「さてと……では、こちらの話も一つ」
4日前、峰岸弁護士事務所に訪れた棟区 鎬がそう前置きを口にしたとき、悲しいかな鉄臣は思わず身構えてしまった。
刑事裁判で被告人に対し、未必の故意として死刑を求める、と言っていたのが一転、その旨を被告人に伝わった途端に危険運転致死傷罪で構わない、と鎬は手の平を返した。
ただし、求めるのは最高刑。
そして、刑事裁判が決まったら透かさず民事裁判を起こす。
損害賠償は、3億。
示談交渉や和解交渉には一切応じない。
過失割合も「100:0」以外は認めない。
法的に認められなくはないギリギリ上限の絶妙なラインである。情状酌量の余地など与えるつもりがないのが、見て明らかだ。
あからさまに相手へ圧力を掛けている。
裁判なのに、盤外戦術のやり口があまりにエグい。
もはや賠償金が支払われるかどうかなど問題ではなく、とにかく事故を引き起こしたトラック運転手を心理的に徹底して追い詰めることが目的のような民事裁判だ。
そんな民事裁判を起こすという依頼を、一切の感情を見せぬままに淡々と口にしていた鎬が、まるで世間話でもするかのように話題を変えたところで、鉄臣の警戒はほぐれなかった。
峰岸弁護士事務所の応接室。
そのテーブルに広げられていた資料を丁寧に揃えて片付けている鎬の表情からは、なんの感情も読み取れない。
ずっと真顔で、表情が、もしくは感情が凍りついているかのようである。
ちらり、と鉄臣はソファーの隣に座っている若き新人、志穂の横顔を盗み見た。
こちらはもう、俯いて歯ぎしりまでして、顔は真っ赤で怒りの感情が滲み出ている。
志穂にとっては、法を使って個人を私刑に処そう、というのは彼女自身の正義に反すること、なのだろう、たぶん。
冷淡な依頼人に、熱くなりやすい新人。
なんと相性の悪い。
まあ、依頼人相手に真っ正面から噛みつきに行かないだけ成長している、と思っておこう。
「峰岸さん、海外の研究機関で 『新元素の存在が示唆された』 という話をご存知かしら?」
そんな鉄臣の内心を横に、相変わらず感情の乗らぬ事務的な声で鎬が話を切り出してきた。
視線を鎬へ戻す。
本当に裁判、もしくは件の交通事故に関する話ではない様子だ、今のところは。
鎬のその話に、鉄臣は軽く首を捻った。
ある程度は勉強しているが、流石にそちらの方面で情報通になれるほど、鉄臣は科学に興味があるわけではなかった。まして元素なんて分野は、新しいのがニホなんちゃらみたいな名前ので、人工的に生成がどうのこうのという、なんともぼんやりした知識で止まっている。
「新元素、ですか……いえ、私は存じませんね」
「そう」
資料を鞄にしまいながら、鎬は短く返す。
知らないことが前提、という口振りだ。
「科学技術振興機構あたりには既に波紋が広がっているけれど、まだ一般には降りていない情報よ」
淀みない口調で鎬が言う。
ぴくりと鉄臣の眉が跳ねる。
隣で、ん? と志穂が小さく呟いたのも聞こえた。
一般には降りていない情報。
それを、なぜ鎬が掴んでいるのだろうか。
「私が手伝っている、とある質屋に持ち込まれた装飾品。そこから、極めて珍しい物質反応が検出されたそうよ」
ぴたり、と鉄臣は一度固まった。
元素がどうのこうのと言われたら、なんだか遠い世界の話にも聞こえていたのだが、鎬が手伝っている質屋とかいうところに持ち込まれた物から検出されたとなれば、話題が一気に身近なものになってしまう。
いや、その質屋がどの質屋なのかは知らないが、近所じゃあるまいな。
こんな都会とも言えないところの一店舗から、そんな新しい元素なんてものが検出されるとは、にわかに信じがたい。
「物質反応……というのは、つまり?」
「ある海外の研究施設が検証を進めていて、そこで、元素周期表に存在しない反応特性が検出されたそうよ」
「それが“新元素”ということですか?」
「彼らは確定とはまだ言っていないけれど、ほぼ間違いないという前提で研究が進んでいるみたいね。論文も準備中で、早ければ来月中に先行で発表される。そうなると、騒ぎになるのも時間の問題ね」
あくまでも淡々と返しながら、鎬は鞄の中から数枚の紙を取り出した。
A4のコピー用紙。
