二乃は一冊のノートと向かい合っていた。
今の生活になってからというもの、二乃は新たな日課を始めるようになっていた。
日記をつけることと、以前の自分が何をしてきたのか思い出す作業だ。
というのもフー君に好きになってもらおうと最近色々してきたが、ことごとく裏目に出ているせいだ。元々二乃はフー君のことが好きだと自覚するまで彼のことは"嫌いだと思っていた"ぐらいの印象しかなく、碌なことを覚えていなかった。
ここ最近で記憶を頼りに行動して成功したのは、せいぜい先日家庭教師に来たフー君と風呂上りの姿で対面する事態を避けられたくらいだ。
そのため、新しい生活の記憶と混ざったり、少しでも記憶が新しいうちに書き出しておくことにしたのだった。
作業で使うノートの前半には今の状況になってから経験してきた出来事が日記のように綴られており、逆に裏面の一ページ目からは前世の記憶を書いている。
日記帳ではなくただのノートを使っているのは、印象的な出来事であっても日付まで正確に覚えているケースがほとんどないためでだった。
過去の出来事を書いたページには主に印象的だったイベントについて情報が書きなぐられている。
花火大会、節目ごとのテスト、林間学校、修学旅行に学園祭。他にも夏休みなど長期休暇での出来事自体が小規模なことも書くとキリがなくなり始めるのだが、思い出してはなるべく細かく書くようにしている。
二乃が見ているのは、そんなノートの裏面側、つまり前世での花火大会の出来事についてだった。
「大したことは書いてないけど、あの子達にはお店の場所を伝えておいてあげないといけないわね……」
この年の花火大会は店を貸し切ったはいいものの、人混みに飲まれて姉妹達とはぐれてしまったのだった。
結局打ち上げ花火が終わるまで合流することは出来ず、四葉が祭りの最中に買っていた花火セットで済ましたとノートにも書かれていた。
何故今、花火大会のページを見ているのかといえば至極単純な話で、今日がその花火大会当日であるからだ。
現在、他の姉妹達は一階でフー君の監視の元、宿題を消化している。
唯一、あらかじめ宿題を終わらせていた二乃だけがフー君の拘束から免除され自由時間とされていた。
その時間を使って、二乃は今日どのようにフー君と二人きりになる時間を作るかを作戦を練っていた。ただ実際のところは大体の作戦が既に出来ているため、再確認していたという方が正確だろう。
そもそも、作戦を実行するための大前提としてフー君が花火大会に来る必要があるが、ノートにも書かれている通り前回一緒に行動出来たのは完全に偶然だった。
本当は姉妹だけで祭りに行く予定だったところを、たまたま道端でフー君と家庭教師の給料を渡しに出ていた五月、それにらいはちゃんの三人と鉢合わせをしたのがキッカケだった。
そのため、本当ならば若いお義父さんも見たい気持ちだってあったのを抑えて、前回同様に五月にフー君の家へと向かわせたのだった。
そこから学んだこととしては、細部は異なっていても記憶通りに行動すればある程度は同じ歴史を辿れるらしい。
二乃はノートから目を離すと、脇に置いていたスマホを手に取る。スマホで表示させるのは一花との個人チャットだ。
『宿題の調子はどう?』
『私は何とか……後は五月ちゃんが終われば出発できるよ』
『了解。手助けしてほしいんだけど、いいかしら。花火の時間になったら、ここへ皆とらいはちゃんを連れて行ってあげてほしいの』
メッセージのすぐ後に、URLをチャットで送る。
『ここって今日貸し切ってるっていうお店だよね? 二乃は行かないの?』
『上杉と二人の時間がほしい』
『なるほど……じゃあ特に五月ちゃんにはバレないようにしないといけないね。お姉ちゃんに任せてよ!』
『ありがと。花火が終わるまでには戻るわ。後、協力のお礼に明日の夕飯は一品多くしてあげる』
