峰岸弁護士事務所。
あなたの暮らす街に根付き、人に寄り添うことを目指します。
お困りごとがあれば是非ご連絡を。
そんな謳い文句を外に向けて発進している、こぢんまりとした峰岸弁護士事務所、その事務長である峰岸 鉄臣(みねぎし てつお)は、今まさに自分が困ってるんだよなぁ、と内心で頭を抱えていた。
とはいえど、そんな内心を表に表すことなく、鉄臣は穏やかな笑顔を顔に張り付けている。
鉄臣は今年で45歳になる、そこそこな経歴を持っている弁護士だ。ベテラン、と言っても、そろそろ過言ではないかもしれない。
自分の弁護士事務所を持ち、何人かの部下もいるとなれば、鉄臣は十分にベテランの部類ではあるのだが、どうにもベテランを自称するのは気が引けてしまうタチであった。
優しそう、と言えば聞こえは良いかもしれないが、逆に言えば気が弱そうとも見られる、鉄臣はそんな優男である。
その優男、峰岸 鉄臣は、現在絶賛困っていた。
自分の事務所、その所長デスクに座り、にこやかな笑顔と一緒にうっすらと冷や汗もセットで浮かべながら鉄臣は目の前の人物の話を根気強く聞いている。
聞いているというか、一方的に聞かされているというか。
胃がキリキリしてきたなぁ、と他人事のように鉄臣は考える。
他人事というか、余所事か。
ばんっ、とテーブルを思いっきり叩かれた。
話を聞き流してそんな余所事を考えていたことがバレたのか、鉄臣の目の前にいる年若い女性が目尻をつり上げ威嚇してきたのだ。
怖いなぁ。
昭和のパワハラじゃないんだから。
「峰岸先生、聞いているんですか! 絶対に今回の依頼は受けるべきじゃありませんよ!」
そんなパワハラ、もといありがたいご意見を竹槍で突き刺してくるかのようにキャンキャンと吠えているのは、スーツをぴしりと纏った女性。
鋒山 志穂(ほこやま しほ)。
峰岸弁護士事務所一番の新人、期待のエリート、そして気性が荒くて手のかかる狂犬ちゃんである。
法科大学院を卒業、司法試験にはストレートで合格、司法修習も問題なく終わらせ、しかもどれも優秀な成績を収めた人材ではあるが、性格に難があり鉄臣は手を焼いているのだ。
絶賛噛みついてきている志穂に対し、鉄臣は穏やかな笑みを崩すことなく、いつものように宥めることにする。
「まあまあ、志穂さん、落ち着きなさい」
「落ち着けるわけありませんよ! あの女はヤバいですって!」
「ヤバいって、弁護士がそんな言葉遣いをしてはいけませんよ」
ばんっ、と再びテーブルを叩いて訴えてくる志穂に、鉄臣はゆっくりとした語調ながらも注意をする。
いつもの注意だ。
鋒山 志穂、気性が荒いついでに言葉遣いも荒い。
冷静なときはしっかりとした言葉遣いなのだが、ブチ切れているときは本性が表面化してしまうのだろう、歯に衣着せぬ物言いを頻発してしまう悪癖が志穂にはあった。
しかも、その沸点の低さから、キレ散らかすこと頻発なのだ。
それを毎回宥めて注意するのだが、一向に改善する気配がなく、むしろ最近は初手で鉄臣に食って掛かってくる始末。つらい。
「あの女のヤバさは先生だって分かってるでしょ!? 見ましたか向こうの弁護士の反応!?」
「いやぁ、まるで我々が悪人サイドかのような反応でしたね。参った参った」
「悪人サイド通り越してこっちがイかれた奴ら扱いでしたよ!? 完全にドン引きした目でしたよ!?」
思い出すのは、鉄臣と志穂のコンビで向かった話し合いのこと。
話し合う相手は、今度の刑事裁判において被告人の弁護を担当することになった弁護士、つまり弁護人と、裁判ではその弁護人と対することとなる検察官である。
鉄臣は現在、刑事裁判に関わっている。
去年のクリスマス・イブ、赤信号で停止中の乗用車にトラックが突っ込み、一家3人が亡くなるという悲惨な事故があった。
トラックの運転手は連日の長時間勤務により疲弊しており、意識が朦朧としていたとのことだ。
ようは、居眠り運転である。
鉄臣はその事件において、取り残されてしまった遺族からの依頼を受け、検察と弁護人へ遺族からの要求を伝える橋渡し的な仕事を行うことになった。
刑事事件において被告人の弁護を行う弁護人の仕事内容と比べたら、言い方は悪くなってしまうかもしれないが、比較的楽な仕事だと言える。
