ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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166『最低な母ではあるが』

 

 最悪。

 

 昨日の買い物のテンションとは打って変わり、錦地 美寧は只今最高に最低で機嫌が悪かった。

 車の窓にうっすら映る自分の顔は相変わらず性格の悪そうなブスで、さらにテンションが低くなりそうだ。

 ここでクソデカ溜息を吐き出さない自分を褒めてやりたい。いや褒めよう。自分自身を褒めてやらねば誰が褒めるというのだ、とは美寧の筋トレ先生である秋水の言っていた教えである。

 よし。不機嫌なのを我慢できている自分は偉い。流石美寧ちゃん。よっ、頑張ってる。

 まだ慣れない。普通に恥ずかしい。

 自分を内心で褒めてみるが、やはり羞恥心の方がまだ強いせいか頬が少しだけ熱くなるのを美寧は感じる。

 涼しい、と言うかまだ走り出したばかりで寒々とした車内では、熱くなるくらいが丁度良いかもしれない。

 まあ、寒々としている車内は、気温に限った話じゃないのかもしれないが。

 ちらりと運転席へと視線をやった。

 車を運転しているのは、スーツを着た女性。

 運転をしている横顔はキリッとした表情ではあるものの、どこか緊張している感じは隠せていなかった。

 気にしなくてもいいのに、と美寧は心の中だけで溜息を吐きながら、再び助手席の窓へと視線を戻してその女性へと声を掛けた。

 

「それで、お母さん、急にどうしたの?」

 

「いいから」

 

 その女性、美寧の母は、美寧と同じく視線を向けてくることなく、運転手らしくしっかり前方へと目をやりながら短く返した。

 軽自動車程ではないが、この車はそこそこ小回りの利くコンパクトカー。

 グレードもそこそこ。お値段もそこそこ。

 ただし、安全装置はガチガチで、運転支援システムは詰め込めるだけフル装備である。

 最悪。

 美寧は再び同じ台詞を心の中で呟いた。

 

 美寧の母は、車の運転がぶっちゃけ下手くそである。

 

 助手席の肘置き部分を、美寧はぎゅっと強く握っていた。

 車内は寒々としている。

 冷や汗のせいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テスト前ということで早めに授業は切り上げられ、すんなりと家に帰ってきた時点での美寧はルンルン気分で、なんとも浮かれていた。

 まあ、今週はずっと浮かれていた感じではあったのだが、浮かれ具合は本日が最高潮である。

 なんと言っても今夜、いや日付変わるくらいだから正確には明日の未明と言うべきなのか、どちらでも構いはしないが美寧にとっては勝負の時間が刻一刻と迫ってきているからだ。

 筋トレである。

 ジムである。

 そして、秋水である。

 久しぶりだ。

 久しぶりに逢える。

 彼に逢える。

 会って、ちょっとお喋りしよう。

 いやいや、秋水は善意で筋トレを教えてくれる先生だ。

 ちゃんとトレーニングは頑張ろう。下手なことして失望なんてされた日にはトラックに突っ込んで死んでやる。

 ただ、まあ、セット間休憩の時とかに、ちょっとお喋りするくらいは、セーフだろう。きっとそうだ。そうに違いない。種目と種目の間くらいとかでも良いし、とにもかくにも、ちょっとお話がしたい。探りを入れたい。

 いやいや、探りを入れるとか言ったらなんか聞こえが悪いと言うかなんと言うかなのだけど、ちょこっと、ちょこーっとだけ聞きたいことが山程どっさり少しだけあったりなかったりする感じなのだ、うん。

 

 結婚してますか!?