『五月ちゃんじゃないんだから、それくらいじゃ喜ばないよ』
『怒られるわよ』
一花の返信を確認すると、スマホを机へ置いた。これで姉妹達の問題もクリアだ。
四葉にお願いしようかとも考えた。この前話した時に応援してくれるとも言ってくれたし、断られることはないだろう。
しかし、四葉自身は当然気付いてないだろうが、二乃は四葉がフー君のことを好きなことを知っている。その上で協力を申し出るのは憚られた。
これで根回しも完璧だ。後はフー君と二人っきりになった後のことだが、出店のラインナップまでは流石に覚えてないし細かい流れは出たとこ勝負でいいだろう。
二乃はノートも閉じ、筆記用具も所定の場所へとしまった。これは姉妹にも柄じゃないと言われることがあることだが、几帳面な性格のため小物は元あった場所へ、ノートも乱雑に置くのではなくキチンと表紙を上にして置いておかないと気が済まないのだたった。
姉妹達の宿題の時間も間もなく終わるとのことだが、少し時間が空いてしまった。
何をしようかと考えを切り替えた時、先日買った本のことを思い出した。
「こういう時こそ、ああいった本の出番よね」
先日、四葉と一緒に買いに行った本を手に取る。
四葉から借りていたシリーズ物の最新刊は読み終えてしまったため、今取ったのは二人で選んだ新シリーズの一巻の方だ。
漫画を読みなれていない二乃は、一冊を読むのにも結構時間がかかってしまうため、単行本だと読みかけの状態の場合がままあるのだった。
けれど、残念なことに漫画を開いて数分後、すぐに部屋の外から宿題が終わったという連絡が来たため、二乃は机の上に漫画を置くと部屋を出たのであった。
「やっと終わったー!!」
「みんなお疲れさまー」
宿題を終えて祭の会場まで来た二乃達一行。
集団の先頭を歩くのは四葉とらいは。その後ろに姉妹達が続き、最後尾でフー君がどんよりとした顔で付いてきていた。
「上杉さん早く早くー!」
「はぁ……」
先頭にいながら徐々に距離が空き始めているフー君に気が付いた四葉が手を振って誘導する。
重い足取りで後を追おうとするフー君だったが、不意に袖が引っ張られると姉妹達の視線から外れるように人混みへと引き込まれた。
「こっちきて」
「は……? 二乃? ちょ、おいっ!?」
フー君を引っ張ったのは二乃だった。
二人で人混みへと消える直前、一花の方を見ると目が合い、ウインクを送ってくれた。任せてというアイコンタクトだろう。
(感謝するわ、一花)
人混みをかき分けて、屋台が立ち並ぶ通りから外れる二人。
屋台の裏側の土のエリアまでくると、ようやく一度立ち止まった。
ここまで来ると提灯が吊るされておらず、通りから差し込んでくる明かりだけが頼りの薄暗さになってくる。
「おい二乃、急になんだよ。あいつらとはぐれちまうじゃねえか」
「少しくらいいいでしょ」
そう言って木によりかかる二乃。
「ねえ、少し二人で時間潰さない?」
「なんでだよ」
「そんなしかめっ面であの子達の後を付け回されたら、せっかくのお祭り気分が台無しにさせられかねないからよ」
「そうかよ、悪かったな」
「何よ、不機嫌そうにして。そんなに家で勉強でもしたかったのかしら?」
「そういう予定を立てていたのは事実だが……」
「ならこれ、貸してあげようか」
言いながら二乃は持ってきていた手提げ鞄から本を取り出した。学校で使っている教科書だ。
フー君用に念のため持ってきたものだ。目的が祭りを楽しむことより、フー君の気を引くことである二乃にとっては、ここで勉強の時間が始まっても問題はそれほどなかった。
「英語のしか持ってきてないけど、ここで自習でもしていく?」
「お前、なんでこんなの持ってきてるんだよ」
「それは……暇になった時にでも読もうかと思ったのよ」
「お前……勉強ばっかで大丈夫か? 友達いるか? 学校つまんねーなら相談乗るぞ?」
