ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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148『かつて、自分が否定したものの影』

「いやー、とりあえず棟区くんからは脈なしっぽかったんだよね。これはお姉ちゃん前途多難だよー」

 

『いや待って、待って待って、え? 律歌先輩が? 棟区を? なんで? どういうこと?』

 

「でもデートは良かった感じなんだよ。コプロの方じゃお姉ちゃんの悪いところ全開だったけど、結果オーライって感じ?」

 

『いやいやいや、え? デートしたの? 律歌先輩が? 棟区と? もうそんな関係なの? 何が起きてんの?』

 

「ちなみにお姉ちゃん、棟区くんとは名前で呼び合うことになってね、ちょーエモいんだよこれが。隣にいた私がきゅんきゅんしちゃったよもー」

 

『律歌先輩が? 棟区と? どういうこと? てか何で紗綾音がデート現場の隣にいんの?』

 

「そりゃあ、私もデートにくっついてったから」

 

『紗綾音と!? 律歌先輩と!? 棟区が!? 3人でデート!?』

 

「3人仲良くランチしちゃった。きゃっ」

 

『…………脳が壊れそ』

 

 日もとっぷりと暮れた時間、日曜日がさようならと手を振る反対側で月曜日がこっちだよと手招きをし始めている。

 自分の部屋で机に向かって勉強道具一式を広げてこそいるものの、渡巻 紗綾音はスマホの画面に向かってすっかり雑談モードでまったりとしていた。

 雑談相手であるスマホの画面の向こうは、紗綾音の親友である竜泉寺 沙夜が魂でも抜けたかのように呆然とした表情が映し出されていた。その表情を見て紗綾音はけたけたと笑う。鬼か。

 

『え、つまりなに? 私は明日、棟区を刺し殺せばいいの?』

 

「いやブンブン物騒。サヨチ落ち着いて」

 

『開幕爆弾ぶっ放した紗綾音が言う!?』

 

 スマホ越しにぎゃーぎゃー騒いでいる沙夜に、紗綾音はニコニコしながら 「どーどー、りおりお、どーどーどー」 となだめる気があるのかないのか分からない声かけをする。

 今日は普通に楽しかった。

 姉と、秋水と、自分でお出かけをしたことである。

 実際には姉と秋水のデートに紗綾音が強引に割り込んだ末でのお出かけなのだが、結果オーライ、楽しいお出かけであった。

 これで姉と秋水が双方向ででっかい矢印が向いていて、ラブラブのいっちゃいちゃだったら流石にデートに乱入するのは気が引けるどころの騒ぎじゃなかったが、どうやら現状は姉から秋水に向けての一方通行のようだ。しかも姉は自覚しておらず、秋水は勘付いてもいないニブチン野郎ときたものだ。

 これは傍から見る分には最高に美味しい、ではなく、最高に手に汗握る展開だ。

 このチワワ、実の姉の恋愛事情を観戦する気満々である。

 そんな姉のデートの様子を、親友と共有しようとさらっと伝えてみたところ、急に爆弾発言を投げ込まれた沙夜はひたすら目を白黒させている。

 

『嘘だ……律歌先輩が……嘘だ……』

 

「おーい、サヨチ戻ってこーい」

 

『紗綾音、あんた、エイプリルフールはまだ先なんだからね……』

 

「ちなみにお姉ちゃん、棟区くん見るときの顔が完全に女だったよ」

 

『うわああああっ!?』

 

 スマホの画面には沙夜がついに頭を抱えてしまった様子が映し出されている。大袈裟だなぁ、と紗綾音はころころ笑っているが、普通に悪魔の所行であった。

 竜泉寺 沙夜は、紗綾音の姉、渡巻 律歌にとてもよく懐いている。

 渡巻家に何度もお邪魔したことがある沙夜は、律歌とも何度も顔を合わせている。テスト勉強の時などはよく勉強を見て貰ったりとだいぶ律歌のお世話になっていた。

 そして、1つ年上の律歌は当然のことではあるが、去年度までは紗綾音や沙夜が通っていた中学に通っていたのである。

 その時は学校内でも先輩として色々と律歌には良くしてもらっていたため、沙夜は今でなお律歌のことを先輩として尊敬しているのだ。

 まあ、なにかと防御力ゆるゆるのくせに元気溌剌で男子に突っ込んでいく紗綾音の面倒を見てきたもの同士、沙夜と律歌は何らかのシンパシーを感じていたのかもしれない。

 

 その律歌に、男の影だと?