 

 いやいや、違う違う。ここはせめて、恋人いますか、くらいだろう。もしも仮にここで結婚してますと言われたらどうする気だ。もちろん父と母をお手本にして不倫の沼に秋水をずぶずぶに沈めて奥さんから堂々と略奪してやりますけどなにか? 倫理に反してる? それがどうした、最後に幸せになった者が勝ちなのよ、わはははは(悪役の笑い声)。

 本音が漏れてしまった。

 そうじゃない。

 まずはそう、連絡先だ。

 メッセージアプリで連絡先の交換である。

 秋水にメッセージを送りたい。

 できたらメッセージを貰いたい。

 そしてあわよくば写真なんかも送信して欲しい。

 そしたら頑張ってちょっとエッチな感じの自撮りなんかとか送りつけちゃったりしたりしてうふふふふふ。

 あとあと、誕生日はいつか知りたい。好きな色が知りたい。好きな香りが知りたい。なんのお仕事しているのか知りたい。朝方か夜型か知りたい。どんな音楽や歌が好きか知りたい。趣味がなにか知りたい。好きな食べ物が知りたい。好きな飲み物が知りたい。好きな柄が知りたい。静かなのが好きか知りたい。音が少しあった方が好きか知りたい。お酒を飲めるのか知りたい。タバコを吸うのか知りたい。コーヒー好きなのか知りたい。紅茶が好きなのか知りたい。どんな動画が好きなのか知りたい。器用なのか不器用なのか知りたい。果物が好きか知りたい。筋トレはなにが好きか知りたい。遊びに行くならどんなところが好きなのか知りたい。どんなところに住んでいるのか知りたい。どんなボディーソープ使っているのか知りたい。どんな歯磨き粉使っているのか知りたい。ごはん派かパン派か知りたい。子供の頃はどんな感じだったか知りたい。どんな女の子が好きなのか知りたい。好みの女性が知りたい。可愛い系が好きか美人系が好きか知りたい。髪は長い方が好きか短い方が好きか知りたい。低い声が好きか高い声が好きか知りたい。落ち着いた声色が好きか甘える感じの声色が好きか知りたい。勉強できた方が好きかおバカっぽいのが好きか知りたい。どれくらいのお洒落っ気まで許容されるのか知りたい。どれくらいのメイクまで許容できるのか知りたい。胸は大きい方が好きなのか小さい方が好きなのか知りたい。むしろなんていうかどんなフェチっ気があるのか知りたい。知りたい知りたい。なんでも知りたい。全部知りたい。

 なんて。

 なーんて。

 ほんのちょっとだけ、秋水のことが知れたら嬉しい。

 だから、メッセージの連絡先のゲットは絶対に達成しなければならない。

 そうすれば、ちょっとずつでも情報収集ができるかもしれない。

 情報収集だ。

 そう、母が言っていた恋愛理論だ。

 役立たずとか言ってゴメンなさい。よくよく考えてみたら、情報収集は大事だ。

 故に、連絡先の交換、頑張ります。

 そんな使命感に燃えながら、上機嫌で美寧は自宅玄関の扉を開いた。

 

 何故か、母が待ち構えていた。

 

「お帰りなさい美寧。ついて来なさい」

 

 鞄すら置きに行く暇もなく、母に連行されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は先生と会うから仮眠してごはん食べてお風呂入って軽くメイクしてなんて地味に予定詰まってるのにー。

 急カーブを曲がるかの如く遠心力に揺さぶられながら、美寧は心の中で涙目である。

 ちなみに、普通の十字路交差点である。急ハンドルする意味が分からない。

 

「一応聞くんだけど、どこ行くの?」

 

 母に強制連行されたはいいものの、いやよくないのだが、とりあえず目的地も分からないのは不安なので美寧は聞いてみた。

 無言。

 スルーされてしまった。

 会話拒否だろうか。

 いいけど。

 以前であれば色々感じるものがあったのだろうが、今は母が沈黙で返してきても不思議なくらいに心が落ち着いている。

 いや、急発進急ブレーキ急ハンドルに心臓バクバクなので、まるで落ち着けていないのだけど。

 交差点の信号機が赤信号。

 キュー、と車が止まる。

 お願いだからもっとふんわりブレーキをして欲しい。周囲の安全把握が最優先というのはまあ肯くけれども、同乗者の安全だって大事だと思わないのかね。

 

「ドラッグストアよ」

 

 唐突に、母が言葉を漏らした。

 

