複数体のコボルトを相手取った戦いは、なんと言えばいいのだろうか、とにかく安定しているとは程遠い感じであった。
囲まれないように走り回って、周りの状況を把握して、殴って離れて。それをひたすら繰り返す。
疲れる。
まあ疲れる。
とにかく疲れる。
戦闘後のポーションが染み渡ってめちゃくちゃ美味く感じるくらいには、毎回ぜぇはぁ言いながら疲労困憊になるレベルだ。
そんな疲れる戦い方をしている以上、判断ミスや攻撃ファンブルを起こすことが時々発生してしまう。
やれ距離の取り方ミスったとか、やれ投擲を盛大に外したとか、やれ思ったよりスライムが近くにいたとか。
小さなミスが重なって、コボルトに殴られること殴られること。
あいつら前後に囲んだ瞬間に遠慮なく殴りやがって、許さねぇ。
まあ、コボルトの棍棒による打撃では一発で致命傷、なんてことにはならないので、袋叩きの初期段階では強引に走って抜け出せるから今のところは問題ない。
今のところは、である。
「ま、上手くいくときゃ上手くいくから、その感覚を忘れずに、っと」
ダンジョンの地下3階。
通路を渡って新しい部屋を前に、巨大バールを岩肌の地面にガコりと突き立てながら秋水は軽く溜息を吐き漏らす。
身に纏ったバイク用のライディング装備は、穴や破れなどの大きな破損こそ見受けられないものの、結構ボロボロな感じにくたびれていた。
今日だけで何回殴られたことか。
でも、それを耐え抜いてくれているライディングジャケットやライディングパンツ様々である。
角ウサギのように突き刺す系統の攻撃じゃないから、わりと長持ちして使えそうなのがまた嬉しい誤算だ。
角ウサギのときは角突きタックルを一撃もらうイコール穴が空いて装備破棄、という感じでかなり出費が痛かった思い出なので、多少見た目がボロボロになっても大きな欠損に至らずに耐え抜いてくれるのは正直ありがたい。お財布的にも。
「うーん、でも明日はバイクショップで装備を更新しなきゃな」
言いながら秋水はヘルメットを軽く撫でる。
体の方は何発も棍棒で殴られこそしたものの、頭の方は2発くらいしかもらわなかった。その内の1発は投擲された棍棒なので、殴られたのは1発だけである。
ヘルメットに凹みはない。
傷はついてしまったが、問題なく使用できそうである。
コボルトと秋水では50㎝くらいの身長差があるので、頭への一撃は早々やってこないし、入れられたとしても威力はだいぶ減衰する。それが分かっただけでも受けた甲斐がある、と思っておこう。
それから秋水はリュックサックに括り付けてある腕時計を確認する。
もう1時間もしたら、今日という日が終わる時間だ。
「ふむ、明日は土曜日だから……そろそろジムに行く準備しなきゃな」
顎に手をやり、秋水は呟く。
正確な時間を約束したわけではないのだが、土曜日と日曜日、その日付の変わる0時くらい、秋水はジムに行かなくてはならない。
先生を、しに行くのだ。
微妙に照れくさい。
自分はトレーナーでもなんでもなく、ただの筋トレが好きな一般人に過ぎない。
でも、筋トレの先生をする。
覚悟を持って、そう決めたのだ。
相手は華の女子高生、錦地 美寧。
真夜中のジムに通う、ナイスガッツな新米筋トレ同志である。
彼女に教えを請われる以上、それを無視するわけにはいかない。トレーニーは兄弟だ。
「流石に今日は汗臭いから、しっかり体洗わねぇとな」
ちらりと自分の体を見て、秋水は苦笑する。
本日のコボルト戦は、とにかく疲れて、とにかく汗だくになる戦いだった。
ポーションで疲労は回復できるが、流れた汗はどうしようもない。
風呂でしっかり体を洗って汗臭さを少しでも消しておかねば、流石に失礼というものだろう。顔が怖いとか声が怖いとかいうのはどうしようもないものであるが、せめて清潔感は保たねば。
ついでに、汗の臭いをたっぷり吸ってしまっているであろうジャケットやらインナーやらのライディング装備を、漂白剤にでも漬け込んでおかねばならない。
そう考えたら、結構タイムリミットが近い時間じゃないか。
急がねば。
「ほんじゃ、今日はここまでにして帰るとするか」
そう言いながら秋水は置いていたリュックサックを持ち上げて背負う。
それから巨大バールも持ち上げてから、次の部屋を見て、にやりと笑うのだった。
正確には、次の部屋の、入口を見て。
入口には、巨大な扉。
「待ってろよメインディッシュ。ちゃんと平らげに来るからな」