 

 しかも、相手はウチのクラスの天然ヤクザ顔モリモリ筋肉大魔王巨人の秋水だと?

 

 さらには尊敬する律歌だけでは飽き足らず、親友の紗綾音まで侍らせて、デートだと?

 

『うご、うごごご……』

 

 頭を抱えながら呻き声を上げる沙夜の様子を眺めながら、相変わらずお姉ちゃんのこと大好きなんだなー、と紗綾音はニコニコ顔で考える。

 自分の大好きな姉を、大好きな親友も大好きでいてくれるのは、普通に嬉しいことだ。

 だったらその親友の脳を破壊するようなこと言うでない、と諭してくれるものはこの場には誰もいなかった。

 ちなみに、紗綾音はしれっと姉の恋愛事情を沙夜に暴露しているが、これはあくまでも相手が沙夜だからである。

 沙夜ならばこっそりと伝えたところで、誰彼構わずに言いふらすような性格ではないのを紗綾音は知っている。だからこうやって情報共有を安心してできるのだ。いわゆる、信頼の証、というやつである。

 その信頼のせいで脳破壊を受けている親友は、いっそ可哀想であった。

 

「そんなに気を揉まなくても大丈夫だよー。棟区くんはちゃんと、私達の知ってる棟区くんだったよ」

 

「そっ!?」

 

 笑いながら今日のデートが問題なかった、と言うか、お相手の秋水が問題のある野郎ではなかったことをやんわりと紗綾音が伝えようとすると、突然沙夜ががばりと顔を上げて何かを言おうとした。

 言おうとして、もごり、とその言葉を言い辛そうに口の中で咀嚼する。

 はて、どうしたのか。

 

「棟区くんは、いつも通りで優しかったし、ちゃんといい男してたよ?」

 

『そ……それは、そう、だろーけど……』

 

 姉が惚れているお相手である秋水に何か思うところでもあるのだろうか、と紗綾音は様子見のジャブのようにふわっとした感じで軽く秋水を褒めてみるが、どうにも沙夜の返答は奥歯に物が挟まったかのようである。

 あー、そうか。

 沙夜の若干困ったような表情を見て、紗綾音は何となく察してしまう。

 

「分かった。サヨチ、文句言いたくても、棟区くんには言い辛いんでしょー?」

 

『う゛っ』

 

 にや、と笑ってカマを掛けてみれば、どうやら図星も図星、沙夜は絵に描いたような言葉の詰まりかたをした。

 確かに、沙夜はクラスの中でも秋水に打ち解けてきた人物の1人である。

 色々と一悶着があり、そして紗綾音が意図的に一悶着を起こしてやって、加速度的に秋水の存在はクラスの中に馴染んできた。

 それでもやはり、未だに秋水のことが怖いと思っている子は一定数いる。

 まあ、顔怖いし。

 声も怖いし。

 横にも縦にも奥行きすらもデカいし。

 秋水が傷つくから 「怖い」 とは言えないけれど、それでも怖いものは怖い。秋水の見た目や声が、本能的に恐怖を抱かせるものであるというのは、正直ちょっと否定できない。

 それを無視して全員が秋水と仲良くなるべきだとは流石に紗綾音も思っていないが、それを理由にして全員が秋水を避けるのは間違っている、とも紗綾音は思っている。

 いや、去年まで秋水の威圧感にビビって避けまくっていた自分が言うのも烏滸がましいし、今までずっと秋水を独りぼっちにさせてきたことに対する罪滅ぼし的な自己満足なのは、流石に紗綾音も承知の上での独善なのだけど。

