ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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158『他殺は違法、自殺は』

 峰岸弁護士事務所、そこに鳴り響いた電話の受話器を取ろうとした鉄臣の手が、ぴたりと止まる。

 ディスプレイには漢字が3文字。

 

『棟区 鎬』

 

 あまり強くはない鉄臣の胃が、じわりと痛んだ気がした。

 

「……誰ですか、このタイミングで」

 

 即座に受話器を取らなかった鉄臣を、訝しむように志穂が見てくる。

 ちらり、と志穂の顔を確認した。

 現在、この事務所にせっかくの依頼を出してくれている依頼人の鎬を、新人弁護士である志穂は苦手にしているというか、かなりの警戒をしている。どうやら相性がよろしくないようだ。

 うーん、と小さく唸りつつ、鉄臣は固定電話のディスプレイを指さした。

 

「……棟区さんですね」

 

「ひっ、あの悪魔から!? 今ですか!?」

 

 指さしたディスプレイを見ることなく、鉄臣の言葉で志穂は思いっきり跳び退いた。さすがに怖がりすぎじゃないだろうか。

 

「悪魔とか言うのはやめなさい」

 

「いいえ、あれは間違いなく悪魔ですよ! 切りましょう、着信拒否しましょう!」

 

「弁護士が依頼人の電話を拒否してどうしますか」

 

 なんてことを言うのか、せっかくの依頼人なのに。

 いや、その依頼人を待たせてはいけないか。

 鉄臣は小さく溜息を吐いてから、電話の受話器に手を置いた。

 その手を、がしり、と志穂に掴まれた。

 

「先生、胃薬! 胃薬用意してください!」

 

 唐突なその要求に、きょとんとした表情を鉄臣が浮かべる。

 胃薬か。

 鉄臣はデスクの引き出しへ目線を移す。

 愛用している胃薬ならば、その引き出しの中に入っている。もっと言えば、スーツの内ポケットに携帯用の胃薬が常備されている。

 彼女もお腹が痛いのだろうか。奇遇なことに、鉄臣もすでに胃の周りがじわじわしている。

 

「あなたが飲むんですか?」

 

「違いますよ! 先生が飲む分です!」

 

 なんて心配のしかたをするのか。

 まるでこの電話の内容で、鉄臣が胃を痛めることが確定しているみたいじゃないか。

 うん、否定できない。

 鉄臣は懐からすっと携帯用の薬ケースを取り出してから、ゆっくりと電話の受話器を持ち上げた。

 そして、薬ケースを片手に握りながら、電話機本体にいくつかある内のボタンを押し、受話器を耳まで持っていく。

 ピッ、と小さな電子音。

 固定電話など過去の産物と言うなかれ。この電話機は、特別製だ。

 

「はい、お待たせいたしました。峰岸弁護士事務所、所長の峰岸です」

 

 何事もなかったかのように朗らかに、ゆっくりとした口調で鉄臣は電話に出る。

 

『もしもし、峰岸さん?』

 

 受話器から、そして固定電話本体に内蔵されたスピーカーから同時に、落ち着いた、だが明らかに冷たい女性の声がした。

 ダブルスピーカーである。

 電話機本体と受話器の両方から声が出るという、いたって単純な仕掛けだ。

 弁護士事務所という職場上、電話の会話内容が自分にしか聞こえないというのがデメリットになり得る場合があり、その対策としての機能である。

 本体側のスピーカーも問題なく起動したことを確認してから、鉄臣は流れるように電話機の違うボタンをカチリと押した。

 録音。

 シンプルだが、非常に重要な機能だ。

 

『ちょっと相談があるのだけれど、時間はあるかしら?』

 

「ないです、ありません、絶対にありません!」

 

「はい、もちろん大丈夫ですよ。どのようなご用件でしょうか?」

 

 なんだか後退っていた志穂が頭の上で大きくバツ印を両手で作っているのだが、それを鉄臣はしれっと無視した。

 ダブルスピーカーの機能は、あくまでも音を出すスピーカーが2つあるだけで、電話機本体には音を拾い上げるマイク機能はない。マイクはあくまでも受話器にしかない。

 むしろ、受話器のマイクは防音性が高く、受話器で喋りかけている人物の声以外の雑音をかなり防いでくれる優れものだ。

 少し離れた位置で志穂が騒ごうとも、鎬の方にはまず聞こえないレベルである。

 電話向こうに悟らせない、そのための機能だ。

 

『まずは例の件だけれど、死刑または無期懲役を求める、という話はあの男には伝わったのかしら?』

 