依頼を受けたときは正直、ラッキーだな、とか考えていたのだが、今現在思えば、そんなお気楽かつ罰当たりなことを考えてしまった自分をシバき倒してやりたい気分である。
今回の依頼人、少々、いやかなり厄介な人物であったのだ。
「居眠り運転を 『未必の故意による殺人』 で死刑を求めるなんて、正気じゃありませんよあの女!」
それはそう。
宥める立場にあるはずの鉄臣は、思わず志穂の言葉に同意してしまうところであった。
確かに、一家3人が亡くなるという痛ましい事故だった。
だが、状況的には、危険運転致死傷罪が適用される可能性が極めて高いケースである。
相手側が3人も死亡している点を加味しても、危険運転致死傷罪では懲役20年が上限だ。
それで死刑が求刑されることは、ありえない。
危険運転致死傷罪、では。
それを依頼人は、堂々と死刑を求めたのである。
遺族の気持ちというのは、こんな仕事に就いて20年程経った今でなお、推し量ることは難しい。
難しいが、こんな事件であれば、相手に死をもって償ってくれ、と思うのも当然のことかもしれない。
しかし、それは不毛だ。
殺されたから殺す。
なんでお前は生きているのだと、その感情に突き動かされて相手の死を求める。
不毛な復讐だ。
それを防ぐために、刑法は存在する。
刑法で規定された以上の罰を科すことは、罰ではなくただのやり過ぎなのだと、禁じられているのだ。
が、依頼人は淡々と冷静に、碌でもないことを言ったのである。
この事故は 『未必の故意による殺人』 なのだ、と。
故に、死刑を求める、と。
あ、ヤベェ依頼人を引き当てちゃった、というのが、鉄臣の素直な感想である。
つまり、志穂と全く同じだ。
居眠り運転を擁護するつもりは一切ないが、かと言ってそれによる交通事故を未必の故意による殺人、つまり 「殺意はないが相手が死んだとしても構わない」 という類いの交通事故だと認定させるのは、正直無理がある。
煽り運転をした結果として、相手の車と事故を起こして死に至らせた、というならまだ分かる。
殺意がなくとも、煽り運転というのは事故を起こしても構わないという悪意ある運転であり、その事故で死人が出ても構わないと思っていたという認定は、確かに筋が通る。
だが、今回は居眠り運転だ。
これを未必の故意による殺人と認定させるのは、ちょっと無理だなと鉄臣は思った。
しかし、依頼人は言うのである。
「居眠り運転による事故は通常、『過失』で済ませられがちだけれど、今回の事例で 『意識を失った瞬間』 を問題視しているの。居眠りとは意識が途切れる行為よ。意識が途切れた瞬間においては、『ブレーキを踏む』『ハンドルを操作する』 といった行動が不可能になることを知りつつ、それでも運転を継続したわけだから、これは 『意識的な未必の故意』 と言えるんじゃないかしら?」
はい、「過失」と「未必の故意」の境界線に踏み込んできました。
意識が途切れれば、殺人行為に等しい状況が瞬間的に発生する、という話である。
「例えば、刃物を振り回せば 『誰かに当たる可能性』 があることは明らかでしょう。その結果、刃物が実際に誰かを傷つけた場合、それが未必の故意による殺人や傷害に問われることはご存知よね? では、トラックという 『動く凶器』 を睡眠不足のまま運転する行為と、刃物を振り回す行為との間に本質的な違いはあるの? そのような危険な行為を 『業務』 と呼べば許されるわけではないでしょう?」
はい、法的な判例と比較する形で説得に回ってきました。
他の犯罪行為との対比して状況の危険性を明確化した上に、業務だから、という逃げ道を完全に塞いでいる。
「被告は 『まさか事故になるとは』 と言っているけれど、睡眠不足のまま運転することで意識が途切れることがあるのは、小学生でも知ってるわ。つまり、『眠れば人を殺すかもしれない』 という予見可能性は明らかだったのよ。『予見できなかった』 という言い訳は通用しないわ。これは法的に見ても 『予見可能性』 が極めて高く、単なる過失とは一線を画す状況よ」
はい、予見可能性のレベルを再定義してきました。