「あんたにだけは言われたくないわよ!?」
すると、差し出したままだった教科書に対して、フー君は受け取らず押し戻してくる。
「気持ちはありがたいが遠慮しておく。流石の俺だってこんなところで自習するほど野暮じゃない」
「あらそう。あんたのことだから単語帳くらいはポケットにでも入れてそうだと思ってたんだけど」
「ぐっ……!」
「全然野暮じゃない。何が"流石の俺だって"よ」
教科書を手提げにしまう二乃。
フー君は二乃の傍に立っている木へとよりかかった。
「せっかくの機会だ、俺も前からお前には聞きたいことがあった」
「え、なに?」
二乃の背筋が少し伸びる。
今まで二乃からフー君へ話しかけてばかりいたため、フー君から用があるなど珍しかった。
「この前俺が出したテストの時から不思議に思っていたんだが、お前と他の姉妹であれだけ学力に差があるのは何故だ?」
どのような話か期待していた二乃だったが、少しガッカリした。
どうやらフー君は家庭教師としての話をしようとしているらしい。
碌な手ごたえがあったわけでもないが、それでもここ最近の行動で何かフー君の気を引いたことがあったのかと胸を高鳴らせたが、見当違いだったようだ。
そして、フー君の問いに対して二乃はあらかじめ回答を持っていた。いずれ訊かれるかもしれないと思っていた問いの一つだったからだ。
「たまたま出来ただけよ。四葉が私たちの中でずば抜けて運動が出来るのと同じね」
そう答えると、フー君は少し残念そうな顔をする。
「そうか……これは少し前、三玖に話したことなんだがな」
「三玖に?」
「ああ。この前やったテストの回答、あいつら四人が正解した問題は一問も被ってなかったんだ」
「へぇ」
それは二乃も初耳だった。
「そして、四人とも正解できなかった問題はお前が正解していた。そこに俺は、五つ子全員が100点を取れる可能性を見出したんだ」
「……何よそれ、屁理屈じゃない」
「三玖にも同じことを言われたな」
「でしょうね」
「だが俺は、お前たち五つ子は元は同じものを持って生まれたと考えている。つまり、お前の学力も後天的に身に着けたものだ」
「……」
フー君の言うことは正解だ。
二乃は初めから頭が良かったわけではない。むしろ姉妹達と同じくらい馬鹿だった。
しかしフー君という家庭教師が付いて知識が身についていく嬉しさなども知り、自分の力で身に着けた学力だった。
今は二度目の高校生活というチートのような行いをしているせいで姉妹達とは圧倒的な学力の差が生まれているが、前世でも思い返せば学力では三玖相手にはやや劣っていた。
「おそらく四葉の身体能力もそうだろう。そしてお前は学力だ。お前は俺の考えを体現したやつなのかもしれない」
「上杉……」
「だから聞きたいのは、お前が何の努力もせずにそれだけ勉強が出来たのかを確認したかったんだ」
そこで二乃は、少し前にフー君が残念そうな顔をした理由を理解した。
対して勉強もせず、初めからできたのなら、フー君の言う同じ先天的才能を持って五つ子は生まれたという前提から崩れてしまうからだ。
けれどそれはフー君の杞憂だ。
「安心しなさい。私だって、最初から出来たわけじゃないわ……少し前まではあの子達と同じくらいの頭の良さだったわよ」
「頭の悪さじゃなくてか?」
「そこツッコむところじゃないでしょ!?」
「すまん思わず。だが、そうか。やはりお前だけが初めから勉強が出来ていたというわけじゃないんだな。なら、希望が見えてきたぞ……!」
フー君は言いながら拳をグッと握りしめ、笑みを浮かべる。
今までフー君とのコミュニケーションは全て暖簾に腕押しだったが、ようやく自分という存在がフー君に響いた気がした。
だから一歩だけ、二乃は前へと進む。
「あら、私はあんたの希望になれたかしら?」
「ああ! お前は俺の希望だよ。お前最高!」
「~~!!」
(ヤバッ、顔がニヤける!)
