの日々。全てはお父さんから転校を条件に出されてしまい、何とか回避するためであった。
あの時は流石のフー君でも赤点回避というノルマ達成が難しく、結局姉妹同士で得意科目を教えてあげることになった。
(あの時は私も英語を教えてあげてたけど、今なら全教科だってイケるわ。そして空いた時間をフー君へのアタックに少しでも使うのよ……!)
あの時期になると四葉に加えて三玖と、おそらくだが一花もフー君を好きになっているはずだ。
だから実際は学年末試験の前には多少なりともフー君に自分のことを意識させておく必要があるのだが、それでも無駄にはならないだろう。
それに、その時期のことを考えると決めておかなければならないこともある。
(告白は、いつしようかしら)
前回はそれこそ、学年末試験後の祝賀会だった。
同じタイミングとも考えたが、それは自分らしくない。
(私の恋は攻めてこそ、少しでもフー君がこっちを気にしてくれたタイミングで、仕掛けるわ!)
自分には四葉のように五年前の約束や出会いなど無い。つまり人生二週目をやっているにも関わらず出遅れているのだ。
ならば、自分はもっと急ぐべきだろう。
(三玖に言わせるなら、疾きこと風の如く、かしらね)
ちらりと三玖を見る。
二乃の視線になど気づかず、面倒くさそうに三玖は出されたプリントを眺めていた。
そして三玖は顔を上げると、フー君へと言った。
「合格ラインは?」
「60……いや、50点あればそれでいい」
(余裕……!)
流石にテスト問題までは憶えていないが、合格ラインを下回ることはないだろう。それどころか何点までいけるかということまで考えてしまう自分がいる。
思わずフッ、と笑みまで零れる。
「もっと点数高くしたっていいのよ?……ま、あんまり私を侮らないでよね」
「採点終わったぞ!すげえ合格だ!……二乃だけな!」
フー君の手には採点が終わり点数が記載されたプリントが五枚握られており、それを姉妹達にも見えるようにテーブルの上へ再び広げられた。
五枚のプリントで合格ラインを上回っているのは二乃だけであり、80点と書かれていた。
他の姉妹達は予想通り点数が低く、一番高いもので三玖の32点だった。
「二乃、そんなに頭よかったっけ……?」
「嘘……」
「えええ!いつの間にそんなに勉強してたの!?」
「す、少なくとも前の学校にいた頃は、私たちと同じくらいだったはずでは……」
姉妹達が一様に驚きの目を向けてくる。想定の範囲内のリアクションだ。
それよりも、問題はフー君の方だ。
二乃は立ち上がると、フー君の前に立った。
「どうかしら?ざっとこんなものよ」
そう言って二乃は胸を張る。
けれど、対するフー君はと言えば、そんな二乃の横を通り過ぎる。
「お前ら……まさか……五人中四人が赤点候補かよ!?」
「あはは、面目ないですなぁ」
「本当なら二乃だってこっち側のはずなのに……」
「上杉さんすみません、これが今の私の全力でしてぇ」
「き、今日はたまたま調子が悪かっただけです……!」
「言い訳をするな!こんな結果である以上、お前らには意地でも勉強をしてもらうからな!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!?」
二乃を無視して話を進めようとするフー君に、二乃が慌てて肩を掴んだ。
立ち止まったフー君が顔だけを二乃へと向ける。
「ああ、お前はもういいぞ。これからも頑張ってくれ」
「だ、だから待ちなさいってば!テストの合格ラインは超えたけど、私は勉強教えてもらいたいのよ!?」
(想像していたやり取りとは違うけど、フー君ならこう言えば泣いて喜ぶはず……!)