「え?」

 

「まずはドラッグストアに行くわよ」

 

「あ、運転に集中してて喋れなかっただけなんだ」

 

「安全第一よ! この前だって大きな事故があったじゃないの! 運転しているときは運転に集中するべきよ!」

 

「あー……」

 

 自動車に大型トラックが突っ込んだ事故のことだろうか。

 あれはクリスマスに起きた事故で、もう1ヶ月以上前なんだけどな、と思い出しながら美寧は苦笑する。

 確かに結構大きな事故だった。

 追突された自動車はぐっちゃぐちゃで、ガードレールや信号機をなぎ倒していた。

 あれほどの惨事で、死傷者が自動車に乗っていた3名だけというのは、まあまあの奇跡だろう。

 被害が少なくて良かった良かった。

 

 

 

 ちなみにその事故、美寧は生で目撃してしまっている。

 

 

 

 大きな音にビックリして、見て見れば大惨事である。

 うわぁ、という感じだった。

 自動車は見るも無惨に押し潰されているのを見て、「これ爆発するんじゃない?」 なんて慌てて逃げたが、結局爆発とか炎上とかしなかった。

 いや、あれは凄いもの見てしまった。

 当時は秋水と出会う前でメンタル的にも追い詰められている状況だったが、流石にあの事故に対しては、ご愁傷様、と思うくらいであった。

 まあ、思うだけで、別に何も感じることはなかったが。

 結構大きな事故だったのに、世間はクリスマスムード一色で、全然ニュースには取り上げられなかった交通事故だ。

 しかし、母はそれを知っていたようである。

 これが大人か。

 

「……あれ、ドラッグストアって、こっち行くの?」

 

 事故のことを少し思い出しながら窓の外を眺めていた美寧は、ふと周囲の光景に疑問を感じた。

 ドラッグストアに行く、のはまあ分かった。なんで自分が連行されたのかは分からないが、とりあえず分かった。

 しかし、それならば、この方角に車が行くのはおかしい。

 家の近くにあるドラッグストアとは、まるで逆方向である。

 振り向いて母を見ると、再び母は運転に集中モードであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして辿り着いたのは、母の宣言通りにドラッグストアである。

 モタモタしながら駐車場に車を止めることができ、母は安堵の溜息を1つ、ついでに美寧も生還できたことへ安堵の溜息をもう1つ。バックモニターのガイドラインが大丈夫って言ってるんだから大丈夫だと思うのだが、何度も安全確認を行いながら、何度も切り返して駐車した。安全運転と言われたら何も文句が言えないので反応に困る。

 やれやれ、と思いつつ、美寧はガラス越しにドラッグストアの看板を見上げる。

 家の近くにあるドラッグストアではない。

 むしろ、家からは結構距離のあるドラッグストアである。

 しかも、チェーン店であるこの店の系列店は、もっと近くにあるはずだ。

 

「で、なんでわざわざ遠くのドラッグストアに?」

 

 振り向いて母に尋ねると、車の電源を切った母がようやく美寧の顔を真っ直ぐに見た。

 

「こういうのは学校に近くない方がいいからよ」

 

「どういうこと?」

 

「まずは避妊具を買うわよ」

 

「どういうこと!?」

 

 なんか真面目な顔で碌でもないことを母が口走りやがった。

 避妊具。

 避妊具だと?

 この母、ついに頭がおかしくなってしまったのか。

 いや、家と旦那をほったらかして若い男に走ってる時点で、頭のおかしな母であるのは確かだった。

 つまり手遅れ。

 

「いや意味分かんないじゃんね!? どうしちゃったの母さん!? 浮気相手に振られちゃったの!?」

 

「シバキ倒すわよあんた」

 

 半眼で睨まれた。

 睨みたいのはこちらである。避妊具ってつまり、あれだ、コンドームとか、そういうあれだ、例の夜用の……とかいうやつだろう。いやとんだセクハラママンじゃないかオイ。

 はぁ、と母が溜息を吐く。

 なんでだよ。

 

