美寧のやる気は、凄まじいものだった。
メッセージアプリで互いを友達登録して、連絡先を交換し終えてから、腕立て伏せとスクワットとバックエクステンションのバリエーションを実践で美寧に教えることとなった。
なんと言えばいいのだろうか、凄い真剣に行ってくれた。
最初の歩行で脚が疲れたんじゃないかと思ったものの、フロントランジにバックランジ、そしてブルガリアンスクワットまでしっかりクリアするとは、正直思っていなかった快挙である。
いくら合間合間に腕立て伏せとバックエクステンションのバリエーションを幾つか挟んだとはいえ、随分な運動量だ。
筋肉痛、大丈夫だろうか。
ただでさえ今日はテンションが終始おかしかったというのに。
ハラハラしている秋水を余所に、何故か分からないがやる気に満ち溢れている美寧が、ワイドスクワットのラスト1回を見事に持ち上げた。
「さ……ん、じゅ……ぷはぁぁあっ!」
「おお、素晴らしいですね美寧さん。大腿四頭の脚線美人。おめでとうございます、よく頑張りました」
「ぜぇ……ふぅ……はぁ……」
ついにワイドスクワットまでクリアしてしまった美寧は、一瞬だけふらついたものの見事に踏ん張り、膝に手を置いて荒い息を吐く。
表情は死んでない。
闘志みたいなものが漲っている、ように秋水には見えた。
とんでもない根性だ。
見習わなくては、と感心しつつ、秋水はタオルをそっと美寧に差し出した。
「あ、あり……ひぃ……ふぅ……ありがと、はぁ……先生……」
「落ち着いてからで大丈夫ですよ。よく頑張りましたね。ブルガリアンスクワットの後なので、正直20回くらいでギブアップをすると予想していました」
タオルを受け取った美寧は、ぜぇぜぇしながらも不敵な笑みを浮かべ、ぐっ、と親指を立ててサムズアップ。
それを見てから、秋水もサムズアップで返す。
筋トレ民らしい無言の会話じゃないか。美寧も立派に同志になったんだな、としみじみ思う。
そして、締めのクールダウンとして柔軟体操をしっかり行った後、着替えるために美寧は更衣室へと引っ込んだ。
残った秋水は一息ついてから、壁に掛かった時計へを目をやる。
いつもより時間が押してしまったか。
ふーむ、と秋水は軽く唸りつつ、本日美寧に教えたトレーニング種目を思い出す。
スロープッシュアップ。
フロントランジ。
バックランジ。
バックエクステンション。
ワイドプッシュアップ。
サイドスクワット
スーパーマンバックエクステンション。
ナロープッシュアップ。
シシースクワット。
オルタネイトバックエクステンション。
リバースプッシュアップ。
ブルガリアンスクワット。
デクラインプッシュアップ。
リバースバックエクステンション。
ワイドスクワット。
合計15種目。
馬鹿か自分は。
いくら自重のみを30回2セットとはいえ、初心者に対して詰め込みすぎである。
美寧の生活リズムは知りようがないが、深夜というこの時間を考えたら、今から家に帰って身支度を調えて寝るのであろう。
となると、ジムの時間が長くなれば、美寧の睡眠時間に影響が出てしまうということだ。
ジーザス。
筋肉の成長に必要なのは 『筋トレ < 栄養 < 休息』 である。
休息、つまり睡眠はめちゃくちゃ重要なのだ。
いや、筋肉の成長を横に置いたとしても、あらゆる健康的な問題やメンタル的な問題の解決という中で、睡眠というのは非常に大きなウエイトを占めている。
なんてこった。
美寧がやる気に燃えているものだから、ついつい調子に乗って色々種目を詰め込みすぎてしまった。
そのツケがこれだ。
美寧には悪いことをした。
時間を取らせてしまった上に、こんな厳つくて汗臭いだろう男と長時間2人きりという状況を強いてしまったようだ。
反省せねば。
トレーナーっていうのはやはり難しいんだな、と痛感した秋水はがくりと肩を落とし、溜息を1つ。
「あれ、先生、溜息が巨大じゃんね。どうしたの?」
と、更衣室から出てきた美寧に、その溜息を思いっきり聞かれてしまった。
顔を上げれば、きょとん、とした表情の美寧。
ジャージと違って流石にトレーニングウエアの上からコートを羽織るだけ、というのは寒さ的にも無理があるのだろう、もこっとしたピンクのセーターと黒のパンツに着替え、その上にいつものコートというスタイルだ。