咄嗟に二乃はフー君から顔を逸らした。
フー君には見えないように、胸に手を当てて呼吸を整える。
空腹の時にいきなり大量の糖分を摂取した時のような、最早眩暈とも言える感覚が二乃を襲ってくるが、必死に抑え込む。
「おい、どうした?」
「べ、別になんでもないわよ!」
「顔色悪いぞ? さっきまで人混みにいたんだし、具合悪くしたか?」
「大丈夫だから!」
覗き込んで来ようとするフー君に、再度顔を逸らす二乃。
まだしばらく収まりそうにないこの顔を見せないために、二乃はフー君の手を引くと前へと歩き出す。
「おい、今度はなんだ!」
「せっかくお祭りに来たんだったら喋ってるだけじゃもったいないでしょ! 勉強しないんだったら、あんたが私に付き合いなさい!」
フー君を連れて再び屋台の通りへと出る二乃。
話してる間に当然、姉妹達の姿は完全に消えている。
何も言わずに消えたわけだが、一花が上手くフォローしてくれているだろう。
前世の時は自分はかなり遅れてフー君を好きになった身だ。だからこうやって二人きりの時間を作ろうとしても、他の姉妹達との競争もあって上手くいった試しがなかった。
だからこんなにあっさり、予定通りに行くのは正直意外で、先ほどとは別の理由で顔がニヤけそうになる。
けれど、せっかくの千載一遇のチャンスだ。ここで失敗を踏む訳にはいかない。
ニヤケ顔とは違う、飛びっきりの笑顔で腕を引くフー君へと振り返る。
「あんたの不機嫌そうな顔が戻んなきゃあの子達のところへ戻れないんだもの。仕方ないから私が無理やり楽しませてあげるわ、覚悟しなさい!」
それからしばらく、ずいぶんと遊んでしまった。
自分の好みのりんご飴を買ったり、フー君の餌付け目的にフランクフルトや焼きそばを買ってあげたり、たまに射的などの遊戯系の屋台で遊んでいるうちに、あっという間に時刻は八時を迎えようとしていた。
幸いにも人が多いこともあって、姉妹達と鉢合わせるようなことはなかった。
「そろそろ時間ね。花火が始まるわ」
「あいつらのところに戻った方がいいかもしれないな……といっても、どこにいるか見当もつかないが」
「それなら大丈夫よ。事前に店の屋上を貸し切ってあるから」
「ブルジョワめ……ならさっさと行こうぜ」
「待って」
場所も知らないくせに先を歩き始めようとするフー君を呼び止める。
呼び止められたフー君がこちらを振り返ってくる。
「もう少しだけ、二人で回らない?」
「なんでだよ。もう十分遊んだろ。あいつらの前じゃ楽しそうにしてやるから、いい加減」
「そうじゃなくって……話したいことがあるの」
二乃の主観だが、フー君は祭りの時間をかなり楽しんでくれていたように見える。
もちろん、それだけで自分のことを好きになどなりはしないだろうが、気分は良い意味で高揚しているのは間違いないはず。
だとしたら、自分の見立てが間違っていないならば、今告白をしたらフー君の中で良い記憶として残る可能性が十分にある。
(返事はもらわなくてもいい。まずは伝えて、意識させるところから始めるの……大丈夫、告白してからのアタックこそ二度目だもの。上手くできるわ)
内心で考えながら、フー君を見れば不思議そうな顔をしているが、付き合ってはくれそうであった。
ならば、事前に調べておいた貸し切った店とは別の花火がよく見えるスポットへと移動を始めようと、再びフー君の手を掴もうと"右手"を伸ばした時、祭り会場全体にアナウンスが響き渡る。
『大変長らくお待たせいたしました。まもなく開始いたします』
アナウンスと同時、人混みが一斉に流れを作り出す。
自分たちと同様に、他の客たちも花火が見えるスポットへと大移動が始まったのだ。
二乃が伸ばした手は空を切り、フー君を掴み損ねる。
(まず、はぐれちゃう……!)
二乃の記憶がフラッシュバックする。前回も確かこれのせいで姉妹達とはぐれたのだ。
しかし、正直二乃はそれほど焦りは感じていなかった。
あの時、たまたま近くにいただけだからかもしれないが、フー君は自分の手を取ってはぐれないようにしてくれた。
今回は初めから二人きり、すぐにフー君の方から捕まえてくれるだろう。
そう期待した直後、二乃の"左手"が掴まれた。
(ほら、やっぱり)
「ありがと、うえす──」
「やっと見つけましたよ。二乃」
手を掴まれた先へと振り返ると、そこには五月が立っていた。
花火大会開始のアナウンスが流れたと同時、大挙した人の流れに飲み込まれた風太郎は完全に二乃を見失っていた。
「くそっ! どこだ、二乃!」
隙間を縫うことすら難しい人の濁流によって、風太郎は行き先を変えることも出来ず周囲を見渡して探すことしかできなかった。
しばらく流れに身を任せていると、ようやく解放されてある程度自由に歩けるようになった。
しかし、元居た場所へ戻ることも難しい上、二乃が同じ場所に留まっている保証も最早なかった。
(完全に孤立しちまったな……どうする、他の姉妹とらいはに一度合流するか?)
