ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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174『妹が心配な姉、姉が心配な妹』

 こんこん、とノックの音が響いたのは、夜もだいぶ更けてしまった頃だった。

 そろそろ勉強を切り上げて寝ちゃおうかな、なんて思っていた渡巻 律歌は、そのノックの音に顔を上げた。

 

「はーい?」

 

 丁度良いタイミングなので机の上に広げていた教科書などを閉じながら、ドアに向かって律歌は返事をする。

 ドアを開けずに返事を待ってくれるということは、たぶん父だろう。

 こんな夜遅くになんだろうか。

 母と妹は無意識に候補から除外しつつ、律歌はドアを見て

 

「やっほー、お姉ちゃーん。起きてるかーい?」

 

 あれ、父じゃなかった。

 律歌の部屋のドアを開けて入ってきたのは、ライトブルーのパジャマを身に纏った可愛い妹であった。

 

「紗綾音?」

 

 こんな時間に来訪してきた妹に律歌は目を丸くすると、にへら、と気の抜けたような笑みを妹は浮かべた。

 はて、変だ。

 夜中に妹が尋ねてくるのは、まあ、そう珍しくはない。むしろ、よくあることだ。

 枕を持っていないところを見るに、「一緒に寝よー」 というお誘いではなさそうだが。

 

「ありゃ、勉強中だった?」

 

「……ううん、丁度切り上げるところだったよ」

 

「お姉ちゃんバイトもしてるのにスゴイね。お疲れさまなんだよ」

 

「来週からテストだからね」

 

「おー、頑張ってー」

 

「紗綾音もね」

 

「お耳が急にお痛たたなんだよ……」

 

 閉じた教科書などをまとめつつ、律歌は涼しい顔で妹へと釘を刺す。

 来週からは高校1年生最後の定期テストである。

 律歌としては、不安はまるでないテストだ。

 普通に勉強して、普通にテストを受ければ、普通に点は取れるだろう、という話でしかない。

 しかし妹はどうだろう。

 同じ日程で同じくテストがある妹の顔をちらりと見れば、唇を尖らせて両耳を塞いでいらっしゃる。可愛い。

 中学生活最後のテストなんだから、是非とも頑張って欲しいところである。

 

「そう言えば、明日はお勉強会なんだっけ?」

 

「うんうん。サヨチとかミッチとかランちゃんとか、8人くらいになるかなー?」

 

「そっか。沙夜ちゃんにメッセージ送らなきゃ」

 

「え、なんで?」

 

「紗綾音をよろしくお願いします、って」

 

「なんだかサヨチがすんごい信頼されてて逆に理不尽を感じるんだよ……」

 

 にへら、と笑っている妹の顔を見ながら、律歌はゆっくりと椅子から立ち上がる。

 妹は机の近くまで来たものの、それ以上は近寄ってこない。

 いつもなら、べったりと引っ付いてくるのに。

 それに、ドアをノックして、律歌の返事を待っていた。

 いつもなら、返事より早く、下手すればノックと共に勝手にドアを開けてずかずか入ってくるというのに。

 椅子から立った律歌は、妹の横を通ってベッドへと移動する。

 そして、そのベッドサイドに、ちょこん、と改めて腰を下ろした。

 

 

 

「ん」

 

 

 

 両手を広げる。

 妹に向かって、両手を広げる。

 く、と妹が一瞬だけ奥歯を噛んだ、ように見えた。

 しかし、にへら、と笑ったままの妹は、そのままとことことベッドの方、律歌の傍まで近寄ってから、同じくちょこんと律歌の隣へと腰を下ろしてくれた。

 

 

 

「ん」

 

「ん」

 

 

 

 そして改めて妹に向かって両手を広げれば、妹は短く呟いてから、むぎゅ、と抱きしめてくれた。

 律歌を。

 いや。

 こらこら。

 違うでしょ。

 妹を抱きしめようと両手を広げたにも拘らず、何故か律歌の方が妹の胸に顔を埋めるような形で抱きしめられてしまった。

 逆だよ?

 逆だよー?

