ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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156『なんで父は、彼を知っていたんだろう』

 

「えっと、ずっと、前に色々とさ、噂、あったじゃん。喧嘩ばっかしてるとか、ヤクザの知り合いだとか、ほら、色々」

 

 どこか恥ずかしそうに、もしくは気不味そうに、そう零した沙夜の言葉は、不思議と良く聞こえた。

 というか、悪かった、という謝罪の時点で、秋水も、覚王山も、ミッチも、ミカちゃんも、沙夜の方を向いて言葉を待っていたせいか、やけにその声が教室によく通った。

 むしろその台詞で、隣のグループで数学を教えていた日比野や、そのグループの人が、「なんだ?」 とばかりに沙夜の方を向いてしまった。

 注目が集まっちゃったな。

 沙夜と秋水に挟まれる席に座っている紗綾音は、これは沙夜の性格的にマズいかなぁ、といつでもフォローの言葉が出せるように台詞を幾つか考えておくことにした。

 見てみろ、沙夜の可愛いお耳が段々と真っ赤になっていく。

 気が強そうに見えて、恥ずかしがり屋な一面もあるのだ、沙夜は。

 

「……まあ、はい。ありましたね」

 

 急に蒸し返された、嫌な噂の話。

 秋水は一拍だけ置いてから、いつもの超低音ながらもその声色は穏やかに、静に肯き返した。

 振り返るようにして、紗綾音は秋水の顔を見上げる。

 表情から、その心内は読めない。

 ポーカーフェイスと言うべきか、表情があまり変わらない彼は、よくよく観察しなければ何を考えているのかがいまいち分かりづらいタイプである。

 

「あれ、私、ずっと本当だと思ってた」

 

「そうでしょうね」

 

 即答で相槌を打った秋水のその言葉に、どくり、と紗綾音の心臓が高鳴った。

 喧嘩に明け暮れているとか、マフィアの仲間だとか、そんなのは嘘だ。

 彼は、秋水は、善い奴である。

 なにがどう、という具体的な説明は咄嗟に出てこないけれど、秋水はとにかく善い奴だ。

 穏やかだし、丁寧だし、物知りだし、勉強できるし、理性的だし、優しいし。

 とにもかくにも、彼は善い奴だ。

 だから、以前までまことしやかに囁かれていたあんな噂は、嘘である。

 秋水が喧嘩したりだとか、怒ったりだとか、誰かを脅したりだとか、ヤクザとお友達だとか、ましてやアブナイおクスリを売り捌くだとか、そんな悪いことをする奴だとは到底考えられない。

 だから、嘘だ。

 嘘なのだ。

 秋水はとにかく、善い奴なのだ。

 紗綾音はそう信じている。

 そう信じると、決めた。

 

「なんなら、何日か前くらいまで、ちょっと疑ってた」

 

「仕方がないことだと思います」

 

 どっ、と再び心臓が跳ねる。

 自分も、疑ってない。

 彼のことは、疑ってない。

 疑ってない、はずだ。

 だって、秋水のことは、信じている、からで。

 

「でも、やっぱ違うなって……悪かったよ、今まで誤解してて」

 

 言い辛いよりも、今は恥ずかしさの方が勝っているんだろう。秋水の方ではなく英語のプリントの方へと顔を向けながら、そして耳まで真っ赤になりながら、沙夜はもう一度謝罪をいれた。

 自然と注目を集める中で、秋水へ今までのことを謝った。

 結構恥ずかしい状況だ。

 だが、沙夜はちゃんと謝れた。

 ああ、何故だろう、秋水が返すであろう言葉は、容易に想像できる。

 

 

 

「はい、謝罪を承りました」

 

 

 

 ほら、その台詞だ。

 すっと、しれっと、さらっと、なんでもないかのように、秋水は穏やかな口調で沙夜の言葉を受け止めた。

 やっぱりその台詞だよね。

 私の時と同じ台詞じゃんかよー。

 サヨチも謝れて偉いねー。

 静かになってしまった場に対して、たぶん、紗綾音はそう言うべきだ。

 明るく、そうやって切り出すべきだ。

 そういうキャラなんだから。

 

 なのに、口が、重い。

 

 あれ、おかしい。

 一拍過ぎてしまった。

 タイミングを、逃した。

 ぱんっ、と乾いた音がした。

 ペンを机に強く置く、そんな音。

 紗綾音は反射的にその音の方へと顔を向ける。

 

