誤字報告ありがとうございます。非常に助かっています。
死ぬほどの遅筆でお待たせしてしまい申し訳ありません。
失敗した。迂闊だった。というかこんなところまで着いてくるとかストーカーかよ、最悪。
内心で悪態をついてもこの現実は変わらない。分かってはいるが後悔が止まない。
あぁ、よりにもよって何故こいつに見つからなければいけなかったのか。
『やあ
目の前に立つこの男以外ならどうにかなったかもしれないのに。
◇◇◇
「……ここで…何してるの」
渦を巻く思考を抑え、動揺を表に出さないよう努める。私の経験上、こういう最低な男は動揺を表に出せば更に調子に乗るものだ。
『何してるのって』『別に何も?』『君が「あ──ウザイ、
ニヤニヤと
「聞いたの……」
『何も聞いてないよ』
「そんなわけ…」
『なーんて!』『嘘嘘!』『あはは、もしかして信じた?』
ウザイウザイウザイ、ニヤニヤと楽しそうな表情をするな。
「今聞いた事…誰かに話したら容赦しないから」
球磨川がその表情を崩さないまま問いかけてくる。
『へー』『もし話したら?』
「あんたにレイプされそうになったって言いふらしてやる」
『そんな……』『ひどいよ!』『冤罪じゃないか!』
急に涙を流しながら訴えかけてくる。訳が分からない。
「大丈夫よ、冤罪じゃないから」
そう言いながら球磨川の手を取り、胸に当てる。本当に本当に気分が悪い、だが背に腹はかえられない。
「あんたの指紋、これでべっとり着いたから。証拠もある。私は本気よ、わかった?」
球磨川の手からは一切の抵抗が感じられない。
『ははは』『その程度の脅しが効く僕じゃない』『分かったら』『この手を放した方が良いんじゃない?』
「……赤いけど」
飄々と余裕のあるような口調で括弧つけてる癖に、球磨川はその顔を真っ赤に染めていた。ムカつく。
『は?』『何が?』『顔なんて全然赤くないけど?』
「誰も顔なんて言ってないけど?」
球磨川は顔を赤くしたまま『また勝てなかった』と呟いた。
『僕の顔色の話は別にいいでしょ!』
ごほん、と咳払いを一つすると口を開いた。
『それで?』『どっちが本当の君なの?』
「……そんなこと、あんたには関係ない」
こいつに何を話したって意味は無い。こんな誰からも嫌われ
『関係あるよ!』『だってこれから僕たちは互いに弱みを握りあう仲なんだよ?』『どっちが本当の君かで僕のモチベーションに関わってくるからさ』
「はぁ?」
『僕としては〜』『コンプレックスに塗れたみっともな〜い姿の君が』『一番好みなんだけど』
「私はあんたみたいな陰湿で気持ち悪い負け犬が大嫌いだから、二度と好みとか言わないで」
球磨川は依然としてこちらを見ている。私の弱点を見透かすように、気持ちの悪い笑みを浮かべている。
不快だ。不愉快だ。
そして、何よりも不快なのはそれが心地よいことだ。
私には幼い頃から強いコンプレックスがある。私は誰にも
その現実を認めたくなくて、嫌で嫌で嫌で、その末に辿り着いたのが全ての人から《信頼》を勝ち取り《
バカバカしいと思われるだろう。
だが、この男はそれを見透かしながら私の弱さを受け入れている。受け入れてくれる。分かる、分かるのだ。今までの対人関係が、私の積み重ねた経験が否が応に
そしてなにより、絶対に球磨川に負けることのないことが、私のコンプレックスを刺激しない現実が、この男から《信頼》を得る必要が無いことが、何よりも心地いい。
『安心してよ』『僕は君に勝てないから』
球磨川の言葉一つに安心を覚えてしまう。
『大丈夫だよ』『それも君の個性だ』
球磨川の動き一つが心地良い。
『立派な君の』『
そう言いながら球磨川
ひどく気分が
「もう、いい。黙って…これ以上球磨川くんと話してるとおかしくなりそうだから」
『僕は悪くない』
「……っ、私が言いたいのは一つだけ。今ここで知ったことを誰にも話さないって誓えるかどうか」