ボス部屋であろうその入口の扉を、ごん、と巨大バールで軽く叩いて秋水は楽しげに笑っていた。
セーフエリアに帰り、家に戻ってシャワーを浴びる。
それからジムに行く準備をした後に、風呂にお湯を溜めて洗濯用漂白剤を入れ、着ていたライディング装備をそこに沈める。
こんなもんでいいだろうか。
時間がないのでバイク装備の洗濯方法というのを特に調べず、なんか適当にやってみたのだが、漬け込み終わってから一抹の不安というものが秋水の脳裏を踊りながら通過していった。
漂白剤を使用して良いかどうかはよく分からないが、しっかりすすいでしっかり乾かせば、問題ないであろう。たぶん。
まあ、塩素系の漂白剤ではないし、色落ちとかはしないであろう。たぶん。
色落ちしたところで、ダンジョンで使用するものだから気にはしないけれど。
しかし。
「……流石にヘルメットはやり過ぎ、か?」
風呂に沈めたバイク装備一式、つまりヘルメットまで漬け込んでしまった風呂釜を見下ろしながら、秋水は不安そうに呟いた。
大丈夫、だよね?
そんな不安を家に置き去りにして、秋水はてくてく歩いてジムへ向かう。
さて、気を取り直して今日はなにをしようか考える。
美寧に対するプログラムの大枠はもう決まっている。
彼女は秋水のように筋力向上や筋肥大を目的にしていない。あくまでもスタイルやプロポーションの向上というのが目的だ。
故に、トレーニングプログラムは有酸素運動をメインに据え、筋力トレーニングに関しては低重量を高回転でやるという方向性で固めている。
具体的な種目に関しては美寧と相談しながら決めることではあるが、方向性が明確に定まっているというのは、トレーニングプログラムを組むにあたっては大変ありがたいことであった。
方向性、大事。
自分の筋肉を追い込む筋トレ楽しー、なんてふわっふわの方向性で筋トレを続けてきた秋水にとって、そのことに気づけたというのは非常に大きなことだ。
筋トレもそうだし、ダンジョンアタックでもそうだし、しっかりした方向性と具体的な目標があった方が、逆算して今の行動計画がはっきりと立てられるというものだ。美寧を見習わねばなるまい。
美寧に教える側のはずである自分が、まさかの学びを得てしまった。
「しっかし、彼氏のためによく頑張るよな」
暗い夜道を歩きつつ、うーん、と秋水は感心するように大きく肯く。
美寧は低負荷高回転というメンタルがゴリゴリ削れるタイプの筋トレに食らいついてくるという見事なる根性の持ち主なのは前々から感心しているところであるが、彼女のさらに凄いのはそのモチベーション、というかジムに行く切っ掛けが他人依存であるにも関わらず筋トレが継続できている、という点である。
彼氏のために、綺麗なボディラインをつくる。
美寧の掲げている目標は、これに尽きる。
筋トレをする始発点、その原動力が他人依存。
それは筋トレが継続できない、代表例である。
自分のスタイルやプロポーションの維持及び向上、というのは、一見して美寧自身が主体の目標のようにも思える。
しかし、その根本は、彼氏のためだ。
つまり、他者からの評価が主体の目標である。
こういう他者依存を原動力とした筋トレというのは、えてして長続きしないというのは筋トレ民の中ではお約束のようなものなのだ、普通は。
なにせ、筋トレは究極的に自分自身との対話である。
自分の筋肉を動かして、意識して、ひたすら頑張る、というのが筋トレだ。
そこに他人は介在しえない。
あくまでも筋トレの主語は、自分自身、である。
故に、そのモチベーションや原動力というのは、自分自身が主体でなくては、だいたいどこかで挫折してしまうのが世の常なのだ。
他人を主語にしてはいけない。
自分を主語にしなくてはいけない。
筋トレとは、そういう世界なのだ。
普通ならば。
「でも美寧さんは、続いてんだよなぁ……」
感心するように、いやもういっそのこと呆れてしまうかのように秋水は呟く。
そうである。
錦地 美寧は、彼氏のために、という他人依存の目的であるにも関わらず、1ヶ月以上もジム通いが継続できているのだ。
そして見た感じの勢いでは、3ヶ月の壁もするっと突破できそうなやるきなのである。
これは普通に凄いことなのだ。
ジムというのは普通、3ヶ月継続できる人は4割を下回るし、1年継続できる人は4%にも満たないレベルである。それくらい脱落者が多いのがトレーニングジムという施設なのだ。