 そんな自分勝手でクラスメイト数人を巻き添えにして、秋水とテーブルを囲んでお昼ごはんを食べて以降、秋水と普通に喋るクラスメイトがちらほらと現れた。

 今、一番仲が良さそうなのは、やはり日比野 道だろう。

 ボクササイズだか何だったからか話が始まって、秋水と共通の話題である筋トレのジムの話になってから、2人が教室でお喋りしているのをよく見る。

 2人とも性格の波長が合うのだろうか、体格はしっかりとしているのに線が細い印象を受ける道と、縦にデカい筋肉もデカい極太線の印象である秋水という真逆に見える2人だが、お喋りをしているところを傍から見ると、なんとも穏やかな雰囲気が流れているのだ。道と秋水がお互いに穏やかで丁寧な喋り方をするのがマッチしているのかもしれない。

 次に仲が良いのは、御器所 蜜柑か覚王山 未来のどちらかだ。

 もっとも、ミカちゃんこと蜜柑はダイエットがー、とか、運動がー、とか、そういう話題で秋水に食らいついているだけなので、仲が良いのかと言われると微妙なラインだ。未来は未来で、基本的には誰にでも気さくに話しかける性格であったため、それの延長線に秋水を乗せてきただけかもしれない。

 まあ、蜜柑も未来も、話しかけられるようになっただけ、紗綾音としては大満足なのだ。

 

 そして、次に沙夜だ。

 

 3学期が始まって早々から、なにかと秋水から話しかけられたり、はたまた秋水の厳つさに怯えまくりながらも話しかけに行ったりしていた関係上、秋水という人物に慣れてきたのだろう。秋水に話しかけられたり話しかけたりする原因は、常に紗綾音にあったという事実は見ないものとする。

 今では沙夜も秋水のことを受け入れている人物の1人だ。

 秋水と喋るときだって、そんなに身構えたりしないで普通に喋っていたりする。

 

 ただ、沙夜は未だに、秋水を怖がっている節がある。

 

『あー、いや……言い辛いって言うか……えー……』

 

 スマホのが画面越しに、沙夜が気不味そうな表情で頭をポリポリと掻いていた。

 綺麗に染められた金髪が揺れる。

 

『いや、棟区が善い奴だろうなーっていうのは、まあ、分かるんだけど……』

 

 んー、と唸りつつ、そして頭を掻きつつ、沙夜は首を捻るようにして考え込む。

 そうだね、と相槌を打った紗綾音の声は、自分でも気がつかないくらいに優しい声色になっていた。

 秋水は、良い人だよ。

 他人を怖がらせないようにいつも気を遣う、繊細な人なんだよ。

 他人から理解されないのが嫌なことなんだと理解して、理解できていないことにもちゃんと理解を向けようとする、優しい人なんだよ。

 今日のデートで、それが嘘じゃないと改めて分かったからこそ、紗綾音は姉の彼氏候補として秋水に太鼓判をデカデカと押してやったのだ。

 

『でも律歌先輩の相手となっちゃ話は別って言うか……いや、棟区が悪いってわけじゃないんだけど……あー』

 

 考え込んでから、沙夜は大きく溜息を漏らしながら再び頭を抱えてしまった。

 

『はぁぁぁ、棟区にはちゃんと謝んなきゃなあぁ』

 

「え?」

 

 そして後悔もりもりで呟いた言葉に、紗綾音は思わず首を傾げてしまった。

 謝る。

 なにか沙夜は悪いことでもしたのだろうか、あの秋水に。

 そんな疑問を思っていると、むくりと沙夜は体を起こしてから、苦い笑いを浮かべていた。

 

『ほら、前まであったじゃん。あいつは喧嘩ばっかりしてるとか、麻薬の売り買いしてるとか、誰々を脅してるとか、さ……』

 