 心の中でツッコミは入れるものの、律歌は特に抵抗することもなく、そして妹の胸から顔を上げることなく、広げていた両手を妹の腰に回すようにして軽く抱きしめ返した。

 

「ん」

 

 小さい呟きは、妹のもの。

 こてん、と律歌の頭に重みが加わる。

 妹の顔、だろうか。

 抱きしめられてしまったせいで顔は上げられないが、これはたぶん、見るな、ということだろうか。

 まったく。

 分かりづらい妹だ。

 そこがまた、愛おしいんだけど。

 律歌は妹の背中を、ぽん、ぽん、と軽く叩く。

 

 律歌の妹、渡巻 紗綾音は、たまにこうなる。

 

 悲しかったり、苦しかったり、嫌なことがあったり。

 そんなとき、無言で律歌に抱きついてくる癖がある。

 昔は抱きつかせてたんだけどなー。

 律歌は抱きしめられながらも遠い目になった。

 140に届くか届かないかというラインで成長がストップしてしまってからというもの、妹にはあっさりと背丈を追い抜かれてしまい、今では妹を胸に迎えるシチュエーションなど殆どなく、ほぼほぼ自分が妹に抱きすくめられるという状態なのだ。

 妹の胸の膨らみと、自分の空力特性を踏まえたボディラインを脳内で比較すると、ちょっと泣きたくなるのは秘密である。

 

「んー」

 

 姉としての立場を頭の片隅で考えつつ、律歌は妹の背中をあやすように、ぽん、ぽん、と一定のリズムで優しく叩く。

 なにがあったんだろうか。

 悲しんでいるのだろうか。

 苦しんでいるのだろうか。

 分からない。

 律歌は、人の気持ちを察するのが、ちょっと苦手である。

 ただ、夕飯を食べたとき、ちょっと元気がないな、とは思った。

 笑い方もなんだか、力がないな、とは思った。

 父は仕事で居なかったが、夕食の場に一緒に居た母もたぶん、同じ感想を抱いていただろう。

 なにかしてあげたい。

 力になりたい。

 だけど、妹になにがあったのかが、分からない。

 ぽん、ぽん、と背を叩く。

 ダメなお姉ちゃんでごめんね。

 

 

 

「…………ぐすっ」

 

 

 

 背を叩く手が、思わず止まってしまった。

 え?

 泣い?

 突如頭上から聞こえたそれに、ぎょっと律歌は目を見開いた。

 開いたところで視界は暗い。妹に抱きしめられてなにも見えない。

 妹のことが、なにも見えない。

 なんだ。

 どうした。

 なにがあった。

 なにか、そんなに嫌なことがあったのか。悲しいことがあったのか。

 どうしよう。

 聞き出すべきか。でもそれで余計に妹を傷つけたらどうしよう。

 なら自分から言うまで待つべきか。でもそういう弱音を、妹が口にするのは非常に希なのに。

 妹に抱きしめられながらも、律歌はあわあわと背を叩いていた手を行き場なくうろちょろとさせる。

 ええい、ままよ。

 

「……ん」

 

 きゅ、と改めて妹を抱きしめた。

 ちょっとだけ力を強く入れて、抱きしめる。

 大丈夫。

 ここにいる。

 ここにいることしかできないお姉ちゃんだけど、ちゃんと紗綾音の傍にいる。

 なにをすれば正解かも分からないが、律歌はそう心の中で強く念じながら、妹をきゅっと抱擁した。

 

「ん」

 

 くぐもった、ちょっとだけ湿っぽい呟き。

 ちょっと落ち込んでいるのかな、なんて思っていたが、これはだいぶメンタルがやられちゃいないだろうか。

 気がつかないフリをするべきなのだろうか。

 それとも、過剰にでも心配した方がいいのだろうか。

 ぐるぐる頭の中で思考が空回りしながらも、律歌は妹を抱きしめ続けた。

 嫌なことがあったら吐き出して欲しい。

 悩みごとがあったら相談して欲しい。

 この妹は、小さなことならじゃんじゃん口に出していってくれるのに、本当に重たいことは、口を閉ざしてしまうのだ。

 こんなお姉ちゃんじゃ、頼りないかなあ。

 ぐりぐりと、律歌は埋めた顔を妹の胸に擦りつける。

 