それを1ヶ月継続し、モチベーションが目減りしている様子がない。
しかも、根本的には彼氏のため、という理由で。
これは、凄い。
凄いことなのだ。
まあ、もしかしたら今ではもう、スタイルやプロポーションの維持及び向上、というのに目的がすっかり入れ替わってしまっている可能性もあるだろうが、仮に今でも目標の頭文字に 『彼氏のため』 なんてついてたとしたら、それはもう化け物並みの精神力だ。
正直、秋水も見習いたいと思える精神力である。
「ま、彼氏さんも愛されてるってことか。すげぇな」
きっとその彼氏さんというのは、美寧に釣り合うくらいのイケメンで男前な男性なのだろう、きっと。
他人の色恋沙汰なんて全く興味ないし、美寧の彼氏というのも見たことはないが、それでも幸せを祈るばかりである。
そんな下らないことを考えていたら、目的地であるジムが見えてきた。
やばい、美寧のモチベーションについて色々考えていたら、自分のトレーニングメニューを考える前に到着してしまった。
「あー……とりあえずサイドレイズで強化倍率のチェックして、ブルガリアンスクワットしながら考えるとするか」
やはりふわっふわな方向性で筋トレを続けている自分の情けなさを自覚しつつ、秋水は誰も居ない無人のジムへと入っていくのであった。
真夜中のジム。
無人のジム。
よく分からない洋楽がBGMで流れるだけで、誰もいない静かなジムの中を見渡してから、今日は自分の方が早く到着したか、と秋水は軽くほっとした。
先週はジムに到着した途端、美寧が40㎏のバーベルベンチプレスを敢行しようとしているのを目の当たりにするという事件があったので、ちょっと一安心である。
いくら彼氏のためとは言え、頑張りすぎて怪我したら元も子もないんだぞ。
いや、あれは十分な安全策をとった上での無茶だから、怪我はしなかっただろうけどさ。
先週の出来事を思い出し、秋水は苦笑いを浮かべてしまう。
まあ、初心者が身の丈に合わない重たい重量でトレーニングをしようとするのは、よくある光景だ。
だというのに、美寧にはちょっと強く叱りすぎてしまった。
泣いちゃってたし。
姉のこととか、よく分からん錯乱してたし。
そんなことがあった翌日、それでも美寧はジムに顔を出してきた。
流石にあれは、絶対ジム通いをやめるだろうな、と秋水は思っていたのに、である。
やはり凄い精神力だ。
そう思いながら秋水は背負っていたリュックサックを下ろし、無料で使える剥き出しの棚にそれを入れようとして。
ガチャ、と扉が開く音がした。
おっと、もう着たのだろうか。
入口の方へと目をやれば、そこには見覚えのあるセミロングの明るい茶髪。
錦地 美寧である。
「あっ!」
扉を開けて入ってきた美寧は、秋水の姿を発見した途端に、ぱっと表情を明るくする。
顔を見た瞬間に、びくりとされない。
怖がられない。
やはりなんと言うか、変な気分である。
コートを着たまま美寧がてけてけと秋水の方へと駆け寄ってくる。走ってはいけません。
そして美寧は秋水の前に立って。
「…………はぇ?」
何故か、ぽかん、と口を開けて秋水を見上げてくる。
なんだろうか。
なにか凄く不思議な物を見るかのような、そんな視線が突き刺さる。
はて。
身だしなみが変だっただろうか。
3㎜という短さで刈り揃えている髪は、その短さから寝癖などの心配はない。
ああ、いや、前にバリカンで刈ったのは半月前だから、そろそろ刈らねばならない頃合いである。
それでもまだまだ短いはずなのだが、まさかこの長さで目立つ髪型なんてついてしまったのだろうか。
近づいてきたにも関わらず無言になってしまった女子高生の視線に、秋水は恐る恐る自分の髪を触って確かめる。
しょりしょりしている。
うーん、今日か明日にでもバリカンで刈った方が良さそうな手触りだ。
いや違った。
とりあえず変な手触りはしない。
ということは。
えーっと。
「ああ、こんばんは、美寧さん。良い夜ですね」
「ぅきゅっ」
「はい?」
まずは先手で挨拶をしてみれば、美寧の口から変な声が飛び出してきた。
思わず秋水は首を傾げてしまう。
中々に甲高い鳴き声であった。いや鳴き声は失礼か。でも、どこから出てきたか不思議になってしまう声である。
その妙な声を出してから、美寧は顔を赤くして、ばっ、と鼻と口の周りを手で隠した。
え、臭いの?
