ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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199『棟区くんの言語能力はクソザコバカヘボ真空管並低レベルアホ性能』

 

「棟区こんな大事な時期になにやってんだお前はっ!!!」

 

 日比野と覚王山とともに秋水は教室に辿り着くと、そこには鬼、じゃなかった、竜泉寺 沙夜が鬼みたいな、ではなく、目をつり上げて怖い表情で待ち構えていた。

 おはようございます、と言うより早く教室に轟き渡ったその怒声に、秋水はびくりと思わず後退る。

 

「あ、ちなみに一番キレ散らかしてたのあいつだから」

 

「今更それを教えて下さってありがとうございます。もう少し早く知りたかったです」

 

「クラスのグループチャットの方じゃ、擁護してるのかコキ下ろしてるのか分かんないくらい罵詈雑言の嵐だったからね。逆に僕らは冷静になれたよ」

 

「あれですね、パニックになっている人を見ると逆に冷静になる現象ですね。ただあの、まだ凄い怒っていらっしゃるご様子なのですが……」

 

 そんな後退った秋水の背中を、がしりと日比野と覚王山が掴んだ。裏切ったな。

 秋水に向かってずかずかと沙夜が近づいてきた。

 うわ、怖。

 進行通路の近くにいたクラスメイトが少し怯えたように、す、と沙夜から距離を取る。

 ただ、沙夜のことを大半のクラスメイトが目で追っているので、どうやら興味はあるようだ。野次馬根性が素晴らしいことよ。

 

「あんたねっ、卒業前に問題起こしてどうすんだっ! なんで警察にしょっ引かれてんのっ!?」

 

「おお、おはようございます、竜泉寺さ」

 

「おはよう言ってる場合かっ!」

 

「どうしましょうか、聞く耳を持ってくださいません」

 

 助けて、と背後にいる日比野と覚王山に視線を送るも、自分で何とかせい、とばかりに首を横に振られてしまった。

 秋水の目の前で仁王立ちした沙夜が、どすり、と秋水の胸元を指で刺す。

 ジャスト鳩尾。

 殺意を感じる。

 

「なんで補導なんてされてんの棟区はっ!?」

 

「すみません、ジムに行くところを見つかってしまいまして……」

 

 怖い顔で詰め寄ってきた沙夜に、秋水は降参を示すようにそろりと両手を上げた。

 なんでこんなに怒っているのかは分からないが、ここは言い訳をしたところで事態が好転しそうにないのは、コミュ障の秋水でも分かることである。

 なので、即座に謝ることにした。

 日比野と覚王山の朝方の反応を見るに、秋水が補導されたという話は広まっているものの、どうやら補導された内容自体は知られていないと思われる。

 まあ、ジム行こうとしたら補導されたなんて、字面だけでは意味分からん状況である。

 

「は?」

 

「いえ、ちょっとジムに行こうと……」

 

 両手を上げて早速白状した秋水の言葉に、沙夜は目を丸くして一瞬黙った。

 正しい反応だと思う。

 秋水を睨み上げていた沙夜の視線が、ふら、と一度外れ、すぐに戻される。

 

「ジムっ!? 深夜って聞いたぞっ!?」

 

「ええ、まあ……深夜でしたね」

 

「何時!?」

 

「……午前の3時です」

 

「はぁ!?」

 

 日比野と覚王山とほとんど同じ反応だ。

 まあ、秋水自身だってダンジョンを発見する前であれば、午前3時にジムに行って筋トレしてます、なんて聞いたら同じ反応だっただろう。

 一般的な中学生の生活リズムで、そんな未明の時間にジムに行くとか気合入りすぎじゃないか。

 そんな秋水の告白を漏れ聞いたクラスメイトが、ざわ、と小さくどよめいた。

 ジムだって。

 そんな時間に筋トレすんの?

 だから筋肉デカいのか。

 本当なのかな?