民事裁判を起こすにあたって、鉄臣の方から出した資料ではない。何かの別の資料だろうか。
その用紙をテーブルに置いてから、すっと鉄臣たちの方へ差し出す。
見ろ、ということだろう。
「ここに記載された品が、その疑惑のアクセサリー。うちの質屋が独占的に仕入れて、販売しているの。出所は秘匿してあるし、正式な商取引の体裁は整えているけれど……このまま放置すれば、いずれ国が介入してくるでしょうね」
差し出されたのは、幾つかのグラフと写真に、英文がずらっと敷き詰められた文章。
調査結果報告、と。
ひんやりとした声色で続ける鎬の言葉を聞きながら、鉄臣は差し出された用紙にざっと目を通す。
かなり本格的な報告書である。腰を据えて読まねばならないレベルだ。
新元素、どうやら鎬がいい加減な嘘を言っている、という訳ではないようだ。
隣を確認すると、少しむすっとした表情のまま志穂も報告書に目を落としている。英語に関しては、正直なところ鉄臣よりも志穂の方が堪能である。
この報告書が貰えるのであれば、後で志穂に読んでもらおうかな、と鉄臣は少しだけ意地悪なことを頭の片隅で考えて。
「それで、政府機関との交渉、その交渉においての代理と支援をあなた達にお願いしたいの」
え? と鉄臣は顔を上げた。
は? と志穂も顔を上げた。
鎬は、変わらず能面のような無表情でこちらを見ていた。
「この件について、私は3つの目標を持って動いている。1つ、質屋や周辺人物に対しての安全確保を国に求める。2つ目は経済的価値の把握と、正当な利益確保。そして3つ目が、商品の出所情報の秘匿。政府が本格的に動き出す前に交渉の場を設け、彼らに『私たちの側にも主張がある』と認識させたいの」
いや、うん、待って。
政府機関との交渉?
それを依頼したい?
なんの冗談だろうか。
「私は、あらかじめ主導権を握っておきたい。こちらが有利な立場で交渉を進めるためには、政府機関に対しても先手を打っておく必要がある。だから、あなたたちの助けが必要なの」
「政府、というのは具体的には?」
「科学技術庁、公安、経産省、財務、まあ内閣府あたりかしら。元素の性質如何では防衛省だってしゃしゃり出てくる可能性もあるし、正直、全部は把握しきれないわ」
それはつまり、ほぼ日本の行政府そのもの、ということじゃないか。
え、それと交渉したいだって? ははは、冗談キツい。
鎬の目を見る。
内心が探れない、底冷えするような瞳だ。
本気、なのだろうか。
「……つまり、国家に対して一私人が所有権・流通権を主張し、先んじて交渉を仕掛けたいということですね」
「そう。法律上無理筋だとは思っていないわ。けれど、政府が強引に動く前に、こちらの土俵に引きずり出しておきたいの」
いや、法律上可能かどうかという話ではなく。
鉄臣は気圧されるように口籠もってから、ちらっと志穂の方へと視線をやった。
志穂も鉄臣の方を見ていた。
「かなり無茶な話だと思います」
意見を求められたと思ったのか、志穂は即座にはっきりとした口調で鉄臣に告げた。
奇遇である。第一感想としては、鉄臣も全く同意見だ。
「政府が“発見された新元素らしき物質が関与している商品”に目をつけているとして、それを一店舗が管理しようとしていると知れば、動くのは時間の問題です。それこそ、外為法や警察権の試行などで強制的な押収も……」
「ええ。それも想定済みよ」
志穂の言葉を遮ったのは、鎬である。
揃って鎬の方へと顔を向ければ、鎬は何事もなかったかのようにこう続けた。
「まあ、この依頼については、断っていただいても一向に構わないわ。裁判が忙しいでしょうしね」
「え?」
志穂がわずかに声を上げる。
随分とあっさりと引いたことに、鉄臣も驚いてしまう。
確かに、刑事裁判と民事裁判を並行して行い弁護やサポートをするのは、この弱小事務所にとってはかなり大きな仕事である。
しかしながら、そんなに他にリソースを割けなくなるくらいに忙しくなる、と言うレベルではない。
いや、だからと言って、政府機関との新元素を巡る交渉を行える程の余裕があるかと問われれば、怪しいが。
驚く2人を前に、鎬は相変わらず、表情ひとつ変えずに続けた。
