もうひとりの私《まふゆ》   作:水が死んでる

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3周年おめでとうございます(遅刻)


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(まふゆ)が生まれたのは、いつからだったか。

 

それほど印象にない、というか。その時はひどく混乱していたものだから、明確に何月何日に生まれた、というのは覚えていない。

確かなのは、私に主導権というものはなく、彼女(まふゆ)が無意識に生み出した、一種の病気のようなもの、ということだけだ。

 

いつか消える運命の存在だが、それまで、楽しく過ごさせてもらおう、と思うほどには分別が付いている。

いつか彼女が前を向いて進めるまで、せめて。

 

 

 

 

 

〈♪〉

 

 

 

 

 

 

簡単に言葉にしてしまえば、二重人格、ということになるのだろうか。

自身のやりたいことは通せず、ただひたすらに他人の求める姿を写すだけの存在であった彼女の限界は浅いところにあった。

 

自分とは違う自分を求められ続ける毎日。シャワーと共に流れる涙の量は日に日に増えていき、ある日限界を迎える。

その時に生まれたのが私だ。

 

さあれかしと。(まふゆ)が苦しまなくて済むようにと願われた結果、私はここにいる。

 

「じゃあお母さん。いってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

私の時間は、朝起きて自室を出てから、夕方まで学業を終わらせ帰宅後、自室に入るまで。

主人格たる(まふゆ)からは、基本外に出ているのは副人格の私が多いのだから、『まふゆ』の名はあなたが名乗るといい、とだけ告げられている。

 

私は願われて生まれた存在だから異論を唱えるつもりはないが、呼び名がなくなるのは不便だ、と伝えてみると、『雪』とだけ返ってきた。

 

副人格である私が本来の名を名乗り、主人格の彼女が仮称を名乗るという、おかしな構図になってしまったのだった。

 

「まふゆおはよー!」

 

「うん、おはよう。今日は宿題やってきたの?」

 

「じ、実はですねまふゆさん。ちょーっと、ちょーっとだけ、見せて欲しいな、なんて...」

 

「もう...今回だけだからね」

 

「やったー! まふゆ大先生ありがとう!」

 

『雪』の記憶は私も見れるし、その逆もまた。『雪』が眠れば私も同様に眠るので、電源とはまた別に切り替えのスイッチがある、という風な感じだろうか。

スイッチにかかっている手は、『雪』だけなのだが。

 

そう言ったこともあり、いざ学校生活を送るとなっても、クラスメイトの名前と顔を一致させるどころか、勉学も余裕である。

当然だ。『朝比奈まふゆ』とは、そうなのだから。

 

クラス委員に所属しているのも、まぁクラスメイトも教師も私に期待の眼差しを向けていたというか、雰囲気がそうだったものだから、迷わず手を挙げた。

ここまで優等生を貫いていて来たのだ。クラス委員もやればますます完璧に近づくだろう。

 

部活には、弓道部に所属している。

一見ただ弓を引いて放つだけに見えるそれは、存外筋力と、それから精神力を必要とする部活だった。

部活に関しては特にどれを選んでもよかったと思うし、生徒会なんかはぴったりだと思ったのだが、これに関しては主人格たる『雪』が、最初に誘われたから、という理由で決めた。

 

周囲には気づかれていないが、たまに入れ替わって弓を打つ。

もしかしたら感づかれているかもしれない人はいるが...彼女は多忙だ。滅多に部活には来ない。

 

大した苦もなく午前を終え、いつも通り味のしない昼食を済ませ、午後の授業も乗り越える。味覚は失って久しい。

 

委員会の仕事も今日は大したものは無いようで、やることを終えた私は弓道場へと向かう。

それなりの大きさの弓道場があるわが校では、寒くなる冬でも弓を打つことが可能だ。

 

「今日は…うん。じゃあ私が打つね」

 

どうやら雪は、今日は打つ気分じゃないみたいだ。

どちらかと言えば打たない日の方が多いというか、ほとんどの日は私が打つ。一応聞いてみるけど、というものだ。

まぁ、私が打っている最中にもしかしたら気分が変わるかもしれない。

 

打ちたくなった、と言われれば喜んで変わるし、それは彼女にとって良い兆候なのは間違いないのだけど。

 

弓道の的の大きさは直径36cm。的までの距離は…大体30mほど。

普段は1人2本でローテーションしていくのだが、近いうちに4本打つ部内での小さい大会があるので、しばらくは4本打たなくてはならない。

よっぽどのことが無ければ大丈夫だが、体力の配分を考えなければいけないかもしれない。

 