未必の故意かどうかというのは、犯罪予見可能性が法的に非常に重要なポイントであり、そこを徹底的に叩きにきた。
「運転手が意識を失った瞬間、事故回避の方法は完全に失われているわ。つまり、事故が発生した瞬間には 『絶対に回避不可能』 な状況を意図的に作り出してしまったということ。この状況を作り出した時点で、『結果的に人が死んでも仕方ない』 という心理的許容があったと推認されるんじゃないかしら?」
はい、回避可能性の否定に踏み込んできました。
意図的に回避可能性を奪ったことを強調そして、意識的な殺人だと主張している。
「もし、これが 『業務上の過失』 で済まされるなら、同じことをする運転手が増えるでしょう。社会的影響という観点からも、『未必の故意』 を適用し、明確な罰を与えるべきではないかしら? 交通事故を減らすためには、『トラック運転手が睡眠不足のまま業務を行うことは、殺人に等しい』 という強烈なメッセージが必要よ」
はい、社会的な影響や責任を問いてきました。
検察や裁判所が社会的影響を重視するという点を突いて、理性的な感情論を誘導する気満々じゃないか。
「運転手には 『そのまま運転する』 か 『休息をとる』 という明確な二択があったにも関わらず、危険な運転を自ら選択したのよ。これは 『積極的に殺人行為を選んだ』 という評価さえ可能。状況に流されるまま事故を起こしたのではなく、自分の選択によって事故が起こる可能性を 『許容』 したのよ」
はい、被告の行動前の選択肢にまで言及してきました。
本人の主体的な選択に着目した話だ。
淡々と冷静に、しかし瞳の奥には薄暗い炎をちらつかせながら話す依頼人のそのロジックを聞いて、「あれ、この事故ってやっぱり未必の故意で発生した事故なんじゃないか?」 と鉄臣は一瞬考えてしまった。
その直後、「騙されないでください先生!」 と後ろから志穂に頭を叩かれて正気に戻った。
確かに依頼人の理論は一定の筋が通っている。
だが、流石に未必の故意の立件は難しいだろう。
それについて依頼人に伝えると。
「それでも構わないわ。ただ、そういう請求をしていることは、検察と向こうの弁護人に伝えてちょうだい」
とのこと。
そして今日、そんな依頼人の考えを伝えに行ったのだ。
結果、検察も弁護人も、双方揃ってかなりの動揺をさせてしまった。
動揺と言うか、志穂の言った通り、ドン引きと言っても過言ではない反応であった。
弁護人から 「流石にそれは罪が重すぎます!」 と言われるならまだ分かるが、反対の立場である検察側からも 「それはちょっと、いくらなんでもやり過ぎでは……」 とか引き気味に言われるとは。
しかも、依頼人の語ったその内容は、法律、と言うよりも今回の刑事裁判において論点になりやすい点を的確にチクチクと突いた内容である。
普通に考えたら、一般人の口から出てくる内容ではない。
つまり、鉄臣が依頼人に入れ知恵をした、という風に検察にも弁護人にも思われたことであろう。
誤解である。
入れ知恵もなにも、あの依頼人は面談1回目にして何も見ることなくそらんじていた。
あ、この依頼人、ヤバい人だ。
つまり、志穂と同じ感想である。
しかし、そんなことを知る由もない検察と弁護人からすれば、こちらは可哀そうな遺族に入れ知恵を行なった悪徳弁護士としか映らなかったであろう。とんだ貧乏くじである。
そして双方から 「ろくでもない弁護士だこいつら」 という目を向けられ、そんな居た堪れない話し合いが終わって帰ってきてから現在進行形、志穂が怒り荒ぶっているのであった。
「あの女、本気で被告を死刑に追い込もうとしてますよ! 裁判をただの復讐手段として使うつもりなんです!」
「そこまで言うのは言いすぎでしょう、志穂さん」
「いえ、私は本気です! 私には分かります、ああいう女は絶対に暴走します! 民事裁判でも絶対に法外な要求を出して、被告だけじゃなく裁判所や我々まで振り回されます!」
すでに振り回されてますね。
そんな言葉が喉元まで出かかって、鉄臣はそれを飲み込んだ。
正直な話をすれば、志穂の言いたいことはよく分かる。鉄臣だって同じ意見だからだ。
だがしかし、鉄臣は志穂のようにそれをストレートに口に出すことはしない。
