須々木 海霧(すすき かいむ)。
国語が好き。日本地理に詳しい。日本史に造詣が深い。主食は米。おかずは焼き魚。抹茶スイーツが大好き。
良くも悪くも、和を愛する少女である。
反面、世界史の成績が壊滅している少女でもある。ついでに世界地図もかなり怪しい。
そんな彼女は、棟区 秋水に対して否定的である。
否定的、と言うか、嫌い、なんだろう。
苦手としている、というのもちょっと違う。
純粋に、秋水のようなタイプが嫌いなんだろう。
まあ、正直なところ、分からないでもない。
ランチタイムの集まりで、ぼそりと呟いた一言が凍える程に冷えきっていたその内容に、紗綾音は思わず苦笑いが浮かんでしまうのであった。
「ジリちゃーん、お顔怖い怖いだよー」
「あっ……ごめん」
恐らく、彼女自身も思っていた以上に拒否の感情が強く出てしまったことを自覚したのだろうか、僅かに強張っていた表情をぱっと赤らめながら俯いてしまう。
うむ、可愛い。
ではなく。
「あー、やっぱ、海霧は棟区が苦手なんだな」
「う……それは……」
「いや、私も少し前まで苦手だったし、分かるー」
雰囲気が一瞬悪くなりかけたところに、すっと会話の流れを引き継いだのは、つい先程いつの間にやら新しい彼氏ができていたことが発覚したばかりの沙夜であった。
紗綾音と同じく苦笑いを浮かべつつ、海霧の方を向くわけではなく、1人で先に弁当を食べ始めようとしながら自然な感じで会話を引き継いでいた。
3学期の最初、青ざめて震えながらも秋水の前に立ち塞がった沙夜の言葉である。説得力が違う。
いや、去年までは、自分も秋水のことは怖くて苦手だったね、と紗綾音は何とも言えない気持ちになってしまう。
「まー、誰にでも合う合わないっていうのはあるよね。残念無念でまた来年-、っと」
「そういう紗綾音って合わない人いんの?」
「……ゾンビ映画誘ってくるタイプかなー」
「それ紗綾音のお母さんじゃない?」
蜜柑ことミカちゃんのツッコミに紗綾音は遠い目をした。
ゾンビは、ゾンビ映画だけは、ちょっとノーセンキューと言うか、なんと言うか、うん。
幼稚園入りたてくらいの幼子に対し、母がノリノリでパニックホラーの映画を見せつけてきたものだから、こちらはがっつりトラウマなのである。
そうじゃなくて、と紗綾音はわざとらしく咳払いをする。
海霧はたぶん、秋水のことが苦手というか、普通に嫌いなんだと思う。
それはちょっと、悲しい。
悲しいし、寂しいことだ。
だけど、人というのは十人十色。
全員が全員仲良くなれるのが理想なのだけど、そうはいかないことくらい、紗綾音だってちゃんと理解しているつもりである。
人類全員仲良くなれるなら、戦争なんて、起こりはしないだろう。
「まあ、ほら、坊主憎けりゃアサまで憎いって言うけどさ」
「袈裟ね、袈裟」
「でもでも、1から10まで全部反りが合わないって方が珍しいんだよ。合わない反りは合わせなくて良いけどさ、合ってる反りを合わせていけば良いと思うな、私」
紗綾音は、母のことが好きである。
そりゃもう、大好きである。
だけど正直、ゾンビ映画を一緒に見ようと誘ってくるのは、ちょっとなぁ、と思っている。
嫌いとは言わない。
ちょっとなぁ、である。
だけどまあ、紗綾音にとって人付き合いとは、そんな感じなのだ。
何でもかんでも全部受け入れて好きになる、というのは、なんかちょっと違うのだ。
自分は自分で、相手は相手。
相手の全部が全部好きになるということは、たぶん、ない。
紗綾音は姉のことも大好きだが、そんな姉に対しても、これ以上自転車改造するの止めて、一気に得意分野の説明垂れ流さないで、と渋く思う場面も多々あるのが事実なのだ。
そんなものだろう。
好きになれないところを好きになれなきゃ好きじゃない、なんて、おかしいと思う。
好きになれないところは、好きにならなくてもいいと、紗綾音は思う。
嫌いなところは、嫌いでいいと、紗綾音は思う。
その代わり、好きなところは、好きでいたいと、紗綾音は思う。
思うのだ。
なんてね。
紗綾音はゆっくりと海霧の方を向き、にへっ、と笑ってみせた。なんだか真面目な話をしちゃったみたいで、ちょっと恥ずかしい。