「政府に色々言われるでしょうけれど、最悪の場合は、その質屋の店長を矢面に立たせるまでよ。もし交渉が不首尾に終わったとしても、責任をすべて被ってもらう形で処理して “さよなら” ね」
「……それは、本気で?」
「ええ。裁判の方が優先だもの」
それが、週の頭にあった話。
鎬が突きつけたのは、政府機関との交渉に参加するか否か。
普通に考えよう。
参加するわけが、ない。
即座に出した鉄臣の結論は、否定的なものであった。
なにせ、新元素などというものの取り扱いに関して権利を政府機関に主張して交渉する、などという依頼は、事務所としてはデメリットの塊でしかないからだ。
そもそも、政府交渉サポートは基本、行政法かロビイスト系の領域である。つまりは専門外だ。
そして相手は文部科学省や経済産業省、果てには防衛省などの国家機関である。交渉を上手く進められれば確かに事務所としての名声が上がるだろう。しかし交渉そのものが圧倒的に不利で、失敗すれば 『圧力に屈した情けない弁護士事務所』 という誹りは免れない。
なにより、新しい元素に関しての交渉など、前例がない超案件だ。
しかも交渉内容の1つが、『出所情報の秘匿』 である。受け入れられるわけがない。
最悪のケースでは、国会答弁クラスの展開が待ち受ける可能性だってある。踏み外したらこの事務所そのものがマークされる恐れだってあるのだ。
どう考えても、こんなとんでもない依頼は、蹴った方がいい。
それくらい、鉄臣も頭では分かっていた。
分かっていたのである。
しかし、鉄臣は即答できなかった。
質屋の店長を矢面に立たせる。
鎬が容赦なく切り捨てようとしている、ビジネスパートナーであろう質屋の店長とやらが、引っ掛かったからだ。
この依頼を受けねば、その店長とやらが、生け贄となる。
その存在が気になって、即答を控えてしまった。
結論から言おう。
その場で依頼を断らなかったのは、悪手であった。
「――というわけで、政府交渉の件、正式に受けましょう、峰岸先生!」
重たいドアが閉まる音とともに事務所へ戻った途端、机に荷物を置く間もなく志穂がまっすぐ鉄臣に詰め寄ってきた。
質屋 『栗形』 が想像していた以上にマズい狙われ方をされていて、そこで一悶着があった。
そこからの帰り道、不気味な程に志穂は静かであったのが、帰ってきた瞬間に一変である。
その勢いに圧されて動きを止め、思わず降参するかのように鉄臣は両手を軽く上げる。顔を上げれば、そこには本気の目で訴えかける若き同僚の姿である。
「あの子は、栗形さんは、全然状況を理解してません! “新元素が検出された” とかいうアクセサリーを、あの子、なんの警戒もなしに取り出そうとしてたんですよ!? 完全にただの私人ですよ!?」
「いや、まあ、確かに……ちょっと、いや、かなり無頓着というか、すごい軽率でしたが……」
詰め寄って一気に捲し立ててくる志穂の言葉に、先程質屋で起きたとんでも事件を思い出し、鉄臣は苦笑するしかなかった。
質屋 『栗形』 の店長、栗形 祈織は、かなりお気楽というか、実に平和そうな一般人であった。
明らかに怪しい客がいることに気がついている様子はなく、のほほんと店番をしていた。
あまりにも無警戒。
あまりにも無防備。
新元素が検出されたアクセサリーらしきものを、世間話の一環として暢気に取り出そうとしたときは、流石にこちらの心臓が止まるかと思った。
いくらなんでも、軽率が過ぎる。
あれは、政府機関との交渉の場に適した人物では、ないだろう。
「でも志穂さん、ついさっきまで 『棟区さんの依頼は全部断る』 とか言ってなかったですか?」
「裁判の方は断りましょう。でもこの交渉は別です! あの女の依頼なのは癪ですけど、あの子が政府相手に正当な主張をできるわけないじゃないですか!」
奇遇である。全くの同意見だ。
あの店長が政府機関の面々を相手に、正当な主張を貫く姿がどうしても想像できない。
気持ちが抑えきれないのか段々と語気が強くなっていく志穂を見ながら、それはそうですが、と鉄臣は若干ボカした言葉しか返せなかった。
