学校二日目。
今日から授業が始まった。高校初の授業は背筋を伸ばし、しっかりと身を入れて受けようと覚悟していたのはオレだけではないと思う。しかし授業初日ということもあって、勉強方針やシラバスの配布などのオリエンテーションが大半だった。
先生たちは政府が運営する進学校とは思えないほどに明るくフレンドリーであり、オレを含め多くの生徒が拍子抜けしたと言うのが正直な感想だろう。須藤に至っては、殆どの授業を堂々と眠って過ごしているほどだ。教師たちはその全てに気づいていただろうが、一切注意する様子は見られなかった。授業を受けるも受けないも自由だから関与はしないという、義務教育を修了した高校生への対応というやつなのだろうか。
授業を受けていて少し意外だったのは禊が真面目に話を聞いていることだった。これは偏見だが、授業中にジャンプを取り出し読み耽るくらいはするのではないかと思っていたが……。曰く『妹がめっちゃ怒るから』ということらしい、絶対にここに現れることは無い
拍子抜けな授業を過ごし、教室全体が弛緩した空気で迎えた昼休み。周囲のクラスメイトは各々に仲良くなった生徒と食堂などに消えていく。そんな様子を横目にオレも禊と堀北に声をかけに行く。
「なぁ、食堂に行ってみないか?」
「いやよ」
堀北は一言そう告げると、どこかへと消えていった。そんな早々に消えなくても……。
『ごめん』『お弁当持ってきちゃった』
禊はそう言うと学生鞄から可愛らしい花柄の……風呂敷? に包まれた弁当を広げ出した。弁当箱の側面には【なじみ】と書かれている。オレがそれを訝しげに見ているのに気づいたのか、禊が説明を加える。
『ああ』『これ姉のお下がりなんだよね』『捨てるのは勿体ないから僕が貰ったんだ』
禊が開いた弁当の中身は、キャラクターのり弁だった。聞くところによると、ネガ倉くん? という漫画の主人公らしいがよく出来ているものだ。
「こういうの得意なのか?」
禊に対して料理ができるイメージを全く持っていなかったオレはつい聞いてしまった。
『姉妹のお弁当を作ってる内にできるようになったんだ』『なんなら清隆ちゃんの分も作ってきてあげようか?』『もちろん材料費は貰うけど』
「……いいのか?」
『もちろん』
「じゃあ明日から頼むとしよう」
どんなおかずがいい? などの弁当の話を二人でしていると、既にクラスの中心となった平田が立ち上がり周囲に声をかけだした。
「えーっと、これから食堂に行くんだけど、誰か一緒に行かない?」
こいつの思考回路、というかTheリア充なところには正直頭が下がる。オレとは違う次元で生きているのだろうと言う確信がある。禊と話しているのは非常に楽しいが、腹も空いてきたところだ、せっかくならついて行こう。そう思いゆっくりと手を挙げようとしていると……
「私も行く〜!」「私も私も!」
途端に平田の周りに女子が集まり出す。挙げかけた手を抑えた。女子が手を挙げるなよ! 今のは確実にオレを狙った呼び掛けだった、食べるものもなく唯一出来た友達と会話するだけの昼休みを過ごすオレに食事する機会と相手を用意してくれていたはずだ。間違いなくあいつはオレに気があるはずだ。目も合っていた気がする、知らんけど。
そう思いながら平田の方を見ていると本当に目が合った。頼む、気づいてくれ。オレという迷える子羊を爽やかイケメンクラスメイトと昼食を摂る一般リア充モブへと進化させてくれ……そう目で訴えていると、平田が口を開いた。勝った、禊には悪いが一足先にリア充への階段を上がらせてもらうぞ。また、オレの勝ちだな……。
「えーっと、綾小────」
オレの訴えに答えるように平田が言葉を発する瞬間。
「早く行こ、平田くん」
ギャルっぽい女子が平田の腕を掴んだ。こちらを見ていた平田の視線は女子に奪われてしまった、そして和気あいあいと教室を出て行ってしまう。オレが、負けた……? 残されたオレは微妙に手と腰を上げた姿勢のままだ、これではまるで横断歩道を渡る老人だな。気恥しさから頭を搔く振りをしたあと再び座り直す。
「いや、オレは今椅子を座り直していただけだぞ? 勘違いしないでくれよ、禊」
『え? なにが?』
意味もなく言い訳してしまったが、幸い、禊は弁当を食べるのに忙しくこちらを見ていないようだった。つまりこの瞬間のオレは誰に見られることも無い孤独だったのか…?