「いえ、いつもより時間が掛かってしまって、美寧さんには申し訳なかったな、と」
「え? あ、ホントだ、結構経ってる」
「申し訳ありませんでした。これからは時間の管理も頭に入れておきます」
別に隠すことでもないので素直に申告してみると、美寧の方はあまり気にしていなかったのか、壁に掛かっている時計の方を見て、驚いているのか驚いていないのか微妙なラインの呟き。
オーバーさせた秋水が言えた義理ではないのだが、時間管理は大切なことなのだ。
どちらにせよ、時間を無駄に掛けてしまったのは事実なので、秋水はぺこりと頭を下げてすぐに謝った。
地球に住む以上は、人類皆平等に1日は24時間である。
時間は大切なものなのだ。
生きている以上は。
「えーっと……」
そんな頭を下げた秋水へ視線を戻してから、何故か美寧は口籠もった。
ああ、文句を言いたくても、直接は言い辛いか。特に自分は見た目が見た目なのだ。
頭を上げて美寧を見る。
なんか、顔を赤くしながら小声でもにょもにょ呟いていた。
「そ、その……私はその、長くても、その、別に、うんと、一緒にいれて嬉し、えーっと―――」
もにょもにょ。
もごもご。
胸の前で人差し指同士ををつんつんさせながら、なにかを言ってくれているところを悪いのだが、声が小さくてよく聞き取れない。
もしかして小声でなにかの指摘をしてくれているのだろうか。
ちゃんと聞き取ろうと、秋水はお辞儀をするように頭を前に出して耳を近づける。
何故か美寧は上体を反らして遠ざかる。
あれー?
「……な、なんでもないですぅ」
しかも、ウロウロしている視線を横へと背けられてしまった。
わぁ、怒ってるぅ。
明日はちゃんと時間を意識して、早めに切り上げられるようなメニューを考えよう。
少しだけしゅんとしながら、秋水はそう心に決めた。
そんな秋水をちらりと見てから、上体を反らして距離を取ったまま、美寧がきゅっと目を瞑る。
「う、うぅ……いや、頑張れ私……」
自分に言い聞かせるような独り言。
それから、ぺちり、と美寧が唐突に自分の頬を叩いた。
いきなりの自傷行為に、びくり、と秋水の肩が跳ねる。
「せ、先生!」
「はい」
そして目を見開いて、今度は美寧が距離を詰めるように反らしていた状態を前のめりにして秋水を呼ぶ。
え。
怖。
頭突きされるかと思った。
「明日ね! あ、いや明日っていうか今日なんだけど、えっと、次なんだけどね! あのね! あの!」
「はい、大丈夫ですよ」
だから落ち着いてね、と言うように秋水がゆっくりした声を掛けると、むきゅ、と美寧が一度口を横一文字。
急にテンションを上げてなにかを話そうとするも、話題が口で目詰まりしたかのように出てこない。
筋トレ前にも同じ光景があったな、と秋水は頭の片隅で思い出す。
そういえば、背中の柔軟についての質問は思い出せたのだろうか。
そして、この話題も、忘れちゃった、にならないことを祈る。
すぅ、と美寧は深呼吸をするように大きく息を吸う。
はぁ、とゆっくり息を吐き出す。
す、と短く息を吸い、少しだけ間を置いた。
「―――その、23時くらいに、来ます……」
どこにだい?
そんなツッコミが喉元まで出かかるが、秋水は真面目な表情のままそれを飲み込んだ。
えーと、と内心で悩みつつ、1拍置く。
これは、ジムに来る時間、でいいのだろうか。
美寧はだいたい深夜の0時くらいにジムに出没する。
それを明日、というか今日は、23時くらいに来る、という意味なのだろう。
つまり、いつもより1時間早くジムに来るという宣言、でいいのだろうか。
「かしこまりました。23時ですね。それでは、私もその時間に参ります」
「い、いいの!?」
「はい。構いませんよ」
「わぁ、ありがと先生! あ、終わる時間は前倒しにしなくても大丈夫だから!」
「なるほど、かしこまりました」
よかった、言葉の意味をちゃんと汲めて一安心だ。
にこぉ、と満面の笑みを浮かべた美寧を見下ろし、ちゃんとコミュニケーションが取れたことに秋水は胸を撫で下ろす。
よし、ということは、美寧の内心はきっとこうなのだろう。
次は早く来るから、終わる時間はちゃんといつも通りにしろやボケェ!