秋水は軽く絶望する。
シャワーはしっかり浴びて体もちゃんと洗ったつもりなのだが、それでも汗臭さが残ってしまっただろうか。
歯も磨いてマウスウォッシュもしてきたつもりなのだが、もしかして口が臭かっただろうか。
それともあれか、いわゆるマッチョ臭というやつだろうか。
タンパク質はアミノ酸に分解され、そしてアンモニアを経てから尿素と窒素になるという、恐怖のあの流れだ。
しかし、タンパク質は過剰摂取にならないように気をつけているつもりなのだが。
いや、最近はとにかくカロリーを取らねば、とか、とにかく栄養を摂取せねば、とか、ポーションのデメリット対策として色々飲み食いを増やしているので、それが体臭に繋がってしまっている可能性も否定できない。
やばい。
自分の体臭というのは、自分自身では気がつきにくいものなのだ。
にじり、と秋水はこっそり足1つ分だけ後ろに下がった。
臭いというのは、女性にとってかなりのストレスになると聞いたことがある。
今日は近づきすぎないように気をつけよう。
それに、大好きな彼氏がいる女子高生に近づくのは、色々良くないことだろう。
表情を固めたまま、秋水は内心でそう決心した。
「お、お、おは……っ」
「はい」
そんな決心をしていると、美寧が声を上げる。
ひっくり返った声である。
え、大丈夫だろうか。
なんか、いつもと声色が全然違うんだけど。
「……ぉはょぅござぃますぅ」
そして随分と気の抜けた、なのにどこか甘ったるいような声を絞り出し、美寧はちゃんと挨拶をしてくれた。
秋水は一瞬だけジムの窓から外を見る。
真っ暗である。
それはそうだろう。なにせ日付が変わったばかりなのだ。
まあ、厳密に定義された1日という尺の中で考えれば、おはよう、という挨拶は間違いじゃないはずだ。
すぐに美寧へと視線を戻す。
顔が真っ赤で、視線があちらこちらへと忙しなく迷走中。
……風邪じゃね?
2月に入ったばかりだが、今日も今日とてめちゃ寒く、外気温は負の値。
しかも真夜中という太陽も隠れきっているこんな時間に出歩くのだ、体など冷えきっていて当然だ。
大丈夫なんかな、と心配しつつ、美寧を刺激しないように秋水は努めて冷静に、そして安心させるように小さく笑みを浮かべて挨拶を返すことにした。
「はい、おはようございます。凄い早いおはようですね」
「先生整形した?」
「どうしちゃったんですかね美寧さん」
今日はフォーム習得を優先して負荷を軽めにしておくか、と秋水は頭の片隅で考えるのだった。
距離を詰めたいけど本人を前にへたれた美寧ちゃん VS 勘違いを重ねた結果物理的に距離を置きたい秋水くん VS ダークライ
まあ、恋するパワーとかいう意味の分からない力業で悪夢を薙ぎ払った美寧ちゃんと、現在悪夢の真っ只中みたいな状況だけど実はただの現実なので悪夢でもなんでもない秋水くんだと、ダークライが出てきたところでねぇ(・ω・`)
(ポケモンライト勢)