左が前の半身で構え、私の打つ番まで待つ。

私の視線から言えば、左を向けば的。正面を向けば、私の前に2人並んでいるような状況になる。

自分の前の人が1本打てば、私の番。これを本数分繰り返して終了。

気を付けなくてはいけないのは、全員が打ち終わるのに制限時間が設けられているということと、順番通り打たなければいけないということ。

練習は本番のように、ということもあり、生徒の1人がストップウォッチを構えている。

 

ちなみに。

個人競技を兼ねている団体競技では、制限時間を超えてしまっても最後まで打つことができ、制限時間以降の分は個人競技に加えることができる。

 

今回のルールでは、最終的に的の中央に1番近い人が勝ち、というルール。

正直負ける気はしない。少々胸が苦しいのが難点だが、これもハンデと思えば面白いものだ。

いまさら緊張はしない。外れないことが分かっているから。

 

「ふぅ」

 

「さっすがまふゆ。…今日も外れ無しかぁ」

 

「ありがとう。みんなも調子上がってきてて、私も負けられないっていう気持ちが乗ったのかも」

 

「自分じゃわかんないけど、まふゆが言うならそうなのかな。まふゆがいれば団体はもらったね」

 

「私だけじゃだめだよ? みんな頑張らなきゃ」

 

適当な会話で済ませた後、矢を回収して後ろに下がる。

今日も皆中…全て的中することができた。

部活仲間の誉め言葉に笑顔で返し、次が始まったのを見て全員が黙る。

他人のものに興味はないので、目線だけで周りを見るが…今日は来ていないのか。

 

そうして、私の一日は過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

<♪>

 

 

 

 

 

 

夜になり自室に入れば、私の出番は終わり。

主人格たる『雪』の時間だ。

PCを開き、その時だけ私が指を動かして、メッセージを送信する。

 

「『K』、いる?」

 

「うん、いるよ」

 

『K』と呼ばれた彼女と『雪』はネット上のサークル、『25時、ナイトコードで。』に参加している。

主に作詞とMIXを『雪』が担当しており、彼女の呼び名である『雪』とは、ハンドルネームでもある。

由来はハンドルネームを考えた時、雪が降っていたから。基本的に深い理由は彼女には無い。

 

元々『雪』は自分で曲を作ってSNSに投稿していた過去があるのだが、それを『K』に誘われ、共同で曲を作ることに。

その際になぜか私に同意を求めてきたのは、彼女の変わる片鱗でもあるのだろうか。

 

『25時、ナイトコードで。』というサークルは、4人で構成されているサークルだ。

メンバーは『K』、『雪』、『えななん』、『Amia』の4人。それぞれの名前の由来を一瞬考えるが、すぐに思いついたのは『えななん』だけ。

どうせこの人の名前は『えな』なのだろう。

そういえば、自撮りをネットにあげていると聞いたことがあるような…。

 

さて。『K』の話を少し聞いていてわかるのは、音楽を、曲を作ることに憑りつかれているのではないだろうかと思うほどに脱線しないこと。

流石にサークルメンバーに話を振られれば反応はするが、自分から話を振ることはほとんどない。

曲を作ることで何かを為そうとしているかのような、一種の強迫観念に囚われているような。そんな印象を覚える。

 

さて。自室にいるときは『雪』の時間なのだが、例外の時間がある。

それは、誰かに連絡するときや、通話をする時だ。

『雪』も目的があって曲作りを行っているわけだが、それ以外は私担当、というわけである。

 

「『K』、修正した歌詞を送ったから、時間のある時にチェックをお願いね」

 

『K』にメッセージを送信した後、目線を動かしてPCの画面左を見る。

そこには『作業』とだけ書かれたチャットルームの下に、ボイスチャットに参加している人と、オフラインの人の枠がある。

スマホにもこのアプリは入っているので、その時間に誰がオンラインなのかはすぐにわかるのだが、『K』はオンライン率が高い。

誰かがいるか、と聞けば、基本的には返ってくる。たまに『K』からも返事が返ってこない時があるが、もしかしたらその時は気絶したように眠っているのではないだろうか、と思わなくもない。

 

しばらく作業を『雪』が進めること約1時間。『K』からメッセージが返ってこないところを見ると、もしかしたら眠ってしまったのかもしれない。

『K』の声を聞く限りだと女性で、それも若い声だったことから、恐らくは学生であるはず。

彼女の不規則な生活を見ていると、もしかしたら登校の必要のない通信制にでも通っているのかもしれない、とあたりをつける。

それでも完全に登校がなくなる、というわけでもないんだろうけど。

 