 色々な声が秋水の耳に入る。居心地が悪い。

 あと、別に午前3時に筋トレしてるから筋肉デカいわけじゃない。正しく筋トレして栄養と休息をしっかりとっているから筋肉がデカいんです。

 

「……え、棟区あんた、そんな時間に筋トレしてんの?」

 

「いえ、昨日はまあ、偶然と言いますか……」

 

 両手を上げたまま微妙な表情を浮かべていると、ぽかん、とした顔になった沙夜が、素の声で尋ねてきた。

 それに対して秋水は言い淀む。

 なにせ、お巡りさんには今から筋トレをしに行こうと、なんて説明したが、実際にはみっちりと筋トレを終わらせた帰りだったからだ。真実は、真夜中ぶっ通しで筋トレをしていました、という酷さである。

 なんと答えたものか、と秋水は頬を掻く。

 その秋水の下腹部に、どすりと拳が突き刺さった。

 

「心配かけさせんな馬鹿っ!!」

 

 殴られた。

 特に痛くない。

 不意打ちのように怒り荒ぶる沙夜のパンチを叩き込まれたものの、秋水はノーダメージでけろりとしている。

 うわ暴力。

 本物のヤンキーだ。

 ひそひそ声が秋水の耳に届いた。

 沙夜の方が怖がられちゃいないだろうか、と思いつつ、秋水は一度首を傾げた。

 

「心配、されたのですか?」

 

「むぐ――っ」

 

 その質問に、沙夜が思わず言葉を飲んだ。

 怒っているが、それは心配したからなのだろうか。

 日比野は、心配したと言う。

 覚王山は、心配していないと言う。

 沙夜は、日比野と同じく心配したのだろうか。

 そうなのだろうか。

 ただただ純粋に、心配掛けさせてしまったのだろうか、という疑問が秋水の口から零れた。

 特に深い意味はない。

 ただ、その言葉に、沙夜の顔がほんのりと赤くなる。

 

「――と」

 

 高いトーンで一度出た。

 沙夜の口から一度出た。

 変な声が出たことを自覚したのか、ほんのりとした赤さだった沙夜の顔が、かぁ、と一気に朱に染まる。

 

 

 

「友達なんだから、心配ぐらいするだろうがっ!!」

 

 

 

 ぼす、と再び腹を殴られる。

 腹筋に力を入れて、それを真っ正面から受け止める。

 ノーダメージ。

 それどころか、拳を痛めたのか沙夜が右手を押さえて蹲ってしまった。鍛えすぎだ馬鹿がぁ、と沙夜から鳴き声がする。

 そんな沙夜を、秋水は見下ろした。

 

 友達。

 

 友達?

 

 簡単な日本語のはずなのだが、どこか聞き慣れない言葉に秋水は首を傾げる。

 友達。

 沙夜と、か?

 友達なのか?

 正直なところ、紗綾音との共通の知り合いというだけで、友達と呼ばれるような間柄にあるとは思っていなかった。

 それなのに、沙夜からは友達だと思われている、らしい。

 それはなんというか、変な気分だ。

 想わず目を丸くして戸惑ってしまった秋水の背中を、つんつん、と誰かがつつく。

 覚王山である。

 

「あら聞きまして棟区さん、お友達なんですって」

 

 何故かオネェ口調。

 聞いたよ。

 友達なんだって。

 自分と、沙夜が。

 なんか、むず痒い気分だ。

 からかうような覚王山の言葉に、聞き間違いではなかったのか、と秋水は微妙な表情を浮かべてしまう。

 その覚王山の脇腹に、日比野が肘をどすりと打ち込む。

 

「未来、ここで茶化すと後で酷い目に合うよ」

 

「今すぐ酷い目に合わせたろうかお前らっ!」

 

「今って僕は関係なくないかな!?」

 

「人が心配してるところでイチャイチャしながら入ってきやがって!」

 

「理不尽過ぎやしないかな!?」

 