 あー、と相槌が少しだけ間の抜けた声になってしまう。

 秋水は見た目も怖く、声も怖く、目つきは鋭く、なおかつ自分から他者へと会話を振るタイプでもないため、去年まではとんでもない噂がひたすら流れていた。

 外では喧嘩に明け暮れていて、流血惨事なんてしょっちゅうだ、とか。

 危ないクスリを取り扱っていていたり、金を無心するために恐喝をしている、とか。

 危ない家業の一味だ、とか。

 そんな噂がまことしやかに囁かれていたのだ。

 いや、今でもそんな噂自体はある。

 紗綾音のクラス以外では、今なお秋水を極悪人なのだと勘違いしたまま、秋水のことを避けている人の方が多いのだ。

 喋ってみれば、そんなことないのに。

 喋ってみれば、こんなに面白い人なのに。

 喋ってみれば、凄く優しくて穏やかな人なのに。

 なるほどな、と紗綾音はすんなりと納得できた。

 

 沙夜はきっと、自分と同じ後悔をしているのだな、と。

 

 いつか前、通話越しに秋水へごめんねと謝った、その内容と同じなんだろう。

 なんだかんだで沙夜とは気が合うのだ。

 思わず紗綾音は笑ってしまった。

 

「あはは、あったあった。そんな噂あったねー」

 

『あんたはその噂全部蹴り飛ばしたけどさ、今になってみたらさ、紗綾音が一番正しかったって、思う……うー……』

 

 再び口籠もる沙夜の言葉の続きを急かすことなく、紗綾音はニコニコしたまま待った。

 そうかそうか。

 沙夜は未だに秋水の見た目でビクリと驚いてしまうけれど、それでも歩み寄ろうとしてくれているんだ。

 親友のその心根が嬉しくて、紗綾音は頬が緩んでしまう。

 

『冷静になってみたら、馬鹿馬鹿しい噂ばっかりだったってのに、全部信じてたんだから流石に罪悪感がなあぁ……』

 

「さすがにヤクザとか暴力団の一員ってのは、なんで信じちゃってたのかな。不思議だよねー」

 

『そもそもあの、警察に何度も捕まってお世話になってる、って噂、今考えたら馬鹿らしー』

 

 確かにねー、と紗綾音も思わず相槌を打ってしまう。

 そうなのだ。

 秋水が警察に何度も捕まっている悪人さんなんて、そんなハズがない。

 あるハズがない。

 それは秋水が優しい人だから、という理由もあるが、よくよく考えてみたら、警察に何度も捕まるような極悪人ならば、紗綾音が知らないはずがないからだ。

 いや、紗綾音が知らないはずがない、ではない。

 

 

 

 正確には、紗綾音の父が、知らないはずがない、である。

 

 

 

『棟区がそんな奴だったら、紗綾音のお父さんが絶対なんか言ってただろうしね』

 

「いや、いくらお父さんが現役だからって、何でもかんでもは教えちゃくれないんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局勉強は全然進まなかった。

 仕方がない、これは姉に泣きつくとしよう。

 沙夜とのお喋りも一区切り、スマホでの通話を切ってから、紗綾音は2階の自室から階段を降りてリビングへと向かう。

 勉強用具一式は持っていない。まずはキッチンから姉への貢ぎ物として、ジュースなんぞを持って来ようかな、などと打算バリバリなことを考えているのである。

 だが姉は、今日は帰ってきてからずっと頭の中身がお花畑モードなので、勉強教えてくれるかなー、と若干の懸念材料が紗綾音にはあった。

 秋水とのデートで、姉の頭はすっかり熱に浮かれているようであった。

 家に帰ってきて早々、唐突に不気味な笑いと共に紗綾音の自転車をノリノリで分解し始めた姉を見て、自分の愛車はメンテナンスついでに変な改造されちゃうんだろうな、と紗綾音が観念を抱くくらいには、今日の姉は頭がお花畑モードである。