もしくは、できない。
してはならない。
「まあまあ、振り回されるのも弁護士の仕事のうちですよ」
あくまでも穏やかな口調で、鉄臣は志穂を宥めた。
「それを言うなら、せめて普通の依頼人にしてください!」
「志穂さん、普通って何ですか? そもそも 『普通』 の人は、我々のところには来ないんですよ?」
「ぐっ……!」
ちくりと志穂を刺す。
ここは弁護士事務所。
普通であればまず関わらない、そして関わらない方がいい事務所である。
困りごとがあれば是非ご連絡を。
謳い文句は伊達じゃない。
ここは、困っている人が相談に来るところである。
普通と言える状況の人が来る場所では、ない。
「依頼人がどんな心理状態であろうと、法に基づいて、代理人として適切にサポートする。それが我々弁護士の役目です」
それはある意味、鉄臣の信念でもあった。
そして、何度も志穂に説いている言葉である。
まあ、残念なことに、志穂の心にはあまり響いていないようではあるが。
「先生は、あの女が 『適切』 にサポートされる姿を想像できますか!? 筋は通っているけど、平然とヤバいことを言ってる女ですよ!? 絶対に手を噛まれます!」
「ならば、噛まれないようにうまく手綱を握るのも、我々の役目です」
「私は御免です!」
「依頼人に寄り添う気持ちがなければ、どんな裁判も勝てませんよ。それはあなたもよく分かっているはずでしょう」
「……それはそうですが」
少しだけ志穂がトーンダウンした。
裁判とは良くも悪くも二人三脚である。
依頼人と同じ方向を見て、同じ歩幅で行わなければ、どんな裁判でも勝ちはない。今回は刑事裁判だが、民事裁判においてそれは顕著に表れる。
弁護士1年生である志穂ではあるが、それは既に体験済みであった。
弁護士は、独り善がりでは、駄目なのだ。
「彼女はただ単に暴走しているだけではないかもしれませんよ。追い詰められた人間の、精一杯の抵抗なんです」
「精一杯の抵抗? あれが?」
「そうです。むしろ、私たちが見捨ててしまえば、本当に法外な手段を取りかねない。それこそ弁護士が介入すべき理由ですよ」
穏やかにそう諭す。
確かに、今回の依頼人は志穂の言う通り、ヤバい人だ。
法を武器にして、復讐に燃えているのは明らかである。
しかし、まだ大丈夫だ。
法を武器にしている。
結構なことを言い出してこそいるが、それでもまだ、法を武器にしているのだ。法の範疇内で、戦おうとしているのだ。
だが、ここで自分たち弁護士が見捨てたらどうなる。
法ではない武器を取り出し、法の範疇外で戦うかもしれない。
それは防がねばならないことだ。
鉄臣のそんな言葉に、それでも志穂はむっとした表情になってしまう。
「先生は本当に甘いです。だから胃が痛くなるんですよ」
痛いところを突いてくるじゃないか。
現在進行形で胃がしくしく痛いのだ。
何故だろう、今の依頼人が顔を見せるようになってから、胃痛が増えた気がする。
と言うか、胃痛の原因は、喧嘩腰で依頼人とぶつかることもあるキミの気性難もあるんだけどなぁ、と鉄臣は遠い目をしながら苦笑した。
「それを今、言わないでください」
「先生がそんなだから、あの女に舐められるんです!」
「舐められてはいませんよ……たぶん」
「自信なさすぎでしょ!?」
そんなこと言われてもな、と鉄臣は目を逸らした。
目を逸らした先は、電話だ。
段々とそのシェアを低下させている、固定電話である。
その電話が、突如として鳴り響く。
なんというタイミング。
予知していたわけでもないのだが、志穂の目から電話へと目線を逸らしたタイミングにぴったり当てはまった。
反射的に鉄臣は電話へと手を伸ばした。
電話のディスプレイには、発信先が表示されている。
ああ、なんというタイミング。
反射的に伸ばしたその手が、ぴたりと止まった。
ディスプレイには、今し方話題に上がっていた、今回の依頼人の名前が表示されていた。
『棟区 鎬』
だから、うん、鎬さんサイドだけ物語の種類違うよねぇ!?
唐突な新キャラは、弁護士コンビでございます。
書いていて楽しい感じの2人を目指してますが、最大の問題は、作者の法律の知識が薄っぺらいということ(;´・ω・)