『雪』がセカイに行ってから1週間が経った。
その間は特に日常に変化は無く、友人からの連絡に応えられないのはスマホが修理中だと誤魔化した。
私が理想通りのままであれば、両親からは特に連絡は来ないからそちらも心配は必要ない。
PCすらも起動しないまま時間が経っていく。
その間『雪』が帰ってこなかったかと言うと、実はそうでも無い。
寝ている間に『雪』が帰ってきたようで、気づいたら体が動いてPCを触っていた。
セカイでアイデアをまとめていたのか、PCを起動したあと猛スピードでタイピングして、わずか2時間で3曲作り上げ、『雪』は何も言わずにセカイへと帰っていった。
PCのメモには、日付が3つ。
「もう、この時間に投稿してってことなんだろうけど…直接教えてくれたっていいのに」
忘れないようにとメモを残してくれたのかもしれないが、これでも『朝比奈まふゆ』を保ってきた自負がある。大抵の事は忘れない。
ひとまずメモを保存し、デスクトップの分かりやすい場所に保存。
そうしてPCをシャットダウンしようとした所で、突然ミクちゃんが画面に映りこんだ。
「まふゆ」
「え、っと…ミクちゃん? どうかしたの? 『雪』なら、今さっきセカイに戻ったはずだけど…」
「まふゆにも来て欲しい」
「私にも?」
ここに来て初めてのお誘いだった。
この1週間で私からセカイに行ったことは無い、というか。
そもそもセカイに行ってもいない。
『雪』がセカイに引きこもる際に、私も巻き込まれるような形で入り込んだ時以来だ。
だからこそ、自分からセカイに入ることへの、恐怖感が芽生えてきた。
「…」
「まふゆ…?」
「…もう、分かったから。そんな目で見ないで」
音楽アプリを起動し、『Untitled』を再生する。
鏡が乱反射するような光に思わず目を瞑ると、次に目を開けた時にはセカイに立っていた。
不思議と覚えるのは、故郷に帰ってきたような、実家にいるかのような感覚。
実際にそんな経験をしたことが無いのに、言い表すならこの表現しか思いつかないような、そんな感覚。
理性が不気味さを訴えているものの、感性は懐かしさを覚える。
気持ちが悪い。
相変わらず何も無い場所だ、と思いながら周りを見渡していると、ミクちゃんと、知らない3人の姿が見えた。
何かを喋っているような気もするが、ここからだと遠すぎる。何を喋っているかは分からない。
読唇術でも学んでおくべきだったか、と極度に限られた使い道しかない技術に無い物ねだりしつつ、そちらへ足を向けた。
「こんにちは」
「あれ、その声…雪?」
ひとまず近づいて声をかけると、各々反応した中で長い銀髪の少女が私の正体を察した。
ニアミスではあるが、それは私たちの事情を知らない限りたどり着けない答えなのだから、まぁ正解みたいなものだろう。
「うん。私のハンドルネームを知ってるってことは、もしかしてK?」
「うん、そう」
「え、雪? でも確かにその声、言われてみれば…」
「なんだか、イヤホン越しに聞いてた声まんまで逆に安心したかも。…見るからに優等生みたいなオーラ凄いし…」
褒められてるでいいんだろうか、それは。
それぞれの声を聞いた限りだと、ピンクの髪色の子がAmia、茶髪の子がえななんだろう。
それぞれの顔を想像したことは無かったけど、違和感はない。
「…ねえ、雪。なんで1週間も音沙汰無しだったの?」
「実は、修理に出しちゃってて。スマホもPCも、運が悪いことにどっちも使えなかったんだよね。今日修理が終わって帰ってきたから、その報告をしようと思ったんだけど、画面にミクちゃんが出てきて…」
「そっか。何かあったんじゃないかって心配してたけど、よかった」
K達が安心したような表情を浮かべるのを見て、若干の罪悪感。
作詞とMIXを行っているのは私じゃなくて『雪』だから、通話に入って私に意見を求められた場合、違和感を覚えられるかもしれない。
声は間違いなく私なのだから、体調が悪いでごまかせるかもしれないけど。
「いやー、えななんがすごい心配しててさ、ここ数日全然作業が進んでなくて」
「Amiaうるさい! あ、いや、心配してたのは嘘じゃないんだけど、その…あぁもう!」
「あっはは! 素直に無事でよかった、でいいじゃん」
通話の時と似たような会話をしている2人を見ていると、背後に気配を感じた。
後ろを振り返ると、そこには『雪』が立っており、私を何か言いたそうな目で見つめていた。
思わず苦笑しながら、こっそり彼女の元へと向かうと、三角錐のようなものの後ろに手を引っ張られた。