 蹲ったまま、があ、と沙夜が日比野に吠えた。完全にとばっちりである。

 むふ、と秋水は鼻を鳴らす。

 友達、かどうかは、よく分からない。

 今までの人生で、そう呼べる人は、数少なかったからだ。

 ただ、心配を掛けさせてしまったのは、事実なのだろう。

 

「竜泉寺さん」

 

 蹲っていた沙夜の前に、秋水は片膝をついてゆっくりと腰を下ろした。

 沙夜と目が合う。

 膝をつく程度では蹲った沙夜とは頭の高さが合わず、秋水の方がやはり高くなってしまう。

 その頭を、秋水はすぐに下げた。

 

「私の不注意で、ご心配をおかけいたしました。申し訳ございません」

 

「~~~っ! い、いぃ~~~っ!」

 

 謝る。

 なんで心配してくれたのだろう、と思わなくもない。

 だが、しなくてもいい、そんな要らぬ心配をかけさせてしまったのは、謝らなければいけない。

 期末試験の直前で、沙夜にノイズみたいな情報を与えてしまった。試験勉強の追い込みを邪魔してしまったかもしれない。

 そこは素直に、悪かったと思う。

 すぐに頭を下げて謝ると、沙夜は一瞬だけ何かを言いかけた。

 言いかけて、歯を食いしばるようにし、口から出しかけた言葉をのみ込んだ。

 

「……はぁ、分かった。私も急に怒鳴って悪かったよ」

 

「お、飲み込んだ。おっとなぁ」

 

「そこのハゲは後で覚えてろ」

 

「ハゲてねぇよっ!!」

 

 ため息一つで冷静になってくれた沙夜を、わざわざ揶揄うように茶々を入れた覚王山を、ぎろりと沙夜が睨み返す。やめて再度怒らせないで。

 まったく、と零しながら沙夜が立ち上がる。

 位置的に下手な場所は見えないと思うものの、沙夜が立ち上がったタイミングに合わせ、秋水はさっと沙夜から目を逸らした。

 

 逸らして、目が合った。

 

 紗綾音だ。

 このクラスのペット、もといマスコット枠、渡巻 紗綾音。

 いつもは騒がしいのに、今日は静かで気がつかなかった。

 そんな紗綾音は、椅子から立ち上がって秋水の方を見ていた。

 立って、固まっている。

 どうしたのだろうか。

 なんだか、顔色が、悪い。

 

「―――む、棟区、くん」

 

 目が合って、紗綾音が再起動した。

 立ち上がっていた自分の席から、ゆらり、と秋水の方へと足を進める。

 ふらり、ふらり。

 顔色が悪い。

 というか、青い。

 途中でクラスメイトと当たりそうになった。

 それでも紗綾音はまっすぐに秋水の方へと顔を向け、近づいてくる。

 なんか、様子がおかしい。

 いつものような、元気がない。

 どうしたのだろう。

 秋水は軽く首を傾げつつ、膝をついた姿勢からすくりと立ち上がる。

 そして、紗綾音が近づいてきて、秋水の前に来た。

 

「……喧嘩したとかじゃない、よね?」

 

「はい、違います。ご心配をおかけしました」

 

 挨拶もなく、尋ねられた。

 瞳は揺れて、どこか余裕がなく、不安そうだ。

 紗綾音にまで心配をかけてしまったのか。

 情報の拡散が早いと思いつつ、秋水は小さく苦笑する。

 

「なにかに巻き込まれたとかじゃないよね?」

 

「はい、無事ですよ」

 

 胸倉でも掴むかのように、秋水の制服の裾を、ぎゅ、と紗綾音が両手で握る。

 沙夜は分かり易く怒ったが、紗綾音はただただ心配されてしまったようだ。

 いつものウザさ、ではなく元気さが鳴りを潜めてしまうくらいに気を揉ませたのか。

 いくら紗綾音相手とは言えど、流石にそれはちょっと申し訳ない気持ちになる。

 揺れる瞳を見返しながら、秋水はぐりぐりと紗綾音の頭を撫でた。

 無意識であった。

 