再び体の主導権を私に渡されたことで、『雪』の意図を察する。

ゆっくり休んで、とメッセージを送信し、PCをシャットダウンする。

『25時、ナイトコードで。』というグループ名だが、今日は集合はお休みだ。サークルメンバーの半分が予定があったようだし、『K』は反応がなくなってしまった。

 

大人しく布団に戻った『雪』の睡眠に会わせて、私も微睡に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

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何が好きだったのかわからない、と言うのは『雪』だ。

彼女の記憶を持ち合わせている私には、昔の『雪』がどんな『朝比奈まふゆ』だったのか、すぐにでも思い出せる。

 

昔から優秀な子供だったし、それを親に褒められて喜ぶような、ごく普通な子供でもあった。

絵にかいたような、正真正銘の優等生。

しかし、心優しく他人の意見も受け入れる彼女は、周りが言うならそうなのだろうと、自分の意思を曲げていった。

そうしていつしか、彼女は彼女でしかないというのに、『朝比奈まふゆ』を見失ってしまったのだ。

 

自分を押し殺し続けた結果、他人の感情どころか自分の本当の感情すらも正しく理解することができなくなり、その影響で味覚も失ってしまっている。

無意識にこれ以上は壊れ切ってしまうと判断したのか、願いもう一つの人格を生み出して以降は症状はひどくなっていないようだが。

 

私がいるうちはまだいいかもしれない。現状の解決にはなっていないが、悪化にもなっていない。

子供の事を見ているようで見ていない親の目など、誤魔化す必要も無い。

もしかしたらだが、死ぬまで『朝比奈まふゆ』は2人なのかもしれない。

 

自分たちの異常性は理解しているつもりだ。

二重人格であることが最も分かりやすい異常だったし、何ならそれを上回るような異常も起きた。

 

セカイ、と呼ばれる場所。

 

スマホの中にいつからか入っていた謎の楽曲『Untitled』。

DLした日付は無し。『雪』が曲を作ること以外で開かれないその音楽アプリの中にいつの間にか入っていたそれは、セカイと称される場所への永久フリーパスのようなものだった。

 

辺り一面灰色で、所々に折れた鉄骨が刺さっている空間。その鉄骨には、どうくっついているのか分からないが、いろんな模様の仮面が付いていた。

自分の身に起きている異常性を理解しつつ、どこか安心感を覚えているのもまた確かだった。

 

そんな異様な空間にただ1人、ぽつんと立っていたのが、初音ミクと名乗る存在だった。

ミクはこの空間を『朝比奈まふゆ』の想いから生まれたセカイだと言う。

鉄骨については謎だが、仮面はもうあからさまだろう。私の事を表すのにこれ以上のものはない。

 

結果的に私たちは、というか。『雪』は一種の精神安定剤のようにこのセカイにやってきて、休息をとることが増えた。

そしてそれに肥大するように、焦燥感も募っていく。

タイムリミットは恐らく少ない。どこかでガス抜きを挟むか、解決へ向けて一歩を進むことが出来なければ、『朝比奈まふゆ』の異常性は一生解決されない根強いものになるだろう。

 

されど明暗が思い浮かぶわけでもなく、無情にも時間が過ぎていく中で、事態は予想だにしない展開を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

〈♪〉

 

 

 

 

 

 

今日は部活もなく、予備校もお休みの日。

いつもなら暗くなるまでは予定が入り込んでいる毎日だが、今日だけは、心やすまる穏やかな日だった。

…そういえば、何日か前に先生から、以前授業で作成した小論文をコンクールに提出されないかと提案されたんだっけ。

断る理由が見つからなかったから、その場で迷い、そして決断したかのような様子を見せて、最終的には承諾したのだけど。

 

個人的に面白いと思って書いた内容ではないことは確かだ。人受けする内容を無難に書いて出した。

あんなもの、誰にでも書ける。

 

「さて、と」

 

空いた時間は、作業の時間にあてることにした。

授業内容はこれ以上予習復習を行っても頭打ちの段階にまで来ている。今ならテスト範囲の現文の文学作品を暗唱すらできるだろう。

 

それに加えて、『雪』の進捗が芳しくない。平日は忙しいのもあるが、それ以上に精神的に作業できるような状態ではなかった。

体は共有しているものの、お互いの思考は共有できないものの、ストレスがかかっていることは伝わってくる。

 