 きっと、デートが凄く楽しかったのだろう。

 楽しかったそのテンションで、きっと自分の自転車は改造されちゃうのだろう。

 今ですら一番重たいギヤ比が事実上使用不可なのに、次はなにされちゃうんだろう。7つ目のライトが装着されちゃったりするのだろうか。

 できれば自分の原付バイクに対して思いの丈をぶつけて欲しかった。

 そもそも姉の城であるガレージから戻ってきているのだろうかと若干の不安を抱きつつ、紗綾音はとんとんと階段を降りていく。

 階段の先は、玄関だ。

 階段を降りたところが一番ひんやりするんだよね、と思いつつ紗綾音が1階に辿り着いたその時、まるで見計らったかのように玄関の鍵がガチャリと開いた。

 

「およ?」

 

 姉だろうか、と玄関の方へと顔を向けると、その玄関がガチャリと開く。

 

「ただいまー。おっと、紗綾音、ただいま」

 

 父であった。

 日曜日なのに仕事をし、疲れているであろうにばしっとスーツ姿を決めている、ナイスミドルな自慢の父である。

 180に迫る身長に、適度に引き締まった身体。下手をすれば威圧感を感じる風貌をしているのだが、そんな父以上の身長と体格をしている秋水のことを考えると、むしろ父は可愛らしい方なのではないのか、なんて馬鹿みたいなことを思ってしまう。

 玄関を開けて帰宅を告げた父は、すぐに紗綾音の存在に気がついて、顔を綻ばせた。

 

「お帰りお父さん。お仕事お疲れサマーなんだよー」

 

「知ってるかい紗綾音。今はウインターなんだよー」

 

 緩い紗綾音の労いに、父もまた緩く返しつつ締めたネクタイを片手で緩めつつ靴を脱ぐ。

 ナイスミドルな見た目と裏腹に、この父は性格的には紗綾音に近しい。正しく言うならば、紗綾音の性格は父親似である。

 

「休日出勤なんて大変だよねー。お仕事って今忙しい感じなのかな?」

 

「そうだなー。色々立て込んでたけど、年末のあれこれに関しちゃ、今日で一応一区切り付けた感じかなー」

 

「おー、それはおめでとうなんだよ。お疲れさまでお酒でも介錯してあげちゃおか?」

 

「それされるとお父さん死んじゃうなー」

 

 ジャケットを脱ぎながら、父は軽く笑った。

 シャツの胸元がパンパンである。秋水のあれは完全に規格外のそれだとしても、この父も結構筋肉質なんだよなー、と思いつつ、紗綾音は鞄でも預かってやろうと手を差し出してみた。

 いつもならば、ありがとう、とにこやかにお礼を言いつつ、父は鞄を渡してくるはずである。

 そのはずなのだが、父は差し出された紗綾音のその手を見てから、ちらり、と紗綾音の顔へと目線を向けた。

 何故だろう、その目は、心配そうな色が若干見え隠れしているような気がした。

 

「あー、っと。紗綾音」

 

 名前を呼ばれ、なんだろう、と紗綾音は首を傾げた。

 生まれてからずっと、この見た目厳つめな父の娘をしてきたから分かる。

 これは、言い辛そうなことを言おうとしているときだ。

 

「うん? どったのお父さん?」

 

「いや、えーっと……」

 

 言葉を選ぶようにして、父が口籠もる。

 昔、休みの日に遊園地へ行こう、なんて約束をしたにも関わらず、その休みの日に仕事が入ってしまい、行けなくなりました、と告げようとしていたときの父にそっくりだ。

 確かあのときは、紗綾音がキレ散らかして泣き、遊園地には特に興味がなかった姉が紗綾音を慰め、そしてキレられた父は凹んでいた。

 なんだろう、休日に何処かへ行こう、みたいな約束はしていないはずだ。

 しばらく口をもごもごさせて言葉を選んでいた父は、ようやく覚悟を決めたのか、やっと重たい口を開いてくれた。

 

 

 

「紗綾音のクラスに、棟区 秋水君って、いるよな?」

 

 

 