『もちろん』『誰にも話すわけないだろう?』『大切な友達の秘密なんて』
耳元で球磨川くんが私に甘く囁いた。球磨川くんの口から出る甘言が私の心を溶かすのを感じる。私が今まで多くの人にしてきた行動を、他でもない自分自身が受けている。
『僕は君の味方だ』
分かっているのだ、頭では。この男を信用してはいけない、信頼してはいけないことは。
「……わかった。球磨川くんを信じる」
結局、私に言えるのはそれだけだった。
『あーよかった!』『これで僕たち友達だね!』『櫛田さんなら僕と仲良くしてくれると思ってたんだよ!』
「本気で言ってる?」
『もちろん!』『それに……』
「何?」
球磨川くんが楽しそうに口を開く。
『ほら、おっぱい触らせてくれたし!』
反射的に球磨川くんの太ももに蹴りを入れてしまった。球磨川くんが飛ぶように階段を転げ落ちていく。
「ちょっ、大丈夫!?」
『平気平気、僕はこういうことには慣れてるんだ』
「全然平気じゃないでしょ、蹴った私が言うのもなんだけど」
『ははっ』『こういう理不尽は受け入れるって決めてるからね』
「ふーん、やっぱ球磨川くんのそういうとこ好きになれないや。それと、今のは理不尽じゃないから」
今のは理由のある暴力だった。そもそもあれは焦ってやってしまっただけだし、脅さなきゃ言いふらしそうな球磨川くん側に問題があるのであって……。
とりあえず、間違いなく。
「私は悪くない」
◇◇◇
そんな
二人がなんの話しをしていたのかはあまり聞くことが出来なかった。こちらに気がついた禊が、櫛田の注意を集めてくれなければオレも見つかり、面倒なことになっていただろう。あの櫛田の様子からして、オレたちが普段見ている櫛田には裏があるということだけを頭の隅に置いておく。
櫛田の裏側、赤点組、孤立する堀北。依然として何を考えているか分からない禊。明日からのDクラスがどうなっていくのか。どこか他人事に感じながら、オレはグループチャットからの通知が止まない携帯を開いた。
チラリと履歴を見てみれば、佐藤が参加していた。確かクラスのイケイケ女子だ。
チャットで盛り上がっている話題は堀北を虐めないか、というものだった。
流れるチャット欄を見ていると、オレにも誘いが来ていた。
〘ねぇ、
〘綾小路は堀北に夢中だから無理じゃね? 〙
〘お前、俺たちと堀北、どっちの味方に着くんだよ〙
みんなが堀北に対し、苛立ちを覚えるのも分かる。あんなに酷い対応を取られれば嫌いにもなるだろう。だからと言っていじめをしようというのは悪質で陰湿だ。
〘既読ついてるんだから見てるよな? おーい、綾小路はどっちの味方だよ〙
〘オレはどっちの味方もしない。お前らが堀北を虐めても止めはしないよ〙
〘出た中立。一番ずるいパターンw〙
面倒だ。ただ皆は堀北を餌にそこから生まれる連帯感、安心感を感じたいだけ。須藤たちは特にそうだろう、退学への不安感を誤魔化しているだけだ。
これ以上無駄なやり取りをするだけ時間の無駄。手っ取り早く終わらせよう。
〘櫛田がこの話を聞いたら、お前嫌われるな。ワラ〙
それだけ送信して携帯を閉じる。すぐに着信が鳴るが放っておく。櫛田に嫌われるとなれば池たちは何もしないだろうし、佐藤も協力がないまま行動を起こすことはないだろう。
部屋の窓を少し、開ける。植えられた木々から虫の声が聞こえる。ジ────と鳴いているのはクビキリギスだろうか。微かに吹き付ける夜の風が、小さく窓を揺らした。
入学式の日、堀北と禊に出会って、それが偶然同じクラス。気がつけば須藤や池たちと友達になってて。おまけに学校の罠に掛かりどん底で不良品扱い。
それを改善しようと動いた堀北は持ち前の性格が災いして孤立を深め、今に至っては周りが陰湿ないじめの話で盛り上がっている。
そんな状況を誰よりも間近で見ていたはずなのに、オレはどこか他人事に感じている。自由であることにピンと来ていないんだ。
