※秋水くん周りとはストーリージャンルが極端に違います。
「――ふざけないでくださいッ!!」
表情を一変させ、椅子を大きく引き、というか撥ね倒しながら勢いよく立ち上がり、新人弁護士、鋒山 志穂の怒鳴り声が会議室に轟いた。
かなりの声量だ。騒音と言って良い。
真横で聞く羽目になった鉄臣は、予想して身構えたにもかかわらず、その五月蠅さに思わず体を仰け反らせてしまった。
急にデカい声でキレ出したことに驚いたのか、もしくは純粋に腹に響くようなデカい怒声に怯んだのか、政府側の面々が揃ってびくりと固まる。
恐ろしいことに、鉄臣の左隣に座っている鎬は動じた様子は一切なく、どこか退屈そうな様子さえ浮かべていた。
他人事過ぎやしないだろうか。
「今の発言、はっきりと記録に残します。あなた方は、あなた方の周囲にまで問題が波及する、と明言しましたよね? それは正式な政府の立場として発言されたのですか? 個人的見解ですか? それとも組織の方針ですか?」
会議室に鋭い声が響く。
志穂だ。
怒声ではない。
少しだけトーンダウンさせた声。
だが、怒りがはっきりと滲んだ声である。
鉄臣はちらりと右隣の志穂を見上げてみれば、その表情は、まあ怖い。
顔を赤くし、歯を食いしばり、目を見開いて。
政府としての要請事項の書面を置きに、鉄臣のテーブル前まで来ていた経産省代表を思い切り、はっきりと、隠すことなく睨みつけている。
ああ、キレたか。
今回は止めないが。
「その“問題”とは具体的に何を指しますか? 税務調査ですか? 法的拘束ですか? それとも、保護すべき権利の剥奪ですか?」
カンッ、カンッ、と疑問符を強調でもするかのように、質問とともに手にしているボールペンでテーブルを叩く。
あの、弁護士事務所のボールペンくらいなら破損しても構わないけれど、この会議室のテーブルだけは傷つけないでね。
ある駅直結の高層ホテル、三十階の特別会議室。その調度品は、どれもこれも安物ではないことだけは確かだ。
しかし、そんなこと頭にないであろう志穂は、歯を剥き出しにして威嚇でもするように経産省代表へとじわりじわりと顔を寄せていく。
「仮にそれが政府の意向だとすれば、どの法律、どの条文に基づく行為ですか? 明確な法的根拠を、今ここで提示できますか?」
硬い声色で、しかし流れるように淀みなく、志穂が疑問符を叩きつけていく。
急にキレ始めた志穂に戸惑ったのか、この会議を主導していた経産省代表が助けを求めるように政府側役人の方へと振り向いた。
政府としての要請事項を鉄臣に突き出すため、経産省代表は鉄臣の、いや、志穂のすぐ近くにいる。
テーブルを挟み、志穂のほぼ目の前だ。
その経産省代表が目どころか顔を背けた。
ぶち、という擬音が、鉄臣の耳に届いたような気がする。もちろん幻聴である。
そんな幻聴が聞こえた次の瞬間、ドンッ! と志穂がテーブルを拳でぶっ叩く。
かなり良い音が会議室に響き渡った。
ついでに志穂が持っていたボールペンがあらぬ方へと吹っ飛んでいった。
経産省代表が振り返るよりも早く、志穂の口が開く。
開いた口から繰り出されたのは、怒鳴り声であった。
「法的根拠を即時提示できないなら、これは交渉ではなく権力による恫喝です! 保護の打切りや営業停止示唆は、害悪の告知に当たり得ます! 刑法222条の脅迫罪、場合によっては刑法193条の職権濫用罪にも触れかねない行為です! 職権の目的外使用で私人に義務なき作為を迫るなら、濫用の疑いは免れません!!」
今まさに、あなたが恫喝してませんかね。
そんなツッコミが鉄臣の心に湧いてくるが、ここで志穂を止めるのは野暮だと思って鉄臣は黙ることにする。
さらに威嚇するようにテーブルを叩いて怒鳴り始めた志穂が怖いわけじゃない。
いいぞ、もっと言ってやれ、と思っているわけでもない。
キレ散らかすのはどうかと思うが、志穂の怒っている点は、弁護士として正しい感性だからだ。
「法治国家の政府関係者が、私人に対して “従えば恩恵、逆らえば排除” なんて、そんなのが通用すると本気でお思いですか!?」
ゴンッ、と再び志穂がテーブルを叩いた。
志穂の拳の方が心配になる音だ。
この会議室のテーブルに血糊をつけないでくれ、と鉄臣が拳を止めるように志穂の手を押さえる。
ぱんっ、と軽く振り払われてしまった。
ダメだこりゃ。
「私人が所有する財産や技術に対し、正式な手続きも経ず、確たる法的根拠も示さず、半ば命令のように提出せよと迫る。そこに “協力すれば守ってやる” という甘言を混ぜ、“従わなければ守らない” と暗に脅す。そんなやり方は、交渉ではありません! 単なる権力の濫用による恫喝です!!」