言ってしまえば私は、『雪』の道具のようなものでもあり、半身でもある。

やりたいことを模索するために設けている、彼女の負担をできるだけ減らしただけの、彼女そのもの。

それなりのストレスを抱えているわけだ。

 

「あれ、雪、来たんだ。この時間に来るの珍しーね?」

 

ノートPCでボイスチャットアプリ、ナイトコードを起動し、Amiaが通話部屋にいることを確認して音声を繋げる。

確かにAmiaの言う通り、この時間に私がいるのは非常に珍しい。月に1度あるかないかだろうか。

 

ただ、それを言うなら彼女もではないだろうか。

 

「Amiaも、この時間はお互い珍しいんじゃない? 私は学校は早めに終わったし、予備校も無いから平日できない分を済ませちゃおうと思って」

 

「なるほどね~。ボクはいつもはバイトなんだけど、シフト明日に変わったから、作業してたんだ。それにしても、雪ってほんと真面目だね~」

 

「そんなことないよ。みんなが頑張ってるから、私も頑張らなきゃって思ってるだけ。それに…」

 

「…? それに、何?」

 

「ううん、なんでもない」

 

「え~? なにそれ気になる~」

 

何かしていないと、他人の期待に潰されてしまいそうな気分になるから、と正直に言ったら、彼女はどう反応するのだろうか。

同情するのだろうか。それとも、私でも思いつかない解決方法を出してくれるのだろうか。

バイトなんて、何かの目的のためにしているのだろう。そんな彼女に吐いたところで、何を言われても八つ当たりを返すことしか出来なさそうだ。

思わず私は、口に出しそうになっていた言葉を飲み込んでごまかした。

 

失った味覚が、苦みを訴えていたような気がした。

 

Amiaの追及を話をずらしながらかわしていると、唐突に部屋の扉がノックされた。

 

「買い物に行ってくるわね。お夕飯はシチューにしようと思うんだけど、いいかしら?」

 

部屋に入られなかったことと、実名を呼ばれなかったことはこれ以上ない幸いだったと思う。

 

一旦Amiaに断りを入れて、イヤホンを耳から外してノートPCを閉じる。

 

「うん。シチュー嬉しいな。ありがとう、お母さん」

 

扉を開けてそう答えた後に、ミュートにでもしてから来たらよかったな、と今更に後悔。

 

「じゃあそうするわね。…そういえば、今日はお友達の勉強を見てたのよね。どうだったの?」

 

どう、と言われても。

『朝比奈まふゆ』が誰かの勉強を見ることなんて日常茶飯事だ。今更そのことについてどうこう思うことも無い。

無いが…それでも彼女たちは友人だ。私と友達であることに価値を感じている面もあるかもしれないが、根っこは皆純粋なただの子供。

 

「楽しかったよ。みんな苦手な所、解けるようになって喜んでくれてたし。それに、誰かに教えるのって、教える側は正しく理解してないといけないから、ある意味私の勉強にもなってるんだ」

 

我ながらよく回る口だ、と思った。

それらしい理由を付けるのは最早得意分野に達している気がする。

 

「そうなの? よかったわね。…でも、いくらお友達でも、迷惑だったらちゃんと言うのよ?」

 

「…え?」

 

「確かに、誰かに教えることがまふゆのためにもなるのかもしれないけど、それなら教えあう子と一緒にいた方がいいでしょう? 自分も勉強になるという点なら、その方がいいんじゃないかしら」

 

親の愛情は、(まふゆ)には伝わっている。それはひどく歪な愛情だけれど、優秀な子供なのだから、もっと、と思うのは一般的だ。

だがそれが、本当の娘に伝わっているかどうかが問題なのだけど。

 

「…うん。そうだね」

 

「それじゃあ、行ってくるわね」

 

本人からしてみれば親切心。当の本人からしてみればおせっかいの極致のような状況だ。

思わず漏れそうになったため息を飲み込んで、ノートPCを開いてイヤホンを耳に付けた。

 

「ごめんね、話の途中で」

 

「ううん。気にしないで。むしろボクが話聞いちゃってごめんって感じだけど…。でも今のって、『勉強ができない友達とはあまり仲良くするな』。『友達は選ぶように』ってことだよね?」

 

「…んー。たまにはできる人と一緒に勉強した方がいいっていう、アドバイスのようなものに私は聞こえたけど」

 

「まー、そういう風に受け取れるけどさぁ…」

 