そんな紗綾音の気が抜ける笑顔に、それを向けられた海霧が一瞬だけ息を飲んだ。
「……紗綾音って、あいつのこと、怖くないの?」
「そりゃ怖いけど」
「うわ、台無し……」
ノンノうっさい。
少し言葉を選ぶようにして尋ねた海霧の言葉に、紗綾音は脊髄反射のレベルで同意を返す。
いや怖いよ。
普通に怖いよ、秋水。
腕を組んで思わずうんうんと大きく肯いてしまう。
秋水は怖いと言われるのを気にしているみたいなので、なるべく口にはしないよう気をつけているが、口にしないだけで 『今日も相変わらず怖い顔してるなー』 とか 『無言で後ろに立たれたら腰抜けちゃうだろうなー』 とかは今でも思っている。
「あの顔にあの巨体にあの筋肉にあの目つきだよ? 怖くない方がおかしくない?」
怖い目つき。
怖い顔。
大きい背丈にモリモリ筋肉。
怖いものは怖いのだ。
そして、その 『怖さ』 は、彼の個性なのだ。
彼の一部なのだ。
「じゃあ、なんで紗綾音は、あいつと友達になったの?」
少し真面目な表情で、海霧が尋ねた。
なんでって。
それはもちろん。
「棟区くんが、良い奴だからだよ!」
えへんと胸を張り、紗綾音は言い切った。
そうだ。
秋水は、良い奴なのだ。
そして、その 『良い奴』 は、彼の個性なのだ。
彼の一部なのだ。
「色々困ってるときにさ、棟区くんは面倒くさがらないでちゃんと助けてくれたんだよ! お喋りしてみるとね、声は確かに怖いけど、言葉はすんごい優しいの!」
年明けの初売りで、彼に会ったときのことを思い出す。
最初は正直、「うわ」 と思った。
ある日森の中クマさんに出会った、という状況だ。花咲く森の道なんて歌っている場合ではない。回れ右して逃げろ逃げろという場面である。
ただ、あの目に見下ろされ、思わず足が竦んだのは、よく覚えている。
怖い、と本能的に感じた。
足が竦んで、動けなくて、とにかくヘラヘラ笑ってその場を誤魔化そうとなにかを喋った。内容はよく覚えていない。
よく覚えていないが、話をしてみたら、「あれ?」 と思った。
顔は怖い。声は怖い。威圧感がヤバい。
だけど、挨拶をしたその言葉の内容は、同級生の小娘相手なのに、とても丁寧なものだった。
彼はこんな喋り方をする人だったのか。こんなに穏やかに他者と接する人だったのか。
驚いたというか、拍子抜けをした記憶がある。
流れで馬鹿みたいな相談をしてみれば、ちゃんと答えてくれた。
アドバイスもくれた。
学校が始まって喋りかけてみれば、やはり丁寧に他者と接する人だった。
あれ。
良い人だ。
そう思えた。
その見た目に反して、彼はとても紳士的で、良い人だったのだ。
そう思ってしまったら、1つでも自分と反りが合いそうだと確信したら、後はもう、そのまま友達になるのは紗綾音にとっては自然なことである。
合わない反りは合わせなくて良いけれど、合う反りを合わせれば良いだけなのだから。
「変な噂だっていっぱいあったけど、ぐるぐる考えたらさ、なんの証拠もない―――っ」
そこでふと、紗綾音は力説している言葉を、飲み込んでしまった。
『紗綾音のクラスに、棟区 秋水君って、いるよな?』
なんで、父の言葉を思い出してしまったんだろう。
なんで、警察官の父が、彼のことを知っていたんだろう。
危険な人達と関わっているとか、危ない薬を売ってるとか、警察に捕まったとか、変な噂がいっぱいある彼のことを、なんで。
……もしかして。
ぶんっ、と紗綾音は大きく首を振った。
違う。
そんなはずはない。
気を抜くと、彼のことを疑ってしまいそうになる。
一番信じなきゃいけない自分が、変な疑いを掛けてしまいそうになる。
「……うん、棟区くんは、良い奴なんだよ!」
言葉を飲み込んだのは一瞬だけで、紗綾音は再び胸を張って断言した。
海霧に対して。
そして、自分に対して。
不自然に言葉を切ってしまったことに、沙夜だけが首を傾げている。他の4人には、たぶん気がつかれていない、と思う。
『父さんが仕事で関わらないといけない話があるだろ?』
父の声が、耳鳴りのように蘇る。
なにか。
なにか別の理由が、あるんだろう。
なにかこう、全然ハッピーな感じの、知り合い、とか。
もしくは、父の勘違い、とか。