うん、凄い怒ってるじゃん。
笑顔の裏にあるであろう美寧の内心を汲み取った秋水は、怖ぇ、と独りで顔を青くしていた。
「それじゃ先生、お、お、お、おはようのメッセージするからね! お疲れさま!」
「はい、お疲れさまでした美寧さん。おやすみなさいませ」
「ふぁ……ひゃいっ!」
いつもの時間を大幅に過ぎてしまった美寧が帰るのを見送ってから、秋水はようやく肩の荷が下りたかのようにほっとした。
人にものを教えるのに向いているか向いていないか問われたら、間違いなく自分は向いてなどいない。
少なくとも、秋水はそう自認している。
しかし、美寧に先生と呼ばれている間は、頼ってくれている間は、頑張らねば。
そう思って秋水は気合いを入れ直す。
さて。
それはそうと。
気合いを入れ直したついでに、気持ちもかちっと切り替える。
ここからは、自分の筋トレの時間、および実験タイムだ。
複数のコボルトとの戦いは、走り回るという戦法の関係上、体力の消耗が激しい。
それに酷く汗を隠し、バイク装備を纏っているせいで非常に暑くなる。
端的に言えば、すげぇ疲れる。
疲労感に関してはポーションで即座に回復が可能ではあるが、戦闘している真っ最中にちびちびとポーションを飲んでいる余裕は、正直なところ、あんまりない。
走って、近づいて、殴って、逃げて、投げて、避けて、周りを見渡して。
戦っている最中はやることが山積みだ。
疲れたらポーションで回復すればいいや、という考えは捨てた方がいい。
むしろ、戦闘中はポーションを飲む暇はない、と最初から割り切っていた方が無難であろう。
であるならば、持久力、スタミナの向上は必須だ。
スタミナを向上させる手段はなんだろうか。
それはもちろん決まっている。
そう、筋トレだ。
パワーを司るのは筋肉だが、スタミナを司るのもまた筋肉である。
出力重視の速筋と、持久力重視の遅筋、という話だ。これは美寧にもしたか。
筋肉をモリモリと大きくさせる速筋の筋トレばかり注目されがちだが、体を引き締めて疲れにくい体を作る遅筋を成長させるのも、また筋トレが必要なのだ。
それに、人間のエネルギー源となる糖質のグリコーゲンは、肝臓にも溜め込まれるが、筋肉にも多く蓄えられるのである。
そして筋肉自体も、いざとなれば貴重なエネルギー源になるのだ。筋分解という恐ろしいワードなのだが。
つまり、筋肉を鍛えれば、持久力はつく。
筋トレは全てを解決するのだ。
「ま、それは筋トレの内容次第だけどな」
トレーニンググローブをつけながら、秋水は苦笑する。
というわけで、本日の筋トレは美寧と同じく、軽い負荷でたくさんの回数をこなしていくタイプ、いわゆる低負荷高回転の筋トレだ。
1日や2日の筋トレで劇的に持久力が向上するとは思っていないが、付け焼き刃程度でもやらないよりマシであろう。
よし、と再度気合いを入れる。
「んじゃまずは、ベンチプレスを150くらいでやるか」
低負荷とは一体。
そんな低負荷高回転トレーニングをみっちり行い、秋水もまた帰宅した。
帰宅、である。
わざわざ強調しないと、どっちが家だか分からないな。
風呂に浸かりながら、秋水は軽く苦笑いを浮かべてしまう。
重量は軽いが回数を増やしていく筋トレは、持久力のトレーニングなので当然ながら疲れる。コボルト戦と同じだ。
再び汗だくになった体を綺麗にした後、ざぶりと風呂に入って人心地である。
疲れそのものはポーションで消し飛ぶが、汗の不快感は風呂に入らねばどうしようもないのだ。
はあ、と大きく溜息。
極楽だ、という感想はジジ臭いだろうか。
いや、今日の自分は汗臭かった疑惑があったな。
はぁ、と別の理由で再び溜息。
風呂の天井を見上げる。
真っ白な、綺麗な天井だ。
妹が綺麗好きで、掃除を頑張ってくれていたからである。
あの身長で天井まで拭き上げていたのは、きっと大変だっただろうに、おかげで今でも綺麗なままだ。
そして、これからは、汚れていくだけだ。
「で、だいたい200%、か」
風呂のお湯をぱしゃりと顔にかけつつ、秋水は呟いた。
ジムでは楽しく能天気に筋トレしていただけではない。
ちゃんと身体強化の魔法が、どれくらい強化倍率なのか、というのを調べてきている、筋トレで。
結果、やはり強化倍率は向上していた。