「危ないこと、じゃ、ないよね?」

 

「あー……むしろ、危ないことに遭遇させないよう、補導されました」

 

 秋水に頭を撫でられながらも、紗綾音は青い顔で続ける。

 いつもならば、撫でるな、と怒って拒否するのに、黙って頭を撫でられている。

 そう言えば、と律歌が言っていたことを思い出す。

 紗綾音が泣いていた、と。

 学校での様子を気に掛けて欲しい、と。

 ああ、確かに様子が、おかしい。

 ぐりぐりと頭を撫でる。

 じとりとした紗綾音の視線が、下から突き刺さる。

 

「わ……わるい、こと、してない、よね?」

 

「いえあの、夜中に出歩くのは悪いことですよ? だから補導されたんですよ?」

 

 補導の意味を分かってるのかコイツは。

 よく分からない問いに、思わず秋水はツッコミを入れる。

 紗綾音の言葉が、一瞬つまった。

 頭を撫でられながら、それでも青い顔をして、紗綾音が見上げる。

 裾を握った手が、僅かに震えている。

 秋水を見上げるその視線も、微かに震えている。

 

 

 

「なんで、夜に出歩いてただけの、補導で、学校に連絡、来ちゃったの?」

 

 

 

 そして、次いで出てきた問いに、へぇ、と秋水は感心してしまった。

 よく知ってるじゃないか。

 お巡りさんに夜中出歩いているのを見つかっただけなら、普通は口頭注意くらいで無罪放免になるパターンが多い。

 こんな時間になにしてるのかね、早く家に帰りなさい、くらいだ。

 保護者の方には連絡が入るだろうが、それくらいならば学校の方に連絡が行くことは少ない。

 これで喧嘩をしていたとか、明らかに犯罪に類いする行為をしていたとかなら話は違うだろうが、深夜徘徊だけというのはその程度の話でしかない。

 だが今回は、秋水の場合は、状況が違うのだ。

 

「まあ、こんな容姿ですので」

 

 ぐり、と紗綾音の頭を撫でていた手を止める。

 知らず知らずの内に、秋水は苦笑を浮かべていた。

 深夜徘徊だけなら、口頭注意だけで終わる。

 普通なら。

 普通の人ならば。

 

 残念ながら、秋水は普通から外れた子どもである。

 

 背が高い。

 並の大人よりも高く、190㎝近くある。

 ガタイも良い。

 肩幅が広く、肥大化しまくった筋肉の鎧は秋水の長身をものともせず、しっかりと分厚い印象を他者に与える。

 顔は、犯罪者の顔だと言われる。

 人を殺したことがありそうだとも、全てに恨みを持っていそうだとも、なにもしていなくとも睨んでいるように見えるとも、散々言われる。散々と言われている。

 大人には怯えられるし、子どもには泣かれるし、誰も彼もが秋水を見て警戒心を抱く。

 あいつはヤバい奴だ。

 普通じゃない。

 普通の奴じゃない。

 そう、言われてきた。

 そういう扱いを、受けてきた。

 クラスメイトからも。

 近所からも。

 大人からも。

 警察からも。

 お巡りさんも含めて。

 

「この容姿のせいで警察の方から何度も職務質問で捕まったことがあるんですよ。記録上は警察との接触記録が多いとのことなので、今回の補導は一発アウトになったんです。参りましたね」

 

 再びぐりぐりと紗綾音の頭を撫でてから、秋水は手を離して溜息を漏らす。

 深夜徘徊、それだけなら大したことはないのだ。

 問題なのは、その深夜徘徊をした奴が、秋水だったのか問題だった。

 職務質問常連である秋水は、記録だけならば警察との接触が多い少年だ。

 例えそれが、ただの誤解や勘違いからくる職務質問であろうとも、記録上はそうなのだ。

 だから学校側に連絡が行ったのだ。

 警察との接触が多い少年が補導された。注意せよ、と。

 参りましたね、と秋水は再び呟く。

 ぴくり、と紗綾音の眉が跳ね上がった。

 

