時刻は八時五十分。
まもなく花火大会が終わりを迎えようとしている頃、路地裏にいる二乃が見つめる先では風太郎と織田が対峙していた。
一花もまた、フー君の隣で守られるようにして立っている。
フー君は知らぬことだが、社長兼マネージャーである織田によって連れて行かれそうになった一花を彼は助けたのであった。
「な、何を訳の分からないことを!」
「大体あんたこそ、こいつの何なんだ!?」
「私はその子のマネージャーだ! いいから、うちの大切な若手女優を離しなさい!」
織田の答えにフー君は固まった。
「わかてじょゆう……?」
ギギギという音が聞こえそうにゆっくりと一花へと振り返ると、一花は恥ずかしそうに顔を手で覆っていた。
フー君が固まっている隙に織田は近づいてくると、再び一花の手を取る。
「行こう、一花ちゃん」
「待てって!」
そのまま連れて行こうとする織田の後を、慌てて追おうとするフー君。
織田は追ってくるフー君に振り返ると行く手を阻むように手を横へ広げる。
「いい加減にしてくれ! 一花ちゃんはこれから大事なオーディションがあるんだ! 君のような訳の分からない奴の相手をしている暇はないんだよ!」
「こっちにだって先にしていた約束があるんだ。一花、花火いいのかよ?」
最早話を聞く耳も持ってくれない姿勢を取る織田。
話しながら説得は無駄と判断したのだろう、フー君は途中から織田ではなく一花の後ろ姿へと話していた。
しかし一花は振り返らない。
二乃の立っている位置からぎりぎり見えた一花の横顔は、誰と向き合っているわけでもないのに笑みを浮かべていた。
「みんなによろしくね」
「……」
織田だけでなく、連れ戻そうとした一花からすら断られたフー君はそれ以上何も言わなかった。
黙ったフー君を前に、織田が今度こそ一花の手を取って先を行き始める。
「一花ちゃん急ごう。会場は近い。車でなら間に合う」
フー君はその後ろ姿を、ただ見送っていた。
そのフー君の有様に、ようやく二乃が路地裏から飛び出した。
「ちょっと、何で追わないのよ!?」
「一花本人にすら断られちまったんだ。仕方ないだろ」
「仕方ないって……」
フー君の言うことは最もだ。
正直二乃だって、一花が女優という仕事にどれだけの熱量を持って臨んているのか知っている。
だからこの結果は想定通り、むしろこうなるべきであったとさえ考えている。
二乃がショックを受けたのはフー君にであった。
フー君ならば自分達五人が揃って花火を見るために、何とかしようとしてくれると思っていた。
一花を止めようとしてほしい、でも止めてほしくない。そんな自分の考えが矛盾しているのは理解している。
けれどもそれを成し遂げようとしてくれる。そんなフー君の姿に期待していたはずだった。
しかし現実は違い、確かめるように恐る恐る二乃は言う。
「あんたって、そんな奴だったの?」
嫌な気持ちが胸を渦巻き始める。
冷たい冷気が、心臓の鼓動を鈍らせるのような感覚。
ムカつくことだって多いけど"そんな奴ではない"、そう信じすがるようにして二乃は言葉を紡ぐ。
「あんたは、一花がいなくてもいいの……!?」
「待て、花火くらい来年だって見れるだろ……なんでそんなにお前は必死なんだ……!?」
感情が高まるあまり目尻に涙さえ浮かび始めた二乃に、状況が理解できないというように慌てふためくフー君。
涙をぬぐいながら言う二乃。
「花火はお母さんとの思い出なのよ。お母さん、花火が好きだったから毎年揃って見に行ってたわ。お母さんがいなくなってからも、毎年揃って……私たちにとって花火って、そういうものなのよ……!」
実際はそれだけではない。
二乃は体感での去年、つまり22歳の夏は姉妹揃って花火を見ることが出来なかったのだった。
その年、既に一花は海外で女優として活躍しており、四葉はフー君と東京で同棲していた。五月も就活で忙しく、同じ家に住んでいるのに時間が作れなかったほどだ。
結局、あの年は三玖とらいはちゃんが付き合ってくれて、三人で花火を見に行ったのだった。
つまり二乃としても二年ぶりの姉妹揃っての花火であり、転生だとか関係なしに楽しみにしていたイベントなのだ。