己のぼっちさを自覚し、仕方なく一人で学食に向かう決意をする。一人で入れそうな雰囲気でないようならコンビニでも行こう。
「綾小路くん…と球磨川くん、だよね?」
立ち上がろうとした時、丁度美少女から声をかけられる。クラスメイトの櫛田だ。
自己紹介の時、オレは緊張から周りの挨拶をあまりしっかり聞いていなかったが、彼女の自己紹介は覚えている。特別可愛かったから、というのももちろんあるが、最初の目標としてクラス全員と仲良くなりたいと言っているところが気に入った。相手に仲良くなる気があるなら、オレでも容易に仲良くできると思ったからだ。
「同じクラスの櫛田だよ。覚えてくれてるかな?」
「何となく、だけどな。何か用か?」
『当然覚えてるよ!』『君の話した内容』『挙動』『その全てを覚えてる!』『君のことはクラスメイトの中で特に気に入っていると言っても過言じゃない!』
「ふふっ、ありがとう。嬉しいな」
禊からの過剰な覚えているアピールを笑顔で受け流した。中々な美少女スマイルだな…と感心していると、実は、と話を始めた。
「少し聞きたいことがあって……もしかして綾小路くんたちって、堀北さんと仲がいいの?」
『そりゃもちろん』『互いにくまちゃんすずちゃんと呼び合う仲さ』
「これは嘘だ、オレはそんな呼び方呼ばれ方をしてるところを見たことは無い」
禊の発言に対して訂正を挟み言葉を続ける。
「仲がいいって言うのは間違いないな、あいつがどうかしたか?」
どうやらオレたち目的ではなく、堀北に用があったらしい。
「あ、うん。その、一日でも早くクラスの子とは仲良くなりたいじゃない?」
『まぁそうだね』
「でしょう? だから一人一人に連絡先を聞いて回っているところなの、でも堀北さんには断られちゃった」
『それは許せないね!』『櫛田さんみたいないい子の申し出を断るなんて!』『僕が強く叱っておくよ!』
禊がそう憤ったように言うが、こいつが堀北に勝てる姿は想像できない。
「ふふっ、叱るまではしなくてもいいよ? 入学式の日も、学校の前で三人で話してたよね?」
確かに櫛田も同じバスに乗っていた気がする。それなら学校の前でのやり取りを見られていても何も不思議なことは無い。
「堀北さんってどういう性格の人なのかな。友達の前だと色々なこと喋ったりする人?」
「いや、人付き合いが少し苦手なタイプだと思う」
『僕たちも昨日知り合ったばかりだし』『あまり助けにはなれないと思うな』『ごめんね』
「ふぅん……そうなんだ。てっきり同じ学校出身か、昔からの知り合いかと思っちゃった。こちらこそごめんね、いきなり変なこと聞いて」
『全然構わないよ』『それにしても』『なんで僕たちの名前を知っていたんだい?』
「なんでって……自己紹介してたじゃない? ちゃんと覚えてるよ」
禊はともかく、オレの箸にも棒にもかからない、無味無臭の自己紹介を覚えていてくれたとは……なんかもうそれだけですごく嬉しかった。
「改めて、よろしくね。綾小路くん、球磨川くん」
オレたち二人に交互に手を差し出してくる。少し戸惑ったがズボンで手を拭いてから手を握った。一方禊はハンカチでしっかりと手を拭いていた。そんなことされたらオレの印象が……まぁいいか。
『よろしく!』『櫛田さん!』
「よろしく、櫛田」
禊と二人で櫛田の背中を見送り、時計を見ると昼休み終了まで残り30分。オレもそろそろ学食かコンビニに向かうべきだな。禊に一声かけて、教室を出ることにした。
◇◇◇
『ごちそうさまでした』『っと』
手を合わせそう言うと弁当箱を片付ける。今日はなかなかいい出来だったな、と一人満足して頷く。ふと後ろを振り返ると、いつの間にか堀北が帰ってきていた。
『あれ!』『堀北ちゃんじゃないか!』『いつの間に戻ってきてたんだい?』『声をかけてくれれば、孤独にサンドイッチを齧る必要もなかったのに!』
