朝がきた。
正確には、朝がきた、と思う。
未明の4時過ぎにセーフエリアで寝て、起きても午前6時前。2時間以下の睡眠でも、セーフエリアで寝れば目覚めはばっちり爽快で、身体の調子も絶好調である。
アイマスクをずらせば、相も変わらず眩しい天井の光が目を刺激する。
ダンジョンの中は常に明るい。寝るためにはアイマスクが必須だ。
布団から起きて、ぐいーっと秋水は伸びをした。
朝だ。
いや、午前6時という時間ならば日の出前なので、まだギリギリ夜なのだろうか。
未明から夜明けの境界線だ。
「づぁあぁぁぁ……っと」
伸びをして、足を伸ばしたまま上体を前へと倒す。長座体前屈である。
腰から大殿筋をかけてハムストリングスをしっかり伸ばし、続いて足を開いてまた上体を倒す。開脚前屈。
秋水の大胸筋がぺたりと布団についた。
それから寝起きのストレッチを順番にこなし、10分ほどしてから秋水はごそりと布団から立ち上がる。
立ってからも、またストレッチ。
「んー……今日からテストかー……」
そのストレッチも終わった後、秋水は独り言ちりながら布団のシーツを直して綺麗にたたむ。
今日は2月4日。
楽しく月曜日。
学年末、そして中学生活最後の試験だ。
試験は3日間に分けて行われる。
今日はその初日。
本格的に、中学生という時期が終わる、その足音が聞こえてきた。
布団をたたみ終わってから、秋水は最後に再び大きく伸びをする。
「うーん、やっぱジム行きゃよかったかなぁー」
昨日、鎬が本業の仕事を辞めたという爆弾発言を聞いてから、家に帰った秋水は結局、ジムには行かなかった。
まあ、夜だし。
補導されてしまったばかりだし。
これで連日捕まったとなれば、各方面に申し訳なさが半端じゃなくなるので、流石の秋水も自重した。
テスト期間中は自粛するとするか。
ということで、質屋から帰ってきた秋水は、結局日付が変わって午前2時くらいまではダンジョンアタックをしていたのである。
テスト勉強ではなかった。
ついでに、期末試験が終わったら、しれっと再び深夜のジムに行く気である。
そんな不良少年は、とりあえず飯でも、とセーフエリアの縦穴の梯子を登り、庭のテントへと顔を出した。
まだ暗い。
やはり朝というには微妙な時間だ。
そして寒い。
「そう言や、鎬姉さんは南へ下るっつってたか」
快適な室温に保たれているダンジョンから、テントの中の厳しい寒さに身を縮ませながら秋水は零す。
日本政府の人と大事な交渉会議。
その会議場所へ、朝の早くから向かうと言っていた。
もしかしたら、もう移動しているのかもしれない。いや、流石に早過ぎだろうか。
秋水の住んでいる街から南へ下れば、政令指定都市の都会がある。話し合いはその都市のところで行うらしい。
こんな山の中といった田舎より、都会の方が随分と暖かそうで羨ましい限りだ。
会議に出たいわけではないが、鎬の向かう都市の方はきっとここより気温が幾分かは暖かいのだろうなと考えながらテントを出る。
良い天気である。
雲一つのない晴天だ。
「……放射冷却め。曇れ」
空を見上げて、とりあえず秋水は舌打ちをしておいた。
夜は晴れると、朝が寒いのだ。
果物なしの100%野菜ジュースに、ソイプロテイン、イヌリン、グリシン、大麦若葉の粉末、抹茶パウダー、モリンガパウダー、シナモンパウダー、ウコンパウダー、生姜パウダー、きな粉、すり胡麻、黒酢を入れ、電動シェイカーでよく混ぜた謎の液体を腹へと流し込み、冷凍食材で適当に朝ご飯を食べてから、秋水は少しだけまったりした。
座禅を組んで瞑想するのを、まったり、と表現していいかどうかは迷うところだが、秋水的にはこれがリラックスの方法である。
息を吸う。
息を吐く。
頭を無にするようにして、少し待つ。
魔力の流れを、感じる。
吸う。
吐く。
ゆっくりと、魔力を動かす。
魔力を回す。
吸って、吐く。
「……こんなもんかな」
体の隅々に魔力をぐるりと1周だけ循環させてから、秋水は座禅を解いて立ち上がる。
良い時間だ。
制服に着替えて、学校に行くとしますか。
通学路をのんびりと歩きながら、秋水は昨日のことをふと思い返す。
昨日、鎬が本業を辞めたという爆弾発言を叩き落としたとき、秋水は心のどこかで少し納得していた。
今日の交渉会議だってそうだが、祈織の質屋に手伝いに入って以降、鎬が抱えている仕事量というのはあまりにも多すぎる。