「捕まった……?」

 

「あぁ、そういう表現は良くありませんでしたね。申し訳ありません」

 

 青い顔のままだが、紗綾音が怪訝そうな表情になる。

 ああ、しまった。

 その表情を見て、秋水はふと紗綾音の父親が刑事であることを思い出す。

 律歌から紗綾音の原液みたいな父親、と教えられたインパクトの方が強く、ちょっと忘れていた。

 身内が警察の人間であれば、捕まった、というのはあまり良くない言い方なのかもしれない。

 きゅ、と紗綾音が眉を顰めた。

 そして、秋水を見上げながら口を開く。

 

 

 

「まって、棟区くん。前に、何度も警察に捕まったって……職質の、こと?」

 

 

 

「え?」

 

 素で聞き返してしまった。

 前に、とはいつの話のことだろう。

 一瞬だけ視線を紗綾音から天井の方に向け、秋水は記憶を辿った。

 確か先週、紗綾音が自分の父親のことを知っているかどうかという意味不明な質問をしたとき、そんな話題を口にした、ような気がするような、気がしないような。

 正直ちょっと記憶があやふやだ。

 ただ、何度も警察に捕まった、という話題をどこかで紗綾音に話したとしても、それは職務質問のことで間違いはないだろう。

 だって、他で警察に捕まったことなどないし。

 天井へ向けていた視線を紗綾音に戻す。

 何故だろう、紗綾音の口端が、ぷるぷると震えている。

 というか、紗綾音自身が、ぷるぷる震えている。

 顔色は変わらず青いし、やはり体調が優れないのだろうか。震えているのがシバリングだとしたら、風邪のひきはじめなのかもしれない。

 

「ええ、はい」

 

 そんな紗綾音を見下ろしながら、秋水は頷いた。

 

 

 

 紗綾音の目から、ぼろり、と涙が溢れた。

 

 

 

「―――へ?」

 

 思わず、秋水の口から間の抜けた疑問符がこぼれ出た。

 ぼろぼろと、急に紗綾音が涙を流し始める。

 あまりに唐突。

 ふるふると小さく震えていた以外、特になんの予兆もなく、いきなり紗綾音が泣き始めた。

 目の前で脈絡もなく涙を流し始めた紗綾音に、ぽかん、と秋水は固まる。

 隣にいた沙夜がぎょっとした表情になる方が早かった。

 

「え、紗綾音!?」

 

「はっ?」

 

「あれ?」

 

 急なことに沙夜が目を白黒させて紗綾音の名前を呼ぶと、秋水の後ろにいた覚王山と日比野も紗綾音の涙に気がついたのか、ぎょっとしたように声を上げた。

 青い顔のまま、眉を顰めて涙を流し始めた紗綾音のその表情が、くしゃりと歪む。

 

 

 

「う、う、う――――――うわあああああああああああああああああんっ!!!」

 

 

 

 そして、デカい声が教室に響いた。

 教室というか、たぶん廊下にまで響いた。

 いや、デカい声というか、鳴き声だった。間違えた、泣き声だった。

 そのクソデカボイスを真正面からモロに浴びることになった秋水の頭の中で、山彦のように絵に描いたような紗綾音の泣き声が反響する。

 心配して紗綾音に近寄ろうとした沙夜が、耳を押さえて咄嗟に下がる。

 秋水の後ろから、「うわウルセェ」という感想が聞こえた。覚王山の声だ。

 教室でいきなりの音響兵器を無防備に喰らってしまい、くら、と秋水の頭が揺れたところで、今度はぽこぽこと腹パンを連続で叩き込まれる。

 違う、腹パンじゃない。

 制服の裾をずっと掴んでいた紗綾音が、掴んだまま秋水をガクガクと揺さぶってきたのだ。

 