堀北から発される話しかけるなオーラを全て無視して言葉を続ける。
『ねぇねぇ、それ何サンド? ハム? タマゴ?』『そんなキッズが食べるようなのより僕は断然ツナ派かな!』『あぁもちろん君の嗜好を馬鹿にするわけじゃないよ?』『僕だってタマゴやハムは好きさ』『でもね──』
「その話、いつまで続けるつもり?」
汚物を見るような視線と冷徹な声、本気で嫌だったのだろう。堀北とて、ここで食べればこうなることは理解していた。昨日から今日にかけて常に鬱陶しく話しかけてくるのだから。分かっていて、球磨川の居ない場所で食べれば良いとは言っても、それは逃げるようなもので堀北のプライドは許さなかった。
ここで球磨川を螺子伏せることだけが、堀北を自由にできる。しかし、こと球磨川を前にしてプライドなどちっぽけなものだ。本当に取るべき手段はノータイムでの逃走、近づくことが失敗である。
『おいおいおい』『もしかして怒ってるのかい?』
気持ちが一切分からないと言ったふうに口を開く。その表情は何よりも鬱陶しい笑顔。
『確かに僕は理不尽な怒りを向けられることには慣れているけれど』『そうも
『だから僕は悪くない』
まぁまぁな正論。実際、牙を剥き続けるのは良いことではない、そんな球磨川からの言葉を前に堀北はひとつため息をつき。落ち着いて言葉を紡ぐ。
「私は、別に怒っていないわ、ただ食事中に過剰に声をかけるのをやめて欲しいだけよ」
これもまた正論、堀北は一言だって怒っているなんて言っていないし、食事をしている人間に過剰に話しかけるのだってあまり良いことではないだろう。食事中はなんというか救われてなくっちゃならない、と古来より言われているのだから。
『そっか』『会話できるのが楽しくていっぱい話しちゃったよ』『こんなに楽しいことで僕が悪いわけないよね』
一切悪びれる様子もなくニコニコと笑う球磨川を無視して、黙々と食事を続ける堀北。堀北の対応は正しい、球磨川を螺子伏せることが出来ないのであれば、そもそも議論を無かったことにするべきだった。堀北が怒っていないのであればこの話はそもそも存在しなかったのだから。
麗らかな陽射しの差し込む教室で、暖かなコミュニケーションが終わった時、丁度放送が流れ出した。
「本日、午後5時より、第一体育館の方にて、部活動の説明会を開催いたします。部活動に興味のある生徒は、第一体育館の方に集合してください。繰り返します、本日──」
部活動、負け犬として生活を続けてきた球磨川には今まで無縁の話だった。
『ねぇ堀北ちゃん──』
「私は部活動に興味無いから」
『僕まだ何も言ってないんだけど?』
「じゃあ、何?」
『いや』『えーと』『月が綺麗だね?』
「まだ昼だし、私は絶対に何があろうとあなたとは死にたくないわ」
『随分と頑なな拒絶だね』
はぁ、と堀北がため息をついた。
「私は行かないけれど、部活を見に行きたいあなたはどこかに入部するつもりなのかしら?」
『いや〜、どうかな。僕は入ってみたいけど相手が嫌がるから』
「確かに、あなたみたいな信用出来ない人間を部に入れるのを嫌がる人は多そうだものね。私だったら絶対に入れたくないもの」
絶対を強調して伝えてくる。──実際、僕みたいな負け犬を穏やかに受け入れる部なんて、僕を入れざるを得ないくらい切羽詰まってるということだよね。
『部活はしたことないけど生徒会長ならしてたことあるよ』
「あなたが……? 生徒会長……?」
信じられないものを見る目で僕を見る堀北ちゃん。
「冗談でしょう?」
『いやマジマジ』
「あなたみたいな人を支持する人がいるとは思えないのだけど」
The怪訝、と言った目をしている。堀北からすれば、球磨川の言葉が信じられないのも無理はない。
「生徒会……か。そうね……」
堀北は何を思ったのかブツブツと何かしらを呟くとこちらを見据えて言った。
「放課後、少しだけで構わない? 付き合うの」
