「峰岸先生、明らかに様子がおかしいです。ここは一旦……」
「まあまあ、志穂さん。分かっていますよ。ですが、査定してもらうくらいなら問題ないでしょう?」
店内にいた外国人客の視線がカウンターへと一気に集まり、激変したその雰囲気に志穂が慌てて鉄臣へと耳打ちしたが、鉄臣は柔和な笑みを祈織に向けたまま、なんとも気楽そうに返した。
気楽そうに、である。
首筋に冷や汗が滲んでいる。
続ける気か。
どうせ、ここで店を出たら彼女の身が危ない、とか言うんだろう。鉄臣がそういう中途半端に降りるのを好まない人なのは、バディを組ませて貰ってるので志穂はよく理解している。新人教育であって相棒ではない、とか言ってはいけない。
後でお腹痛いとか言って胃薬飲むはめになるんだぞ。志穂は一度だけ、ふん、と鼻を鳴らした。
「……峰岸先生がそう仰るなら」
肯きながら、志穂は鞄から腕時計を1つ取り出した。
弁護士事務所に入って、鉄臣からプレゼントされた腕時計である。
貰ったはいいが、志穂は腕時計は基本的にしないタイプである。今時時間の確認はスマホでできるからだ。
と言うか、腕時計だったら鉄臣がしている。志穂にプレゼントしたのと同じ腕時計だ。
だったらそれを査定してもらえばいいじゃないか、と思いつつ、若干渋々と鞄から取り出した腕時計を鉄臣に差し出した。
査定しても良いけど、売るんじゃないぞ、それ。売られたら色々困るんだからな。
鉄臣を僅かに睨み付けてから、志穂は再びぐるりと店内を見渡す。
客に扮した外国人は5人。
その内2人、ジャーナリスト系と思われる両名が、明らかにカウンターへ、いや祈織の方へと近づいてきている。
商品を見るフリをしながらも、距離を詰めてきている。
わざとらしい。
ぎろりと睨み付けてから、志穂は一歩横にずれた。
鞄に隠しカメラを仕込んでいる奴がいる。そのカメラの視線から祈織を隠すように、志穂が動くと、ちっ、という舌打ちが聞こえる。
舌打ちしたいのはこちらだ。
「それでは、これをお願いしてもよろしいですか?」
「はい、承りました」
そんな周りを警戒して怖い雰囲気を振りまいている志穂を、機嫌悪いのかなぁ、なんて見当違いなことを考えつつ、祈織は鉄臣から腕時計を受け取った。
店内にいる他の客を何故か威嚇している志穂であったが、その迫力は正直なところ、今年から知り合いになった中学生である棟区 秋水と比べてしまえば、なんとも可愛らしい感じにしか思えなかった。
だって、秋水がただただその場に突っ立っているだけの方が、10倍は怖い。
一生懸命睨みを利かせているっぽいが、秋水がじっと見つめてくる方がめちゃくちゃ睨まれている感がある。
そんな上限値にすっかり慣れてしまった祈織は、志穂の警戒態勢を不機嫌そうだなぁ、くらいにしか感じられなくなっていたのである。なんていう弊害か。
それにしても、峰岸先生、か。
男の方を志穂がそう呼んでいたのを祈織は思い出し、もしかして偉い人なのかもしれない、と祈織はちょっとだけ緊張した。
鎬と同じく仕事できそうな感じのオーラを醸し出している志穂が、なんだか秘書さんっぽく見えてきた。ということは、このおじさんはどこかの会社のお偉いさんなのだろうか。お揃いのトレンチコートなんか着てるし。関係ないか。
なにしに来たんだろー、と少し混乱しつつも、祈織は受け取った腕時計をトレーに置いて、ルーペなどの道具を取り出した。
しかし、なんだか変な腕時計だ。
クラシックさを感じるシンプルなアナログ時計だが、安っぽさは感じない。ただ、有名所のメーカーが作った商品ではない。
ロゴを確認する。
ふーん。
なるほど。
腕時計の裏に刻まれている文字を確認した祈織は、ちらっと鉄臣の方を見た。
にこり、と微笑まれた。
このタイプの腕時計を秘書さんっぽい人に持たせているとか、本当にどういう立場なんだこの人。
疑問を感じるものの、そこを突けば藪蛇か、と頭の片隅で考えながらも、にへっと鉄臣に笑顔を返す。
君子危うきに近寄らず、ってね。
そんなことを考える祈織は改めて腕時計を覗き込んだ。なお、店内が正に危うきの渦中にあることを、祈織は全く気が付いていない。暢気なものである。
「そう言えば、こちらのお店って随分と静かな場所にありますけど、景気の方はいかがですか?」
と、急に話しかけられる。
「いやー、やっぱり厳しいですねぇ」