同意見だ。
す、と鉄臣は姿勢を正して、経産省代表の方を見る。
確かに、鎬が政府に対して主張していることは無茶苦茶だ。
自分達の安全を守ってくれ。
でも新たな物質の入手経路や製造方法は秘匿させろ。
そして利益をちゃんと受けさせろ。
無茶苦茶も無茶苦茶だ。
正直、ちょっと擁護しきれない主張である。
だがしかし、それで鎬が国から脅しを受ける謂われは、ない。
ないのだ。
「法治国家は、弱者を守るために法律があります! 権力を持つ側が、その立場を利用して弱者を脅すなど、あってはならない!」
テーブルを叩く。
今度は、手の平だった。
バンッ、という鋭い音は、拳で叩いた鈍い音よりも耳に残る。
「私たちは、あなた方がどういう立場で発言しているのか、十分に理解しています。だからこそ、断言します。これは正義ではない! 間違っている!」
志穂が言い切ったその言葉に、経産省代表の目尻が上がった。
ぎろり、と睨むような目で志穂を見るが、志穂は志穂で鋭い視線で経産省代表を睨み返す。
あ、泥沼が始まりそうだ、と鉄臣は察した。
「少なくとも私は、正義の名を汚すようなやり方には、絶対に屈しません!!」
「なんだとこの野郎! こんな田舎に呼びつけて! それにこんなもの、明らかに民間の手に余る代物なんだぞ! 国が管理すべきなのは明白だろう!?」
テーブルを叩いて怒鳴り返したのは、やはり経産省代表であった。
青筋が浮かんでいらっしゃる。
経産省代表にも、志穂にも。
テーブルに手をついて志穂へ迫るように顔を寄せる経産省代表に、志穂は同じくテーブルに手をついて負けることなく真っ正面から睨んで返す。
「田舎!? 今、完全に見下しましたよね!? 日本国憲法にも法律にも、東京が首都なんて明記されてませんけど!? どこで会議しようと自由ですよ!」
「場所の問題じゃない! 国益を考えろと言ってるんだ!」
「都道府県で優劣つけてる時点で国益の話になってませんよ! 地域間差別して、どうやって“国全体”の利益が守れますか!?」
話が逸れてしまった。
鉄臣は眉間を押さえ、胃痛をこらえた。
内閣府調整官の男性官僚と法務担当官が、あー、と呆れたような表情を浮かべているのが見える。
やっちゃったか、というような2人のリアクションから察するに、経産省代表も沸点が低いというか、売り言葉に買い言葉で噛みついていく人のようだ。
交渉役に向かないんじゃないかと一瞬思ったが、志穂を同席させている時点でこちらも同じであることを思い出す。
ふぅ、と鉄臣はこっそりと溜息を吐き出した。
鎬は相変わらず温度のない表情で、会話の成り行きを見守っており、少しも動じた様子がない。
「そもそも、こういう未確認物質は国家レベルの管理が当然です! 研究成果も国全体で共有すべきで――」
志穂と経産省代表が言い争いを始めたところに割り込んできたのは、文部科学省、文科省の代表である。
威圧感を出すためか、他の面々が割とガタイの良い人達の中、この文科省代表だけはすらりとした、悪く言えばひょろりとした男であった。
これでスーツではなく白衣でも着れば、正に科学者、といった風貌だ。
そんな文科省代表が話の流れを戻そうと割って入ると、経産省代表を至近距離でガンつけていた志穂が顔を上げる。
目つきは鋭い、というか、「ああん?」という副音声が聞こえてきそうなくらいにガラの悪い目をしたままであった。
口を開いた文科省代表へ、志穂はその目をぎょろりと向ける。ヤクザか。
「共有? 国全体って言いますけど、それ民間の協力なくして成り立ちますか!? 現場から巻き上げるだけ巻き上げて、『研究は国が独占します』じゃ、どこが全体ですか!?」
「巻き上げるなんてそんな!? 我々は安全保障を――」
「じゃあ安全保障って、具体的に何です? 盗まれる? 悪用される? なら、民間と共同でガード固める方が早くないですか!? なぜ “渡せ” が先なんですか!?」
びしりと指を向けながら、今度は文科省代表へと志穂が怒鳴りつけた。行儀が悪いからやめなさい。
反論しようとした文科省代表の言葉に被せるようにガン詰めていく志穂に、文科省代表がたじろいでしまう。
線の細い中年男性が志穂に噛みつかれているのを見ると、シンパシーを感じてしまって鉄臣も胃が痛くなってしまう。
「共同研究の形も……もちろん検討は――いや、正直、私だって調べたいですよ! 見たこともない物質ですよ!? 夢じゃないですか!」
「お前は落ち着け!」
