夕方には、なんて言ったものの、2月というのは18時過ぎればだいたい暗い時間である。
まして19時。
これは夕方ではなく、夜と言って差し支えないだろう。
自転車から降りた秋水は、質屋 『栗形』 の看板を見上げつつ、そんなことを思ってしまった。
もう1時間早く切り上げるべきだったかもしれない。
小雪ちらつく夜空の下、正直言ってクソ寒い。暖房なしで室温24度に湿度50%とかいう、謎に快適空間なダンジョンへ早く帰りたい気分だ。
早く春にならないものか、などと風情のないことを思いつつ、秋水は降りた自転車に鍵を掛け、足早に質屋のドアをくぐることにした。
「いらっしゃ……あれ、秋水くん、いらっしゃーい」
レトロな鈴の音と共に、秋水を出迎えたのはこの質屋の店長、栗形 祈織であった。
相変わらず小さい。
と言ったら、たぶん殴られるかもしれない。
店内には客の姿はない。
もちろん、客に扮した変な奴の姿もない。
流石にまだ、四六時中スパイだかなんだかに見張られている状況ではないようだ。
店内の様子に、秋水は少しだけ安堵する。
そんな秋水のもとに、肩に掛かるほどで揃えられている髪を揺らしつつ、店内の清掃をしていたらしい祈織がてこてこと駆け寄ってきた。
「こんばんは、秋水くん。こんな時間に子どもが出歩いちゃダメですよー」
「う゛」
近づいてから、にこりと祈織は笑顔を浮かべつつ、ずぶりと言葉のナイフを秋水のハートに突き立てる。
可愛い顔をして、人が今現在ちょっと気にしていることを的確に狙って刺してきやがった。
言葉を詰まらせながら、秋水は祈織を静かに見下ろす。
今日の未明、正に「こんな時間」と呼ばれるに相応しい時間に出歩いたせいで補導された、その事情を知っているか知らないかで、今の言葉の火力が変わる。
にへら、とした笑み。
これは、どちらだろうか。
「そ、そうですね、補導されますからね……こんばんは、栗形さん」
「はい、こんばんは。そうですよ、お巡りさんに見つかったら面倒ですからね。私も何度か補導されかけましたけど」
若干頬を引き攣らせながら探りを入れつつ挨拶をする秋水に、人差し指を立てながら、めっ、と注意するように祈織が言う。
お姉さんぶる祈織を見て、これは事情を知らなさそうだ、と秋水は少しだけホッとした。
祈織は出席しないらしいが、この質屋にとっては大事な交渉会議を行う前日、なんてタイミングで、余計な心配をかけずに済んだようだ。心配してくれるかどうかは分からないが、変な情報を与えずに済んで良かった。
ちなみに、祈織が補導されかけた件についてはノーコメントだ。
身長140㎝と少し。
まあ、うん。
やはり、お巡りさんは大変な仕事だ、うん。
「あ、ところで表から来ましたけど、私、裏口の合い鍵って渡し損ねてましたっけ?」
「ええ、そうですね。私も受け取り忘れてまして」
そしてふと思い出したように、立てた人差し指を曲げながら首を傾げて祈織が尋ねる。
そう、秋水は質屋の正面入口から入ってきたが、昨日の時点では、今度は裏口から入ってくるように、と言われていた。
しかし、色々とあったせいで結局、祈織から合い鍵を受け取り損ねてしまい、今日も正面から入店したのである。
色々。
今度は秋水が、ふと思い出した。
そういえば昨日、祈織は秋水の目の前で鼻血を出しながらぶっ倒れたのだった。
「その、昨日は大丈夫でしたか? 急に倒れられたので、驚きましたが……」
「ふふ、大丈夫ですよ、ちょっと心の準備ができてなかっただけです」
なんの心の準備なのだろうか。
ちょっと遠い目をしながら答えた祈織の言葉に、次は秋水が首を傾げる番であった。
しかし次の瞬間、はっ、と祈織は何かを思い出したかのようにぴくりと背筋を正し、目を見開いた。
そして何故か、秋水は祈織に睨まれた。
「あ、そうですよ秋水くん! 若い男の子がみだりにお肌を人前で晒しちゃいけません!」
「う゛」
再び人差し指を立てながら怒られたその内容に、秋水も再び言葉に詰まる。
なんかこれ、美寧に怒られた内容に近しい気がする。
もっとも、美寧に見せたのは上半身の裸で、祈織が昨日見てしまったのはタンクトップ姿でしかない。
そのレベルで肌を人前に晒すなと怒られても、と一瞬思ったが、そのタンクトップすらなしの裸体を何も考えずに美寧に見せた手前、なんだか順当なお叱りなような気がしてきた。
「確かに素晴らしい身体で、自慢したくなる気持ちは理解できますけど、あんなホイホイ脱いじゃダメですよ! 肩から手首にかけてのあんな逞しい筋肉を気軽に披露して、それで女の子の性癖壊れちゃったら責任取れるんですか!? 秋水くんはもっと自分の身体の破壊力をちゃんと自覚して、慎みを持って自重して下さい! めっ!」