「ん」

 

「ん」

 

 そのまま抱き締めて、抱きしめられて、しばらく経った。

 とくん、とくん、と鼓動が聞こえる。

 5分か。

 10分か。

 妹が鼻をすすって泣くのを堪えようとしていたのは1回だけであった。

 あとはただただ抱きしめ合って。

 不意に、むぎゅり、と強く抱擁された。

 ぷにゅ、と律歌は妹の胸に押し潰されて変な声が漏れてしまう。

 

 

 

「よし、もう寝なきゃね!」

 

 

 

 そして、ぱっと解放された。

 長々と抱き締められていたのを急に離されて、ぷはぁ、と律歌は大きく息をした。あまり気にならなかったけれど、意外と苦しかったようだ。

 

「ありがとねお姉ちゃん。やっぱりお姉ちゃんはぽかぽかしてて、あたたカイロの湯たんぽお姉ちゃんだね!」

 

「え、あ……」

 

 そして妹を見上げれば、にへ、と笑顔でベッドから立ち上がるところであった。

 ほんの少しだけ、その笑顔に力がない、ような気がする。

 気がするだけ、かもしれない。

 相変わらず妹は明るく脳天気そうな笑みを浮かべている。

 力がないと感じるのは、直前までの抱擁している時間があったから、そう感じ取れただけだろう。

 妹は、笑顔だ。

 何事もなかったかのように、おやすみなさい、と言い出しそうな雰囲気である。

 

 それはつまり、無言の拒絶、と同じこと。

 

「あ、あの、紗綾音!」

 

「うん?」

 

 思わず律歌は妹の名前を呼んだ。呼んでしまった。

 しまった、と思ったのは、呼んだその直後のことだ。

 小首を傾げ、何故呼ばれたのかまるで察しがつかないとでもいうような妹を見上げ、律歌は次の言葉を口から出すのを躊躇ってしまう。

 妹は、なにも言わないつもりだ。

 相談することなく、愚痴を零すことなく、弱音を吐くことなく、何もなかったかのように立ち去るつもりだ。

 

 なにがあったの?

 

 そんな質問を投げかけても、大丈夫だろうか。

 妹が言いたくないことを、わざわざ聞き出すようなことを口にして、大丈夫だろうか。

 聞き出したい。

 問い詰めるくらいしたい。

 でもそれは、妹を傷つけてしまわないかが、怖い。

 もごり、と律歌は続けたかった言葉を飲み込んでしまう。

 

「……どったの、お姉ちゃん?」

 

 無言になってしまった律歌を、妹が不思議そうに見下ろした。

 ああ、なにか言わないと。

 ここは、なにも聞かないのが正解だろうか。

 おやすみなさい、と先に言ってお茶でも濁そうか。

 それとも、質問するのが正解だろうか。

 もしかしたら尋ねられるのを待っているかもしれない。

 どうしよう。

 どれが正解だろう。

 思考をぐるぐる回しながら、律歌はぎゅっと目を瞑る。

 情けないお姉ちゃんだ。

 どうすれば妹のためになるのか、全く分からない。

 けれど。

 目を開いてから、まっすぐに妹を見上げた。

 まっすぐ、目を見る。

 

 

 

「紗綾音のこと、大好きだよ」

 

 

 

 陳腐な言葉しか言えない自分が情けない。

 なんて声をかけて良いかが分からない。

 だから口から絞り出せたのは、妹のために言うべき言葉、ではなかった。

 ただただ、お姉ちゃんの気持ち、という自分勝手な発言だ。

 

「私は紗綾音の味方だからね」

 

 きょとん、とした妹の表情に怯みそうになるも、それでも続ける。

 当たり前のことしか言えない。

 当然のことしか伝えられない。

 妹が大好きだ。

 妹の味方だ。

 普通のことすぎる。

 だって。

 

「いつだって私は、紗綾音のお姉ちゃんだからね」

 

 自分はお姉ちゃんで、紗綾音は妹だ。

 

