駅から少し歩いたところに、郊外型の量販店 『働く男』 はひっそりと店を構えていた。
主に現場作業や工場作業向けの作業服、そしてその関連用品の専門店である。
ガラス張りの入り口越しに並んだマネキンは、上下とも黒やネイビーの機能服。ショーウィンドウのど真ん中に“撥水・耐熱・ストレッチ”と堂々書かれた札が貼ってあって、おしゃれより性能が全振りされてることが一目で分かる。
店内に並ぶのは、アウトドアから作業着っぽさまでが程よくブレンドされた、丈夫で機能的なウェアがほとんどだ。どれも価格は手頃で、オシャレにこだわると言うよりは実用性重視という印象。目立つロゴや派手な柄は少なく、色合いもどちらかと言えば落ち着いたものばかりである。
内装は実用一点張りで、オシャレな装飾や華やかな演出などは皆無に等しい。余計な飾り付けや派手なポップはほとんどない。むき出しのスチール製の棚に商品が整然と並び、ウェアの性能や価格が分かりやすく札に書かれている。おしゃれなブティックというよりも工具店かホームセンターの衣料コーナーのような雰囲気が漂っている。
店内には工事現場やアウトドアが似合いそうな屈強な男性客がちらほら見える。普段着というよりも仕事用、それか趣味で山にでも出かけるような人たちが中心のようで、女子高生が一人で訪れるには少々無骨すぎる空間かもしれない。
だが、だからこそ、彼が通う店らしいとも思った。
錦地 美寧は今、『働く男』 に来ていた。
何をしにか。
愚問である。
服を買いに、だ。
女性客が全然いない店内で、制服姿のまま買い物に来ている美寧は、店内をゆっくりと回り、気になる商品は手に取って、真剣な眼差しでじっくりと確認している。
ちらほらいる男性客やレジにいる店員などは、なんか美人な女子高生来たな、と横目でチラ見するも、商品探しに神経を尖らせているかのような美寧の様子に目を逸らしてしまう。美少女の圧は強いのである。
「……んー」
美寧は時折考え込むように小さく唸りつつ、順番に商品を確認していく。
おしゃれがどうこうと浮ついた様子が見えないことから、やっぱり何かの作業服とか小物を探してるんだろうな、と周りの男どもは順次納得していった。
駅の近くには若い女性向けのファッションショップはいくつかあるし、その駅を挟んで反対側には同じ 『働く男』 がもう1店舗あるのだが、そちらは職人の店という色が強いこの店舗とは大きく違いカジュアル色の強い形態の店舗である。
そちらではなく、ここの店舗に来ているということは、いわゆるお洒落な服を買いに、とは違うのだろう、たぶん。
この店では珍しい客層ではあるが、そういう子もいるのか。
そう納得されていく美寧の頭の中は、残念ながら以下の通りであった。
あれー、なんかこの系列の店って最近はカジュアルでおしゃれ寄りに力入れてきてるって聞いてたからそういうイメージで来たのに、普通に職人さん向けな量販店売り場だよねこれ。なんでこんなに黒とグレーとネイビーばっかりなんだろう、明るい色味どこ行った? 差し色なんて全部蛍光色じゃんねこれ。冷感インナーと鉄板入りの安全靴が同じ通路に並んでるの意味分かんなくない?
て言うか、見られてる。すごいチラチラ変な目で見られてる。女子高生独りでこの空間にいる時点でだいぶ異物感あるのは分かってるけど、私も自分が明らかに違う客層なのは重々承知してるけど、水族館に迷い込んできたフラミンゴでも見るかのような目で見ないでよちょっと。でも先生がトレーニングウェアを買った店ってたぶんここだよね。駅向こうにも似た感じのお店はあったけど、あっちはなんか 『プラス』 とか名前についてたから違う派生の店、だよね?