「あの、腕を晒すなとなると、夏場に半袖などが着れなくなるのですが……」
「おっぱい大きい人が、暑いからって夏場におっぱい露出することが許されるとでも思っているんですか秋水くん!!」
「えぇぇ……」
いや、やっぱり理不尽なお叱りなような気がしてきた。
そんな腕を性的部位と同列に語られても困るというか、半袖くらいは着させてほしいというか。
というより、男の上半身は、そんなに性的なものだろうか、なんて秋水は思ってしまう。
プールに行ったら野郎共は、だいたいパンツ類だけなんだぞ。ボディビルやフィジークだって、基本的には上半身裸だ。そしてそれらの映像が、上半身裸だという理由だけで性的コンテンツ扱いになることもないはずだ。
と考えたら、やはり理不尽。
いや、性的コンテンツに該当するかどうかだけで決めるのは早計なのだろうか。
肩甲骨周りの動きを見せるために美寧の前で服を脱いだとき、美寧はかなり恥ずかしがっているようだった。
そして、祈織はタンクトップ姿の秋水を見てぶっ倒れた。
もしかして、男の裸というのは、男連中が思っているよりも女性にとっては性的なものなのだろうか。
どこに性的興奮を感じられる要素があるというのか。
謎だ。
いや、というか待て。
昨日、祈織が鼻血を出しながらぶっ倒れたのは、自分のタンクトップ姿に興奮したからなのか?
筋肉は見せびらかさないように、ちゃんとお肌は隠して、とお姉さんぶってぷりぷり可愛く怒っている祈織を、秋水は胡乱な目で見下ろす。
まさかな、と思う反面、もしかして、とも思う。
そう言えば、祈織は地味に筋肉の名称に詳しい。
なんなら、筋トレを継続して頑張っている美寧よりも、筋肉の名称がすっと口から出てくる場面を何度か目撃している。
人体、少なくとも筋肉に関して、祈織は興味や関心があるというのは間違いないだろう。
その興味や関心というのが、どの方向に向かっているのか、というのはあまり考えたことがなかった。
学問的な興味なのか。
性的な関心なのか。
まさか、ね。
秋水は何とも言えぬ微妙な表情になる。
とりあえず、祈織の前では服を脱がないようにしよう。
信じていないわけではないのだが、秋水は心の中でそう強く決心をした。
「いらっしゃい秋水、待っていたのだけれど……なにやら揉め事の気配ね」
と、そこで目的の人物、棟区 鎬がバックヤードの方から顔を出してきた。
正確には、一度バックヤードから出てきたのだが、50㎝近く小さい祈織に怒られている秋水を見てから、すっと半分だけ体をバックヤードの方に隠してこちらを覗き込むような形で鎬が顔を出してきた。
揉め事なら関わらないようにしよう、という本音が透けて見えるどころか丸出しでご提供である。
「あ、鎬さん! その口振り、さては鎬さんが秋水くんを呼んだな!? 子どもを夜に出歩かせちゃダメでしょ!」
「あら至極真っ当」
そんな鎬を見て矛先を変えた祈織が、今度はそちらへずんずんと歩み寄りながら吠えていく。
まあ、心配してくれているのは嬉しいのだが、すでに補導を喰らった後だということを考えると、なんとも居たたまれない気持ちになってしまう。
祈織にきゃんきゃん吠えられているのは慣れているのか、はいはい、と鎬は軽く祈織をいなしながら、改めてバックヤードから出てきた。それが慣れているのというのも如何なものか。
「明日からテストだというのに、ごめんなさいね秋水」
そしてわしゃわしゃと祈織の頭を撫でてから、鎬はまっすぐ秋水のところまで歩いてきた。
まあ、仲が良さそうで安心だ、と思っておこう。
「いや、俺の方こそ、明日は大事な話し合いだってタイミングでごめんな。ほいこれ、例の」
秋水も補導という具体的な名前を挙げずに謝りながら、リュックサックを下ろして中から大きなビニール袋をごそりと取り出す。
中には白銀のネックレスが、合計で14本。
ついでにアンクレットもごそりと入っている。
それらを雑に詰め込んだビニール袋を鎬に差し出せば、ありがとう、と鎬がそれを受け取った。
「これはこれは、アンクレットの方が大量ね」
30個はあるアンクレットを見て、鎬は少しだけ目を丸くする。
コボルトがリポップするまでの間、時間潰しに角ウサギ潰しをしていたら、まあ出てくること出てくること。
今日は白銀のネックレスの出現率が渋かった反動か、アンクレットの方はたくさん入手できたのだ。
「あれ、もしかしてこの時間に入荷?」
「そうね。ちょっと今日の内にネックレスの方の数を揃えておきたかったのよ」
「なにも夜に届けさせなくても……」
「私が無理を言ったのよ。ごめんなさいね」
しれっとした顔で謝りつつ、鎬は後をてこてこと追ってきた祈織へ流れるようにビニール袋を渡した。
いや、夕方に届けに行くと言い出したのは秋水の方である。
鎬ではない。