それに対して祈織は、腕時計に印字されている番号を書き写しながら反射的に答えた。
返してから、ちょっと失礼だったかな、と頭の片隅で考える。推定お偉いさんを相手に、ながら作業で返事しちゃったよ。
番号を書き写してから、再び祈織は鉄臣へと目を向けた。
正確には、鉄臣の左手首。
ぱっと見では、同じ腕時計だと思われるものを、している。
へー。
通報案件じゃなさそうだ。
それから祈織は視線を上げ、鉄臣を見上げる。
「ちょっと前まで廃業を考えていたくらいなんですよ、これでも」
「おや、ということは、今は考えていない感じですか?」
「まあ、おかげさまで最近は色々と持ち直してきてますよ。おしりに火がついているのは変わりませんけどね、はは」
世間話に軽く笑いながら、祈織は寄せていたノートパソコンを手前に引き寄せる。
書き写した番号と、ロゴから推測できる製造元の名前を素早く入力した。
「おひとりで経営されているみたいですが、なんだか大変そうですね」
しみじみと言ってくれる男性に、祈織は乾いた笑いを漏らす。なんだか随分と実感が籠もっているじゃないか。
ちらりとノートパソコンの画面を確認する。
やっぱり。
普通じゃない腕時計だ、これ。
「まあ、最近は凄腕さんが手伝ってくれるようになりまして、色々経営改善に対してアドバイスをしてくれるので助かってますよ」
「凄腕さん、ですか?」
「ええ。店の蛍光灯は明るくしろー、とか、看板と窓は綺麗にしろー、とか、SNSを活用しろー、とか、ECサイトがー、とか、色々教育されているところです、私が」
一度苦笑いを浮かべてから、祈織は預かっている腕時計の文字盤をじっくり眺めた後、時刻調整用のネジがついた側面にルーペを当てて覗き込む。
マイクがあるところだ。
これはバレたな、と頭の片隅で思いつつ、鉄臣は微妙な表情をしてしまった。
その凄腕さんという人、鎬とかいう人じゃなかろうか。
棟区 鎬。
峰岸弁護士事務所の、依頼人である。
彼女の顔を思い出し、ちょっと胃が痛くなってきた。
「……もしかしてその方、棟区 鎬さんという女性では?」
思わず聞いてしまった。
ルーペから目を離して、祈織が顔を上げた。
間の抜けたと言うかなんと言うか、ぽかんとした表情である。
「えっ、そうですけど……お知り合いだったんですか?」
「はい、彼女とは少々ご縁がありまして。凄い人ですよね、彼女」
凄い人、の間くらいに、苛烈な、とか、ヤバい、とか余計な言葉を入れそうになるのを、鉄臣はぐっと堪える。
まあ、実際に鎬という女性は、かなり凄い人である。
刑事裁判を検察に任せっぱなしにする気はなく、被害者参加制度をフルに使って意見陳述をあげるつもりでいるし、少々問題のあるタイプの民事裁判を平行して起こしていく気だし、よく分からない新発見の物質の利権だかなんだかの交渉に駆り出されているみたいだし、それらに専念するために仕事を辞めてくるし。
うん、そんな行動力の化身みたいな人の手綱を握らなきゃいけないのか。お腹痛い。
言いながらも鉄臣は遠い目になるが、その反対に祈織の表情は、何故か明るくなった。
「ええ、ええ、そうですよね。凄いんですよ、鎬さん。まあ、色々厳しいですけど、全然給料とか用意できていないのにめちゃくちゃ手伝ってくれて。本当に頭が上がらないです」
照れるように、しかし嬉しそうにくしゃりと笑いながら祈織が口にする内容は、なんとも手放しで鎬を褒める内容であった。
おや? とその反応に鉄臣は眉を顰める。
「……棟区さんとは、仲がよろしいのですか?」
「はい、仲良くさせてもらっていますよ」
「彼女、怖かったりしません?」
「あはは、そんなに怖くないですよ」
軽く笑いつつ、祈織はカウンター下から白いクロスを取り出して、渡している腕時計を丁寧に拭き始める。
ちゃんと、感情の籠もっている言葉の色だ。
誤魔化している感じは、しない。
鎬のことを、本当に怖くないと思っているようだ。
もしくは、この子どものような見た目をしている店長の前では、鎬は自分達には見せていない優しい面を見せているのだろうか。
あるいは、冷淡な鎬よりももっと怖い人間と接し慣れているとか、という線は流石にないか。祈織は見るからにもう、犯罪者や暴力団のような人達とはまるで関わったことがなさそうな、実に平凡な一般私人、いや一般人にしか見えない。そのような知り合いがいるとは思えない。