「不利な条件を提示されても、きっとその場で 『分かりました』って頷きますよあの子なら! 自分が狙われてることにも気づいてないんですよ!? 黙って見てるわけにはいきません!」
「……祈織さんは成人されてるわけですし、あの子、というのは、少々表現が不適切かと」
「そこは今問題じゃありません! 話を逸らさないでください!!」
きゃんきゃんと噛みついてくる狂犬ちゃんを前に、鉄臣は静かにため息をつき、そしてこめかみを押さえる。
帰り道で感じ始めていた胃の鈍痛が、ここに来て本格的に主張を始めた。
確かに、あの店長は、政府機関と対等に交渉できるとは思えない。
新元素が検出されたアクセサリーそのものを全て取り上げられ、その出所と入手経路を全て洗いざらいに吐かされて、なんの利益も得られぬままにボロ雑巾の如く投げ捨てられて終わりとなるのが関の山、といった感じになるだろう。
新元素などというものは、一個人に対してそれほどの仕打ちを行うに値するビッグニュースだ。
生易しい交渉になるはずなど、ない。
それは分かる。
理解している。
かわいそうだ。
そう思う。
だが、鎬の依頼を受け、政府機関との交渉に自分達が割り込むデメリットは、なに1つとして変わっていないのだ。
同情だけで首を突っ込んでいい話ではない。
鉄臣は、この事務所の所長である。
この事務所を守る、責任があるのだ。
「……峰岸先生、あの子は、本当に何も分かっていませんよ」
志穂は一息つくと、改めて言葉を絞り出した。
拳を握り締めている。
下手なことを言うと、自分が殴られそうだ。
「状況をきちんと説明されていない、としか思えません。あの悪魔、あの子に都合のいいことだけ伝えて、肝心なところはわざと隠してるんじゃないですか? 完全に利用されているだけなんじゃないですか?」
志穂の声には、怒りが混ざっていた。
暢気な祈織へ向けられたものではない。
その祈織に、いざとなれば責任を全て背負わせて切り捨てるなどど冷酷に言い切った、棟区 鎬に対してである。
ああ、うん。
志穂が最も嫌うのは、弱者がなにも分からず一方的に虐げられ、不利益を被る展開である。
つまりこの状況は、志穂が大嫌いな状況だ。
「それとも、なにも知らなそうなあの子を本当に切り捨てて、いきなり政府交渉の場に生け贄として放り込むつもりですか? 国と権利の交渉なんていう、訳の分からない話に巻き込んで! 言葉巧みに誘導されて、どんな不利な条件でも“仕方ないですね”って承諾させられますよ!」
ばんっ、と勢いよく志穂が机を叩いた。
その音に、思わず鉄臣は目を細める。
「そんな不平等、許しちゃいけません! 法が許さない! 不公正な取引を見逃して、何が正義ですか! 我々が止めなくて、どうするんですか!?」
再び段々と語気を強くしていく志穂の言葉を、鉄臣は黙って聞いていた。
胃が痛い。
その熱意は、確かに正論だろう。
同時に、強過ぎる感情論でもある。
正義感が爆発しているというか、若さ故の一直線というか。
その姿勢、鉄臣は嫌いではなかった。
「……私も、あなたの気持ちは理解しています。ええ、祈織さんのことを思えば、助けが必要なのは明白です」
今度は鉄臣が、静かに志穂へと語りかけた。
正義感に突き動かされるのは、消して悪いことではない。
悪いことではないはずなのだ。
だがしかし、自分達は弁護士だ。
そして大人だ。
感情だけで判断しては、いけない。
「ですが、志穂さん。我々は個人で動いているわけではありません。この事務所の名で、国と正面から交渉する――それは並の負担ではありません。下手をすれば、我々の信用も、顧客も、失いかねない」
志穂は唇を噛んだまま、鉄臣の言葉を聞いてくれた。
よかった。途中で反論されるかと思っていた。
ただ、志穂の目はまだ、怒りを孕んで揺れている。
「たとえ正義のためでも、弁護士として踏み越えてはいけない一線があります。感情だけで判断しては――」
「……峰岸先生は、それでも、彼女を放っておけますか?」
ぽつりと零した志穂のそれは、いつも激しく噛みついてくる彼女にしては、とても大人しい言葉であった。
しかしその一言は、鉄臣の言葉を遮るのには、十分な火力でもあった。