そこは訂正した方が良いかなと口を開こうとすると、鎬が秋水の口の前にすっと手をかざしてストップをかける。
「そうそう秋水、明日からなのだけど、ネックレスを持って来たら店長に預けておいてもらっていいかしら?」
「え、ああ、いいけど」
口出しをするタイミングを意図的に潰されてしまった。
そして受け取ったビニール袋の中を覗こうとしていた祈織は、不意に名前を呼ばれたことに「なんのこと?」と言わんばかりの表情で鎬を見上げる。
伝達していないのか。報連相不足じゃなかろうか。
「それと店長、しばらく店番をするときなのだけど――」
そんな祈織に向き直り、鎬は祈織に渡したビニール袋の中に手を突っ込んだ。
ごそり、と中をまさぐる。
アンクレット30個と、ネックレス14本が入れられた、大きなビニール袋の中をまさぐる。
ごそごそ。
鎬は首を傾げた。
「――流石にちょっと、入れ方が雑すぎるんじゃないかしら?」
「それは昨日の時点で俺も思ってた」
「簡易包装的な袋か紙かが必要ね。次会うときまでに用意しておくわ、店長が」
え、みたいな感じに再び祈織が顔を上げた。
たぶんネックレスを取り出したいのだろうが、残念なことにネックレスを入れてから適当にアンクレットの方を入れたので、下に溜まっていると思われる。
一応は装飾品として売りに出しているものなので、もうちょっと丁寧に梱包すべきとは思っているのだが、なにせドロップアイテムの数が数なので面倒さが勝ってしまい、どうしても雑な扱いになっているのだ。
昨日のコンテナ箱での運搬も然り、対応は考えておかなくてはならないだろう。
しばらく鎬はビニール袋の中をごそごそしてから、お目当てだった白銀のネックレスを掴み、それをするりと引き上げた。
「で、店長はしばらく、これを着けて店番をしてちょうだい」
「うぇ?」
そして引き上げたネックレスを、するりと祈織の首へとあてがった。
細い白銀の鎖が、祈織の首を彩る。
ちらり、と秋水は祈織が抱えたビニール袋を目を向ける。
当たり前と言えば当たり前だが、アンクレットもネックレスも、どちらも装飾品であり、身に着けるものである。
祈織の首にあてがわれた白銀のネックレスを見て、ふと、身に着けたことなかったな、ということに気がついた。
アンクレットは足首につける装飾品だ。ちょっとサイズが合わない気がする。
ネックレスは、まあ、何とか首に巻けるサイズだ。着けられなくはない。
装飾品ねぇ、と秋水は少し考えてしまう。
「い、いやー……アクセサリーとか見るのは大好きだけど、自分を飾るのはちょっと自信ないと言うかー……」
「大丈夫よ、秋水が身に着けるより100倍可愛いわ」
「「おい」」
秋水と祈織でツッコミの声が被った。
自分を貴金属で飾る趣味がない、という感性も被っていたようである。
まあ、秋水も自分が着けるより祈織がネックレスを着けた方が100倍可愛いというのは、同意できなくもない。
いや、0を100倍したところで0である。
やはり鎬に対してツッコミを入れたのは正解だったようだ。
あまりネックレスを着けるのに乗る気ではない祈織を雑に褒めつつ、鎬は祈織の首にあてがっていたネックレスを今度は自分の首にあてがい、そのまま首の後ろで止める。
鎬の首に、白銀の光があしらわれた。
「明日は私、隣の県までお出かけだからいないけど、帰ってきたら私もネックレス着けて店番するわね」
「あー、なんか政府の人とお話し合いするんだっけ? 上京しちゃうんだね、お土産よろしく」
「落ち着きなさい店長、あそこは京じゃないわ、血液の代わりに赤味噌が体内を循環している奴らが生息する魔境よ」
「うぅ……でも、アクセサリー着けるの、趣味じゃないんだけどなぁ……」
「着飾るのも身だしなみの1つよ」
「そりゃ鎬さんみたいな美人なら似合うだろうけど、私の場合だとおままごと感が……」
「つまり似合うということじゃない。自信を持ちなさい店長」
「殴るよ?」
「あら怖い」
反抗期だわ秋水、とふざける鎬に、秋水は乾いた笑いだけ返しておいた。
それから、んー、と秋水は鼻を鳴らす。
「んー、結局、そのネックレスは鎬姉さん達が着ける用なのか?」
そして疑問を口にした。
鎬は白銀のネックレスをコンスタントに卸してほしいと言っていたが、自分達が着けたかったからなのだろうか。
だとしたら、2本あったら事足りる気がするのだが。
いまいちネックレスを欲していた理由が分からない秋水は首を傾げてみたが、鎬は軽く笑って答える。
「そんなわけないわ。新商品の宣伝用よ」
新商品。
その宣伝。
ああ、なるほど。
まずは実際に自分達が着けているのを見せびらかし、それを宣伝にするという手法か。
そして、買ってもらおうと。
なるほどなるほど。
……マジか?