「ほら来ましたよ、脅迫確認!」

 

 電話機から聞こえた鎬の発言に、志穂の表情が険しくなる。

 脅迫ではない、正当なる請求である。

 内容はともかくとして、だが。

 鉄臣も同じく苦い表情を浮かべてしまいそうになるのを、志穂の手前、ぐっと堪えた。

 それから、恐らく聞こえていないだろうが、念のために鉄臣は口前に人差し指を立て、しっ、と志穂に対してジェスチャーをする。

 

「ええ、その点についてはお伝えしてあります。向こう側の弁護士もかなり動揺していましたが……」

 

 動揺と言うよりも、「てめぇら遺族になに吹き込みやがった!?」 といった感じだったが。

 しかも、検察の人も同じような反応だったが。

 誤解である。

 思い出してしまったせいだろうか、なんだかお腹が痛くなってきた。

 とりあえずは、弁護人に伝え、そして検察側にも伝えている以上、被告人の方へその請求はちゃんと届くはずである。

 内容はともかくとして、請求自体は、正当なものだからだ。

 ただ、鎬が請求していた、未必の故意による殺人罪、というのが裁判所から認められる可能性は、やはり限りなく低い。

 それについて、もう一度説明した方がいいだろうか。

 鉄臣は一瞬だけ迷った。

 その一瞬の空白に、鎬の言葉がするりと入り込む。

 

『ああ、そう。なら十分だわ』

 

 十分?

 どういう意味だ、と鉄臣は首を傾げかけ。

 

 

 

『それじゃあ、普通の危険運転致死傷罪で切り替えるよう、日を改めて検察に伝えてちょうだい』

 

 

 

 ひんやりとした声色のまま、なんでもないように鎬は続けた。

 え、と思わず出かけた声を慌てて飲み込む。

 普通の、危険運転致死傷罪。

 今回は死者が出ているので、1年以上20年以下の懲役、となる可能性が極めて高い。

 それはつまり、死刑も、無期懲役も、諦めるということだ。

 マズい。

 鉄臣は素早く志穂に目配せをした。

 志穂が若干青ざめている。

 なるほど、流石はエリートの卵。勘が鋭い。

 

「卑怯すぎでしょ! 最初からそうすればいいじゃないですか!」

 

「……切り替えですか? 本当によろしいのですね?」

 

 青ざめたままキャンキャン騒いでいる志穂をスルーしながら、鉄臣は念を押すようにして確認した。

 あれだけの屁理屈をこね、死刑を求めた理由。

 嫌な予感がした。

 

『ええ。ただし、法廷では最高刑を求刑するように』

 

「やはりそうなりますか……」

 

『当然でしょう? 二十年の懲役、最高刑以外はありえない』

 

 冷ややかな鎬の言葉に、鉄臣は眉間を指で押さえる。

 なるほど、ドア・イン・ザ・フェイス、または譲歩的要請法。

 最初に断られる前提の大きな要求をして、断られてから本命の要求をする手法である。高めの価格を提示し、断られた後に目標の価格を提示する、みたいな心理テクニックだ。

 商売的な手法を、法廷に持ち込もうという魂胆だろうか。

 だが、その手法を、弁護士が知らないはずがない。

 通常よりも重い刑罰を請求した後、通常の範囲内においての最高刑を請求したからといって、それがまかり通ることは早々ない。

 法廷により決められる刑量は、そんな広く知られている小手先のテクニックで変わるほど、甘くない。

 

 ということくらい、この依頼人であれば知っているハズである。

 

 つまり、ドア・イン・ザ・フェイス、を装った、別の目的があるのだろう。

 危険運転致死傷罪での最高刑、以外の目的。

 死刑を求めている、という話が、被告人に伝わっているかどうかの確認した、理由。

 そうだ。

 彼女が重視していたのは、被告人に伝わったかどうか、だ。

 マズい。

 マズいな。

 それは要するに。

 

「マジでヤバいって、完全に正気じゃないですってば!」

 

「了解しました。その件は追って詳しく話し合いを――」

 

 たぶん、同じことを考えていたであろう志穂に手の平を見せ、待て、というジェスチャーをする。

 やはりこの依頼人、ヤバい人だ。

 つまり、志穂と同意見である。

 キリキリ痛む胃の辺りを軽く押さえながら、それでも落ち着いた声は一切崩すことなく電話の応対をして。

 

『ああ、それで、民事訴訟の準備も始めるから、それについても話したいの。できるだけ早く』

 