この時二乃は重大な見落としをしていた。
前世の世界ならば二乃のプラン通り、フー君は両手を上げて喜んでいただろう。
しかし、そもそもフー君が五つ子を勉強させる理由は姉妹達を卒業させることが目的であり、要するに職務を全うするためであった。
そのため、たった今行われた実力テストによって合格ラインを大きく上回る点数をたたき出し、卒業ぐらいであれば何一つ心配のない実力を示した二乃が勉強をしたいといったところで、フー君の反応は二乃の想定とは異なり──
「やだよ。めんどくせえ」
「えっ?」
「お前の父親からは五人分の給料をもらうことになってる。だからお前が今後卒業が危うくなった時はフォローしてやるが、それ以外は悪いが他の姉妹を優先させてもらう」
「で、でも自分から勉強をしたいって言ってるのよ?そんな風に言わなくたって」
「お前こそ何を言ってる。勉強こそ学生の本分だろ。そもそもやるのが当たり前で、こんな点数を出すアイツらがおかしいんだよ」
そう言ってフー君は再び他の姉妹へと向いてしまう。
姉妹達の方はといえば、フー君が二乃の相手をしているうちに部屋に戻ろうとしているらしく向き直ったフー君に気づかれるやいなや、こっそり歩いていたのをやめて階段を駆け上がり始めた。
「あ、待てお前ら!」
フー君もそんな姉妹達を追いかけていってしまう。
取り残された二乃だけが、その背中を見送った。
(な、なんでこんなことになるのよ~!!)
「だから何回言ったらわかるんだ……ライスは"L"じゃなくて"R"!お前シラミ食べるのか!?」
「あわわわ!」
「お邪魔するわよ」
実力テストから約一週間後、二乃は最近恒例となっている図書室での四葉とフー君の勉強会に来ていた。
二乃が来るのは初めてではない。勉強会が催される時にはほぼ必ず顔を出すようにしているのだが、その度にフー君の反応はと言えば──
「また来たのか。言っておくが、今日も勉強は教えないぞ」
「分かってるわよ。どうぞ四葉の勉強に専念してください。私は勝手にやらせてもらうわ」
フー君は二乃へ勉強を教えようとは一向にしてくれなかった。
幸い、本当に勉強で詰まった時に質問をすれば『一応、お前の分の給料も貰ってるからな』ということで答えてくれぐらいはするが、基本的には赤点候補の姉妹につきっきりだ。
今はほぼ四葉とのマンツーマン授業の状態なので、五つ子全員を相手に授業していた頃よりはフー君も忙しそうにしていないが、それでも姉妹の中でも一番点数の低い四葉が相手ということもあり思った以上にフー君の手が空くことは少なかった。
とにかく今は親交を深めるキッカケを掴むべく、その勉強会に乱入しては隣で自習をしている。
今日も二乃は四葉の隣に座ると、勉強道具を机の上に広げた。
こんな状況ももう一週間も続いており、二乃は想像以上に凹んでいた。
(何やってるんだろ私……大して好きでもないのに、ずっと一人で勉強なんかやって……こんなはずじゃなかったのに)
もちろん、勉強会に乱入する以外にも色々と試してはいた。
放課後に寄り道を誘ってみたり、週末の休みに外出に誘ってみたりしたが、それらの全てをこの朴念仁は
『家庭教師以外の時間は全て自分の勉強に使うことにしている』
の一点張りだった。
デートプランだってフー君の興味が引きそうなイベントを調べたり、場所を考えたりしている。それでも手ごたえなしだった。
(そもそも私が誘ってるのにデートすら付き合わないって何なのよ!?ありえない!)