いくら鎬が仕事が大好きで、私生活を平気で削る女であろうと、人間に与えられている時間というのは平等に24時間しかないのだ。私生活を削るにも、限度というものがある。
祈織の質屋で経営再建の手伝いをしつつ、普通に店番などの仕事。
白銀のネックレスから検出されてしまった新元素とかいうものの、その取扱いや権利などについての話し合い。
それらダンジョンモンスターからのドロップアイテムを、研究所や大学へ売り捌くための交渉。
さらには、裁判も控えている。
そこで今まで通りに本業をこなすのは、確かに無理だ。
ちょっと納得してしまった。
「はぁ……」
秋水は小さくため息を吐く。
鎬は、秋水の保護者だ。
保護者になってしまった。
それもまた、鎬にとっては負担の1つであることは間違いない。
そもそも、鎬に祈織の質屋を紹介したのは、秋水だ。
白銀のネックレスを売るために、名前を貸してくれと頼んだのが始まりだ。
こう思い返してみれば、鎬の抱えていた負担の大半は、秋水が事の発端である。
鎬が仕事を辞めた原因は、自分なのだろうか。
そんな考えが、ちらりと頭に浮かぶ。
いや、まあ、だからと言って、別にそれで良心が痛むとかは、ないけれど。
鎬は鎬らしく、自由に生きてんな、とは思う。
ただちょっと、別に申し訳ないとは思わないのだけれど、自分が原因なのかな、という点には、思うところがないわけでもない。
「……そろそろポーション飲み尽くすくらいかもしれないし、帰ってきたら差し入れくらいしてやろうかな」
もう一度静かにため息を漏らしつつ、秋水は青い空を見上げる。
鎬には以前、ポーションを売ったことがある。
祈織の質屋を紹介する前のことだ。
怪我が治るかどうかは知らないが、疲労に関してはあのポーション、秋水と同じく鎬に対しても同様の効果がある。
今、鎬に倒れられては困る。
鎬にはかなりの負担をかけてしまっているのは事実として認めなければならない。
だとすれば、鎬にはポーションをなるべく融通した方が良いだろう。
あまり自分以外に提供するのは、かなり、むちゃくちゃ、凄く抵抗があるのだけれど、まあ、仕方がない。
今日にでも鎬用に適当なペットボトルにでもポーションを詰めといて、明日くらいにでも渡すとするか。
秋水は、再度大きくため息を吐く。
白い息が、天に昇って広がった。
「ようっ、デケぇため息だな棟区!」
そこに、ぱんっ、と背中を軽く叩かれた。
そして、聞き覚えのある男の声が、後ろからかかる。
急な襲来に少しだけ驚いたものの、秋水は慌てることなくゆっくりと振り返る。
振り返った先には、予想通りにクラスメイトが1人……いや、2人いた。
「よーっす、おはよう棟区」
「おはよ、棟区さん」
背中を叩いてきたと思われる左手を上げながら、軽い調子で挨拶をしてくる男子。
覚王山 未来である。
なんだかんだと気楽に秋水へ話しかけてくれるようになった、クラスメイトだ。
そしてその覚王山の隣では、どこか少しだけ心配そうに秋水を見上げながら挨拶をしてくるもう1人の男子。
同じくクラスメイトの、日比野 道である。
秋水と同じくジム派の筋トレ民で、秋水の利用しているジムがガチ寄りの施設だと聞いたや否や、すぐさまジムを移籍するというフットワークの軽い筋トレ仲間だ。
クラスメイトの男子が2人、通学途中に遭遇するとはなかなかの偶然だ。
特に覚王山の方とは教室の外で会うことがなかったため、秋水はわずかに目を丸くする。
「これは奇遇ですね。おはようございます、覚王山さん、日比野さん」
「奇遇じゃねぇよ、待ち構えだ」
「ちょっとバラすの早いよ未来」
気を取り直して秋水も挨拶をしてみれば、覚王山の口から気になる発言。
待ち構え。
誰をだろうか。
もしかして、自分か。
思い当たる節がない秋水は首を傾げた。
「ごめんね棟区さん。前に渡巻さん達と一緒に帰ったことがあるでしょ? あの時にここで分かれたから、ここで待ってたら棟区さん来るかなって思ってね」
「……ああ、そう言えば4人で帰ったことがありますね」
少し困ったように笑いつつ、日比野が説明してくれた。
確か、ジムについて色々聞きたいからと日比野と一緒に帰ることになり、そこに何故か紗綾音が乱入をかまし、ついでに沙夜が巻き込まれ、4人で帰るとかいう意味の分からない事態になったときのことだろう。