その話を聞いたフー君はというと、一つ、大きなため息をついた。
「……ったく、そういうことは早く言え。馬鹿野郎が」
「なっ、馬鹿って何よ!?」
「お前は店に戻ってろ」
「っえ?」
「もう時間がない。急いで一花を連れ戻してくる……俺も、五人揃ってないと物足りないからな」
「フー君……!」
冷えた胸の内に、再び火が灯る。
何度も姉妹達から言われていたことを思い出す。考えてみれば自分達がまだ出会って間もないように、彼にとっても私たちは出会ったばかりの相手なのだ。
この世界のフー君は二乃達のことをまだまだ知らない。
一方的に二乃が期待していただけだった。
ちゃんと話せばよかっただけで──
(私が好きになった彼は、ちゃんとここでも彼なんだ)
その答えに辿り着いた時点で、二乃は安心できた。
そして今最も俯瞰して状況を見れる自分が冷静になるべきだと思えるほど落ち着くこともできた。
だから、一花を追おうとしたフー君の背中へ言葉を投げかける。
「待って!」
「あ?」
「仮に一花に追いついたとしても、きっともう間に合わないわ。だから、無理やり連れ戻すのはやめてあげて」
「お前……どっちなんだよ」
「分かってるわよ。でもどっちも私の気持ちなんだもの、しょうがないじゃない。五人で花火は見たい、でも一花の邪魔もしたくない」
「なら俺はどうしたら──」
「私に考えがあるわ。だからあんたは、一花の用が終わったら連れてきてちょうだい」
この世界のフー君は花火大会の間、ずっと一人にさせてしまった。
きっと、四葉とらいはちゃんが花火セットを持っていることも知らないだろう。だから姉妹達を花火ができる場所に連れて行くのは自分の仕事だと考えた。
彼の役割を奪ってしまう代わりに、自分がフー君を手伝うのだ。
二乃とらいはが店に着いた頃、打ち上げ花火は最後の一発を打ち上げるところだった。
結局、一花とフー君が時間までに戻らなかったことに姉妹達は酷く落胆していた。
戻った二乃は一花が女優をしているという事だけは、いずれ本人が説明するだろうと考え多少ぼかして姉妹達に経緯を説明すると同時に、一つの提案をしたのだった。
いずれ一花を連れて戻ってくるであろうフー君達を、公園で花火をしながら待つという話だ。
無論、全員快諾した。
おそらくフー君の方も一花と話し中であろうから、少し間を置いてからフー君へ電話するようにらいはへお願いした。
公園にいること"だけ"を伝えてもらうのだ。
(せっかくならフー君にもサプライズにしてあげるわ)
二乃達一行が公園へ移動し、しばらくは我慢していたものの、四葉が我慢できなくなり花火を始めてしまった。
途中、らいはがベンチで寝入ってしまったりもした。
しばらくすると一花とフー君が姿を見せた。
「あ、一花に上杉さん」
二人の到着に真っ先に気が付いた四葉が立ち上がって言った。
「打ち上げ花火と比べるとずいぶん見劣りするな」
「……!」
公園に入ってくるフー君は相変わらずというかあまり反応がなかったが、その後ろにいる一花は驚きの表情を見せてくれた。
二人を出迎える四葉とフー君の話を聞きながら、ようやくここまで漕ぎつけたと安堵した。
前世でもこうしてみんなで花火をしたことは、前のことを記録しているノートにも書いていた。
今まで二乃はどうにかして前世の花火大会とは違い、フー君と二人だけの時間を作ろうと考えていたわけだが、結局一花が仕事に行ってしまった。
いや、実際は花火が始まるまでは一花が別行動をした理由が仕事であることを知らなかったため、避けようがなかったというのが正確なのだが。
ともかく、フー君のこともあるが、五人で花火を見ることも課題としていた二乃がどうにかできないかと考えた時、ノートの内容を思い出すと同時に思いついたのだった。
運命が同じ歴史を辿らせようとするなら、その通りにしてやろうという作戦だ。
結果は上々、運命を変えようとするより遥かに簡単に思い通りの結果を得ることが出来た。
そして、そんな二乃の思惑を実現に導いてくれたのは、他でもないフー君だった。
(一花をフー君に任せて良かったわ)
だからその労を労ってやろうと、二乃はフー君の前に立った。