えへんと張った胸が、もやりとする。
「……私は」
海霧が一度口を開いた。
開いて、また閉じる。
言葉を選んでいるのだろうか。
急かすことなく紗綾音は言葉を待った。
他の面々も、待ってくれた。優しい奴らだ。
視線をテーブルの上に這わせてから、ゆっくりと上がる。
真っ直ぐ、紗綾音を見た。
「『良い奴』 っていうのが、どういう意味か、よく分かんない……」
今度は、紗綾音が口を閉じる番だった。
即答できなかった。
代わりに。
「頭が良い」
「確かに」
即答したのは、ミカちゃんであった。
彼が総合成績トップの学年首席なのはぐうの音も出ない事実なので、紗綾音も思わず肯いてしまう。
勉強会では公民と社会と国語と英語を教えてもらって、大変助かったのは記憶に新しい。
全体的にテストの点が低いミカちゃんと、文系は死に絶えた女のミッチは、それはもう泣いて喜んでいた。ミッチに関してはわりと真面目に涙を浮かべていた。中学生最後のテスト、平均点が上がりそうで良かったね。
棟区 秋水。
頭が良い奴。
問答無用で納得せざるを得ない。
「この前の勉強会したときも、なんかそっちの聞いてたら、教え方凄い上手そうだったよね」
「ふっ、いくら秋水先生の教え方が上手でも、私の地頭の悪さを舐めちゃいけないよ」
「ミカちゃんの頭の前だと、棟区くんでも無力かー……」
同じく勉強会には参加していたが、もう1つのグループにいたノンノが、その勉強会の様子を思い返す。
ああ、うん。
上手かった上手かった。
バスケ部出身のミカちゃんにはスポーツに絡めて教えたり、バリバリ理系のミッチには理論ベースで教えたり、教え方をきっちり分けていたのには正直驚いた。
たぶんあれは、勉強を教え慣れているんだろう。
誰にだろうか。
妹ちゃんにだろうか。
彼の家族。
触れられたくないと言っていた、彼の家族。
どんな家庭なんだろうか。
どんな両親なんだろうか。
どんな妹ちゃんなんだろうか。
なにも知らない。
私も教えてもらおうかなー、と思案顔になるノンノを見て、海霧が少し黙った。
ああ、違う違う。
今は彼女だ。
ジリちゃんだ。
なにか言葉を掛けなきゃ、と思ったところで、海霧はころっと表情を変えて沈黙を破った。
「……な、なんかゴメンねっ、変なこと聞いちゃって。ごはん食べよ。遅くなっちゃった」
笑って誤魔化す。
彼のことに関しては、ノーコメントということだろう。
まあ、致し方なし。
「海霧」
「うん?」
そんな海霧に声を掛けたのは、沙夜だった。
ごはん食べよ、と言われる前から既にデカい弁当箱を開けて食べ始めていた沙夜は、食べる手を止め、じっ、と海霧の方を見る。
見てから、ぷいっと視線を逸らした。
あ、照れてる。
「無理しなくて、いいからな」
なにを、とは言わなかった。
言うことなく、そして返事を聞くことなく、沙夜は再び弁当をもりもりと食べ始める。
ちょっと耳が赤いのが、なんか可愛い。
「……うん」
そんな沙夜の言葉に対して、海霧は苦笑いで肯いた。
それから彼女も弁当箱を開け、手を付け始める。
それぞれに、お昼ごはんを食べ始めた。
それじゃあ私も、と紗綾音も弁当箱を見下ろした。
どっ、どっ、どっ、と図星を指されてから荒ぶり続ける心臓を、制服の上から、きゅっと押さえる。
図星を指されて、言葉に詰まった。
何も言えなかった。
最後の最後で、彼のことを、フォローしきれなかった。
表情には、出なかっただろうか。
気が付かれなかっただろうか。
変だとは思われなかっただろうか。
そんな思考がぐるぐるする。
『良い奴』 っていうのが、どういう意味か、よく分かんない。
それは、奇遇だ。
彼は良い奴だ、と何度も呪文のように繰り返しておきながら、その紗綾音だって、海霧のその言葉には同意見である。
良い奴。
それが何を意味しているのか、紗綾音もよく、知らない。
彼は良い奴だ。
良い奴なんだ。
良い奴、なのだ。
その言葉が空っぽの虚勢であることくらい、紗綾音だって、自覚していることだった。
じわじわ蝕まれていくチワワ(・ω・`)
「棟区くんは良い奴」と言っているときは、基本的に自分に言い聞かせている。
それって逆に言えば、秋水くんのことを信じていないのでは……(邪悪)