「え……これも売るのか?」
「売るわよ。秋水もそのつもりでしょう?」
「いや、そうだけど……」
そりゃ売るつもりで昨日は持ち込んだけれど。
ただ、白銀のアンクレットとは違う物質が入っているかもしれない、なんて気がついてしまったら、流石に売るのは及び腰になってしまう。
なにせ新元素なんてものが1つ見つかっただけで、だいぶな面倒事になっているのだ。
そこに白銀のネックレスを売りに出し、また別の元素が見つかりました、なんてことになれば、どれだけ面倒になるかは考えたくもない。
もにょもにょと言い淀んだ秋水を見て、鎬は小さく笑った。
「ただ落とすより、上げてから落とした方が、人間ガッカリするものよ」
言いながら鎬はネックレスを外し、祈織が抱えていたビニール袋の中へと戻す。
小さい笑いが、若干邪悪なものに見える。
怖。
下手に突かない方がよさそうな話題かもしれない。
「ねえ、鎬さん、ちょっといい?」
そこで祈織が声を上げる。
どことなく心配そうな表情だった。
「全然気にしてなかったんだけど、明日、政府の人とお話し合いするんだよ、ね?」
そうね、と鎬が軽く返すと、祈織は一度だけきゅっと口を横一文字に結んだ。
祈織は新しい物質について鎬が政府と交渉をすることを、あまりよく理解していないように秋水には見えていたが、やはり心配なのだろうか。
まあ、国の行政機関の人間と交渉するとか、ちょっと意味分からんことになっているから、それは普通に心配なのであろう。
それに、話し合いの内容によっては、この質屋の経営も色々方向転換をせねばならないだろうから、いくら祈織でも気になるのだろう。
心配そうにしている祈織を秋水はちらりと確認していると、その祈織は少しだけ間を挟んでから、おずおずと口を開いた。
「あの、鎬さん…………本業の方は、まさかお休み取ったの?」
全然違った。
なんか、想像していたのと心配している方向性が違った。
ああ、いや、鎬を雇っている店の経営者としては、真っ当な心配なのかもしれない。
確かに明日は月曜日で、本来であれば鎬は本業の方で元気に仕事をする日のはずだ。
秋水は続いてちらりと鎬の顔を見る。
「いいえ、休みは取ってないわ」
え、と思わず秋水は、そして同時に祈織も疑問符がそのまま口から出てきた。
「うぇ!? じゃあなに? リモートワークしながら並行してやる感じなの!?」
「いやね店長、流石に私もそこまで化け物じゃないわ」
「だ、だよねー、普通に同時進行で仕事できるかと思った」
「やろうと思えばできるけど、効率が悪いし疲れるわ」
「やれはするんだ……」
「単純に、働いていた会社の方はもう辞めたのよ」
しれっと。
実にしれっと。
表情一つ変えることなく、鎬は爆弾発言を落としてきやがった。
辞めた?
え、仕事を?
残業は平気で3桁時間、働けるときはとにかく働く、お仕事大好き人間の鎬がか?
秋水はぎょっとした表情で、祈織は呆気にとられた表情で、思わずお互いに顔を見合わせてしまった。
知ってた?
言葉は出てないにもかかわらず、祈織の顔にはそんな言葉が書かれているように見えた。
知らない知らない。
秋水は即座に首を振った。
むしろ、祈織の方が先に知っておくべきじゃなかろうか。そんな秋水の内心も伝わったのか、祈織もまた、知らない知らない、と首をぶんぶんと横に振る。
その祈織の首に、そっと鎬の指がかかる。
「だから、今の私の本業は、ここなのよ、て・ん・ちょ・う?」
本業の方辞めたんなら、社会保険料とか諸々の関係があるから店長にまずは一報入れようねマジで(; ・`д・´)!!