「…どうしてここに人がいるの?」
「実は、なんだけど。私も疑問だったんだよね。多分だけどミクちゃんが関わってるんじゃないかな。…これ以降は私の予想だけど、ここは『朝比奈まふゆ』の想いでできたセカイ。そんな場所に他人がいるってことは、私たちにとって必要だからなんじゃないかな」
これは、不純物がこのセカイに入ってくることはまずないだろう、という前提のもと立てられた予想だ。
私たちだけでこのセカイが成り立っているのかはわからないが、どちらにしてもあの3人は私たちにとって必要な存在なんだろう。
『雪』の感情を考えずに判断すれば、そういうことになる。
「ひとまず、ここで隠れててもどうしようもないでしょ? みんなに会いに行こう?」
「…」
私がそう言っても『雪』は動く気配はなかったので、仕方なく手を掴んで3人…いや、ミクちゃんも含めれば4人か。そちらへと歩いていく。
私たちが歩いてくる気配に気が付いたのか、Kがこちらを振り向いて、硬直した。
「え、っと…」
「驚かせちゃった? 実は私たち、双子で」
「このセカイから出て行って。1人にさせて」
残念ながら、私の冗談はスルーされたようだ。
最初に冗談を挟んでおけば、空気が少しは弛緩するのではないかと思ったのだけど、『雪』にとっては不要なものだったようだ。
まぁ、彼女からしてみれば、目の前にいる3人は不純物でしかないということだろう。
「…ひとまず、雪が2人いることは置いといて。何それ。どういう意味? ここから帰りたくないってこと?」
それってまるで、子供が駄々をこねているみたい、とえななんが呟いた。
「…今、言ったでしょ。私は1人でここにいたい」
『雪』の突き放す言い方にえななんが若干イラついているのを確認しながら、Amiaが手を挙げた。
「しつもーん。隣にいる優しそうな雪は、1人になりたいって条件に反しないの?」
「その質問には私が答えるね。ただ、私たちもつい最近分かったことだから絶対にあってるとは言えないけど…向こうの世界で過ごしてる時は、1つの体に私たちはいるんだ。だから、このセカイで2人に別れちゃってるのがむしろ、私たちにとっても異常というか…」
「なるほどね~…」
「じゃあそれって、二重人格ってこと?」
「それに近い、のかな。いつも外に出てるのは私だから、普段ボイスチャットで喋ってるのも私。でも作詞とMIXをしてるのはこっちの私だよ」
流れで私たちの関係を簡単に説明していると、隣から無駄なことを喋るな、と言う風な視線を受けた。
私だってわかってる。『朝比奈まふゆ』としてはこの3人は歓迎していない。
でも、『雪』が変わるにはここしかない。
「…じゃあ、OWNとして活動してるのも…えっと」
「あ、このままだと呼びづらいよね。そうだなぁ…じゃあ、私のことはまふゆって呼んで。ひとまずね」
「分かった。…雪は、OWNとして1人で曲を作っていくってこと?」
Kは複雑そうな顔で、『雪』を見つめる。
唐突に出てきたOWNという単語。それは、Kに誘われる前に『雪』がSNSに曲をアップしていた名前だ。
現在所属しているサークルは4人で曲を作成しているが、OWNは正真正銘1人で作成している。
私はただ中から見ているだけだ。
「ちょっと待って。それって、もうボクたちと一緒に曲を作る気はないってこと?」
「ていうか、OWN? 雪が…?」
「そう。OWNも私。これからは1人でやる。何度も言わせないで」
『雪』の返事にショックを受けたような3人。その中でも1番ショックの大きそうなのは、えななんだった。
何週間か前に、えななんからあるアーティストの布教を受けた時がある。
言葉にできないことを全部形にしてくれる、と。Kの作る曲と似ているが、ひどく冷たく。そんな怖さを孕んでいる曲を作るグループだが、私は好きなのだ、と。
つまり、えななんは本人に布教していたのと同じだった。
「え? じゃあ、この間私とAmiaがずっとOWNのこと話してる時、…え? なんであの時、言ってくれなかったわけ?」
「別に。私は会話に参加してなかったし、言う必要もなかっただけ。あなたと話したいことなんてないから」
「な…にそれ。何も知らないですごいすごいって騒いでる私を、どういう気持ちで見てたわけ? あんたたち2人は!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてよえななん! 雪も、もうちょっとちゃんと話そうよ。ね?」
「私に話はない」