「確かに、俺も謝ってなかったな」

 

 覚王山だ。

 坊主頭どころか秋水のように短く丸刈りにすらしていないのに、なにかと坊主だ和尚だと言われる男子である。

 彼はペンを置いて、沙夜のように恥ずかしがることは一切なく、至って真面目な表情で秋水を真っ直ぐ向く。

 そして、ゆっくりとその頭を下げた。

 

「すまん、棟区」

 

「いえ、別にそんなに気になさらずとも」

 

「正直、喧嘩ばっかしてるヤベェ野郎だって思ってたわ」

 

「それを本人の目の前で告白されますか?」

 

「今は違ぇと思ってるよ。俺もずっと、悪かったな」

 

「ええ、謝罪を承りました」

 

 苦笑いのようなものを浮かべながらも、カラッとした様子で謝る覚王山を、秋水は当然のように受け入れる。

 ああ、そうだよな。

 彼は、こういうことじゃ、絶対に怒ったりしないよな。

 何故かは分からないが、紗綾音にはそんな確信があった。

 

「あー……私もごめんなさいだー。顔が怖いからめちゃめちゃ警戒してたー」

 

「顔が怖いのは否定しませんよ。今まで怖がらせてしまい、申し訳なかったです」

 

「ぶっちゃけるとねー、できるなら関わりたくないって思ってたー」

 

「それは仕方のないことだと思います。お気になさらず。謝罪を承りました」

 

 その流れに乗るかのように、ミッチが続いて謝罪の声を上げる。ついでに秋水がメモをした世界史のプリントを掲げるように上げる。

 怖い、というのは、あまり秋水が言って欲しくないワードの1つだ。

 でも、秋水はそれに苦言を呈することなく、嫌な顔1つすることなく、ミッチの謝罪も受け入れる。

 そうだ。

 そうだよ。

 秋水が優しいと思ったのは、底抜けに優しいと感じたのは、今までずっと冷遇され続けたにも拘わらず、それについて自分から触れることは一切なく、穏やかに、そして丁寧に人と向き合う姿勢を見たからだ。

 

 ビビって、怯えて、関わりたくないと逃げていた、そんな奴の馬鹿みたいな相談を、ちゃんと聞いてくれた。

 

 彼が優しい人かもしれないと思ったのは、あの時からだ。

 

 都合の良いときに頼りやがって、とか、おかしな質問しやがって、とか、俺には関係ないだろ、とか、そんなことは一切口にせず、困っていた紗綾音を助けてくれた。

 年始も早々、秋水に出会ったときのことを思い出した。

 プレゼントで大事なのは気持ち。

 祝おうとする心。

 そんな台詞をさらっと言える彼が、悪人なんかであるものか。

 きっと。

 たぶん。

 

「私も一緒。紗綾音に誘われたときなんか、絶対無理って思ったもん」

 

「それが普通の感性ですよ。むしろ、よくそれで紗綾音さんについて来ましたね」

 

「怖いのは紗綾音も一緒だし。勘違いしててごみんね☆」

 

「はい、謝罪を承りました」

 

「今のノリでも謝罪にカウントされるのかー」

 

 ミカちゃんも謝る。

 もしかしたら沙夜を抜き去り、このクラスでは紗綾音の次に秋水との距離を一気に詰めて仲良くなった彼女は、なんとも軽いノリの謝罪だ。

 だが、やはり秋水は穏やかに受け止める。

 あれだけずっと、クラスで仲間はずれにされていたのに。

 ずっとずっと、不当な噂なんかで怯えられていたのに。

 まるで全然気にしていないかのように、彼は許してしまうのだ。

 ああ、いい奴だ。

 良い奴だ。

 善い奴だ。

 

 そんな彼を、なんで自分は、ちょっとでも、また、疑ったりしたんだろう。

 

 紗綾音は自分の頬に手を当てる。

 そのまま薬指で口の端を触る。

 横向き。

 違うな。

 この場で求められる 『渡巻 紗綾音』 は、こんな表情はしない。

 笑顔だ。

 薬指を当てた口の端を、にゅ、と持ち上げる。

 スマイル、よし。

 

 

 

「さ、お前の罪は数え終わったかな? 罪滅ぼしタイム終了だよー」

 

 

 