「美寧、あんた、今、好きな人いるでしょ?」

 

 シートベルトを外し、母が尋ねた。

 尋ねるというか、確認だ。

 だって、もう母にはぶっちゃけてるし。恋愛相談だってしちゃったし。

 

「……いるけど。でも別にそういうのじゃなくて、まだ片思いっていうか、全然進展してないし」

 

 そうである。

 恋愛相談を持ちかけたのは、今週頭のことである。

 まだ1週間も経ってない。進展しているはずがない。

 そもそも秋水とは週末のジムでしか会えておらず、今のところメッセージの連絡先だって交換できていない状況だ。これでは進展するも何もない。

 それともなにか、母はもう、意中の相手とはイけるところまでイっちゃっている、という想定でいるのか。

 気が早い。

 めちゃくちゃ早い。

 まだだよ。

 お手々すら繋いでないよ。

 いやジムで筋トレ補助で触られたことあるけど、あれはノーカンで。

 少し顔を赤くしながら、美寧は構うことなく半眼で母を睨み付けた。あらあら今時の子はプラトニックなお子ちゃま恋愛なのね、ぷぷー、とか思っているのだろうか。ふざけんな喧嘩なら買うぞこのヤロウ。

 そんな美寧の反応に、再び母が先程よりも大きな溜息を吐き出した。

 よーし、喧嘩売ってんだな。女の子が暴力振るわないなんて思うなよ。

 

「だから、よ」

 

 その呟きに、握りかけていた拳をぴたりと止める。

 なんと言えばいいのだろうか。

 万感の籠もった、複雑な声色であった。

 

「恋愛ってね、急に進展するもんなのよ。気付いたらあっという間に一線越えてたりするの。好きな相手だったら尚更、ね」

 

「ちょ、ちょっと何言って……」

 

 一線越える、が何を意味しているのか分からない程、美寧は子供ではない。

 母の言うそれを思わず想像してしまい、美寧の顔が一気に赤くなったしまった。

 いやいやいや。

 なに言ってんだこの母親。

 思い出しちゃったじゃないか。

 背筋が硬くて四苦八苦している美寧のために、文字通り一肌脱いでくれた秋水のこと。

 上半身の、あの裸。

 凄まじいまでの、筋肉美を見せてくれた、あの光景。

 なんで写真撮らなかったんだ自分は!

 そうじゃないバカヤロウ。

 違う。

 違うのだ。

 決して秋水の体を、エロい目で見ているわけじゃないのだ。

 たぶん。

 いや。

 うん。

 見てません。

 た、たぶん。

 母の言葉に百面相をする美寧を見て、母がふっと小さく笑った。鼻で笑うような、苦笑するような、微笑ましいものを見るような、変な笑みであった。

 

「まぁ、そんな日が来ないかもしれない。でも、来るかもしれないでしょ? もしそうなった時、あんたが後悔しないように、今から用意だけはしておきなさいって話」

 

 そして諭すように、いつもより少しだけ優しい声色で母が言う。

 なんでちょっと良い話している風なんだよぉ。

 赤い顔のまま、ぷくー、と美寧は頬を膨らませた。

 以前であれば、絶対に母には見せなかった類いの表情だった。

 

「いやいや、そんなのまだ早いって……ていうか普通、母親が娘にそういう話する?」

 

「普通かどうかはどうでもいいの。少なくとも、これは母親の役目よ」

 

「……役目?」

 

 狭い車内、それでも母は美寧と真っ直ぐ向き合った。

 この母親に、母親の役目とか言われても。

 そう思ってしまい、美寧は思わず疑いの眼差しを向けてしまう。

 それを、母は真っ正面から受け止めた。

 

「そう。私はね、安璃や美寧が赤ちゃんだった頃、母親になる大変さを味わったからよく分かる。子どもを産んで育てるって、本当に大変なのよ」

 

「そりゃ、分かってるけど……」

 

「いいえ、分かってない。全然分かってないわよ」

 