錦地 美寧、涼しい顔して内心ではめちゃくちゃ焦っていた。
学校の授業から解放された美寧は、ちゃんとしたトレーニングウェアを買いに勇んでこの店にやってきた。
いつもはジムで筋トレに励む際、美寧が着用しているのは学校で使っているジャージである。
だが先週、昼間にジムを訪れたとき、そんな恰好をしている人は美寧を除いて誰もいなかったのだ。
やはり、筋トレをするには筋トレに適した格好というのがあるのだろう。
確かに実際、ジャージ姿で筋トレをするというのは、かなり不便ではあった。
ジャージの生地が擦れて肌が痛くなってくるし、汗を吸っても乾きづらいから逆に体が冷えたりするし、通気性も良いわけじゃないから結構蒸れるし、生地が分厚いから動きにくさもある。
デザインがどうのこうのという問題以前に、ジャージというのはとにもかくにも筋トレとの相性が悪い。特に利便性という点では今まで何も考えていなかったのだが、改めて考えてみれば、なんで今までジャージで筋トレなんかしてたんだ私、と独りで真顔になるレベルで相性が悪すぎる。
なので、ちゃんとした筋トレができるように、それに適した服を用意しよう、と美寧は 『働く男』 にやってきたのである。
ごめん、建前です。
美寧の筋トレの先生である秋水が、いつも着用しているトレーニングウェアはこの 『働く男』 で買ったという話を聞いたので、お揃いの服を買いたい、という理由で本日はこの店にやってきたのである。
いや、ジムに通うようになって1か月は経過したのだ。そろそろちゃんとしたトレーニングウェアを買わなきゃな、と思っていたのも事実だ。先週くらいにそう思った。
ただ、なんと言うか、うん。
どうせなら、秋水が普段買い物している店で買いたいなぁ、なんて思ったりして。
いや、違う違う。
この店は機能性重視の衣類を豊富に取り揃えており、その機能性に対してお値段がかなりお手頃だという噂なのだ。
どうせだったら、良いものを安く買いたい。
有名所のブランドのトレーニングウェアは、そこそこのお値段がするので、ちょっと女子高生には手が出しにくいというのも事実だ。
それにほら、えっと、秋水のような明らかに筋トレ上級者であるマッチョマンが愛用しているものであれば、ハズレみたいな品ではないはずだ。
つまり、秋水と同じものを買えば必然的に、筋トレに適したトレーニングウエア、になるはずなのである。
どうだこの完璧な理論。
決して不純な動機で、お揃いファッションにしてみたいな、なんて考えたわけじゃない。たぶん。
しかし、初めてやってきたこの店は、想像していた以上にバリバリな職人さん向けの店であった。
最近はカジュアルな服にも力を入れているという噂は何処に行ったのか、まさに実用性重視で武骨な店内で、美寧は自分の場違い感に内心では冷や汗ものである。
女子高生が来店するこの違和感よ。男性客がメインだとは確かに聞いていたが、メインどころか男しかいないじゃないか。商品もひたすらメンズ向けなものばかりで、レディースサイズが見当たらない。いや、表記としてはメンズとはっきり表記していないものも多いので、ユニセックスなのだろうか。それか、レディース向けのは反対側にあるのだろうか。店内回る順番を間違えたかもしれない。
しかし。
だがしかし。
「ふふっ」
美寧は思わず小さく笑ってしまった。
いけない、と即座に笑みを引っ込めて、内心を悟られないように凛々しい表情に戻る。
まあ、確かに全然違う客層の中に乗り込んできてしまった感はある。それについては、ちょっと不安だ。
だがしかし、その美寧とは全然違う客層というのは、つまり秋水のことである。
ここは、秋水が訪れる店だ。
そう考えると、不思議と胸が高鳴った。
まさに実用重視で武骨な店内。
なんだろう、彼にぴったりだ。
秋水がここで買ってるなら、この空気感が正解なんだろうなって思えてくるのが凄い。
この武骨さが秋水の趣味嗜好に直結しているとするならば、何故だろう、テンションが自然と上がってくる。