言いたいことはそうじゃない、という風なAmiaの反応も、私はわかってあえてそう告げている。

そこまでを察してくれ、というのは、恐らくまだ子どもの彼女には酷な話か。

 

「なんか…価値観押し付けられてるみたい、っていうか。『こうするのが当然』って思われてるみたいで、ボクだったらちょっとキツいな」

 

雪のお母さんがそう思ってるかは分からないけど、と締めくくったAmiaに、思わず私ではなく、『雪』が出てきてしまっていた。

それは一瞬のことだったが、会話の中では怪訝に思われるには十分な時間だった。

 

「…雪?」

 

「あ、うん。大丈夫だよ。私、そういうのあんまり気にならないから。そういう考えもあるんだって、ちょっと思っちゃって」

 

便利な言葉だ。気にしていないというのは、相手に安心感を与える取り回しのきく言葉。

ただそれは、裏を返せば興味を示していないということにつながりかねない。

多用は厳禁だ。

 

「そっかぁ。ま、人それぞれだし、雪がいいならいっか。…あ、ごめん喋りすぎちゃった。作業に戻るね」

 

「そうだね。私も作業しなくっちゃ」

 

そうして、各々の作業に戻る。

PCの画面左を見て、自分がミュートになっていることをしっかり確認して、ため息を1つ吐き出す。

まふゆの限界が爆発するのが、今じゃなくてよかったと、私は心から安堵していた。

 

 

 

 

 

 

 

〈♪〉

 

 

 

 

 

 

「ふぅ。作業は一旦ここまでかな」

 

区切りのついたタイミングで壁にかけられている時計を見ると、普段通りであればそろそろ夕食に呼ばれる時間帯だった。

 

「お夕飯できたわよー!」

 

「あ、はーい! …じゃあ、Amia。私一度落ちるね。また夜に」

 

「うん! またねー!」

 

その会話を最後に、私は通話を終了させる。

諸々立ち上げていたソフトも一旦終了させて、隠しファイルとして保存されているかを確認して、シャットダウンする。

作業しているデータが入っているファイルを隠しファイルにしているのは、万が一見られても問題ないように。

お母さんは機械類に詳しいわけじゃない。パスワードをかけてロックまでする必要もないだろう。

私が開くのにいちいち面倒くさいというのもあるけれど。

 

部屋を出てリビングへと行くと、その匂いは強くなっていく。

嗅覚は死んでいないため、何かしらやばいものが入っている場合はその時に判断しなければいけないのだが、流石にお母さんは世間一般的に言うと毒親の部類に入るとはいえ、親だ。何かをいれたりはしていない。

まぁ、おいしいと笑顔を浮かべるためには匂いをしっかり確認するのは必要事項だということだ。

 

「わぁ、シチューとっても美味しそう。いただきます」

 

「ふふ、温かいうちに食べてね。あなたも、召し上がれ」

 

「ああ」

 

お母さんはお父さんの隣に。私はお母さんの正面に座る形で、私たちは食事を始める。

口に運んだシチューは、温かいい匂いのする、謎の物体でしかなかった。

 

「そういえば、まふゆももう2年生だな。受験勉強は順調なのか?」

 

「うん。ちゃんとやってるよ。予備校も楽しいし」

 

「お医者さんになりたいっていう夢が叶うといいわね。まふゆならどの大学にでも行けるだろうけど、そろそろ第一志望の大学を決めた方がいいんじゃない?」

 

「…それなんだけどね、お母さん。実は先生から紹介してもらった学校がすごくよさそうなところで、パンフレットを貰ってきたんだ。ご飯食べ終わったら、渡すね」

 

「あら、そうなの? でも、お母さんたちがいいなって思った大学の資料も取り寄せておいたから、そっちも参考にしてね」

 

「まふゆがしっかりと学べそうなところを選んだからな」

 

残念ながら、私のささやかな反抗は気にも留められなく、終わってしまいそうだった。

 

それは中学生の頃。

まだまふゆが、『雪』が自分を見失ってしまう前の話だ。

彼女の将来の夢は、看護師だった。一般的な家庭も将来を考えるタイミング、進路を親に相談する段階で、誰かを助けることのできる仕事として、その職をあげた。

だが、両親から帰ってきたのは、それならば医者を、だった。

両親がそういうのだから、その方が正しいのだと。喜んでくれるのだと、信じて。

 