魔法という存在に、気付きを得た日のことである。
あの時は、面倒なのがついて来たなぁ、と思ったものだが、振り返ってみれば、あの日はダンジョンアタックに関して大きな発見があったのだ。
4人で帰ったあの帰り道、紗綾音の変な発言の中から、魔素、魔力、魔法、という存在がダンジョンにもあるのでは、という可能性に思い至った。
そう考えれば、現在のダンジョンアタックにおいて、紗綾音の与えてくれた気づきというのは、非常に大きな存在になってしまっている。
認めるのがちょっと悔しいのは、うん、何故だろう。
かつて4人で帰った日のことを思い出し、ちょっと微妙な気持ちになる。
そんな秋水の肩に、ぽん、と手が乗った。
覚王山である。
彼に視線を向けると、何故かニヤリとした笑みを覚王山は浮かべていた。
「おいおい、聞いたぜ不良少年。この大事な時期に補導されたってお前?」
「う゛」
何故それを知っている。
ちょっと悪い笑顔で体を寄せてきた覚王山の言葉に、秋水は思わず言葉に詰まってしまった。
「ちょっと未来、ストレートすぎ」
「変に気ぃつかっても仕方がないだろ」
言葉のナイフと刺してきた覚王山を慌てて日比野が注意するが、覚王山の方は大して気負いもせず、べ、と舌を出しながら聞き流す。
ああ、なんだ、補導されたって話が気になって、わざわざ通学路で待っていたということか。
うん、なんでもうこの2人が補導された話を知っているのだろうか。
「ええと……おふたりとも、随分と耳が早いのですね」
「ああ、ごめんね。クラスのグループチャットでさ、棟区さんが補導された、って話が流れてきて、それで心配になっちゃって」
やはりどこか心配そうに日比野が補足を入れてくれた。
クラスのグループチャット。
その言葉に秋水は一度首を傾げたが、そんなものがあるのか、と軽く流すことにした。
そのグループチャットとやらに秋水は参加していないが、もとより異物のような扱いをされてきた身である、クラスメイト達からは参加拒否されて当然であろう。
そうなのですね、と軽く返しつつ、むしろグループチャットに招待されなくてよかったと秋水は軽く胸を撫で下ろす。
参加したら、絶対に面倒そうだ。
「ちなみに内通者は御器所の奴だ」
「御器所さんですか。昨日のことだというのに、良く知っていますね」
こそりと告げ口するように覚王山が教えてくれたが、秋水は特に気にすることなく感心してしまう。
御器所とは、ダイエットガチ勢、ミカちゃんさんのことだ。
秋水が補導されたという情報をどこでキャッチしたかは知らないが、随分と感度の良い情報アンテナを持っているじゃないか。記者とか向いてそうだ。
へぇ、と感心する秋水に、覚王山と日比野が同時に半眼になる。
「お前、そこは特に怒んねぇのな……いや、そもそも棟区は大半のことに怒んねぇよな」
「というか、補導されたっていうのは本当だったんだね……」
「ええ、まあ。昨日の早くにジムに行こうとしたら、警察の人に呼び止められまして」
別に怒る箇所はなかったよな、と思いつつ、秋水は早速日比野に対して言い訳をする。
言い訳というか、事実というか。
いや、お巡りさんに捕まったのはジムに行くときではなく、ジムで筋トレを終えて帰ってくる道中だったので、普通に嘘か。
「ジムに?」
「え、ジムに行って捕まったって……何時に行ったんだよ?」
そんな秋水の言い訳に、日比野と覚王山が首を傾げた。
う、と秋水は一瞬だけ言葉に詰まった。
「………………3時ごろ、ですね」
「「は?」」
2人の視線が突き刺さる。
秋水はそろりと視線を逸らして空を見上げた。
良い青空だ。
「3時って……朝の3時?」
「……そうですね、朝の3時です」
「いや、3時っつったら、どっちかてぇと夜だろ」
驚きながら改めて確認してきた日比野の問いに、秋水は肩をがくりと落として認めた。
そう、3時である。
大半の一般市民は寝ている時間である。
覚王山の呆れた言葉が的確過ぎて胸が痛い。
「そりゃお前……補導されるよな」
「予想以上に納得の一発アウトな内容だね……」
そして2人に思い切り呆れられてしまった。
安心してくれ、秋水自身も呆れているのだ。
ちゃんと周りに注意しておけばよかった、と。
根本的なところで心を入れ替えていない秋水である。
「いえ、まあ……早起きは三文の徳とは言いますが、早起きし過ぎると徳より補導の方が先に来ますね」