けれど意外にも先に口を開いたのはフー君の方であった。
「これで今年も五人揃ったな」
「あんたに一言、言ってあげないといけないわね。おつかれ……それと、ありがと」
「二言だな」
「細かいこと気にすんじゃないわよ!? ……みんな集まったし、本格的に始めましょ」
二乃の許しを得たからか、一同が一斉に新しい花火を手にし始める。
揃って火をつけようとし始めた時、先に一花が全員の前に出てきて、頭を下げた。
「みんな! ごめん、私の勝手でこんなことになっちゃって……本当にごめんね」
「まったくです」
一花の謝罪に対して、真っ先に応えたのは五月だった。
「みんな勝手すぎます。ですが一花、貴女なんてまだマシな方です。どっかの誰かさん達なんて、お祭りが始まると同時にいなくなりましたからね」
ジロリ、ジロリと二乃と風太郎をそれぞれ睨む五月。
祭りの最中の口論のせいもあって、二乃は気まずく目線を逸らした。
「その、悪かったわよ……」
「なんだよ、俺もなのか?」
二乃とは対照的に、二乃の思惑を知るなど知る由もないフー君は五月の目などどこ吹く風のようだった。
「むぅ……!」
フー君の悪びれない様子に更に目つきが細くなり、頬を膨らませる五月。
しかしすぐに宥めるように四葉が割って入ってきた。
「まあまあ、私も今回はお店の用意は二乃にしてもらったし、いなくなった人を探すのも任せっきりだったし、役に立てなかったよ」
呼応するように三玖。
「私も、お姉さんなのにらいはちゃんに気を使ってもらってばかりだった」
四葉が五月の両肩を後ろから掴む。
「ほら五月も、とりあえず悪かったってことで」
「何がですか!? 私は何も失敗してませんよ!?」
「本当に~? 途中で持ってきたお小遣い足りなくなって焼きそば代立て替えてもらったのは誰だっけ~?」
「私だけショボくありませんか!? 理不尽ですぅ!」
叫ぶ五月だったが、しかしその後すぐにフッと一つ息を付いて表情を戻した。
「もういいです。そういうことにしておきましょう……お母さんがよく言ってましたね」
こういう時、二乃は昔のような心地よさを感じる。五月の考えていることが、まるで思考を共有しているかのように分かるからだ。昔は常にそうだった。
今はそうではなくなったが、こういう時には意識せずとも不思議と同じ締まり方をする。
運命なんて関係ない。前世のころから何度もそうだった。
五月が花火を配り始めた。他の姉妹達も受け取ったり、渡したりしている。
二乃も花火を受け取る時、相手の目を見た。
きっと同じことを考えているのだろう。
五月は話し続ける。
「誰かの失敗は五人で乗り越えること。誰かの幸せは五人で分かち合うこと」
二乃にはフー君のことや、将来迫る事故に比べれば些細なことだが、小さな不安が他にもあった。
一人だけ精神的に成長してしまっている自分が、はたして姉妹達と同じ考えを持てるだろうかということだ。
性格ではなく、今日のような出来事の時に、同じ方向を向けるかという不安。
「喜びも、悲しみも、怒りも、慈しみも」
けれど、その不安をかき消すかのように、全員に行き渡った五本の手持ち花火が一斉に点火された。
「私たち全員で五等分ですから」
それからしばらくは童心に返ってみんなで花火を遊んだ。
一番目玉の打ち上げ花火や、最後に残しておいた五本の花火も姉妹達と分け合って全て遊びきってしまった。
姉妹達は花火の後片付けをしている。
(そういえば、あいつのことを忘れてたわ)
ここ最近の自分にしては珍しい、フー君のことが頭から抜けていた。
確かベンチに座っていたはず、と視線を向けた。
そして同時に視界に飛び込んで来たのは、ベンチで横たわって眠るフー君と、そのフー君の頭を膝枕している一花であった。
「ちょっと何してんのよ!?」
「しーっ」
駆け寄る二乃に一花が静かに、というジェスチャーをした。
「そんなに大きな声を出すとフータロー君起きちゃうよ?」
「花火終わって後帰るだけなんだからいいじゃない! そうじゃなくて私が気にしてるはあんたの方よ!」
「だってフータロー君、私たちのために最後は頑張ってくれたんでしょ? これはただのご褒美だよ」
一花は言って、フータローの頭を撫でる。