「鎬さんは良い人ですし、喋ると面白いですからね。甥っ子さんをすごい可愛がってまして、あ、秋水くんって言うんですけどね――」
共通の知り合いがいることが分かって口が軽くなったのか、鎬のことを無警戒にぺらぺら喋りつつも、祈織は拭き終わった腕時計をトレーに置いてからノートパソコンのキーボードを素早く叩く。手慣れている。
着々と査定を進めていく祈織を見ながら、鉄臣の表情はやはり微妙、というよりも、なんとも苦い表情になっていた。
なんと言うか、普通だ。
あまりに普通の一般私人だ。
鎬が手伝っている店の店長だから、ビジネスパートナー的な存在だから、そういう認識でいたものだから、どんな傑物がお出しされるかと内心恐怖していたのだが、実際に祈織と喋ってみた感想といえば、危機感の薄い一般人、である。
利益や権利を虎視眈々と狙う輩に差し出すには、丁度良い感じの生け贄である。
これは、ハメられた。
直感的に鉄臣はそう悟りながらも、にこりと笑顔を作った。
「そうですか。棟区さんのおかげで、廃業を考えずに済むようになったのですか?」
それは良かったですね、というように世間話を続行する。
その言葉に、祈織はキーボードを打つ手を一度止め、んー、と軽く鼻を鳴らしながら顔を上げる。
「あー、そうですね。正確には順番が逆なんですけど、鎬さん経由ですごいアクセサリーが手に入るようになりましてね……新しい物質とかいうのが入っているアンクレットなんですけど」
え、と思わず鉄臣は変な声を上げてしまった。
それは、鎬の言っていた 『新元素』 とやらが含まれた装飾品のことだろうか。
いやちょっと待て、随分と気軽に口に出してくれるじゃないか、こんな明らかに情報を狙って下手くそな客のフリをしている奴らの目の前で。
鎬は口止めしていないのか?
それがどれほどの影響力がある情報なのかを教えていないのか?
本当にこの子を生け贄として、諸々の被害を押しつけるつもりなのか?
そして、いやいや、いや。
カウンターの下に手を伸ばし、『なに』 を取り出そうとしているんだ?
「見てみますか? 作りが凄い丁寧で、すごい綺麗なんですよー」
「いっ!?」
何かを入れられている、綺麗な木箱を、カウンターの下から取り出された。
そのまま流れるような動作で祈織が木箱をカウンターに置き、フタに手をかける。その瞬間、押し止めようと鉄臣が手を伸ばす、よりも、あちらの行動は早かった。
スーツ姿の外国人客らしき男が、胸ポケットからカメラを取り出し、跳び寄るように迫ってきた。
その男だけじゃない。
木箱が取り出されたその瞬間に、他の4人も客のフリをやめたのか素早くカウンターの、いや木箱の方へと振り向いた。
カメラを取り出した男が迫るのは、写真のためか、動画のためか、それとも強奪する気か。動画であれば、すでに録画が始まっているか否か。奪い取る気なら。
木箱のフタを開けようと視線をカウンターの上に向けている祈織は、店内の雰囲気が一瞬で切り替わったことに気が付いていない。
デカい男が跳びかかるかのようにしているのに。
いや。
もう。
本当に。
暢気ですね!
「Stop right there! This is a formal warning!!」
“その場で止まりなさい! これは正式な警告です!”
フタを開けようとした祈織の手を咄嗟に鉄臣が押さえ込むのと同時に、店内に鋭い怒声が轟いた。
怒声と言っては、失礼か。
彼女が、志穂が、大きな声を出すと怒鳴っているようにしか聞こえないのは、いつも鉄臣がガミガミ怒られてしまっているからだろう。
「Any attempt—whether direct or indirect—by a government body or foreign research institution to exert pressure or engage in informal negotiations with a private citizen is, under Japanese law, a matter of serious concern and should be strictly avoided!」
“一般的な私人に対し、政府機関や外国の研究機関による直接的または間接的な圧力、もしくは非公式な接触による交渉を試みることは、日本国の法律において厳に慎むべき行為です!”
