俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。 作:true177
その場にいた全員が絶句して、心臓の凍る空気が吹き込んだ。穏やかな春の雰囲気とはかけ離れた、皮膚が凍てつくブリザードだ。
悠奈の瞳は、着いた手の前方に転がった箱に注がれていた。隙間から、茶色と白で構成された残骸が顔を出している。
決死の思いで彼女は手を箱へ伸ばすが、僅かにセンチが足りない。もがいて、もがいて、それでも指に触れることは無い。
手縫い糸ごときで、足の動きを止められるとは思ってもみなかった。見て見ぬふりをしたのはそのためで、チョコ受け取りを拒否する意図は何処にもない。
仕掛け人の麻里も、椅子に座ったまま固まっていた。彼女も、まさかか細い糸が強靭な力を持つとは想定していなかったに違いない。
トップを張って反対意見を投じる生徒を排除する麻里は、血も涙もない鬼だと評されることがある。強権で派閥に全員を縛り付ける傍若無人っぷりから、この
うわさが渡り歩いているのだろう。
……人の心が無いなんて、麻里を悪役に決めつけたいだけだ。
言うことを聞かないと消されるのは事実だ。事実なのだが、歯向かう方もそれ相応のやましい過去が背景にあることが多い。
一年次の春は、妬みからくるグループ同士の構想が激しかった。繋がりを最重要視するこの高校の女子陣は、消しゴムを落とすだけでハブられていた。
ある意味、強力な支配者がピラミッドの頂点に立っているからこそ、クラス内の規律が守られていると言っていい。麻里がしでかした行為を肯定する気はさらさらないが、結果的に以前よりマシになっているのが現状である。
麻里に絡む健介はともかく他の男子が麻里に抗議しないのは、恐怖政治で平和が維持されているからなのだ。
クーデターを起こそうとしているのは、いつも旧軍団の上位にいた女子。彼女らは男子にも協力するよう指示するのだが、誰も命令を聞く人はいない。
「……ねえ、健介。これ、誰が……?」
悠奈は、元凶となった扉下のトラップを指差した。現実を把握し切れていないのか、周りをキョロキョロと見まわしている。
勢いよく糸に足首を引っ掛けたためか、じんわりと血が見えている。走って入室していれば、悠奈の足首に切れ込みが入っていた。
教師の自白促しとは、意味が異なる。プライバシーを保護して注意で済ませる教師とは違い、ここでは手を挙げても罪滅ぼしにはならない。冷ややかな目線を浴びせられて、正義が執行される。
……悠奈……。
勝負の直前で全てを台無しにされた悠奈の表情が、戦慄だけには及ばず純粋な寒気までもを催した。全財産をパチンコで擦った廃人でも、天地がひっくり返る絶望は表さない。
罠が張られているのを見逃した健介も、共犯である。
「……悠奈、俺と麻里がやった。……いたずらのつもりで仕掛けて、糸が切れなかったんだ」
「健介くんが庇うことない! 私が単独で仕掛けたの! 健介くんは悪くない!」
「麻里がどう思おうと、この結果を予測できなかった時点で俺も同罪だ」
未来の一つに、今は含まれていた。万が一裁縫用の糸が切れなかった場合は、考えなければならなかった。
人の迷惑だけにはならないようにと、高校に入学してから静観を貫いてきた。無難な選択の連続で、他人に頼らないようコントロールして、今に至る。
似た者同士の、チョコレート対決。悠奈の熱量は、まるで応募用の漫画を描いているようだった。
勝負は、人を盛り立たせる。くだらない対決であっても、勝敗判定の要素が入ると途端に負けたくなくなる。
健介と麻里は、その妨害をしたうえにケガもさせた。
「……まず、マリちゃん。……健介に食べさせるの……禁止」
床に突っ伏していた悠奈の筋肉が、ようやく立ち上がれるまでに回復した。呆然と口を半開きにしている麻里に、無効試合を命じた。
いつもなら張り合って相手の粗を探す麻里も、今日ばかりは素直に従った。いくらかの時間を費やした自作チョコレートの箱を、ぎこちない手つきでバッグへと戻した。
軽々しい発言をすると、天空から裁きの雷が降ってくる。そのプレッシャーで、健介も麻里も迂闊に言葉を発せなかった。
悠奈が、ホコリだらけの地面に落下したチョコを丁寧に拾い上げた。原型を留めずぺちゃんこになってしまったそれは、戒めの楔として健介の心に残存し続ける。
「……それで……、健介も。やったんだよね」
「……言い訳はしない。好きなようにやってくれ」
健介は、両腕を高くつき上げた。頸動脈を止められようと、脳天をかち割られようと、甘んじて受け入れるつもりだ。
無言を保って、悠奈が近寄ってくる。無表情を装っているが、涙腺では随時涙が分泌中だろう。
「……健介、目をつぶって?」
まぶたを下ろすと、聴覚や触覚が代わってよく働くようになる。
健介の制服の襟に、悠奈が手をかけている。下へ引きずっているということは、首筋の血管が通る箇所を探しているに違いない。
気絶させられると記憶系にダメージが加わると記事で見たことがあるが、そんな理屈を机に並べても悠奈には無視される。彼女に足首と心の傷を負わせておきながら、自身の保身を願い出るのは馬鹿も甚だしい。
悠奈の小指が、的を絞ろうと大動脈を探っている。
健介は、最後の冥土に唾を飲み込んだ。
「……あとちょっとで授業が始まるから、今日は何もしないであげる。……その代わり、次に同じようなことがあったら倍返しにするから」
迫力の籠った、ちびっ子が逃げ出す低音であった。幼馴染と言えども、仲に甘えて許す気は無いことがよく伝わってきた。
足音が、だんだん遠のいていく。ドアノブを乱暴に回して、悠奈は走り去っていったようだ。
……忘れちゃ、いけない……。
救われたのではなく、時刻の兼ね合いで正義執行(じゃすてぃす)が飛んでこなかっただけ。ちっとも和解していない。
「……健介くん……、後かたずけ、しないと……」
覇気をすっかり失った麻里が、重い腰をやっとこさ持ち上げた。
「……そう、だな……」
タイルにへばりついた悠奈お手製のチョコレートは、日光に溶けて茶色のシミになっていた。
この話で、裏バレンタインデー編は完結です。
地の文について
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