男性にしては髪の質がよいのか、短い髪がさらさらと揺れた。
その穏やかな光景が、逆に二乃の感情を荒立てる。
「一花、あんた、わざとやってる?」
「本当に他意はないよ。これは私なりのお礼」
「……一花、祭りの会場で聞いたことをもう一度聞くわ。あんた、上杉のことを本当に好きじゃないんでしょうね?」
「フー君じゃなくて?」
「そうやって呼ぶのはもっと後の予定なの!」
「予定はあるんだ?」
「うるさい!」
弄ばれている気がする。
最後など口元に手を当てて笑みを浮かべている一花と、その膝の上で呑気に爆睡しているフー君をベンチから叩き落してやろうかと思った。
安心させるように一花が言う。
「大丈夫。好きじゃないよ」
「本当に?」
「……多分ね」
「──!」
「わからないんだ。お祭りの時に二乃に言った事も本当だったけど、今はフータロー君を見る目が少し変わった気がするのも本当」
原因は心当たりがある。織田との会話の時だろう。
「これが恋なのか分からない。分かっていいのかも分からない。だって私はもう、二乃と三玖の気持ちを知っちゃってるから……ここで私がフータロー君を好きになることが"どういうこと"か、分かっているから」
再び前世の話となるが、あの頃二乃が気づいた時には既に、一花はフー君に完全な好意を抱いていた。
時期としては二年から三年へ上がる中間、春休みの頃だ。
今はまだ九月。半年も前の現時点で、既にフー君のことが気になり始めていることにも驚きだが、それでもこうして一花の気持ちが芽生えたばかりであることを聞けるのは新鮮だった。
一花が顔を上げた。二乃の目をまっすぐに見つめる。
「今、私が自分の気持ちを全部正直に話したのは、二乃も私にフータロー君への気持ちを打ち明けてくれた事、それと今日のお礼だよ」
「お礼って、協力をお願いしたのは私なんだけど」
「でもそれを破っちゃったのは私だよ。なのにフータロー君と一緒に五人で花火を見れるように頑張ってくれたよね。お姉ちゃん立つ瀬がないなぁ」
そう言って一花は朗らかに笑った。
その笑顔は祭りの時、フー君を置いて去ろうとした時に自分だけが角度的に見ることができたあの笑顔とは明らかに違うものだった。
「わかったわよ。今はそれで納得してあげる」
「うん」
「それじゃあ、さっさとそいつを起こしましょ。五月に見られたら噛みつかれるわよ」
「うわ、それは怖いね」
「本当よ、あんたがあの猛犬のリードを離したせいで会場で捕まった時は大変だったんだから」
「あはは、それもごめん」
「いいわよ。ほら、とりあえずそれやめる」
二乃に"それ"と呼ばれた膝枕を、一花はフー君の体を起こすことで言われた通り止めた。
ベンチに座らせる形を取ってから、一花は強めに体を揺すった。
「フータロー君、起きて」
「んあ……」
寝ぼけ眼でフー君が反応した。
ゆっくり目を開けると、周りを見渡す。どうやら大分深く眠りこんでいたらしい。
「ああ、寝ちまってたのか俺」
「花火終わっちゃったわよ」
「別に構わねえよ。俺自身はそんなにやりたいわけじゃなかったからな」
「あっそ。そろそろ帰るわよ」
「ああ」
一花とフー君が腰を上げる。
他の姉妹達を見ると、花火の片づけも終わりそうであった。
立ち上がったフー君はまだ寝ぼけているのか、少しフラついた足で隣のベンチで寝ていたらいはをおぶろうとする。
「ちょっとフラついてるじゃない。そんなんでおんぶなんてしたら危ないわよ」
「だが起こすのも気が引ける」
「こういう時、便利なのがいるじゃない」
「?」
「四葉ー! らいはちゃん途中までおんぶしてあげてー!」
「私がらいはちゃんを!? 上杉さん! 私にお任せを!」
二乃に呼ばれた四葉が面倒ごとを頼まれたとは思えないほど嬉しそうに目を輝かせてこちらに来ると、らいはを軽々と背負ってくれた。
全員、そのまま公園を後にしたのだった。
帰り道を歩いているうちに、フー君の目はどんどん覚めていったようだ。
途中で完全に目が冴えたらしいが、らいはをおぶるのを代わると申し出ても四葉の"強い"希望によって、分かれ道に着くまでは継続することになった。
四葉の後ろで未だに眠り続けているらいはの顔を覗き込む三玖。