「だってこんな未知の元素、前例がないんだ! 触って調べられるチャンスなんて一生に何度もあるものじゃないんですよ!?」
急に早口で超個人的な願望を口走り始めた文科省代表に、経産省代表がツッコミを入れた。
全員落ち着いてほしい。
軽く胃を押さえながら、鉄臣はそんな感想を抱いてしまう。
話を戻そうとしたわりには、あっという間にまた別の方向へと話を逸らしてしまった文科省代表の言葉を聞き、はんっ、と志穂が盛大に鼻で笑う。
「ほら出た! 本音が“研究したい”じゃないですか! 国益って言いながら結局“自分の省で扱いたい”んでしょう!?」
「違う! それも国益の一部だ!」
今度は再び経産省代表がぎろりと志穂を睨み付けて否定した。
対し、またもや志穂が経産省代表を睨み返す。
反りが合わなそうな2人である。
「だったらまず“どうやって民間と利益を分けるか”を提示してくださいよ! 上からの命令じゃなく、対等な条件を!」
「だから条件交渉の場があるんだろうが!」
「切り出したのが“販売停止”と“出所開示”で、“逆らえばどうなるか”という脅しを交渉と呼ぶのですか!? 交渉じゃなくて通告でしょう!」
「脅しじゃない! 国を守るための――」
「なら私人を萎縮させてどう守るんです!? 現場を潰したら情報も技術も途絶えますよ! それこそ国益を損なうでしょう!?」
バンッ、と志穂がテーブルを叩いて威嚇したら、経産省代表もまた、バンッ、とテーブルを叩き返す。
話が着地しそうにない。
ふむ、と怒鳴り合っている2人の横で鉄臣が鼻を鳴らした。
こちら側の要求は伝えた。内容は無茶苦茶だが。
政府側の要求は受け取った。内容は脅迫だが。
話が纏まりそうにもないし、双方共に情報を持ち帰って整理したい状況だろう。
「……確かにそうだ!」
「あれ、なんでお前そっち側なの!?」
何故か志穂の主張に同意し始めた文科省代表に、びっくりしたように経産省代表が振り向いているのを尻目に、鉄臣はちらりと内閣府からの派遣されている調整官の方を見る。
目が合った。
「話が逸れてる……」
調整官の隣にいた警察庁科学警察研究所の職員が、この場で初めて漏らした言葉は、なんとも呆れた声である。
その警視庁職員は、書いていた何かのメモ用紙を調整官の前にすっと差し出す。
調整官は鉄臣と視線を合わせたまま、そのメモ用紙を受け取って、ちらり、と一度だけ目を落とした。
そして、ゆっくりと手を上げる。
「……本日はこの辺で。議事録をまとめた後、正式に再交渉の場を設けます」
やいのやいのとまだ言い争っている志穂と経産省代表のプロレスにメスを入れるように、調整官の静かな声が会議室に浸透した。
形式的な口調だが、声にはかすかな疲れと苛立ちが滲んでいる。気持ちは分かる。
志穂は言い足りないのか鼻息が荒い。鉄臣は無言でこめかみを押さえた。
経産省代表は腕を組み、ムスッとした表情で目を閉じる。
一気に話を詰めるのは無理だろう。
それはこの場にいる誰しもの共通認識であり、いったんこの荒れた空気は冷やすべきだ。
とは言えど、どちらかが譲歩しない限り、次回の交渉も進展はないだろうな、と鉄臣はそんな予感を覚えた、その時だった。
鎬がゆっくりと顔を上げる。
会議冒頭から、ずっと黙っていた口を、ゆっくりと開いた。
「――まあ、次は実りのある話し合いをすることにしましょう。お互い、交渉が長引けば不利益が増えるだけですから」
その声は柔らかいのに、会議室の空気が一瞬だけ張り詰める。
手元の書類を静かに閉じて、柔らかな微笑みを浮かべたまま、まるで高級サロンでの雑談でもしているかのように語る。
いつも凍りついたような無表情ばかり見ていた鉄臣にとって、鎬が張り付けた柔らかな微笑みは、見ていても背筋に氷をツッコまれるような感覚がする。
静かに鎬は立ち上がり、会議室の全体を見渡した。
政府側の人間を見る。
そして、鉄臣も、志穂も。
その微笑みは微動だにせず、張り付いたままだった。
「次も同じ調子なら、こちらとしても窓口を変えなきゃいけないわね……そうならないといいけれど」
さらりと。
それでいて、確かに聞こえるように。
誰も返事をしなかった。
一応の補足とすると、鎬さんが求めているのは平たく言って 「出所は秘密で独占販売するけど身の安全は保証して」 というフザけた内容で、脅しているやり口を横に置けば政府側の提案は妥当 of 妥当な案です。新元素が人体に有害な放射線とか放ってたらどうすんだよ、って話なので(・ω・`)
次回は秋水くんに視点を戻して、チワロリです。