 ぴしゃり、と美寧の言葉を母は全否定してきた。

 慣れてるけど。

 母から全否定をくらうのは正直慣れてしまっているけど。

 何故だろう。

 いつもとは違う感じの、否定の仕方であった。

 

「自分の時間も、自由も、人生そのものも、全部丸ごと子供のために使う覚悟がいるの。そういう覚悟がないうちは絶対に妊娠しちゃダメ。だから避妊が必要なの」

 

 その言葉は、重たい。

 経験者の言葉だ。

 当然か。

 母なのだから、母としての経験は、当然あるのだから。

 茶々を入れる隙もない。とても真面目に口にする母の言葉に、美寧は黙りこくってしまう。

 

「だからね、いい? 恋愛に浮かれて、盛り上がってる時に、ふとした気の迷いで一線を越えちゃうことなんて、別に珍しくもないの。あんただけは絶対にそんなことないって、言える?」

 

「それは……」

 

「言えないでしょ。私だってそうだったんだから。だからこそ、美寧にはそういうリスクをちゃんと理解しててほしいの」

 

 正直、考えてなかった。

 それはもちろん、ちょっとエッチなことは、考えた。

 そういう想像も、ちょっとだけした。

 

 でも、妊娠とか、赤ちゃんとか、そこまでは考えてなかった。

 

 なんか、もっと遠い話だと思ってた。

 でも、そうか。

 それは、そうか。

 自分がしている恋愛は、そういうことが起こりうる、生の恋愛だ。

 生々しいまでの、愛なのだ。

 何故だろう。

 急に足が付いたような感覚だ。

 ふわふわした秋水への感情が、急にずしりと美寧の腹の奥に沈み込む。

 自分は今、妄想じゃない、現実の恋をしている。

 リアルな恋をしている。

 それが、生々しい実感をもって、美寧に襲い掛かってきた。

 

 

 

 どうしよう、嬉しい。

 

 

 

 嘘だ。

 冗談でしょ。

 今までだってふわふわ夢見心地の幸せでパンクしそうだったのに、生々しい話で夢見心地をパンクさせられて感じたのは、今まで以上の嬉しい、だった。

 

 

 

 そうだ、自分は、女、なのだ。

 

 

 

 秋水とそういう関係になるかもしれない。

 なれたら嬉しい。

 なりたい。

 だからこそ、準備をしなくちゃ。

 将来に向けての準備をしなくちゃ。

 将来のための、アクションを起こさなきゃ。

 なんでだろう。

 おかしい。

 今までだって秋水の情報収集頑張るぞって燃えていたはずなのに、そんな今までなんか比じゃないくらいにやる気が出てきた。

 ふわふわしたやる気じゃない。

 現実的な、やる気が出てきた。

 

「で、で、でも、でもでも、いきなりこんなところに連れてきて、避妊具買えって……」

 

「美寧、自分で避妊具を用意するのって、恥ずかしい?」

 

「そりゃ、恥ずかしいじゃんね……」

 

「だから、今なの。恥ずかしさに負けて何もしなかったら、もしもの時に何もできないでしょ。母親になっちゃいけないタイミングで妊娠したら、傷つくのは美寧よ」

 

 ぐうの音も出ない。

 この母親、めちゃくちゃ母親してるじゃないか。

 すごい、頼りになる。

 役立たずとか言っちゃってマジでごめんなさい。

 

「男の子はそういうこと、簡単に考えてたりするの。だから女の子が自分で自分を守るのよ」

 

「う、うん、わかった。でも、買うだけで本当にそういうのって大丈夫なの?」

 

「次は、病院にも行くわよ」

 

「えっ!? びょ、病院!?」

 

「産婦人科。いざって時に、頼れる場所があった方が安心でしょ」

 

 ドラッグストアの次に病院なのか。

 しかも産婦人科。

 うわぁ、リアルぅ。

 しかし、その、産婦人科に行ってなにをするのだろうか。そもそもだが、今まで美寧は恋愛なんてできる状況じゃなかったので、その、経験が、ねぇ?