 気が早い。

 刑事裁判の告訴が昨日決まったばかりじゃないか。

 鉄臣の表情がひきつった。

 

「民事裁判も、ですか。えっと……お仕事のご都合は?」

 

 

 

『仕事なら辞めてきたから、いつでも問題ないわ』

 

 

 

 なんか、とんでもないことを言い出した。

 

「……え、辞めた?」

 

「はあっ!? 今なんて言いました!? 辞めた!? 仕事を!?」

 

『ええ。裁判に集中するためよ。徹底的に争うのに、中途半端な覚悟は失礼でしょう?』

 

 淡々となに言ってんだろうこの人。

 鉄臣は無言で天井を見上げた。

 ボロいとは言わないが、新築特有の真っ白さはない無難な天井。最後に掃除したのはいつだっけな、と思考が一瞬だけ明後日の方へと飛んだ。

 いや違う。

 仕事を辞めたのか。

 生活の糧である給料を得るためのそれを、辞めたのか。

 どうやって生きていく気だ。

 後先考えているのだろうか。

 志穂が懸念している通り、暴走している可能性もある。

 天井へ向けていた顔を正面に戻せば、想像通り志穂がきゃんきゃん騒いでいる。

 

「ちょっと待ってください! 先生! 手綱を握るんじゃなかったんですか!? もう完全に振りほどかれてますよ!」

 

 依頼人を馬みたいに言うんじゃないよ。

 いや、まだ大丈夫だ。振りほどかれてはいない。

 騒ぐ志穂を手で制す。

 二人三脚で息を合わせず突き進む鎬に、こちらは引きずられているような感じは確かにあるけれど、大丈夫だ、それならばまだ 『紐』 は互いの足に括りつけられた状態のはずだ。

 どちらがマシかは、横に置くとして。

 

「ええと、棟区さん……ずいぶんと思い切ったことをされましたね……」

 

『当然のことよ。私はそのつもりで来ているの。中途半端な妥協はしない』

 

「ほら見てください先生、完全に暴走ですよ! 手綱どころか馬ごと崖にダイブしてますよ!」

 

 依頼人を馬車みたいに言うんじゃないよ。

 マイクには拾われないように、少しだけ受話器を離してから鉄臣はゆっくりとため息をつく。随分と重たいため息になってしまった。

 

「分かりました。では、本日中に事務所で詳しく話を伺いましょうか……」

 

 これは腹を括るしかないだろう。

 今日中にしっかりと話し合いを行って、と言うか説得を行って、なんとか妥協点を引き下げてもらう必要がある。

 痛む胃を押さえながらも鉄臣はそう決心した。

 志穂がバツ印を作って拒否の姿勢を見せているが、そう決意した。

 

『ところで、1つだけ聞きたいのだけれど』

 

 鎬がワンクッション置くようにして話題を変えてきた。

 ひっ、と志穂の腰が引ける。

 まだなにも言っていないじゃないか。

 苦笑いをする鉄臣も、椅子の上で若干腰が引けていた。

 

『そちらの事務所は、政府関係者との交渉経験はあるかしら?』

 

 意味不明である。

 なんの確認だろうか。

 

「……政府関係者、ですか?」

 

 一瞬だけ息を飲むも、それが悟られないように変わらず穏やかな口調で鉄臣は確認をとった。

 政府関係者、とは、どの範囲の話なのだろう。

 典型的な話をするならば、国会議員や官僚が該当するだろう。

 そうであるならば、そんな雲の上の人達とは交渉どころか喋ったことすらない。

 ただ、政府機関の末端と考えれば、市役所や町役場、保健所などもそれに含まれる。地方公務員も立派な政府関係者だ。

 峰岸弁護士事務所の実績で言うならば、税務署とは毎週のようにお付き合いがあるし、役所の人とも懇意にしている。流石に市長や県長というレベルとは話したことはないが。

 いや、政府関係者、というのは、行政や立法だけではないか。

 司法もまた、政府関係者だ。

 裁判前だぞ。

 鉄臣は若干の嫌な予感を覚えて。

 

 

 

『ええ。霞ヶ関の省庁との交渉経験があれば心強いのだけれど』

 

 

 