無暗に歩き回ったところで見つけられる可能性は低いだろう。
ならば多少時間がかかっても、ここは他の姉妹から連絡をしてもらった方がいいかもしれない。
もしかしたら、二乃本人が貸し切ったという店に到着しているかもしれない。
時間から考えても、少なくとも他の姉妹達はすでに到着しているはずだ。
(よし、とにかくまずはらいは達と合流しよう)
そう決めた風太郎は携帯を取り出すと、電話帳かららいはを選択し、コールする。しかし──
『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていない為、お掛けできません』
機械音声が流れるだけで繋がらなかった。
「くそっ、なんでこんな時に限って繋がんないんだよ!」
耳から携帯を離して画面のアンテナマークを見る。一本しか立っていない絵と、圏外の文字が定期的に入れ替わるようにして表示される。
こうなると電話も使えないと考えるべきだろう。
そしてそこで風太郎はようやく理解する。
(あれ、一番やばい状況なの、俺じゃね?)
今自分は一人でいる。連絡は誰にもできず、貸し切っているというお店の場所も知らない。
しかもらいはは五つ子達といるせいで、諦めて帰るという選択肢すら取れない。
冷や汗が額からつたる。正直、かなりマズイ状況なのかもしれない。
「とにかく、突っ立ってても仕方がない。二乃だけでも見つけないと」
風太郎は焦る気持ちもあって、やや早足で歩き始めた直後、遠巻きに一花の後ろ姿を見つけた。
(あいつ、店にいるんじゃなかったのか? 何やってるんだ?)
生まれる疑問もあるが、知っている顔を見つけたこともあり、少しは安心して一花の方へと向かい始めた直後、夜空には花火大会の開始を告げる特大玉が一輪咲いた。
時は二乃が五月に捕まった時まで遡る。
五月に腕を掴まれた二乃はフリーズしていた。
どうしてここに五月がいるのか、一花は何をやっているのか。そんな疑問が頭の中をぐるぐると回っている。
「やっと見つけましたよ、二乃」
「五月、あんたどうしてここに……」
「二乃が時間になってもお店に来ないからじゃないですか。屋上から見下ろしていたら、あなたと上杉君が見えたから追いかけてきたんですよ?」
「そうじゃなくて、一花は……」
「そうなんです。困ったことに、一花もどこかへ行ってしまったんですよ」
「……え?」
一花も消えたとはどういうことか。
今の五月の口ぶりからすると、どうやら一花は二乃が教えた通り店まで姉妹達を案内はしてくれたらしい。
しかし、その後で別行動を取った理由はなんだ?
実際そのせいで注意しなければならないと、一花本人も言っていた五月がこうして探しに来てしまった。
しかもよりにもよって花火大会が間もなく始まろうとしているこのタイミングでだ。
そこまで考えて、二乃の脳裏に一つの可能性が思い浮かぶ。
(まさか一花、フー君を狙ってるんじゃ……!?)
店へ姉妹達を案内しておけば、そこから姉妹達が動く可能性は低い。
せいぜい五月がこうして自分を捕まえに来るくらいだ。
一花には事前に花火大会の最初の内は店にいる姉妹達と合流せず、フー君と二人だけで過ごすと伝えていた。
であれば混雑する一般エリアに二乃達がいることは容易に想像でき、はぐれる可能性だって予測可能だろう。
もし、もしも二乃が知らないだけで一花もすでにフー君のことを好きになっており、この状況を狙っていたとしたら──
(やられたわ……あの女狐……!)
三玖が気づかぬうちにフー君を好きになっていたと知った時点で、一花にも探りを入れておけばよかったと後悔する。
最近は姉妹達相手に学力の差を見せつけてマウントを取ってばかりいたせいで、自分は頭がいいと勘違いしていたが、生来の性格からくる思慮の浅さは治っていないようだ。
だとすれば、今頃はフー君は一花に捕まっている可能性がある。
(そういえば、前の花火大会だってフー君は一花を捕まえてくるのだけやたら遅かったじゃない!)