『付き合う!?』『僕と付き合ってくれるのかい!?』『こんな愛の告白受け──』
「違うわ、部活動説明会のことよ」
『なんだそっちか……』『別に構わないよ』『元々そんな長居するつもり無かったし』
球磨川はテンションを忙しなく上下させ堀北の申し出に応えた。もとより、長居したところでどこにも入るつもりはなかったので大した問題ではなかった。
『にしてもいいの?』『てっきり僕は堀北ちゃんに嫌われてるものだと思ってたけど?』
「あら、別にあなたのことは嫌いじゃないけど? ただあなたに対して関心がないだけよ」
『………』『それって嫌うより酷くない?』
◇◇◇
そしてあれよあれよと放課後、球磨川と堀北は体育館へと来ていた。綾小路も誘ってはみたのだが、須藤達と説明会に参加すると断られてしまった。
『堀北ちゃん堀北ちゃん』
「何かしら」
『デートみたいだね♡』
顔を赤らめた球磨川が顔に手を当て言う。
「帰るわ」
『ちょちょちょ』『待ってよ!』『ちょっとした冗談じゃないか』
早々に体育館を退出しようと踵を返す堀北を引き止める球磨川。
「笑えない発言は冗談とは言えないわ」
それに対し嫌悪感を露骨な表情に出す堀北、それを前に動じず話を変える。
『にしても』『結構人いるんだね』
一年生と思われる生徒が100人近く集まっている体育館全体を見渡してみると前の方に綾小路がいた。手を振ってみるもこちらに気づく様子はない。少し後方で説明会の開始を待機している球磨川からはよく見えるが、綾小路から気づくことは難しいのだろう。
「この学校って有名な部活動とかはあるのかしら。例えば…空手とか」
入口で配布された部活動の詳細について書かれたパンフレットを興味なさげに開く球磨川に声をかける。
『うーん、これによるとどの部活動も高いレベルらしいね』『なんか設備がいいとかなんとか』『空手部はないみたいだよ』
「……そう」
『なになに?』『空手部入りたかったの?』
「いいえ、気にしないで」
『………』『にしてもあれだよね』『未経験で部活入るのってハードル高くない?』『僕みたいな負け犬は論外だけど』『経験もなしに活躍できるとは思えないんだけど』
「それは努力次第でしょう? 一年二年と鍛錬を積めば、誰にでも可能性はあるわ」
『えー』『鍛錬とか全然やる気にならないよ』
「まぁ、あなたはそうでしょうね。雰囲気が既に努力を嫌ってそうだもの」
『雰囲気が、ねぇ』
ここ2日で正しく球磨川禊を認識できていると言う他にない。
「一年生の皆さんお待たせしました。これより部活代表による入部説明会を始めます。私はこの説明会の司会を務めます、生徒会書記の
司会の橘と言う先輩の挨拶の元、ずらりと部の代表者がステージ上に並ぶ。屈強そうな柔道着を着た先輩から、綺麗な着物を着こなした先輩まで様々だ。
「一度、運動部にでも入ってみたら? 柔道とかどうかしら? 随分と優しそうな先輩だし、あなたでも馴染めるんじゃないかしら」
『確かに優しそうだけど僕なんて指が触れただけで殺されちゃうよ』
「柔道なんて楽勝だ、と笑っていたと伝えておくわね」
『この学校で殺人事件が起きても僕は悪くないからね』
次々入れ替わりで部活動を紹介していく先輩たちに二人並んで目を向けていると、堀北の体が大きく跳ねた。顔を青くし、舞台のほうを見入っている。
『ん?』『どうしたの?』
そのことに気づいた球磨川が声をかけるも、それに気づく様子はない。
『おーい』『堀北ちゃん?』
何度声をかけても気づく様子はない。まあそういうこともあるか、と球磨川は再び舞台上へと目を向ける。部活動の紹介をしているのは野球部だった。その内容に特筆するようなことはなく、部活動の活動時間だとか魅力だとか。もちろんその全てにそこまでの興味を持っていない球磨川は聞き流している。