【私は、見知らぬ他人の役に立つために生まれてきた】
思い出したくもないのに、その言葉が俺の頭を過ぎる。いつまでも消えない記憶の中の映像。
「オレは悪くない…悪くないはずだ」
外から聞こえる虫の声が、やけにうるさく感じた。
◇◇◇
何となく寝付けなかったオレの元に、禊からメッセージが来た。
〘『清隆ちゃん!』『ちょっと今からエントランスまで来れない?』〙
急な呼び出しに驚いたが、何かあったのかもしれない。オレは身体を起こし、部屋を出た。
エントランスまで降りると、ちょうど禊が外で手を振っていた。
「どうしたんだ? 禊」
『まあまあ』『ちょっとついて来てよ』
禊に言われるまま後をついていくと、寮の裏手の角を曲がるところで聞き覚えのある男女の声がする。
角からチラリと覗くと、制服姿の堀北と生徒会長が話をしているようだった。
「これを見せたくて呼んだのか?」
『いや?』『たまたま見かけたから見てるだけ』
禊はそう言うと再び角から顔を覗かせ、様子を見る。
「もう、兄さんの知っている頃のダメな私とは違います。追いつくために来ました」
「追いつく、か」
兄さん? 通りで苗字が同じなわけだ。
「Dクラスになったと聞いたが、3年前と何も変わっていないようだな。ただ俺の背中を見ているだけで、お前は自分の欠点に気づいていない」
「それは……何かの間違いです。絶対にAクラスに上がって見せます。そしたら────」
「無理だな。お前はAクラスには辿り着けない。それどころか、クラスは崩壊するだろう。聞いたぞ、お前がいながらDクラスはクラスポイントをひと月で失ったらしいな」
「それでも、絶対に辿り着きます……」
あまり仲は良くなさそうだな。部活動説明会で見た時のまま、外にも身内にも厳しいタイプに見える。その表情には一切の感情が無く。ただ興味のないものを見る瞳をしていた。
『兄妹仲はあまり良くなさそうだね』
「みたいだな」
禊も同じ意見なようだ。そういえば、禊にも妹がいるらしいな。仲の悪い二人を見て思うところなんかもあるんだろうか…。
「無理だと言っただろう。本当に聞き分けのない妹だ」
堀北の兄貴は無抵抗な妹の手首を掴み、強く壁に押付けた。
「どんなに俺を避けたところで、俺の妹であることに変わりはない。お前のことが周囲に知られれば、恥をかくことになるのは俺だ。今すぐこの学校を去れ」
「で、出来ません……っ。私は、絶対にAクラスに上がってみせます……!」
堀北は抵抗しないまま、言葉を返す。
「愚かだな、本当に。昔のように痛い目を見ておくか?」
「兄さん──私は──」
「お前に上を目指す資格はない」
堀北の身体がグッと前に引かれ、宙に浮いた。直感的に危険だと判断する。禊とチラリと目を合わせ二人で物陰から飛び出すと堀北の兄貴に迫った。
気配を悟られる前に、禊が堀北の手首を掴む兄貴の右腕を掴みとり動きを制限した。
その隙にオレは堀北と兄貴の間に割り込む。
「────なんだ? お前たちは」
掴まれた自分の腕を見た後、ゆっくりオレたちへと鋭い眼光を向けた。
『鈴音ちゃんの』『今カレでーす!』『なんちゃって』
禊は兄貴の腕を掴んだままヘラヘラと嘘をつく。堀北の兄貴の無感情な表情が少し歪んだように見える。
「く、球磨川くん!? それに綾小路くんまで!」
「……盗み聞きとは感心しないな」
『いやぁ、可愛い妹をコンクリートの上に投げるよりは結構マシだと思いますけど』
「いいからその手を離せ」
『あはは』『なんか嫌そうですね』『もしかしてさっきの嘘信じたんですか? (笑)』
禊と兄貴が睨み合い、少しの間沈黙が生まれる。
「やめて、球磨川くん……」
後ろから堀北の絞り出すような声が聞こえた。こんな状態の堀北は初めて見る。
『……』『ま、堀北ちゃんがそう言うなら』
禊が渋々、と言った様子で手を放した。その瞬間、とてつもない速度の裏拳が禊の顔面に飛んでいく。