「なにかあるなら、いつでも相談してね。大丈夫だからね」

 

 何があったのか、何を悩んでいるのか、何を苦しんでいるのか、聞きたいけど聞けない。

 傷つけてしまわないか、怖い。

 臆病者のお姉ちゃんでごめんなさい。

 でも、聞きたくないわけじゃないのだ。

 知りたくないわけじゃないのだ。

 もしも相談してくれるなら、してもらえるのなら。

 それには、全力で応えたい。

 応えなきゃいけない。

 お姉ちゃんだから。

 そんな想いで妹の目をまっすぐ見上げる。

 一瞬だけ、妹の達者な口が、詰まった。

 

 

 

 渡巻 紗綾音だって、姉のことは大好きである。

 

 

 

 優しいし。

 頭が良いし。

 手先も器用だし。

 可愛いし。

 いつだって自分の味方でいてくれる姉のことが、紗綾音は大好きである。

 

 だから紗綾音も、いつだって姉の味方でいたいと、思っている。

 

 言っちゃおうか。

 ぶちまけちゃおうか。

 姉に全力で寄りかかってみちゃおうか。

 明らかにこちらを心配そうに見つめてくる小さな姉を見下ろしながら、そんな弱音が心の中で首をもたげてくる。

 相談すれば、姉はきっと聞いてくれる。

 相談すれば、自分の心はきっと軽くなる。

 相談すれば。

 なんて?

 

 棟区くん、悪い奴かもしれないよ。

 

 言えない。

 言いたくない。

 そんな言葉を口にしたら、本当の本当に、彼のことを心の底から疑ってしまう。

 もう2度と、棟区くんは良い奴だ、と胸を張って言えなくなるだろうという確かな予感が、紗綾音の中にはあった。

 良い奴じゃない、かもしれない。

 悪い奴、かもしれない。

 どうしよう。

 彼を止めるべきだろうか。

 どうやって。

 彼がどんな悪いことをしているのか、してきたのか、調べればいいのだろうか。

 それはつまりもう、悪人だと、決めつけて。

 したくない。

 やりたくない。

 彼は、秋水は、良い奴だ。

 そう思う。

 思いたい。

 だって、優しいし、頭良いし、周りに気を遣ってくれるし、丁寧だし。

 でも自分は、秋水のことを何も知らない。

 家族のことも、過去のことも、学校以外のことも、何も知らない。

 彼に流れていた悪い噂を、自分は否定しきれなくなっている。

 一番最初に否定したのに。

 悪い奴じゃないと、自分が最初に言い切ったのに。

 なのに今更、疑ってしまう。

 彼は良い奴だ。

 そう思いたい。

 けれど疑う。

 

 だって、秋水は姉の想い人なんだから。

 

 姉が、秋水のことを、好きだから。

 だからこそ、疑ってみてしまう自分がいる。

 姉の好きな人を、悪い奴なんじゃないかと、疑ってしまう。

 

 だって、姉が悪い奴と付き合うのは、いやだ。

 

 なんか、いやだ。

 絶対いやだ。

 この世に完全なる悪人なんていないのは頭では分かっているのに、完全なる善人もいないのは分かっているのに。

 それでもなお、姉と付き合う奴は、良い奴じゃないと、いやだ。

 

 だから秋水は大丈夫だと思ったのに。

 

 良い奴だから、姉と付き合っても大丈夫だと思ったのに。

 

 なのに、今更自分は。

 

「私もだよ」

 

 ごちゃごちゃした感情を押し殺して、紗綾音はにっこりと姉に微笑んだ。

 大丈夫。

 笑えてる。

 

「私もお姉ちゃんのこと、大好きだよ」

 

 なのに、なんでだろう。

 姉はもっと、心配そうな顔をした。

 

 

 





 友達としては悪い奴だなんて思いたくない。
 妹としては悪い奴が姉と付き合うのは許せない。

 おいパパンと秋水くん、チワワがドン曇りしてんの、君らのせいやぞ……(;´Д`)

:追記:
 うん、秋水くんは悪くないね……悪くはないね……
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