そして舞台上から説明を終えた先輩が一人、二人と降りていき、遂に残るは一人のみとなる。そこで初めて、球磨川は堀北の見ている人物がその男だということに気づいた。
身長は170ほど、細身の体に、サラリとした黒髪、かけている眼鏡が知性を覗かせる。そしてなによりも球磨川を驚かせたのは
『いかにも
その完璧さを前に、頭の中で妹の姿を思い浮かべる。ついて口から出たのはそんな言葉だけだった
「当たり前…よ」
球磨川から漏れた言葉に堀北が反応する。その青い顔に、驚き、萎縮、不安、喜び、そんな感情が
その表情が向けられた舞台上の生徒はマイクの前で微動だにしない。説明会を観覧する中で弛緩した賑やかな空気の中、舞台上に立ち一言も発さない。
「がんばってくださ〜い」
「カンペ、持ってないんですか〜?」
「あははははははは!」
そんな声が一年生から投げかけられる。それすらも一切届いていないかのように、ただ、じっと立ち尽くすだけ。そのうち、笑いも徐々に白け始める。それでもただ立ち尽くしている。
そのうち、館内全体の空気が一変していく。張り詰め、一言だって発することを許されないような、恐ろしい静寂。
そんな中、その空気に気づかない球磨川が大声で野次を飛ばそうと構えだす。
『だいじょ────』
「やめなさい」
必死、と言った様子で顔を青くしたまま球磨川の腕を掴む堀北。その様子を見た球磨川は仕方ない、とばかりに抑えた声で堀北に話しかける。
『………』『ごめんごめん』『わかったから落ち着いてよ』
そんなやり取りをして三十秒ほど経った時、全体を見渡しながら壇上の生徒はゆっくりと演説を始めた。
「私は、生徒会会長を務めている、堀北学と言います」
隣に立つ少女と同じく、堀北と名乗った男が壇上で演説を続ける。
「生徒会もまた、上級生の卒業に伴い、1年生から立候補者を募ることとなっています。立候補に特別な資格は必要ありませんが、もしも生徒会への立候補を考えているのなら、部活への所属は避けて頂くようお願いします。生徒会と部活の掛け持ちは、原則受け付けていません」
柔らかい口調。しかし、そこから発される緊張感は確かに場を支配していた。100人を超える一年生を有無を言わせず黙らせる圧力。
この力は、生徒会長だからと言って発せるものでは無い。それは堀北学という個人の持つ力だ。
もちろん、球磨川にも同じことは出来るだろう。しかし、球磨川とは正しく質が違う。完全と負完全、その差は非常に大きなものだった。
そして、場を支配する空気はより一層重いものへと変わっていく。
「それから───私たち生徒会は、甘い考えによる立候補を望まない。そのような人間は当選することはおろか、学校に汚点を残すことになるだろう。我が校の生徒会には、規律を変えるだけの権利と使命が、学校側に認められ、期待されている。そのことを理解できる者のみ、歓迎しよう」
淀みなく演説を終えると、真っ直ぐに舞台を下り体育館を出て行った。球磨川を含めた、その場にいる一年生は声を出すことも出来ず、生徒会長を見送る事しか出来なかった。球磨川が声をあげなかったのは、堀北に腕を掴まれていたというのもあるが、それでも異常な事だ。
「皆さまお疲れ様でした。説明会は以上となります。これより入部の受付を開始いたします」
のんびりした司会のおかげか、張り詰めた空気がゆっくりと霧散していく。
「また、入部の受付は4月いっぱいまで行っていますので、後日を希望される生徒は、申込用紙を直接希望する部にまで持参してください」
そんな司会の声を皮切りに、三年生達は部活申し込みの受付を始める。
「………」
堀北は依然として立ち尽くしたまま動く気配はない。
『堀北ちゃん?』『どうしたの?』
周囲のざわめきも、球磨川からの呼び掛けも、全てが耳に届いていないようだった。
『堀北ちゃーん?』『そろそろ帰らない?』
「えぇ……そうね」
球磨川からの声にやっと気づいた堀北は出口に向けて、歩き出した。