 変わらず薄ら寒い声色で、意味不明なことを確認された。

 霞ヶ関の省庁。

 内閣府とか、総務省とか、法務省とか、文部科学省とか、厚生労働省とか、そういうところのことか。

 うん、そんな経験あるわけがない。

 あるはずがない。

 こちらと大手でもなんでもない、個人経営で地道に運営している弁護士事務所でしかないのだ。

 と言うか、法務省じゃあるまいな。

 誤解を招くような言い方にしかならないが、危険運転致死とは言えども流石に交通事故の1件で法務省が腰を上げることはないぞ。

 

「……いえ、残念ながらそういった経験はまだありませんが……」

 

『そう。まあ、そうでしょうね』

 

 言葉を選びながらも鉄臣がそう答えるが、鎬の方は特に期待をしていなかったのだろうか、ガッカリした様子すらなくさらりと返す。

 狙いがなにか、まるで読めない。

 

『でも大丈夫よ。未経験のことは、これから経験すれば良いだけですものね』

 

 それのなにが大丈夫なのだろうか。

 続けて勝手に納得している鎬に、嫌な予感が止まらない。

 

「あ、いえ、あの、経験と言いましても、今回はその……」

 

『ありがとう。あなたたちを信頼して良かったわ。それじゃ、後ほど伺うわね』

 

 そしてさらりと鉄臣の言葉を流した後、ぷつり、と通話が途切れた。

 

 ツー、ツー。

 

 無機質な電子音が、事務所に流れる。

 聞くだけ聞いて、切っちゃったよあの人。

 おおう、と鉄臣は小さく呻いた後、ゆっくりとした動作で受話器から耳を離した。

 

「せっ、政府ぅ!? 今、あの女、政府とか言いました!? 霞が関の省庁って、なに、どういうことですか先生!?」

 

 その受話器を電話機に下ろすよりも前に、待ってたとばかりに志穂が盛大に騒ぎ始めた。

 だっ、と鉄臣に駆け寄って、がしり、と両肩を掴まれて至近距離で志穂の怒鳴り声を浴びることになった鉄臣は、思わず困り顔になってしまった。

 困った。頭というより、胃に響く。

 

「まあまあ、落ち着きなさい志穂さん……」

 

「落ち着けるかーっ! 仕事辞めてまで裁判に命かけるような女ですよ!? どう考えても暴走特急じゃないですか!」

 

 それはそう。

 同意しかけた言葉を鉄臣は飲み込んだ。

 仕事を辞めるとは、正直想定の範疇外だ。

 両親は既にこの世におらず、血の繋がった兄は今回の事故により死亡している。

 残されている血族は、鎬よりも年下の未成年である甥、ただ1人であり、資金的にはむしろ鎬が援助せねばならない立場なのだ。

 この状況で、金を得るための手段である仕事を辞めてしまうとは。

 貯金があるのだろうか。彼女はまだ年若いので、普通であれば仕事を辞めても向こうしばらくの生活に支障がないような貯蓄があるとは思えない。ましてや、民事裁判を起こすための資金も別途必要なのだ。

 別口の収入源があるのかもしれない。甥の存在を考えれば、収入源の確保は絶対条件のはずだからだ。

 いや、まさか、後先何も考えずに仕事を辞めたなんて、思いたくないのだが。

 知らず知らずのうちに、鉄臣の額に汗が浮かぶ。

 人はそれは、冷や汗と呼ぶ。

 

「まあまあ、私だってちょっと驚いているんですから」

 

「いやいや、『ちょっと驚いている』程度じゃダメですってば! あの女、完全にヤバいこと言い出すつもりですよ!? ただでさえ刑事裁判の無茶苦茶な要求で先生の胃はボロボロなのに、ここにきて政府省庁との交渉!? 胃どころか内臓全部もってかれますよ!? 民事裁判だってまだ受けちゃいないんですから、ここはきっぱり断りましょう!」

 

「でもね、志穂さん。彼女は我々を信頼してくれているようですよ。未経験とは言えど、そうした期待に応えるのも弁護士としての――」

 

「信用してるんじゃなくて利用してるだけでしょうが! ていうか期待って、先生を完全に都合よく使い潰そうとしてるだけです! あの悪魔みたいな女は、絶対そういう女ですよ!」

 

「こら、志穂さん、依頼人を悪魔とか言わない」

 

 流石に口が悪いぞ。いつものことなんだけど。

 めっ、と叱りつつ、でもあの依頼人は他人を最大限に利用するタイプだよな、と共感してしまう。

 志穂は言ってることは荒々しくなりがちだが、基本的に的外れなことは言わないタイプなので、なかなかにタチが悪い。

 

「悪魔じゃなきゃ鬼です! もう無理ですよ、先生! 私のメンタルだって先生の胃並みに削れてるんですよ!?」

 