裏拳は見事に禊の顔面にクリーンヒットした。後ろに勢いよく吹き飛び、柵にぶつかる。
「おい、大丈夫か」
声をかけるも、返事がない。返事がないままにフラフラと立ち上がりだす。
『いったいなぁ』
ぐにゃぐにゃと、重心をどこに置いているのか分からない。ともすれば軟体動物のような、気持ちの悪い立ち上がり方。
「悪かったな。腕を振ったら
兄貴が平然と言う。
『いやぁ、構いませんよ』『こういうことには慣れてますから』『それにほら』
禊も鼻血を垂らしながら当たり前のように言う。
『僕は悪くないっ!』
言い切ると同時、どこからか取り出した巨大な螺子を兄貴へと投げる。完全な不意打ち、確実に数瞬後には突き刺さる速さで飛んでいく。
「……ふっ!」
間違いなく当たる軌道だった。しかし、それを反射的に兄貴が防ぎに動く。無駄のない動きで飛来する螺子を即座に叩き落とすと、禊へ追撃をしようと動きだす。これ以上はマズイ。
「やりすぎだ」
兄貴の腕を掴み、動きを抑制する。これ以上続ければどちらかが大きな怪我をするところだった。間違いなくそうなる、この二人にはそれだけの気迫があった。
『いやぁ、すみません』『
禊が堂々と口にする。常に変わらない、いつもの笑顔だ。
「構わん。……変わった得物だな。どこから出したんだ?」
兄貴の方も表情を崩さないまま武器の出処を質問する。気づけば先程落ちた螺子も消えているし、オレも気になる。
『別に』『ちょっとした手品ですよ』
「……そうか。お前たちもDクラスか? 中々ユニークな男たちだな。鈴音」
兄貴はゆっくりとこちらに向き直った。
「鈴音、お前に友達がいたとはな。正直驚いた」
「彼らは……友達なんかじゃありません、ただのクラスメイトです」
「友達だろ」
『友達だよね?』
オレたちからの言葉を完全に無視。否定するように、堀北は兄を見上げる。
「相変わらず、孤独と孤高を履き違えているようだな。それからお前たち、
そのままオレたちの横を通り過ぎ、闇へと消えていく。
「上のクラスに上がりたければ、死に物狂いでもがけ。それしか方法はない」
堀北の兄貴が去り、夜の静けさに包まれた。堀北は壁際に座り込んで俯いている。家族間の問題に頭を突っ込むわけにもいかないか、禊にアイコンタクトを取り黙って寮に戻ろうとすると、堀北に呼び止められる。
「あなたたち、最初から聞いていたの……? それとも偶然?」
「偶然つーか、オレは禊に呼ばれて来ただけだからな」
「球磨川くんは……?」
どこから出したか分からない巨大な螺子を椅子代わりに腰掛けながら禊が笑う。
『もちろん偶然だよ』『なかなか寝れないから清隆ちゃんでも呼んでコンビニ行こうかなと思ったら』『たまたま堀北ちゃんを見かけてね』『あ、堀北ちゃんも行く?』
そんな用件だったのか…。
「行かないけど……これ使って」
堀北は禊の誘いを無下に断りながらティッシュを差し出した。
「鼻血、出てるわよ」
『ありがとう!』『こんなに優しくされたのは初めてだよ…!』『このティッシュは一生使わず宝物にするね!』
いや、使えよ。
「あなたたちには、変なところを見せてしまったわね」
『変?』『いやいや』『むしろ堀北ちゃんが普通の女の子ってことがわかって良かったよ』
堀北に睨まれるのも気にせず禊が続ける。
『それに』『あれくらいの兄妹喧嘩なら僕も良くしてたし』『いつも負けるのは僕だったけどね』
禊の妹を見たことは無いが、妹の前に倒れ伏す禊の姿はありありと想像出来る。まあそんなことはいいか。
「そろそろオレたちはコンビニ行くか」
『ん』『そうだね』
「私は部屋に戻るわ、また明日」
オレたちに背を向け、コンビニとは反対にあるエントランスへと堀北が歩いていく。
「堀北、本当にもう勉強会はいいのか?」
つい、声をかけてしまった。特に理由はない、今しかない気がしたからだった。
「どうしてそんなことを聞くの? 元々は私が開くと決めた勉強会よ。やるのも止めるのも私の勝手でしょう」