四葉とフー君、二人だけで勉強をしている隣で自習している現状に惨めさを感じ、悲しい気持ちにすらなっていた内心が徐々に怒りに上書きされ始めていく。
この一瞬間、ずっとこの調子で自習をしながら頭の中では悶々としていた。
そろそろやり方を変えた方がいいだろうか、そんなことまで考えている時だった。
「残りの三人もお前くらい物分かりがいいと助かるんだが」
「声はかけたんですけどね……あ、でも残りの三人じゃなくて二人ですよ」
「え?」
「ね?三玖」
四葉に名前を呼ばれ、フー君と同じタイミングで四葉が向いている方へと目を向ける。
そこには三玖がややバツが悪そうな顔で立っていた。
「来てくれたのか」
表情を明るくしたフー君がそう言って三玖に歩み寄ろうとするが、対して三玖は一人で窓際の本棚へと歩いていく。
数冊の本を手に取ると、腰の高さまでしかない本棚の上に取ったばかりの本を置き、裏表紙から開いた。
「フータローのせいで考えちゃった。ほんのちょっとだけ、私にも……できるんじゃないかって。だから……」
本を見ていた三玖がフータローへと振り向いた。
「責任、取ってよね」
「任せろ」
微笑みながら言う三玖に、右手を胸に当てて自信ありげに応えるフー君。
その光景を見ていて、二乃のセンサーに引っ掛かるものがあった。
三玖へと歩み寄る。どうやら同じことに気が付いたらしい四葉も近づいてきた。
「み、三玖。もしかして……」
フー君には聞こえないよう、更に三玖の耳元に口元を近づける。
四葉も聞き耳を立ててくる。
「あんた、もしかして上杉のことを好きなんじゃ……」
瞬間、一瞬だけだが三玖の表情が変わった。驚きと、戸惑いが入り混じったような顔だ。
しかし取り繕ったような普段の顔にすぐに戻すと、三玖は──
「ないない」
と短く答えて、二乃の前の席に座ると勉強道具を取り出し始めた。
四葉も自分の席に戻り、状況をまるで理解していないフー君はやや疑問符を頭の上に浮かべながらも三玖に授業を始めようとする。
そんな光景を眺めながら、三玖の反応を見てからというもの『また一人だけ取り残されるパターンか』とか『また私のぼっち度が上がった』とか、そんなどうでもいい考えが渦巻いていたが、ようやく理解が追い付いた。
(ぜったいうそだー!!)
あの反応はどう見ても恋してた三玖の顔だ。
姉妹だから分かる。二周目だから分かる。なんならもっと凄い顔を前世で見ていた。
だから本人は誤魔化したつもりだろうが、それで騙せるのは四葉くらいなもので一ミリだって自分の疑念は解消されていなかった。むしろ確信に変わった。
(嘘、三玖ってこんなに早くフー君のこと好きになってたの!?っていうか何があったらこんなに早く恋に落ちるのよ!?……いや、そんなことよりも一花と三玖がフー君のこと好きになっちゃう前に何か変化を出そうと決めてたのに……私、失敗した?)
この一週間、決して何もしてこなかったわけではないが、それでも作戦が悪く徒労に終わったのは事実。
そしてその結果が、よもやここまでハッキリと現実として目の前に突き付けられるとは思わなかった。
だが、唯一幸いだと思えることがあるとすれば、それは今、恋愛感情を持っていることが発覚したのが一花ではなく三玖の方だったということだ。
これは二乃の予想だが、今後自分とフー君の関係が進展していく中で、一花が何らかの出来事によってフー君を好きになった時点で、おそらくだが修学旅行の時のような出来事が起きると予想している。
もちろん、自分は三玖のようにチンタラ告白の準備をしている気配を感じさせるような隙を見せるつもりはない。けれど何をしてくるか分からないのが一花だ。
四葉という順当にいけば勝利が確定しているダークホースがいる中で、他の姉妹で足の引っ張り合いをしている状況などではない。
そのため、間違っても一花がフー君を好きになってから、自分がその後を追うような展開にはすべきではないと考えている。
(三玖がこんなに早いとなると、本当にうかうかしてられないわ……やっぱりこの一週間みたいな道に沿って歩くような距離の詰め方じゃダメよ。多少強引に、理由なんて後で付け加えてとにかく告白するぐらいしないと、フー君の心はゲットできないわ……!)
今まで回りくどい方法を取ってきた二乃であったが、それでも明確にアクションを起こすことを決めているイベントは既にあった。
具体的に何をするかは決めてないが、逆に三玖のことも知った今、それを加味して作戦を考えられるため決めないでいてよかったと思っている。
告白までするかは分からない。でも、必ずフー君との仲は進展させる。そう、次に勝負を仕掛けるのは──
(花火大会で、私がトップに踊り出てやるんだから!!)