「これはダメだ…ねえまふゆ。まふゆからも何か…」
「うーん、あの時話を聞いてたのは私だし、あの時の感想も、OWNの曲をちゃんと聞いたことがなかったから、嘘は何1つ言ってないよ?」
唐突に振られたが、もうこう言うしかない。これも嘘ではないし。
まふゆが曲を作っている時は基本、私はぼーっとしていることが多い。意識のはっきりしない夢を見ているような感覚だ。
気付いたら曲がアップロードされているし、興味もなかったので、実際にちゃんと聞いたのはあの時が始めてだ。
『こんな曲は作れない』と言ったのも嘘じゃない。
…そういえば、あの時Kに疑われたんだっけ。
これは雪が作ったものじゃないか、って。
歌詞は似ていないのに、曲を作る人間特有の嗅覚…この場合は聴覚とでも表現すればいいのか。
もしかしたら第六感で勘付いたのかもしれないな、と思い返す。
私からも明確な助けを得られなかったAmiaは、えななんを鎮めながら雪の方を向いた。
「ねえ、雪がOWNだとしてもさ、OWNで曲を作りながらニーゴでもやってくのはムリなの? いくらんでも急すぎるし、ボクたちも…」
「ニーゴにいる必要がない」
Amiaの話を遮るように告げられたそれに、AmiaとKは思わず顔を見合わせた。
えななんはまだ怒り心頭だ。
「初めてKの曲を聴いた時は、少しだけ、救われたような気がした。だから、Kの傍で探せば見つけられるかもしれないって思った。でも足りなかった。だからニーゴにいる意味がない」
「救え…て」
「Kと一緒にいても見つからないなら、もう自分で見つけるしかない」
それだけ告げた『雪』は、3人に背を向けて歩き出した。
「ミク。これ以上この人たちと話すことはない。ここから追い出して」
「そう。…あなたは、本当に1人で見つけられるの?」
「……ミクが、私が、まだ私を見つけられるっていうのなら、全部捨ててでも探し出す。私にはそれしか残されてない。もしそれでも見つからないなら、私はもう…消えるしかない」
私の代わりもいるしね、と『雪』は呟いた。
無茶なことを言わないで欲しい。元を辿れば同じ『朝比奈まふゆ』だけど、もう別個体と言ってもいいほどに時間がたった。分裂した直後にその話をされていたら、私も彼女の代わりになれるようにしていたのかもしれないけど。
「あー、もう! あんたさっきから何言ってるのよ! 救われる? 消えるしかない? はっ、バカじゃないの!?」
「んまぁ、言い方はともかく。一度ちゃんと話そうよ。雪もちょっと変だしさ」
「変? 私が変なら、ここにいる全員が変だよ。だって本当は、Kも、えななんも、Amiaも、誰よりも消えたがってるくせに」
思わず、私はこの笑顔を崩しそうになった。
ただ聞いていれば、あなたたちも同様に変なのだから、私だけ言われるのはおかしい、と言い返している場面なのだけど、それを言っているのが『雪』なのが驚きだ。
彼女は他人どころか自分すらも感情を理解できない。
学校生活を送っていると、彼女から一方通行で『わからない』とだけ送られてくることは多い。
そんな彼女が、他人の消えたがっている、なんてことを見抜くなんて。
「どうして私だけが変だなんて言えるの? Amia。あなたはいつも楽しそうにしてるけど、私が言ってることの意味。全部わかってるんでしょ?」
「…ふぅん?」
「…とにかく、もう、疲れた」
『雪』はミクちゃんの目配せすると、ミクちゃんは眉根を下げながら頷き、手始めにとばかりにえななんに手を伸ばした。
「え? ミク…!? ちょ、ちょっと!」
何も言わずに手を伸ばすミクちゃんに驚くえななんだったが、ミクちゃんの手が触れた瞬間、もうそこにはえななんはいなくなっていた。
まるでちょっとしたホラーである。
「え…き、消えた? ミクが触ったら…」
「あなたも」
「わっ!?」
目の前で起きた、人体消失マジックに慄いているAmiaに、間髪入れず触れるミクちゃん。
触れる人間を否応なしに消していくのを見ていると、そういった能力を持っている敵のようだ。
まぁ、能力を持っていることに関しては間違いないのだけど。
でも、ミクちゃんは彼女たちの敵じゃない。そこだけが間違いだ。
「瑞希! っ、待って…!」
そのままKも、ミクちゃんは触れてこのセカイから出していく。
それでもKは、最後まで目線を私たち2人から離さなかった。
まるで、必ず救うと。『雪』どころか『まふゆ』に対してもそう言っているようで。
私は、思わず余計なおせっかいだな、と思ってしまった。