「そうかもしれないが、後味が悪いだろ。須藤たちは間違いなくお前のことをよく思ってないぞ」
「別に問題は無いわ、気にしていないもの。こんなこと、よくあることよ。それに、大半の赤点組は平田くんが救い上げた。彼は勉強も出来るし、人付き合いも得意みたいだから私より親身に教えてくれるはず」
「そうは言っても、須藤たちは平田から距離を置いてるぞ。勉強会に参加するとは思えない」
このまま中間試験を迎えれば、須藤たちは間違いなく退学になるだろう。今日の勉強会の様子を見るに、一夜漬けなんかじゃ取り返せないほどに勉強が遅れている。誰かが助けてやる必要がある。
「それは彼らが考えることで私には無関係ね。退学を前にすれば四の五の言っていられないでしょうし、平田くんたちに泣きつくんじゃないかしら。それが出来ないなら退学してもらうだけよ。むしろ、彼らに退学になって貰えば、それだけ上のクラスを目指すことが容易くなる。願ったり叶ったりね」
堀北が言っていることは正しい、この退学の危機は赤点を取ってしまう生徒に問題がある。だが、
「堀北、その考えは間違っているんじゃないか?」
「間違い? 私のどこが間違っていると言うの? まさかとは思うけど、クラスメイトを見捨てる人間に未来はない。なんて言うつもりは無いわよね?」
「もちろんそんなことを言うつもりは無い。もっと単純なリスクヘッジの話だ」
「リスクヘッジ? 赤点組を抱えることのリスクの方が大きいと思うけど」
堀北はそう言うがそうとも限らない、とオレは考えている。まず第一に、退学者を出すことによってマイナスが生まれる可能性があるという話だ。
ここは授業中の手遊び、私語で減点されるような学校だ。退学者を出すことで大量減点ってこともありえない話じゃない。
だが、それを説明したところで堀北の意見は変わらなかった。
「そうだとしても、将来的に足を引っ張る可能性のある赤点組を今の早い段階で切り捨てるのは悪い判断じゃないわ。今マイナスを背負えば、これから取り返すチャンスは必ず来る。ポイントが増えてきた頃に赤点組を残したことを後悔するよりも、今リスクを取って切り捨てるべきでしょう」
「本当にそう思うのか?」
「えぇ、もちろん本当よ。必死に彼らを救おうとするあなたの考え、正直理解に苦しむわ」
こちらに背を向け、今度こそエントランスへ向かおうとする堀北の手首を、ここまで黙して見ていた禊が掴んだ。
「何? 球磨川くんは何も言わなかったから、こちら側の意見なのかと思っていたのだけど」
『まあ概ね堀北ちゃんと同じ意見だよ』
「そう、なら早く離してちょうだい。誰かに見られておかしな勘違いをされたら困るから」
『だけどダメだ』『ダメだね、堀北ちゃん』
「私の何がダメだと言いたいの? 私は間違ったことを言っていないわ。マイナスの話だって結局答えを知っているのは学校側だけなのだから、押し問答になるだけよ」
禊はチッチッチッと指を振りながら言葉を続ける。
『随分饒舌だよね』『さっきからさ』
「それは……あなたたちがしつこいからよ」
『正直さ』『自信、ないんだろう?』
満面の笑みで、堀北の表情を覗き込むように問いかける。
『そうだよね』『今日の勉強会で程度の低さがわかったわけだし』『堀北ちゃんがどんなに優秀でも』『赤点阻止なんて出来そうにないもんね』
「はぁ、そんなくだらない挑発で私が────」
『いやいや、挑発とかじゃなくてさ』『君が言ったんだろう?』『私は赤点組を救えないので、取る必要のないリスクを取ります』『ってさ』
堀北の発言を恣意的に受け取った禊が好き勝手に言う。確かにそういう解釈も出来なくはない…。
『一つだけ』『堀北ちゃんが気づいていない堀北ちゃんの
堀北が鼻で笑う。自分に欠点があるのなら言ってみろと言わんばかりだ。
『君の
「……私の考え方が間違っている。と言いたいみたいね」
『そう!』『君は間違ってる』