「らいはちゃん、本当にぐっすりだね」
「よく寝れるのは元気な証拠だよ!」
「フータロー君は不健康な生活を送ってそうだから、結構寝不足だったりして」
「寝不足なのは否定できんな……」
「らいはちゃんに心配かけるようなことはしないでくださいね」
さっきからずっとこの調子で話しながら歩いている。
二乃は後に続きながら、その内心では別のことを考えていた。
まもなく今日が終わる。結局自分はフー君に告白できていない。
元々、何が何でも絶対にするというつもりもなかったが、祭りの最中一度はしてしまおうと考えたこともあって不完全燃焼気味であった。
(ちょっとだけフー君を連れ出す? ……でも流石に今日そんなことをしたら、みんなに悪いわよね……)
「二乃、どうしたのですか?」
「疲れた?」
「今日はたくさん歩いたからねー。私だって今日はちょっと疲れてきたかも」
「むしろ今らいはちゃんを背負えてるだけすごいよ四葉は」
全く別のことを考えている二乃の様子に、見当違いだが姉妹達が気づいて心配してくれる。
やはりここで追加で迷惑をかけるのはよしておこうと、二乃も考えた。
そしてその会話は一緒に歩いている以上、フー君にも伝わったようで──
「もしかして、やっぱり打ち上げ花火の方を五人で見れなかったの後悔してるのか?」
「別に、そうじゃないわよ」
あんたのせいで悩んでいるのよ。そう言葉が喉元まで出かかった。
時々妙なタイミングで人の本意を汲み取るこの男だが、基本は朴念仁なのだ。
その鈍さには、どちらかといえば三玖を始めとした他の姉妹達の方が被害をこうむっているのだろうが、二乃も立派な被害者の一人だった。
「さっきも言ったが、来年だってあるんだ。今年はこれで我慢しろ」
「だから違うって言ってんじゃない!」
話を聞く耳すら失ったのだろうかこの男は。
もう今日のところは諦めようと決めたというのに、いつまでも見当違いなことをのたまう男に、好きだがイラつき始めた二乃であったが──
「来年もまた連れてきてやるから、その時はちゃんと見せてやるよ」
「──!」
そんなイラつきなど、一瞬で吹き飛んでしまった。
「って、何故あなたが来年もついてくる気になっているんですか!? お断りです!」
「いいじゃん五月ちゃん、フータロー君が来ればらいはちゃんも来るわけだし」
「いいね! 上杉さんにはぜひ来年もご一緒してもらいます!」
「四葉、目的変わってない?」
姉妹達はそんな一言にも、平気で話しを続けている。
どうしてそんなに平然としているのか不思議だった。
三玖、あんただってそいつのこと好きなはずでしょう?
なのにどうして自分だけが、こんなに体温を急上昇させているのだ。
だけど、本当は自分だってわかっている。
この男はこういうやつなのだ。
好みが違う五つ子が前世でも今の世界でも何故、こうも同じ男性をことごとく好きになってしまったのか。
それは彼が、フー君が私たち一人一人に寄り添える心を持っているからなのだろう。
一番欲しい時にだけ欲しい言葉が出てくるような、そんなクリティカルをこのタイミングで受けてしまえば。
二乃の口は、驚くほど自然にその言葉を紡いだ。
「好きよ、フー君」
他の姉妹が全員目を見張った。
そしてフー君も、
「……は?」
とだけ呟き振り返った。その表情は硬直している。
ただ一人、二乃だけが歩みを進め、姉妹達を抜かし、"風太郎"の前に立つ。
「返事なんていらないわ。会ったばかりだもの、対象外だって分かり切ってるわ。それでも、だったら無理にでも意識させてあげる。世界中の誰がライバルになったとしても、私が一番だって分かるまで言い続けてあげる。だから、私だけを見て」
放心状態のままのフー君はまるでロボットのようにらいはを四葉から受け渡されると、分かれ道で別に帰っていった。
五つ子達だけで家に着いた時には、全員が言葉に言い表せない表情をしていた。
何故ならば、この状況を作り出した張本人である二乃が──
(あああこの子達の目の前で告白するとか何考えてるのよ私は勢い任せにも程があるわよ!? 後悔はしてないけどデリカシーってもんがあるでしょあいつのこと馬鹿にできないじゃない!?)