◇◇◇
『堀北ちゃん、良い物見せてあげようか?』
二人並んで寮へと向かう道のり、球磨川が不意に言い出した。
「……急に何?」
訝しむように球磨川の顔を見る堀北。先程までの説明会が冗談のように、いつもの無表情になっている。
『いやぁ、ほら』『元気なさそうだから、面白手品でも見せてあげようかなって』
「あなたにそんな気遣いをする能力があったなんて、驚きだわ」
堀北の鋭い一言を受けた球磨川はイタズラを思いついたとばかりに口をゆがめる。
『ならもっと驚いてもらおうかな』
ヘラヘラと球磨川がそう言うと、くるりと一回転し、どこからが巨大な螺子を取り出した。
『種も仕掛けもございません』『ってね』
「………!?」
無表情はどこへやら、驚愕に顔を染められた堀北が球磨川の全体をジロジロと観察する。どこにもそんな螺子を入れられるところはないし、何故そんな大きな螺子を持っているのかも分からない。
『そんな見られると照れるぜ』
「ど、どうやったの? そんな大きな螺子を隠しておく場所はないと思うのだけど?」
動揺を隠せないままに球磨川に聞く。誰だって巨大な螺子が無から生まれればこうなるだろう。
『種も仕掛けもございません』『って言ったろう?』
「限度があるでしょう」
うーん、と悩む素振りを見せ、簡潔に言った。
『なんか出せるんだよね』
「なんか出せる……?」
なんか出せる、と説明しながら螺子を堀北の死角に持っていく。
『なんか消せる』
そう言う球磨川の手の中には、先程までの螺子が嘘のように何も持っていない。
「なんか消せる……?」
その手をポケットに入れ、手を出すと小さな螺子が多く握られていた。
『小さいのも出せる』
「小さいのも出せる……?」
小さな螺子を取り出し、ポケットに戻す。
『小さいのも消せる』
困惑の収まらない堀北を前に謎の螺子を続々と出している球磨川、普通なら信じられないような事だ。しかし、目の前で起こっている以上は、現実だと受け入れる他ない。
『ほら』『ポケット触ってみてもいいよ』『ないから』
言われるがままに触り、手を入れてみる堀北。しかし、螺子らしきものは入っていない。
「本当にないのね……」
『もちろん本当さ』『嘘つくようなことでもないだろう?』
「いや、嘘というか……現実よね?」
本気で信じられないといった様子で疑う堀北をよそに、球磨川はヘラヘラと言う。
『堀北ちゃんが元気を取り戻したみたいでよかったよ』
「元気……私は元から元気よ、今はそれ以上に驚いているわ」
『え?』『何に?』
「目の前で起こっている非現実に、よ」
動揺したままの堀北に、おいおい、と言いながら顔を覆う。
『これだって僕の個性だぜ?』『差別するなよ』
「個性……えぇ、確かに個性ね。もうそれでいいわ……」
現実に起こっている異常に頭痛が起こるのを感じながらも、堀北はそういうものだと受け入れる。その上で忠告する、と言葉を続けた。
「その個性、人前で使わない方がいいわよ。どこで誰が見ているか分からないし、そもそもそんな大きな螺子、危ないから」
『まぁ堀北ちゃんがそう言うなら……』
堀北からの忠告を聞き終え、球磨川が新たな話題を出す。
『さっきの生徒会長』『堀北ちゃんのお兄さん?』
生徒会長、というワードが出た途端、堀北の表情に影が落ちる。
「……えぇ、そうよ。生徒会長は、堀北学は私の兄」
『お兄さんのことが随分怖いみたいだね』
「そんなこと、ないわ」
言葉に詰まりながら否定する。
『仲悪いの?』
「……あなたに話すようなことじゃない」
少しの間をおいてそう答える。その間がなによりも如実に語っていた。
『ふーん』『仲悪いんだ』
「詮索、しないでちょうだい」
『………』『ごめん』
「別に、構わないわ」
弱々しく、あまりに悲しそうな顔をする。そんな見慣れない堀北を前にして、球磨川は何も言えなくなってしまった。