カメラを持った男の前で大きく手を広げて立ち塞がり、真っ直ぐその男を睨み付けながら、志穂がきっぱりとした口調で言うのは、まさかの警告であった。
警察みたいで心強いじゃないか。弁護士ってそういう仕事は専門外なんだけど。
急に店内に響き渡る大声に驚いたのか、もしくは鉄臣が木箱のフタを開けようとした祈織の手を上から押さえてしまったからか、びっくりした顔を上げていた。
奇遇である。あまりに唐突に爆弾みたいな品をお出ししようとするその度胸に、こちらもびっくりした顔になっていることだろう。
「Should there be any evidence of coercion, improper influence, or unauthorised approaches that circumvent official procedures, we are fully prepared to pursue legal action without hesitation. Please be aware: such conduct will not be tolerated!」
“万が一、不正な手段、圧力、脅迫的行為、または正規の手続きを経ない交渉が認められた場合、その行為に対し躊躇なく法的措置を講じる用意があることを、ここに明言いたします!”
続けるように志穂が言い放つ。
目の前にしたカメラを持った男だけではなく、他の4人にもはっきりと聞こえるように、大きな声で。
祈織の手を押さえながらも、志穂が発する警告を聴き、「ん?」 と鉄臣は眉間にシワを寄せる。
何故イギリス式?
志穂の言い回しは、アメリカ英語というよりはイギリス英語であった。
いや、知的だが高圧的にも感じるイギリス英語は、志穂に似合っていると言えば似合っていると思うが、なんて言ったらまた噛みつかれそうだ。
志穂が怒鳴るように発したその警告で、男共がたじろいだ。
気迫で圧倒している。護衛官みたいで心強いじゃないか。弁護士ってそういう仕事は専門外なんだけど。
しかしながら、1番の渦中の人間であるはずの祈織は、ぽかん、とした表情になっていた。
「Be advised——there are eight surveillance cameras on this premises」
“警告しますが、ここには8台の監視カメラが稼働して設置されてます”
嘘である。
だが、堂々と志穂は言い張った。
この店内に監視カメラなんて存在していないと思うのだが、これはブラフだろう。はったり、もしくは虚仮威しだ。
祈織の手を押さえていた自分の手をそっと離しながら、鉄臣は苦笑する。
咄嗟にその脅しが思いつくとは、詐欺師みたいで心強いじゃないか。弁護士ってそういう仕事は専門外なんだけど。
よし、乗っかろう。
「Let's not give away the whole layout, shall we?」
“こらこら、店の構造を教えるのはやめましょうね?”
「As if they'd ever be able to find them」
“どうせ見つけられっこないですって”
苦笑したまま、そして男共には顔を向けることなく祈織を見たまま、鉄臣はさも志穂を窘めるようにはったりを口にすると、志穂は肩を竦めながらしれっとはったりで返してきた。
女優みたいで心強いじゃないか。弁護士ってそういう仕事は専門外なんだけど。
カメラを持った男が、じわりと後ずさった。
監視カメラが本当にあると思ってくれたのか、それとも志穂の警告が効いたのか、あるいは単純に志穂が怖かったのか。
それで祈織がようやく男の存在に気が付いたのか、なんとも暢気に首を傾げている。他の連中も見てごらん、凄い勢いで店内を見渡して監視カメラの存在を探しているという異常行動をしているよ。
なんとも平和ボケをしている祈織の反応を余所に置き、志穂は何故かコートの内側を探るように手を入れながら最後の警告を口にした。
「And just so we're bloody clear——any threats in here won't be fucking tolerated. Got it?」
“おい、よく聞け。ここで脅しは絶対に許さん。分かってんだろうな?”
あれ、さっきまで皮肉混じってたけどちゃんと弁護士らしく喋ってたよね?
なんか、急にギャングみたいな言い回しになったね?
そして、なんでコートの内側に手を入れたのかな?
拳銃でも取り出そうとしているかのような感じになっているよ?
え、本当に拳銃なんて持ってないよね志穂さん?