 頬に当てた手を、ぱんぱん、と叩いて知らせる。

 にこー、と紗綾音は笑みを浮かべる。

 噂は嘘。

 自分達が秋水を誤解していただけ。

 それについて、みんなでごめんなさい。

 これで秋水と皆の距離は縮むだろう。仲良くなるだろう。

 禍根が残らない、となるかは分からないが、ごめんなさいは大事な一言だ。

 良いことじゃないか。

 みんな、揃いも揃って善い奴じゃないか。

 これで仲良しこよしにまた一歩近づいた。

 にへっと、紗綾音の笑みの色が変わる。

 うん。楽しい。

 嬉しい。

 友達が増えるって、やっぱり良いことだ。

 

「お前は謝んねぇのな」

 

 仕切り直しをいれた紗綾音に対し、覚王山が半眼でツッコミを入れた。

 確かに。

 

「ふっふっふっ……紗綾音ちゃんはちょっと前に贖罪済みなのだー。でも改めて、私もごめんなさいなんだよ棟区くん!」

 

「皆さん理数系は随分進んでいますね。文系側が弱点と思ってよろしいでしょうか?」

 

「塩っ! 対応がしょっぱいよ棟区くん! あと数学とかはミッチがめっちゃできるから、いつもお世話になってるんだよ!」

 

 善い奴だけど、どこかちょっと意地悪な秋水に噛みつきながらも、紗綾音は笑った。

 そうそう、この感じ。

 秋水は基本的に優しいのだけど、紗綾音に対してはどこか塩対応な、この感じ。

 なんだろう。

 安心する。

 

「いや、でも文系側に強いのって全然近くに居なかったから、結構苦戦してたのは確かなんだよな。実際今日は棟区がいて助かったよ」

 

「サヨチもそう思うよね! 学年1位を先生役に引きずり込んだ私にもっと感謝するんだよ!」

 

「タチの悪いチワワー」

 

「ほらミッチまで人のことチワワとか言うようになっちゃったじゃん!」

 

「棟区大先生様やーい。公民、公民で効率の良い覚え方と教えて下さいな。憲法と刑法と民法がもうごちゃごちゃしてきた」

 

「ミカちゃん最近冷たいよねぇ!?」

 

 それぞれにツッコミを返しつつ、紗綾音は自分のプリントを見下ろした。

 社会科の公民である。

 くそう、恐らくだが、ミカちゃんと同じところで躓いている気がする。

 隣で秋水がミカちゃんの方をちらりと見て、それから紗綾音のプリントも確認するのが横目でも分かった。

 

「それでは、他に公民が苦手な方はいらっしゃいますか」

 

「はい」

 

「はい」

 

「はい」

 

「はいー」

 

「全員ではないですか……かしこまりました」

 

 5人とも社会科は苦手という事実に、秋水はうっすらと苦笑を浮かべながら公民のプリントを取り出した。

 苦笑いでも、笑いは笑い。

 秋水の表情変化に、やっぱり良い傾向なんだと確信を持ちながら、紗綾音は秋水の講義を聴くために軽く身を乗り出した。

 勉強は楽しくないが、友達といるのはやっぱり楽しい。

 そして秋水も、もう友達の1人だ。

 穏やかで、丁寧で、優しくて、でもちょっと意地悪で。

 彼はやっぱり、善い奴なんだ。

 そのはずなんだ。

 

 

 

 だったら、なんで父は―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、確かに僕も、全然そういうの謝ってなかったなぁ……」

 

 隣のグループが再びわいわいと勉強を再開したのを横目で確認してから、日比野は苦笑いを浮かべながら呟いた。

 秋水に対して急に各々が謝りだしたときは、大丈夫だろうか、と心配したのだが、秋水の方はあくまで穏やかに、波風立てることは一切なく、ある意味受け流すようにしてすんなりと終了した。

 気にしていない。

 秋水はいつもと変わらぬ調子でそう返すも、それで逆に居心地が悪いのは、日比野の方である。

 最近は、本当につい最近は、彼とはよく喋るようになった。

 確かに見た目はとても怖い彼ではあるが、喋ってみれば怖い要素なんてどこにもない。むしろ天然ボケの面があるのか、一緒にいて普通に面白い男である。波長が合うのかもしれない。

 そんな風に、しれっと仲良くなったのだが、考えてみれば確かに、それまでは彼の外見にずっと怯えて怖がって、避けていたのも事実だ。流れていた噂だって、普通に信じていた。

 それを今では、手の平を返して仲良くしてもらっている。

 随分と調子の良い奴じゃないか。そう言われても仕方がない行いである。

 僕も謝らなきゃなあ、と日比野は独り言ちると、その方をちょんちょんと突かれた。

 