「棟区くんおバカなんじゃないかな!? 言い方紛らわしいんだよ!? バーカ! バーカ!! うわーんっ!!!」

 

 裾を掴んで物理的に揺さぶりをかけてくる紗綾音の勢いは激しく、ごす、ごす、とその勢いのあまりが秋水の腹に打ち込まれる。

 痛くはないが、鬱陶しい。

 なんだこのコボルトチワワ、くらいにいつもならば思うところだが、流石にモロ泣き喚いている女子に対してそんな非道な考えは秋水でも浮かばない。

 というか、何故泣いている。

 急にどうした。

 揺さぶられつつ秋水は、えーと、と言葉を探す。

 

「めっちゃ心配しちゃったじゃんかおバカ! おバカおバカ! 棟区くんのあんぽんたんさんきりたんぽ!!」

 

 やめなさい、きりたんぽは罵倒の言葉じゃないぞ。

 言葉を探している間にも、紗綾音が泣きながら罵声を浴びせてきた。いや、きりたんぽは罵声じゃない、美味いものだ。

 なんか泣いてるけど元気そうだ。

 元気に泣いて叫んでやがる。

 これは、いつものようにもう一度頭をぐりぐり撫でて、はいはい席に戻りましょうね、と沙夜に投げ渡してもいい状況なんじゃなかろうか。

 ちらりと飼い主、ではなく沙夜の方を見る。

 なんか、涙を流し始めた親友に慌てているのか、あわあわしていらっしゃる。

 助けて。

 心の中で助けを求め始めた秋水だったが、がしり、といきなり顔を掴まれた。

 両手で、頬を押さえつけるように、鷲掴みである。

 え、と思う間もなく、沙夜へとわずかに向けた顔を、強制的に紗綾音の方へと向かされた。

 秋水の顔をホールドしたのは、紗綾音である。

 あれ、さっきまで制服の裾を握ってたよね。行動が素早くてびっくりする。

 

 

 

「なら、このさい聞くけど! 何で私のお父さんのこと知ってたの!?」

 

 

 

 無理矢理視線を合わせながら、紗綾音が強い語気で尋ねてきた。

 詰問、とはこのことか。

 秋水は一瞬だけ言葉に詰まった。

 紗綾音の父親。

 刑事だ。

 捜査課の、刑事。

 渡巻 仁、とか言ったか。

 40代くらいの、がっしり体型のイケメンだったのは、なんとなく覚えている。

 なんとなく、でしかない。

 彼のことは知っている。

 会ったことがあるからだ。

 喋ったことがあるからだ。

 それを、なんで紗綾音は気にしているんだろう。

 言葉を詰まらせてから、秋水はゆっくりと口を開いた。

 

 

「……えっと、その、交通事故の話で」

 

「いっ!?」

 

 少しだけ重たい口で説明しようとしたところ、ぎょ、としたような声と、誰かの手が割って入る。

 女子の手。

 沙夜だった。

 顔を両手で捉まえて無理矢理視線を合わせてくる紗綾音との間に、ばっと手の平を差し込んできた。

 目を見開いて、引き攣った表情。

 沙夜は驚いたように紗綾音の方を見て、すぐに視線だけを秋水に向ける。

 秋水の顔を、いや、表情を見た。

 マズい、というような顔をした沙夜を見る。

 

 ああ、なるほど。

 

 沙夜は “知っている” のか。

 