現在、全身の身体強化で200%のパワー向上である。
ついに3倍。
3倍のパワーアップだ。
測定方法はサイドレイズ。
50㎏までしかないダンベルではもはや測定不能なので、まさかのバーベルを使っての比較測定である。
もちろん他の重量でも試してみたが、50㎏でサイドレイズを行った感覚と、150㎏でサイドレイズを行った感覚がほぼほぼ同一だったことにより、現在の強化倍率が200%であろうという結論に至った。
ちなみに、150㎏のバーベルを片手で横方向に持ち上げているのは、朝早い時間にジムに顔を出してきた他の筋トレ民がばっちり目撃して、腰を抜かしかけるレベルで驚いた顔をしていた。強化倍率の確認方法を別の方法にするべきかもしれない。
ふーむ、と秋水は軽く考える。
「6割の身体強化で120%強化、そこに4割の部分強化で240%上乗せして、合計360%の強化、と」
かなりの強化倍率だ。
1ヶ月前は3%の強化できゃっきゃっしていたというのに、あっという間にこれである。
やはり、ポーションによる身体欠損の回復と、身体強化の強化倍率が向上するのは、なにか関係があるのかもしれない。
体脂肪がある程度増えてきたら、今度は右手を切り落として検証してみるのも、ありかもしれない。
すっかり考えが化け物染みているな。
ああ、化け物だったか。
しゃり、と濡れた髪を軽く撫でる。
丸刈りにされている短い髪の感触。
「ああ、そろそろバリカンかけねぇとな」
いつも3㎜で刈り揃えている髪が、手応え的にもそろそろバリカンで髪を整える時期だと教えてくる。
丸刈りはバリカンさえあれば自分でやれる手軽さが良いが、半月に1回くらいのペースで整えなきゃいけないのはある意味手間とも言える。
まあ、とりあえず髪の毛は急務じゃないし、今度で良いか。
肩までゆっくり湯に沈め、秋水は細長い息を吐く。
「風呂上がったら、まずは寝て……んで、バイクショップ行って、刃物屋行って、栗形さんにアンクレット渡して……」
そして今日の予定をつらつらと考えていく。
とは言えど、ダンジョンアタック用の装備を購入することと、祈織にドロップアイテムを渡しに行くくらいしか予定はない。
明後日は学年末試験だが、正直、特にテスト勉強などする必要もない。
段取りよくことが進めば、昼過ぎくらいには予定がなくなるだろう。
ということは。
「今日の午後は、ダンジョンに篭もるとするか」
にやりとしつつ、狭い浴槽の中で秋水は体を伸ばすのだった。
午前11時ちょっと前、秋水はバイクショップの前にいた。
コボルトと戦う防具を揃えるためである。
開店時間の前ではあるが、やはり店は開いている。もしかして営業時間の表記間違ってる説が浮上してきたかもしれない。
「……もしかして、目的地、ここだったりします?」
すでに店の入口が開かれているのを見ながら首を捻っている秋水の隣から、というか、下の方から、そんな言葉を投げかけられた。
おっと、と秋水は声の方へと顔を向ける。
長い黒髪に、深く青い色をしたニット帽と、同色で揃えたダッフルコートを纏った少女。
身長は、およそ140くらい。
そして背中には、小さな背丈には似合わぬゴリゴリの大型ミリタリーバックパック。
幼さを残した可愛い寄りの顔立ちと、その背丈のせいで小学生の低学年くらいに見えてしまうが、立派な高校生である。
女子高生が、めちゃくちゃ丈夫そうなデカくて無骨で実用性一点張りのミリタリーバックパックを背負っていた。
その女子高生を見下ろして、まさか、と秋水は1つの可能性を口にする。
「そうですね。ちなみに、律歌さんの用事というのは、この店なのですか?」
「……き、奇遇ですねぇ」
可愛い顔して厳ついリュックを装備していたのは、コンビニアルバイト女子高生、渡巻 律歌であった。
そろそろ白銀のネックレスの出番かな。
ちなみに、美寧ちゃんは「おはよう」のメッセージ内容を悶々と考えた末に中々寝付けず、寝落ちしたら今度は昼まで爆睡しました。しかも悪夢を見るどころか、(美寧ちゃんとしては)めちゃ良い夢まで見てだらしない寝顔を晒しての爆睡です。それを母親が見て、なんだコイツ、と呆れながらドアを閉めています。錦地母娘は他人に近い距離感が丁度良いのかもしれませんね。
という話は泣く泣く全部カットです(´゚ω゚`)