「ねぇ、道くんはあの、あいつと喋るの怖かったりしないの?」

 

「そうだよな。最近仲良さそうだけど、大丈夫なのか?」

 

 話しかけてきたのは、数学の箱ひげ図を教えていた女子。

 同じく隣のグループの話を聞いていたんだろう、秋水の話である。

 そして、その話題に乗っかるようにして、日比野の前にいる男子も加わってきた。

 怖いよな。分かる。

 人を何人か殺していそうな見た目をしている彼と仲良くしているのは、傍から見たら心配なんだろう。

 ああ、先月までは、自分も彼ら彼女らと同じ立場の意見だった。

 3学期に入って、紗綾音が馴れ馴れしく秋水に絡んでいっているのを見て、いつ彼が爆発するんじゃないかとヒヤヒヤしていた。

 喋ってみれば、そんなことはないだろうと、分かるのに。

 

「ははっ、喋ってみたら棟区さんは凄い優しいよ。怖いっていうのは、見た目だけかな」

 

 笑って日比野は答えた。

 調子の良いこと言ってるなあ、と自分でも思う。

 そうだよな。

 謝らないとな。

 確かに前までは彼のことを怖がっていたけれど、今では仲良くしたいと思っているのだから。

 だから、ケジメはどこかで、つけなきゃな。

 

「もう、1ヶ月とちょっとで卒業なんだから、彼とは喋ってみた方がいいと思うよ。1年間、怖い人が居る教室で過ごして嫌だったな、なんて思い出で終わるのは、ちょっと悲しいからね」

 

 たぶん、紗綾音もそういう考えなんだと思う。

 卒業して、同じ学校へ進むなら、まだいい。

 だが、卒業したら、もう会わなくなる人達もいるのだ。

 その人達に、最後の最後まで彼が誤解されたままというのは、なんとも悲しいじゃないか。

 秋水はその辺りのことを全く気にしていなさそうではあるが、それでもなんか、寂しいことじゃないか。

 そう考えてしまうのは、お節介なのだろうか。

 小さく笑った後、さて、と話を切り替えるように日比野は顔を上げた。

 

「お前がそう言うなら、ちょっと喋ってみるか……」

 

 話を変えるその前に、男子の方が思案顔で呟くのが聞こえた。

 マジか。

 言ってみるものだな。

 

「うー……私も頑張ってみようかな……」

 

「え? え? みんな突撃しちゃう感じ? でもちょっと、怖そうだしなぁ……」

 

 すると続けて、女子の方もそんなことを言いはじめる。

 いい流れなんじゃないだろうか。

 秋水と喋るのを前向きに考えている、そんな様子に、日比野はほっとした。

 喋ってみれば、たぶん、あんな噂は誤解だと分かるだろう。

 分かってくれるだろう。

 ただの誤解であると。

 

 

 

 誤解であると、なんでみんな、すぐに決めつけるんだ。

 

 

 

 グループの中で、ただ1人、沈黙を貫いた女子がいた。

 あのヤクザ野郎へそれぞれが謝っているグループの茶番も、日比野の薄っぺらい甘言も、冷ややかな目で彼女は見ていた。

 みんな、簡単に騙されすぎだ。

 流れていた噂の内容を、みんな忘れてしまったんだろうか。

 喋り方が丁寧だからなんだ。

 大人しそうだからなんだ。

 そんなの、幾らでも誤魔化せることじゃないか。今はただ、猫でも被ってるだけじゃないのか。

 煙がないところに、噂なんか立ちはしない。

 外面がいくら良くても、裏で何しているかなんて分からない。

 勉強できるだけで、なんで噂が全部嘘だと思うのか。

 あと1ヶ月ちょっとで卒業である。

 奴とは、違う高校になる、はずだ。

 そうであるなら、このまま卒業まで関わらずにいるべきだ。

 あんな、悪意が滲み出るような顔をしたヤバい奴とは、最後の最後まで距離を置くべきだ。

 明らかに危なそうな奴なんだから、近寄らない方が良いに、決まっている。

 

 そう思うのは、普通のことだろう。

 

 その少女は結局、最後まで秋水に対し、前向きな発言はしなかった。

 

 

 





 人間、見た目は全てじゃないですよ。

 でも、見た目は人間関係の入口なんですよ(´゚ω゚`)
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