 

「えっと、あの、あのあの、その、まだそういうことしてないのに、産婦人科とか行っていいの?」

 

「全然問題ないわよ。むしろ困ってから慌てて行くより、最初に相談できる場所を作っておく方が良いの。婦人科って別に病気や妊娠した人だけが行く場所じゃないから」

 

「で、でも何するの? 診察とか、怖いんだけど」

 

「普通は問診が中心よ。先生と1対1で避妊のこと、困った時の相談の仕方、そういう話を聞くだけ。『まだ何もしてないけど、避妊や性病予防について話が聞きたい』って言えば、親切に教えてくれるわよ」

 

「そうなの?」

 

「そう。それに、万が一、避妊に失敗した時のアフターピルって薬があるんだけど、緊急の時はそういう薬も処方してくれる。今回は別にすぐ飲むわけじゃないけど、いざという時のためにどんな感じなのか聞いておくのよ」

 

「……う、うん」

 

 流石は人生の先輩。そして女としての先輩。

 淡々と教えてくれる母の言葉に、美寧は顔を真っ赤にしながらこくこくと肯く。

 わぁ、わぁ。

 なんて言うか、わぁ。

 美寧の頭の中で語彙力が死滅している。

 そんな美寧の心中を察しているのかいないのか、少しだけ微笑んでいた母の表情が、少しだけ陰った。

 

「ねえ、美寧。私、母親としては失格だと思う」

 

「え?」

 

 そうだね。

 思わず素で返事をするところだった。

 しかしながら、正直美寧にとって、そんなものは最早どうでもよかった。

 

「でも、せめて美寧が私みたいに取り返しつかない後悔をしないように、それくらいは伝えなきゃって思ったの」

 

「母さん……」

 

 いえ、もっと色々伝えて下さい。

 母親としては、確かにこの母は終わってる。

 だが、女のとしては、この母は美寧よりも数段上の存在なのだ。

 高校生にもなる娘がいる既婚者なのに、別の男を堕として不倫の沼に沈めてるんだぞ。ヤバいだろ。是非見習わなければ。

 そんな母が、確実に秋水との恋愛について的確なアドバイスをしてくれている。めちゃくちゃ現実的で、とても大事なアドバイスだ。

 もっと情報下さい。

 何故かキラキラした目で美寧は母を見て、そんな視線をもらった母は静かに苦笑した。

 

「……好きな人ができて、毎日楽しいでしょ? 幸せで、夢中で、それ自体はすごく良いことよ。でも、夢中になってる時こそ一番危ないの。私はそういう時、失敗したことがあるから」

 

「そ、そうなんだ。あ、じゃあ姉さんって……」

 

「そう。だから、美寧はそういう失敗をしないで。ちゃんと自分で自分を守って、好きな人と幸せになりなさい」

 

「うん……分かった」

 

「……よし、じゃあ買いに行くわよ。恥ずかしいなら私が一緒に買うから。次からは、自分でもちゃんとできるようにしなさいね」

 

「わ、わかった……」

 

 たぶんこれは、母と娘として和解ができたわけではないのかもしれない。

 母は浮気を辞めたわけではない。

 父の浮気だって黙認したままだ。

 きっと姉の亡霊は、母の中にまだ居るのだろう。

 家庭のことは、どうでもいいと思っているのかもしれない。

 最低な母である。

 それは恐らく、覆らない。

 

 だが、女の先輩として、美寧は母を見直した。

 

 車を降りてドラッグストアへ向かう母の後ろを、美寧はちょこちょこと追いかけた。

 

 

 





 い、いびつな家庭環境!(暴言)

 はい、ふわふわ夢見心地の恋愛モンスターから、地に足ついた現実的恋愛モンスターになりました。この娘にしてこの母親よ(;´・ω・`)

 ちなみに断言しておきますと、美寧ちゃんの母親を「良い人」にする気は一切ありません。間違いなく母親としては終わっています。錦地家としてのひび割れは、割れることはあっても修復は絶対にありません。あり得ません。
 でも、美寧ちゃんはこの母親にこれから懐くでしょうねぇ!(頭を抱える)
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