それを覚えていたからこそ、『雪』に選択肢を少しでも与えられたらと医者も看護師もどちらも目指せるような大学のパンフレットをもらってきたのだが。

両親が持ってきたパンフレットは、『朝比奈まふゆ』がしっかり学ぶことのできる大学らしい。

その分レベルは高いだろうし、知識の流用はできるにしても、医者を目指すふりをしながら看護師を裏で目指すのは、流石に体を壊してしまうだろう。

 

「自由に選んでいいのよ。まふゆが行きたければ海外の大学に行ったっていいし。お母さんたちに遠慮なく相談して」

 

「ああ。まふゆがしたいことをすればいい」

 

「でも、ちゃんと考えるのよ?」

 

「おいおい、まふゆがそのあたりの子供みたいに考えなしに動くわけないだろう。私たちの自慢の娘なんだから」

 

咄嗟に、言葉が出なかった。

あなたたちが言うのか。『したいことをすればいい』と。誰よりも進む道を定めてきたあなたたちが。

 

いけない。気持ちを落ち着かせなくては。

こういったところは、私の短所だ。私が二重人格として生まれて数年。『雪』と最初は本当にかがみ合わせのような思考回路をしていたものだが、こうも時間が経てば変化は生まれていく。

 

凪のような心を取り戻すために、1つ呼吸を挟む。

 

「うん、そうだね。心配しないで。しっかり考えて決めるから」

 

どうやったって、凪ぐことは不可能だったのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

〈♪〉

 

 

 

 

 

 

食事を終え、部屋に戻って数十分。

PCの電源もつけず、部屋の中は真っ暗闇の中で、『雪』は膝を抱えてベッドの上に座っていた。

 

「…うるさいな」

 

無意識に漏れるその言葉。

ここ最近、そういった時期だからなのか、周りの人間が『したいことをしたらいい』と言うようになってきた。

それとは別にして、『さすが朝比奈さん』だと、それぞれの『朝比奈まふゆ』に対する期待を押し付けてくるくせに。

 

「…したいこと。そんなの、あるの?」

 

永遠に帰ってこない自問自答。

副人格たる私にも、その問いには答えられない。私には、誰かの理想像にしかなれない。

 

「…まふゆ」

 

声のする方へ視線をずらすと、机の上に投げ出されるように置かれていたスマホから、ミクの姿が浮かび上がっていた。

 

「…ミク。私…ずっとセカイにいたい」

 

『雪』がそう告げると同時に、彼女の指が音楽アプリを起動する。

そうしてチケット片手に、心休まる場所へと飛び込んでいった。

 

そうして、私たちの身に更に、異常が起きるのである。

 

「…ミク」

 

耳を疑った。自分の隣から、自分の聞きなれた声が聞こえてくるのだから。

パッと右を見ると、私が隣にいることに気づいていない様子の彼女がそこにいた。

 

こうして改めて客観的に見ると、『朝比奈まふゆ』は容姿が非常に整った少女なのだな、と。自画自賛ではなく純粋にそんな事を考えた。

 

ミクの目が点になっていることに気がついた『雪』は、チラリとこちらを見て、僅かに目を見張り私を見た。

 

「…ドッペルゲンガー?」

 

「うーん、今起きてるこの状況が大分現実離れしてるから、その線もあながち間違いじゃない、のかな?」

 

良かった。いつも頭の中に響く『雪』の声のままだ。

とはいえ、本人であるならそれはそれで問題だ。私たちは2人で1人…というか、私がそもそも新しく分裂して出来たような存在なので、別々の存在になる理由が分からない。

 

ああ、いや。以前にミクから説明を受けていた気がする。

『ここはまふゆの想いで出来たセカイ』なのだと。

 

「…ミクちゃん、少し聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 

「うん」

 

「もし私だけが元の場所に戻ろうとした時、私たちはどうなるのかな?」

 

「…多分、片方のまふゆは外で、もう片方はここに残ると思う」

 

よし。それなら問題は無い。

私が外に出て『朝比奈まふゆ』として活動していけば、『雪』のセカイにいたいという願いは叶う。

本当の問題の解決にはどう足掻いても至らない方法だけど、今はそうするしかない。

 

自分のポケットをあさると、半透明でぼやけたスマホが出てきた。

恐らくこれで私はセカイから出ることが出来る。

 

「じゃあ、雪。しばらくこのセカイにいてもいいけれど、満足したら出てきてね。歌詞は私じゃ作れないし」

 

「…うん、わかった」

 

一応伝えてはみたものの、望み薄だろう。

言わないよりマシ、程度だ。

 

後は…私には何も出来ない。

優等生であれと願われた、私には。

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