「テストの点数を見れば明らかじゃない。彼らは間違いなくクラスの足でまといよ」
堀北が何を言っているのかという表情で禊を見る。
『君が言っているのは勉強だけの話だろう?』『須藤くんは運動が』『池くんにはコミュニケーション能力が』『山内くんは…まあいっか』『Dクラスのみんなには優れた一面がある』『今回の中間試験が勉強じゃなければ落第するのは君だったかもしれないんだぜ』『堀北ちゃん』
堀北が反撃しようするが、喉元まで出かかった言葉がつぶやかれることは無かった。
それを見た禊がさらに言葉を続ける。
『僕に言わせれば、彼らが不良品だなんて』『僕みたいなやつに失礼だとさえ思うね』『というか、彼らは教えればちゃんと勉強できるでしょ』
「……根拠に乏しいわ。あなたの言うことは机上の空論に過ぎない」
堀北が苦しそうに反論する。事実として、禊の話に根拠はない。
『根拠なんて関係ないよ』『君が言ったんだぜ』『答えを知り得ない以上は押し問答になるだけだ。って』『だからさ』
「だから?」
『
おそらく、禊がしたかったことは堀北の視野を広げることだ。不満と怒りに前が見えていない状態で選択することを禊は良しとしなかった。
別にDクラスの未来を案じてのことでは無いと思う。禊が
堀北の弱点を指摘し選択肢を増やし、困らせ、悩ませたい。
堀北と禊の目が合う。二人が目を合わせているのを見るのは、初めてな気がした。
「……私、あなたたちが嫌いよ」
『僕は堀北ちゃんのこと嫌いじゃないよ』
「オレもお前のことは嫌いじゃない」
「それでも、あなたたちの話には納得させられたわ。悔しいけどね」
けれど、と言葉を続ける。
「まだ腑に落ちないことがあるわ。それは、あなたたちの
「それは堀北にとって重要なことなのか?」
「ええ、重要なことよ。私を動かそうとする以上、相応の説得力が必要になるのは当然でしょう?」
オレたちが堀北を説得し、須藤たちの退学を阻止しようと動くのは何故か、理由を求めている。
「今までの建前はなしにして、その理由が知りたいの。ポイントのため? ひとつでも上のクラスに上がるため? それとも、友達を救うため?」
禊が口を開く前に、自然とオレの口が動いた。
「知りたいからだ、本当の実力ってやつがなんなのか。平等ってのがなんなのかを」
「実力と平等……」
「オレはその答えを知るために、この学校に来た」
頭の中では上手く纏まっていなかった言葉が、するりと口から零れ出た。
「球磨川くんは?」
話を振られた禊が答える。
『君に、僕みたいになって欲しいから』
あっけらかんと、優しい声音で言った。
『間違いを認めず』『
『間違いを間違いのまま』『間違った選択で間違える』『僕みたいな人間になって欲しいからだよ』
畳み掛けるように禊から溢れる圧。大切な人と堕ちたい、大好きなあの子と不幸になりたい、そんな球磨川禊の歪んだ
そんな理解不能を前に、堀北は。
「……そう、理解したわ」
『わかってくれて嬉しいよ』『堀北ちゃん』
嬉しそうに禊が笑う。堕ちたとばかりに、仲間が増えたことを喜ぶように嗤った。
「手、離してもらえる?」
『おっと』『ごめんね』
禊がその手を離すと、ため息をつきながら堀北が口を開く。
「球磨川くん。私が理解したのは、あなたを理解することはできないってことよ」
『そっか』『それは残念』
凛と口にした拒絶の言葉を、微塵も残念じゃなさそうに受け入れる。
「私は間違いを認めた上で、正しい選択を行える人間。だからってわけじゃないけど、私は私自身のために打算的な考えの元に須藤くんたちの面倒を見る」
そして堀北は、オレと禊に手を差し伸べてきた。
「礼を言うわ、球磨川くん。それに、綾小路くん。あなたたちのおかげで私は、
堀北からの感謝の言葉を、差し伸べられた手を、受け入れ、オレは手を取った。
『また勝てなかった』
つまらなそうに、それでもどこか嬉しそうに呟く禊と共に。