ここに来てノートには書けていなかったことまで思い出され始める。
花火大会を姉妹揃って見れなかったことまでは書いていたが、間に合わなかったのは一花だけだということまでは書いていなかった。
もしかしたら、あの時フー君と一花二人だけの時間の間に何かがあったのかもしれない。
二乃は一花に出し抜かれたことに気づくなり、スマホを取り出すと一花へとSNSアプリから電話した。
しかし、電話はコール音すら鳴らず、不通音が即座に鳴った。
それを補足するように五月が言う。
「電話なら繋がりませんよ。こう人も多いと、チャットも電話もダメみたいです。だから私も二乃をわざわざ迎えに来たんですよ」
「……お店にだったら花火が終わるまでにちゃんと戻るわ。だからもう少しだけ別行動させてくれないかしら」
「嫌です。上杉君のところへ戻るつもりでしょう? 今の貴女を、彼と二人きりにさせるのは危険すぎます」
五月の物言いに、二乃も引っかかるものを感じた。
「危険って、なに、あんたも上杉のことを好きにでもなったのかしら?」
「やめてください。気持ちわるい。私が言っているのは貴女の行動の軽薄さについてです」
「好きな人を振り向かせようとしてるだけじゃない。勝手にいなくなったのは悪いと思ってるけど、ちゃんとあんた達のことも考えて──」
「この前の話の続きが出来ていませんでしたね。そもそも私は、貴女が彼のことを好きになること自体、認めたつもりはありませんよ」
最後の五月の一言に、怒りの感情が込み上げてくるのを感じる。
日ごろから丁寧な話し方をする五月。その理由は二乃も知っている。その心情も共感できる。けれどそれはあくまでもフリであって──
「認める? あんたは私の母親じゃないでしょ! お母さんの真似事くらい勝手にすればいいけど、母親面して私の恋を邪魔しないでよ!」
「私は! あなたを心配して言っているんです!」
「心配って何よ!? 私が彼と間違いを犯すとでも思ってんの!? いやらしい!」
「パートナーとする男性はしっかり見極めるべきだと言いたいのです!」
「……!!」
五月が何をこんなに強く、二乃の邪魔をしようとしているのか理解した。
五月はフー君が上杉のことが嫌いだからとか、そんな単純な理由ではなかった。
今、二乃がフー君のことを好きだと知ってしまった五月の目には、フー君の背後にもう一人の男の影が映っているのだろう。
この時の自分たちはまだ名前も知らない、自分たちの本当の父親。お母さんを妊娠させ、五つ子だと知るなり蒸発したというあの男。悲しみに暮れたお母さんが、旧姓を名乗ったせいで苗字すら知らなかった男。
しかし、自分は何も知らないわけではない。ただ、どうでもよいし、思い出しても不愉快にしかならないから忘れていた男。
無堂仁之介。前世の文化祭のあの日、唐突に五月の前に姿を見せ自分勝手に振舞ったあの男。
あれが今、どこで何をしているのかまでは知らないが、思えば自分だけが姉妹で唯一、あいつのことも知っているのだ。
だから五月からすれば話で聞いただけの想像でしか知らない存在とフー君を重ねているのだろうが、実物を知っている二乃からすれば、それは度し難いことであり──
「あんなハゲと、フー君を一緒にしないで!!」
今までの言い合いの中で、一番の大きな声が出た。
思わず、フー君のことを上杉と言い換える余裕もないほどにだ。
対する五月は、そんな呼び間違いには言及してこなかった。目を大きく見開かせ、茫然としている。
「……なぜ、あの人の外見をあなたが知っているのですか……二乃」
「……!!」
自分がフー君を呼び間違えたことは即座に気が付いたが、それより大きなやらかしをしていたことに気が付く二乃。
沸騰していた脳内が一気に冷めていくのを感じる。
「教えてください。もしかして、あなたはあの人のことを何か知っているんじゃないですか?」
「それは……」
「教えてください! あの人は今どこにいるんですか!? 二乃!」
「ちょっと、待って五月! これにはわけが──」
先ほどとは打って変わって、問い詰める口調だった五月からは怒りの感情よりも、疑念と焦りといった前面に出て二乃に掴みかかる。
対して二乃も、怒りの感情など完全に消え、同様に焦りながら弁明の言葉を脳内で組み立てる。
そんな混とんとした二人の状況の真上で、フー君に見せた光景と同じように開幕の大玉が打ち上げられた。
視界の端で花火を捉えた二乃の焦りは、更に加速される。
(始まった……!!)
※原作では花火大会の時、二乃はらいはのことを"妹ちゃん"と呼びますが、その後"らいはちゃん"と呼ぶようになります。(五等分の花嫁のノベルゲームより)