 その言葉に、紗綾音の体がぴたりと固まる。

 何故、その名前が父の口から出てくるのか。

 

「あ、うん。棟区くん、いるけど……?」

 

「そうか。その、なんだ、彼とは紗綾音は仲が良いのか?」

 

「うん」

 

 戸惑いながらも答えたが、次に飛んで来た父の質問には、即答で力強く頷いた。

 秋水とは、友達だ。

 3学期になってから、ようやく友達になれたのだ。

 今までずっと怖がって、ずっと独りぼっちにさせてしまった彼と、やっと友達になれたのだ。

 仲は良い。

 断言しても良い。

 それは自分の願望がコミコミなのは重々承知の上として、秋水とは仲良しだ、きっと。

 根拠のない自信で頷いた娘を見て、何故か父は何処となくほっとしたような表情をした。

 

「そうか。彼は元気そうか……っていうのは、まだ聞いちゃマズい話題だよな」

 

「……なんでお父さんが棟区くんのこと知ってるの?」

 

 思わず紗綾音は怪訝そうな顔をする。

 何故、父が秋水のことを知っているのか。

 何故、父が秋水のことを気にしているのか。

 そして、聞いちゃマズい話題とは、なんのことだ。

 鞄を受け取ろうと差し出していた手をゆっくり下ろして、紗綾音は父をまっすぐ見上げた。

 紗綾音の眉間に、軽くしわが寄っている。

 

「あー、いや、守秘義務であんまり喋っちゃいけないんだけど、棟区くんのあれこれの件については、父さんが受け持ってたからな。それの関係で少しだけ」

 

 少し言い辛そう、というよりも、本当にしっかりと言葉を吟味するようにしながら、父は随分とぼかした言い方をしてきた。

 『あれこれの件』 なんてぼかしてはいるが、それを聞いたらなんとなく分かってくれるだろう、と言わんばかりのオブラートの包み方である。

 しかし、紗綾音に思い当たる節は、ない。

 

「……なんのこと?」

 

「うん?」

 

 眉間にしわを寄せたまま、そして怪訝そうな表情のまま、紗綾音は軽く首を傾げる。

 父は、なにを言っているのだろうか。

 紗綾音のそんな反応を見て、今度は父も軽く首を傾げてきた。

 たぶん、何かが噛み合っていない。

 

「いや、ほら、棟区くんの、その、あれだ。父さんが仕事で関わらないといけない話があるだろ?」

 

「え?」

 

「え?」

 

 2人揃って、反対側へと首を傾げた。

 父が?

 仕事で?

 秋水と関わる?

 いや、それは、おかしくないだろうか。

 父と仕事で関わるというのは、結構特殊な状況でなければならないはずだ。

 

 

 

 だって、紗綾音の父は、警察官なのだから。

 

 

 

 どういうことだ。

 秋水が警察にお世話になったとでもいうのだろうか。

 なんで秋水が、と疑問を抱いた次の瞬間、ぞわり、と紗綾音の背中が粟立った。

 先程まで親友の小夜とお喋りしていた会話の内容が、何故か頭を掠めていく。

 

 

 

『そもそもあの、警察に何度も捕まってお世話になってる、って噂』

 

 

 

 馬鹿らしい、と小夜が一蹴した。

 確かにね、と紗綾音も相槌を打った。

 いや。

 まさか。

 違う。

 

「どういうこと? なんで棟区くんがお父さんと関わらないといけないの? なんの話?」

 

「…………マジか」

 

 紗綾音は何処か焦りを滲ませながら、父へとゆっくりとにじり寄る。

 父は、警察官だ。

 その父が、なんで秋水と関わっているんだ。

 仕事の関係って、なんだ。

 

 ―――秋水は、警察に何度も捕まって。

 