美寧がいまドキドキしているのは、自分が場違いな店に来てしまったという不安は確かにある。
3割くらいは、ある。
残り7割は、秋水が好んで来ている店に来ちゃったんだな、という高揚感だ。
ああ、自分終わってるな、と苦笑いを浮かべそうになってしまう。
彼が来てる店で買い物をしていると思っただけで浮かれるなんて、ほとんどストーカーみたいな思考パターンじゃないか。ヤバい奴じゃん。
しかし、どうしよう、ワクワク感が止まらない。
「んーと」
店内をゆっくり歩き、次の商品棚の列へ移動する。
スチール製の棚に商品がみっちり詰まってる。
だが、今までの商品棚の列に並べられていた、見るからに作業服、という感じの商品ではない。
カジュアル寄りの衣類だ。
あった、良かった。
ほっと胸を撫で下ろす。
なるほど、この列はカジュアル寄りで、ここから向こう側がガチの作業服、と。OK覚えた。
美寧は表情を変えることなく心のメモに刻み込む。
「えっと……」
それから注意深く並んだ衣類をチェックしながら、ゆっくり歩く。
トレーニングウエア。
正確には、トレーニングウエアとしても使える感じの、コンプレッションシャツ。
できたら、そう、お揃いの。
「……あ」
邪念が頭をもたげてきたその時、順番に確認していた美寧の手が止まった。
あった。
これだ。
素材感も、肩のラインも、秋水が着ていたのと、ほぼ同じ。
多少のバージョン違い的な感じはあるが、発売年度のモデル違いみたいだ。
「…………」
ぶわり、と内心で美寧のテンションが一気に跳ね上がった。
完全に一緒というわけじゃないけれど、そこは微妙に残念とも言えなくもないけれど、秋水が着ているトレーニングウエアの同じブランドで同じデザインで同じ色で同じモデルのものである。
どうしよう。
すごい。
嬉しい。
これを着てしまえばほぼほぼ秋水とペアルックと言って差し支えないのではないか、いや差し支えようがないでしょこれは。ペアルックとかいう距離感なんてカップルか兄妹でもなければ成立しないやつだと思うんだけど、どうしよう、これを着て隣に並んだら先生どう思うかな? やっぱり気づくかな? 気づいてほしいけど気づかれたくないでも気づいてほしいやっぱり気づかれたら死ぬ自信あるけど気づかれなかったらそれはそれで寂しいとか複雑すぎて情緒がジェットコースターになるやつでちょっと待って気持ちだけで爆発しそうじゃんねこれ。
コンプレッションシャツの商品を手に持って固まった美寧は、そんな既に爆発しているような心情を一切表に出すことなく、涼しい顔してその商品を見下ろした。
いや、涼しい顔して、ではない。
手にしたその商品を、凍えるほどに冷たい目で凝視していた。
浮かれた表情にならないように注意を払い過ぎていたせいだろうか、眼光の切れ味が凄まじいことになっている。
その眼付きのまま、美寧の目線がすぅっと横に流れる。
このシャツの、サイズ違いと、色違いが並んでいるところに、ロックオンされた。
黒は鉄板。先生が着てるのも黒。つまり真にお揃いのペアルックにしたいなら黒。でも、そのまんま同じ色っていうのは流石にあざと過ぎる? いやいや、そもそも先生にバレるとは限らないし、仮にバレたとしても 「偶然か?」 って思ってもらえればそれはそれで運命感じちゃう展開もありうるのでは? いやでも 「私と同じですね」 なんて言われた瞬間に即死する未来しか見えないと言うかあまりに心臓破裂してその場で昇天して私が成仏するかもしんないからちょっとだけずらしてネイビーとかチャコールグレーにした方がいいのかな? でもネイビーって微妙にダサく見えるしチャコールは顔色悪く見えそうだし無難にグレーにしてみようにもグレーって汗染み目立ちそうな気がして怖いしむしろいっそピンクとかで 「女子力勝負!」 みたいな感じ出した方が正解かもしないけど攻めすぎもよくないしなにこれ色だけでなんでこんなに苦しんでるの私おかしくない?