「もうすでに、怪しい連中が何人も出入りしているじゃないですか。明日にでも誘拐されていてもおかしくないレベルですよ。あの子に何かあったらどうするつもりですか」
続けたそれは、政府相手にどうのこうの、という話ではなかった。
あの店長が、現状、危ない。
純然たる、ただの事実であった。
あの質屋は、新元素が検出されたアクセサリーを入荷している。
そして、入手経路を知っている。
もし仮に現物も情報もなにもかもを政府側に徴収されたとしても、その事実は変わらない。
それはつまり、あらゆるものを国に奪われてなお、あの店長が危険に晒され続ける可能性がある、という意味だ。
鉄臣の脳裏に、祈織の無防備な笑顔がよぎる。
警告の意図も、自分の立場も何も理解していなかった。危機感がなさすぎると感じた。
しかし、だからこそ。
「……はぁぁ」
深く、長く、ため息をついて、鉄臣は天井を仰いだ。
胃がまた、きゅうっと締めつけられる。
『1つ、質屋や周辺人物に対しての安全確保を国に求める』
鎬が言った、交渉においての3つの目標で、1番目は安全の確保であった。
利益は2番目だった。
安全を、真っ先に掲げていた。
これはやはり、鎬に嵌められたと思っていいだろう。
「……そうですね。志穂さん、あなたの言う通りです」
そして、言葉を飲み込んだ末に、観念したように鉄臣が口にした。
「国相手は地雷原ですが、あの子を見捨てるのも、後味があまりに悪すぎる」
それは、まあ、なんとも甘い判断だ。
事務所を守るのであれば、この依頼は断るべきだ。
それくらい分かっているが、これはもう、断れない状況だ。
自分はなんだかんだと甘ちゃんだし、志穂は祈織の様子を見たら絶対に彼女に肩入れする気質である。
あの質屋に足を運んでしまった時点で、この依頼、受けざるを得なくなってしまっていたみたいだ。
「……正式に、この件の依頼を受けましょう」
その言葉に、志穂は一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに顔をほころばせた。
「ありがとうございます! 峰岸先生!」
「ただし、慎重に。全ての交渉記録を残して、あくまで法的に正当な主張を基軸としますよ。もちろん、今回は志穂さんにもしっかり動いてもらいます。全身全霊で守るつもりなら、熱意だけじゃなく、実務力も見せてもらわないと」
「はい! 任せてください!」
まるで戦場にでも向かうかのように拳を握りしめる志穂を見ながら、鉄臣はただただ苦笑するしかなかった。
ああ。
あーあ。
地獄のような依頼を、受けてしまった。
鉄臣は胸ポケットから、愛用の胃薬を取り出した。
……この流れ、絶対に棟区さんは予想してたんでしょうね。
あの日、即答で依頼を断らなかった時点で、鎬の勝ちは確定したようなものだった。
自分達がまんまと鎬の手の平の上で踊らされていることを察しつつ、鉄臣は胃薬を口に放り込むのであった。
ああ、もう、お腹痛い。
同時刻、少年は現実とはかけ離れた、幻想の場に降り立っていた。
「すぅぅ、ふぅ……」
ダンジョン。
地下3階。
大型のバイクにでも乗るかのようなライディングの重装備に身を包み、地上で彼がまず見せることがないほどの殺気を漂わせながら、少年は大きく深呼吸をする。
「……よし、エンジン快調絶好調。今日は行くだけ行ってみようじゃねぇか!」
つい先程、犬の頭をした小人を叩き潰したばかりの巨大なバールを一振りしてから、彼は獰猛な笑みを浮かべて吠えた。
現状を整理して、最も暢気なのは誰だろうか。
それはたぶん、この少年、棟区 秋水かもしれない。
秋水くん、まさかのオチ担当。
チワワ :過去の噂が本当なんじゃないかと秋水くんを疑い始めている。
筋トレ同志:秋水くんのせいで恋愛モンスター化してる。
叔母 :秋水くんの見ていないところでは、かなり真っ黒に燃えている。
筋肉大好物:無自覚ながら秋水くんが持ち込んだドロップアイテムのせいで、かなり危うい立場に立たされている。
よし、助けて渡巻家のお姉ちゃん(;´д`)
群像劇化してくると、どうしても秋水くんの出番が相対的に減っちゃって悲しい。
次回はようやくダンジョンでヒャッハーしますぜ。うん、ヒャッハーしてストレスぶつけてくれ(;´Д`)