「志穂さん、お願いだから肩をがくがく揺らさないで……胃に響くから」

 

 掴まれた肩を揺すられながら、鉄臣は机に置いた薬ケースを手に取った。

 心理的な安心感だとは分かっているものの、胃薬が手元にあると気分が楽になる、ような気がする。もしかして自分は手遅れなのだろうか。

 

「まあ、そういう依頼人だからこそ、我々が寄り添ってあげなくてはいけないのでしょう」

 

「寄り添うのにも限度ってものがあります! あの女はもはや我々が手を引くべき段階を遥かに超えてます!」

 

「志穂さん、逆ですよ。ここで手を引いたら、それこそ彼女がどんな無茶をするか分からない」

 

 興奮している志穂に対し、薬ケースから胃薬を取り出しながら鉄臣は冷静に説いた。

 今回の事故を、未必の故意による殺人として被告人に死刑を求める、と言っていたはずの鎬は、あっさりとその前言を翻した。

 何故か。

 鎬がそう要求していることが、被告人に伝わるということを、確認したからだ。

 つまり、鎬は今回の刑事裁判で、死刑を求める、という姿勢なのはブラフに過ぎない。

 そして、ドア・イン・ザ・フェイスの手法で、最高刑を引き出すための駆け引き、にならないことくらい、おそらく鎬は承知している。

 で、あれば、鎬の狙いなど1つしかないだろう。

 

 

 

 被告人に、心理的圧力を掛けるのが目的だ。

 

 

 

 マズいな。

 特に今回の被告人であるトラックの運転手は、その手が通用しやすそうなタイプだと鉄臣は見ている。

 お前を殺したいくらい憎い、という意思を、まともに正面から受け止めそうなタイプだった。

 マズい。

 やっていることは随分エグいが、意見、というか請求を伝えること自体は、なんら法に反していない。合法だ。

 鎬はまだ、法を武器に、戦うつもりがある。

 その真の目的が、なんであれ。

 だが、ここで弁護士である自分が手を引いてしまったら、鎬は武器を持ち替えてしまうかもしれない。

 法からナイフに、持ち替えてしまうかもしれない。

 それは、一番避けねばならない事態だ。

 

「先生、胃に穴が開きますよ?」

 

 若干の半泣きで、志穂がそう心配してくれた。

 心配してくれて嬉しいと思うべきなのだろうか。

 鉄臣は遠い目をしながら無言で胃薬を口に放り込む。

 牛のように、胃が幾つもあれば便利なのに。

 胃薬を飲み込んでから、鉄臣は自分自身を落ち着かせるように大きく深呼吸を1つする。

 ああ、引くに引けない。

 鎬がどれだけ優秀であろうと、天才であろうと、偉人であろうと、個人であることには変わりがない。

 個人とは、集団と相対すれば、無力である。

 数の暴力というのは真理であるが、多数決そのものに、正義を決める機能はない。

 故に、個人とは常に、弱者である。

 その弱者を、法の名のもとに平等に助け、公平にする。

 弁護士のサポートとは、そういうものである。

 そして、そのサポートがなければ、鎬が個人でどんな無茶を行うのかなんて、正直想像したくない。

 なるほど、自分は引くに引けなくなってしまったのだな。

 ああ、胃が痛い。

 

「とにかく、覚悟を決めましょう。これはもう腹をくくる――」

 

 腹を括るしかない案件のようです、と志穂に言いかけたその途中で、ピンポーン、という電子音がした。

 

 来訪を知らせるドアのチャイム。

 

 ぴたり、と鉄臣の口が止まる。

 ぴしり、と志穂が硬直する。

 いや、まさか、ね。

 だって、さっき電話を切ったばっかりなんだから。

 ドアチャイム、それに設置されたカメラの画像が、インターフォンのモニターに映し出された。

 

「ひっ」

 

 そんなホラー映画みたいな短い悲鳴をしなくてもいいじゃないか。

 もっとも、その悲鳴は志穂があげたか、鉄臣があげたのか。

 

 モニターには、底冷えするような美女、棟区 鎬が映っていた。

 

 

 





 もはやホラーなんよ鎬さん(´゚ω゚`)

 そして、まさか鎬さんがFIRE(経済的自立と早期退職)を果たしている状態だなんて思いもするわけがない弁護士コンビ。一応まだ23歳だからね、鎬さん。
 そう考えると、より一層のホラーなんよ鎬さん(´゚ω゚`)
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