 こちらを気遣うかのようなその行動と表情を見て、秋水はそれだけ察した。

 そして、沙夜以外に、その雰囲気の兆候すらないことも、同時に察する。

 言いふらしたりは、していないのか。

 そうか。

 ひんやりと秋水が察していると、割り込んできた沙夜の手を無視して、ぐいっ、と秋水は再び顔を引っ張られる。

 紗綾音だ。

 身長差があるのに無理やり下へと引っ張るものだから、首に負荷がかかってちょっと怖い引っ張り方である。

 そして、ブロックするように沙夜の手が割り込んでいるものだから、紗綾音の表情がまるで見えない。紗綾音の方からも秋水の顔は見えていないだろう。

 にもかかわらず、紗綾音は明らかなる涙声で、それでもデカい声で、はっきりと聞いてきた。

 

「それって、悪いことしてお父さんに捕まったとかって話じゃないよね!? そうだよね!? そうなんだよね棟区くん!?」

 

「それだと普通に逮捕されてるじゃないですか!? 流石に刑事さんと手錠で物理的に繋がる形で捕まったことはないですよ!?」

 

 ぎょっとしたのは秋水の方である。

 いやいや、待て。

 もしかして、逮捕的な意味合いで 『捕まった』 と勘違いされていたということだろうか。

 おいこら、人を勝手に犯罪者扱いするんじゃないよ。そういうツラをしているのは自覚しているんだから、それはシャレにならんだろうが。

 とんでもないクソボケ勘違いをしてきやがった紗綾音に、秋水は思い切り素の声量でツッコミを入れてしまった。

 しまった、口調こそ他人用にしているが、ほとんど鎬相手にツッコミを入れるような感じで喋ってしまった。

 学校では今まで声量を抑え気味で喋っていたのに、モロにツッコミを入れたその勢いに、紗綾音と秋水の間に手を割り入れてブロックしてくれていた沙夜が、びくり、とその手を引いてしまった。

 低すぎて嫌な声にビビってしまったのか。ごめんなさい。

 とりあえず、物理的に手を引いて、続いて慣用句的に手を引く前に、紗綾音の顔面を鷲掴みにでもして引き剝がしてくれませんかね。お願い。

 泣いていても変わらずウザいものの、流石にぼろぼろと大粒の涙を流している女子を力尽くで引き離すのを躊躇った秋水は、ヘルプの意味を込めて沙夜の方へと顔を向けようとする。

 ぐいーっ、と唐突に秋水は両頬を横へと思い切り引っ張られた。

 痛くない。

 だが、顔を動かせなくなった。

 引っ張ったのは、当然紗綾音である。

 

「よかった……よかったよぉ……棟区くんの言語能力がクソザコバカヘボ真空管並低レベルアホ性能のせいで無駄にモヤモヤしちゃったじゃんか!! 棟区くんのおバカ!! うわあああああああああああああああああんっ!!!」

 

 全然よくないのだが。

 助けてほしいのだが。

 クラスメイトの面々も困っている様子なのだが。

 あと、背後の男子2名、クスクス笑っているのが聞こえるのだが。

 最後の望みはやはり紗綾音の飼い主である沙夜だけなんだが。

 朝からトンデモない大惨事の渦中に放り込まれた秋水は、泣き喚いている紗綾音にただただ頬を抓られ続けるのだった。

 学年末試験開始、40分前の出来事である。

 

 

 





 「周りとは十分にコミュニケーションがとれていますか?」という質問に、「コミュニケーションが十分と呼ばれる領域でとれる人間が存在したら、この世から戦争はなくなると思います」と記入したら、何故かじっくりカウンセリングをされた経験があります(;´・ω・)

 相手の意志を十分に理解するのは困難でも、それでも相手の意志を少しでも理解しようと会話(トーク)をするのは大事なことだと思います。完全な理解が不可能だからって、最初から理解することを投げ出すのは違いますからね。言葉のキャッチボールはとっても大事。
 というわけで、拗れる前にちゃんと聞けて良かったねチワワ。
 間が悪かろうと、素直な言葉はそれを貫通するんだよ。

【秋水③】根本に蔓延っている不信感はなに1つ解決していない。他者の話ではなく。
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