という考えが姉妹でなくても分かるくらい顔に出ていたせいであった。
おかげ様で、これは二乃本人の知らぬところであるが他の姉妹達もさほどショックを受けておらず、むしろ二乃の自爆による羞恥心の煽りを受けてか、自分まで恥ずかしくなってマトモに二乃と接することができなくなっていたのであった。
リビングに入ってきた一同は、自室に上がる余力もないのかテーブルによりかかるように座り込む。
ただ一人、ギリギリで体力を残しているのは四葉のようだった。
「二乃ー、ちょっと気を紛らわせたいから、この前買った本借りるよー」
「え……? ああ、うん。机の上にあるから勝手に持って行って」
力ない返事をする二乃。すぐさま再びテーブルの上で頭を抱えた。
それに応じてよろよろとした足取りで階段を上がっていく四葉。
二乃の部屋の扉を開け、中に入った後でぱたんと閉じられた後で、気づく二乃。
(あれ、そういえば今机の上には──)
とてつもない嫌な予感と同時にフラッシュバックする、家を出る前の行動。
漫画を読んでいた。そしてその原因となった、行動といえば──
「!!」
けたたましい音が立つほどの勢いでテーブルに手をついて立ち上がると、二乃は階段を一気に駆け上がった。
「二乃、どうしたの!?」
下から聞こえる一花の声にも反応しない。
階段を上り終えると、そのまま廊下を走って自分の部屋へと飛び込む。
部屋の中、ベッドと机の間には四葉が立っていた。
手には漫画を既に持っている。
けれど四葉の視線は、依然として机の上へと向けられている。
その視線を這うように二乃も机の上の物を確認し、心の中で絶叫しそうになる。
ノートが開かれていた。
「見ないで!」
駆け寄った二乃は勢いよくノートを奪うと、抱えるようにして抱き込む。
四葉から背を向けるようにして、開かれているページを見る。
"裏面"から書かれているページだ。
前世の記憶の一切が書かれている方だ。
「四葉……あんた、これ」
見たの? と言葉を最後まで紡ぐことが出来なかった。
ただ、言いながら振り返ると、机に向けられていたはずの四葉の目線は、二乃へと向けられていた。
その目は四葉とは思えないように丸く見開かれており、驚いているようにも、もっと別の何かの感情をぶつけられているようにも感じた。
「二乃」
「……っひ」
四葉の呼ぶ声に、小さな悲鳴が上がる。
何を言われるのか見当もつかない。それがこんなに怖いと思ったことはなかった。
そして、四葉が名前を呼んだ後に続けて言った言葉は──
「凄いね! それ二乃が書いたお話!? しかも私たちが主役だし!」
「…………ぇ?」
「設定しか書いてないし、話も飛び飛びだから考え中なのかな。ごめんね勝手に見ちゃって! ……あ、でも一個だけ、私たちがタイムスリップしちゃう原因が死んじゃうのはちょっと悲しいかも!」
先ほどまでの様子が嘘のように話し出す四葉。
その物言いから、表面も見られたのだろうか。少なくとも裏面に書かれている前世の出来事。今の日付けから見れば未来の出来事のことは創作だと思っているらしい。
そもそも、本当に今四葉が言っていることは本当なのだろうか。
常識的に考えれば、四葉の言っている通り作り話と考える方が正常だ。
よもや書かれている内容が全て真実だとは思うまいし、本当の出来事だと言おうものなら病気を疑われかねない。
けれど、実際に事実である以上、本当にバレていないのかという疑念が頭から離れてくれない。
「二乃は頭良いもんね! もし出来上がったら読ませてよ!」
「え、ええ……わかったわ」
「それじゃあ、漫画の方は借りてくねー!」
何とか取り繕って返事をした後も、四葉には不審に思われなかったのか、結局四葉は漫画を持ったまま部屋を出て行ってしまった。
残された二乃はただ一人、ノートを抱えたまま今日の起きた出来事を思い出すだけで頭痛がしてきて、その場にへたり込んだ。
※五等分の花嫁の大学生生活を描いたノベルゲームが公式から出ており、おそらく四葉(22歳)の情報も出てるかと思いますが、本作と相違(東京で同棲はまだしてないなど)があってもそういうものとご了承ください。