 変な考えが、過去の噂が、脳裏を過る。

 そんなはずはない。

 彼は、そんな人ではない。

 警察のお世話になるようなことなんか、する人ではない。

 だとしたら、なんで父は秋水のことを知っているのか。

 意味不明だ。

 もしくはあれだ、落とし物を届けてくれましたとか、なんか凄いことをして表彰がどうだとか、そういう良い感じの話なんだろうか。

 はたまた、何かの事件で保護された側だとかなんとか。

 きっとそうだ。

 それ系統で父と秋水は面識があるのかもしれない。

 それなら納得だ。

 納得できるはずだ。

 

 

 

 でも、父は、捜査課の人間だぞ。

 

 

 

 ああ、嫌だ。

 自分は今、秋水のことを、疑いかけている。

 だから、父からポジティブななにかを聞きたい。

 紗綾音が心配するような悪い知り合いなんかじゃないと、そう断言してほしい。

 なのに、父は何故か、とても渋い表情だ。

 なんでだよ。

 なんで、マズい、みたいな顔なんだよ。

 

「いや、ごめんな紗綾音、今の父さんの言葉、忘れてくれないか?」

 

 無理だ。

 

「忘れろって言われても……」

 

「紗綾音が知らないっていうことは、きっと彼が望んでいることなんだろうからな」

 

「えっと」

 

「3学期になったけど、彼は相変わらず、って感じなのか?」

 

 ひゅ、と紗綾音は息を飲む。

 話題を逸らすように、そして差し障りのない内容へ誘導するように、父が問いかけたそれは、ある意味、紗綾音がもっとも聞かれたくない話題である。

 秋水とは、仲良くなった。

 友達になった。

 それは、自信を持って言える。

 そして、どんな人なのかも、なんとなく分かってきた。

 彼は優しい人物だ。

 穏やかで、丁寧に喋り、でもちょっとイジワルで。

 自分自身が周りに怖がられることをしっかり認識した上で、それ以上に怖がられないよういつも周りへ気をつかっている人である。

 

 だが、彼は変わらずか、なんて、紗綾音には分からないのだ。

 

 

 

 だって、3学期より前の秋水のことを、紗綾音は何も知らないのだ。

 

 

 

 彼の見た目に怯えてしまい、その声色に腰が引けてしまい、秋水とは全く関わりを持たなかった以上、紗綾音は去年までの秋水が本当はどういう人物だったのかを、知らない。

 いや。

 いいや。

 そもそも、今だって、彼のことは、知らないことの方が多い。

 

 秋水に妹がいることすら、紗綾音は今日初めて知ったのだ。

 

 思わず、紗綾音は俯いてしまった。

 ぎゅ、と部屋着の裾を握ってしまう。

 

「……た、ぶん」

 

 仲が良いのかと問われたときは即答できたのに、なんでこれはこんなに自信がないのか。

 きっと、秋水は、去年までも変わらず、あんな感じの男だったと、思う。

 変わらず、優しい人、だったと、思う。

 たぶん。

 おそらく。

 

 なら、なんで秋水は、警察官の父と会っているんだ。

 

 ―――警察に何度も捕まって。

 

 今、また、疑った。

 そんなはずはないだろうと、一蹴したはずの噂を、疑ってしまった。

 俯いたまま、紗綾音は次の言葉が出てこない。

 そんな紗綾音の頭へ、ぽん、と父が手をおいてきた。

 ああ、きっと、父は困った顔をしているだろう。

 

「ごめんな、父さん変なこと聞いちゃったな」

 

 謝りながら、父が紗綾音の頭を優しく撫でる。

 何故だろう。

 父の優しい手に、胸がざわつく。

 秋水に撫でられたときとは、どこか違う意味で。

 

 

 





 純白の信頼に、墨を落としたかのような疑念(ニッコリ)

 ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
 だいぶ文字数が多くなりましたが、第5章はこれにて終演です。
 第6章は、変わっちまった人間関係の先を予定しています。人間関係の前に変わっちまった人間そのものがお出しされる可能性もありますが。

 次回の更新はざっくりとした登場人物の紹介だけで、1週間程休みを頂き、第6章を開演いたします。
 それでは、これからもお願いします。
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