美寧の頭の中に高速で思考が流れていく。
流れるだけで決まらない。
ぐ、と美寧の目の周りに力が入る。
思いっきり睨みつけているような感じになってしまった。
て言うか、このまま先生と同じの買うのが本当に正解? ぴっちりしたトップスは確かにボディライン出るけど出すほどのボディラインがあるかっていう問題がそもそも発生するし、でもちょっとタイトなやつって頑張ってる感出ていいのかなって思う反面先生がそういうの苦手なタイプだったら即アウトじゃんね、そもそも胸強調して引かれたら死ぬし引かれなかったらそれはそれでどういう意味なのかって混乱するし、じゃあふわっとしたデザインのウエアを探す? いやでもトレーニング中にダボっとしてるのは動きづらいし、おしゃれでスポーティーででも程よくセクシーででもキュートさもあって最終的に 「似合ってますね」 なんて言われたいけどそう言われたら魂抜けるからやっぱりそんなこと言われたくないというかでも言われたいし、だけど残念ながらここにはそんなウルトラCなデザインのはないからやっぱり先生とお揃いのこれにしておくのが無難、でも可愛いのとかで先生の目の保養になった方が意識してくれるよねって考えると別のタイプも探して比較検討しなくては。
商品を持ったまま、美寧は顔を上げて別の商品も探してみようと隣を見た。
知らない男と一瞬だけ目が合った。
珍しい客だな、とたまたま美寧を見ていた男性客が、ナイフのごとく鋭い眼光を向けられて、びくりと肩を竦めたのち、そそくさと離れていく。
別に美寧は睨んでいない。
クールを装おうにも抑えきれないパッションが溢れ出てしまっただけである。随分とピンク色をした情熱だ。
男が慌てて離れていくが、美寧はそれを一切気にすることなく商品棚に視線を這わせる。
ふと、商品棚に並んだレギンスが目に入った。
「そうだ、ボトム」
トップスのことばかり考えていたが、ボトムの方も考えなくては。
秋水はジョガーパンツみたいのを履いているが、自分もそれを真似るべきだろうか。
でも、あのレギンスみたいに肌にピタッとしたのにして、ショートパンツを履いたら脚線を猛烈にアピールできちゃうんじゃないだろうか。
悩む。
これもまた悩む。
どれが良いのか。
何色が良いのか。
彼の好みはそもそもどういう系統なのか。
攻めてみようか。
それとも守りに入ろうか。
悩んで、悩んで、頭がオーバーヒートしそうな感じでくらくらしてくる。
でも。
「ふふっ」
でも、楽しい。
以前の美寧だったら、考えられなかった。
こんなに悩むのは、面倒くさいし時間の無駄みたいに思ってたけど、全然違う。
楽しい。
滅茶苦茶悩んでいるけど、それは全部、秋水のことを考えているからだ。
どの商品が良いのかで悩んでいるのは全部、秋水のことを考えてしまうからだ。
それが楽しくて、ドキドキして、幸せだ。
この色なら目に留まるかなとか、このシルエットだと印象に残るかなとか、そればっかりで頭がいっぱいになるというのは、こんなに幸せなんだろうか。
ああ、幸せって、こうなんだ。
もう困る。
どうしよう。
どれにしよう。
どれもそれなりに似合いそうな気もするし、でも決め手に欠けるというか、秋水が見て 「いいね」 なんて思ってくれるか分からないのが困るというか。
あー、なるほど、情報収集が大事ってこういう意味なんだ。
役に立たないとか言ってごめんなさい。母さん、不倫相手と好きなだけイチャイチャしてればいいよ。私も先生とイチャイチャできるように頑張るよ。
でも、なんて言うか、こうやって考えること自体がたまらなく幸せだ。
すごい幸せだ。
頭はくらくらしているのに、足はふわふわしている感じだ。
恋ってやつか。
恋ってやつだ。
あー、はいはいはいはい、なるほどね、納得、恋してる真っただ中なんだ、私。
うわぁ、どうしよう、なんか、もうずっとこの悩みが続いてほしいとか思ってるあたりで末期だ私。
「こっちもいいな……でも、んー、ショートパンツの方を明るくすれば……」
そんなほわほわした感情を全く表に出すことなく、美寧は真剣そのものの表情でレギンスを手に取る。
遠目で見ていた店員が、あの女子高生の目がガチすぎて怖いなぁ、と若干引いていた。
ああ、悩む。
ああ、楽しい。
顔は変わらず凛としたまま。
でも、美寧の胸の奥には、ほんのりとした熱が宿っていた。
「これで……先生との距離も、ちょっとは縮まるかな」
小さく、誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
恋する少女のほんわかした話ですね。
ちなみに、次話のタイトルは 『狂気』
そうです、次話に対してクッションとなる話です(無慈悲)