かなりキツい口調で男に言い放った志穂の言葉を背中で聞きながら、鉄臣は軽く冷や汗をかく。ウチの新人はとんでもない度胸を持っているようだ。ここで実力行使で向こうが暴力に訴えてきたらどうするつもりだろうか。
店内に沈黙が落ちた。
祈織は何が起きたか分からないのか、ぽかーん、と口を開けている。指でも突っ込んでやろうかな。
数秒、睨み合いがあった。
そして。
ちっ、という舌打ちと共に、カメラの男が踵を返した。
出口へ向かう。
ぞろぞろと。
5人の外国人客に扮した男共が、撤退していった。
ざまぁみろ、とでも言うかのように、ふんっ、と志穂が大きく鼻を鳴らした。
「……え、あ、ありがとうございましたー」
そして状況をいまいち理解できていない祈織が、次々と退店していく男共に向かって言葉を投げかける。
ああ、うん、なるほど。
この祈織という子、英語、苦手なんだな。
つまり、志穂の言った警告、理解できていないんだな、うん。
「……随分とはっきり仰いましたね」
軽く振り返りながら、鉄臣は志穂へと投げかけた。
男共を見送って、志穂も振り向く。
どうしよう、すごいドヤ顔である。
「当然です。我々は正義と法の番人ですから」
ふふん、と自慢げに胸を張る志穂を見て、鉄臣はちょっと切ない気持ちになった。
颯爽と割り込んで格好良く決めました! みたいな感じになっているところ大変申し訳ないのだが、肝心の祈織には1ミリも伝わっていない。
むしろ、なんか急に英語で捲し立てるように怒鳴りだしたヤベェ女、みたいに思われている。
そしてたぶん、一言だけとはいえども同じく英語で合いの手を入れた鉄臣にも、祈織からは同じ印象を抱かれている可能性がある。
切ない。
そんな鉄臣の内心を知るよしもない志穂は、つかつかとカウンターに近づいてから、祈織に向けてゆっくりと頭を下げた。
「お騒がせしました、栗形さん。ただ、もし何かお困りのことがあったら、遠慮なく我々にご相談ください」
先程まで怒鳴り散らかしていたのとは一転、志穂はとても優しい口調で、それこそ子どもに喋り掛けるかのような柔らかい感じで祈織に喋り掛けた。
「は……はぁ……?」
しかし悲しいかな、状況を全く理解できていない祈織は、どう返事したものか、と言わんばかりの戸惑い具合である。
困っているのは今まさにだろうし、相談するのも弁護士ではなく警察になりそうだ。
はぁ、と鉄臣は溜息を1つ。
それからトレーに置いてあった腕時計を、鉄臣はひょいと手に取る。
「大変申し訳ありません、祈織さん。時計については、やはり大切に使うことにいたします。査定ありがとうございました」
「え? あ、あの……?」
査定も終了していないのに勝手に腕時計を引き上げてしまうのはマナー違反であるのは、百も承知、二百も合点といったところ。
しかし、ここは手早く撤退だ。
「ちなみにですが、この腕時計はどれくらいになりそうでしたか?」
「えーっと……買い取りなら2万くらいで、質入れでしたら3万くらいかなぁ、と……」
「おや、随分と高いですね。ブランド品ではございませんが?」
そして1つだけ気になることを尋ねてみれば、返ってきた値段はある意味想定通りのものである。
やはりバレている。
この短時間で。
重ねた鉄臣の質問に、えーと、と未だ戸惑いが抜けきれていない祈織は言葉を選んで。
「いえ、時計というか、ほとんどその中の盗聴器のお値段ですけど……」
にこり、と鉄臣は祈織へと微笑んだ。
「なるほど、確かな鑑定眼のようですね。それでは、棟区さんによろしくお伝え下さい」
お騒がせしましたと鉄臣は頭を下げてから、すぐに踵を返した。
続けて志穂もぺこりとお辞儀をした後に鉄臣の後に続く。
そして2人は、急いで質屋を後にした。
「あ、ありがとうございましたー?」
変な客だなぁ、という祈織の視線が、鉄臣の背中に突き刺さっていた。
「彼女、(性格的に)怖かったりしません?」
「あはは、そんなに(と言うか、甥っ子の秋水くんに比べたらもう全然)怖くないですよ」
ちなみに、私人、というのは一般人のことを弁護士さんとかが言うらしいとかなんとか。
へー(無知)
祈織 ← 政府機関相手に生け贄として鎬さんが差し出そうとしてかわいそう、とか思われているけれど、そもそも白銀のアンクレットを 「じゃんじゃん売れるじゃん!」 と言い出した元凶、かつ質屋の経営責任者。