「早起きし過ぎだよそれは」
「ジジイじゃねぇんだから……」
新聞の朝刊配ってる人に謝ってもろて。
参りましたね、と苦笑いをする秋水に、日比野と覚王山はほとんど同時にツッコミを入れてきた。
それから2人は顔を見合わせたのち、揃って同じく苦笑いを浮かべるのだった。
「まあ、なんか棟区さんが変なことに巻き込まれてなくて良かったよ」
「こいつ、昨日から心配してたんだぜ」
そして、ほっとした表情を見せた日比野の方に腕を乗せ、揶揄うように覚王山が言う。
う、と日比野が一瞬だけ言葉に詰まった。
それはなんと。
「それはそれは。ご心配をおかけしました」
「あー……まあ、僕が勝手にヤキモキしちゃっただけだから。未来はそういうことあんまりバラさないでよ、恥ずかしいから」
「いや、別に恥ずかしいことじゃねぇだろ。心配するだけ友達想いってことじゃねぇか」
「ありがとうございます」
なんともアホみたいな理由で補導されたのが原因だというのに、無駄に心配をさせてしまったことに秋水はすぐに謝れば、日比野は慌てて両手を振って、気にしないでと言う。ありがたい。
それから、うー、と日比野が恥ずかしそうに軽く唸り、覚王山の方を睨む。
「そういう未来は、全然心配してなかったよね」
「してねぇしてねぇ。棟区の見た目じゃ、誤解かなんかで捕まったってオチだろうしな……もっとショーモないオチだったけどナ」
「棟区さんが変な事件に巻き込まれてる可能性だってあるのに……」
「こいつが巻き込まれんなら大事件だ。とっくにニュースになってるぜ」
「少しくらいは心配しようよ」
「今はテストの方が心配だぜ俺は」
べー、と再び覚王山は舌を出して聞き流す。
信用されている、と思って良いのだろうか。
日比野のように純粋に心配されるのも変な感じがするが、覚王山のように信用されているというのもまた、なんともむず痒い気持ちである。
「でも、ま、俺達はともかく、他の奴らは随分騒いでる感じだったな」
「そうなのですか?」
「棟区、やっぱ喧嘩ばっかりしてるヤベェ奴だったんじゃないか、とかな」
に、と覚王山が軽く笑った。
なんだか先週くらいに聞いたことがあるフレーズだ。
「ああ、覚王山さんが以前思っていたように、ですね?」
「俺はもう、ちげぇと思ってるよ」
「はい、承知しております」
「ならいいけど……クラスの奴らは全員が全員、そう思っちゃいないってこった」
頭の後ろで手を組んで、覚王山は小さくため息を漏らした。
まあ、もとよりずっと、怖がられてきたのだ。
怖がられるから、怖がらせないように距離を取ってきたのだ。
誤解されたままなのは、まあ、仕方がないことだろう。
自分みたいな明らかに反グレめいた奴が警察に補導されたのだと聞いたら、警戒してしまうクラスメイトがいたところで不思議じゃない。
というか、大半のクラスメイトが不安に思うことだろう。
覚王山や日比野の方が、たぶん少数派であろう。
そうですよね、と秋水は頷くと、今度は日比野の方が覚王山の肩に腕を置いた。
「未来のこれ、照れてるだけだから」
「おい道、そこは黙っとこうぜ!?」
「ちなみに、通学路で待ち構えようって言い出したのも未来だから」
「そこはバラさなくてもよくね!?」
仲が良さそうである。
さて、時間はまだまだ余裕がたっぷりあるのだが、随分と話し込んでしまった。
素直じゃないなー、と呆れたように言う日比野に覚王山がきゃんきゃん吠えているのを見て、秋水はもう一度苦笑を浮かべる。
「では、学校に行きましょうか」
「そうだね。たまには一緒に行こうか」
「あ、ついでに棟区、英単語の暗記、手伝ってくんね?」
試験範囲広すぎだよなー、と若干ダレている覚王山を日比野と2人で宥めつつ、秋水は登校した。
誰かと学校に向かうのは、随分と久しぶりなような気がする。
それこそ、小学生の時に、妹の手を引いて以来では。
ふと、そんなことを思い出しつつ、秋水は教室の扉をくぐった。
「棟区こんな大事な時期になにやってんだお前はっ!!!」
教室では、金髪の鬼が待ち構えていた。
ミカちゃんさんさぁ……(;´・ω・)
第6章は残り2話を予定しております。
とりあえずチワワ、笑ってくれ。
【秋水②】ミカちゃんさんが情報バラまいたのを怒らないのは、他人はいつか裏切るかもしれない、というのを経験上知っているから。